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仏教 無我 禅 公案 臨済 道元 

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仏教 無我 禅 公案 臨済 道元 
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仏教 無我 禅 公案 臨済 道元 
テーマの詳細
仏教「佛教」(ぶっきょう)とは、仏陀(ブッダ)の説いた教え、仏(仏陀、覚者、真理に目覚めた人)の宗教、また、仏に成るための教え。 近世では広く釈尊(しゃくそん)を開祖とする宗教のことをさす。 仏教では、個人が自ら真理(法=ダルマ、ダンマ)に目覚めて「悟り」を得てゆく過程が重視され、最終的には「自分として執着している自我(アートマン)は実体ではない(無我)」と覚り、苦の束縛から解放されること(=解脱)を求める。
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仏教 無我 禅 公案 臨済 道元 の記事

1件〜100件

  • 7月5日 栄西禅師忌
    2022/07/05 07:35
    7月5日 栄西禅師忌

    今日7月5日は、旧暦であれば日本に禅宗(具体的には臨済宗黄龍派)を伝えた明庵栄西禅師(1141~1215)の忌日の日付であるという。なお、栄西禅師は時代的には重なるのだが、『鎌倉殿の13人』にも出てくるのかな?さておき、その御遷化の御様子についての具体的な記載は、以下のように見ておきたい。(建保3年[1215])夏に微疾を示す。六月晦の布薩の次で、衆に告げて曰わく、孟秋の単五、吾の終なり。都下、喧伝して宸扆に至る。期に到り、上、中使を遣わして問候す。西、宮使に対して曰わく、已に近し。而も姿儀、壮健なり。諸弟子、傍聴して僭かに怕づ。晡時、椅に坐りて安祥にして逝す。中使、未だ宮に還らざるに、路人の譁称を塗聞し、瑞虹の寺上なるを見る。実に七月五日なり。年七十五、臘六十三なり。『元亨釈書』巻2「伝智一之二・建仁寺...7月5日栄西禅師忌

  • 円頓戒は末法の法?
    2022/07/04 17:00
    円頓戒は末法の法?

    気になる一節があったので、見ておきたい。伝教大師、像法の末に御出世あり。叡山に円頓戒壇を立て、法華・梵網の大乗戒を弘め玉へり。是専ら末法の為也。具に顕戒論等を見べし。何ぞ末法なればとて、妄りに戒律をそしらんや。『真迢上人法語』真迢上人(1596~1659)であるが、江戸時代初期の天台真盛宗の僧侶である。元々は日蓮宗であったが、後に同宗に転宗した。天台真盛宗とは、念戒一致を主張して、持戒しながら往生を目指すという教義となっている。よって、その教義からすれば、戒律・持戒の特長を主張するのは当然ではある。そのため、以上のような評価があるといえる。ここでいわれているのは、伝教大師最澄の讃歎である。上記では、伝教大師は像法時代の末期に、この世で活躍されたという。比叡山に「円頓戒壇(一般的には大乗戒壇)」を建てられた...円頓戒は末法の法?

  • 持戒と樹の伐採の譬えについて
    2022/07/03 19:49
    持戒と樹の伐採の譬えについて

    とりあえず、以下の一節をご覧いただきたい。斫樹取果喩昔、国王有り、一つの好樹の高広極大なる有り、当に勝果を生じて、香、而も甜美たるべし。時に一人有りて王の所に来至す、王、之に語りて言わく、「此の樹上、将に美果を生ず、汝、能く食するや不や」。即ち王に答えて言わく、「此の樹、高広にして、之を食せんと欲すると雖も、何に由りてか能く得んや」。即便ち樹を断ちて望んで其の果を得る、既に獲る所無し、徒らに自ら労苦して、後に還た竪んと欲すれども、樹、已に枯死して都て生理無し。世間の人、亦復た是の如し。如来法王、持戒有るは、樹、能く勝果を生ず。心に願楽生じて果を食することを得んと欲すれども、応当に持戒して諸もろの功徳を修すべし。方便を解せざれば、返りて其の禁を毀し、彼の如く樹を伐れば、復た還活することを欲すれども都て得べか...持戒と樹の伐採の譬えについて

  • 今日は7月1日なので秋の説法でも
    2022/07/01 14:47
    今日は7月1日なので秋の説法でも

    今日は7月1日である。かつての旧暦であれば、今日から秋であった。現代の新暦では、まだまだこれからが夏本番とはいえるのだが、とりあえずかつての禅僧の説法を見ていくことで、七月旦の上堂。一二三四五六七、眼裏の瞳人篳篥を吹く。七六五四三二一、石人・木人の眼涙出す。七通八達挙著すれば、便ち知る尚お見聞の隔靴掻痒在り。陝府の鉄牛、嘉州の大像を呑めば則ち且く置く。仏前の階前、狗、天に尿す。五台山上、雲、飯を蒸す。一句、作麼生か道わん。風来たりて樹影動き、葉落ちれば便ち秋を知る。『圜悟録』巻7これは、かの『碧巌録』を著した圜悟克勤禅師の上堂語である。内容を読み解きながら、考えてみたいと思う。まず、冒頭で、「一→七」と「七→一」の語句が出ている。これは、数字の増減をもって、仏法の働くさまを示しているといえるが、問題はその...今日は7月1日なので秋の説法でも

  • 出家した僧侶の呼び方について(義浄『南海寄帰伝』巻3「十九受戒軌則」の参究・11)
    2022/06/29 07:59
    出家した僧侶の呼び方について(義浄『南海寄帰伝』巻3「十九受戒軌則」の参究・11)

    11回目となる連載記事だが、義浄(635~713)による『南海寄帰伝』19番目の項目に「受戒軌則」があり、最近の拙ブログの傾向から、この辺は一度学んでみたいと思っていた。なお、典拠は当方の手元にある江戸時代の版本(皇都書林文昌堂蔵版・永田調兵衛、全4巻・全2冊)を基本に、更に『大正蔵』巻54所収本を参照し、訓読しながら検討してみたい。今回は、出家した僧侶の呼び方について見ておきたい。然るに西方の行法、近円を受けて已去て鐸曷攞〈訳して小師と為す〉と名づく、十夏を満つるを悉他薛攞〈訳して住位と為す〉と名づく、依止を離れて住するを得たり、又た、鄔波駄耶と為ることを得る。凡そ書疏の往還有るには、題して求寂某乙・小苾芻某乙・住位苾芻某乙と云う。若し其れ学、内外に通じ、徳行高く著くときは、便ち多聞苾芻某乙と名づく、僧...出家した僧侶の呼び方について(義浄『南海寄帰伝』巻3「十九受戒軌則」の参究・11)

  • 「第一官律名義弁」其一(釈雲照律師『緇門正儀』を学ぶ・1)
    2022/06/28 09:19
    「第一官律名義弁」其一(釈雲照律師『緇門正儀』を学ぶ・1)

    連載は2回目であるが、実質的にはこの記事からとなるので、「1」となっている。本書だが、明治時代の戒律復興運動の立役者として知られる釈雲照律師(俗姓は渡辺、宗派は真言宗、1827~1909年)が、自身の学びの成果としてまとめられた文献である、『緇門正儀』(森江佐七・明治13年)を学ぶ連載記事である。今回からしばらくは、「第一官律名義弁」という項目の中身について、学んでいきたい。原るに夫れ梵土には、根本大師仏世尊、輪王刹帝利の尊位を捨て出家成道し玉ひしが故に、彼国に於ては、特に仏教を尊信すること、支那本朝に比に非ず、所謂国王親ら僧足を礼し、僧饌を供し、四事供養し玉ふが如し、豈に人天応供の真僧に、世間有漏の位官を賜ふの事あらんや、且僧も亦既に三界法王の真子たり、然るを却て彼土粟散国王の猶子等となるべけんや、阿難...「第一官律名義弁」其一(釈雲照律師『緇門正儀』を学ぶ・1)

  • マルティン・ルター『九十五箇条の提題』を学ぶ・34
    2022/06/27 15:50
    マルティン・ルター『九十五箇条の提題』を学ぶ・34

    ドイツ宗教改革の発端にもなったとされるマルティン・ルターの『九十五箇条の提題』の日本語訳を学んでいく連載記事である。連載34回目である。なお、今回から、英訳された『九十五箇条の提題』を、当方で日本語訳して掲載することとし、著作権問題をクリアしたいと思う。また、その際、深井氏の下掲訳の訳文や註記を参照した。9〔34〕これまでに挙げた「贖宥の恩恵」は、サクラメントの満足の罰に関係し、人によって制定されたもののみである。訳は当方この「これまでに挙げた」はもちろん、前項の第33条までのことを指している。要するに、ローマ教皇による贖宥について、高価な神の恩寵であると信じる人がいれば、ルターは、その人を信用出来ないと述べているのだが、上記の第34条は、その理由を説明していることになる。ルターは、教皇の贖宥は、人間が制...マルティン・ルター『九十五箇条の提題』を学ぶ・34

  • 『釈氏要覧』の「受戒次第」について
    2022/06/26 08:48
    『釈氏要覧』の「受戒次第」について

    そもそも『釈氏要覧』という文献は、中国宋代の道誠によって編集され、天禧3年(1019)に成立した。全3巻である。仏教の入門者に対して、仏典に見える故実を紹介し、また辞書のようにも扱われるように、様々な語句・名目についても掲載されている。そこで、今回は以下の一節を見ておきたい。受戒次第報恩経に優波離、仏に問うて云わく、若し五戒・十戒を受けざれば、直に具足戒を受け得るや否や。仏言わく、一時に三種の戒を得ん。又、問うに、若し爾らば、何ぞ須らく次第して、先づ五戒を受け、次に十戒を受け、後に具戒を受くるや。仏言わく、仏法に染習するに、必ず須らく次第すべし。謂わく、先づ五戒を受けて、以て自ら調伏し、信楽漸いよ益し、次に十戒を受け、善根、転た深し。後に具戒を受ければ堅固にして退くこと難きは、大海に遊ぶが如し。漸漸にして...『釈氏要覧』の「受戒次第」について

  • 御袈裟と三毒の関係について
    2022/06/24 09:47
    御袈裟と三毒の関係について

    とりあえず以下の一節をご覧いただきたい。彼の人教えて云わく、「此の三衣の名、唯だ仏法のみに有り、九十六種の外道に無き所なり。何ぞ敬らざることを得んや。故に坐具・尼師壇、塔の基有るが如きなり。汝、今、受戒すれば即ち五分の法身の基なり、良を以て五分、戒に由りて成る。若し坐具無く、而も汝の身坐せば、則ち五分の定慧、生に従う所無し、故に坐具、塔の基の如きなり。三衣は三毒を断つなり。五條下衣、貪身を断ずるなり、七條中衣、瞋口を断ずるなり、大衣上衣、痴心を断ずるなり」。南山道宣『関中創立戒壇図経』「戒壇受時儀軌第九」この一節は、後代の文献でも引用されているようだが、やはり、御袈裟と三毒(煩悩)の関係を示すものなので、関心を持たれたのであろう。ここで書かれているのは、御袈裟への信仰と、御袈裟に関する或る種の譬えである。...御袈裟と三毒の関係について

  • 『大日経開題』に見る三聚戒について
    2022/06/23 10:07
    『大日経開題』に見る三聚戒について

    『大日経開題』とは、弘法大師空海が『大日経』の意義を説き示しつつ、讃歎した文章とされている。今回は、その中から、以下の一節を見ておきたい。我等至心に三帰を受け、五智諸如来に帰依し、金剛最上乗に帰依し、不退菩薩僧に帰依し、三宝福田に帰依し竟んぬ、今従り善を作して悪を造らず、我れ五戒十善等を持し、我れ菩薩三聚戒を持し、今世・後世に闕犯すること無し、唯だ願わくは諸仏哀もて聴許したまえ。訓読は当方本来であれば、七言の詩偈であるから2句ずつ書くべきであろうが、意味的には、多分上のような分け方で良いはずである。この内容だが、まず至心に三帰を受けることを示し、特に真言密教に於ける「三帰」のあり方として、大日如来を中心とする五智如来に帰依し、金剛最上乗に帰依し、不退なる菩薩僧に帰依するという。この場合の不退は、二乗への退...『大日経開題』に見る三聚戒について

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  • 明恵上人と高座について
    2022/06/22 12:14
    明恵上人と高座について

    明恵上人(1173~1232)には多くのエピソードが残されているが、これも良く知られたエピソードだろう。或る時、建礼門院御受戒有るべしとて、上人を請じ申されて、御身は母屋の御簾の内に御座して、御手計り指出し合掌して、上人をば一長押さがりたる処におき奉りければ、上人云はく、高弁は湯浅権守が子にて下もなき下臈也。然れども釈子と成りて、年久しく行へり。釈門持戒の比丘は神明をも拝せず、国王・大臣をも敬せず、又高座に登らずして戒を授け、法を説くは、師弟共に罪に堕する也と経に誡められたり。是法を重くし、いるかせにせざる故也、身をあぐるに非ず。かゝる非人法師をも御崇敬候へば、利益ますます多く、いやしみ眇直み給へば、大罪弥深し。いかに仰せ辱けなくとも、本師釈尊の仰せを背きて、諂ひ申す事は有間敷候。加様にては益なくして罪あ...明恵上人と高座について

  • 仏眼清遠禅師の「行者落髪上堂」
    2022/06/20 15:55
    仏眼清遠禅師の「行者落髪上堂」

    この仏眼清遠禅師(1067~1120)という禅僧は、中国臨済宗楊岐派の五祖法演禅師の法嗣であり、兄弟弟子にはあの『碧巌録』で有名な圜悟克勤禅師などがいる。そこで、或る上堂が非常に興味深い内容だったので、見ておきたい。行者の落髪するに上堂す。露柱、多年出家す。燈籠、久しく已に落髮す。仏殿、禁戒を堅持す。三門、近く休歇を得る。大事、本来平等なり、著すること無き清涼なる満月。草木・叢林を度し尽くし、一に陽の和して斉しく発すに似たり、と。下座す。『古尊宿語録』巻27意味だが、行者という身の回りを世話している若者が、落髪、つまり出家したのに合わせて上堂されたという。意味するところは、上堂が行われた法堂の様子を踏まえて、露柱は多年にわたって出家をしているし、灯籠もまた、久しく落髪し了っている。仏殿は、禁戒を堅持してお...仏眼清遠禅師の「行者落髪上堂」

