聖書に基づくイエス様の救いの証をお語り下さい。短くても結構です。
11月25日 逡巡しながら、新潟たれかつ丼を食すことなど。
11月24日 遅読、積読。本のある雰囲気だけで自分は変容する。(「買ったが読んでいない本」からのアピールについて)
11月23日 本と私。(死生観)
11月22日 脈が弱く血圧測れず。。!!! ユングとフロイトと性欲について。
11月21西 かぜのたみさんの低コストライフに学ぶ! 食べるものは大体決まってきた。
11月20日 ぶちきれオバハンに遭遇&げんなりのことなど。
11月19日 グノーシス主義、グノーシス思想のPOINT.
11月18日 (永世厨二病患者談義) グノーシス主義に想う。
11月17日 極悪女王のこと。妬みと嫉みと不倫たたき。
11月16日 古本購入。
11月14日 私に根付く差別意識はどんな感じだろう。美と差別は非常に難しい関係だな、と思う事など。
11月15日 孤独とコミュニケーション。
11月13日 本を購入。
11月12日 我が三上。特に”厠上”のこと。
11月11日 浪漫主義でごめんなさい。
江戸時代の洞門が輩出した学僧・指月慧印禅師の主著である『荒田随筆』を学ぶ連載記事であるが、今は「戒定慧」という一章を学んでいる。早速、本文を見ておきたい。定、謂く、空有辺中の徳用義相に随い、多種の名を分つと雖も、克して那伽定王三昧に帰す。一切の三昧、皆な此の中に入る。所謂、諸仏の定法、直身跏趺坐のみ。諸法、畢竟、寂爾湛然、繊塵を蕩して、内に住守の心無し。大虚を包で外に馳驟するの境無し。蘊界入に於いて不動不覚。然而、諸法をして畢竟、去来・起住・言語等の累無く、生死・涅槃・迷解の知無きこと、一味に真実ならしむ。故に心意識の分別すべき、凡聖路の格すべきに非ず。垢浄増減の途を離れて、是虚空住なり。健相堅固にして、龍蟠の屈するが如し。勤はらざるして而も物現す。其現こと、也た疑わず。日月の空に処するが如し。一多の言思、大小...戒定慧(其の四)(指月慧印禅師『荒田随筆』参究21)
今日11月29日は、語呂合わせで「1129=良い肉」の日らしい。それで、敢えて「「良い肉の日」と仏教」というタイトルにしたからには、今日は以下の一節を通して色々と考えてみたい。庚寅、諸国に詔して曰く、自今以後、諸漁獵者を制す、檻及び施機槍等の類を造ること莫れ。亦た四月朔以後、九月三十日以前、比満沙伎理・梁を置くこと莫れ。且つ、牛・馬・犬・猿・鶏の肉を食すること莫れ。以外は禁例在らず、若し犯す者有らば、之を罪とす。『日本書紀』巻29「天武四年(675)四月」項このように、天武天皇の4年に、通称「肉食禁止の詔」が発せられたという。ただし、内容は大きく2つに分かれていて、まずは漁業や狩猟を行う人達が「ワナ」を作ることを禁止したものである。そして、後半は肉食の禁止である。ただし、肉食の禁止については、4月1日から9月3...11月29日「良い肉の日」と仏教
連載は11回目となる。『養老律令』に収録されている『僧尼令』の本文を見ているが、『僧尼令』は全27条あって、1条ごとに見ていくこととした。まずは、訓読文を挙げて、その後に拙僧なりの解説を付してみたい。なお、釈雲照補注『僧尼令』も参考にすることとしたい。凡そ寺の僧房に婦女を停め、尼房に男夫を停めて、一宿以上経たらば、其の所由の人、十日苦使。五日以上ならば、卅日苦使。十日以上ならば、百日苦使。三綱知りて聴せらば、所由の人の罪に同じ。『日本思想大系3』219頁を参照して、訓読は拙僧要するに、男性の比丘がいる寺院に、女性を宿泊させるようなことがあったり、比丘尼がいる寺院に、男性を宿泊させるようなことがあれば、罪を得るとしているのである。なお、比丘と比丘尼は寺院が異なっていたので、両方がともに修行することはなかった。その...第十一条・停婦女条(『僧尼令』を学ぶ・11)
