聖書に基づくイエス様の救いの証をお語り下さい。短くても結構です。
オープンダイアログとは?フィンランド発の「開かれた対話」がもたらす効果と日本での活用事例
少しずつ子どもに興味をもつようになる夫、セラピストの選び方
【コーヒーカード&カラーカード占い】11/6(水) LADY & RUBY【今日の占い】
★向坂留美子先生のレッスン
∞ 【火傷をたった2日で治した精油】 #だれかに教えたいこと
りらくるへ&小太朗可愛い 動画あり
懸賞
ヒプノセラピストの私が、日々磨いているものとは?!
友人の証言から見る理学療法士のリアルな職場環境
★神社仏閣を聖徳太子の時代から支え続けた金剛組と高松建設
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ヒプノセラピストが受けたヒプノセラピーセッション体験談 (その③)
ヒプノセラピストが受けたヒプノセラピーセッション体験談
【複製】令和6年夏ジャパネットたかた事件
【セルフヘルプ】行動療法の種類
汚いモンは汚い!
これぞ!カラテミュニケーション☆!?w・・・また一歩☆、前進だぁ〜♪
楽しむ心♡
ビックリ!仰天!笑いっぱなし♪・・・そんな今日も笑顔☆が絶えない♪稽古になりました♪
”1歩”って、すげー!
笑顔☆になる合気技☆・・・不思議で♪不思議で♪たまりませ〜ん♪
「何か幸せだナ~。」
笑顔♪と感謝♪と成長☆の・・・超〜!嬉しい日☆
水が流れているよーな”ナイハンチ☆”・・・”波返し”について、詳し〜く!教えてもらっちゃいました♪
自分の中で”新しい自分☆”を発見!できたよーな気がした・・・昨日と今日のお話♪
初公開!の愛魂♡の日☆
そんな空手は卒業しよー。
感謝☆と学び☆のある!サイコーの一日☆・・・もっと!”勉強”するゾ〜☆
みんなにいっぱい教えたい!
”北斗神拳☆”の”伝承者☆”を見て・・・思ったこと。感じたこと。
式叉摩那については、【拙Wikiの説明】をご覧いただければ良いと思う。それで、何故、女性の出家者である沙弥尼にのみ式叉摩那が用意されているのは、女性への差別的な配慮なのではないか?という意見もあるのかも知れない。だが、拙僧も以前、その辺を学生の頃に習った限りでは、理由があったということだった。それで、関連して以下の一節を見出したので、学んでおきたい。式叉摩那、六法を二歳受く。問うて曰く、沙弥十戒、便ち具足戒を受く。比丘尼法中、何を以てか式叉摩那有りて、然る後に具足戒を受けるを得んや。答えて曰く、仏在世時、一りの長者の婦有り、懐妊を覚えず、出家して具足戒を受く。其の後、身に大転現ず。諸もろの長者、比丘を譏嫌す。因りて此れ制して二歳の学戒有りて、六法を受けて、然る後に具足戒を受く。『大智度論』巻13「釈初品中讃尸羅...式叉摩那の位置付けについて
にほんブログ村アクセスありがとうございます コンサルやセッションでは、クライアントさまが作られた 座向やチャートの間違いを見つけることがたびたび起こります。 自信のないまま風水を行っている方のた
「ローズンゲン『日々の聖句』」より、日々の聖書の言葉を紹介しています。聖書の言葉を中心に、生活に光が差し込むようでありたいです。
2020年5月にライブドアブログ (『クリアー整体ヒーリング』です) からはてなブログに引っ越しましたが、すべての記事をそっくりそのままこちらへ移す予定はありません。 向こうでは10年あまり、ほとんど毎日更新して来ましたしねぇ、古い記事は朽ち果ててもいいかなって気がするのです。 また今は昔よりは色々と分かってきた部分もありますしね… とはいえ全部消えてなくなるのも惜しい気がします。 復刻版と言いますか、古い記事の一部は手直しなどして、ぼちぼちとこちらへ上げてみたいなと考えております↓ 2016年10月の記事 以前にこんなことを書きました。 とどのつまり『分かる』ということは非常に感覚的なものだ…
いつのまにかプラス思考というか信じることとか感謝することとか 大事にするようになって 自分の心に 素直になるように なってきてからすべてがうまくいってるそんな…
自分の夢やゴールへの道のりの遠さを見れば見るだけネガティブな感情が沸いてきます。そしてアクセルとブレーキを同時に押しているような状態になります。
「皆さんは毎晩死んでいると言ってもよいのです」「人間が幽体で旅行する話を聞くことがありますが、私にも同じ体験があるみたいです。どういう現象なのでしょうか。いたって簡単なことです。幽体が肉体から脱け出て、時には私たちの世界へ、時には地上の遠隔の地まで旅行するのです。実は睡眠中は一人の例外もなく幽体で旅行しております。一時的に肉体を離れて私たちの世界を訪れ、縁のある人たちと会っているのです。これは死後...
