聖書に基づくイエス様の救いの証をお語り下さい。短くても結構です。
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文鮮明先生御言選集 20020611 - 第四十回「真の万物の日」記念礼拝の御言(No.3/3)
第1168回 天心苑特別徹夜精誠 (11/08) 参加中
文鮮明先生御言選集 20020611 - 第四十回「真の万物の日」記念礼拝の御言(No.2/3)
文鮮明先生御言選集 20020521 - 自由、家庭、信仰-21世紀のメディアの役割
文鮮明先生御言選集 20020521 - 神のみ旨からみたイエスの生涯と終末期の今日に対する神の警告
第1163回 天心苑特別徹夜精誠 (11/01) 参加中
文鮮明先生御言選集 20020521 - 摂理観から見た韓国、日本、アメリカの位置づけ
文鮮明先生御言選集 20020428 - 真のご父母様ご聖婚四十二周年記念日の御言(No.2/2)
第1158回 天心苑特別徹夜精誠 (10/25)参加中
「真のお母様の涙」(秋季大役事にて)
第1152回天心宛徹夜精誠(秋季孝情天寳特別大役事)参加中
幽体離脱経験後に続いた霊界との交信-証- -952回天心苑特別徹夜精誠
文鮮明先生御言選集 20020427 - 人類救済は真の家庭から
文鮮明先生御言選集 20020427 - 祝福家庭と理想世界
文鮮明先生御言選集 20020413 -- 第四十三回「真の父母の日」記念礼拝の御言(No.3/3)
「感情」を受け止めて…自分の「気持ち」に向き合うことで見えるもの
今日を存分に楽しめるようになる魔法の言葉💖今日のスピリチュアルメッセージ‼️
債務整理相談は本当に無料ですか?
f00 なんて暑い日なの
クレジットカード払いを滞納…任意整理は間に合う?
あなたは魂の繋がりって意識してる?💖今日のスピリチュアルメッセージ‼️
笑顔って素敵なんだよ!💖今日のスピリチュアルメッセージ!
お悩み相談の本質はエッセイである
債務整理診断チャートです
コイさんと不安そうに見つめ合う 〜第1池の水漏れに悩む〜
解決できない悩みと向き合う 「歳をとるのはこわいこと?」 一田憲子
今日は無欲になると良いことがおこる!?💖今日のスピリチュアルメッセージ‼️
ワクワクする事をやってみて!すごい事が起き始めるよ💖今日のスピリチュアルメッセージ‼️
「悩み中」
不安からは免れないのが人生
「本質的な意味で『たまたま』はこの世にはない」と思います。すべての事柄は因果応報で成り立っているからです。何らかの現象があるならば必ずそれに見合うだけの原因があります。逆に言えば結果の現れない原因なんて何処にもないということです。それがここでいうところの『因果応報』です。なので、因果応報というものはこの世の全てに遍くあります。ただ、一人の人間の中にスッポリ収まるとは限りません。 また一人の人間の中に収まっても特定の時間の中だけに分かりやすく収まるとは限らないのです。個人のスケールを遥かに飛び越えて原因に対する結果はやって来ます。それを私は『因果のツケ』って呼んできました。『因果のツケ』が何故起…
人間にとっての『善悪』というのは確かにあります。しかし、それはどこまでいっても人間の人間による人間のための「善いとか悪いとか」です。だから、善だの悪だのといったってどこかに普遍不動のモノとして独立して存在しているわけではありません。どこかっていうのは人間とは全く無関係な「どこか」ってことですけどね…善悪は普遍の真理などではないってことです。十人十色の人間によって用意された『物事を計るためのモノサシ』の一つに過ぎないのです。要はどこまで行っても相対的なモノだってことです。じゃあ、何故善悪というモノが考えだされ、必要とされてきたのか?それは「社会的な生き物としての人間を律するモラルとして」だと思い…
人は誰しも自分の見たいものを見たいように見ているものです。 「見たいものを見たいように見ている」とは「その人の見ている所謂『現実』というのが潜在意識やら先入観やらによって半ば無意識に集められた出来事の集積に過ぎない」ということです。 簡単にいえば、全ての人は自分仕様の色眼鏡でモノゴトを見ているということです。 人は誰しも個人的な経験を経て、その人独自の考え方を持つに至ります。 その人のかけてる色眼鏡はその人独自のモノだってことです。 人間は元々主観的な存在です。主観というものには大なり小なり偏りが存在します。その偏った主観がここでいう色眼鏡です。一人一人が見ている『世界』というモノはそれぞれに…
