chevron_left

「哲学・思想」カテゴリーを選択しなおす

cancel

伝統的日本仏教を見直そう

help
伝統的日本仏教を見直そう
テーマ名
伝統的日本仏教を見直そう
テーマの詳細
伝統的日本仏教について、肯定的な内容であれば何でもOKでございます。日本で江戸時代以前に存在しなかった宗派・新宗教についての内容や、日本仏教について批判的な記事は、投稿をご遠慮くださいませ。
テーマ投稿数
1,729件
参加メンバー
55人

伝統的日本仏教を見直そうの記事

2021年01月 (1件〜50件)

  • #メッセージ
  • #神様
  • 2021/01/31 06:44
    坊さん自虐ネタ連載開始(拝啓 平田篤胤先生0)

    まぁ、相も変わらず現在の日本仏教の僧侶に対する批判は、凄まじいものがある。しかし、よくよく考えてみると、例えば僧侶がインドでの戒律の守り方を革命的に変更して、もう性行為して子供作ろうと、金儲けして良い車に乗りこなそうと、これを「教義」として決めたとすれば、こういった僧侶の所業を非難することは「信教の自由」に反するような気がするのは拙僧だけだろうか・・・現状としては、一方で「授戒会」や「葬儀(葬儀も一種の授戒会)」を通して、戒律の存在を思わせといて、それなのに守っていないという「現実と理想の乖離」みたいなのが気に入らないのかも知れないが、そんな細かなことまで知っている一般人はごく少数。だったら、日本の仏教宗派は、戒律無くした方が話が早そうだ・・・って、拙僧が言うまでもなく浄土真宗とか日蓮宗とか、そんな宗派ばっかり...坊さん自虐ネタ連載開始(拝啓平田篤胤先生0)

  • 2021/01/30 08:11
    第十三条・禅行条(『僧尼令』を学ぶ・13)

    連載は13回目となる。『養老律令』に収録されている『僧尼令』の本文を見ているが、『僧尼令』は全27条あって、1条ごとに見ていくこととした。まずは、訓読文を挙げて、その後に拙僧なりの解説を付してみたい。なお、『令義解』の江戸期版本(塙保己一校訂本・寛政12年[1800]刊行、全10巻で『僧尼令』は巻2に所収)も合わせて見ていきたい。凡そ僧尼、禅行修道有りて、意に寂に静ならむことを楽い、俗に交らずして、山居を求めて服餌せむと欲はば、三綱連署せよ。在京は、僧綱、玄蕃に経れよ。在外は、三綱国郡に経れよ。実に勘へて並に録して官に申して、判りて下せ。山居の隸けらむ所の国郡、毎に在る山知れ。別に他処に向ふること得ざれ。『日本思想大系3』219頁を参照して、訓読は拙僧以前、【第五条・非寺院条(『僧尼令』を学ぶ・5)】で見た通り...第十三条・禅行条(『僧尼令』を学ぶ・13)

  • 2021/01/29 10:23
    戒定慧(其の六)(指月慧印禅師『荒田随筆』参究23)

    江戸時代の洞門が輩出した学僧・指月慧印禅師の主著である『荒田随筆』を学ぶ連載記事であるが、今は「戒定慧」という一章を学んでいる。早速、本文を見ておきたい。或は謂く、絶言離相の理は、是れ真諦にして真と為す。名言字句は唯だ俗諦にして而も施設の権道なりと。之を以て軌と為し非有非無の両楹に対揚す。遂に真俗の名固く分れて而も義も亦条然として各おの一方に拠に、夫れ是の如くにして而も二理尽せりと言んか。凡そ仏の言う所は、則ち猶お言にして而も言に非ず。若そ離を言を聞て謂て以て離と為は、則ち離も亦た俗なるのみ。蓋し離を言う所以は、彼の攀附して見を起し我を執し遂に邪網に入るを愍てなり。而を復た其の言に泥むは、弥いよ救ふべからず。夫れ真俗は、字にして而も以て諦の義有るを示なり。苟くも義両つながら諦と為ことを知る。其れ見亡す。其れ之の...戒定慧(其の六)(指月慧印禅師『荒田随筆』参究23)