ここ1年以上にわたって、最後の一章「雑」を採り上げている。本章は「雑」の字の通りで、他に一章を立てるほどが無い程度の内容でもって、様々な事柄を富永仲基が論じたものである。本当に種々雑多な内容だが、見ていると20前後の節に分けられそうなので、一つ一つ見ていきたいと思う。諸法相い万すと雖も、其の要は善を為すに帰す。苟に能く其の法を守りて、而も各おの善を為すに篤ければ、則ち何ぞ彼此を択ばん、仏も亦た可なり、儒も亦た可なり。苟に善を為くると為す者は、乃ち一家なり。何に況んや、同じく仏を宗として、而も其の派を異にする者をや。徒らに、其の派の之れ異有るを争いて、而も善を為せること無き者は、吾れ之を知らず。文も亦た可なり、幻も亦た可なり、其の志、誠に善を為すに在らば、則ち何ぞ不可ならん。徒らに幻と文とに淫して、而も善を為すに...雑第二十五其19(富永仲基『出定後語』を学ぶ46)
その本名を「伊勢(新九郎)盛時」と言ったそうですが、これよりは別名の「北条早雲」の方がよく知られている人物です。生まれは1432年とも1456年よも言われ、またその出自についても、一介の浪人に過ぎないとする見方もあれば、室町幕府に何らかの関りを持っていた人物の血
ドイツ宗教改革の発端にもなったとされるマルティン・ルターの『九十五箇条の提題』の日本語訳を学んでいく連載記事である。連載16回目である。16地獄、煉獄、天国の違いは、絶望、絶望への接近、救いの確かさの違いに対応している。深井氏下掲同著・17頁この辺は、キリスト教の世界観と相即した見解だということになるだろう。地獄と煉獄の違いについては、【前回の記事】でも申し上げた通りなので、割愛するけれども、ルターは、死後の行き先について、生前に於けるその人の心のあり方に由来することを指摘している。ここ数回の記事で、死を迎えようとしている者の魂の癒やしや愛によって充たされることの重大性を説いていたことを確認したが、最後の「救いの確かさ」を持っている魂は、天国に行くことになる。一方で、ここでルターが述べる「絶望」とは何であろうか...マルティン・ルター『九十五箇条の提題』を学ぶ・16
まずは、以下の一節をご覧いただきたい。因みに茶話、禅門戒壇の委悉なり。『傘松日記』、『続曹洞宗全書』「法語」巻・450頁下段、訓読は拙僧たった一節ではあるのだが、ここで当時の大本山永平寺貫首であられた、40世・大虚喝玄禅師と、面山瑞方禅師の間で、どのようなことが話題となったのか、簡単に推定してみたい。まず、「禅門戒壇」と述べるのは、江戸時代初期から宗門授戒会のデファクトスタンダードになっていた、いわゆる大乘寺式の授戒会作法のことであると思われる。実際に、【(1)】で紹介をした通り、大虚禅師はご自身の授戒会作法に関する主張を、当時の関三刹などに送り、その履行を求めたことがあった(ただし、寺社奉行所により却下)。それがあってか、面山禅師も後に、授戒会作法についての批判を行った。具体的には、実世界の論文でも書きつつあ...面山瑞方禅師『傘松日記』に見える禅戒思想(2)
最近、日本天台宗の五大院安然の『普通授菩薩戒広釈』を読んでいたところ、以下の一節を見出した。然るに其戒場は是れ国主、国人の大福田、仏子菩薩の菩提場、三世諸仏の得道の処、一切如来の所住地なり。故に『境界』に云はく、「若し四恩の為に道場を建立すれば国に七難無く万姓安楽なり。何を以ての故に、此道場の地は金剛際乃至微塵に至るまで皆国王に属す。此王曽此地に於て菩薩戒を受持すればなり」と。故に『賢聖伝』に云はく、「若し菩薩戒を受くる地は変じて金剛道場と成る。大劫三災の現ずる時にも此地を破壊すること能わず」と。安然『普通授菩薩戒広釈』、『国訳大蔵経』「宗典第一巻・天台宗」313頁これは、菩薩戒授戒道場の功徳を説いたところである。それで、国主・国人にとっての大福田というのは、わずかな善行が大きな功徳になるところという意味であり...菩薩戒授戒道場の功徳とは?
