聖書に基づくイエス様の救いの証をお語り下さい。短くても結構です。
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江戸時代の曹洞宗の学僧である指月慧印禅師が著した『荒田随筆』を学んでいく連載記事である。徐々に各論に入っているけれども、今回は「三乗」と題される一章の6回目となるが、今回でこの章は終了する。若何ぞ、中に於いて是非の立つこと有らん。是の故、大、小を出し、小、大を収む。皆権皆実にして、倶体倶用なり。時に乃ち之を説て、応に随って道に合ふべし。而して群機之を稟て解に随って則を秉る。象の四体を摸すが如きは、象体ならざるには非ず。唯だ夫れ全て弗し。若し其の遇う所に執して言を承て、語に滞る者は、全理を喪し、化意に迷ふ。蓋し教は善、機に契とも、而して大に機に庭逕す。若し実に全理の偏無く、化意の巧妙なることを知ば、希は頗偏を免れんことを。而して自得するの時、山窮り海枯て有語・無語を以て而も戻契することを用いず。己を総て不能語に入...三乗(其の六)(指月慧印禅師『荒田随筆』参究17)
連載は7回目となる。『養老律令』に収録されている『僧尼令』の本文を見ているが、『僧尼令』は全27条あって、1条ごとに見ていくこととした。まずは、訓読文を挙げて、その後に拙僧なりの解説を付してみたい。なお、釈雲照補注『僧尼令』も参考にすることとしたい。凡そ僧尼、酒を飲み、肉を食べ、五辛服せば、卅日苦使。若し、疾病の薬分の為に須いる所は、三綱、其の日限を給え。若し、酒を飲みて酔い乱れ、及び人と闘打すれば、各おの還俗。『日本思想大系3』218頁を参照して、訓読は拙僧まず、上記一節を読んでみると、飲酒・食肉・五辛については、それを行うと「卅日苦使」となる。ただし、三綱の許可を得れば、病人の薬としてであれば許すという。これは、飲酒・食肉・五辛全てが当てはまる。食肉・五辛は強壮に用いるが、飲酒は冷え性などに用いられる。よっ...第七条・飲酒条(『僧尼令』を学ぶ・7)
ここ1年以上にわたって、最後の一章「雑」を採り上げています。本章は「雑」の字の通りで、他に一章を立てるほどが無い程度の内容でもって、様々な事柄を富永仲基が論じたものです。本当に種々雑多な内容ですが、見ていると20前後の節に分けられそうなので、一つ一つ見ていきたいと思います。浄飯王泥泹経に、「仏、躬ら棺を担わんと欲し、世界震動す」と。普曜経に、「仏、身を虚空に踊らして、父王の作礼を受けず」と。増一経に、「養母大愛道没す、仏、躬ら床の一脚を挙げ、阿難も一脚を挙ぐ」と。盂蘭盆経に、「仏弟子の孝順を修する者は、応に念念中、常に父母乃至七世の父母を憶うべし」と。弥沙塞律に、「父母聴さざれば、出家を許さず」と。又た或いは云く、「衣盂の資を減じて、以て父母を養う」と。或いは云く、「世、若し仏無くんば、善く父母へ事えよ、善く父...雑第二十五其15(富永仲基『出定後語』を学ぶ42)
日蓮宗系の『草山清規』の存在については、拙ブログでも【『草山清規』に見る三仏忌について】などの記事を書いている。簡単に申し上げれば、本書は元々、真言律宗にて律を学んでいた慧明院日燈(1642~1717)が、草山元政が構築した「法華律」の門に入ったことによって制定された。日資・月進・年規・齋儀・名分・家訓の六科を定め、いわば『法華経』及び同経を学んだ祖師の系譜に契う修行生活の規範として確立したのである。なお、「日資・月進・年規・名分」等の呼称から、『幻住庵清規』の影響下にあることは明らかだといえよう。さて、同著の「年規」とは、現在の曹洞宗で言えば「年分行持」に相当する。その中に、盂蘭盆会についての記述があったので簡単に見てみたい。[年規・七月]十五日盂蘭盆会、香油・挺燭・百味・五果を営備し、宿霄至日転経一部晩課、...日蓮宗『草山清規』に於ける盂蘭盆供養について
