聖書に基づくイエス様の救いの証をお語り下さい。短くても結構です。
マインドフルネスと生産性|クリアな思考と安心感、持続可能な働き方
心理士とフォロワー|心理士にフォロワーが大切な理由
#ヒーリングの次元とカルマ 【11/16(土) 東京ワーク ~所感と解説~】
【ありのままの自分とは?】について考えてみた。「ありのまま」って何??
50代、後悔しない生き方を考えるきっかけ
登山でマインドフルネスになる。
感情コントロールのテクニック:イライラを抑えて心穏やかに過ごす方法
マインドフルネスは偏りのない生き方を教えてくれる
騎手のスマホ不適切使用に思うこと
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フロー状態がもたらす幸福を考える|マインドフルネスとの関連
8番出口が売れた理由
今日は立冬の日ー冬の始まり
【雑記】呼吸を意識するだけ
暑くても寒くても マインドフルネスによる気温ストレスマネジメント
前回の記事は、「「悉多太子の妻子の数」についての議論」と題して、いわゆる平田篤胤自身の議論の方法、語り方などを確認した。ただし、最近、読んでいた本に、この篤胤の語りについて論じていた研究があったので、学んでおきたい。篤胤の語りの対象は、おもに各地の神官とその門人たちであった。神官は、一定の教養をそなえた地方の知識人であり、その周辺には、神官と文化的教養と宗教的信仰でつながった知的中間層の人たちが、必ず一定数いた。かれらは、経済的にも比較的恵まれ、地域における一定の地位をもつ人たち。民衆への指導力をそなえた地方名望家層といってもよい。かれらが地域の氏子を代表し、物心両面で神社とその信仰を支えるような構造が、全国にあった。辻本雅史先生『江戸の学びと思想家たち』岩波新書・2021年、198頁篤胤については、元々、或る...悉多太子の出家について(拝啓平田篤胤先生14)
8回目となる連載記事だが、義浄(635~713)による『南海寄帰伝』19番目の項目に「受戒軌則」があり、最近の拙ブログの傾向から、この辺は一度学んでみたいと思っていた。なお、典拠は当方の手元にある江戸時代の版本(皇都書林文昌堂蔵版・永田調兵衛、全4巻・全2冊)を基本に、更に『大正蔵』巻54所収本を参照し、訓読しながら検討してみたい。前回は、出家した日時に於ける五時の区分について論じたが、今回はその続きである。凡そ西方・南海出家の人、創めて相見するときは、問て云く、「大徳、幾夏ぞ」。答えて云く、「爾許」。若し同夏なるときは、何れの時に在ると問う。若し時同じければ、幾日を得ると問う。若し日同じければ、食の前後を問う。同じく食前に在れば、方に其の影を問う。影、若し殊有れば、大小、異を成す。影、若し同じならば、便ち大小...出家後の坐次の順番について(義浄『南海寄帰伝』巻3「十九受戒軌則」の参究・8)
連載は27回目となる。『養老律令』に収録されている『僧尼令』の本文を見ているが、『僧尼令』は全27条あって、1条ごとに見ていくこととしたが、本文を見るのは今回までとなる。まずは、訓読文を挙げて、その後に当方による解説を付してみたい。なお、『令義解』の江戸期版本(塙保己一校訂本・寛政12年[1800]刊行、全10巻で『僧尼令』は巻2に所収)も参照していきたい。凡そ僧尼、身を焚き、身を捨てることを得ざれ。若し違え、及び所由の者は、並びに律に依りて科断せよ。『令義解』14丁裏を参照しつつ当方で訓読これは、大乗仏教ではかなり一般化された修行法である「焚身」や「捨身」を総じて禁止した内容である。「焚身」については、『妙法蓮華経』巻6「薬王菩薩本事品第二十三」であるとか、『金光明経』巻4「捨身品第十七」などが知られている。...第二十七条・焚身捨身条(『僧尼令』を学ぶ・27)