  • 2021/01/28 09:35
    マルティン・ルター『九十五箇条の提題』を学ぶ・18

    ドイツ宗教改革の発端にもなったとされるマルティン・ルターの『九十五箇条の提題』の日本語訳を学んでいく連載記事である。連載18回目である。18煉獄にある魂が功績を持つこと、愛が増し加わる状態にないことは、理性によっても聖書によっても証明されていない。深井氏下掲同著・18頁「煉獄」について、【前回の記事】で論じたのでご覧いただければと思うが、要は「煉獄」にある魂について、どのような状態であるのか、ルターは証明されていない、ということになるだろう。つまり、煉獄にある者の「魂」に対して、現世の宗教権力者であるローマ教皇によって、何らかの許しを与えたり、逆に罰を与えることもまた出来ない、ということになるようだ。確かに「煉獄」という、或る種の中間的状態は把握が難しく、『聖書』にも出て来ない。そのため、キリスト教の主要教派に...マルティン・ルター『九十五箇条の提題』を学ぶ・18

  • 2021/01/27 11:06
    近代曹洞宗教団に於ける教師分限制度について

    現在の曹洞宗の教師分限制度は、明治時代以降の『宗制』にて定められたものである。無論、江戸時代にも僧侶の分限は存在していたようだけれども、いわゆる「教師資格」としてあったわけでは無い。それでは、その教師資格について、近代以降の『宗制』では、どのように定めたのだろうか。まずは、最初に制定された明治18年『宗制』から見てみたい。なお、最初の『宗制』は、全11号の次第であるが、「第七号」が「曹洞宗僧侶教師分限称号並試験規則」となっており、現在の「曹洞宗僧侶教師分限規定」に相当している。それから、教師分限に関連する記述を抜き出すと、以下の通りである。分限第一得度第二入衆第三立身〈已上を教師補位とす〉第四伝法第五住職第六転衣第七結制〈伝法以下を全て教師位とす〉名称第一上座第二長老第三和尚第四大和尚第一條それで、通常は、この...近代曹洞宗教団に於ける教師分限制度について

  • 2021/01/26 07:41
    今日は高祖降誕会(令和3年度版)

    今日は曹洞宗の高祖・永平道元禅師(1200~1253)の誕生日に当たるとされ、宗派内では「高祖降誕会」と呼ばれている。なお、この日になった経緯だが、以下の通りである。江戸時代に大本山永平寺35世・版橈晃全禅師(1627~1693)は貞享2年(1685)に著した『僧譜冠字韻類』巻88で、道元禅師の御生誕が「正治二年庚申正月初二日」であると示した。その後、面山瑞方禅師などもこの見解を踏襲し、曹洞宗内で一般的な見解となった。そこで、永平寺、及び永平寺東京出張所では道元禅師御生誕700回の記念法要を、明治32年(1899)年2月11日に行った。そして、翌33年1月1日、曹洞宗務局(後の曹洞宗宗務庁)は旧暦1月2日を新暦1月26日と改めて高祖降誕会を定め、現代まで続いているのである。拙僧、これまでの記事で両祖の降誕会につ...今日は高祖降誕会(令和3年度版)

  • 2021/01/25 12:15
    沙弥の分類について(備忘録)

    曹洞宗の場合、正式な僧階などからいっても沙弥が存在しないので、この辺はとても漠然としていると思う。よって、備忘録的に、沙弥にも色々な種類があるということで、記事にしておきたい。沙弥に三品有り、一つには七歳より十三に至る、名づけて駆烏沙弥と為す。二つには十四より十九に至る、是を応法沙弥と名づく。三つには二十より上み七十に至る、是を名字沙弥と名づく。是の三品、皆な沙弥と名づく。『摩訶僧祇律』巻29「雑誦跋渠法之七」このように、『律』の段階で、三種類の沙弥が指摘されている。なお、内容は年齢で分けられており、7~13歳が駆烏沙弥といって、その辺に来た鳥(烏)を追い払うという最低限の仕事さえ出来れば、教団にいて良いと認められた者だとされている。この件について、例えば、以下のような定義が知られている。諸比丘、既に二りの小児...沙弥の分類について(備忘録)