「ローズンゲン『日々の聖句』」より、日々の聖書の言葉を紹介しています。聖書の言葉を中心に、生活に光が差し込むようでありたいです。
人間は誰しも見たいように世界を見ています。 それは「全ての人には主観がある」ってことです。 主観があるってことは先入観があるということでもあります。 すべての主観はその人の経験値に支えられているからです。 人は誰しも個人的な経験を経てその人独自の考え方を持つに至ります。 しかし、主観があまりに先鋭化すればコダワリになって心に固定されます。 主観が固定されればされるほど心は先入観によって縛られ雁字搦めになってしまうのです。 じゃあ、先入観が全くない方がいいのかといえばそんなこともありません。 なけりゃないで色んな判断がやたらと遅くなって物事が中々進まなくなってしまうからです。 思考の途中を端折れ…
~今日も訪問ありがとう~ Happy Friday from One Happy Island ♥ May 21,2021 *Google Image…
或る文献を読んでいたら、『大般若経』中に見える「在家五戒」について指摘されていた。それで、それが諸法空相的な解釈で面白かったので、その文を引用し、学んでみようと思ったら、何だろう?拙僧が容易に閲覧できる『大般若経』には入っていない文章(?)だった。それで良く分からないままに、検索サイトやソフトを使っていたら、ある一節が出て来たので、こっちを記事にしてみることにした。自ら般若波羅蜜多を行じ、亦た他に般若波羅蜜多の行を勧む。倒るること無く般若波羅蜜多の法を行ずることを称揚し、般若波羅蜜多を行ずる者を歓喜讃歎す。自ら十善業道を受持し、亦た他に十善業道の受持を勧む。倒るること無く十善業道の法を受持することを称揚し、十善業道を受持する者を歓喜讃歎す。自ら五戒を受持し、亦た他に五戒の受持を勧む。倒るること無く五戒の法を受持...『大般若経』に見る漸深戒について
「睡眠中の霊界を訪れる理由」「仕事をしに来る人も中にはおります。それだけの魅力をもった人がいるわけです。しかし大ていは死後の準備のためです。物質界で体験を積んだあと霊界でやらなければならない仕事の準備のために、睡眠中にあちこちへ連れて行かれます。そういう準備なしに、いきなりこちらへ来るとショックが大きくて、回復に長い時間がかかります。地上時代に霊的知識をあらかじめ知っておくと、こちらへ来てから得を...
ここでいうところの『呪詛』というのは「誰かに対してエネルギー的に眼に見えないカタチでネガティヴな影響を与えようとする方法または手段の全て」とお考えください。 マジナイ・ノロイ・呪術・念送りなどと呼ばれる類いのモノもすべて含みます。 一般的に使われる『呪詛』という言葉の意味より随分範囲が広くなっていますが、他にピッタリ当てはまる言葉も中々無いのでそんな風に使わせてもらっておりますm(_ _)m 世間一般でいう呪いの類いっていうのは「古くから行われていた呪術を伴うモノ」として認識されている気がします。 丑の刻参りみたいな特殊でオドロオドロしい独特な儀式を伴うようなものとしてです。 っていうかそうい…
~今日も訪問ありがとう~ Happy Thursday from One Happy Island ♥ May 20,2021先日下記のブログ【問題は…
以前から、拙僧的に不思議に思っていることがある。それは、大学の講義とかで、「仏教について何でも質問してください」などと学生に尋ねると、他に聞きようがないのか?それとも拙僧の剃りっ剃りの頭を見てなのかは分からないが、一定数で「僧侶は何故髪を剃るのか?」という問いが寄せられる。それで、拙僧個人としては、理由が明確で、道元禅師がそう仰っているから、という理由になる。拝問す。今日の天下の長老の長髪長爪、何の拠有るや。将に比丘と称して、頗る俗人に似たるべし。将に俗人と名づけ、又た禿児の如くなるべし。西天・東地、正法・像法の間、仏祖の弟子、未だ甞て斯の如くならず。如何。和尚、示して曰く、真箇是れ畜生なり。仏法清浄海中の死屍なり。『宝慶記』第9問答、訓読は拙僧(以下、同じ)このように、道元禅師は本師・天童如浄禅師に対して、そ...何故、出家者は髪を剃らねばならないのか?