神社仏閣には故事来歴というものがあります。故事来歴とはいつどうしてそこに建立されて何という神が祀られているのかという風な話のことです。まぁ、簡単にいえばその宗教施設の歴史ですね。そういった故事来歴を元にして、「あっちの神社の神とこっちの神社の神は反目している」とか、「あっちのお寺とこっちのお寺はエネルギー的に繋がってる」とかおっしゃったりする人がいらっしゃいます。要は文字になって残っている歴史を主な情報源として、その場所の『エネルギー的な事情』を語られてるわけです。それを「100%見当はずれである」とまでは申しません。昔の人の言い伝えを軽視するのは良いことではないですしねぇ。しかし、実際にそこ…
生きるということは波乗りみたいなものです。 巡りゆく運の波に上手く乗れたり、乗り損なったりしながら進んでいきます。 感情の起伏、身体の好調不調など『自分にまつわる色んな波』が死ぬまで付いて回ります。大波小波乗り越えて、乗り越えながら凌いでいくしか道はありません。 「運命を拓く」とは出会いと選択を繰り返しながら、良い波が来るタイミングをスタンバイして待ち続けることです。 それには平衡感覚が必要です。先ほども申し上げたように、人生は波乗りですからねぇ。 いざという時の危機察知能力というのはごく普通の日常生活の中にある平衡感覚に支えられています。 つまり、平衡感覚を磨くことが『勘』を鋭くすることに通…
この世界は生きている人の想念エネルギーだけで成り立っているわけではなく、その他にも数限りないエネルギー体が存在します。 その中にはびっくりするほどエゲツないモノもいるのです。だから、ありふれた普通の人が、ちょっとした運命の綾で得体の知れない強烈なエネルギーに遭遇することだってあり得ます。少なくとも「そんなことはなあり得ない!」という保証は何処にもありません。すすんで霊的なことに関わっていれば尚更ね… なので、自己流・我流の『お祓い』とか『除霊』の如きものはくれぐれもなさらないでほしいのです。「自分のところからパパッと追っ払うような方法を」ということをですが… ましてや他人にそんな方法を勧めない…
2020年5月にライブドアブログ (『クリアー整体ヒーリング』です) からはてなブログに引っ越しましたが、すべての記事をそっくりそのままこちらへ移す予定はありません。 向こうでは10年あまり、ほとんど毎日更新して来ましたしねぇ、古い記事は朽ち果ててもいいかなって気がするのです。 とはいえ全部消えてなくなるのも惜しい気がします。復刻版と言いますか、古い記事の一部は手直しなどして、ぼちぼちとこちらへ上げてみたいなと考えております↓ 2016年3月の記事所謂一つのラップ音ていうのがあります。超自然的な原因によって家鳴りがしたりする現象です。 実際には本当に超自然的な原因かどうかは裏付けが取りにくいで…
ここでいうところの『呪詛』というのは「誰かに対してエネルギー的に眼に見えないカタチでネガティヴな影響を与えようとする方法または手段の全て」とお考えください。マジナイ・ノロイ・呪術・念送りなどと呼ばれる類いのモノもすべて含みます。 一般的に使われる呪詛という言葉の意味より随分範囲が広くなっていますが、他にピッタリ当てはまる言葉も中々無いのでそんな風に使わせてもらっておりますm(_ _)m世間一般でいう呪いの類いっていうのは「古くから行われていた呪術を伴うモノ」として認識されている気がします。丑の刻参りみたいな特殊でオドロオドロしい独特な儀式を伴うようなものとしてです。っていうかそういう『儀式あり…
人は魂があるからこの世にやって来ます。 魂がある者が肉体を纏ってやって来るのが誕生というものです。 『人間の生』は肉体と魂が結びついているが故に成り立っています。肉体という器に魂というエネルギーの塊が入って結びついている状態がこの世では一番安定して強いからです。 生きてる限り肉体と魂は互いに深く結び付いています。そして、肉体と魂が結び付いたところに心が生まれます。 肉体を得た魂が歳を経てこの世に馴染むと心を得るのです。魂が心を得るまでには大抵生まれてから3〜4年の歳月を要します。 魂>肉体>心という順番に人間という者は出来上がっていきます。所謂人間らしい心ってのは成長していく過程で生成されてい…
世の中には霊能力と呼ばれるような類いのモノがあります。 そういったチカラには大体二通りのパターンがあるように感じられます。 一つには人間が生き物として生まれながらに持っている所謂『第六感』です。 一般的には『勘』とか呼ばれるモノです。 それは例えば「(理由は分からないけど) 何だかこれ食べたら危ないぞ⁉︎」という感覚や「(特に何があったわけではないけど) この店何か良くないなぁ(ー ー;)」という感じのことです。生きるためにこの世の動物に遍く与えられた危機察知能力と申しましょうか… 勘ってのは選ばれた特別な人だけが持つ特殊能力などではないということです。それどころかどこにでも誰にでもある、もっ…
