黄金の行方 徳川幕府の埋蔵金 改訂版その3
林鶴梁と上野介さて逸材なる上野介は誰に師事したかと言うと、8歳の頃より安積艮斉塾(小栗邸内にあった)にて和漢、洋学を受けている。いかに非凡であったかは、前記の御両番(今の上級国家公務員試験)入りを21歳で果たしているのだからお分かりと思う。家庭に恵まれていたこともあるが、父忠高の役柄を抜いてしまう度量は幕府困難の時節柄からして見逃すことはできない。そしてこの父忠高もあるいは人間関係で埋蔵金に絡んでくるのではないかと私は見ている。忠高は幕末下記を歴任している。天保14年1843年御使番衆弘化4年1847年御留守居番寛永4年1851年御持筒頭寛永6年1853年新潟奉行寛永7年1854年御持筒頭この翌年、安政2年1855年上野介が小栗家を継ぐのである。井伊直弼、林鶴梁、中島平四郎、水野健三郎が忠高と同年代であり...黄金の行方徳川幕府の埋蔵金改訂版その3
2025/06/28 22:10