鉢盂を漆器として作る典拠について(2)
【鉢盂を漆器として作る典拠について(1)】の続きなのだが、この記事を書く時に、一通り関係しそうな文献を見ておいたのだが、大概は、漆器・漆鉢などについて、否定的な文脈が多い。今日も、そのような批判についての一節を見ておこう。問う、「比丘、漆器を畜う、何事をか犯すや」。答う、「漆木器、尽く用いることを得ざれ。用れば堕を犯す」。『仏説目連問戒律中五百軽重事』「問雑事品第十三」いわゆる『目連五百問論』ではあるが、この文献の困るところは、たいがい後の時代に行われている様々な法儀などについて、先んじるかのように批判していることである。そもそも、誰が訳したかも分からないし、誰かが同時代の法儀の問題を見ながら、目連などに仮託して作ったのでは?なんて思えてしまう。もちろん、これはただのこちらの僻み的な考えであって、実際の研究など...鉢盂を漆器として作る典拠について(2)