「睡眠中の霊界での体験」「睡眠中、あなたは肉体から抜け出ていますから、当然脳から離れています。脳はあなたを物質界にしばりつけるクサリのようなものです。そのクサリから解放されたあなたは、霊格の発達程度に応じたそれぞれの振動の世界で体験を得ます。その時点ではちゃんと意識して行動しているのですが、朝肉体に戻ってくると、もうその体験は思い出せません。なぜかというと脳があまりに狭いからです。小は大をかねるこ...
世の中には時々何の注釈も無しで独自の用語とか考え方を語られる方がいらっしゃいます。 特にスピリチュアル〜な世界には多い気がします。 まぁ、スピリチュアルに限ったことではありませんがね。 「みなさんご存知のように」みたいな前置きをおっしゃるならまだマシで、ご自分の頭で考えた通りをいきなり文章にしてみたりされるのです。 つまり、『認識の共有』を非常に軽視するわけです。 例えば『ヒーリング』だの『波動』だのと書いてあってもそれぞれ相当に意味合いが違ってたりします。 だから、私の場合は「ここでいう〇〇はこういうことを表しています」みたいに前提を付けて語ります。 そうしないと最低限の『認識の共有』も出来…
2021年5月14日木星が魚座に入りました。スピリチュアルや「目に見えない世界」との関りが深い【水のエレメント】への木星入り。水瓶座に戻る7月28日までの…
「夢の中で起きていること」「実は今でもあなたがたは毎夜のように霊の世界を訪れているのです。ただ思い出せないだけです。それは、死んでこちらへ来た時のための準備なのです。その準備なしにいきなり来るとショックを受けるからです。来てみると、一度来たことがあるのを思い出します。肉体の束縛から解放されると、睡眠中に垣間見ていたものを全意識をもって見ることが出来ます。その時すべての記憶がよみがえります。」 この...
「ローズンゲン『日々の聖句』」より、日々の聖書の言葉を紹介しています。聖書の言葉を中心に、生活に光が差し込むようでありたいです。
ちょっと気になる文章を見出したので、紹介がてら検討してみたい。行者を発遣して院を出すが如きは、須らく十分に過有りて、罪状に責伏して、住持人に稟して之を遣るべし。更に決すること須いずして之を遣るが如きは、官中の問難を防避すべからず。『禅苑清規』巻3「監院」項ちょうど、この前後の文章は、寺院内で過ちを犯した者への罰の与え方の問題なのだが、ここは寺院から擯斥(追放)処分を行う時の問題を挙げている。それで、行者(あんじゃなのか?ぎょうじゃなのか?)を遣って、寺院から出す場合には、その理由となるべき過ちが十分にあって、それを更に罪状を確認してそれを責め、そして、住持人にそのことを報告してから追放すべきだという。もし、そういった確たることが無いままに、追放するようなことがあった場合には、「官中の問難を防避すべからず」とある...禅林に於ける「官中の問難」について
世の中の多くの人は「自分の心ってのは、やり方さえ間違わなければ丸ごと自分の顕在意識で以ってコントロール出来るようになってるはずだ!」と何とな〜くぼんやり信じてるんじゃないでしょうか? 現実になって何処までコントロール出来てるかどうかは別に、『構造』としてね… しかし、実際には只今現在のその人の顕在意識でコントロール出来る部分っていうのは心全体の半分もあればいい方でしょう。 残り半分以上は顕在意識じゃないモノの影響を受けているのです。 影響を受けているというのはやんわりとした表現で実態としては振り回されていると言った方が近い気がします。 何に振り回されているかといえば一番は過去の自分です。 過去…
「悲しみに暮れている人に何を為すべきなのでしょうか」「私たちの仕事は、その大きな世界、霊の宝庫へ目を向けさせ、暗闇と無知の中で道を見失っている数知れない人々に、霊的真理を知ることによって得られる導きと慰めと確信をもたらしてあげることです。それとて実は私の望んでいるところの一部にすぎません。肉親を失った人を慰めてあげること、悲しみに暮れる人の涙を拭ってあげること、こうしたことは実に大切なことです。確...