ドイツ宗教改革の発端にもなったとされるマルティン・ルターの『九十五箇条の提題』の日本語訳を学んでいく連載記事である。連載31回目である。6〔31〕真実な悔い改めが稀であるように、真実に贖宥を買う人も稀である。〔後者は前者よりも〕さらに稀なことである深井氏下掲同著・22頁ここでいう、「真実な悔い改め」とはどういうことなのだろうか?別の文書でルターは「信仰のみが人間の義であり、すべての戒めの成就になる」(「キリスト者の自由について」、深井氏下掲同著・383頁)とあるので、キリスト(救世主)への信仰の成就こそが、真実の悔い改めになるのだろう。そうなると、これこそが「贖宥」になると信じて買う人こそが、真実の贖宥に繋がることになるのだろう。ただ、多くの人の場合は、信心から買うというよりも、信心を補うために買うことになって...マルティン・ルター『九十五箇条の提題』を学ぶ・31
以前で採り上げた、「前三三後三三」の問答について、これは禅宗に於ける貴重な、戒律に関する問答なのだが、或る文献を見てみたら、続く問答が記録されている場合もあったことに気が付いた。それでは、早速見てみよう。晩に至り宿を求む。殊云く、大徳、執心有ること在り。(無著云く)某甲、執心無し。(文殊)云く、還た曾て受戒するや否や。(無著)云く、受戒すること久しし。(文殊)云く、既に執心無くんば、何ぞ受戒を用いんや。著、語無し。『汾陽無徳禅師頌古代別』巻中臨済宗の汾陽善昭(947~1024)による語録で、その内一部に三百則の本則などを集めている。よって、この部分が伝わる事例もあった、としか理解できない。なお、色々と調べてみたが、この部分の提示は禅籍上にも極めて少ない。ただし、貴重ではあるので、どういう意味かを学んでみたい。な...「前三三後三三」に続く禅宗での受戒論
今回採り上げる『沙門果経』というのは、北伝仏教であれば漢訳の『長阿含経』巻17に収録されている。それで、見ていく内容とは、同経典が悔過について論じているので、それを確認しておきたいと思ったのである。爾の時、阿闍世王、即ち坐より起ちて、頭面もて仏足を礼し、仏に白して言わく、「唯だ願わくは世尊、我が悔過を受けよ。我、狂愚痴冥無識為り、我が父摩竭瓶沙王、法を以て治化し、偏枉有ること無し。而も我れ五欲に迷惑し、実に父王を害す。唯だ願わくは世尊、哀慈愍を加えて、我が悔過を受けよ」。仏、王に告げて曰わく、「汝、愚冥無識なるも、但だ自ら悔過す、汝、五欲に迷いて乃ち父王を害す。今、賢聖法中に於いて能く悔過すれば、即ち自ら饒益す。吾れ汝を愍むが故に、汝の悔過を受く」。爾の時、阿闍世王、世尊の足を礼し已りて、還た一面に坐す。仏、為...『沙門果経』に於ける悔過について
『開元釈教録』などを見ていると、大乗律として『文殊師利浄律経』という名称が見られる。そこで、同経は全1巻、全4品(真諦義品第一・聖諦品第二・解律品第三・道門品第四)となっている。拙ブログで見ておきたいのは、「解律品第三」に当たるようなので、見ておきたい。ただ、或る程度長いので、数回に分けて見ておきたい。寂順律音天子、復た文殊に問う、「何んが声聞律と謂うや。何んが菩薩律と謂うや」。答えて曰く、「受教して三界を畏れ、患者を難厭するは、声聞の律なり。無量生死を護りて周旋し、勸めて一切の人民・蚑行・喘息・蠕動の類を安んじ、三界を開導して其の疑網衆想の著を決す、是れ菩薩律なり」。『仏説文殊師利浄律経』「解律品第三」気になるのは、「寂順律音天子」だが、この字句の名前を持つ天子は、基本、この経典にしか出ていないようで、詳細は...『仏説文殊師利浄律経』「解律品第三」参究(1)