  • 釈尊往復八千返
    2022/06/18 07:27
    釈尊往復八千返

    大乗仏教の戒思想の骨子となっている『梵網経(詳しくは「梵網経盧遮那仏説菩薩心地戒品第十」という。最近では中国成立の経典として扱われる)』を読んでいたところ、非常に面白い一節を見付けたので、今日はそれを紹介しながら、色々と考えていきたいと思う。爾の時、釈迦牟尼仏、初め蓮華蔵世界に現じしより、東方より来りて天王宮の中に入りて、魔受化経を説き已りて、南閻浮提の迦夷羅国に下生したもう。母を摩耶と名づけ、父を白浄と字く。吾を悉達と名づく。七歳にして出家し三十にして成道す。吾を号して釈迦牟尼仏となす。寂滅道場に於いて、金剛華光王座に坐し、乃至摩醯首羅天王宮にして、其中次第に十の住処にして説く所なり。時に仏、諸の大梵天王の網羅幢を観て因て為に説く。無量の世界猶お網孔の如し。一一の世界、各各不同別異なること無量なり。仏の...釈尊往復八千返

  • 『勝鬘経』「一乗章第五」の「六処」について
    2022/06/17 12:05
    『勝鬘経』「一乗章第五」の「六処」について

    ちょっと以下の一節を見てみた。世尊の六処を説くが如し。何等をか六と為すや。謂わく、正法住、正法滅、波羅提木叉、比尼、出家、受具足となる。大乗の為の故に、此の六処を説く。何を以ての故に、正法住とは、大乗の為の故に説く、大乗住すれば、即ち正法住なり。正法滅とは、大乗の為の故に説く、大乗滅すれば、即ち正法滅なり。波羅提木叉、比尼、此の二法は、義は一にして名は異なれり。比尼とは即ち大乗の学なり。何を以ての故に、仏に依りて出家して具足を受くるを以てなり。是の故に、大乗の威儀戒、是れ比尼なり、是れ出家なり、是れ受具足なりと説く。是の故に、阿羅漢、出家と受具足と無し。何を以ての故に、阿羅漢は、如来に依りて出家して具足を受けるが故に。阿羅漢は仏に帰依す。阿羅漢は恐怖すること有り。何を以ての故に、阿羅漢は一切に於いて行無く...『勝鬘経』「一乗章第五」の「六処」について

  • 禅定を行う目的は?
    2022/06/16 09:47
    禅定を行う目的は?

    浄土真宗の開祖とされる親鸞聖人の文章に、次の一節を見出した。まさにまた例を引きて自力・他力の相を示すべし。人、三塗を畏るるがゆゑに禁戒を受持す。禁戒を受持するがゆゑによく禅定を修す。禅定を修するをもつてのゆゑに神通を修習す。神通をもつてのゆゑによく四天下に遊ぶがごとし。かくのごときらを名づけて自力とす。『顕浄土真実行文類』いわゆる、『教行信証』「行巻」ということになるけれども、この一節は、曇鸞『往生論註』からの引用である。ここで、戒定慧の三学の意義が良く示されていることが分かる。まず、戒についてである。人が何故、戒を守るか?というと、曇鸞は、三途に堕ちることを恐れるから、禁戒を受持するのだとしている。三途に堕ちるということは、地獄・餓鬼・畜生という三道への堕落を意味している。戒を受持することが、個人的に身...禅定を行う目的は?

  • 「おくりびと」と「ケガレ」と「御袈裟」
    2022/06/15 09:09
    「おくりびと」と「ケガレ」と「御袈裟」

    或る有名な映画で、おくりびと(納棺師)となり、ご遺体を扱ってきた主人公に対する家族の態度が気になった。或る種のケガレに触れるような態度であった。当方は、それを見ながら、一般的にはこれが普通なのかな・・・?と思った。例えば、亡き人のご遺体に関わるということであれば、僧侶も同じで、お檀家さんのご遺体に触れる機会がある。だが、当方自身はそれがケガレに関わると思ったことはない。何故だろうか?或いは、寺院関係者も同様で、当方の周りでは、枕経やお通夜に行ってきた僧侶に対し、家族があの映画のような態度を採ったなんて聞いたことがない。無論、当方の管見・側聞程度で、全ての事実を決める気はないが、この感覚の妙な違いが、どうにも気になっている。以前、或る場にて参加者が神道の神主さんからお祓いを受ける場面があった。正装というので...「おくりびと」と「ケガレ」と「御袈裟」

  • 恵心僧都源信作という『自誓戒』作法について
    2022/06/14 09:53
    恵心僧都源信作という『自誓戒』作法について

    これがどういう経緯で書かれたものか、当方は良く分からないのだが、何故か手元に、恵心僧都源信が書いたという『自誓戒』作法の江戸期版本があるので、これを元に記事を書いておきたい。なお、この作法書であるが、もちろん『恵心僧都全集』の第5巻にも収録されているが、底本は『天台霞標』と、江戸時代の天和2年(1682)の版本とのこと。当方の手元にあるのは文政10年(1813)版なので、後刷の1本になるだろう。かなり小さめの折本になっていて、儀礼用に用いられたことは明らかである。そこで、この『自誓戒』作法だが、全体の差定は以下の通りである。なお、差定名は書かれていないので、当方の方で適宜判断して付したものである。一請戒二三帰戒(今身より尽未来際)三懺悔四四弘誓願五受菩薩戒(三聚浄戒・十重禁戒)六説戒七回向八回向頌以上であ...恵心僧都源信作という『自誓戒』作法について

  • 異学の入僧伽待機期間について
    2022/06/13 16:52
    異学の入僧伽待機期間について

    以前、【『長阿含経』に於ける他宗教と仏教僧団について】という記事を書いたときに、この異学(要するに仏教以外の学問・宗教を学んでいた者。別の表現で外道だが、こちらは人権的問題を含む表現のため、あくまでも参考表記。取り扱いには注意されたい)が僧伽への加入を許可されるまでの待機期間について興味を持った。先の記事で、それは「四月」となっているので、4ヶ月ということになるのだろうし、その後の様子だと1安居くらいということなのだろうか。それで、他にも同様の表現があるのかどうか、或いは、この待機期間についての別表現があるのかどうか、確認しておきたい。時に迦葉、仏に白して言わく、「云何が瞿曇、我れ此の法中に於いて出家し具戒を受くることを得るや不や」。仏、迦葉に告ぐ、「若し異学の来たりて、我が法中に入りて出家修道を欲する者...異学の入僧伽待機期間について

  • 6月10日 時の記念日(令和4年度版)
    2022/06/10 08:03
    6月10日 時の記念日(令和4年度版)

    今日6月10日は「時の記念日」とされる。『日本書紀』「天智天皇十年四月辛卯」条に、日本で初めて「時の鐘」が打たれたことに由来するという。この時の時計は、「漏刻」といって、水時計であった。それから、先の天智天皇の事績の日付は、「天智天皇10年4月25日」なのだが、これをグレゴリオ暦に変換すると「671年6月10日」となるため、今日をもって、時の記念日としたとされる。ということで、今日は時・時間・時節に関する教えを見ていく日としているのだが、以前【出家後の坐次の順番について(義浄『南海寄帰伝』巻3「十九受戒軌則」の参究・8)】という記事でも指摘した通り、比丘の順番は出家した時間で決まるのだが、その時間を定めるのに、日時計と同じ原理(日時計そのものではない)を使っていたわけである。これに関連して、気になる一節が...6月10日時の記念日(令和4年度版)

  • 何となく鳳潭『梵網経菩薩戒本疏紀要』を読んでみる
    2022/06/09 09:59
    何となく鳳潭『梵網経菩薩戒本疏紀要』を読んでみる

    とりあえず、「日本古典籍総合目録データベース」で鳳潭を調べたら、『梵網戒本疏紀要引拠増補竜鳴斥謬』(享保13年刊)と『梵網経菩薩戒本疏紀要』(享保9年刊)がヒットした。両方とも、大正年間に刊行された『日本大蔵経』巻19「大乗律章疏一」に入っているので、容易に閲覧可能。あ、後者の『紀要』だけなら、当方も版本(全6冊)を持っている。よって、版本を見てみた・・・しかし、冠註本って何でこんなに見にくいのかね。だいぶ、慣れてはきたけれど、本文のどこと対応するか、良く分からないんだよな。でも、実は註記の方を追えば良いという話もある。だって、註記が大事で作ったんだろうし。で、江戸時代、鳳潭が賢首大師法蔵『梵網経菩薩戒本疏』を出してからそっちが流行ったらしいが、それまでは青丘太賢『梵網経古迹記』が主流だったという。でも、...何となく鳳潭『梵網経菩薩戒本疏紀要』を読んでみる

  • 不思議不思議な明恵上人の説戒
    2022/06/08 09:27
    不思議不思議な明恵上人の説戒

    鎌倉時代の華厳宗・明恵高弁上人(1173~1232)の『伝記』や『夢記』を見ていると、逸話はもちろん、そのまま説話になりそうな話がほぼ全てといえるほど多い。それで、今回は以下の一節を読み解いてみたい。同年六月十五日より梅尾(引用者註:栂尾の古表記)の本堂にして梵網菩薩戒本両度の説戒始行せらる。其戒儀〈別記あり〉諸僧同じく列坐して共に戒文を誦す。其の説戒の間霊験多し。見聞し得たること、委しく註するに遑あらず。或は異香虚空に薫満し、或は霊物無形にして、異る音声にて共に誦す。或は異類六歳の小児に託して斎戒帰依の志を述べ、或は年来重病の者聴聞の砌に或は汗を流し或は嘔吐をして癒る類もあり。或は瘧病の者爰に臨みて聴聞の間に忽に癒るのみなり。是れ今に高山寺の恒例の勤めとなれり。奥田正造編『栂尾明恵上人伝記』昭和8年、漢...不思議不思議な明恵上人の説戒

  • 神道教義書『善悪報応論』に見る戒律観
    2022/06/07 10:49
    神道教義書『善悪報応論』に見る戒律観

    手元に、明治期の神道の教義書である『善悪報応論』という版本がある。ただし、著者などは不明で、巻末の奥付には「大教院」とのみ書かれている。それで、本書だが読む前から、神道の教義の中に善悪の基準となる戒律的要素や、その報応を生む主体などがどう考えられているのかが気になった。そこで、見てみると、以下のような一節があった。又神事幽事とは同義にて鬼神を統治し霊魂を賞罰する幽界の神律なれは神祇の幽より執行ひ給ふ冥府の大政是なり『善悪報応論』1丁表~裏、カナをかなにするなど見易く改める(以下、同じ)ここを引いたのは、「神律」という表現が見えたためである。もちろん、どういう意味かは分からないのだが、日本の神が定めた律ということなのだろうか?そして、その内容は、霊魂を賞罰するという。忠孝の倫を乱り邪術を行て世俗を惑し人を害...神道教義書『善悪報応論』に見る戒律観

  • 天野信景『塩尻』に見る「叡山戒壇」論
    2022/06/06 15:51
    天野信景『塩尻』に見る「叡山戒壇」論

    以前、取り上げたこともある尾張藩士の天野信景(1663~1733)が元禄年間から諸方の記録を書き溜めて著した文献で、全100巻もある『塩尻』は、天野自身の関心に従って記述された諸随筆の中に、仏教に関わる事柄も多く記載されている。今回は「○叡山戒壇」を見ておきたい。○叡山戒壇は弘仁十年、伝教、四帖式を製して奏聞せしに、南都七大寺我執を廃し支へ申ける。依之、伝教重ねて顕戒論を作り、声聞戒の外、円頓戒といふ事ありとて奏聞せしされども、在世の間は勅許なかりし。弘仁十三年六月四日、伝教死す。同月十一日戒壇の事、勅許ありて、即菩薩戒官府下りしと光定が記に見えたり。翌十四年四月十四日、義真和尚戒師として一乗止観院にて始て勅願の授戒を行ふ。是山門戒法の始なるより円頓戒儀秘聞書に見えたり。後世、三井寺に戒壇を立度よし、度々...天野信景『塩尻』に見る「叡山戒壇」論

  • 「小戒」という呼称について
    2022/06/05 09:56
    「小戒」という呼称について

    いや、「大戒」があるのだから、「小戒」もあるだろうというご意見というか、ご質問を受けたので、記事を書いてみようと思うのだが、気が乗らない。いや、そこはかとなく、大小乗の問題になりそうな気がするためである。しかし、調べてみると意外とそうでもない。また、この途中で見出した「小小戒」という表現については、別の記事にしておくので、何かの機会にアップしたい。ということで、まずは以下の通り。問うて曰く、已に尸羅相を知る。云何が尸羅波羅蜜と為すや。答えて曰く、人有りて言わく、菩薩の持戒、寧ろ自ら身を失するとも、小戒を毀さず、是れを尸羅波羅蜜と為す。『大智度論』巻14「釈初品中尸羅波羅蜜義之余」これは、『摩訶般若波羅蜜経』の註釈であるが、ここに「尸羅波羅蜜」を論じる中で、「小戒」への言及がある。しかし、これは、「大戒」で...「小戒」という呼称について

  • 天台宗の「十二年の籠山行」に関する雑考
    2022/06/03 10:06
    天台宗の「十二年の籠山行」に関する雑考

    「十二年の籠山行」という言葉、伝教大師最澄が定めた日本天台宗の修行体系だという。伝教大師の弟子の1人である光定は次のように述べている。最澄法師、国家のために備えて、園田を欲せず。酒とこの女とを入れざるを永代の常例として修学せしむ。十二年の山籠僧なり。『伝述一心戒文』要するに、伝教大師が国家のために役立つ僧侶を育てようとしているが、その場合、荘園などを欲せず、酒と女性を入れない道場で12年の籠山行を行うと定めたというのである。ということで、伝教大師の言葉の中で、どの辺が典拠になるのかを見ておきたいが、おそらくは以下の一節である。凡そ大乗の類は、即ち得度の年、授仏子戒を授けて菩薩僧と為す。其の戒牒、官印を請して、大戒を受け已り、叡山に一十二年住せしめて、山門を出でず、両業を修学す。凡そ止観業とは、年年毎日、法...天台宗の「十二年の籠山行」に関する雑考