日蓮聖人(1222~1282)には、『盂蘭盆御書』(1280年[弘安3]7月13日、治部殿うばごぜんへの返事)と呼ばれる手紙が残っているので、盂蘭盆会についての考えを知りやすい。例えば、盂蘭盆会については、以下のようにまとめておられる。盂蘭盆と申し候事は、仏の御弟子の中に目連尊者と申して、舎利弗にならびて智慧第一・神通第一と申して、須弥山に日月のならb,大王に左右の臣のごとくにをはせし人なり。此の人の父をば吉占師子と申し、母をば青提女と申す。其の母の慳貪の科によて餓鬼道に堕ちて候ひしを、目連尊者のすくい給ふより事をこりて候。『盂蘭盆御書』まぁ、この通りである。内容から、『盂蘭盆経』に基づいて、この教えを示していることは明らかである。それでは、具体的にはどのような方法が採られたのだろうか?それも、この御書から知ら...日蓮聖人と盂蘭盆会
まずは、以下の一節をご覧いただきたい。盂蘭盆施餓鬼会塵塵刹刹宝楼閣、随処に打開す八葉の蓮。触目分明観自在、風清く月白し本来の天。『永平六十世臥雲童龍禅師遺稿』25丁裏、訓読は拙僧まず、この法語を詠まれたのは、大本山永平寺60世の臥雲童龍禅師である。臥雲禅師は、明治維新期の貫首猊下として知られ、時代の変革期に永平寺と曹洞宗の運営に腐心された禅師さまである。さて、上記一節であるが、題に「盂蘭盆施餓鬼会」とある通り、宗門伝統の、盂蘭盆会に於ける施食会として行われている。なお、この法語がいつ唱えられたかは分からない。そこで、第1句からも理解を進めてみよう。塵塵刹刹とは、この世界が全て、「宝楼閣」であると示す。「宝楼閣」とは、『甘露門』に出てくる「大宝楼閣善住秘密根本陀羅尼」に基づいて、施食の現場に於いて建立される伽藍(...盂蘭盆施食会に因む法語
今日は「スポーツの日」である。元々1964年の東京オリンピックの開会式を「体育の日」としていたが、その後、ハッピーマンデーとなって、更に今年も、東京五輪の開会式に合わせて今日7月24日を「スポーツの日」として、今日に持って来たのである。「体育の日」はお役を終えたようなので、今後はどこかの日付を「岡崎体育の日」にでもすれば良いと思う。さて、本来であれば今日は「五輪」についての記事でも書くつもりだったのだが、それは来年に取っておいて、今年は以下の一節を見ておきたい。吾人は競技を以て動物の競ひまでに引き下げたくない。人間の争ひである。あくまで人間の競技であつてよい。そこに修行、鍛錬、精進、教育の仕事があるのである。競技であれ、凡てのスポーツ、あらゆる体育運動が、修練のために、鍛錬のために、人間たらしめん為に、大地を踏...今日は「スポーツの日」(令和2年度版)
今日7月23日は海の日である。まぁ、今年この日なのは、色々と経緯がある。まず、1996年に海の日が施行された当初、この日は7月20日であった。しかし、2003年の祝日法改正で、いわゆる「ハッピーマンデー」となり、7月第3週の月曜日が海の日となった。そうすると、何で今日?ということになるが、今年は特別で、いわゆる「東京オリンピック」の開幕が、本当は明日であった(その関係で、明日はスポーツの日[旧称:体育の日])。その前日である今日を含めて、4連休にしようと目論んだわけだが、新型コロナウィルス対策の関係で、今日はただの祝日になってしまった・・・それで、海の日である。とはいえ、本州の多くの地域ではまだ梅雨明けしておらず、これもやはり新型コロナ対策の関係で、みんなで海に行って楽しむなんてこともあるまい。とはいえ、拙ブロ...今日は海の日(令和2年度版)
まず、前提としては、【盂蘭盆会と施食会の同異(高田道見先生『盆の由来』参究・裏盆1)】あたりの記事をご覧いただくと良いと思うのだが、拙僧どもの曹洞宗では、伝統的に「盂蘭盆会」という法会を「施食会」によって勤めている。よって、「盂蘭盆施食会」などというのだが、もちろん、本来は異なる法会を無理矢理1つにしているので、問題が無いわけでは無い。その1つとして、本来「盂蘭盆会」で尊重されるべき目連尊者が法会で唱える文言などに出て来ず、「施食会」に出てくる阿難尊者のみが出てくることについて、違和感が残るわけである。現状としては、「盂蘭盆施食会疏」(現行の『行持軌範』であれば185頁参照)などを読み込まない限り、目連尊者の名前は出て来ないわけである。そこで、1つ思ったのは、盂蘭盆会を施食会以外で行う方法は無いのか?ということ...盂蘭盆会を施食会ではない方法で行うには?(1)