この春彼岸は、村山正栄『彼岸の信仰』(三密堂書店・大正14年)を学んでいきたいと思うのだが、今日は、「(二)暦説より見たる彼岸の語義と其来由」の項目について、概観しておきたい。由来彼岸の語は暦に於いては時節の義に之れを解し、又仏説に於いては涅槃得脱の義なりとして之れを解したるより、自然に彼岸の語には二様の語義を含むものとして解せらるに至つたのである。今この二義を了別して各々其の説く所を明にし、以て彼岸の語義を問ふことはやがて是れ彼岸の来由を詳にすることである。『彼岸の信仰』3~4頁この辺が、本書のスタンスである。つまり、「彼岸」という用語を、時節(季節)と、仏説の両面から探っていくのである。本章は、これを時節の側から見ていったのである。そこで、とりあえず以下の一節は確認しておきたい。但しこの彼岸の語は唐暦には無...村山正栄『彼岸の信仰』に学ぶ4(令和4年春・彼岸会)
この春彼岸は、村山正栄『彼岸の信仰』(三密堂書店・大正14年)を学んでいきたいと思うのだが、今日は、江戸時代までの彼岸会についての文献を、本書でまとめているので、その辺を見ておきたい。尚ほ彼岸の由来につきて述べたる雑書数多ありと雖ども何づれも断片的のものゝみである。稍々纏まれるものは、一、彼岸記一巻右は真宗存覚の作と称せらるものにして宝永三年四部聖教の一として刊行せられたものである。一、彼岸弁疑一巻(或は二巻)右は宝永七年の著にして、正徳六年に刊行せられたるものなるも、著者は不明である。弁疑の著者は「将に彼岸会の義を弁ぜんと欲するに、先づ他の所依の書を挙し、次に予が管見を述べ云々」と、言ふところの他の所依の書とは、善住陀羅尼経等なり、末学の説は、法華直談壒嚢鈔見聞随身鈔諸廻向鑑〈四部聖教〉彼岸記〈浄土真宗〉百通...村山正栄『彼岸の信仰』に学ぶ3(令和4年春・彼岸会)
この春彼岸は、村山正栄『彼岸の信仰』(三密堂書店・大正14年)を学んでいきたいと思うのだが、昨日の記事ではいきなり本文に入ってしまったが、そういえば、目次を紹介するのを忘れていたので、紹介しておきたい。(一)緒説(二)暦説より見たる彼岸の語義と其来由(三)仏説より見たる彼岸の語義と其来由(四)両義語の渾融(五)我が国彼岸会の起原(六)彼岸信仰の今昔以上の通り、彼岸の語義について、暦の観点からと、仏説の観点から見ているのだが、彼岸会理解の難しさはこの辺にあると思う。そもそも、春分・秋分という太陽の動きに因んだ法会あるが、それ以外にも、真西に沈む太陽に向けて西方極楽浄土を観想し念仏するなどの行法、或いは太陽がこの日、中天を動くことから、兜率天の中陽院の信仰などが生まれた。更に、仏説云々については、「彼岸」或いは「到...村山正栄『彼岸の信仰』に学ぶ2(令和4年春・彼岸会)
今日から春の彼岸会である。よって、この彼岸会は、村山正栄『彼岸の信仰』(三密堂書店・大正14年)を見ながら学んでみたいと思う。ところで、本書を発刊した三密堂書店だが、同名の書店は現在でも京都市下京区内に所在している。その書店と同じかどうか確認はしていないけれども、おそらくは同じなのだろう。店舗名からすれば、密教系ということなのだろうか。そこで、この村山正栄氏(おそらくは僧侶だったと思う)については、当方の拙い調査では『彼岸の信仰』と同年に『盂蘭盆の信仰』という別の書籍を書いていることは分かったが、それくらいしか分からない。なお、「盂蘭盆」が先で「彼岸」が後である。早速、本文を学んでいきたい。彼岸会はかの盂蘭盆会の如く印度に起り次いで支那日本等に行はれし法会ではなく、全く我が日本に於いて自然に起り次第に発達して、...村山正栄『彼岸の信仰』に学ぶ1(令和4年春・彼岸会)