人間は「何やかや言っても自分がよく知っている『昨日までの世界』の延長線上を今も時代は進んでいると信じる人」と「否応なく新しい時間が既に始まってしまったと感じる人」とに大きく別れていく気がします。 というかもう新しい流れは始まっているのです…。最近になって益々この感覚は強くなっています。 これからもっと両極端に分かれていくのかも知れません…ならば、何故二極化していくのかといえばそれは心の居場所に起因していると感じます。 心の居場所によって波動のレベルも自ずから決まります。 所謂「朱に染まれば赤くなる」ということです。2014年に以上のようなことを述べました。それからも人の二極化、世界の二極化、は…
「すべての事象は最終的に『人間が論理的に理解でき得るモノ』として存在している」という考え方があります。 たとえ今分からなくてもいつかは必ず分かるモノだとね。 この「何でもわかって当たり前」という発想は「この世は予定調和の世界だとベーシックに捉えてること」を意味します。 ここでいう『予定調和の世界』というのは「何時でも何処でも誰にでも分かりやすくモノゴトの辻褄ってのは合うものだ」という素朴な信仰に基づいているのです。 別の言い方をするなら、それは森羅万象すべての物事に対して(ご自分にとっての)完璧な調和と整合性を求め続けている状態を指します。 またその答えを求められるものだと本気で信じているので…
スピリチュアルやら宗教やらに関係している人々の中には「自分たちが特別な使命を神とか宇宙人とかに与えられてる!」と本気で信じている方々がいらっしゃいます。人類とか地球とかの運命に関わる特別で壮大な『使命』とやらをです。でもね、その人の『使命』とやらが万が一「地球を救え!」みたいな壮大なものであったと仮定しても、その『使命』を果たすのに見合うだけのチカラが与えられているだけであり、そのチカラを使うのに見合うだけの『役目』を与えられているだけのことです。それ以上何ら特別な使命も権限も与えられはしないのです。 「ある種の選民思想を満足させるような特別感はどこにも無い」ってことです。 例えばの話、ある会…
2020年5月にライブドアブログ (『クリアー整体ヒーリング』です) からはてなブログに引っ越しましたが、すべての記事をそっくりそのままこちらへ移す予定はありません。 向こうでは10年あまり、ほとんど毎日更新して来ましたしねぇ、古い記事は朽ち果ててもいいかなって気がするのです。 とはいえ全部消えてなくなるのも惜しい気がしますので、古い記事の一部は手直しなどして、ぼちぼちとこちらへ上げてみたいなと考えております↓ 以前にこんなことを書きました。 例えばどんな強力な呪文であろうと無機質な単なる文字として置かれているだけの言葉はエネルギー的には眠っています。しかし、それを人が意思を持って声に出したり…
この世はどう転んだところで不確実性の世界です。 どこまで行っても不確かな状況の中で何とかかんとかバランスを取って生きていくしか道はないのです。 でも、不確かというのは同時に流動性であり、それは自由の源でもあります。 安定と自由は反比例するってことです。 或いは不安定と自由は比例するとも言えます。 なので、安定した状態を突き詰めると最終的には『思考停止』になります。 考えなければグラグラと迷う必要がないからです。 ここでいう思考停止とは簡単にいえば「盲信すること」です。 精神的にナニカに負んぶに抱っこの状態になるのです。 そのナニカとは特定のの思想・宗教とそれを象徴する人間・集団とかです。 不確…
人は魂があるからこの世にやって来ます。 魂がある者が肉体を纏ってやって来るのが誕生というものです。 『人間の生』は肉体と魂が結びついているが故に成り立っています。肉体という器に魂というエネルギーの塊が入って結びついている状態がこの世では一番安定して強いからです。 生きてる限り肉体と魂は互いに深く結び付いています。そして、肉体と魂が結び付いたところに心が生まれます。 肉体を得た魂が歳を経てこの世に馴染むと心を得るのです。魂が心を得るまでには大抵生まれてから3〜4年の歳月を要します。 魂>肉体>心という順番に人間という者は出来上がっていきます。所謂人間らしい心ってのは成長していく過程で生成されてい…
人生は絶え間ない出会いと選択の連続によって成り立っています。 出会いと選択があればそこには自ずから吉凶禍福が糾える縄の如く現れてきます。 それを人は運といいます。つまり、運とは人・モノ・場所との出会いとその際における選択から生まれるのです。 そうやって生まれた『運』が巨大なジグソーパズルのピースのように繋がっていきます。一見繋がって無いようなピースも何処かで繋がって一つの絵になるのです。それが所謂『運命』っていうやつなんだろうなと思います。 しかもそのパズルは一人の人間だけで完結するものではありません。人の一生という小さなパズルはもっとずっと巨大な世界というパズルのささやかなワンピースに過ぎな…