この「賜紫衣謝偈」については、【拙Wikiの解説】を読んでいただければと思うのだが、道元禅師が後嵯峨天皇(在位:1242~46)から紫衣を賜ったものの、それを謝(=断った)という一事を示すものとされる。ただし、中世の古伝には遡れず、近世以降に一般的になった話ともされる。それで、この一節について、江戸時代の学僧・面山瑞方禅師による評価を見たので、参究してみたい。昔し永平高祖に後嵯峩帝より紫衣を賜りしとき返上せられければその時の太政大臣道光は、永祖の族兄なりき、勅命を返却と云ことはならぬ例とありしゆへに、受てつかねて高架に安じて偈を作て奏せらるに云く、永平山浅きと雖も、勅命重きこと重重、却て猿鶴に笑はるる、紫衣の一老翁、と。山僧八十年来、これをよみて感涙せぬ時はなし、この陰徳にて七十州に二万四千の法孫はびこるはその...面山瑞方禅師による「賜紫衣謝偈」評
ヒーリングなんてことをしておりますと所謂成仏していないヒトに出会うことは決して珍しくありません。 珍しくないというのも随分控えめな言い方なんですけどね… 所謂『成仏』してないヒトの多くが生きていた時の刷り込みとそれに基づく条件反射でほぼ動いているようにお見受けします。 「死んだらお墓に行かなくちゃ!」とか「仏壇に居なくちゃ!」とかいう想いでズルズルと動くのです。 線香の煙や読経の声にも亡くなられた方は反応して寄って来ます。 それによって「自分も成仏出来るはずだ!」という生前の刷り込みの結果なのかなと感じます。 あと、自分が亡くなったこと自体分かってない人も大勢いらっしゃいます。 そういう人は道…
「人のために役立つことをするチャンスは誰にでも用意されています」「身分、職業、血筋、地位や肩書き、肌の色や国家の別、こうしたものには一切かかわりなく、人間のすべてに〝人のために役立つことをするチャンス″が用意されています。それを怠ると、それだけの代償を払わされます。その摂理には誰ひとり干渉することはできません。イエスも言っております―〝蒔いたタネは自分で刈り取らねばならない″と。」 このシルバー・バー...
とりあえず、以下の一節をご覧いただきたい。満戒上堂〈風外古仏〉仏祖単伝の菩薩戒、纔に持犯を論ずれば八年遅し、残秋の霜葉両三片、用いて黄金と作して小児を誑かす。拙僧所持の法語集写本、訓読は拙僧典拠については、良く分からない。いや、どうも何人かの法語を集めた法語集であることは確かなのだが、筆者者や年代が書かれていないので、江戸時代の終わりか、明治初期くらいということしか推定できていない。しかし、本法語集には、寂室堅光禅師の法語や、上記の通り、風外本高禅師(1779~1847)の法語・上堂語などが収められ、更に誰のものかは不明だが、三重県浄眼寺での結制の法語も見られるので、おそらくは関西や東海地域で書写されたものだろうとは思っている。それで上記の内容である。風外本高禅師による満戒上堂(完戒上堂に同じ)の法語である。意...或る満戒上堂について
「ローズンゲン『日々の聖句』」より、日々の聖書の言葉を紹介しています。聖書の言葉を中心に、生活に光が差し込むようでありたいです。
波動のレベルの高いモノはフワッと軽くてスカッと明るく、波動のレベルの低いモノはドヨヨ~ンと重くてジトッと暗いのです。 別の言葉で言えば波動のレベルの高いモノは穏やかで温かく、波動のレベルの低いモノは荒々しく冷たいのです。 日々の何気ない言葉や行動の集積がその人の波動のレベルを形作っていきます。 そうやって形作られた波動のレベルがまた次の波動のレベルの土台となるのです。 日常的に言葉が荒々しいというのはその人の波動が荒々しいということです。 波動が荒々しいということは波動のレベルが低いってことなのです。 日ごろから荒っぽい言葉を使い続けていると波動のレベルが下がりやすい心のカタチになります。 言…
偶然の一致に気づく、という事を何度か書いてきました。 私がこの事を書く理由ですが、自分が体験してきた事をシェアする事で、大切なメッセージを見逃していることがあるかもしれないこと ...
今の現状今の現実これは過去のさまざまな事象や決断のもとになるべくしてこうなっていると、思っている過去をしっかりと知ることそのときの事象その時の気持ち少なくても自分が生きてきた軌跡作用反作用こ...