  • 2021/01/24 11:18
    道元禅師に見る公案・話頭と只管打坐について

    道元禅師の教えを頂戴していると、いわゆる『永平清規』などの、明確な清規以外にも、様々な軌範的な文脈が存在する。例えば、以下の一節なども、軌範として理解されているかもしれない。示云、学道の最要は坐禅是第一なり。大宋の人多く得道する事、皆坐禅の力なり。一文不通にて無才愚鈍の人も、坐禅を専らにすれば、多年の久学聡明の人にも勝れて出来する。然、学人祗管打坐して他を管ずる事なかれ。仏祖の道はただ坐禅なり。他事に順ずべからず。弉問て云、打坐と看話とならべて是を学するに、語録公案等を見には、百千に一ついささか心得られざるかと覚る事も出来る。坐禅は其ほどの事もなし。然どもなほ坐禅を好むべきか。示云、公案話頭を見て聊か知覚あるやうなりとも、其は仏祖の道にとほざかる因縁なり。無所得、無所悟にして端坐して時を移さば、即祖道なるべし。...道元禅師に見る公案・話頭と只管打坐について

  • 2021/01/23 10:20
    瑩山禅師撰『總持寺十箇条之亀鏡』についての参究

    今回は、曹洞宗の太祖・瑩山紹瑾禅師撰と伝わる『總持寺十箇条之亀鏡』を参究しておきたい。本文書は、現在であれば『曹洞宗全書』「宗源(下)」巻に収録されているため、容易に見ることが出来るけれども、読んでみると色々と思うところが出てくる。よって、まずは本文全体を訓読の上、各条文を学んでみたい。当寺開山十箇條之亀鏡①一当寺は依る檀越無く、托鉢をもって住持を勤めんと欲す。然るに、皇の情けに依りて勅願所と為す。故に、予の嗣法門人、尽未来際、当山を以て本寺と為し、輪次の住持を勤めて、宝祚の長久を祈り奉るべき事。②一当寺は吾が宗第三の刹なりと雖も、勅許に依りて出世の道場と為る。伝法の門人等、向後に於いて当寺の規矩を守るべき事。③一当寺は元是れ教院なりと雖も、定賢律師の請に依りて、教を革め禅と作す。故に定賢律師をもって開基と為す...瑩山禅師撰『總持寺十箇条之亀鏡』についての参究

  • 2021/01/22 06:33
    今更「戒名」の件でガタガタ騒いでもな・・・

    とりあえず、以下の一節をご覧いただきたい。戒名が今後どうなるか、どうするか、大に今から考へて置く必要がある。戒名は漢字でかく事になつて居るが、漢字といふものは段々と制限される傾向にある。この日本の言葉の趨勢に対して如何に善処するか。戒名には多くの差等をつけてゐる。院号とか居士号とか信士号とかと階級がついてゐる。これに対する知識階級の反感は段々と加はりつつある。これをどう善処するか。戒名の差等を排してしまうか。上に統一するか、下に統一するか。戒名には改善の余地が無いか、古人が考げたままで宜しいか、時勢が変つてゐるのであるから改善することが必要なのではないか。永久岳水先生『禅門住職行持学全集第十二巻戒名の知識と戒名の字鑑』鴻盟社・昭和27年、74頁まずは、上記に引用した文献の発行年を見ていただきたい。昭和27年(1...今更「戒名」の件でガタガタ騒いでもな・・・

  • ブログみる【ブログみる】アプリでブログを見る! - GRANDE VIOLA HIROSHIMA!!!〜偉大な紫〜
  • 2021/01/21 09:27
    仏教徒が過ちを犯してしまったら・・・