日々量産される自分自身に向けたネガティブな想念エネルギーというものは、年月を追うごとに膨大な数に上っていきます。そのエネルギーは数量に比例してチカラを増し、本来の主たる「顕在意識」を差し置いて本人の思考や行動をガッツリと支配しているのです。私はそれを自縛のエネルギーと呼んでいます。 自縛のエネルギーの始まりは大抵幼児期における人との関わりの中から生み出されます。まぁ、最初は母親か父親のどちらかである場合が非常に多いです。 親の言葉や行動によってトラウマが生まれ、そのトラウマを元に自縛のエネルギーが生まれていくってことがよくあります。親が子どもに与えてる影響は目に見える部分も大きいですが、目に見…
人生は絶え間ない出会いと選択の連続によって成り立っています。 出会いと選択があればそこには自ずから吉凶禍福が糾える縄の如く現れてきます。 それを人は運といいます。 つまり、運とは人・モノ・場所との出会いとその際における選択から生まれるのです。 そうやって生まれた『運』が巨大なジグソーパズルのピースのように繋がっていきます。一見繋がって無いようなピースも何処かで繋がって一つの絵になるのです。それが所謂『運命』っていうやつなんじゃないでしょうか。 日々刻々様々な場面で色んな『何か』を選び取ることで人の運命は紡がれます。 そうやって紡がれた『結果』が忘れた頃に目に見えるカタチでやって来るのがいわゆる…
個人的には何事にも競争原理と自然淘汰が付いて回るという進化論的な価値観にはずっと違和感があるんですよね…そもそも「この世界では何でもかんでも競争しなくちゃ生きていけないのだ!」ってのは本当に真実なんでしょうかねぇ?実は弱肉強食なんて、人類が見聞してきた『世界のカケラ』のそのまたほんの一部分に過ぎないんじゃないでしょうか。もっと簡単にいえば「競争原理ってのはこの世を貫く鉄の掟でも何でもないよな」ってことです。少なくとも個人的にはそう思ってます。そもそも生き物を種という『単位』で見たら「みんながみんな、そんなにシャカリキに競争なんてしてますかねぇ?」って疑問が湧くのです。例えばナマケモノみたいな生…
2020年5月にライブドアブログ (『クリアー整体ヒーリング』です) からはてなブログに引っ越しましたが、すべての記事をそっくりそのままこちらへ移す予定はありません。 向こうでは10年あまり、ほとんど毎日更新して来ましたしねぇ、古い記事は朽ち果ててもいいかなって気がするのです。 とはいえ全部消えてなくなるのも惜しい気がします。復刻版と言いますか、古い記事の一部は手直しなどして、ぼちぼちとこちらへ上げてみたいなと考えております↓ 2012年12月の記事 世の中には本当に色~んなエネルギーが存在します。 街に出れば携帯電話から出る電磁波だけでも物凄い数が飛び交って人の体もグサグサと突き抜けています…
ここでいうところの『ライン』というのは何らかのエネルギーの送受信を可能にするために仕掛けられた隠された装置のようなモノのことです。例えて言えば蟻の分泌するフェロモンみたいにA地点とB地点を眼に見えない道で結ぶようなモノなのです。 その眼に見えない道が一度結ばれるとそれを通じて色んなエネルギーがやって来るようになります。 そして、知らず知らずのうちに様々な影響を受けるのです。この『ライン』というのはこの世界の至る所に当たり前のように仕掛けられています。 実に多種多様なカタチの『ライン』が世の中にはあります。コードのようなものもあれば無線LANのようなものもあれば発信機 (盗聴器?) のようなもの…
森羅万象すべてのモノには波動があります。 波動があるというのは常に動いているということです。 だから、人の運命も相対的なモノです。 すべてのモノが常に動いてるのですから、そうならざるを得ません。 それは、世の中のモノはすべて相対的に出来ているってことでもあります。 それぞれの運命は常に絡み合い、影響を与え合いながら存在してるってことなのです。 なので、人と交わり、この世と交わることなくして運命は切り拓けないのです。 つまり、人の運は人・モノ・場所との出会いとその際における選択から生まれます。 そうやって生まれた一つの『運』が巨大なジグソーパズルのピースのように繋がっていきます。しかもそのパズル…
webの職業訓練校に約5ヶ月通った、りょうた(@waradeza)です。 失業中にWebクリエイターの資格を取得しました
【通りすがりの怪談】怪其之二十五 ~友人~
絶対関わるな! 怖いトモダチ
【通りすがりの怪談】怪其之二十四 〜躓き~
想像を絶する相続争い!現役の弁護士に聞く相続トラブル事例
【通りすがりの怪談】怪其之二十二 ~監獄~
ひとりでできる新刊チェック「ホラー小説、幻想文学」編/日本と海外、出版社、文庫本検索
呪物を相続した場合、それだけを相続放棄できる?限定承認や遺産協議の活用方法を紹介