「人のためになることはどんな事でも、神の道具として役目を果たしているのです」「人のためになることであれば、どんなことでもよろしい。転んだ人の手を取ってあげることでも、勇気づけの言葉を掛けてあげることでもよろしい。霊的なものに係わることでなくてもよいのです。物的なことであっても、それが相手の人にとって意義のあることであり、あなたもそれを嫌々ながらでなく気持よくしてあげるのであれば、それは立派に神の道...
或る学人が叢林修行に入る際、得度してくれた受業師との関係はともかくも、新たに叢林で指導を受ける参学師から授戒されることがある。ただし、これは文献的な典拠となると、色々と難しい。よって、この記事は備忘録的にならざるを得ないが、機会を得られれば、江戸時代の洞門僧の伝記が集成された文献『曹洞宗近世僧伝集成』(曹洞宗宗務庁)があるので、そこから探っていきたいと思っている。話を戻すが、参学師からの授戒について、事例としてすぐに思い付くのは以下の一件である。癸未(元祿16年[1703])十一月十五日、師戒会を開く。余、初めて正伝の仏戒を受く。師、説戒すること三日、因みに云く……『見聞宝永記』これは、江戸時代の学僧・面山瑞方禅師が、後に本師となられる仙台泰心院8世・損翁宗益禅師に参じた当初、戒会に於いて仏戒を受けたことを示す...叢林に入る際の授戒について
にほんブログ村アクセスありがとうございます 先日は出張コンサルをありがとうございました。 おかげさまで、とても充実した楽しい1日になりました。 初めての出張コンサルは、たしか2016年。 とても緊張
現在日本では少子化が大きな社会問題として騒がれています。 簡単に言うと少子化→人口の縮小→経済の縮小→国家の衰退という筋です。 主に人口の縮小によって各種の公共サービスの財源が失われることだけが問題であるかのように事は矮小化されています。 逆にいえば「日本単体の出生率さえ回復出来れば、それだけで『解決出来得る問題』である」とボンヤリと捉えられているってことです。 本当の問題は、簡単に言うと「世界人口の不可逆的な縮小→世界文明の長期的停滞→人類そのものの衰退」です。 要は「もうこの地球上では人間は種としての大規模な発展は望めない」ってことなのです。 長期的に見てこの苦境を打開するためには2つの手…
あなたの色を光り輝かせるために あなたの色を輝かせる 人は…誰だって光り輝いていてそのときによって少しの変化はあるけれどみんな七色の輝きをもっていて… みんな七色の光を放っています あなたの光…邪魔されていませんか。 私の感覚になりますので全ての人にあてはまるということではありません。 あなたの色を光り輝かせるために 光をさえぎらない人に ミラー返しの気持ちをもつ 光華明彩の輝き 光をさえぎらない人に 人は…強くて弱い 弱くて強い やさしさと…裏 笑顔の…裏 いろんなものを 複雑に絡み合わせながら…生きています どこかからの逆恨み いわれのない念 あなたの隙間に入り込む 迷惑なもの…ありますよ…
5月12日牡牛座にて新月です。暗闇を切り裂いて一筋の光明が放たれるような朝日に重なる新月です。一羽の白い鳩が「希望」と言う名のオリーブの葉をくわえて横切って…
「心霊的能力は必ずしも霊的進化の指標とはならないのです」「人は身体的にはすでに進化の頂点に達しております。次は精神的進化と霊的進化です。長い年月をかけて徐々に全人類が自己の心霊的能力に目覚めていくことでしょう。が、ここで〝但し書き″が必要です。心霊的能力を発揮するようになることが必ずしも霊的進化の程度の指標とはならないということです。霊的身体の有する能力を全部発揮しても、魂そのものは少しも進化して...