  • 6月2日 今日は「バラの日」
    2022/06/02 09:28
    6月2日 今日は「バラの日」

    6月2日、今日は「バラの日」らしい・・・え?何で?と思っていたら、「6(ロー)2(ズ)」で語呂合わせかぁ(;゜ロ゜)日本にしか通じないぞ。ということで、折角なので、仏教典籍を検索できるサイトで「薔薇」を検索してみた・・・まさかの大量ヒット!!え?これ、今の薔薇と同じ花?というか、「花」なのか?と思ったが、「薔薇」の字、草冠だから、植物は植物か・・・ということで、「薔薇」の字句が入った仏教の教えを紹介してみよう。桃紅・李白・薔薇紫、問著すれば春風、総て知らず。『続伝灯録』巻30「臨安府五雲悟禅師」章・・・色まで判明。どうやら、13世紀に中国で編集された禅宗関係の文献では、薔薇を「紫」だとしているようである。でも、中国原産の薔薇の画像を見てみると、ほとんど深紅とか、白とかのような気がするが、どれが紫だ?まぁ、薄い紫...6月2日今日は「バラの日」

  • 六月一日 半夏節
    2022/06/01 09:30
    六月一日 半夏節

    今日は6月1日である。暦の問題があるが、旧暦では4月15日から禅宗叢林での夏安居が始まり、7月15日に安居が終わる関係で、6月1日はその中間日、いわゆる「半夏(または中夏)節」と呼称され、安居に随喜している大衆の修行状況の確認などがされたのであった。中夏の上堂、前半夏の間三三、後半夏の後三三。安居の清衆、直下に罷参すれば、阿呵呵、笑倒す西天の老瞿曇。『仏国禅師語録』これは、鎌倉時代に来日した中国僧・無学祖元禅師(1226~1286)の言葉である。日本にいた時に発せられた上堂語である。内容は、中夏なので、いわゆる6月1日に行ったものだけれども、まずは、前半の45日間については「三三」と述べた。これが分かりにくいのだが、「三」の重なりで無限を示すという見解もあり、よって、安居前半の無限の時間が過ぎ、そして、後半もま...六月一日半夏節

  • 悉多太子の修行について2(拝啓 平田篤胤先生16)
    2022/05/31 08:58
    悉多太子の修行について2(拝啓 平田篤胤先生16)

    前回の記事は、「悉多太子の修行について1」と題して、篤胤自身が釈尊の修行の様子などをどのように考えていたかを確認した。今回は、釈尊の修行について更に、どう語られていたかを概観してみたい。扨悉多は右の阿羅邏仙人に逢て、生老病死を断ずるの法はいかにと問ふた所が、阿羅邏が答へて、衆生之始始於冥初。従於冥初、起於我慢。従於我慢、生於痴心。従於痴心、生於染愛。従於染愛、生貪欲瞋恚等諸煩悩、於是流転生老病死憂悲苦悩といふ。悉多また問ふには、其説をきいて生死の根本は解し得たるが、それを断絶することはいかにといへば、仙人がこの生死の本を断ぜんと欲するならば、出家して修持戒行謙卑忍辱。住空閑処修習禅定、離欲悪不善法離於種種相、入非想非非想処。斯処名為究竟解脱是諸学者之彼岸也。汝若以断於生老病死患、まさにかくの如きの行を修学すべし...悉多太子の修行について2(拝啓平田篤胤先生16)

  • 「西方師資の途轍」について(義浄『南海寄帰伝』巻3「十九受戒軌則」の参究・10)
    2022/05/30 16:04
    「西方師資の途轍」について(義浄『南海寄帰伝』巻3「十九受戒軌則」の参究・10)

    10回目となる連載記事だが、義浄(635~713)による『南海寄帰伝』19番目の項目に「受戒軌則」があり、最近の拙ブログの傾向から、この辺は一度学んでみたいと思っていた。なお、典拠は当方の手元にある江戸時代の版本(皇都書林文昌堂蔵版・永田調兵衛、全4巻・全2冊)を基本に、更に『大正蔵』巻54所収本を参照し、訓読しながら検討してみたい。今回は、「西方師資の途轍」という字句について見ておきたい。次に即ち本師、為に戒本を指して、罪相を識らしむ、方に教て戒を誦せしむ。既に其れ熟し已て大律蔵を誦す。日日誦過し旦旦之を試す。恒に受持せざる、恐くは心力を損ぜん。律蔵を誦し了て方に経論を学す。此は是れ西方師資の途轍なり。復た聖を去ること懸に遠しと雖も、然而、此の法未だ虧けず、此の二師を之の父母に喩えると為す。豈に受けんと欲する...「西方師資の途轍」について(義浄『南海寄帰伝』巻3「十九受戒軌則」の参究・10)

  • 『法名義弁』に於ける「戒名」観
    2022/05/27 13:21
    『法名義弁』に於ける「戒名」観

    ちょっとややこしいタイトルになってしまったが、この記事の内容は、要するに「法名」と「戒名」の違いについて考えよう、というもので、これまで拙ブログでは既に、10回以上関連記事を書いている。いつか忘れてしまったが、当方では釈泰嶽師著・釈義応師校補『法名義弁』(明治8年序、山口屋森江左七)の版本を手に入れていたらしい。なお、この著者・校補者ともに、現在の福井県内の僧侶で、宗派は浄土宗だったようである。内容を一読しても、宗派が中々分からなかったのだが、明治43年に刊行された『浄土宗勤行用集(僧之巻)』に、本書が収録されているので、浄土宗だと判断した。そこで、タイトルの件だが、以下の一節が見られる。○法名を戒名と称するは、蓋し説あり。夫れ戒名とは元是受戒の上の称にして、受戒せざる者には允当せざるに似たれども、然も翻迷還本...『法名義弁』に於ける「戒名」観

  • 明治時代の『小学教科書』に載っていた仏教の戒律について
    2022/05/26 08:24
    明治時代の『小学教科書』に載っていた仏教の戒律について

    まぁ、現代のような教科書検定もあったのかどうか分からないし、政教分離とかも無い時代だったので、こういう教科書も作られたということなのだろう。ということで、今回見ていくのは、和敬会員・加藤恵証著『〈仏教徳育・言文一致〉小学教科書〈完〉』(永田文昌堂・明治21年8月)である(以下、引用時には、カナをかなにし、漢字も現在通用のものに改める)。なお、著者の加藤恵証師は、熊本県玉名市(当時は玉名郡大園村)の法雲寺(浄土真宗本願寺派)の住職であった。それで、本書執筆の理由なのだが、加藤師的には、当時の九州で発刊されていた新聞を読んだところ、宗教に対して、時代遅れだの、社会の進化の妨げだの、色々と悪くいわれていたのだが、「通俗の理解に易き仏教主義の書籍を見ざる」ことが問題だと思い、自ら著してみたという。それが、教科書の形を取...明治時代の『小学教科書』に載っていた仏教の戒律について

  • 「布薩」雑考
    2022/05/25 09:13
    「布薩」雑考

    文字通りの雑考であるから、適当に読み飛ばしていただいて良い。以下の一節を見ておきたい。布薩此れ律居の常式なり。此に云わく共住、又た云わく浄住なり。○毘奈耶に云わく、裒洒陀、唐に言わく長養浄なり。謂わく、破戒の垢を除き清浄を長養するが故なり。意は半月半月に犯す所の事を憶えて、無犯の人に対して説露して前愆を異改せしむ。一には則ち現在の更為にして遮る。二には則ち未来の慢法を懲しむるが故に。○毘尼母論に云わく、何んが布薩と名づくるや。答う、断を布薩と名づく。謂わく能く所作を断じて、能く煩悩を断じ、一切の不善法を断ずるが故に。又た云わく、清浄を布薩と名づく。『釈氏要覧』巻下「住持」節ということで、「布薩―つらつら日暮らしWiki」についての辞書的記述である。それで、「布薩」とは、律に則って居する場合の常式であるという。よ...「布薩」雑考

  • 善導和尚『法事讃』に見える諸戒について
    2022/05/24 15:52
    善導和尚『法事讃』に見える諸戒について

    以前、何かで書いたことがあったのだが、改めて以下の一節について見ておきたい。弟子道場の衆等、曠劫よりこのかたすなはち今身に至り今日に至るまで、その中間において身口意業をほしいままにして一切の罪を造る。あるいは五戒・八戒・十戒・三帰戒・四不壊信戒・三業戒・十無尽戒・声聞戒・大乗戒および一切の威儀戒・四重・八戒等を破し、虚しく信施を食み、誹謗・邪見にして因果を識らず、学波若を断じ、十方仏を毀り、僧祇物を偸み、婬妷無道にして浄戒のもろもろの比丘尼、姉妹・親戚を逼掠して慚愧を知らず、所親を毀辱しもろもろの悪事を造る。『法事讃』それぞれの戒律を説明してみたい。・五戒:在家五戒・八戒:八斎戒・十戒:沙弥十戒・三帰戒:三帰戒というか、三帰依・四不壊信戒……???・三業戒……???・十無尽戒:『梵網経』の十重禁戒・声聞戒:比丘...善導和尚『法事讃』に見える諸戒について

  • 浄土宗『浄宗円頓菩薩戒』を学んでみる(3)
    2022/05/23 15:37
    浄土宗『浄宗円頓菩薩戒』を学んでみる(3)

    とりあえず、これは、以前にアップした【浄土宗『浄宗円頓菩薩戒』を学んでみる(2)】の続きである。前回の記事と同様に「十重禁戒」である。第六説四衆過戒此は僧にても俗にても、戒を破りたるを、徒に人に語る事を戒むるなり、但し異見の為に、当人へ直にいふは制の外也第七自讃毀他戒此は自を詞めて、他を毀ことなかれと、戒むるなり、名利を求むる心にて己が徳をいひ、他をそしる故に破戒となる、但し自讃計り毀他計なれば、罪かろし、第八慳惜加毀戒此は人の来りて衣食を乞、或は法を求むるに、与ずして悪口し辱しむることなかれと、戒むるなり、但し毒なる物、又悪事にさからふとて乞ならば、与ぬがよし、惣じて与られる訳あらば、其訳を言葉和かふして断るべし、第九瞋心不受悔戒此は深瞋て、人の詫言するに受ざるを戒むるなり、唯いかる計は罪かろし、又心は慈悲に...浄土宗『浄宗円頓菩薩戒』を学んでみる(3)

  • 法然上人と中川実範上人について
    2022/05/22 13:32
    法然上人と中川実範上人について

    事実かどうかは分からないそうだが、以下の一節を見ておきたい。第三段上人はもと天台の真言をならひ給へり。しかるを、中河の阿闍梨実範ふかく上人の法器を感して、許可潅頂をさづけ、宗の大事のこりなくこれをつたふ。かの実範は当時の流、中院の阿闍梨教真潅頂の弟子、かねて勧修寺の僧正範俊を師とす。ただ事相・教相に達せるのみならず、他宗の法門またくらからざりけり。しかるに上人を帰依のあまり、後には二字をたてまつり、鑑真和尚相伝の戒をうく、上人は円頓の戒法を宗とし給へりき、しかるに円戒をさしをきて、かの相伝の戒をうけられける、さだめてふかき心侍けんかし、『黒谷上人伝絵詞』第5巻、カナをかなにし漢字を現在通用のものに改めるこれは、東大寺の戒壇院を中興した中川実範上人(?~1144)が法然上人(1133~1212)に対して、様々な法...法然上人と中川実範上人について

  • 「禅戒」参究の道(1:『阿毘曇毘婆沙論』巻10「雑犍度智品之六」①)
    2022/05/21 19:09
    「禅戒」参究の道(1:『阿毘曇毘婆沙論』巻10「雑犍度智品之六」①)

    「禅戒」という用語を学ぶ不定期連載記事なのだが、「禅戒」という用語、後の禅宗系では、禅宗の戒、或いは坐禅と戒、といったような複合語として理解されるが、古い経論にも見られる語句である。よって、今日から、何本かの記事を経て学んでみたい。四種の戒有り、一に逮解脱戒、二に禅戒、三に無漏戒四に断戒なり。逮解脱戒とは、欲界の戒なり。禅戒とは、色界の戒なり。無漏戒とは、道倶生戒なり。断戒とは、禅戒・無漏戒、其の事、云何。欲界・欲九無礙道中を離れ、世俗に色を迴転す、是れを禅戒断戒と名づく。欲界・欲九無礙道中を離れ、無漏に色を迴転す、是れを無漏戒断戒と名づく。『阿毘曇毘婆沙論』巻10「雑犍度智品之六」まずは、この辺から見ておきたい。なお、当方も一応、「禅戒」という用語が、「色界の戒」であることくらいは知っていた。そこで、以上のこ...「禅戒」参究の道(1:『阿毘曇毘婆沙論』巻10「雑犍度智品之六」①)

  • 今日は「森林の日」らしい
    2022/05/20 10:54
    今日は「森林の日」らしい

    今日、5月20日は「森林の日」らしい。理由だが、「森林」という字の中に「木」が5つ入っていて、更に、「森林」の総画数が「20画」のため、この日になったという(東京ガストピックス・今日は「何の日」?参照)。その日に因んで、記事を書いておきたい。若し復た人有りて、是の如き花を散じ、福の無量を獲ん。若しくは如来の言わく、衆生をして繒綵を剪截して、草木を傷損して、以て散花と為さしむ。是の処、有ること無し。所以は何となれば、浄戒を持するとは、諸もろの天地森羅万像に於いて、触犯せしめず。若しくは誤犯する者は猶お大罪を獲る。況んや復た今は浄戒を毀すが故に、万物を傷損して福報を求むれども、益ます反りて損さんと欲す。豈に是、有らんや。『少室六門』「第二門破相論」達磨尊者に仮託された教えであるが、よくよく見てみると、自然破壊に対し...今日は「森林の日」らしい

  • 結局「菩提心戒」って何だ?
    2022/05/19 08:00
    結局「菩提心戒」って何だ?

