篤胤の天竺論(2)(拝啓 平田篤胤先生6)
前回の記事から、「篤胤の天竺論」として論じている。篤胤は、仏教の開祖である釈迦牟尼仏が活動したインド(天竺)のことを明らかにすることで、日本との差異を示し、当然に、仏教について宗教としての日本での有効性を示そうとしていると推定される。よって、篤胤なりのインド分析が語られたのである。さて漢土などよりは、またひとかさ広ひ所で東西南北中と五つにわけて、これを五天竺といふ。それを又細かに分つている。采覧異言に引く万国伝信記事に云く、西はペルシヤに界ひ、北は韃靼に連り、東は支那に至り、南は印度海に臨りとござる。偖其風土のことは阿蘭陀の方でくわしく考へ、よく見極めたる天文地理の説によりて見ると、天の度数でちやうど赤道線と云て、日輪の御通なさる道に近く、已にかの国近くの島々には、赤道の直下にあたる島々もある程のこと故、大の熱...篤胤の天竺論(2)(拝啓平田篤胤先生6)