「常持一木叉」という言葉を見付けたので、記事にしておきたい。五台山秘魔巖和尚、常に一つの木叉を持す。毎に僧の来たるを見るに礼拝し、即ち頸を叉却して云く、那箇の魔魅か教えて汝を出家せしむるや。那箇の魔魅か教えて汝を行脚せしむるや。道得すれば也た叉下に死す。道不得なれば也た叉下に死す。速やかに道え。学僧の、対え有る者鮮し。法眼、代りて云く、命を乞う。法灯、代りて云く、但だ頸を引いて之を示す。玄覚、代りて云く、老児家、叉子を放却して得るなり。『景徳伝灯録』巻10この五台山秘魔巖和尚であるが、馬祖道一禅師の孫弟子に当たる。年代的には、8世紀後半から9世紀にかけて活動した人かと思われる。それで、今回注目した「一木叉」であるが、この人の行実を見ても、詳細は不明である。なお、「木叉」はおそらく「波羅提木叉」の略であり、戒のこ...「常持一木叉」への妄想的記事
「六和敬」という考え方がある。六和敬とは、身同、口同、意同、戒同、施同、見同なり。是れを六同と謂う。等しく仏法を修して、諸もろの慢争を離るる。故に和敬と名づけ、亦た質直心と名づく。『法門名義集』「功徳品法門名義第三」以上の通り、「六和敬」とは、身口意の三業と、戒行・布施行・見解が、集団に於いて一致していることをいう。そのように等しく仏法を修行すると、様々な慢や争いを離れるからこそ、これを「和敬」と名づけるのである。そして、「和敬」の結果、「質直心(正直な心)」を起こさせるともしているのである。これを更に詳しく述べる文献もある。六和敬肇云く、慈心を以て身業を起こす。慈心を以て口業を起こす。慈心を以て意業を起こす。若し重養を得れば、人に与えて之を共にす。持戒清浄なり。漏尽慧を修す。若し此の六法を行ずれば、則ち衆和順...「六和敬」一考
以前に書いた【(1)】の続きである。前回は、応量器を落として壊しても、それほどの罪にはならないと示したのだが、それと正反対の見解を見つけたので記事にしておきたい。邪見して乞食の沙弥を折破して以て現に悪死報を得るの縁廿九白髪部猪麿は備中国の少田郡の人なし。天年に邪見して三宝を信ぜず、曙に一僧有りて来たり、食を乞う。猪麿、乞う所に施さず、反て逼悩を加ふ。亦、其の鉢を破りて、之を逐去す。然る後、即ち他の郷に往く。道中に風雨に遭て、暫間、他の倉の下に寄り、覆て圧煞せる。誠に知る、現報甚だ近し、寧ろ慎まざらんや。菩薩経に云うが如き、一切の悪行、邪見を因と為す者は、其れ斯を謂うや。丈夫論に云く、悲心、一人に施せば、功徳は大地の如し。己が為に一切に施せば、報いを得ること芥子の如し。一の厄難を救えば、余の一切の施に勝る、云々。...応量器を壊すとどんな罪になる?(2・『日本霊異記』の話)
【「聖ヴァレンタインの日」について】という記事でも述べたように、既に、本来は「聖ヴァレンタインの日」が「バレンタインデー」として展開していく中で、かえって、非キリスト教色を強めていった様子であった。ましてや、「ホワイトデー」については、そもそも宗教との関係が無いようである。・三越伊勢丹のホワイトデー2022(三越伊勢丹ホールディングス)上記でも、ホワイトデーの起源については、「バレンタインデーへのお返しをする日」という表現しかされておらず、或いは、これがそもそも、百貨店のホームページに書かれていること自体が、この日の位置付けを理解することになりそうだ。そこで、「聖ヴァレンタインの日」について用いたキリスト教の歳時記に関する参考文献を見てみても、「3月14日」は立項すらされていない。ところで、何故この日が「ホワイ...「ホワイトデー」について