【通りすがりの怪談】怪其之二十二 ~似顔絵~
【通りすがりの怪談】怪其之二十一 ~タトゥー~
バスの中の怖い話。あぁ勘違い。
”ちょっと皆さん、打たないでくださいよ”
【通りすがりの怪談】怪其之二十 ~通過~
【通りすがりの怪談】怪其之十九 ~輪廻~
【通りすがりの怪談】怪其之十八 ~案山子~
【通りすがりの怪談】怪其之十七 ~顔~
人間というのは本質的に無知な生き物です。 でも、知らない部分は何かで補わなきゃなりません。 その何かとは簡単にいえば想像力です。 ここでいう想像力とは知らないなら知らないなりに一生懸命察したり慮ったりしようとする心の働きのことです。 先ず自分の無知を皮膚感覚で知ることが想像力を養う第一歩です。 逆に知ったつもりになればなるほど想像力を失っていきます。 慮るチカラが弱いというのは心の視野が狭いということです。 人間心の視野が狭くなるほど周りのことなんて見えなくなります。 見えてるのは『自分』から見て半径3メートルくらいのマイワールドです。 そして、そのマイワールドこそ『世界』そのものだと勘違いし…
2020年5月にライブドアブログ (『クリアー整体ヒーリング』です) からはてなブログに引っ越しましたが、すべての記事をそっくりそのままこちらへ移す予定はありません。 向こうでは10年あまり、ほとんど毎日更新して来ましたしねぇ、古い記事は朽ち果ててもいいかなって気がするのです。 とはいえ全部消えてなくなるのも惜しい気がします。復刻版と言いますか、古い記事の一部は手直しなどして、ぼちぼちとこちらへ上げてみたいなと考えております↓ 前回パワーストーンについて書きました。キレイな石とかを装飾品として取り扱うことについては別に問題がないと思います。 ただ、そういった石みたいなものにオカルティックな『意…
人は誰しも自分の見たいものを見たいように見ているものです。 「見たいものを見たいように見ている」とは「その人の見ている所謂『現実』というのが潜在意識やら先入観やらによって半ば無意識に集められた出来事の集積に過ぎない」ということです。 簡単にいえば、全ての人は自分仕様の色眼鏡でモノゴトを見ているということです。 人は誰しも個人的な経験を経て、その人独自の考え方を持つに至ります。 その人のかけてる色眼鏡はその人独自のモノだってことです。 人間は元々主観的な存在です。主観というものには大なり小なり偏りが存在します。その偏った主観がここでいう色眼鏡です。一人一人が見ている『世界』というモノはそれぞれに…
自己啓発系やスピリチュアル系などで何か新しい価値観を強く推したいって時にこんなやり方をされる場合があります。例えば「常識に捉われなくていいよ! こんなやり方もあるよ!」って新しい生き方みたいなモノを示す。厳密にいえば新しげに見えるやり方かも知れませんが…そうして「コレってイカしてるよね!」みたいなことを言う。「でも、頭の硬い人は中々分かってもらえないんだけどね…」などと続ける。そうやって「その新しい価値観を否定する人はダサい」ってイメージの下地を作るわけです。先ずはここまでは第一段階。「もちろん色んな価値観があっていいし、新しい価値観に染まらないからといって悪いわけではない。」第二段階はそうや…
森羅万象すべてのモノには波動エネルギーがあります。 だから、当然言葉にも波動エネルギーがあるのです。今まで何度か申し上げてきた「呪をかける」という行為もまたその言葉のエネルギーを使っています。 要するに「呪」というのは「言葉」であって、「言葉」によってモノや概念を縛るのが「呪」ということなのである。言葉が呪いである ここでいう「しゅをかける」とは強い言葉で相手に衝撃を与え心に『隙間』を作り、そこに不安や恐怖を打ち込んで縛ることです。 心の隙間が空いたらそこに不安の種を打ち込んで芽が出るのを待つのです。或いはわざと芽が出るように仕向けていくのです。 不安や恐怖に駆られた人間ほど正常な判断力を失っ…
ここでいう所謂『悪魔の契約』というモノについて説明しておきます。 人外のモノに誘導され操られて何らかの現世利益(金儲けや立身出世、超自然的なチカラの取得など)と引き換えに人外のモノとギブアンドテイクの関係になることです。念のため申し上げれば、本当に『悪魔』なるモノと契約書を交わしてたりしているわけではありません。ていうかキリスト教などで偶像化されている所謂『サタン』と呼ばれるモノが実在しているとは個人的には思っていないです。亡くなったヒト、物の怪、オニ、式神、蟲、生き霊などのエネルギー体、それらエネルギー体の合体した得体の知れないモノなどが悪魔の契約の相手です。 ここでいう人外のモノというのは…
