正法眼蔵 海印三昧 3
釈尊が言われた。我々の体というものは、この現実の世界の中における様々な要素から出来上がったものである。道元禅師の注釈何かここにあると言う事は、現実の実態がそこにあると言う事でしかない。そしてそれがなくなると言う時点では、現実の何かがなくなっていく事に他ならない。※西嶋先生解説この事はどういうことを言っているかというと、普通われわれは自分というものが頭の中で考えられるから、頭の中で考えたものが自分だ...
2025/06/01 16:46
『第三仏性』第一段その3 仏性の覚知とは (本文・読解)
第一段その2 全宇宙は仏性きり 聞書抄現代語訳
『第三仏性』第一段その2 全宇宙は仏性きり 本文・読解
『第三仏性』第一段 すべては仏性 御聞書抄現代語訳
『第二摩訶般若波羅蜜』第六段 この身心は般若 聞書抄現代語訳
『第二摩訶般若波羅蜜』第二段 聞書抄現代語訳 一切は有るのでも無い無いのでも無い
『第二摩訶般若波羅蜜』第一段 すべては般若=仏智慧 聞書抄現代語訳
『第一現成公案』第十六段 聞書抄現代語訳 最終回
『第一現成公案』第十五段 聞書抄現代語訳
『第一現成公案』第十四段 聞書抄現代語訳
『第一現成公案』第十三段 聞書抄現代語訳
『第一現成公案』第十二段 聞書抄現代語訳
『第一現成公案』第十一段 聞書抄現代語訳
『第一現成公案』第十段 聞書抄現代語訳
『第一現成公案』第八段 聞書抄現代語訳
正3-2-1③『仏性』第二段その1③〔あの説くこと、行じること、証明すること、忘れることなども、そっくりそのまま仏性が現前する時節の因縁である〕
正3-1-14『第三仏性』第一段その14〔草木花葉実種はそれぞれみな仏性である〕
正3-1-7『第三仏性』第一段その7〔仏性は、無始無終のものでもない。この何物〈仏性〉がこのように現前しているからである〕
正3-1-8『第三仏性』第一段その8〔すべての存在と衆生と仏性は一つだから、衆生は仏性に逢いようがない〕
正3-1-8後半〔すべての存在と衆生と仏性は一つだから、衆生は仏性に逢いようがない〕
正3-1-11『第三仏性』第一段その11〔人は妄想分別を覚知と思っているが、そうではない〕
正3-1-12『第三仏性』第一段その12〔覚知は神経細胞の動きではない〕
正3-1-13『第三仏性』第一段その13〔仏性は必ずあるぞ、天地のありとあらゆるものはみな仏性であるから〕
S4-7-2〔古仏心とは、垣根・壁・瓦・小石だ〕『正法眼蔵第四身心学道』第七段その2(原文/私訳)
S4-7-2『正法眼蔵第四身心学道』第七段その2〔古仏心とは、垣根・壁・瓦・小石だ〕 (御抄私訳)(『正法眼蔵』独自解釈)
S3-4-3(『正法眼蔵第三仏性』第四段その3〔是も不是も仏性である〕 (御抄私訳)
S3-4-3〔是も不是も仏性である〕(『正法眼蔵第三仏性』第四段その3(本文/私訳)
S4-7-4〔何も知らなくても、発心すれば菩提の道に進むのである〕『正法眼蔵第四身心学道』第七段その4(原文/私訳)
3-4-1〔汝という誰もが仏性である〕(『正法眼蔵第三仏性』第四段その1(本文/私訳)
S4-7-1『正法眼蔵第四身心学道』第七段その1〔万物一つ一つがみな実相だから赤心片々である〕(御抄私訳)
〔尊者は端坐していただけである〕『正法眼蔵第三仏性』 第七段その5(本文・読解)
〔仏性は大にあらず小にあらず〕『正法眼蔵第三仏性』第七段その3(本文・読解)
(『正法眼蔵第三仏性』第七段〔龍樹尊者が自在身を現わす〕(聞書抄現代語訳)
〔龍樹尊者が自在身を現わす〕『正法眼蔵第三仏性』第七段(本文・読解)
『正法眼蔵第三仏性』第六段その2〔草木・森林・人物・身心・国土山河は無常であるからみな仏性である〕(聞書抄現代語訳)
〔草木・森林・人物・身心・国土山河は無常であるからみな仏性である〕第六段その2『正法眼蔵第三仏性』(本文・読解)
『正法眼蔵第三仏性』第六段〔無常は仏性〕(聞書抄現代語訳)
〔無常は仏性〕第六段『正法眼蔵第三仏性』(本文・読解)
『正法眼蔵第三仏性』第五段その3〔仏性に南北は無い〕(聞書抄現代語訳)
〔仏性に南北は無い〕 第五段その3『正法眼蔵第三仏性』(本文・読解)
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空腹で、お腹が「グー」と鳴った時、それは、身も心も大いに喜べる、大変有り難い至高の時。
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我欲を捨て去り、煩悩を滅し、悩み、苦しみの世界から脱する為の方法、その王道こそが、坐禅。
16日前
坐禅はする程に、続ける程に、自分自身の命、縁により繋がっているあらゆる存在の尊さ、恩恵が、色濃く感じられていく。
全ての存在に慈しみの心を持ち、愛せる人は、全ての存在から慈しみの心を持たれ、愛される人。
ありとあらゆる生きとし生けるものの幸せを願う事、それは、自分自身の幸せを願う事。
原始仏教から現代仏教に至るまで、代々実践され、受け継がれてきた、心を整える「止観(しかん)」。
為せば成る、為さねば成らぬ、何事も、成らぬは、己が為さぬなりけり。
欲の少ない人は、多くを求めたいと思う心が無く、名誉や利益にも執着せず、悩み、苦しみが生じない、仏の世界を生きる人。
一人の人が、ほんの一時でも坐禅をする無限の功徳は、全宇宙の諸仏が共に力を合わせても、推し量る事はできない。
いついかなる時も、目の前に現れた、ありとあらゆる出来事は、自分を磨く為の修行であり、本当の宝に気付く為の因縁。
自分に与えられた仕事は、今、できる時に、精一杯の力で取り組む。それが禅の教えであり、仏の生き方。
たった一人の少しの坐禅でも、その行いの功徳、因縁は、 全世界、全空間へ伝播し、それが人類を救う事になる。
愛語こそ、財が無くとも誰もができる布施であり、縁ある人々、周囲の人々を幸せにして、 自分も幸せになる方法。
周囲を支える人は、周囲から支えられ、周囲を喜ばせる人は、周囲から喜ばれ、周囲を愛する人は、周囲から愛される。
男女のご縁、因縁においても、身口意(行動、言葉、心)の行いが原因となり、それに応じた結果を引き寄せる。
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