    少し面白い文脈を見出したので、学んでみたい。伝に曰く、過れば則ち改むるに憚ること勿れ。本より則ち罪を悔やしめれば、清浄なり。本の如くにして異なること無し。『宋高僧伝』巻25「唐京兆大興善寺守素伝」仏教徒が、もし過ちを犯した時には、どうすれば良いかを端的に示した一節である。このように、罪を悔いれば清浄となり、元の状態になると示している。さて、ここでいう「過れば則ち改むるに憚ること勿れ」には、典拠があることは良く知られたことだろう。この部分の典拠は孔子の『論語』である。忠信を主とし、己に如かざる者を友とすること無かれ、過ちては則ち改むるに憚ること勿れ。「学而」篇以上である。確かに、曹洞宗的には、道元禅師が三教一致批判をしているので、この辺の言葉をどう評価すべきか迷うかもしれないが、道元禅師は一方で、原理原則として批...仏教徒が過ちを犯してしまったら・・・

  • 2021/01/20 12:18
    菩薩沙弥と菩薩比丘について

    先日、【解脱房貞慶『南都叡山戒勝劣事』と『正法眼蔵』「受戒」巻について】という記事を書いたが、その際に気になった言葉がある。それは、「菩薩比丘」である。要するに、比丘ではあるが、菩薩戒も受けている者を指す。一方で、同じような概念で、「菩薩沙弥」もあるはずで、今日はその辺、菩薩戒関係の文献で、どのような定義をされているかを見ておきたいと思うのである。それで、まず、「菩薩沙弥」については、『妙法蓮華経』「化城喩品」に3箇所ほど出ており、「十六菩薩沙弥」とある。要は、16人の菩薩沙弥がいた、という話になるのだろうが、残念ながら意味や定義は書かれておらず、これ以上は不明。そして、他の文献などでも多くを見ることが出来ない。参考までに、日本曹洞宗関係の文献だと、天童如浄禅師と道元禅師との問答で、以下の一節が知られている。堂...菩薩沙弥と菩薩比丘について

  • 2021/01/19 08:41
    寺院の承継と企業の承継

    先日、このような記事を目にした。・大戸屋問題で考える事業承継計画書不測の事態に備えて早めの策定を(ツギノジダイ)この記事では、いわゆる「ファミリービジネス」とその承継についての問題点が指摘されている。ファミリービジネスというのは、余り良くない印象の言葉に直すと「同族経営」ということになるようだ。それで、この記事に注目したのは、当然に現代の日本仏教寺院の多くが、「ファミリービジネス」になってしまっているからである。もちろん、「本来の仏教は……」という議論があることは承知しているが、それをここでいってもどうしようもあるまい。そういう人は、どうぞ「ファミリービジネス」になっていない仏教寺院が存在しているので、そういうところの信者になれば良いと思う。それに、そういう議論をしたがる人は、拙寺にとって直接の関係が無い。当然...寺院の承継と企業の承継

  • 2021/01/18 10:34
    大乗仏教の菩薩戒を学んでみて思うこと

    備忘録的な記事である。拙僧自身、関わっていたプロジェクトの関係で、ここ数年、曹洞宗の戒について学んできた。曹洞宗の戒とは、道元禅師が名付けたように「仏祖正伝菩薩戒」といい、「菩薩戒(或いは仏戒)」であり、いわゆるの「声聞戒」ではない。「声聞戒」というのは、『四分律』などの各部派で伝えた『律』にて示されている戒本(波羅提木叉)を指す。もちろん、声聞という呼称自体、大乗仏教側からの呼び方であるから、「声聞戒」とは自称ではない。ただ、そうでも呼ばないと、菩薩戒との比較が出来ないので、そう呼ばせて貰っている。それで、拙僧自身が「菩薩戒」を改めて学んでみて思った感想とは、やはり「開遮持犯」についても学ばないとダメだということ。これは、「声聞戒」についても、「経分別」までしっかりと学んでみれば、どのような場面で制定された「...大乗仏教の菩薩戒を学んでみて思うこと

