尼僧(女性修行者)の言葉。本当の事を言うと「仏教の目的とは何か?」ブッダの弟子(女性・男性・阿羅漢)の最終修行到達点。
今回は、ブッダの弟子の最終修行到達点とは何か?というお話です。 引用元 尼僧の告白 岩波文庫 中村元訳 p18 四七 天界と人間界とのもろもろの欲望を、すべて断ちました。迷いの生存を繰り返すことは、消滅しました。いまや迷いの生存を再び受けることはないのです。 他のウッタマー...
文明が発展していくことは、自然の流れで、様々な面で生活が快適になれば、人類全体としての幸福度が増すものだと心のどこかで思っていた節があります。しかし、一向に人類全体でも幸福にならないし、自分個人でも幸福にならない。 そこで、道具の発展によって生活が快適になってもそれは外側のことなので、幸福を感じる肝心かなめの心の問題が置き去りにされているということに思い…
発表会の係の仕事でアンケートを集めていました。 締め切りが近づいてもまだ出してない人がいたので、提出をお願いしました。 病棟での私は特に役職についておらず、一介の職員で、普段はナチュラルに人と接しています。 この時はアンケートを集める係だったので、「まだ出してもらってないので、出してもらえますか」と口にしてお願いしました。 そうすると自動的に自分の中に人…
ヤマト ですから、清浄道論から一度離れて、純粋に初期仏教に立ち返って検討してみる必要があります。 ところで、釈尊の教えには三種の禅定があり、 それは「有尋有伺定・無尋有伺定・無尋無伺定」で瞑想の段階を示し、心の集中状態(サマディ)や思念・想念の細かさによって分類されています。 言葉の意味は、 ・尋(じん ):大まかに思考を働かせ、対象に向かう心の動きのこと。 ・伺(し) :細かく考察し、対象を深く熟考・観察する心の動きのこと。 特に「初禅」は有尋有伺定であり、対象に心を向け(尋)、深く観察している(伺)状態で、まだ言葉による思考や分析が残っているとされます。 つまり、初禅はヴィパッサナー瞑想に…
あなたの発言職場では苦手な人と出会うことがあります。環境というものが自分にとっての学びの場、ある種の人生の課題をして存在するとしたらならば、苦手な人と会うということ、それを克服すること、または克服とまでいかなくても適当にあしらえるようなることなどには、どのような意味や価値がありますか。Copilotの発言 直樹さんの問いは、まさに「人間関係を…
はじめに かつて、わたしが属していたお寺では、法華経やブッダ、そして教義についての講習会が定期的に開かれていました。 講習会で語られていたことを思い返してみると、怒りはどこから生まれるのか、苦しみの原因は何か、欲に振り回されないためには、こころをどう扱えばよいのか。 そういったテーマの内容は筋が通っていて、もちろん法華経をはじめ経典にもその根拠がありました。 ただ、その話にはいつも同じ見えない前置きが敷かれていました。 今回は、ブッダの言葉を受け取る人々について、考察してみます。 講習会にあった前置き 前置きとはなんでしょうか。 講習会にあった人々の内側の様子を辿ってみま
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