    密教系の戒律は、個人的にはかなり独特なものだと思っているのだが、もちろん、それは当方の理解不足が最大の原因であり、密教をご専門とされる方からすれば、当然のものとして理解されているのだろうと思う。ということで、今回は「菩提心戒」という概念について理解を深めていたい。文献としては、不空三蔵訳『受菩提心戒儀』があるので、それを見ておきたい。作法の次第は以下の通りである。・礼仏・懴悔・運心供養・受三帰依・受菩提心戒・最上乗教受発菩提心戒懺悔文それで、気になるのは、「受菩提心戒」になるのだが、同箇所を全文引用すると、以下のようになる。弟子某甲等、一切の仏菩薩、今日より以て往き、乃至、正覚を成ずるまで、誓って菩提心を発す。有情無辺誓願度、福智無辺誓願集、仏法無辺誓願学、如来無辺誓願事、無上菩提誓願成。今、発す所の覚心は、諸...結局「菩提心戒」って何だ?

  • 『大智度論』に説かれる「十種戒」について
    2022/05/18 09:06
    『大智度論』に説かれる「十種戒」について

    以前、【『華厳経』に説く「十種戒」について】でも指摘したことがあったが、ちょっと気になる一節があったので、見ておきたい。大論の戒品、十種戒を列ぬ。一つには不欠、二つには不破、三つには不穿、四つには不雑、五つには随道、六つには無著、七つには智所讃、八つには自在、九つには随定、十つには具足なり。義、此の十を推す。不欠とは、性戒の性重清浄を持するなり。明珠を護るが如し。若し毀犯すれば、器の已に缺するが如し。仏法の辺人なり。不破とは、十三を持して、破損有ること無きなり。不穿とは、波夜提等なり。若し犯す所有れば、器の穿漏するが如し。道を受くるに堪えず。不雑とは、定共戒を持するなり。律儀を持すると雖も、破戒を念ずる事なり。之を名けて雑と為す。定共に心を持し欲念起こらず。大経に云わく、言語嘲調。壁外釧声し、男女相追い、皆な浄...『大智度論』に説かれる「十種戒」について

  • 『正法念処経』に見る「四種受戒」について(1)
    2022/05/17 13:52
    『正法念処経』に見る「四種受戒」について(1)

    少し気になる文脈を見出したので、確認してみたい。幾種の戒を取るや。略して而も之を言うに、四衆眷属の四種受戒、彼れ皆な果を摂す。何等をか四と為すや。所謂、比丘・諸比丘尼・諸優婆塞・諸優婆夷なり。四衆受戒、彼れ是の如き人、幾種の別別の受戒有るべきや。『正法念処経』巻44「観天品之二十三」以上のように、まずは、四衆に授戒法の違いがあると指摘しているのだが、まずその何れの授戒に基づいても、果を得られるとしているのである。そこで、「四衆眷属の四種授戒」とあるのだが、まずその一部を見ておきたい。彼の優婆塞、略して四種有り、何等をか四種なるや。一には一分行、二には半分行、三には数数行、四には一切行なり。一分行とは、唯だ一戒のみ持す。半分行とは、謂わく三戒を取り、三戒を行ず。数数行とは、不常の受戒なり。一切行とは、五戒を受持す...『正法念処経』に見る「四種受戒」について(1)

  • 『華厳経』に説く「十種戒」について
    2022/05/16 14:58
    『華厳経』に説く「十種戒」について

    とりあえず、大乗経典・論書を見ていくと、「十種戒」という概念を採り上げているので、それを見ておきたい。仏子よ、菩薩摩訶薩、十種戒有り。何等をか十と為すや。いわゆる、不壊菩提心戒、離声聞・縁覚地戒、饒益観察一切衆生戒、令一切衆生住仏法戒、一切菩薩学戒戒、一切無所有戒、一切善根迴向菩提戒、不著一切如来身戒なり。60巻本『華厳経』巻37「離世間品第三十三之二」・・・あれ?八戒しか無くない?譬え、離声聞・縁覚地戒を、2つに割ったとしても九戒になりそうな気がするけど、これは大丈夫なのだろうか?あ、『華厳経』には別訳があるので、そちらも見てみよう。仏子よ、菩薩摩訶薩、十種戒有り。何等をか十と為すや。いわゆる、不捨菩提心戒、遠離二乗地戒、観察利益一切衆生戒、令一切衆生住仏法戒、修一切菩薩所学戒、於一切法無所得戒、以一切善根迴...『華厳経』に説く「十種戒」について

  • 伝教大師最澄が用いる「円戒」について
    2022/05/15 21:13
    伝教大師最澄が用いる「円戒」について

    天台宗の菩薩戒の名称について、その意義なども含めた「円頓戒」という用語は広く知られていると思うが、この用語を伝教大師最澄が用いていないこともまた、よく知られていると思う。とはいえ、その概念が全く無かったのか?というと、類似する用語が見られるので、それを確認しておきたいと思った。具体的には「円戒」という用語であれば、伝教大師の著作に多く見られるので、それを確認しておきたい。住山の衆、一十に満たず、円戒、未だ制せず。禅定、由無し。見前に車傾し、将に後轍を改むべし。謹んで以て弘仁十一載歳次庚子、為に円戒を伝う。『上顕戒論表』以上のように、「円戒」という用語が複数用いられているが、これだけでは意味が分からない。よって、以下の文脈なども参照されるべきであろう。【箴に曰く】一乗円宗、先帝の制。海内の緇素、誰が遵行せざらん。...伝教大師最澄が用いる「円戒」について

  • 『菩薩戒本』冒頭の偈について
    2022/05/12 13:43
    『菩薩戒本』冒頭の偈について

    『大正蔵』巻24に『菩薩戒本』(慈氏菩薩・曇無讖訳)という文献があるのだが、その冒頭には、菩薩戒の真意が示されているように思うので、見ておきたい。盧舎那と十方金剛仏に帰命す、亦た前の論主、当覚の慈氏尊に礼す、今、三聚戒を説く、菩薩、咸く共に聴け、戒は大明灯の如し、能く長夜の闇を消す、戒は真実鏡の如し、法を照らして尽く遺すこと無し、戒は摩尼珠の如し、物を雨ふらし貧窮を済う、世を離れ速やかに成仏するは、唯だ此の法を最と為すのみ、是の故に諸菩薩、応当に護持に勤むべし。『菩薩戒本』このようなものなのだが、だいたいの意味を取っておきたい。冒頭部分から訳していくのだが、盧舎那仏と十方の金剛仏に帰依する。また、論主であり、将来に仏陀になる弥勒菩薩にも礼拝する。今、三聚浄戒を説く、菩薩よことごとくともにこの教えを聞け。戒は、大...『菩薩戒本』冒頭の偈について

  • 日蓮聖人と持戒の話
    2022/05/11 09:14
    日蓮聖人と持戒の話

    まぁ、色々な意見があるとは思うのだが、とりあえず、以下の一文をご覧いただきたい。問て云く、末代初信の行者、何物をか制止するや。答て曰く、檀戒等の五度を制止して一向に南無妙法蓮華経と称せしむるを一念信解初随喜之気分と為す也。是れ則ち此の経の本意也。疑て云く、此の義未だ見聞せず。心を驚かし、耳を迷はす。明らかに証文を引いて、請ふ、苦に之を示せ。答て曰く、経に云く「我が為に復塔寺を起て及び僧坊を作り、四事を以て衆僧を供養することを須いず」。此の経文明らかに初信の行者に檀戒等の五度を制止する文也。疑て云く、汝が引く所の経文は、但寺塔と衆僧と計りを制止して未だ諸の戒等に及ばざるか。答て曰く、初めを挙げて後を略す。問て曰く、何を以て之を知らん。答て曰く、次下の第四品の経文に云く「況んや復人あって能く是の経を持ち、兼ねて布施...日蓮聖人と持戒の話

  • 戒師が答えるべき十種の言葉(1)
    2022/05/10 09:20
    戒師が答えるべき十種の言葉(1)

    最近、『律宗新学名句』を読んでいたのだが、気になる一節を見出したので紹介しておきたい。戒師十種答法一に言わく、能くす。二に言わく、可なり。三に言わく、是なり。四に言わく、善く自ら修行せよ。五に言わく、放逸せざれ。六に言わく、善哉。七に言わく、好し。八に言わく、起て。九に言わく、去れ。十に言わく、依止を与う。『律宗新学名句』戒師による十種の答え方、ということなのだが、問題はこれをどの段階で用いるのか?ということである。そこで、中国成立の律宗文献を見ていくと、以下のような文脈が見られる。四分に云く、答えて言く、爾るべし、(もしくは)汝に教授す、(もしくは)清浄にして放逸なること莫れ、と。弟子、答えて云く、頂戴し持つ。下文、更に十種の答法有り。南山道宣『四分律刪繁補闕行事鈔』巻上之三「受戒縁集篇第八」以上であり、やは...戒師が答えるべき十種の言葉(1)

  • 今日は「みどりの日」
    2022/05/04 07:31
    今日は「みどりの日」

    今日5月4日は「みどりの日」である。当方が生まれた頃は、まだこの日は祝日にはなっておらず、その後、5月3日・5日という祝日に挟まれていることから、国民の祝日か何かになって、さらにその後、元々昭和天皇の天皇誕生日だった4月29日に、昭和天皇が崩御されてから付けられていた「みどりの日」の名称を、4月29日を「昭和の日」に改称するに及んで、5月4日を「みどりの日」にした、という流れだったと思う。・・・日本の祝日に関する法律に関連するところなので、記憶違いはあり得る。ただし、今日はどちらにしても、「みどり」に因んだ記事をアップしておきたい。「みどり」を意味する漢字としては、「緑」がすぐに思い付く人が多いと思うが、他にも「碧」や「翠」などもある。そこで、今日はとりあえず「碧」に因んだ記事にしておきたい。碧眼初祖達磨大師の...今日は「みどりの日」

  • 「憲法記念日」に基本的人権について一言
    2022/05/03 07:30
    「憲法記念日」に基本的人権について一言

    今日5月3日は「憲法記念日」である。1946年(昭和21)11月3日に『日本国憲法』が公布されたが、その「第百条」として、「この憲法は、公布の日から起算して六箇月を経過した日から、これを施行する」とあって、結果としてこの規定に従い、1947年(昭和22)5月3日に『日本国憲法』が施行されることとなった。そのため、今日が「憲法記念日」となり、11月3日は「文化の日」となったのである。さて、「憲法記念日」であるから、やはり憲法について一言考えておきたい。まず、『日本国憲法』には、「基本的人権」について2つの条文で規定していることが知られている。第十一条国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる。『日本国憲法...「憲法記念日」に基本的人権について一言

  • 持戒の人と破戒の人
    2022/05/02 07:11
    持戒の人と破戒の人

    何となく、今日は連休の間の日になるようで、とりあえず記事の内容も、間に入るようなものかもしれない。まずは、簡単に本文を見ておきたい。持戒の人、無事にして得ず、破戒の人、一切皆な失す。譬えば人有りて常に天を供養するが如し。其の人、貧窮にして四方に乞い求め、供養すること十二年を経て、富貴を求索す。『衆経撰雑譬喩』巻上これだが、持戒の人は特に何も無くても、求める物が得られるという。一方で、破戒の人は、一切を皆失うという。このことはとりあえず、そう理解しておくが、問題はその後の「譬えば」以下の内容である。この譬えば以下の一節は、持戒と破戒の人がどうなるか?を示したものだが、たとえ話で示している。問題は、このたとえ話が何を指しているのか?である。それで、天を供養するという話になっているので、おそらくは持戒の人を指している...持戒の人と破戒の人

  • 五月一日に仏性義を学ぶ
    2022/05/01 07:07
    五月一日に仏性義を学ぶ

    今日は5月1日である。旧暦の日付ではあるが、この日に行われた上堂語を見出したので、学んでみたい。五月旦の上堂。仏性義を知らんと欲せば、当に時節因縁を観ずべし。時節既に至れば、其の理自ら彰わる。如何なるか是れ彰わる底の理。如何なるか是れ時節因縁。霏霏たる梅雨、危層に洒ぎ、五月の山房の冷、氷に似たり。『仏国禅師語録』巻上「再住浄智禅寺語録」これは、仏国禅師・無学祖元禅師(1226~1286)の上堂語である。なお、雨の話となっているが、旧暦5月1日は、現在の暦で6月初め頃になることもあるので、梅雨の時期にも係る内容だとして良いのだろう。そこで、無学禅師はこの5月1日の上堂語で、「仏性義」を問うておられる。この「仏性義を知らんと欲せば、当に時節因縁を観ずべし」の部分は中国宋代の禅僧達が、「経に云く」として繰り返し提唱な...五月一日に仏性義を学ぶ

  • 連載を終えて(『僧尼令』を学ぶ・28)
    2022/04/30 07:44
    連載を終えて(『僧尼令』を学ぶ・28)

    連載は28回目となるが、これが最終回である。この連載では、『養老律令』に収録されている『僧尼令』の本文を見てきたが、『僧尼令』は全27条あって、1条ごとに見てみた。なお、連載途中で『令義解』の江戸期版本(塙保己一校訂本・寛政12年[1800]刊行、全10巻で『僧尼令』は巻2に所収)が入手出来たため、それも参照した。さて、全27条を見てみて感じたことは、部分的には仏教の戒律(比丘戒)を想定している場合もあるが、当時の朝廷が必要とした規則なども併存していた場合もあった。そこで、その辺を総体的(雑考的かも)に考え、この連載を終えておきたい。この記事の前提としては、当令の全体が日本で独自に作られたわけではなく、ほとんどは、中国唐代の『道僧格』という、道教・仏教への統制の条文を下敷きに、編まれていることである。無論、日本...連載を終えて(『僧尼令』を学ぶ・28)