以下は2018年2月、流行り病が始まる大分前に書いた文章です。とはいえ、今こそ『この話』が要る時なんじゃないかとか思いまして、再掲いたします↓最近巷ではテクニカルに健康だけを手に入れられると信じている人が増えてる気がするのです。それが全部間違いとは申しません。ただ、人間はそんなにメカニカルな存在ではないのは確かです。研究所で実験用ラットを扱うようなやり方をしても中々『答え』にはいき当たらない気がしますけどね…ていうかそういうやり方が先鋭化するほど『答え』から遠ざかるんじゃないでしょうか?不健康な要素を機械的に削り取って健康になるための要素だけを選別して残そうとしてもどだい無理があるのです。それ…
この世はどう転んだところで不確実性の世界です。どこまで行っても不確かな状況の中で何とかかんとかバランスを取って生きていくしか道はないのです。 でも、不確かというのは同時に流動性であり、それは自由の源でもあります。 安定と自由は反比例するってことです。 或いは不安定と自由は比例するとも言えます。 なので、安定した状態を突き詰めると最終的には『思考停止』になります。 考えなければグラグラと迷う必要がないからです。 ここでいう思考停止とは簡単にいえば「盲信すること」です。 精神的にナニカに負んぶに抱っこの状態になるのです。 そのナニカとは特定のの思想・宗教とそれを象徴する人間・集団とかです。 不確か…
世の中の人の多くは「今の自分」の心の自由度についてあまり認識していません。 それについて考えてる人自体それほど多くないように感じます。多くの人は「自分の心なんだから基本的に丸ごと自分の顕在意識で以ってコントロール出来るようになってるはずだ!」と何とな〜くぼんやり信じてるんじゃないでしょうか?現実に何処までコントロール出来てるかどうかは別に、『構造』としてね… 人の心の動きというのは想像以上にその人のその時の顕在意識以外のものに操られていることが多いものです。 ここでいう顕在意識というのは現在なら現在時点でその人がハッキリと自分自身で認識出来て、しかも自由に変更可能な心の部分のことを指します。 …
当たり前ですが、植物も生き物です。心もあれば魂もあります。人間の持っている心や魂とは大分違うものですけどね。 「心がある」というのは植物が石ころみたいに何にも感じないわけではないということです。「魂がある」というのは無生物のようにエネルギー的に中身がガランドウではないということです。なので、植物にも個性があります。同じ種類だからといってコピーされたみたいに同質ではないのです。この「植物には個性がある」ってことを認識してる人は随分少数派なような気がします。多くの人々にとっては植物はどれも同じような物にしか見えていないのかも知れません。動物好きな人なら犬や猫でもみんなそれぞれ個性があることを皮膚感…
2020年5月にライブドアブログ (『クリアー整体ヒーリング』です) からはてなブログに引っ越しましたが、すべての記事をそっくりそのままこちらへ移す予定はありません。 向こうでは10年あまり、ほとんど毎日更新して来ましたしねぇ、古い記事は朽ち果ててもいいかなって気がするのです。 とはいえ全部消えてなくなるのも惜しい気がします。復刻版と言いますか、古い記事の一部は手直しなどして、ぼちぼちとこちらへ上げてみたいなと考えております↓ 名古屋へ行ったので新幹線から見た『景色』について久しぶりに少し書いてみようと思います。『景色』といっても波動的に感じたモノで肉眼で見てるわけじゃありません。 例によって…
世の中には自分の機嫌を自分で取れない人ってのが結構いらっしゃいます。 そういう人は自分の機嫌を他人に取らせるのが日常的になっているようです。 自分の機嫌を他人に取らせるのが日常的になっているというのは、一つにはたとえば会社の上司と部下のような上下のハッキリした関係性の中で、下の者に「オレの気分を悪くさせるなよ!」みたいなプレッシャーを意識的にかけていくってことがあるでしょう。 マウンティングの一種でもあります。 もう一つは何かといえばすぐ怒るとか感情に振り回されて、ちゃんとコントロールできない人の場合です。 簡単にいえば精神が幼稚で、自制心が足りてない状態にあるということです。 前者は意識的、…
今の世の中にはテクニカルにチョチョイのチョイで心や身体を支配出来ると信じている人々が大勢いらっしゃいます。 『インスタント』大好きと申しますか…ここでいう『インスタント』とは何時でも何処でも何にでも単純明快な答えを求めようとする心の持ちようのことです。テレビのお笑い番組で例えればシチュエーションなんて関係なく「とにかく出てきて3秒でドカンと笑わせなくちゃダメなんだよ!」みたいな感じのね…一言でいえば何よりも『手っ取り早いこと』を最優先させる発想です。 スピード感と臨機応変さが命みたいなね…で、そうなると『あやふやさ』や『回りくどさ』をヒドく嫌うようになります。単純明快さが第一なんですよね。 料…