以前から修行道場では、食事に用いる応量器(鉢盂)の中でも、頭鉢を落としたり、壊したりすると、強制的に追放になるという話を聞いたことがあった。とはいえ、実際にそれを適用された人がいるのかどうかまでは詳しくない。然るに、関連して調査したところ、ちょっと面白い文脈があることに気付いてしまった。今日はそれを紹介してみたい。仏、阿難に告げたまわく、「未来世の、罽賓国の土に於いて、当に大法の会を作すべし。金毘羅等の五天子有りて、滅度の後、富蘭那外道弟子有って、蓮華面と名づく。聡明智慧あって、身は金色の如し。此の大痴人、已に曾て四阿羅漢を供養し、当に供養する時、是の如き誓願を作せり、『我れ未来の世に仏法を破壊す』と。其の阿羅漢の供養を以ての故に、世世に端正の身を受け、最後身に於いて国王の家に生まる。身、国王となって、寐吱曷羅...応量器を壊すとどんな罪になる?(1)
個人的に、「一乗戒」という用語が気になっている。この用語は、(おそらくだが)漢訳仏典や、中国成立の仏書には見られないものと思われる。しかし、日本の天台宗などの文献では、見られる用語であるので、それを記事にしておきたい。第十三弁一乗戒問う、大論に云く、諸仏、多く声聞を以て僧と為す。別の菩薩僧無し。弥勒菩薩、文殊師利菩薩等の如きは、釈迦文仏に、別の菩薩僧無きを以ての故に、声聞僧中に入りて、次第に坐す。而も何ぞ天台、別に戒壇を結んで、梵網の戒を授け、菩薩僧と名づくるや。又、経の説に云く、若し、優婆塞戒・沙弥戒・比丘戒を受けずして、菩薩戒を得て、是の処、有ること無し。譬えば重樓の初級に由らざるに、第二級を得ても、是の処、有ること無きが如し。亦た何ぞ天台、律儀の戒を経ずに、越えて菩薩大乗の戒を受くるや。大小の発心、異なり...『払惑袖中策』巻中「第十三弁一乗戒」について
連載記事というほどでも無いのだが、とりあえず出家者が髪を剃る理由について検討する記事を複数書いてしまっているので、もう少し書いてみたい。そういえば、以前から、中国禅の或る問答で、この辺が取り沙汰されたのを思い出した。よって、記事にしておきたい。一僧有り、山下の卓庵に在りて、多年に剃頭せず。一つの長柄の杓を蓄え、渓に就いて水を取る。問有り、如何なるか是れ祖師西来意。僧、杓を提起すて云く、渓深く杓の柄長し。師、之を聞きて云く、也た甚だ奇怪なり。一日、剃刀を袖にして、侍者を同じて之を訪う。纔かに見ゆるに、便ち問う。道得すれば即ち汝の頭を剃らず。僧、便ち頭を洗い、師の前に跪づく。師、便ち与に剃却す。『聯灯会要』巻21「雪峰義存禅師」章これは、雪峰義存禅師の下で修行していた、或る僧侶の問題を扱っている。それは、雪峰の下を...何故、出家者は髪を剃らねばならないのか?(4・禅僧編)
今日3月9日は、語呂合わせで「サンキューの日」、転じて「ありがとうの日」である。「ありがたい」という気持ちがあれば、自ずとそれは、我々にとって或る対象へ貴重な想いを抱かせ、感謝や尊敬の念を生むものである。ところで、同じ語呂合わせといえば、「参究」だってそうである。「参究」とは、以下のような意味である。参究とは、即ち此の一箇の話頭に参ずるなり。話頭に参ずるに、外に疑情を起こさず。所謂、小疑小悟・大疑大悟・不疑不悟なり。疑は、即ち参なり。『百丈清規証義記』巻8まぁ、だいたいこんな感じ。参究というのは、疑悟一如の処に於いて行われる修行であり、一箇の話頭(公案)に対して、疑悟一体となって取り組むのである。疑悟一体というのは、疑問だけを先に置くのではなく、自らをまず仏道に置いて(よって、熱心な坐禅が必要である)、その中で...今日3月9日は「ありがとうの日」
