ゴータマ・ブッダが説く「わが教えにおいて禅定は真髄ではない。」アッサジ経 part③まとめ 相応部経典から 番外編[禅定について]
法然上人の教えに触れた祐天寺の法話会
ゴータマ・ブッダが説く「わが教えにおいて禅定は真髄ではない。」アッサジ経 part② 相応部経典から 番外編[禅定について]
ゴータマ・ブッダが説く「わが教えにおいて禅定は真髄ではない。」アッサジ経 相応部経典から 番外編[禅定について]
ゴータマ・ブッダが説く、欲を捨てるタイミング 中部経典14 小苦蘊経から PART② ゴータマ・ブッダ御自身の場合 番外編[禅定について]
ゴータマ・ブッダが説く、欲を捨てるタイミング 中部経典14 小苦蘊経から PART1 番外編[禅定について]
ゴータマ・ブッダが説く「感受(感覚)の出離とは何か?」四聖諦を理解するために。「苦Dukkhaドゥッカ」の意味とは?大苦蘊経 PART16[次第説法49 感受(感覚)の出離]
ゴータマ・ブッダが説く「感受(感覚)の危難(欠点)とは何か?」四聖諦を理解するために。「苦Dukkhaドゥッカ」の意味とは?大苦蘊経 PART15[次第説法48 感受(感覚)の危難(欠点)]
ゴータマ・ブッダが説く「感受(感覚)の楽味とは何か?」四聖諦を理解するために。「苦Dukkhaドゥッカ」の意味とは?大苦蘊経 PART14[次第説法47 感受(感覚の楽味])の楽味]
ゴータマ・ブッダが説く「色(物質、容姿)の出離とは何か?」四聖諦を理解するために。「苦Dukkhaドゥッカ」の意味とは?大苦蘊経 PART13[次第説法46 色(物質、容姿)の出離]
ゴータマ・ブッダが説く「色(物質、容姿)の危難とは何か?②」四聖諦を理解するために。「苦Dukkhaドゥッカ」の意味とは?大苦蘊経 PART12[次第説法45 色(物質、容姿)の危難]
ゴータマ・ブッダが説く「色(物質、容姿)の危難とは何か?①」四聖諦を理解するために。「苦Dukkhaドゥッカ」の意味とは?大苦蘊経 PART11[次第説法44 色(物質、容姿)の危難]
ゴータマ・ブッダが説く「色(物質、容姿)の楽味とは何か?」四聖諦を理解するために。「苦Dukkhaドゥッカ」の意味とは?大苦蘊経 PART10[次第説法43 色(物質、容姿)の楽味]
宗教は人間の妄想を商品化しているだけです
ゴータマ・ブッダが説く「欲の出離、解放とは何か?」四聖諦を理解するために。「苦Dukkhaドゥッカ」の意味とは?大苦蘊経 PART9[次第説法42 欲の出離、解放]
ゴータマ・ブッダが説く「わが教えにおいて禅定は真髄ではない。」アッサジ経 part③まとめ 相応部経典から 番外編[禅定について]
⇑ 前回の続きです。 今回は、「禅定を獲得できなかったことへの不行儀と後悔を釈尊へ告白する場面」のまとめになります。 アッサジ経 (Assaji-sutta) パーリ仏典 第三期5 相応部 蘊篇 蘊相応第九 長老の章 大蔵出版p436~ 受を知る(ゴータマ・ブッダ曰く) も...
仏伝だけでは、スジャーターは、仏陀が苦行を止めようと決意したときに、1回乳粥を差し上げただけの人のように受け取られます。 しかし、スジャーターの村の伝承を見ると、スジャーターは仏陀の成道において(ということは仏教全体において)極めて重要な役割をしたことがわかります。 ぐったりとしている仏陀を見て、スジャーターは乳粥を差し出します。 しかし、仏陀はかたくなに食べようとしません。 つまり、この時には、仏陀は苦行=断食を止めようと決意してなかったということです。 しかし、スジャーターは乳粥を食べるように何度も勧めます。 というのも、スジャーターは結婚してましたが、子供がまだだったため、毎日神様に子供…
何故、仏陀は、自分を信頼していなく、侮蔑している、5人のかつての修行仲間に最初に法を説いたのか、ということですが、私の考えはこうです。 身近であれば、スジャーターやその村の人に説いてもよかったのです。また、悟って初めてお布施をしてくれた2人の商人(行商人)がいたと思いますし、ウパカにも会っています。 それらでなく、離れた所にいる5人の昔の修行仲間に最初に説いたのはどうしてでしょうか。 鍵は、成道後の梵天勧請にあります。 仏陀は悟ったときに、こう思います。 『私が悟った法は精妙である。しかるに、世の人々は執着を楽しみ、執着を喜び、執着に歓喜している。そのような人たちにこのような微妙な法は見がたい…
ぎんたさんの講師の人が『なんで仏陀は最初にこの5人に語ることにしたんだろう?』と呟いたとのことです。 初転法輪の時に、かつての修行仲間5人に最初に説法したことを言っています。 私は、この問いはとてもセンスのある問いかけのように思えます。講師の人は大学の先生だとか、いいセンスです。 普通に考えれば疑問に思う方がおかしい、当たり前じゃん、っていう話です。 長年一緒に修行してきたのですから一番身近ですし、修行も出来た仲間たちですから、当然の選択で疑問の余地などないように思えます。 ところが、そうではありません。 この5人とともにゴータマ・シッダッタがしていた修行は断食行です。 ところが、ゴータマだけ…
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