  • 「昭和の日」に昭和初期の日本仏教を考えてみた
    2022/04/29 15:09
    「昭和の日」に昭和初期の日本仏教を考えてみた

    今日、4月29日は「昭和の日」である。命名の由来は、元々昭和天皇の天皇誕生日だったのだが、昭和天皇が崩御されて、年号が平成となってから、しばらくの間、「みどりの日」として定着した。これは、ちょうど5月の連休(ゴールデンウィーク)の入りとして日付が適切だったからだろう。しかし、2007年から「昭和の日」として改称され、ご存じの通り、「みどりの日」は5月4日に移動したのである(それまでは、何となく憲法記念日とこどもの日に挟まれた普通の休日であった)。ところで、今回、改めて「昭和の日」について考えようと思い、「昭和元年」に刊行された仏教関係の文献を探ろうと思って調べたのだが、思った以上に出てこない。「大正15年」刊行の文献は一定量あるが、「昭和元年」は無い。そして、それはそのはずで、大正天皇の崩御は年末の12月25日...「昭和の日」に昭和初期の日本仏教を考えてみた

  • 悉多太子の修行について1(拝啓 平田篤胤先生15)
    2022/04/28 08:09
    悉多太子の修行について1(拝啓 平田篤胤先生15)

    前回の記事は、「悉多太子の出家について」と題して、篤胤自身が釈尊の出家の年齢などを、どのように考えていたかを確認した。今回は、釈尊の修行についてどう語られていたかを概観してみたい。悉多太子はまず、「跋伽仙人」が修行しているところに行き、以下のような問答が行われたという。こゝに悉多がその跋伽仙人に、そこらは今かくのごとき苦行をするが、これは何等の果報を求めんとするのじやと問ふた処が、仙人答て、此苦行を修するは天に生ぜん事を欲するのじやといふ。そこで悉多がまたいふには、天は楽しいけれども、福尽るとき窮て六道に輪廻して終に苦聚となる。いかにぞ諸の苦因を修して求苦報ぞと難じて、かように議論しつゝ日暮にも及び、其夜は一宿して明旦まで思惟したる処が、此の仙人ども苦行を修すといへども、みな解脱真生の道にあらず。こゝに留るべき...悉多太子の修行について1(拝啓平田篤胤先生15)

  • 「不空の心」について(義浄『南海寄帰伝』巻3「十九受戒軌則」の参究・9)
    2022/04/27 10:05
    「不空の心」について(義浄『南海寄帰伝』巻3「十九受戒軌則」の参究・9)

    9回目となる連載記事だが、義浄(635~713)による『南海寄帰伝』19番目の項目に「受戒軌則」があり、最近の拙ブログの傾向から、この辺は一度学んでみたいと思っていた。なお、典拠は当方の手元にある江戸時代の版本(皇都書林文昌堂蔵版・永田調兵衛、全4巻・全2冊)を基本に、更に『大正蔵』巻54所収本を参照し、訓読しながら検討してみたい。今回は、「不空の心」という字句について見ておきたい。既に受戒し已て䞋施を行かず、若しくは其の師、為に少多を弁ること有り、或は腰絛を持し、或は濾水羅等、臨壇に奉は、不空の心を表するを以てなり。『南海寄帰伝』巻3・4丁表、原漢文、段落等は当方で付す短いが、連載記事なので、今回はこれだけを見ておきたい。しかし、意味が取りにくい文章である。もちろん、原因は当方の勉強不足に由来するから、反省ば...「不空の心」について(義浄『南海寄帰伝』巻3「十九受戒軌則」の参究・9)

  • 『長阿含経』に於ける他宗教と仏教僧団について
    2022/04/24 10:26
    『長阿含経』に於ける他宗教と仏教僧団について

    「異学」という用語が気になった。時に迦葉、仏に白して言く、云何が瞿曇、我、此の法中に於いて出家して具戒を受くることを得るや不や。仏、迦葉に告げ、若し異学有りて、我が法中に来入して出家修道することを欲する者は、当に四月を留めて観察して称りて衆意とすべし。然る後に、当に出家受戒することを得る。迦葉、是の法有ると雖も、亦た其の人を観るのみ。迦葉言わく、若し異学有りて仏法中に来入して梵行を修せんと欲する者は、当に四月を留めて観察し称りて衆意とすべし。然る後に、当に出家受戒を得べし。我れ今、能く仏法中に於いて、四歳観察して、称りて衆意とすべし。然る後に乃ち出家受戒す。仏、迦葉に告げ、我れ已に言有り、但だ其の人を観るのみ。爾の時、迦葉、即ち仏法中に於いて、出家し具足戒を受く。時に迦葉、受戒して未だ久しからざるも、浄信心を以...『長阿含経』に於ける他宗教と仏教僧団について

  • 中国での律宗の興亡に関する文章(2)
    2022/04/22 10:54
    中国での律宗の興亡に関する文章(2)

    これは、【(1)】の続きである。早速に、『比丘受戒録』を見ていきたいと思う。然るに仏、初めて出世してより、辺地に正法を聞くこと尠し。出家の五衆も亦た希なり。時に迦旃延尊者、西天竺阿槃提国に居す。彼に長者の子有り、億耳と名づく。出家し、尊者に為に具戒を受けんことを求む。而るに彼の国、十人の僧無し。受具することを得ず。彼、馳せて往き仏に白す。仏、辺地の持律の五人の僧もて、羯磨し受具を作すことを得ることを聴す。五人の中、一人の持律、善く羯磨を解す。即ち以て羯磨師に須い、第五人と為す。其の教授師、軌範に閑かなることを要す。余の証戒僧、必ず須らく清浄なるべし。方に証明と為ることを許すなり。所謂、中辺とは、中、即ち中天竺なり。東南西北四天竺の中に居すなり。辺地とは、中天竺の東に去きて東際に至り、白木調国有りて、国外、是れ辺...中国での律宗の興亡に関する文章(2)

  • 『三帰五戒慈心厭離功徳経』について
    2022/04/21 10:59
    『三帰五戒慈心厭離功徳経』について

    ちょっと面白い経典があったので、見ていきたいと思う。一応、『大正蔵』だと「阿含部」に入っているが、とても短い経典だ。是の如く聞けり、一時、仏、舎衛国祇樹給孤独園に在り。仏、阿那邠邸長者の為に説けり、「過去久遠、梵志有り、毘羅摩と名づく。饒財多宝なり。若しくは布施する時、八万四千の金鉢を用いて盛りて砕銀を満たし、八万四千の銀鉢もて盛りて砕金を満たし、復た八万四千の金銀を以て澡罐し、復た八万四千の牛を以て皆な金銀を以て角を覆い、復た八万四千の玉女を以て荘厳具足し、復た八万四千の臥具を以て衆綵自ら覆い、復た八万四千の衣裳を以てし、復た八万四千の象馬を以て皆な金銀を以て鞍勒とし、復た八万四千の房舍を以て布施し、復た四城門中に於いて布施す、其の欲する所に随って皆た悉く之を与う。復た一房舎を以て招提僧に施す。上の如くの施福...『三帰五戒慈心厭離功徳経』について

  • 中国での律宗の興亡に関する文章(1)
    2022/04/19 13:20
    中国での律宗の興亡に関する文章(1)

    中国清代の成立なので、決して古くは無いが、かえって、過去のことを手堅くまとめているように思われる『比丘受戒録』の冒頭部分は、インドでの受戒作法の成立などを論じ、また中国での戒律・戒壇・受戒作法の展開について書かれている。よって、その文章を紹介しつつ、中国仏教での律宗のあり方を見ておきたい。恭しく惟れば、如来の御世、衆生の機を観るに、上中下有り。故に教えて三乗を設く。所謂、菩薩・縁覚・声聞なり。乗、三に分かるると雖も、戒を以て定慧の本と為さざること莫し。是の故に、如来、初め菩提樹下に坐して、即ち諸もろの大心菩薩の為に、盧舎那仏の三聚浄戒を伝誦し、次に鹿苑・王城に至りて、諸もろの二乗の為に、漸く五篇七聚を制す。十人の僧を立て、白四羯磨して、比丘の具足戒を授く。『比丘受戒録』思ったよりも全文が長いので、全体を5つくら...中国での律宗の興亡に関する文章(1)

  • 4月18日 発明の日
    2022/04/18 15:03
    4月18日 発明の日

    今日、4月18日は「発明の日」らしい。何か有名な発明でもあったのか?と思ったが、そういう話ではないらしい。・4月18日は「発明の日」です(特許庁)上のページを見てみると、明治18年(1885)4月18日に、初代の特許庁長官を務めた高橋是清などが、現在の特許法の前身である「専売特許条例」を公布し、日本の特許制度が始まったことを記念した日であるという。ちょっと、いや、だいぶ思っていたのとは違っていた。さておき、今日という日付に因んで、「発明」という言葉について考えてみたい。この言葉、禅宗であれば以下のような文脈で用いられる。十一歳、同郡浄明寺の本宗に得度し、十四歳、晋州慈雲寺の智瓊に得戒す。十八歳、諸方に出游するに、訣れに其の祖曰く、若し大事を発明せざれば、誓って帰らず。『勅諡宏智禅師行業記』これは、中国の宏智正覚...4月18日発明の日

  • イースター雑考
    2022/04/17 13:21
    イースター雑考

    今日4月17日は、イースターである。それで、イースターというのは、キリスト教徒にとっては最も重大な祭日であり、意義としては、十字架にかけられて処刑されたイエス・キリストが、3日目(イエスが処刑された日を1日目として)に復活したことを示すという。なお、何故今年は4月17日に行うかといえば、イースターを行う日付は「春分の日の後の最初の満月の次の日曜日」だと定められている。いつも思うが、「の」ばっかりだ。今年の春分の日以降の最初の満月は、4月17日(日)の夜明け前であった。よって、本日がイースターになるのだが、これは、一般的な「西方教会」の定めらしく、「東方教会」では24日(日)になるという。このずれる理由については、暦に対する根本的な考え方の違いもあるとされるが、もう一つ、ユダヤ教の「過越祭」との関わりがあるという...イースター雑考

  • 「三種安居」の話
    2022/04/15 11:21
    「三種安居」の話

    新暦・旧暦の話も混じるので、色々と面倒くさいところではあるが、本来、今日4月15日は、結夏(夏安居の結制)であるとされるが、どうもそれは、中国の禅宗からの印象もある。解夏の上堂。四月十五日に結び、七月十五日に解く。『密菴和尚語録』この通りである。十五日から十五日まで、ということで、とても綺麗な日付となっているのだが、実際に律蔵を見てみると、ちょっと別様の話が見えてくる。三種安居有り、前安居・中安居・後安居なり。『四分律』巻58「毘尼増一之二」それで、上記の説明について見ていくと、先に挙げた禅宗で安居が行われた日付について、色々と思うところが出てくるのである。仏言わく、「後安居を聴す。二種安居有り、前安居有り、後安居有り。若し前安居に在れば応に前三月に住すべし、若し後安居ならば応に後三月に住すべし」。『四分律』巻...「三種安居」の話

  • 『屏岩清規』とは?
    2022/04/14 08:33
    『屏岩清規』とは?

    とある経典の検索ソフトで「清規」という単語を調べていたら、以下の一節を見出した。小仏事〈法事次第、屏岩清規に依る〉『伝衣石渓仏海禅師雑録』ここで、個人的には『屏岩清規』について気になった。なお、「法事次第」とは、喪儀法の式次第を指しているようだ。まずは、その辺を下地に、これがどんな文献なのかを見ていきたい。とはいえ、この『屏岩清規』について、どの文献を意味するかは、すぐに分かってしまった。屏岩首坐、新規を刊示して、旧板に於いて祥(詳の音通か)なり。後学を汲引す。『叢林校定清規総要』「後題」このように出ているので、『屏岩清規』とは、通称『校定清規』のことだと分かるわけである。この清規は、当時の禅門で行われていた諸清規を校定繕写して、元の咸淳10年(1274)に惟勉が著したもので、全2巻である。ところで、そうなると...『屏岩清規』とは?