【寺院に納める供養料(付け届け)について(高田道見先生『盆の由来』参究・裏盆2)】の続きである。とりあえず7月盆正当の15日は過ぎてしまったが、「裏盆」ということで、高田道見先生の『盆の由来』の参究は末尾まで成し遂げたい。この記事が最終回となる。今回は、明治時代の「改暦」に因む混乱についての問答である。なお、高田先生の生没年は「1858~1923年」となっており、改暦とは同時代に生きた学僧である。今回の記事で、その様子の一端でも知られれば良いと思っている。◎問ふ、去れば盆斎と施食と祖先祭とは別なるが如し、然るに天下の寺院、多く七月に施餓鬼を修行するは如何なる訳なりや○答ふ、それは前にも言ふが如く、便宜を謀りたるものならむと思はる、若し施餓鬼が盆供と密着したるものならば必ず十五日に修すべき筈なるに、其日取りは諸寺...盂蘭盆会は7月か?8月か?(高田道見先生『盆の由来』参究・裏盆終)
【盂蘭盆会と施食会の同異(高田道見先生『盆の由来』参究・裏盆1)】の続きである。とりあえず7月盆正当の15日は過ぎてしまったが、「裏盆」ということで、高田道見先生の『盆の由来』の参究は末尾まで成し遂げたい。おそらく、この記事を含めて残り2回になるはずだ。◎問ふ、今時檀家信徒より七月になると、盆礼とか盆供料とか、盆回向料とかの名義を以て、其菩提所へ米銭を納むるうは、如何なる訳より始まりたるものにや○答ふ、其事のみは幾分か仏制に依りたるものの如し、実は僧侶を請して盆供を設くべき筈なれども、其代りとして米銭を納むるが故に盆供料と名けたるものなり、僧はまた檀家信徒の為めに現在の福寿無量を祈り、且つ読経念仏し或は盆供の法を修し、又は施餓鬼法を修して、先亡の精霊に回向し、彼等無量の厄難を救済すべきなり、故にその檀家が盆供料...寺院に納める供養料(付け届け)について(高田道見先生『盆の由来』参究・裏盆2)
【供養する僧侶が不在の時は?(高田道見先生『盆の由来』参究10)】の続きである。とりあえず7月盆正当の15日は過ぎてしまったが、「裏盆」ということで、高田道見先生の『盆の由来』の参究は末尾まで成し遂げたい。おそらく、この記事を含めて残り3回になるはずだ。◎問ふ、以上の如きは施餓鬼の作法の如くに思はる、敢て問ふ、施餓鬼と盂蘭盆と何程の差ひありや○答ふ、盂蘭盆と施餓鬼とは粗ぼ相似たるが如くなれども、その縁起別なり、一は目連によりて開かれ、一は阿難によりて啓かれたればなり『盆の由来』第二十二問答・27~28頁まず、「以上の如き」というのは、冒頭のリンク先に提示した高田先生の「△盂蘭盆略式作法」を指している。そして、確かに高田先生の主張した略作法は、明らかに『甘露門』の影響を受けた施食作法なのである。そのため、このよう...盂蘭盆会と施食会の同異(高田道見先生『盆の由来』参究・裏盆1)
今日7月18日は、寛元2年(1244)の旧暦の日付を当てはめれば、道元禅師が吉峰寺から大仏寺に移られた日である。記録では、以下のようになっている。師、寛元二年甲辰の七月十八日に当山に徙る。明年乙巳、四方の学侶、座下に雲集す。『永平広録』巻2冒頭「徙」は気を付けて欲しい。「徒」と別の字なのだ。「徒」は「いたずらに」や「兵士」の意味で音読みは「ト」。一方で、「徙」は「うつる」の意味で、音読みは「シ」。似ているので見間違うが、この辺注意が必要だ。さておき、上記の記録と【先日の記事】から、道元禅師は寛元元年の7月解制後に深草の興聖寺を出られて、2週間以内には越前に到着された。そして、その後は主として吉峰寺に錫を留めながら、一時的には「禅師峯」にもおられたことが『正法眼蔵』各巻奥書から知られる。そして、上記の通り、寛元2...七月十八日道元禅師が大仏寺に移る
