富永仲基の「大乗非仏説」とは何だったのか?(富永仲基『出定後語』を学ぶ47・終)
2013年5月から始めたこの連載であるが、7年以上の歳月をかけて、この記事で終了となる。月1回で、全47回とあるから、本来なら4年程度で終わるはずだったが、拙僧個人の勉強不足が原因で、参究には思った以上の時間を要した。記事が掲載できない月もかなり多かったので、結局7年以上かかったのである。それで、最終回に因み、拙僧自身が本来懐いていた動機、「富永仲基『出定後語』で、「大乗非仏説」はどう説かれたのか?」について、結論を導いておきたい。まず、結論からすれば、富永は明らかに大乗仏教の説は、後代に作られたものという説を論証し、ゴータマ=ブッダ自身の直説ではないが、各部派の教説同様に、大乗もまたその一家であり、総体として、「仏家」の説であることは肯定している。この辺は、例えば、同じ儒教といっても、孔子の説のみならず、孟子...富永仲基の「大乗非仏説」とは何だったのか?(富永仲基『出定後語』を学ぶ47・終)