  • 三帰依と提婆達多の救済について
    2022/04/13 07:55
    三帰依と提婆達多の救済について

    提婆達多は、釈尊のいとこであり、一時的には仏教教団の比丘となっていたが、後には僧伽を破り、自らの教団を打ち立てたとされる。これは、後に「破僧罪」という仏教でも最大の罪、いわゆる五逆罪の1つに数えられるようになった。そうなると、今度はその罪の解消がどのようになされるのかが検討される場合もあった。問うて曰わく、「若し大罪有れば、仏、救うこと能わず。若し罪無ければ、仏の救いを須いず。云何が三宝、能く救護すること有るや」。答えて曰わく、「提婆達多、三宝に帰依するも、心、真実ならず、三帰、満たず。常に利養名聞を求め、自ら一切智人と号す、仏と争競す。是の因縁を以て、三宝、大力有ると雖も、救うこと能わざるなり。阿闍世王の如きは、逆罪有りて、応に阿鼻獄に入るべきと雖も、誠心を以て仏に向かうが故に、阿鼻の罪を滅し、黒縄地獄に入る...三帰依と提婆達多の救済について

  • 鉢盂の器数について
    2022/04/12 10:25
    鉢盂の器数について

    鉢盂(応量器)は、比丘にとっての食器を意味するが、その器の数について記事にしてみたい。ただし、この辺は以前【「頭鉢」考】という記事を書いていて、それと重複する部分も多いことは予めお断りしておく。個人的に気になったのは、やはり以下の文脈である。鉢器大小の数十誦律に云わく、鉢・半鉢・大鍵𨩲〈鍵の音、処なり。𨩲の音、咨なり。経音疏云く、鉢中の小鉢、助鉢に用いる故に〉・小鍵𨩲〈僧祇に同じ〉○四分律に云わく、鍵𨩲、小鉢に入れ、小鉢、次鉢に入れ、次鉢、大鉢に入る〈此の律に言う。小鉢、即ち十誦の大鍵𨩲なり。次鉢、即ち半鉢なり。諸律の四事に准じて見るべきなり。今、呼んで鐼子と為す。鐼の音訓切なり。韻に云く、鉄類なり。器に非ざるが故に〉。『釈氏要覧』巻2「道具」項中国で後代に作られた文献であるから、もちろん、どこまで実態を反映し...鉢盂の器数について

  • 『菩薩善戒経』に見る声聞戒と菩薩戒の比較について
    2022/04/11 15:22
    『菩薩善戒経』に見る声聞戒と菩薩戒の比較について

    先般、永明延寿の『万善同帰集』を読んでいたら、その中巻に「『菩薩善戒経』に云く、「声聞戒は急、菩薩戒は緩。声聞戒は塞、菩薩戒は開」」という一節が引用されていたので、少し気になっていた。改めて典拠の『菩薩善戒経』を読んでみると、この一節を含めて、声聞戒と菩薩戒の比較を行っていたので、両者の違いを知るために、学ぼうと思った次第である。仏言わく、善哉善哉、優波離よ、至心諦聴せよ。善思、之を念い、当に汝の為に説くべし。優波離よ、声聞戒の因縁は異なれり、菩薩戒の因縁は異なれり。声聞戒の心は異なれり、菩薩戒の心は異なれり。声聞戒の荘厳は異なれり、菩薩戒の荘厳は異なれり。声聞戒の方便は異なれり、菩薩戒の方便は異なれり。優波離よ、声聞戒の浄は、菩薩戒の浄に非ず。菩薩戒の浄は、声聞戒の浄に非ず。声聞の人、乃至、一念に有を求めざれ...『菩薩善戒経』に見る声聞戒と菩薩戒の比較について

  • 「甘茶」考(再掲)
    2022/04/10 10:55
    「甘茶」考(再掲)

    多分、本気で調べている人もいると思うので、そういう場合にはそちらの記述を参照して欲しい。このブログでは、とりあえず目の及ぶ範囲で記事にしておきたい。先日、【今日は釈尊降誕会(令和4年度版)】の記事でも少し指摘したが、釈尊の降誕に際し、生まれた直後に二頭の龍が、釈尊にお湯や水を掛けてさし上げたという伝承は、仏典上に存在することは確認したが、それが現代的には「甘茶」になってしまっている。そこで、この「甘茶」って一体何だ?という疑問が起きてきた。まとめれば、釈尊降誕会(花まつり)で「甘茶」を誕生仏にかける習慣はいつから出て来たのか?と思ったのである。まずは、明治期の或る記述を参照しておきたい。後世鎌倉幕府の末葉から足利氏室町の治世に至つて、四月八日釈迦の誕生会を祭ることゝなり、ついで江戸徳川時代に今のやうな花見堂の中...「甘茶」考(再掲)

  • 今日は釈尊降誕会(令和4年度版)
    2022/04/08 07:22
    今日は釈尊降誕会(令和4年度版)

    今日、4月8日は釈尊降誕会である。世間一般では「花まつり」などとも呼称されるが、それは明治時代以降に作られた呼び方であり、かつては「仏生日」「灌仏会」「浴仏会」などと呼ばれた。そして、仏教の開祖である釈迦牟尼仏(日本では、「お釈迦さま」などと尊称される)がお生まれになった日とされる。ただし、その生まれた年代には、様々な見解があり、今の段階で確定しているわけでは無い。そこで、中国で編まれた或る文献の記述を見ておきたいと思う。周の昭王二十六年〈甲寅〉四月八日、仏、母夫人の右脇より出でて、自ら七歩行きて、右手を挙げて言いて曰わく、「天上天下唯我独尊」と。『仏祖統紀』巻54この通り、釈尊の生年を「周の昭王二十六年〈甲寅〉」だと断言しているのだが、周の昭王とは、B.C.1052~B.C.1002の在位だったとされているた...今日は釈尊降誕会(令和4年度版)

  • 「百丈禅師通下火」について
    2022/04/07 14:35
    「百丈禅師通下火」について

    禅宗に於いて亡者(死人)に引導し、読経する儀式は、百丈懐海禅師(749~814)を淵源とする見解があり、特に死者に法語を授けた事実をもって、その傍証に充てている。それで、色々と見てみるけど、その法語が何を意味するのかが分からなかった。ちょっと調べただけだと、中々出て来なかったためである。しかし、どうやらその見解の出典は、臨済宗の『諸回向清規』だったようである。これは、読んでなければ分からない・・・とりあえず見ておこう。○百丈禅師通下火三界に法無く、何れの処に心を求めん。四大、本より空なり。所以に心空及第にして帰す。且く道え。作麼生か是れ心空及第の処。(火把を以て一円相を打して云く)大火に焼かれる所の時、我が此の土は安穏なり。『諸回向清規』巻5「下火」とは、「下炬」ともいうが、龕に入った亡者の亡骸の下に多くの木材...「百丈禅師通下火」について

  • 本源自性天真仏と引導法語
    2022/04/06 13:51
    本源自性天真仏と引導法語

    引導法語を作る時、別に完全にオリジナルでは無くて良い、という口伝がある宗派があり、その意味では祖師方の詠まれた偈頌は積極的に参照して良い、という話だと聞いている。よって、当方も葬儀の引導法語を勉強したが、こんな句を見付けた。法身を覚了すれば一物無し、有為に執すること莫れ。本源自性天真仏、無為に執すること莫れ。有無倶に坐断して、一霊の全体、又、如何。『抜隊得勝和尚語録』抜隊得勝禅師(1327~1387)とは、臨済宗法灯派・孤峰覚明禅師の法嗣であり、山梨県向嶽寺の開山である。孤峰禅師の弟子だから、というので、語録を読んでいたら、或る在家信者の三十三回忌に即して詠まれた法語に、この句を見付けたわけである。その後調べてみると、抜隊禅師は数ヶ所で、この「本源自性天真仏」を用いていたようだ。祖録を読まれている方なら良く御存...本源自性天真仏と引導法語

  • 敬光尊者『山家正統学則』に於ける「四箇の伝法」と達磨一心戒
    2022/04/05 09:05
    敬光尊者『山家正統学則』に於ける「四箇の伝法」と達磨一心戒

    この敬光尊者(1740~1795)は、天台寺門宗の学僧であり、江戸時代中期の同宗を代表する僧侶であるといって良い。ちょうど、他の宗派でも学問が振るった時期であったと思われる。なお、この敬光尊者は、かの慈雲尊者飲光にも師事しているという。そこで、この敬光尊者の著作の1つに比叡山での天台宗の学びについて論じた『山家正統学則』を見てみると、尊者が同時代の他宗派について関心を持ち、様々に論じていることが分かるのだが、同宗派に於ける「四箇の伝法」を論じる項目で、気になる一節があったので、それを見ておきたい。ところで、「四箇の伝法」であるが、本書では「北嶺両寺の四箇の伝法とは」と言うことで、以下の四つをあげている。・第一は達磨所伝の一心戒是なり。・第二には天台所伝の法華宗是なり。・第三には天台所伝の梵網宗是なり。・第四には...敬光尊者『山家正統学則』に於ける「四箇の伝法」と達磨一心戒

  • 『般若経』に於ける「布薩」について
    2022/04/04 12:04
    『般若経』に於ける「布薩」について

    以前から、ちょっと注目していた一節について、学んでみたいと思う。月十五日の説戒の時、仏、須菩提に告げ、「今日、菩薩大会なり。諸菩薩に因むが故に般若波羅蜜を説く。菩薩、当に是れを学成すべし」。『道行般若経』巻1「摩訶般若波羅蜜道行品第一」とりあえず、『般若経』でも布薩の場面が登場することが分かる。なお、このことに関連して、平川彰先生が、こんなことを指摘していた。出家菩薩にも和尚や阿闍梨があったことも、大乗経典に説かれています。さらに月の十五日に布薩の集会をすることも、般若経などに説かれています。中インドでは、満月と新月の晩に集会をすることは、婆羅門をはじめ、沙門にも古くから行われていましたので、釈尊もこれを採用されて、とくに比丘たちに、これを波羅提木叉を誦出する集会とされたのであります。しかし菩薩の集会には、波羅...『般若経』に於ける「布薩」について

  • 「御戒壇巡り」の戒壇について
    2022/04/03 10:42
    「御戒壇巡り」の戒壇について

    以前、当方自身も体験してきた「御戒壇巡り」について興味を懐いた。ただし、当方自身、日本の仏教に於ける戒律などを最近は研究しているので、その点から考えると、この場合の「戒壇」というのは、援用、或いは誤用なのではないか?と思ってしまったのである。そこで、当方自身の疑問を解決するために、善光寺の公式サイトでの見解をまず確認してみたい。・第4回お戒壇巡り(善光寺法話)上記の法話を、一応、公式見解として受け取っておくと、ここでいう「お戒壇」というのは、「お戒壇巡りは、秘仏の御本尊様の下を巡って」とあるので、御本尊さまが安置されている場所(他の宗派なら内陣、壇なら須弥壇とかいう)自体のことを指しているか、或いは、その地下を指している言葉であることが分かる。つまりは、受戒をする場所としての戒壇では無いことは明確である。そうな...「御戒壇巡り」の戒壇について

  • 仏教の戒律に於ける「実罪」と「遮罪」について
    2022/04/02 09:16
    仏教の戒律に於ける「実罪」と「遮罪」について

    以前、或る文献で、在家五戒について、「飲酒戒」のみは「遮戒」であるという話を見たことがあった。今回は、その典拠の1つかとも思われる文献を見ていきたいと思う。問うて曰く、優婆塞の五戒、幾ばくか是れ実罪か、幾ばくか是れ遮罪か。答えて曰く、四は是れ実罪、飲酒の一戒は是れ遮罪なり。飲酒は所以に四罪と同類の結を得て、五戒と為すものなり。以て飲酒は是れ放逸の本なり、能く四戒を犯す。迦葉仏の時の如きは、優婆塞有りて、飲酒するを以ての故に、他婦と邪婬し、他衆を盗殺す。他の人、問うて言わく、「何を以ての故に爾るや」。答えて言く、「作さず」。酒乱を以ての故に、一時に能く四戒を破る。有以飲酒を以ての故有りて、能く四逆と作す。唯だ破僧することを能わざるのみ。宿業に非ずと雖も、狂乱の報有るは、飲酒を以ての故に、迷惑倒乱す〈中略〉又た酒乱...仏教の戒律に於ける「実罪」と「遮罪」について

  • 四月一日 万愚節
    2022/04/01 09:20
    四月一日 万愚節

    今日4月1日はエイプリルフールとされる。この日については当然、江戸時代までの日本には存在しておらず、明治時代以降に欧米文化を紹介していく中で、徐々に定着していったものらしい。例えば、以下のような紹介文が知られている。四月一日は、西洋ではオール、フールス、デー。エープル、フールス、デー(もう一ツ何とか名があつたが忘れた)等と言つて随分馬鹿騒ぎをする日である、日本では之を万愚節、馬鹿日、嘘つき日などと訳してあるが何つれにしても余り善ささうな名前ぢやない、橋口天萍『四月一日』(橋口勇出版・大正4年)7頁、読み易く漢字などを改める色々と調べてみたが、当方の力ではこれよりも前の文献は分からなかった。おそらく、新聞や雑誌などにはあったとは思うが、それは容易に調べられない。実際に、上記一節からいっても、大正4年の段階で、既に...四月一日万愚節

  • 悉多太子の出家について(拝啓 平田篤胤先生14)
    2022/03/31 11:58
    悉多太子の出家について(拝啓 平田篤胤先生14)

    前回の記事は、「「悉多太子の妻子の数」についての議論」と題して、いわゆる平田篤胤自身の議論の方法、語り方などを確認した。ただし、最近、読んでいた本に、この篤胤の語りについて論じていた研究があったので、学んでおきたい。篤胤の語りの対象は、おもに各地の神官とその門人たちであった。神官は、一定の教養をそなえた地方の知識人であり、その周辺には、神官と文化的教養と宗教的信仰でつながった知的中間層の人たちが、必ず一定数いた。かれらは、経済的にも比較的恵まれ、地域における一定の地位をもつ人たち。民衆への指導力をそなえた地方名望家層といってもよい。かれらが地域の氏子を代表し、物心両面で神社とその信仰を支えるような構造が、全国にあった。辻本雅史先生『江戸の学びと思想家たち』岩波新書・2021年、198頁篤胤については、元々、或る...悉多太子の出家について(拝啓平田篤胤先生14)

  • 出家後の坐次の順番について(義浄『南海寄帰伝』巻3「十九受戒軌則」の参究・8)
    2022/03/30 10:28
    出家後の坐次の順番について(義浄『南海寄帰伝』巻3「十九受戒軌則」の参究・8)

    8回目となる連載記事だが、義浄(635~713)による『南海寄帰伝』19番目の項目に「受戒軌則」があり、最近の拙ブログの傾向から、この辺は一度学んでみたいと思っていた。なお、典拠は当方の手元にある江戸時代の版本(皇都書林文昌堂蔵版・永田調兵衛、全4巻・全2冊)を基本に、更に『大正蔵』巻54所収本を参照し、訓読しながら検討してみたい。前回は、出家した日時に於ける五時の区分について論じたが、今回はその続きである。凡そ西方・南海出家の人、創めて相見するときは、問て云く、「大徳、幾夏ぞ」。答えて云く、「爾許」。若し同夏なるときは、何れの時に在ると問う。若し時同じければ、幾日を得ると問う。若し日同じければ、食の前後を問う。同じく食前に在れば、方に其の影を問う。影、若し殊有れば、大小、異を成す。影、若し同じならば、便ち大小...出家後の坐次の順番について(義浄『南海寄帰伝』巻3「十九受戒軌則」の参究・8)

  • 第二十七条・焚身捨身条(『僧尼令』を学ぶ・27)
    2022/03/29 08:42
    第二十七条・焚身捨身条(『僧尼令』を学ぶ・27)