7月17日という日付は、旧暦であれば道元禅師の本師・天童如浄禅師の忌日に当たる。なお、如浄禅師が遷化された年次について、宗門内では様々な記述がなされ、良く分かっていない時代が長かった。例えば、瑩山禅師に係るとされる文書では、次の通りに記載している。・天童浄和尚、大宋紹定二年〈己丑〉、七月十七日逝。流布本『洞谷記』これだと、如浄禅師は紹定2年(1229)に遷化されたこととなるが、上の一節には更に「日本寛喜元年、今至元亨三年、九十五年也」と続き、日中間の元号の変換は正確だ。よって、どういう伝承かは知らないが、少なくともこのように信じられてきたようである。更に、次の指摘もある。・并に遺偈を書して云く、「六十六年……従来の生死相干せず」と。乃ち大宋紹定元年戊子七月十有七日矣〈日本安貞二年に丁するなり〉。面山瑞方禅師『天...七月十七日天童如浄禅師忌
寛元元年(1243)の旧暦7月16日は、道元禅師が京都深草の観音導利興聖宝林寺から、越前に移動を開始した日であるとされる。ただし、この辺、非常に悩ましいのが、記録上明らかなのは、15世紀以降のものにしか無いということだ。寛元元年癸卯〈二月十六日改暦す〉この年七月十六日の比、京を御立あるかと覚ふ、同月末に、志比荘へ下著あると見へたり、正法眼蔵三十二巻の奥書に、寛元元年閏七月初一日、在越宇吉峯頭示衆と云り七月十六日深草を発出し、越に著して、最初は吉峯に住せられて、閏七月初一日に、開示始まれり、『建撕記』、『曹洞宗全書』「史伝(下)」巻・28頁下段、カナをかなにするなど見易く改めるこの『建撕記』については、既に何度も拙ブログで申し上げている通り、永平寺14世・建撕禅師がまとめた道元禅師伝であり、15世紀中頃までに成立...寛元元年七月十六日道元禅師が越前に移動開始
今日7月15日は旧暦の日付通りなら「解夏」である。「解夏」とは、夏安居の制を解くという意味(そのため「解制」ともいう)であり、4月15日から始まった90日間の安居を追える日なのである。この日には、安居に集まってきた僧侶たちが解散していく日でもあるので、禅林では古来より様々な行持を行った。中でも、上堂という、住持による正式な説法の機会には、安居の意味、解夏の意味などを学人(修行僧)に問いかけ、どこまでも学びを忘れることが無いようにと、参究を促したのであった。今日はそのような「解夏」の上堂から、以下の一節を見ておきたい。解夏〈祝聖如常〉に、乃ち云く、古仏夏制盈つ、菴内の主人千快万活。新涼の時節至る、天下の衲僧七従八横。直に得たり、一隻の鞋、毘盧の頂𩕳を蹈翻し、六環の錫、摩竭の玄関を打破することを。正与麼の時、脚下の...今日は解夏(令和2年度版)
【盂蘭盆会は少ない供養でも大丈夫か?(高田道見先生『盆の由来』参究9)】の続きである。とりあえず盂蘭盆会正当前の最後の記事(明日は、例年通り「解夏」の記事にする)ということで、高田道見先生の『盆の由来』から問答を見ておきたいと思う。その前に、今日扱うテーマだが、既に昨日までの記事で申し上げてきた通り、盂蘭盆会の基本は食供養(施食)であり、しかも自恣をした僧侶たち(大衆)を供養するというものであった。そうなると、一つ疑問が出てくる。もし、僧侶が身近にいない場合はどうするのか?あるいは、明治時代以降には菩提寺を持たない人も増えたわけで、当然に知り合いの僧侶がいないケースも一気に増加したものと思われる。それを考えるときに、今日の問題が出てくるのである。◎問ふ、僧すらなき所、如何ぞ仏法を請すべきや○答ふ、今ま謂ふ所の仏...供養する僧侶が不在の時は?(高田道見先生『盆の由来』参究10)
