『大智度論』における出家功徳論について
出家と在家の関係性の問題について、部派仏教までは話は早かったと思うのだが、大乗仏教になると複雑化した。理由は、菩薩について、出家とは限定されなかったためである。ただし、そのような大乗仏教の文脈の中で、出家の功徳を説く場合があると、その意義について検討せざるを得ない。是の如くの種種の因縁、出家の利、功徳無量なり。是を以ての故に、白衣、五戒有りと雖も、出家に如かず。龍樹尊者『大智度論』巻13「釈初品中讃尸羅波羅蜜義第二十三」まずは、以上の通りなのだが、『大智度論』では、出家の利益について、功徳無量であるとしている。それは、多くの出家の事例に於いて、功徳が明確に確認されるためである。例えば、以前に紹介した【『四分律』「受戒●度」と「酔婆羅門」の問題について】などで見た「酔婆羅門」の問題もそれに適合する。それで、『大智...『大智度論』における出家功徳論について