今日3月8日は、「国際女性デー」とのことである。起源としては、1904年3月8日にアメリカ・ニューヨークで、女性労働者が婦人参政権を要求してデモを起こしたことだったそうだ。なお、後にドイツの社会主義者・クララ・ツェトキンが国際社会主義者会議で「女性の政治的自由と平等のためにたたかう」記念の日とするよう提唱し、この日が設けられたという。女性に対して、政治的な権利を与えないというのは、かつては常態化しており、その改善への欲求は、人権思想の伸張とともに、当然の如くに興ったのである。ところで、良く、仏教は平等の教えを持っている、等といわれるのだが、既に諸研究者によって明らかにされた通りで、女性問題については、決して平等であったとはいえない。むしろ、女性差別的だったのが仏教であり、しかも、その淵源は、釈尊にまで帰せられて...「国際女性デー」に因む「仏教と女性」の記事
とりあえず、以下の偈をご覧いただきたい。幽州未だ授戒を得ず一十に出家未だ是の時ならず、二十に出家正に是の時なり。今官壇の縁に遇うも未だ合わず、躘踵且く老沙弥と作る。『雪峰真覚大師語録』下巻「師偈語」これは、中国禅宗の雪峰義存禅師(822~908)の詠んだ偈である。これだけだと背景などは良く分からないが、雪峰禅師の伝記を見てみると、何を言おうとしているのか分かるのかもしれない。九歳にして出家を請うも、怒して未だ允されざる。十二にして家君に従い蒲田の玉潤寺に遊ぶ。律師慶玄有りて持行高潔なり。遽やかに之を拝して曰く、「我が師なり」。遂に留りて童侍と為る。十七にして落髪し、芙蓉山の恒照大師を来謁す。見て之れを奇とす。故に其の所に止まる。宣宗に至りて釈氏を中興す。其の道也た涅して緇ならず。其の身也た褎然として出づ。北して...雪峰義存禅師の出家事情
今日は3月6日であるので、語呂合わせから「三徳六味の日」と勝手に位置付けて、記事を書いておきたい。なお、「三徳六味」というのは、「三徳」と「六味」を合わせた言葉で、それぞれの意味は以下の通りである。其の食の甘美なるに六種の味有り、一には苦、二には醋、三には甘、四には辛、五には鹹、六には淡なり。復た三徳有り、一には軽軟、二には浄潔、三には如法なり、是の如く等の種種の荘厳を作す。『大般涅槃経』巻1「寿命品第一」以上のように、「三徳六味」の原出典としては大乗『大般涅槃経』が知られているのだが、更に思想的に遡っていくと、阿含部や本縁部などにも、「良水」の性質として、「三徳六味」の部分的な内容が確認されるが、あくまでも部分である。そして、「良水」ではなくて、『大般涅槃経』以降は「食」になっているのも違いであり、中国に来る...「三徳六味」の話(令和4年版)
中国で漢訳された仏典などを見ていくと、「大乗戒」という用語は、複数の大乗経典に散見されるが、「一乗戒」という用語は、無いと言って良い。ただし、日本の、特に天台宗では、「一乗戒」という用語は珍しくない。もちろん、同宗派のテクニカルタームとしては「円頓戒」の方が一般的ではあるが、伝教大師最澄の文献を見る限り、「円頓戒」は撰述が疑わしい文献に主に見られるものであり、最澄が意図して使おうとしたとは、とても思えないのである。それで、「大乗戒」と「一乗戒」といった時、似ている言葉ではあるが、意味するところが異なる可能性について、考えを巡らす必要があると思われる。まず、「大乗戒」について、その意義をよく理解できると思われる文脈を見ておきたい。菩薩摩訶薩、是の如くの諸禁戒を護持し已りて、悉く以て一切衆生に施す。是の因縁を以て、...「大乗戒」と「一乗戒」に関する雑考