ターン・プッタタート の法施図書館 のお知らせのページから引用させていただきます。強調処理は私です。※元リンクは切れてるようですが、この日本語訳文は残されています。全文はここで見ることができます。 …………………… すべての生き物は当然年を
今日は勤労感謝の日である。仏教と勤労について調べていたら、少し面白い記事を見付けたので、引用しておきたい。或人、白隠禅師の法話を聞いて、白隠の隻手の声を聞くよりも両手を打つて商ひをすると歌つた。処が、白隠禅師は之に対へて、商ひを両手たゝいてするならば隻手の声を聞くに及ばずと返した。これは勤労即仏法の意味であつて、智覚大師が嘗てその坊主頭に手拭を鉢巻にし、鍬を取つて手づから畑を耕しながら、「是即ち仏法なり」と道破したのと同じ事である。「勤労即ち仏法」、酒井不二雄『動的人格の修養』(啓文社書店・大正10年)216~217頁これは、江戸時代の傑僧・白隠慧鶴禅師の「隻手の音声」を元に論じられたものであることは、一目瞭然である。なお、拙僧は白隠禅師のことを研究したことがないので、この一節が、実際に白隠禅師に於いて示された...今日は勤労感謝の日(令和2年度版)
『クラウド アトラス』『クラウド アトラス』"長"予告編 人類は過去現在未来、同じひとつの曲を多少の変奏を加えながら演奏し続けるという話。(曲というのは喩えです。実際には、構造的にパターン化した同じ貪瞋痴の兇行を、人類全滅まで切りなく繰り返す
今日は、11月22日、語呂合わせで「良い夫婦の日」とのことである。毎年、この日には、関連する記事を書いているのだが、日本の仏教界にとって、結婚の問題は、明治時代以降の肉食妻帯令との関係で、浄土真宗以外の諸宗派でも僧侶が結婚するようになったという問題がある。それで、仏教会内部としても、賛否両論が存在しつつも、実際には結婚する僧侶は増えた。そのようなことを思いつつ、今回は生誕150年となる鈴木大拙居士(1870~1966)の随筆(手紙)から、僧侶の結婚の問題を見ておきたい。なお、典拠は大拙居士『禅:随筆』(大雄閣・昭和2年)である。実際を云ふと、僧侶の妻帯論などは時勢おくれで、現に十の九分九厘までは、妻帯して居るのであるから、こんな議論などしなくてもよいと、大抵の人は思うて居やう。「或る禅僧に与へて僧侶の妻帯を論ず...今日は良い夫婦の日(令和2年度版)
今日11月21日は、曹洞宗の大本山總持寺を開かれた瑩山紹瑾禅師(1264~1325)のお誕生日とされ、太祖降誕会としてお祀りされている。改めて今日の記事では、瑩山禅師の行実を学び、顕彰してみたい。ところで、かつて瑩山禅師は文永5年(1268)10月8日にお生まれになったという説が主であったため、新暦に直した際に、11月21日という話になっていたが、現代は文永元年(1264)10月8日生まれということとなっている。つまり、4年ずれたわけで、その上で計算をし直すと、1264年11月5日(グレゴリオ暦で計算)となってしまう。この辺、少しく難しい話となっているが、とにかくズレてしまったのである。こういう難しい話はさておき、今日は或る資料の一節を学んでおきたい。四祖能州洞谷山永光寺〈開山〉紹瑾禅師〈大乗二世也、号を瑩山と...今日は太祖降誕会(令和2年度版)
拙僧自身、良く分かっていないところでもあるので、今後の参究のことも考えて、記事にする次第である。なお、関連する記事としては、【宗門在家信者の服制について】や【俗人が出家の格好をすることは罪か?】などを書いたことがある。それで、これらの記事では書いていないことがある。それは、以下の一節についてである。有るが言わく、在家の受持する袈裟は、一に単縫と名づけ、二に俗服と名づく。乃ち未だ却刺して而の縫うことを用いざるなり。又た言わく、在家、道場に趣く時は、三法衣・楊枝・澡水・食器・坐具と具え、応に比丘の如く修行浄行すべし。古徳の相伝、かくのごとし。ただし、いま仏祖単伝しきたれるところ、国王・大臣・居士・士民にさづくる袈裟、みな却刺なり。廬行者、すでに仏袈裟を正伝せり、勝躅なり。『正法眼蔵』「袈裟功徳」巻そもそも、道元禅師...それで結局曹洞宗の在家信者が修行の時に付ける御袈裟とは?