人は誰しも自分の見たいものを見たいように見ているものです。 「見たいものを見たいように見ている」とは「その人の見ている所謂『現実』というのが潜在意識やら先入観やらによって半ば無意識に集められた出来事の集積に過ぎない」ということです。 その人好みに取捨選択されコーディネートされない『事実』は何処にもないということなのです。簡単に言えば「見方が歪めば見ている世界もそれに連れて歪む」ってことです。そして、見ている世界の歪みが恒常化すればするほど「これこそが真実そのものなのだ!」と本気で考え出すのです。 この世の中で朱に交わって朱くならない人は一人もいません。 どんなに精神的な強さを持っていようとも、…
人間というのは本質的に無知な生き物です。ちょっと脳みそが大きいからといって何でもかんでも分かるわけがないのです。ただ、分からなけりゃ分からない部分を何かで補わなきゃなりません。そうしなくちゃ先へ進めないからです。その何かとは簡単にいえば想像力です。 ここでいう想像力とは「知らないなら知らないなりに一生懸命察したり慮ったりしようとする心の働き」のことです。先ず自分の無知を皮膚感覚で知ることが想像力を養う第一歩です。人間何となく知ってるつもりになってることが多いので。その為には俯瞰する心の眼が必要になります。何であれ対象とくっつき過ぎると見えにくいものです。少し離せば全体が見やすくなります。その見…
「所謂『守護霊』といわれるような存在が本当にいるのか?」といえば「まぁ、いるんだろうな」とは思っています。 基本生まれた時から亡くなるまで同じ一人のヒトが守護しているみたいです。 その多くは血縁のご先祖でしょうが、それも絶対ではありません。 ただ、守っている人との間に何らかの強い縁があるのは確かでしょう。 ただ、守るといってもべったりと密着しているわけではありません。 ましてや子離れしない過干渉の親のように見えないチカラみたいなのを使って何処かに呼んだり、何かをさせたりする者ではないのです。経験上人間のやることにあれやこれやと細かく指図してくるのは9分9厘物の怪などの人外のモノの仕業だろうと考…
波動のレベルの高いモノはフワッと軽くてスカッと明るく、波動のレベルの低いモノはドヨヨ~ンと重くてジトッと暗いのです。 別の言葉で言えば波動のレベルの高いモノは穏やかで温かく、波動のレベルの低いモノは荒々しく冷たいのです。 波動のレベルが高い人ほど『まっ、いっかぁ度』が上がるという話をこれまで何度か書いてきました。ここでいう『まっ、いっかぁ度』が上がるというのは物事に対する強い執着が弱まって「まっ、いいかぁ!」とその執着を手放せるような『素直な心』の状態に近付いていくことです。言い方を変えればコダワリからの自由度が上がるということです。 「これしかない!」って『鎖で繋がれた場所』から心が解放され…
2019年8月を最後に中断しておりました東京&神奈川の講習会ですが今回再開できる運びとなりました! 実に丸3年ぶりとなる関東での講習会です。 講習会の頃には少しは涼しくなってるかと思いますので、宜しければご参加くださいm(_ _)m ご存知のように世情色んなことがありすぎて、皆さんも講習会どころではないだろうと感じておりましたが、もうそろそろ良いんじゃないかなと勝手に判断させていただきました。 スカイプ通話などでの個人講習はこれまでも行ってきましたが、 久しぶりに講習会というカタチでヒーリングをお教えいたします。 講習会についての参考資料 ヒーリング講習会のご感想をいただきました! : 『クリ…
2020年5月にライブドアブログ (『クリアー整体ヒーリング』です) からはてなブログに引っ越しましたが、すべての記事をそっくりそのままこちらへ移す予定はありません。 向こうでは10年あまり、ほとんど毎日更新して来ましたしねぇ、古い記事は朽ち果ててもいいかなって気がするのです。 とはいえ全部消えてなくなるのも惜しい気がします。復刻版と言いますか、古い記事の一部は手直しなどして、ぼちぼちとこちらへ上げてみたいなと考えております↓ 以前こんなことを書きました。 昔の自分の経験談です。 サラリーマンをしていた最後の頃、私は心も身体も確実に『病んで』おりました。尾籠な話で申し訳ありませんがその当時は慢…
例えば『現実に犯罪が多発しているのを事実として認識すること』と『現実に多発しているのだから犯罪はあって当たり前と思うこと』は全く違う話です。 実際に犯罪はあるけど、あくまでもないのが理想の姿であり、そこに向かって努力しているのが『現実』です。 置き換えると『現実に競争が自分を含めて人間社会に存在しているのを単に認識すること』と『実際競争があるのだから競争社会のエゲツない部分もあって当然なんだよ!と思うこと』は全然違う話だということです。 つまり、『現実に存在することを「そんなこともあるんだな~」と単に事実として認識すること』と『その現実を自分の心の奥まで入れ込んで「そうだ!そうだ!その通りだ!…
