ロシア人はプロだ。飲む前に脂モンをクチャクチャだー。馬鹿な僕は空きっ腹に酒やって「こめかみ」をグチャグチャにー。5針を一週間後の今日抜いてもらった。看護婦…
日曜日の各報道サイトの見出しは何処も彼処も、「息子を殺すために車に乗せて連れ出し殺害した」。だった。「エンパティ」やら「社会保障の精神」の周りを彷徨いていた…
山というものについて道元禅師の注釈は続きます。永嘉大師が「証道歌」の中で「無限に苦しみが続く原因となる様な行動を招かない事を願うならば、釈尊の教えを誹謗してはならない」と言われた。この言葉を皮・肉・骨・髄に銘記すべきである。肉体・精神・周りの世界の一切のものに銘記すべきである。この我々が住んでいる空間に銘記すべきである。この我々の生活を構成している物質の全てに銘記すべきである。樹や石のような自然に...
下敷き 1)独立行政法人経済産業研究所のアンケート調査(2018年)によれば、日本人の幸福感に与える影響力は、所得や学歴よりも「自己決定」ができるかどうかによ…
山というものについて道元禅師の注釈は続きます。人間が自分の世界に安住している場合でも、人間以外のものは、その安住に疑問を持つ事もあり疑問を持たない事もあるなど立場が違えば見方も違ったものになる。山が流れると言う言葉についても、常識的に考えてそんな筈はないという考え方ではなしに、釈尊以来代々伝えられてきた教えをしっかり身につけた人々について学ぶべきである。驚いたり疑ったりして、どうしていいかわからな...
心が楽になる在職中にすべき習慣~体を壊した時の上手な辞め方~「度一切苦厄」
般若心境経の中に「度一切苦厄(どいっさいくやく)」という言葉があります。意味を説明すると、あらゆる苦難を乗り越えて、自由自在の境地に到達する事。全てが「空」であると言う事。これでも分かりにくいですよね。「苦しみから逃げない事も大切」だという事。人生には必要な試練あると言う事。苦しみを乗り越えると、魂は磨かれ、心は輝きを増す。そして、さらなる高みに行ける。思いがけない苦しみに遭遇したら、逃げ道をつくらずに、あえてその厳しい道に進む事。立ち向かう事。それを超える事も人生だと言う事です。たた、現代人はそもそも「苦しみから逃げない事の方が多いです。」困難やトラブルから逃げるべき時に逃げない方が多い、その生き方は健康面から見て控えた方がいいです。困難が複雑化し、対応しきれなくなり、精神に負担がかかりすぎます。試練を...心が楽になる在職中にすべき習慣~体を壊した時の上手な辞め方~「度一切苦厄」
愚とは、霊明の心が、モノに蒙(おお)われ、昧(くら)まされて、いる状態である。それは、あたかも、鏡が塵やゴミに蔽われているように、鏡の本来の光明のはたらきを失うことはようになり、ただの、つまらない、物質となってしまう。人の本性もまた、鏡と同じように、本来光明であるが、それが、私欲の塵に蔽われて、是非善悪を知らず、正邪を明らかにする事が出来ない。故に是を愚と、言うのである。この愚の字は、修道の大障害である。そこで、聖人や哲人の書をよく読み、達人の教えを多く学ぶべきで、そうして、自らの心の光明が、もの(欲)に蒙(おお)われていて、その愚かな事を知れば、則ち、つとめて、智慧の明らかな者の、教えを受けて、これらの愚を取り除き。それによって、一盲、衆盲を引き(一人の盲人が多くの盲人を案内する、一人の愚者が他の多く...孚聖訓、愚道。
夏がやってきました。最近は日差しが強く、熱中症のニュースが飛び込んできます。こんな暑い日は、怖い話を聞くのが定番ですよね!ということで、夏にピッタリの怖い話をしたいと思います。ぜひ最後までご覧頂ければと思います。 目次1...
山というものについて道元禅師が注釈されます。山は過去とか現在とかという時間の区別を超越して、昔から偉大な聖人方が住んでいた場所である。賢人も聖人もいずれも山を自分の住みかとして生活してきた。山を自分の体とし心としてきた。賢人や聖人が山に住んでいたればこそ、その山は山としての価値を示し現実としての意味を持っていたのである。山には沢山の聖人や賢人が入り集まっているだろうと想像するけれども、実際に山に入...
「哲学・思想ブログ」 カテゴリー一覧(参加人数順)