こんにちは。 先日、ある言葉に強く心を動かされました。 「貨幣とは鋳造された自由である」 これは19世紀ロシアの文豪、ドストエフスキーの言葉です。一見すると難解なように感じるかもしれませんが、よくよく考えると、私たちの暮らしに深く関わる非常に本質的なことを語っています。 貨幣(お金)は、それ自体が自由の「かたち」なのだというのです。 お金は、単なる紙や金属ではありません。そこには、働いた時間や努力、知識や工夫が凝縮されています。そしてそれを持つことで、人は選択肢を得ることができます。住む場所を選ぶ自由、学ぶ内容を選ぶ自由、時間の使い方を自分で決める自由。お金があるからこそ、私たちは自分の意思で…
羅漢桂琛禅師が言われた。典坐和尚(寺院における炊事係)は、庫裡(台所)に入って食事の準備に余念がない。羅漢桂琛禅師言葉について道元禅師が注釈されます。寺院生活において、炊事係である僧侶が食事を作ろうと庫裡の中に入って行ったこの情景は、七仏(釈尊以前におられた六人の真実を得られた方々と釈尊とを言う)がおられた遥か以前の事柄であり、その事は永遠の意味を持った事柄である。この様な日常生活のきわめて...
人間は何のために生きるのか? ・・・こんな深刻な問を抱く前に、『禅』に出会ってしまった私。 修行中は無理会(むりえ・・・つまり無)に向かって、全力だった為か、このような問も浮かぶ前に刈り取ってしまっていて、考えたこともなかったっけ。 39歳のとき、修行を打ち切って渡欧したが、それまでしっかり仕込んでおいた禅・発酵菌をゆっくり寝かせ、熟成させるべく現地の生活に、仕事に勤しんだところ、65歳で定年退職する頃には少しは熟成していたのか、Chat-GPTという『AI』ほどではないにしても、問えばそれなりに応答する『HI(般若智)』機能を作動させている今日此の頃。 『人間は何のために生きるのか?』・・・…
雪峰義存禅師がたくさんの人々に説示して言われた。坐禅堂の前で皆さんといまお会いした、そしてそのお会いする事がすでに終わった。雪峰禅師の言葉について道元禅師が注釈されます。この状況を考えてみるならば、雪峰禅師ご自身の体全体が生き生きとした眼の玉になって、一切がありありと見えていた境地を言うのであり、雪峰義存禅師が雪峰禅師ご自身を覗き見ることのできた時期である。自分とは何かという事を知り得た時期を意味...
私の中では、『考えるな、漢字ろ』は遥かに昇華し、『考えるな、観じろ』となっている。 観自在にせよ、観世音菩薩にせよ、何を『観』じているのか? そのへんを探究するうちに、『予次元』観という、我ながら『蛇足』と思われる新造語を作ってしまった。それでなくとも、仏教や禅周りでは、ワケのわからん佛語で溢れているに…。 今年の2、3月と最も寒い新春に、我々夫婦は『奈良巡礼』をし、スイスに帰国し4月に友人を訪ねて首都のベルンへ行った際に、友人宅から近いということで、スイス出身の有名な画家パウル・クレー美術館を訪れた時に、それまでは感じたことのない違和感を強く感じたことを覚えている。 日本での『寺巡礼』の余韻…
雲門文偃禅師の言葉について道元禅師の注釈は続きます。と今ここに言う雲門禅師、過去七仏、達磨大師、大鑑禅師、我々の行動、我々の生命というものが、坐禅堂、仏殿、厨庫、三門と同じ光明だと仮に理解したとしても、その真実を得られた方々がいづれも一人一人の人間である事には変わりがない。その様な個々の人々であるから、個々の人々と言う言葉で表わされたものではなくて具体的な現実の人を意味するのである。この様な捉え方...
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