一般的に、阿羅漢というと、いわゆる四向四果を得た聖者であり、或いは、部派仏教に於ける人間として到り付く最高位であるが、仏陀そのものではないという理解がされているかも知れない。まぁ、辞書的にはそう書いてある場合が多いが、この定義も色々な経論を詳細に見ていくと揺れが出てくるようだし、大乗仏教などでは全く違う解釈がされることもある。況んや曹洞宗の宗学に於いてをや。それで、今日は道元禅師『正法眼蔵』「阿羅漢」巻を学んでみたいと思う。最近、このブログでは仏教の軌範(戒律や清規)などについて論じていたはずなのに、何で急に?とか思われる方もおられると思うし、或いはそういうことなら、今日は「結夏」じゃ無いの?と思われる方もおられると思う。まず、「結夏」については、既に【結夏の上堂について】で論じたので、そちらをご覧いただければ...今日は5月15日なので『正法眼蔵』「阿羅漢」巻を学ぶ
自分に言葉をかけてあげることは、自分の存在を大切にしているという 「自分へのメッセージ」です。ところが、人は 得てして 自分を大切に扱うどころか、自己否定をするような言葉をなげかけたり、あるいは何も言葉をかけなかったりと、自分自身に温かい言
ここでいう所謂カミサマってのは何かと申しますと「これまで世界のどこかで人間によって崇め奉られてきた眼に見えない存在全般」を指します。 そのカミサマの所謂一つの正統性だの妥当性だのってモノには関係なくね。 今回に限らず私がカミサマって言う時はそういうモノのことを想定しているとお考えください。 簡単にいえば「時代や地域に関わらず誰かが神さまって呼んできた眼に見えない存在はとりあえず丸ごと全部カミサマという『ジャンル』に分類しますよ」ってことです。 世の中の多くの人々が想定するいわゆる神さまってのは人間に何らかの御利益を与える存在として認識されています。 ぶっちゃけた話「自分に何か得になることをして…
スピリチュアルな花 スピリチュアルフラワー 梅雨の季節…雨のなか輝く紫陽花にある不思議な力梅雨の風物詩「紫陽花」には幸運を招き魔を退ける力が宿っています。 スピリチュアルな花 霊力を秘めている紫陽花 あじさいにある波動 あじさい寺 幸運を招くおまじない(お守り) 夏至の日のおまじない 花びらのおまじない(お守り) 霊力を秘めている紫陽花 不思議な力 紫陽花 梅雨の6月にだけあるパワー あじさい…霊力が宿る花なんですよ 梅雨の季節って 邪気が多いんです あじさいには人にある邪気を 少しづつ浄化してくれる…力があります 気のバランスを整えてくれる そんな力です いつも何気なく目にしている あじさい…
「ローズンゲン『日々の聖句』」より、日々の聖書の言葉を紹介しています。聖書の言葉を中心に、生活に光が差し込むようでありたいです。
聖書に基づくイエス様の救いの証をお語り下さい。短くても結構です。
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目に見えて分野として、スピリチュアル×心理学を使って、健康になって幸せを目指せます。
成功への極意を伝えます。たったひとつの考動力で0〜無限を生み出す秘密を伝授し 人生が好循環に回り、自分軸であなたがあなたらしく生きていけます。
ここでは、「妖精」「妖精の森」「おとぎの國」についてのイメージを、共有し合います。どこかで見た絵夲やファンタジー小説、夢に出てきた世界など、何でも。 また、リアルに妖精の森のような未來を望む書き込みも大歓迎です。 但し、旧スピ的発想や、宗教の勧誘、政党政治の推進、メディアを鵜呑みにしたり恐怖を煽るような書き込みは、すべて却下します。
アフリカ出身の夫と国際結婚し、その生活の中で体験したり学んだり考えたりしています
「純粋な」哲学の話題であれば、何でもどうぞ。 宗教、スピリチュアル、ポエム、政治、社会問題は却下です。 科学哲学は認めます。 なお、オープンな議論を促進するため、コメント機能を有効にすることが望ましいです。
スピリチュアルに触れながらも、それに傾倒しない哲学・思想などを語ってください。 直接的なスピリチュアル批判の場合は、なるべく理性的にお願いします。 スピリチュアル的な考え方は好きだけどハマり過ぎるのは考えもの、という緩い準アンチの方も考えをお聞かせください。 スピリチュアルの構造の客観的な分析なども歓迎です。 みんなの理性を結集してスピリチュアルに対抗しましょう。 なお、オープンな議論を促すためにコメント機能を開放することが望ましいです。
自分を変えようとして苦しんでいる人は多くいます。実は自分を変えようとしていることが間違いなんです。そもそもそのそのままの自分で幸せに暮らすことができます。それができるならみんなそのままの自分で暮らしたいと思っていると思います。そんなそのままの自分で幸せに暮らすためのヒントを発信します。
「奇跡」を司るのが「神」 時間・空間・物質に「奇跡」が起きた。 生命は「奇跡」の連続 「大いなる意思」は「神の愛」 人間は皆、「神の子」です。