今日3月3日は、上巳の節句である。一般的には、植物の名前で「桃の節句」と呼ばれたり、「ひな祭り」などとも呼ばれていることだろう。だが、古来の記録を見ると、やはり「上巳」と呼ばれる。これは「上旬の巳の日」という意味である。つまり、元々は「3月上旬の巳の日」に行っていたが、室町時代ごろに3月3日に固定的に行われるようになったという。そして、旧暦の3月3日は桃の花が咲く時期であることから、「桃の節句」とも呼ばれるようになった。「桃の節句」の起源は平安時代にまで遡ることができ、上巳の節句の日には人々が野山に出て薬草を摘み、その薬草で災厄を払い、健康を願ったとされる。更には、宮中では紙の着せかえ人形で遊ぶ「ひいな遊び」が融合され、自分から払った災厄を、代わりに紙人形(これを「形代」という)に引き受けさせて、それを川や海に...今日は上巳の節句(令和4年度版)
「四料簡」という言葉がある。これは、臨済義玄禅師の接化の手順とされるが、以下のように説明されている。済果たして鎮州臨済に住し、黄檗の宗旨を建立す。学侶雲集し、普化・克符の二道者、股肱と為りて、法道一時に振るう。示衆、大凡、宗乗を演唱するには、一句中に須らく三玄門を具え、一玄門に須らく三要を具うべし。権有り、実有り、照有り、用有り。汝等、諸人、作麼生か会す。即ち、三玄・三要・四料簡・四賓主・四喝・四照用等、許多の閒絡索有り。大法、未だ明らかならず一途一轍に滞在せる底、藩籬を窺んや。『仏国禅師語録』巻下「普説」仏国禅師とは、鎌倉時代の臨済宗で活動した高峰顕日禅師(1241~1316)のことである。以上の通り、臨済禅師の様々な接化法について端的にまとめておられる。そこで、臨済禅師の見解としては、以下のような教えが知ら...「出家四料簡」について
【カラーカード&コーヒーカード占い】11/23(土)勤労感謝の日 GRASS & PINK【今日の占い】
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今日3月1日は、旧暦なら「止掛搭」を行う場合があった。大方の叢林、三月一日、草単を出して、挂搭を止む。堂司、戒に依りて排し僧数を写す。堂司行者、先ず首座に呈し、次いで方丈・両班に呈す。卓子に筆硯を備え、僧堂前、或いは衆寮前に陳列す。凡そ三日、或いは差誤有れば、望みて自ら改正すべし。或いは関係に渉りて詳稟せよ。維那、方便して検察し、私讐を許さざれ。大衆を悩乱し、叢林の法を毀壊するなり。『禅林備用清規』巻3「草単」というのは、叢林に集まってきた修行者が自らの僧諱や戒臘などを書くための用紙を指している。「草」とある通り、まだこの段階では下書きである。しかし、これが始まると、その夏安居に随喜する僧衆の数が定まるので、それ以降の掛搭(寺院に留まること)を許さないという。そして、堂司は戒臘の順番に従って、僧の数を写し、堂司...今日は三月一日旧暦なら止掛搭(令和4年版)
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ここでは、「妖精」「妖精の森」「おとぎの國」についてのイメージを、共有し合います。どこかで見た絵夲やファンタジー小説、夢に出てきた世界など、何でも。 また、リアルに妖精の森のような未來を望む書き込みも大歓迎です。 但し、旧スピ的発想や、宗教の勧誘、政党政治の推進、メディアを鵜呑みにしたり恐怖を煽るような書き込みは、すべて却下します。
アフリカ出身の夫と国際結婚し、その生活の中で体験したり学んだり考えたりしています
「純粋な」哲学の話題であれば、何でもどうぞ。 宗教、スピリチュアル、ポエム、政治、社会問題は却下です。 科学哲学は認めます。 なお、オープンな議論を促進するため、コメント機能を有効にすることが望ましいです。
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