【盂蘭盆会供養の費用は?(高田道見先生『盆の由来』参究8)】の続きである。早速に高田道見先生の『盆の由来』から問答を見ておきたいと思う。◎問ふ、一搏の飯一掬の水位ひにては、とても十方の衆僧を供養するに堪へざるべし、供養するに堪へざれば、亦随て利益も薄かるべし、窮民無福の者争で七世の父母までも救済し得べきや○答ふ、長者の万灯より、貧婆の一灯が勝れりとや云ふことあれば、強ちに多勢に供養するにも及ばず、設ひ一僧でも二僧でもよし、真実を以て供養すれば、其力広大なるべし、僧も亦真実を以て受け、真実に咒願回向するが故に、其功徳は弥よ無辺なり、施す所の飯食は少なしと雖も、飽満する所の範囲は限りなかるべし『盆の由来』第十七問答・23~24頁ということで、昨日の続きの記事である。それで、経済的な困窮者が行える供養程度では、百僧・...盂蘭盆会は少ない供養でも大丈夫か?(高田道見先生『盆の由来』参究9)
【「盂蘭盆会」という言葉について(高田道見先生『盆の由来』参究7)】の続きである。早速に高田道見先生の『盆の由来』から問答を見ておきたいと思う。そもそも、仏教における供養や布施については、色々と誤解もされているし、難しい点もある。例えば、道元禅師には以下の一節が知られている。我物にあらざれども、布施をさへざる道理あり。そのもののかろきをきらはず、その功の実なるべきなり。『正法眼蔵』「菩提薩埵四摂法」巻布施というと、自分の財産から、と思ってしまうが、道元禅師は自分の物ではないものでも布施をしてはダメだという話にはならないとしており、しかも、布施の内容の軽さなどは嫌われず、その効果(功徳)は真実だと述べたのである。ちょっとこの辺を前提に、今日の話を見て貰いたい。◎問ふ、〈中略〉貧窮にして此の如き大供養を営みたらば、...盂蘭盆会供養の費用は?(高田道見先生『盆の由来』参究8)
【安居と仏歓喜の意味(高田道見先生『盆の由来』参究6)】の続きである。早速に高田道見先生の『盆の由来』から問答を見ておきたいと思う。◎問ふ、以上は覚えず枝葉に走りての問ひなりしが、今最も必要として問はむとする所のものは、盂蘭盆と云へるの字義なり〈中略〉委しく其意義を弁明せよ○答ふ、盂蘭と云ふは梵語とて天竺の音なり、又は烏藍婆拏とも云ふ、烏藍と盂蘭とは只梵音の訛りなり、烏藍と云ふは倒懸と云ふ事に成り、婆孥とは盆と云ふ事に成る、故に烏藍婆孥を盂蘭盆と名けて、之を救倒懸と翻訳し来れり、その倒懸と云ふは喩にて、盆は法なり、元照師の註に魂ひ暗道に沈み、命ち倒懸に似たりと云へり、その暗道とは餓鬼道の事にて、倒懸とは飢渇の苦みなり〈中略〉次に盆とは器なり、乃ち食物を盛るの浄器なり、一切の椀鉢も通じて盆と名く、盆の字が救の字に...「盂蘭盆会」という言葉について(高田道見先生『盆の由来』参究7)
【盂蘭盆と裏盆(高田道見先生『盆の由来』参究5)】の続きである。早速に高田道見先生の『盆の由来』から問答を見ておきたいと思う。なお、今回は短めの問答を2つ採り上げてみたい。◎問ふ、抑も安居と云へる辞は世間に言はざる事なるが、仏家にては如何なる義を意味するものにや○答ふ、安とは身心摂静なるの謂ひにして居とは要期在住の義なり乃ち雑縁を離るるが故に身心摂静なり、奔走せざるが故に一処に居住す、円覚経などには、大円覚を以て我が伽藍と為し、身心安居平等性智なむと云へる高尚なることも見えたり『盆の由来』第十二問答、16頁まず、「安居」の言葉について説明されている。我々の場合は、自身の修行の過程で「安居」の何たるかを行法的には理解出来る。ただし、やはり在家の方には難しいといえよう。そこで、高田先生は「安居」という文字を丁寧に説...安居と仏歓喜の意味(高田道見先生『盆の由来』参究6)