    連載は27回目となる。『養老律令』に収録されている『僧尼令』の本文を見ているが、『僧尼令』は全27条あって、1条ごとに見ていくこととしたが、本文を見るのは今回までとなる。まずは、訓読文を挙げて、その後に当方による解説を付してみたい。なお、『令義解』の江戸期版本(塙保己一校訂本・寛政12年[1800]刊行、全10巻で『僧尼令』は巻2に所収)も参照していきたい。凡そ僧尼、身を焚き、身を捨てることを得ざれ。若し違え、及び所由の者は、並びに律に依りて科断せよ。『令義解』14丁裏を参照しつつ当方で訓読これは、大乗仏教ではかなり一般化された修行法である「焚身」や「捨身」を総じて禁止した内容である。「焚身」については、『妙法蓮華経』巻6「薬王菩薩本事品第二十三」であるとか、『金光明経』巻4「捨身品第十七」などが知られている。...第二十七条・焚身捨身条(『僧尼令』を学ぶ・27)

  • マルティン・ルター『九十五箇条の提題』を学ぶ・31
    2022/03/28 08:09
    マルティン・ルター『九十五箇条の提題』を学ぶ・31

    ドイツ宗教改革の発端にもなったとされるマルティン・ルターの『九十五箇条の提題』の日本語訳を学んでいく連載記事である。連載31回目である。6〔31〕真実な悔い改めが稀であるように、真実に贖宥を買う人も稀である。〔後者は前者よりも〕さらに稀なことである深井氏下掲同著・22頁ここでいう、「真実な悔い改め」とはどういうことなのだろうか?別の文書でルターは「信仰のみが人間の義であり、すべての戒めの成就になる」(「キリスト者の自由について」、深井氏下掲同著・383頁)とあるので、キリスト(救世主)への信仰の成就こそが、真実の悔い改めになるのだろう。そうなると、これこそが「贖宥」になると信じて買う人こそが、真実の贖宥に繋がることになるのだろう。ただ、多くの人の場合は、信心から買うというよりも、信心を補うために買うことになって...マルティン・ルター『九十五箇条の提題』を学ぶ・31

  • 「前三三後三三」に続く禅宗での受戒論
    2022/03/27 12:49
    「前三三後三三」に続く禅宗での受戒論

    以前で採り上げた、「前三三後三三」の問答について、これは禅宗に於ける貴重な、戒律に関する問答なのだが、或る文献を見てみたら、続く問答が記録されている場合もあったことに気が付いた。それでは、早速見てみよう。晩に至り宿を求む。殊云く、大徳、執心有ること在り。(無著云く)某甲、執心無し。(文殊)云く、還た曾て受戒するや否や。(無著)云く、受戒すること久しし。(文殊)云く、既に執心無くんば、何ぞ受戒を用いんや。著、語無し。『汾陽無徳禅師頌古代別』巻中臨済宗の汾陽善昭(947~1024)による語録で、その内一部に三百則の本則などを集めている。よって、この部分が伝わる事例もあった、としか理解できない。なお、色々と調べてみたが、この部分の提示は禅籍上にも極めて少ない。ただし、貴重ではあるので、どういう意味かを学んでみたい。な...「前三三後三三」に続く禅宗での受戒論

  • 『沙門果経』に於ける悔過について
    2022/03/26 12:00
    『沙門果経』に於ける悔過について

    今回採り上げる『沙門果経』というのは、北伝仏教であれば漢訳の『長阿含経』巻17に収録されている。それで、見ていく内容とは、同経典が悔過について論じているので、それを確認しておきたいと思ったのである。爾の時、阿闍世王、即ち坐より起ちて、頭面もて仏足を礼し、仏に白して言わく、「唯だ願わくは世尊、我が悔過を受けよ。我、狂愚痴冥無識為り、我が父摩竭瓶沙王、法を以て治化し、偏枉有ること無し。而も我れ五欲に迷惑し、実に父王を害す。唯だ願わくは世尊、哀慈愍を加えて、我が悔過を受けよ」。仏、王に告げて曰わく、「汝、愚冥無識なるも、但だ自ら悔過す、汝、五欲に迷いて乃ち父王を害す。今、賢聖法中に於いて能く悔過すれば、即ち自ら饒益す。吾れ汝を愍むが故に、汝の悔過を受く」。爾の時、阿闍世王、世尊の足を礼し已りて、還た一面に坐す。仏、為...『沙門果経』に於ける悔過について

  • 『仏説文殊師利浄律経』「解律品第三」参究(1)
    2022/03/25 08:40
    『仏説文殊師利浄律経』「解律品第三」参究(1)

    『開元釈教録』などを見ていると、大乗律として『文殊師利浄律経』という名称が見られる。そこで、同経は全1巻、全4品(真諦義品第一・聖諦品第二・解律品第三・道門品第四)となっている。拙ブログで見ておきたいのは、「解律品第三」に当たるようなので、見ておきたい。ただ、或る程度長いので、数回に分けて見ておきたい。寂順律音天子、復た文殊に問う、「何んが声聞律と謂うや。何んが菩薩律と謂うや」。答えて曰く、「受教して三界を畏れ、患者を難厭するは、声聞の律なり。無量生死を護りて周旋し、勸めて一切の人民・蚑行・喘息・蠕動の類を安んじ、三界を開導して其の疑網衆想の著を決す、是れ菩薩律なり」。『仏説文殊師利浄律経』「解律品第三」気になるのは、「寂順律音天子」だが、この字句の名前を持つ天子は、基本、この経典にしか出ていないようで、詳細は...『仏説文殊師利浄律経』「解律品第三」参究(1)

  • 村山正栄『彼岸の信仰』に学ぶ4(令和4年春・彼岸会)
    2022/03/22 17:48
    村山正栄『彼岸の信仰』に学ぶ4(令和4年春・彼岸会)

    この春彼岸は、村山正栄『彼岸の信仰』(三密堂書店・大正14年)を学んでいきたいと思うのだが、今日は、「(二)暦説より見たる彼岸の語義と其来由」の項目について、概観しておきたい。由来彼岸の語は暦に於いては時節の義に之れを解し、又仏説に於いては涅槃得脱の義なりとして之れを解したるより、自然に彼岸の語には二様の語義を含むものとして解せらるに至つたのである。今この二義を了別して各々其の説く所を明にし、以て彼岸の語義を問ふことはやがて是れ彼岸の来由を詳にすることである。『彼岸の信仰』3~4頁この辺が、本書のスタンスである。つまり、「彼岸」という用語を、時節(季節)と、仏説の両面から探っていくのである。本章は、これを時節の側から見ていったのである。そこで、とりあえず以下の一節は確認しておきたい。但しこの彼岸の語は唐暦には無...村山正栄『彼岸の信仰』に学ぶ4(令和4年春・彼岸会)

  • 村山正栄『彼岸の信仰』に学ぶ3(令和4年春・彼岸会)
    2022/03/20 10:54
    村山正栄『彼岸の信仰』に学ぶ3(令和4年春・彼岸会)

    この春彼岸は、村山正栄『彼岸の信仰』(三密堂書店・大正14年)を学んでいきたいと思うのだが、今日は、江戸時代までの彼岸会についての文献を、本書でまとめているので、その辺を見ておきたい。尚ほ彼岸の由来につきて述べたる雑書数多ありと雖ども何づれも断片的のものゝみである。稍々纏まれるものは、一、彼岸記一巻右は真宗存覚の作と称せらるものにして宝永三年四部聖教の一として刊行せられたものである。一、彼岸弁疑一巻(或は二巻)右は宝永七年の著にして、正徳六年に刊行せられたるものなるも、著者は不明である。弁疑の著者は「将に彼岸会の義を弁ぜんと欲するに、先づ他の所依の書を挙し、次に予が管見を述べ云々」と、言ふところの他の所依の書とは、善住陀羅尼経等なり、末学の説は、法華直談壒嚢鈔見聞随身鈔諸廻向鑑〈四部聖教〉彼岸記〈浄土真宗〉百通...村山正栄『彼岸の信仰』に学ぶ3(令和4年春・彼岸会)

  • 村山正栄『彼岸の信仰』に学ぶ2(令和4年春・彼岸会)
    2022/03/19 12:12
    村山正栄『彼岸の信仰』に学ぶ2(令和4年春・彼岸会)

    この春彼岸は、村山正栄『彼岸の信仰』(三密堂書店・大正14年)を学んでいきたいと思うのだが、昨日の記事ではいきなり本文に入ってしまったが、そういえば、目次を紹介するのを忘れていたので、紹介しておきたい。(一)緒説(二)暦説より見たる彼岸の語義と其来由(三)仏説より見たる彼岸の語義と其来由(四)両義語の渾融(五)我が国彼岸会の起原(六)彼岸信仰の今昔以上の通り、彼岸の語義について、暦の観点からと、仏説の観点から見ているのだが、彼岸会理解の難しさはこの辺にあると思う。そもそも、春分・秋分という太陽の動きに因んだ法会あるが、それ以外にも、真西に沈む太陽に向けて西方極楽浄土を観想し念仏するなどの行法、或いは太陽がこの日、中天を動くことから、兜率天の中陽院の信仰などが生まれた。更に、仏説云々については、「彼岸」或いは「到...村山正栄『彼岸の信仰』に学ぶ2(令和4年春・彼岸会)

  • 村山正栄『彼岸の信仰』に学ぶ1(令和4年春・彼岸会)
    2022/03/18 09:40
    村山正栄『彼岸の信仰』に学ぶ1(令和4年春・彼岸会)

    今日から春の彼岸会である。よって、この彼岸会は、村山正栄『彼岸の信仰』(三密堂書店・大正14年)を見ながら学んでみたいと思う。ところで、本書を発刊した三密堂書店だが、同名の書店は現在でも京都市下京区内に所在している。その書店と同じかどうか確認はしていないけれども、おそらくは同じなのだろう。店舗名からすれば、密教系ということなのだろうか。そこで、この村山正栄氏(おそらくは僧侶だったと思う)については、当方の拙い調査では『彼岸の信仰』と同年に『盂蘭盆の信仰』という別の書籍を書いていることは分かったが、それくらいしか分からない。なお、「盂蘭盆」が先で「彼岸」が後である。早速、本文を学んでいきたい。彼岸会はかの盂蘭盆会の如く印度に起り次いで支那日本等に行はれし法会ではなく、全く我が日本に於いて自然に起り次第に発達して、...村山正栄『彼岸の信仰』に学ぶ1(令和4年春・彼岸会)

  • 「常持一木叉」への妄想的記事
    2022/03/17 07:44
    「常持一木叉」への妄想的記事

    「常持一木叉」という言葉を見付けたので、記事にしておきたい。五台山秘魔巖和尚、常に一つの木叉を持す。毎に僧の来たるを見るに礼拝し、即ち頸を叉却して云く、那箇の魔魅か教えて汝を出家せしむるや。那箇の魔魅か教えて汝を行脚せしむるや。道得すれば也た叉下に死す。道不得なれば也た叉下に死す。速やかに道え。学僧の、対え有る者鮮し。法眼、代りて云く、命を乞う。法灯、代りて云く、但だ頸を引いて之を示す。玄覚、代りて云く、老児家、叉子を放却して得るなり。『景徳伝灯録』巻10この五台山秘魔巖和尚であるが、馬祖道一禅師の孫弟子に当たる。年代的には、8世紀後半から9世紀にかけて活動した人かと思われる。それで、今回注目した「一木叉」であるが、この人の行実を見ても、詳細は不明である。なお、「木叉」はおそらく「波羅提木叉」の略であり、戒のこ...「常持一木叉」への妄想的記事

  • 「六和敬」一考
    2022/03/16 10:17
    「六和敬」一考

    「六和敬」という考え方がある。六和敬とは、身同、口同、意同、戒同、施同、見同なり。是れを六同と謂う。等しく仏法を修して、諸もろの慢争を離るる。故に和敬と名づけ、亦た質直心と名づく。『法門名義集』「功徳品法門名義第三」以上の通り、「六和敬」とは、身口意の三業と、戒行・布施行・見解が、集団に於いて一致していることをいう。そのように等しく仏法を修行すると、様々な慢や争いを離れるからこそ、これを「和敬」と名づけるのである。そして、「和敬」の結果、「質直心(正直な心)」を起こさせるともしているのである。これを更に詳しく述べる文献もある。六和敬肇云く、慈心を以て身業を起こす。慈心を以て口業を起こす。慈心を以て意業を起こす。若し重養を得れば、人に与えて之を共にす。持戒清浄なり。漏尽慧を修す。若し此の六法を行ずれば、則ち衆和順...「六和敬」一考

  • 応量器を壊すとどんな罪になる?(2・『日本霊異記』の話)
    2022/03/15 08:52
    応量器を壊すとどんな罪になる?(2・『日本霊異記』の話)

    以前に書いた【(1)】の続きである。前回は、応量器を落として壊しても、それほどの罪にはならないと示したのだが、それと正反対の見解を見つけたので記事にしておきたい。邪見して乞食の沙弥を折破して以て現に悪死報を得るの縁廿九白髪部猪麿は備中国の少田郡の人なし。天年に邪見して三宝を信ぜず、曙に一僧有りて来たり、食を乞う。猪麿、乞う所に施さず、反て逼悩を加ふ。亦、其の鉢を破りて、之を逐去す。然る後、即ち他の郷に往く。道中に風雨に遭て、暫間、他の倉の下に寄り、覆て圧煞せる。誠に知る、現報甚だ近し、寧ろ慎まざらんや。菩薩経に云うが如き、一切の悪行、邪見を因と為す者は、其れ斯を謂うや。丈夫論に云く、悲心、一人に施せば、功徳は大地の如し。己が為に一切に施せば、報いを得ること芥子の如し。一の厄難を救えば、余の一切の施に勝る、云々。...応量器を壊すとどんな罪になる?(2・『日本霊異記』の話)