一人暮らしで宅配クリーニング『リネット』を体験。利用した感想をブログにまとめます。プレミアム会員になったほうが初回割引や段ボールも無料になり、結果的にお得になりました。
一人暮らしで野菜宅配『ロスヘル』の「わくわくロス野菜Sパック」を注文。規格外野菜をお得にGETできます。良い点や悪い点、味や見た目の感想も含めてブログにまとめます。宅配サービスを取り入れて自炊を効率化させましょう。
2020年5月にライブドアブログ (『クリアー整体ヒーリング』です) からはてなブログに引っ越しましたが、すべての記事をそっくりそのままこちらへ移す予定はありません。 向こうでは10年あまり、ほとんど毎日更新して来ましたしねぇ、古い記事は朽ち果ててもいいかなって気がするのです。 とはいえ全部消えてなくなるのも惜しい気がします。復刻版と言いますか、古い記事の一部は手直しなどして、ぼちぼちとこちらへ上げてみたいなと考えております↓ 2017年12月の記事 「人間の想念の塊のようなんですが明らかに普通の想念エネルギーとは毛色が違うモノがこの世には存在する」ということに或る時気付きました。 それは「世…
人間というのは本質的に無知な生き物です。 人間ごときが何でも分かるわけがないのですから当たり前です。 でも、知らない部分は何かで補わなきゃなりません。その何かとは簡単にいえば想像力です。 ここでいう想像力とは知らないなら知らないなりに一生懸命察したり慮ったりしようとする心の働きのことです。先ず自分の無知を皮膚感覚で知ることが想像力を養う第一歩です。逆に知ったつもりになればなるほど想像力を失っていきます。想像力とは自分の無知を知ることから始まるからです。 慮るチカラが弱いというのは心の視野が狭いということです。心の視野の狭さとは人間に本来備わった平衡感覚によって感じられるはずの感覚が十分感じられ…
以下は例によって例のごとく独断と妄想のお話です。眉によく唾つけてご覧いただければ幸いですm(_ _)m魂は「やるべきこと」があるからわざわざこの世界にやって来ています。前世でやり残した宿題のようなモノをやるために人はこの世にやって来ているのです。それが所謂輪廻転生することの理由です。とはいえ厳密にいえば「人は生まれ変わらない」と個人的には思っています。じゃあ、死んだらそれで終わりかといえばそうではなくて、大元の大きな魂に人生の『記録』として帰っていくのではないでしょうか?一人分の魂が生まれて死んで生まれて死んでを延々と繰り返す所謂『輪廻転生』はないってことです。そうではなくて、誕生する時は新し…
聖書に基づくイエス様の救いの証をお語り下さい。短くても結構です。
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目に見えて分野として、スピリチュアル×心理学を使って、健康になって幸せを目指せます。
成功への極意を伝えます。たったひとつの考動力で0〜無限を生み出す秘密を伝授し 人生が好循環に回り、自分軸であなたがあなたらしく生きていけます。
ここでは、「妖精」「妖精の森」「おとぎの國」についてのイメージを、共有し合います。どこかで見た絵夲やファンタジー小説、夢に出てきた世界など、何でも。 また、リアルに妖精の森のような未來を望む書き込みも大歓迎です。 但し、旧スピ的発想や、宗教の勧誘、政党政治の推進、メディアを鵜呑みにしたり恐怖を煽るような書き込みは、すべて却下します。
アフリカ出身の夫と国際結婚し、その生活の中で体験したり学んだり考えたりしています
「純粋な」哲学の話題であれば、何でもどうぞ。 宗教、スピリチュアル、ポエム、政治、社会問題は却下です。 科学哲学は認めます。 なお、オープンな議論を促進するため、コメント機能を有効にすることが望ましいです。
スピリチュアルに触れながらも、それに傾倒しない哲学・思想などを語ってください。 直接的なスピリチュアル批判の場合は、なるべく理性的にお願いします。 スピリチュアル的な考え方は好きだけどハマり過ぎるのは考えもの、という緩い準アンチの方も考えをお聞かせください。 スピリチュアルの構造の客観的な分析なども歓迎です。 みんなの理性を結集してスピリチュアルに対抗しましょう。 なお、オープンな議論を促すためにコメント機能を開放することが望ましいです。
自分を変えようとして苦しんでいる人は多くいます。実は自分を変えようとしていることが間違いなんです。そもそもそのそのままの自分で幸せに暮らすことができます。それができるならみんなそのままの自分で暮らしたいと思っていると思います。そんなそのままの自分で幸せに暮らすためのヒントを発信します。
「奇跡」を司るのが「神」 時間・空間・物質に「奇跡」が起きた。 生命は「奇跡」の連続 「大いなる意思」は「神の愛」 人間は皆、「神の子」です。