【盂蘭盆会は何故7月15日なのか?(高田道見先生『盆の由来』参究4)】の続きである。今日は、昨日とは正反対の記事の内容になるが、実際に、盂蘭盆会は7月15日だけではない。その辺の説明の1つとして、早速に高田道見先生の『盆の由来』から問答を見ておきたいと思う。◎問ふ、然らば盆と云ふは、必ず七月十五日のみに限るが如し、然るに今時は十四日十五日十六日の三日を以て盂蘭盆斎と為すが如きは如何、何にか理由のある事にや、又は自然の習慣より斯くなりしものなりや○答ふ、そは理由なきにあらず律文には僧は十四日に自恣し、尼は十五日に自恣せよとあり、或は三日自恣せしむる事あれども、多くは十四十五日の両日を以て重なりとす、而して十六日は送行とて四方八方に分散して、或は頭陀行を為すものあり、或は講法度生乃ち布教伝道を為すものあり、其他思ひ...盂蘭盆と裏盆(高田道見先生『盆の由来』参究5)
【七世の父母か?無量世の父母か?(高田道見先生『盆の由来』参究3)】の続きである。早速に高田道見先生の『盆の由来』から問答を見ておきたいと思う。◎問ふ、然らば此法は何時にても、随意に之を行ふて然るべき筈なるに、毎年七月十五日と定めたるは如何なる訳なるぞ、又此法は如何なる縁起によりて始まりたるものなりや、委しくその由来を示せ○答ふ、これは目連尊者がその亡母をたすけ玉ひしより始まりしものなり、今ま盂蘭盆経によりて、その来縁を按ずるに、〈中略〉其母は哀れ餓鬼道に生じて苦みを受くること無量なり〈中略〉ソコデ又仏目連尊者に告げ玉はく、七月十五日は十方より集まり居れる衆僧が、自恣とて随意に休暇(ドンタク)を催ふして、既往三箇月中の善し悪しを述べ、甲乙互に懺悔滅罪を為す喜ばしき日柄なれば、其時を幸ひとして当に盂蘭盆会を設くべ...盂蘭盆会は何故7月15日なのか?(高田道見先生『盆の由来』参究4)
今日七月七日は七夕である。拙僧の出身地である宮城県仙台市は、月遅れの七夕で8月7日に行われていたが、とりあえず今日に記事を書いておきたい。それで、七夕に関する興味深い一節を見付けた。◎七月和名をふ月といふは、たなばたに文をかすとて、ひらくゆへにふみ月とも、文ひろげ月とも云。享保20年版『江府年行事』、三田村鳶魚先生編『江戸年中行事』中公文庫・47頁「ふ月」とあるが「文月(ふづき)」のことである。そして、その由来が「七夕」にあるとしているのである。七夕で短冊に願いを込めるというのは、かなり重要なことだと思われていたのだろうか。上記に引用した同じ文献では、以下の一節も提示している。○本朝にては孝謙天皇天平勝宝七年に乞巧奠はじまる、此日童子小女のわざに、五色の紙を色紙たんざくにたち、歌を書て若竹の笹にむすび、高くさゝ...七月七日七夕(令和2年度版)
もうここ何年も、「7月6日は、語呂合わせから南無の日」だと訴えている拙ブログではあるが、浸透している気がしない。でも、それは拙僧の調べ方が悪いだけで、徐々にでも広がっていることを願ってはいる。さておき、そもそも「南無」とはどういう意味なのだろうか?一般的には、サンスクリット語の「ナモ(namo)」を音写したものとされ、意味は「帰依」と同じだとされる。またいはく(玄義分)、「南無といふは、すなはちこれ帰命なり、またこれ発願回向の義なり。阿弥陀仏といふは、すなはちこれその行なり。この義をもつてのゆゑにかならず往生を得」と。親鸞聖人『顕浄土真実行文類』ここで、親鸞聖人は、「南無」について、「帰命なり」としている。この「帰命」と「帰依」と同じ意味である。対象とする仏を信じ、お任せすることである。しかれば南無の言は帰命な...七月六日南無の日(令和2年度版)
お互いさま
「頑張れ」
この世界
明日の風の時代入りに向けて。ある意味決意表明(笑)新たに創るものと手放すもの。
《そもそもある》に氣づいてそのあるから発信・発現していく。在るに氣づくから生まれて来るなにかをカタチにする。
★お金の循環でネットでビジネス拡大をはかる時にとても大切なこと。まずは器創り。
ネット上で自分のビジネスを拡大してお金を循環させ稼いでいくために。
自己超越による、在り方度外視の真実。
終活ってやっぱり大事
静かな違和感
お金が循環すると愛も増えてくる。お金はエネルギーで愛が腑に落ちたら安心になる♪