  • 2021/01/17 11:08
    面山瑞方禅師『傘松日記』に見られる道元禅師の御袈裟について

    江戸時代に面山瑞方禅師が当時の永平寺貫首・大虚喝玄禅師に招かれて拝登した際の記録が『傘松日記』である。面山禅師が当代随一の学僧であったことは間違いないが、大虚禅師もまた、特に宗門の戒学について第一人者であった。そのため、お二人の議論などは、後代の我々にとっても非常に益となる。今日は、その一つとして、以下の一節を見ておきたい。二十四日、方丈に上って喫粥し、退く。〈中略〉粥後、方丈従り命有り、「威儀を具えて、来られたし」と。余、即ち盥薫して衣を整えて、上る。即ち命じて侍者を室外に出だし、戸を闔づ。預め拝席一枚を展べ、罏を装う。即ち黒漆の筐を開き、法衣を出だし、「是れ乃ち吾が祖、昔著ける所の大衣なり。袱子、福井城主の祖母・長松院瑞嶺玄祥大姉の施す所の其の様、古風にして、今の世に無き所なり」と。法衣、象鼻の九条。其の地...面山瑞方禅師『傘松日記』に見られる道元禅師の御袈裟について

  • #仏教
  • 2021/01/16 12:06
    「四十八軽戒略頌」について

    拙僧の手元に、『〈密宗必須〉三聚戒本』という冊子があって、内容は『梵網経』『瑜伽戒本』『根本説一切有部戒経』の3種の戒本を収録したもので、「密宗必須」とある通り、日本の真言宗で用いたものである。そこで、その中に、「四十八軽戒略頌」というのが収録されていた。今日はその「偈頌」を見ておきたい。四十八軽戒略頌前の三十戒は摂善法なり。末の十八戒は摂衆生なり。是を梵網後二戒と名づく。原典に随って訓読以上である。これは、『梵網経』の「四十八軽戒」について、前後に区分し、更にその意義付けを行ったものである。それで、この「略頌」であるが、典拠は新羅・義寂による『菩薩戒本疏』巻下之本に「又四十八中、前の三十戒、多く摂善と為す。後の十八戒、多く利生と為すなり」とあることに由来するようである。そこで、「四十八軽戒」を前三十、後十八に...「四十八軽戒略頌」について

  • 2021/01/15 08:49
    坊主が高級車に乗るのは破戒なのか?

    世俗では、僧侶が乗るべき乗用車の金額を決めているらしい。「3ナンバー」がダメだとか、外車だとダメだとか、そして、乗っている乗用車の値段で、僧侶の素質まで決めているらしい。しかも、高級車を乗り回すような坊主は最悪だそうだ。一方で、安い車を乗り潰すような者は良いらしい・・・しかし、拙僧こういう話を聞くと、こうも考えてしまえるのではないか?と思う。高級車を乗る方⇒それだけ多くの方からお布施を頂く有能な僧侶なのでしょう。安い車を乗る方⇒まともな布教も出来ず信者もいない無能な僧侶なのでしょう。どうだろうか?如上の「評価」や「意味付け」も可能ではないか。こういう風にいうと、多くの人から多くの布施を頂くのなら、それをより自動車などに使わずに社会のために還元するのが「正しい宗教者」です、なんていう話まで聞こえてきそうだが、それ...坊主が高級車に乗るのは破戒なのか?

  • 2021/01/14 07:50
    面山瑞方禅師『傘松日記』に見える禅戒思想(3)

    本書に対する解題などは、徐々に記事を遡っていただければ良いと思うので、まずは【(2)】をご覧いただき、更にその記事から(1)にも行っていただければ良いと思う。そこで、とりあえず今回検討したい一節を紹介したい。因みに室中伝来の戒壇式一巻を拝見す。末に代代の主人、各各伝授の名署・朱印・華押有り。実に希有の法宝なり。又、広福大智禅師新(親か?)筆本を以て写すの本有り。又、別に古本一巻有り。之に因んで、余の従来護持する所の本を以て、禅師之を余と読挍・考正・朱削し全を得。歓喜余り有り。即時に焼香礼拝し、古法宝を拝するの恩に謝す。『傘松日記』、『続曹全』「法語」巻・451頁下段、訓読は拙僧まず、室中伝来の『戒壇式』という表現について、注意を要する。室中伝来というのはこの時、永平寺方丈の室中に伝来されたことを意味し、その中に...面山瑞方禅師『傘松日記』に見える禅戒思想(3)