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東京周辺が「関東」で、大阪周辺が「関西」・・・「関東/関西」については、これまではごく単純にこう理解していたところが、ひょんなことから、「語源」?的にはそうでもないらしいことを知りました。 こんな説明を見つけたのです。~古代東山道の関所である不破関(ふわ
椅子の背もたれのバーが突然折れて、バックドロップみたいに椅子ごと後ろに転倒した。 ガラス戸に後頭部から突っ込みガラスが割れた。 頭を押さえたタオルが真っ赤なのを見てびびった。 幸い傷はごく浅かった。 割れたガラスがギザギザに尖がった形で戸
以前、【無住道曉『沙石集』の紹介(14i)】という記事を書いた時に、『沙石集』の著者である無住道曉禅師が、以下のような言葉を記しておられた。南山の云はく、俗は信じて多く施せよ。僧は節して少なく取れ、と。『沙石集』巻十末之十一それで、今回検討したいのは、この一節の出典である。南山というのは、中国南山律宗の道宣律師(596~667)のことだと思われ、そうであれば著書も多く、どこかに見つかるだろうと思うのである。なお、上記の一節の意味するところは、布施に関する苦言で、世間の人は仏教を信じて多く施すべきであり、一方で出家者は身を慎んで少なく頂戴すべきだ、ということになる。無住禅師は、これについて、「今の世は、うちかへてこそ。されば、俗の心も僧の心も、律令にも背き、仏法にも合はずこそ覚ゆれ」と答えた。そこで、先行研究では...布施の受け方に関する或る教えについて
昔の記事「第一歩さえ踏み出せば、後は一本道になる」で、 人生の問題を解決する唯一の方法は、幻想を捨てて事実を受け入れることだ。 事実を受け入れることは問題解決の第一歩に過ぎないが、少なくとも確実にいえるのは、これ以外の方法では問題解決が不可能にな
近年は、中国成立ということで学説的にも定まった『梵網経』ではあるが、それでも、本経に依拠した東アジア全般の菩薩戒実践は尽きることはあるまい。この辺は、そもそも大乗仏教自体がゴータマ=ブッダ直説ではなく、まさに、釈迦牟尼世尊が縦横無尽に説かれた真説として把握する信仰の上に成り立っている。拙僧自身も、研究者の端くれで、大乗仏教が後代の成立であることには何ら疑いを持っていない。だが、拙僧にとって、大乗仏教こそがブッダの真説である。この辺の「アイロニカルな没入」については、中々理解はされないが、拙僧自身が良ければそれで良いのである。さて、そういう中で『梵網経』に於ける「非随犯随制的性格」について考えてみたい。そもそも、「随犯随制」とは、仏教の戒律の性格を示したもので、ゴータマ=ブッダが教団内で問題が起きる度に、新たな戒...『梵網経』に於ける非随犯随制的性格について
以前、町内の集まりで、ある年配の人が「ピンピンコロリが良い」と言い、みんな頷いていた。 しかし、ピンピンからコロリはすごい落差があるから、時間が短かいぶん強烈に痛いよ。 死ねば痛みは感じないが、それまでが痛い。ピン
禅はめい想ではない 呼吸は長短自然にまかせて自然に整ってくるのを待つがよい。 坐禅は仏道の正門であるとの大信念を持つこと。 悟りを求めず迷いを払わず、鏡に映る影と思い一切取り合わないことが肝要である。 居眠りは大禁物
幸福の科学の教え(大川隆法先生の書籍)で、みなさまの人生の悩みや疑問などを解決するお手伝いをします。
以前、このことを記事に書いたことがあるような気がしていたのだが、まだだったようなので、記事にしておきたい。まずは、本文をご覧いただこうと思う。大衆、常に法名と道号と混ぜぬ訣を知るべし。法名は、最初に剃度の時、受業師の安ぜる名なり。道号は、年長けて、碩徳尊宿に安ぜられ、又は自ら所存ありて、号するもあり。上古は、ただ法名のみ。道号と云うことなし。徳の高きは、わきより法名をいわず。その住所を以て称す。青原和尚・石頭和尚・臨済和尚・徳山和尚・趙州和尚の類、みな山号寺号、その所の名なり。ゆえに自分よりは称せず。趙宋より禅林に庵堂の号始まると、『叢林盛事』に見ゆ。済下に祖心を晦堂、克文を雲庵、洞下に真歇を寂庵、智鑑を足庵と号せし類なり。この庵堂の道号は自称なれども、径山・天童の主人が、庵堂と云うは、皆な謙退の号なり。それも...法名と道号の話