「在り方」
充実した一日
私が私で居られる場を創る。私の魂が創りたい愛の世界。そのための手放し。
わーわー作戦
今日7月5日、栄西禅師忌である。なお、あくまでも旧暦の日付通りなら、ということで、実際には新暦に直して、別日に修行していると聞いている。このブログでは、我々曹洞宗の高祖・道元禅師(1200~1253)が、臨済宗黄竜派の伝持者で、鎌倉寿福寺・京都建仁寺などを創建された明庵栄西禅師(1141~1215)に対して、強い尊崇の念を持っておられたことを承けて、一児孫として、ともに栄西禅師を顕彰させていただくものである。それで、拙僧が気になったのは以下の一節である。建久三年、香椎神宮の側に於いて建久報恩寺を構えて、始めて菩薩大戒の布薩を行ず。虎関師錬『元亨釈書』巻2「建仁寺栄西」章栄西禅師といえば、鎌倉寿福寺・京都建仁寺・博多聖福寺を建てたことで知られているが、他にもこの報恩寺には、様々な伝承もあるようだ。香椎神宮の側とあ...七月五日栄西禅師忌(令和2年度版)
今月は、可能な限り高田道見先生『盆の由来』を見ていきたいと思うのだが、詳細は【今日から盂蘭盆会(高田道見先生『盆の由来』参究1)】をご覧いただきたいが、今日は以下の設問を見ておきたい。◎問ふ、去れば死したる父母の精霊に対して、追考を営むの法なれば、未だ両親の存命中は、此法を修するに及ばざるや。○答ふ、然らず。此法を修するときは、現在の父母は福寿増長し、且つ死して後といへども、悪趣を転じて善処に生じ、生生世世の間だ限りもなき福楽自在の果報を得るのみならず、六親眷属に至るまで、現世は安穏後生と善処の二世安楽を得るの法なり、又過去七世の父母及び九族に至るまで、その悪趣にあるものは、此法の功力によりて、或は天堂に生れ替り、或は浄土に往生すべきなり『盆の由来』第二問答・5頁まず、この問いは面白い。それは、『盂蘭盆経』とい...盂蘭盆会で生きている父母への孝順は必要?(高田道見先生『盆の由来』参究2)
日本に曹洞宗を伝えられた道元禅師が、中国留学中に天童如浄禅師に参じていた際に、諸事聞書された文献を『宝慶記』という。その冒頭には、「宝慶元年七月初二日方丈に参ず」とあって、どうも、この日に道元禅師は如浄禅師に参じたとされている。ただ、この文献は色々と厄介で、まず中国留学中に書かれたものだと思われていることは事実だが、巻尾の奥書には、以下のような一節が見える。建長五年癸丑十二月十日、越宇吉祥山永平寺方丈に於いて之を書写す。右、先師古仏御遺書の中に之在り。之を草し始むるも、猶お余残在る歟。恨むるは功を終えず。悲涙千万端。懐弉『宝慶記』奥書この一節については、道元禅師(1200~1253)の後継者となられた永平懐弉禅師(1198~1280)が、道元禅師が居られた永平寺の方丈で『宝慶記』の原本を発見され、書写されるに及...宝慶元年七月初二日方丈に参ず
今日7月1日から、日本の一部では盂蘭盆会の始まりとなる。もちろん、全国的には8月に行う地域の方が多いので、実感は無いかもしれない。そもそも、何故この時期に「盂蘭盆会」を行うのかは、拙Wikiに【施食会】という項目を書いておいたので、そちらをご覧いただきたい。そこで、マニアックな話ではあるが、曹洞宗で「盂蘭盆会」について最初に記述された瑩山紹瑾禅師(1264~1325)の『瑩山清規』では、【七月一日の禅宗叢林】で紹介した通り、「年中行事」の「七月一日」項に於いて、「七月一日より、施餓鬼」と示している(昨今の曹洞宗では、「餓鬼」表記が差別的であるとして、「施食」と表現する。行う行事の内容は同じ。あくまでも歴史的事象の説明なので、当記事では「施餓鬼」と用いる。差別の拡大などをしないように御注意願いたい)。しかし、その...今日から盂蘭盆会(高田道見先生『盆の由来』参究1)
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