  • 2021/01/13 09:15
    『塗毒鼓』に見える「無相心地戒」について

    拙僧の手元には、藤田玄路居士編『塗毒鼓(ずどっく)』(藤田家蔵版・大正5年初版、昭和8年第15版)があるのだが、この本は臨済宗諸派に於ける参禅学道の際に用いるもの、という説明を見たことがある。それで、本書には「無相心地戒」が入っていて、今回の記事はその一章に対する雑感である。まず、同文は、以下のような構成を含んでいる。不殺生戒自性霊妙於常住之法不生断滅之見これを見て、洞門の拙僧としては、万仭道坦禅師『仏祖正伝禅戒本義』中に見える『嵩嶽達磨大師戒文(または『達磨大師一心戒文』)』に該当することが分かる。この辺は、『塗毒鼓』所収の「無相心地戒」自体の伝来が分からないので、何ともいえないが、ウチの宗派でも切紙などで伝わっているものと共通。ただし、実際の位置付けは不明となる。そういえば、本書について以下のような見解を見...『塗毒鼓』に見える「無相心地戒」について

  • 2021/01/12 06:42
    面山瑞方禅師が読まれた『伝光録』

    拙僧自身は、今回ようやく気付いたが、おそらく、関連する研究を行う研究者には知られていたのだろうと思う。それは、表題の通りで、江戸時代の学僧・面山瑞方禅師(1683~1769)が、瑩山紹瑾禅師(1264~1325)御提唱『伝光録』を読んでいたことが確認されたことである。まずは、以下の一節をご覧いただきたい。人ノ事ハ禮拜ノ事ナリ、其ノ母ノ夢ノ事ハ傳弘録に出ズ、面山禅師提唱『天童如浄禅師行録聞解』、『続曹全』「注解三」巻・191頁下段なお、『続曹全』の本文では、「弘」の脇に「(光カ)」と出ている。要するに、『伝光録』ではないか?と提起しているのである。そもそも、如浄禅師の史伝を収録する文献は多くなく、しかも『伝弘録』などという文献は管見の限り存在せず、その意味では「音」の関係で、『伝光録』と理解するのが最も合理的であ...面山瑞方禅師が読まれた『伝光録』

  • 2021/01/11 06:56
    今日は成人の日(令和3年度版)

    今日1月11日は「成人の日」である。まずは、成人になられた皆さんに、心からの祝意を申し上げる。今年は、昨年から続く新型コロナウィルス感染症の影響で、成人式を取り止める地域も多いと側聞する。たいがい、成人式はついでに同窓会にもなり易いのではあるが、今年は中々難しいことだろう。ところで、「成人の日」とは、「おとなになったことを自覚し,みずから生抜こうとする青年を祝い励ます」ことを趣旨としている。「自覚」に「みずから生き抜く」といった表現からは、確立された自己によって自ら生きることを目指させる日でもあるといえようか。また、「成人式」の起源などについては、【成人式の起源に関する雑考(成人の日・平成30年度版)】をご覧いただければ良いと思う。それで、拙僧自身も成人の初心に戻るべく、毎年この日は、「成人」に因む学びをしてい...今日は成人の日(令和3年度版)

  • 2021/01/10 05:35
    「菩薩戒」に冠せられた「仏祖正伝」という言葉について

    以前も、【『仏祖正伝菩薩戒作法』の特徴について(仏教系3500本目の記事)】という記事を書いたことがあるのだが、拙僧的に良く分からないのは、ここでいう「仏祖正伝」という語句について、典拠が不明ということである。宗門の場合、「仏祖正伝」という語句は、道元禅師が「菩薩戒」に付けて表現されることが多かった。比丘戒をうけざる祖師かくのごとくあれども、この仏祖正伝菩薩戒うけざる祖師、いまだあらず、必ず受持するなり。『正法眼蔵』「受戒」巻このように、「仏祖正伝菩薩戒」という表現が見られ、また、天童如浄禅師から受けた作法は『仏祖正伝菩薩戒作法』とされ、これらに「仏祖正伝」と見える。更には、道元禅師が如浄禅師から受けた口訣とされる『宝慶記』には、以下の一節も見られる。薬山の高沙弥は、比丘の具足戒を受けざりしも、また、仏祖正伝の...「菩薩戒」に冠せられた「仏祖正伝」という言葉について