ちょっと面白い一節を見出したので、採り上げておきたい。受け已りて、語りて言く、「汝等、当に、仏に帰依し、法に帰依すべし」と。即ち二自帰を受く。是れ人中の二賈客の為に、最初に二自帰を受く。『五分律』巻15「第三分初受戒法上」以上である。これは、釈尊が成道された後で、まだ弟子がいない状態で受けた布施についての話しである(『四分律』巻31にも同趣旨の文章あり)。よって、「仏・法」への帰依を促しているものの、「僧」がまだ無いのである。よって、「二自帰」としている。この件について、以下の記載もある。五分律に云く、初めて仏、成道して二賈客及び女人須闍陀、并びに五比丘の為に、皆な二帰縁を受く。未だ僧の有らざるが故に〈此れ小乗の別体住持三宝の説に就くなり〉。『釈氏要覧』巻上「二帰戒」項なお、『釈氏要覧』は、先に挙げた『五分律』...三帰戒が無かった頃は二帰戒だった
以前から、【冬安居に関する諸問題】や【「冬安居」に関する雑感】という記事を書いているので、その続きのような内容だ。一応、現在の曹洞宗の年分行持からすると、11月15日から「冬安居」が始まり、明年2月15日まで続く。それで、ウチの宗派の両祖は鎌倉時代の祖師方であるが、お二人とも冬安居は否定されており、年分行持という観点では、行われた形跡は無い。ただし、冬場に何らかの安居というか、坐禅の生活はなさっておられたと思われるし、また、先行する臨済宗の栄西禅師『興禅護国論』は、「冬安居」について示している。ということで、今回もいくつかの文脈を見ながら、「冬安居」を考えてみたい。それで、まぁ、道元禅師が「冬安居」について、以下のような見解を出したことは、良く知られていると思う。永平道元和尚云く、梵網経中、冬安居の文有ると雖も...「冬安居」雑考
最近読んでいた本の中に、以下の一節を見出した。天台の場合、葬送作法を学ぶ時、『浅学教導集』を参考とする。この書は江戸時代の万治三(一六六〇)年、東叡山寛永寺の光憲によって編纂されたもので、特に龕前作法の妙文と年回法則等が収められている。一方、真言でもこれに類するものがほぼ同時期(引用者註:貞享3年[1686]とのこと)に『福田殖種纂要』として残されていて、この書には「戒名」についても述べられている。多田孝正氏『お位牌はどこから来たのか』(興山舎・2008年)60頁それで、多田先生のご指摘に導かれるようにして、まずは、これらの著作について閲覧可能か探してみた。・国立国会図書館デジタルコレクション『浅学教導集』金声堂・明治41年・国文学研究資料館データベース『福田殖種纂要』貞享3年版本(巻5を欠く)上記2本について...そもそも「戒名」という用語はいつから使われたのか?(13)
余り良い記事では無いと思うし、色々な意見があると思うところだから、凄く反発を受けるかもしれない。とはいえ、何の立場とも関係ない、あくまでも拙僧個人の意見発信の場としての拙ブログであるから、好きに言わせて貰いたいと思う。今回の記事については、拙僧自身が思っていることを述べるだけなので、真偽については保証しない。用語としての「還俗(再)嗣法」だが、『曹洞宗宗制』にはもちろん載っていないことだし、おそらくは、学問的にも定義された用語ではない。近い言葉は、20年くらい前に一度、或る研究発表で使ったことがあるが、それが他の研究者に受け容れられた印象も無い。まぁ、大体はこの辺、避けて通るものだと思う。「還俗(再)嗣法」については、以下のような流れで理解されていると思う。①或る宗侶が既に嗣法を終えている。②その後、或る寺院の...「還俗(再)嗣法」の話
~顔に止まった蚊をつぶした者に厳罰、吹き矢で燕を射った者 にも厳罰~これは、江戸幕府第五代将軍・徳川綱吉(1646-1709年)による「生類憐れみの令」(1687年)が語られるとき、よく紹介されるエピソードです。~この日本では、バカ殿がバカ法律を作って、世の中を振りま
