道元禅師の注釈は続きます。三乗十二分教には沢山の内容がある。その中の一端をこれから述べてみよう。三乗とは(声聞乗・縁覚乗・菩薩乗)の三種類を言う。最初に出てくるのが声聞乗。声聞乗とはどういう仏道修行の方法かというと、理論を通して哲学的に仏教を勉強していく。その中心は四諦論になる。四つの考え方を基礎にして仏道を勉強し、真実を得る事に努力をする修行方法である。四諦とは何かというと、苦諦・集諦・滅諦・道...
道元禅師の注釈は続きます。ここで玄沙師備禅師が「すべて必要ない」と言っておられるけれどもこの言葉の意味は必要がない、使わないと言う意味ではないし、そんなものは要らない、破棄してしまえばいいという意味でもない。たとえば達磨大師が遥々とインドから中国に来られた正にその行いによって説かれた教えの趣旨とは、あらゆる抽象的な教えを必要としない様な厳然たる事実であったに他ならない。釈尊の教えの中に三乗十二分教...
三ちゃんのサンデーサンライズ。第475回。令和6年7月14日、日曜日。先週の続き。考えてみれば、老齢者というのは若者に身を奉げる献体のようなものではないかと思い至りました。以前青森の和尚さんがこんな話をされました。師匠、父親を自宅で看取った。今際の際に父親は自分を枕辺に呼んで、息絶え絶えにこう言った。「看病は、慈悲の、徳を、養う、最大の、修行なり」と。お前はよく看病してくれた、これは慈悲の徳を養うお前の修行だった。そのために、私はこの身を提供してきたのだ。ということだろう。私もわずかばかり父親の介護のまねごとをさせていただいた。父が、要介護状態にならず、元気なままコロリと逝ってしまっていたら今頃どんなに後悔していただろうかと思う。「父親は敵だ」とばかり思って、体に触るどころかまともに声もかけずに過ごしてき...サンデーサンライズ475身を施す
本日、5月29日に亡くなった弟の満中陰法要が行われた。2日早めに実施である。当初は出席の予定だったが、体調がよろしくないので遠出して途中で熱中症になっても困るので欠席した。兄弟は5人、1人亡くなって残りは4人、うち3人がダウン。一番下の妹だけが出席したようである。今日の法要では初盆も一緒にやったそうである。いい加減なものである。前に法要のあり方についたが、書いていなかったことがあったので、追記しておく。法要は忌日の前倒しはよいが、後になってはいけないのは、追善供養であるからである。忌日の審判までに前もって回向する功徳を用意しておかなければならないからである。しかし、追善供養なるものはどう考えてもおかしい。まあ、49日まではまだ生まれ変わりが終わっていないからという理屈も成り立つが生まれ変わってからも審判と...弟の満中陰法要
道元禅師の注釈は続きます。この僧侶の質問に対して玄沙師備禅師禅師が答えて言うには、「三乗十二分教と言う仏教哲学や仏教経典による教えはすべて必要がないと言う事が、達磨大師が遥々とインドから中国に渡られて来られたご趣旨である」と。この玄沙師備禅師の言葉は正に仏道の真実を説かれた言葉である。この様な釈尊の教えの真実を述べられた場面において、本当の意味の釈尊の教えが厳然として存在する事を学ぶべきである。玄...
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