  • 2021/01/09 09:56
    1月9日 とんちの日(令和3年度版)

    今日1月9日は、語呂合わせ(1月9日⇒一・九⇒一休)から室町時代の禅僧・一休宗純禅師(1394~1481)に因み、「とんちの日」とされる。実際に、一休禅師は風狂の禅僧であり、勿論、頓知(とんち)も効いた人であったと思うのだが、現代にまでイメージされる頓知の問答に長けた人というのは、室町時代後期から作られ始め、江戸時代以降に人気となった『一休噺』などの説話集に依拠したもので、史実上の話と決められるものは少ない。ということで、今日見ていく話も史実ではないと思うが、一休禅師の「とんち」を楽しんでみたい。○一休石火問答の事白川の辺りにいと江師に才なる男有しが、千本まで来て、いや是よりむらさき野一休の庵に尋ね見参し、一問答せばやとをもひ来りしが、一休折ふし火打を取て火を打て居給ふに、かの者これさいはいと、いかに和尚、その...1月9日とんちの日(令和3年度版)

  • 2021/01/08 08:53
    三聚浄戒と四弘誓願の関係について

    とりあえず以下の一節をご覧いただきたい。菩薩四弘誓願文の、衆生無辺誓願度は摂衆生戒なり。煩悩無尽誓願断は摂律儀戒なり。法門無量誓願学は摂善法戒なり。上の三聚三誓を満足して、仏道無上誓願成なり。梅指禅師『授戒会式』、『続曹全』「禅戒」巻・393頁上段以前、【宗門十六条戒の淵源に関する一考察(2)】という記事で見たように、中国天台宗で成立した授戒作法中には、三聚浄戒・四弘誓願の両方ともが見られることは理解しているが、あくまでも授戒の作法中に別個に授けられるものであった。その点、上記は両者を組み合わせ、会通させているので、興味深いわけである。なお、どういう風に組み合わせているかというと、まず四弘誓願を挙げつつ、1句目は衆生についての教えであるから、三聚浄戒の「第三摂衆生戒」としている。人々を皆救うという考えである。続...三聚浄戒と四弘誓願の関係について

  • 2021/01/07 08:33
    人日の節句(令和3年度版)

    今日1月7日は、「人日の節句」である。なお、この節句の名前の由来や世間で行われた経緯などは、【節句としての「人日」について】をご覧いただければと思う。そこで、今日は例年の通り、これまでの祖師方が詠まれた人日の偈頌を参究しておきたい。人日立春又た泉石に烟霞の涌くに逢い、可衆心を悦ばし老涯を慰む。雞旦雞行竹葉生じ、狗朝狗走梅花落ちる。猪遊び未だ著かず祖翁の鎧、羊壮将に牽くべし穉子の車。牛吼えて馬嘶く天靄靄、立春と人日と共に交加す。『鷹峯卍山和尚広録』巻40、『曹全』「語録二」巻・773頁上段、訓読は拙僧具体的な年数は不明ながら、この年は人日(旧暦1月7日)が立春だったらしい。そこで、江戸時代の学僧・卍山道白禅師は、このように詠まれている。庭にある泉石に、霞が涌いており、修行僧達の心を悦ばせ、老境に至った卍山禅師自身...人日の節句(令和3年度版)

  • 2021/01/06 10:11
    「建長五年正月六日書于永平寺」について(令和3年度版)