以前にアップした【戒量慧全禅師書写『室中法宝』写本について】の関係で、大本山永平寺60世・臥雲童龍禅師(1790~1870)に関する事跡について、中村泰心師・山内堯海師編『永平六十世臥雲童龍禅師遺稿(全)』(大正8年)を見ていたところ、8本の授戒会法語を確認出来た。ちょうど、江戸時代から明治時代へと日本が変わっていく状況で、授戒会で必要とされた思想も、どのように示されたのか、見ていきたい。今回は【(1)】に続いて2本目である。尸羅会仏界と魔界とを論ぜず、何ぞ又非情有情を分かたん、一戒光中法界を容れる、開筵し接取す尸羅場。『臥雲禅師遺稿』15丁表、訓読は拙僧内容としては、簡潔なものであるが、思想的には色々と深掘りしなくてはならないところである。まず、1・2句目は宗門で伝授される菩薩戒について、分別の生じない様子を...臥雲童龍禅師の尸羅会法語(2)
以前、コミュニケーションスキルの講習に、たまたま参加したことがある。 講師が冒頭で紹介した話が、人が初対面時、相手を何で判断するか。その割合は、相手の話す内容たった7%。残りの93%は目と耳に入ってくる刺激(相手の表情、服装、声のトーンや口調)に対
今日11月11日は「くつしたの日」らしい。詳細は、以下のサイトをご覧いただくと良いと思う。・毎年11月11日は「くつしたの日」(日本靴下協会)上記の通り、日本靴下協会が1993年に制定したもので、靴下を2足並べた時の形が1111に見えることに由来するという。それで、くつしたと聞けば、我々禅門の坊主にも、一言言いたいことがある。それは、我々がくつしたを履いてきた歴史は長いからである。なお、現在、我々が用いる「くつした」については、「襪子」と「足袋」といわれるものがある。違いは、足先の形であり、とりあえずネット上から画像を見付けてきた。これは、井筒屋さんのサイトから参照したものであるが、上が襪子、下が足袋になる。それで、とても良く似たようなものではあるが、歴史的には存在してからの長さが違っている。実は、襪子について...「くつしたの日」と禅林について
[勝利宣言]A バイデン当選確実報道が複数の主要メデイアで出たので、バイデン氏が勝利宣言した。B 本当は、敗者が勝者に当選を祝福する電話をして後に勝者が勝利宣言をするのが慣例だが、トランプ氏は敗北を認めず、訴訟提起を各地で起こしているので、見切り発車もやむ
ターン・プッタタート「俺、俺の物」第一章・理解を改める より引用させていただきます。 本当のタンマは、言葉や文字で伝えることができなくても、心にタンマが現れるようにする実践法は、言葉や文字で表すことができます。しかしその人たちの心が苦を知らなければ、幾
聖書に基づくイエス様の救いの証をお語り下さい。短くても結構です。
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目に見えて分野として、スピリチュアル×心理学を使って、健康になって幸せを目指せます。
成功への極意を伝えます。たったひとつの考動力で0〜無限を生み出す秘密を伝授し 人生が好循環に回り、自分軸であなたがあなたらしく生きていけます。
ここでは、「妖精」「妖精の森」「おとぎの國」についてのイメージを、共有し合います。どこかで見た絵夲やファンタジー小説、夢に出てきた世界など、何でも。 また、リアルに妖精の森のような未來を望む書き込みも大歓迎です。 但し、旧スピ的発想や、宗教の勧誘、政党政治の推進、メディアを鵜呑みにしたり恐怖を煽るような書き込みは、すべて却下します。
アフリカ出身の夫と国際結婚し、その生活の中で体験したり学んだり考えたりしています
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自分を変えようとして苦しんでいる人は多くいます。実は自分を変えようとしていることが間違いなんです。そもそもそのそのままの自分で幸せに暮らすことができます。それができるならみんなそのままの自分で暮らしたいと思っていると思います。そんなそのままの自分で幸せに暮らすためのヒントを発信します。
「奇跡」を司るのが「神」 時間・空間・物質に「奇跡」が起きた。 生命は「奇跡」の連続 「大いなる意思」は「神の愛」 人間は皆、「神の子」です。