  • 「ホワイトデー」について
    2022/03/14 10:50
    「ホワイトデー」について

    【「聖ヴァレンタインの日」について】という記事でも述べたように、既に、本来は「聖ヴァレンタインの日」が「バレンタインデー」として展開していく中で、かえって、非キリスト教色を強めていった様子であった。ましてや、「ホワイトデー」については、そもそも宗教との関係が無いようである。・三越伊勢丹のホワイトデー2022(三越伊勢丹ホールディングス)上記でも、ホワイトデーの起源については、「バレンタインデーへのお返しをする日」という表現しかされておらず、或いは、これがそもそも、百貨店のホームページに書かれていること自体が、この日の位置付けを理解することになりそうだ。そこで、「聖ヴァレンタインの日」について用いたキリスト教の歳時記に関する参考文献を見てみても、「3月14日」は立項すらされていない。ところで、何故この日が「ホワイ...「ホワイトデー」について

  • 応量器を壊すとどんな罪になる?(1)
    2022/03/12 09:18
    応量器を壊すとどんな罪になる?(1)

    以前から修行道場では、食事に用いる応量器(鉢盂)の中でも、頭鉢を落としたり、壊したりすると、強制的に追放になるという話を聞いたことがあった。とはいえ、実際にそれを適用された人がいるのかどうかまでは詳しくない。然るに、関連して調査したところ、ちょっと面白い文脈があることに気付いてしまった。今日はそれを紹介してみたい。仏、阿難に告げたまわく、「未来世の、罽賓国の土に於いて、当に大法の会を作すべし。金毘羅等の五天子有りて、滅度の後、富蘭那外道弟子有って、蓮華面と名づく。聡明智慧あって、身は金色の如し。此の大痴人、已に曾て四阿羅漢を供養し、当に供養する時、是の如き誓願を作せり、『我れ未来の世に仏法を破壊す』と。其の阿羅漢の供養を以ての故に、世世に端正の身を受け、最後身に於いて国王の家に生まる。身、国王となって、寐吱曷羅...応量器を壊すとどんな罪になる?(1)

  • 『払惑袖中策』巻中「第十三弁一乗戒」について
    2022/03/11 08:24
    『払惑袖中策』巻中「第十三弁一乗戒」について

    個人的に、「一乗戒」という用語が気になっている。この用語は、(おそらくだが)漢訳仏典や、中国成立の仏書には見られないものと思われる。しかし、日本の天台宗などの文献では、見られる用語であるので、それを記事にしておきたい。第十三弁一乗戒問う、大論に云く、諸仏、多く声聞を以て僧と為す。別の菩薩僧無し。弥勒菩薩、文殊師利菩薩等の如きは、釈迦文仏に、別の菩薩僧無きを以ての故に、声聞僧中に入りて、次第に坐す。而も何ぞ天台、別に戒壇を結んで、梵網の戒を授け、菩薩僧と名づくるや。又、経の説に云く、若し、優婆塞戒・沙弥戒・比丘戒を受けずして、菩薩戒を得て、是の処、有ること無し。譬えば重樓の初級に由らざるに、第二級を得ても、是の処、有ること無きが如し。亦た何ぞ天台、律儀の戒を経ずに、越えて菩薩大乗の戒を受くるや。大小の発心、異なり...『払惑袖中策』巻中「第十三弁一乗戒」について

  • 何故、出家者は髪を剃らねばならないのか?(4・禅僧編)
    2022/03/10 09:45
    何故、出家者は髪を剃らねばならないのか?(4・禅僧編)

    連載記事というほどでも無いのだが、とりあえず出家者が髪を剃る理由について検討する記事を複数書いてしまっているので、もう少し書いてみたい。そういえば、以前から、中国禅の或る問答で、この辺が取り沙汰されたのを思い出した。よって、記事にしておきたい。一僧有り、山下の卓庵に在りて、多年に剃頭せず。一つの長柄の杓を蓄え、渓に就いて水を取る。問有り、如何なるか是れ祖師西来意。僧、杓を提起すて云く、渓深く杓の柄長し。師、之を聞きて云く、也た甚だ奇怪なり。一日、剃刀を袖にして、侍者を同じて之を訪う。纔かに見ゆるに、便ち問う。道得すれば即ち汝の頭を剃らず。僧、便ち頭を洗い、師の前に跪づく。師、便ち与に剃却す。『聯灯会要』巻21「雪峰義存禅師」章これは、雪峰義存禅師の下で修行していた、或る僧侶の問題を扱っている。それは、雪峰の下を...何故、出家者は髪を剃らねばならないのか?(4・禅僧編)

  • 今日3月9日は「ありがとうの日」
    2022/03/09 08:30
    今日3月9日は「ありがとうの日」

    今日3月9日は、語呂合わせで「サンキューの日」、転じて「ありがとうの日」である。「ありがたい」という気持ちがあれば、自ずとそれは、我々にとって或る対象へ貴重な想いを抱かせ、感謝や尊敬の念を生むものである。ところで、同じ語呂合わせといえば、「参究」だってそうである。「参究」とは、以下のような意味である。参究とは、即ち此の一箇の話頭に参ずるなり。話頭に参ずるに、外に疑情を起こさず。所謂、小疑小悟・大疑大悟・不疑不悟なり。疑は、即ち参なり。『百丈清規証義記』巻8まぁ、だいたいこんな感じ。参究というのは、疑悟一如の処に於いて行われる修行であり、一箇の話頭(公案)に対して、疑悟一体となって取り組むのである。疑悟一体というのは、疑問だけを先に置くのではなく、自らをまず仏道に置いて(よって、熱心な坐禅が必要である)、その中で...今日3月9日は「ありがとうの日」

  • 「国際女性デー」に因む「仏教と女性」の記事
    2022/03/08 11:41
    「国際女性デー」に因む「仏教と女性」の記事

    今日3月8日は、「国際女性デー」とのことである。起源としては、1904年3月8日にアメリカ・ニューヨークで、女性労働者が婦人参政権を要求してデモを起こしたことだったそうだ。なお、後にドイツの社会主義者・クララ・ツェトキンが国際社会主義者会議で「女性の政治的自由と平等のためにたたかう」記念の日とするよう提唱し、この日が設けられたという。女性に対して、政治的な権利を与えないというのは、かつては常態化しており、その改善への欲求は、人権思想の伸張とともに、当然の如くに興ったのである。ところで、良く、仏教は平等の教えを持っている、等といわれるのだが、既に諸研究者によって明らかにされた通りで、女性問題については、決して平等であったとはいえない。むしろ、女性差別的だったのが仏教であり、しかも、その淵源は、釈尊にまで帰せられて...「国際女性デー」に因む「仏教と女性」の記事

  • 雪峰義存禅師の出家事情
    2022/03/07 10:58
    雪峰義存禅師の出家事情

    とりあえず、以下の偈をご覧いただきたい。幽州未だ授戒を得ず一十に出家未だ是の時ならず、二十に出家正に是の時なり。今官壇の縁に遇うも未だ合わず、躘踵且く老沙弥と作る。『雪峰真覚大師語録』下巻「師偈語」これは、中国禅宗の雪峰義存禅師(822~908)の詠んだ偈である。これだけだと背景などは良く分からないが、雪峰禅師の伝記を見てみると、何を言おうとしているのか分かるのかもしれない。九歳にして出家を請うも、怒して未だ允されざる。十二にして家君に従い蒲田の玉潤寺に遊ぶ。律師慶玄有りて持行高潔なり。遽やかに之を拝して曰く、「我が師なり」。遂に留りて童侍と為る。十七にして落髪し、芙蓉山の恒照大師を来謁す。見て之れを奇とす。故に其の所に止まる。宣宗に至りて釈氏を中興す。其の道也た涅して緇ならず。其の身也た褎然として出づ。北して...雪峰義存禅師の出家事情

  • 「三徳六味」の話(令和4年版)
    2022/03/06 10:48
    「三徳六味」の話(令和4年版)

    今日は3月6日であるので、語呂合わせから「三徳六味の日」と勝手に位置付けて、記事を書いておきたい。なお、「三徳六味」というのは、「三徳」と「六味」を合わせた言葉で、それぞれの意味は以下の通りである。其の食の甘美なるに六種の味有り、一には苦、二には醋、三には甘、四には辛、五には鹹、六には淡なり。復た三徳有り、一には軽軟、二には浄潔、三には如法なり、是の如く等の種種の荘厳を作す。『大般涅槃経』巻1「寿命品第一」以上のように、「三徳六味」の原出典としては大乗『大般涅槃経』が知られているのだが、更に思想的に遡っていくと、阿含部や本縁部などにも、「良水」の性質として、「三徳六味」の部分的な内容が確認されるが、あくまでも部分である。そして、「良水」ではなくて、『大般涅槃経』以降は「食」になっているのも違いであり、中国に来る...「三徳六味」の話(令和4年版)

  • 「大乗戒」と「一乗戒」に関する雑考
    2022/03/04 11:15
    「大乗戒」と「一乗戒」に関する雑考

    中国で漢訳された仏典などを見ていくと、「大乗戒」という用語は、複数の大乗経典に散見されるが、「一乗戒」という用語は、無いと言って良い。ただし、日本の、特に天台宗では、「一乗戒」という用語は珍しくない。もちろん、同宗派のテクニカルタームとしては「円頓戒」の方が一般的ではあるが、伝教大師最澄の文献を見る限り、「円頓戒」は撰述が疑わしい文献に主に見られるものであり、最澄が意図して使おうとしたとは、とても思えないのである。それで、「大乗戒」と「一乗戒」といった時、似ている言葉ではあるが、意味するところが異なる可能性について、考えを巡らす必要があると思われる。まず、「大乗戒」について、その意義をよく理解できると思われる文脈を見ておきたい。菩薩摩訶薩、是の如くの諸禁戒を護持し已りて、悉く以て一切衆生に施す。是の因縁を以て、...「大乗戒」と「一乗戒」に関する雑考

  • 今日は上巳の節句(令和4年度版)
    2022/03/03 08:39
    今日は上巳の節句(令和4年度版)

    今日3月3日は、上巳の節句である。一般的には、植物の名前で「桃の節句」と呼ばれたり、「ひな祭り」などとも呼ばれていることだろう。だが、古来の記録を見ると、やはり「上巳」と呼ばれる。これは「上旬の巳の日」という意味である。つまり、元々は「3月上旬の巳の日」に行っていたが、室町時代ごろに3月3日に固定的に行われるようになったという。そして、旧暦の3月3日は桃の花が咲く時期であることから、「桃の節句」とも呼ばれるようになった。「桃の節句」の起源は平安時代にまで遡ることができ、上巳の節句の日には人々が野山に出て薬草を摘み、その薬草で災厄を払い、健康を願ったとされる。更には、宮中では紙の着せかえ人形で遊ぶ「ひいな遊び」が融合され、自分から払った災厄を、代わりに紙人形(これを「形代」という)に引き受けさせて、それを川や海に...今日は上巳の節句(令和4年度版)

  • 「出家四料簡」について
    2022/03/02 08:37
    「出家四料簡」について

    「四料簡」という言葉がある。これは、臨済義玄禅師の接化の手順とされるが、以下のように説明されている。済果たして鎮州臨済に住し、黄檗の宗旨を建立す。学侶雲集し、普化・克符の二道者、股肱と為りて、法道一時に振るう。示衆、大凡、宗乗を演唱するには、一句中に須らく三玄門を具え、一玄門に須らく三要を具うべし。権有り、実有り、照有り、用有り。汝等、諸人、作麼生か会す。即ち、三玄・三要・四料簡・四賓主・四喝・四照用等、許多の閒絡索有り。大法、未だ明らかならず一途一轍に滞在せる底、藩籬を窺んや。『仏国禅師語録』巻下「普説」仏国禅師とは、鎌倉時代の臨済宗で活動した高峰顕日禅師(1241~1316)のことである。以上の通り、臨済禅師の様々な接化法について端的にまとめておられる。そこで、臨済禅師の見解としては、以下のような教えが知ら...「出家四料簡」について

  • 今日は三月一日 旧暦なら止掛搭(令和4年版)
    2022/03/01 09:45
    今日は三月一日 旧暦なら止掛搭(令和4年版)

    今日3月1日は、旧暦なら「止掛搭」を行う場合があった。大方の叢林、三月一日、草単を出して、挂搭を止む。堂司、戒に依りて排し僧数を写す。堂司行者、先ず首座に呈し、次いで方丈・両班に呈す。卓子に筆硯を備え、僧堂前、或いは衆寮前に陳列す。凡そ三日、或いは差誤有れば、望みて自ら改正すべし。或いは関係に渉りて詳稟せよ。維那、方便して検察し、私讐を許さざれ。大衆を悩乱し、叢林の法を毀壊するなり。『禅林備用清規』巻3「草単」というのは、叢林に集まってきた修行者が自らの僧諱や戒臘などを書くための用紙を指している。「草」とある通り、まだこの段階では下書きである。しかし、これが始まると、その夏安居に随喜する僧衆の数が定まるので、それ以降の掛搭(寺院に留まること)を許さないという。そして、堂司は戒臘の順番に従って、僧の数を写し、堂司...今日は三月一日旧暦なら止掛搭(令和4年版)

  • 「悉多太子の妻子の数」についての議論(拝啓 平田篤胤先生13)
    2022/02/28 10:53
    「悉多太子の妻子の数」についての議論(拝啓 平田篤胤先生13)

    前回の記事は、「悉多太子の妻子の数」と題して、いわゆる釈尊がまだ在家の太子だった頃の婚姻関係について、篤胤の見解を探ってみた。なお、篤胤がこれを採り上げた理由として、一部の仏教者が、釈尊が性行為をしていない、という風という話をしたいと指摘しているようである。そして、結果として、実際の釈尊には実子がいたことを示し、要は、性行為をしていないという点での宗教性(純粋性?)を主張することを批判した。更に、この辺は、富永仲基『出定後語』の影響もあると思うのだが、仏典について後代の改変が認められると主張したかったようである。具体的には、以下の一節からご覧いただきたい。一体諸の仏経を、みな釈迦の説た事を記したものじやと思つて、世人はおるけれども、尽く後の出家ども、釈迦に託して偽り作つたものにちがひなく、其わけは具にこの次の処...「悉多太子の妻子の数」についての議論(拝啓平田篤胤先生13)

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