    今日1月6日は、道元禅師にとって、実質的な絶筆となった『正法眼蔵』「八大人覚」巻を学ぶこととしている(実際には、「三時業」巻関係で、ちょっとややこしい事情があるが、ここでは擱く)。理由は、同巻の奥書に「建長五年正月六日書于永平寺」とあって、建長5年(1253)の1月6日に、永平寺で書かれたことが分かるためである。もちろん、これは旧暦の日付だから、現代的には2月にはなってしまうのだが、やはり「1月6日」を尊んで、拙ブログでは毎年、この日に「八大人覚」巻を学ぶことにしているのである。ところで、この建長5年1月6日という日付に思うこととしては、道元禅師は前年の10月頃に発病され、11月頃には『永平広録』巻1~7に収録されている上堂も終了されており、その後は療養されていたと思われる。そこで、以前【道元禅師の隠居所の話】...「建長五年正月六日書于永平寺」について(令和3年度版)

  • 2021/01/05 11:21
    解脱房貞慶『南都叡山戒勝劣事』と『正法眼蔵』「受戒」巻について

    解脱房貞慶(1155~1213)は、南都の戒律復興運動を行ったことで知られ、後に法相宗の大本山となった興福寺内に持戒実践の道場を作ったことでも知られている。その著作の1つとされるものに、『南都叡山戒勝劣事〈又云法相天台両宗戒勝劣事〉』がある。そこで、今回は『日本大蔵経』巻13「戒律宗章疏2」に収録されている同論から、気になったことを簡単に採り上げてみたい。夫れ戒の根源を尋ぬるに、凡そ菩薩の修する所の六波羅蜜に於いて、戒波羅蜜中に三種の不同有り。一つは、摂律儀戒。謂わく、正に応に遠離すべき所の法を遠離す。二つは、摂善法戒。謂わく、正に応に修証すべき所の法を修証す。三つは、饒益衆生戒。謂わく、正に応に一切の有情を利益す。其の中、第一摂律儀戒は、声聞・菩薩、大乗・小乗共に受くる戒なり。此の律儀戒を以て或は具足戒と名づ...解脱房貞慶『南都叡山戒勝劣事』と『正法眼蔵』「受戒」巻について

  • 2021/01/04 06:18
    瑩山紹瑾禅師の戒体論について

    曹洞宗の太祖・瑩山紹瑾禅師(1264~1325)については、その自伝などを含む文書を集めた『洞谷記』が残り、近年ようやく研究も進みつつある。それで、その記録から最近の拙ブログでの関心事である「戒律」に関する議論が見られるので、採り上げてみたい。有る時、渓侍者に問うて曰く、「戒体、如何が会せん」。渓云く、「不識」。師曰く、「金剛正体は如何」。渓云く、「不壊なるが故に」。師曰く、「已に無相の戒徳を会す、善く須く護持すべし」。『洞谷記』このようにある。なお、この「渓侍者」という人であるが、生没年などは不詳ながら、同じ『洞谷記』からは、後に都寺などにもなり、瑩山禅師から伝戒された一人ともなった「祖渓(或いは素渓)」という人だったとされている。なお、伝戒の場面は以下のように示されている。正中二年〈乙丑〉七月廿八、渓都寺、...瑩山紹瑾禅師の戒体論について

  • 2021/01/03 08:27
    当山の鎮守神の話

    拙寺は、宮城県栗原市内に所在するのだが、以前から当山の鎮守神について気になっていた。いや、回向帳には普通に「白山妙理大権現」と書かれてはいるものの、山内に白山権現を祀る伽藍等は無いし、意味が分からなかったのである。それで、ちょっと調べてみた。繰り返しになるが、山内の伽藍としては観音堂が、本堂や庫裏とは別に設置されているが、その内部にあるのは観音像(清水寺からの御分霊という伝承がある子安観音)と、観音堂を建てる際の寄進者の位牌くらいである。本堂を見てみても、当山は本尊が観音菩薩なのだが、その左右後方(【後戸の護法神】参照)に達磨尊者や招宝七郎大権修利菩薩が安置されており、また、別格として不動明王の古像がある。しかし、これらは鎮守神ではない。今回調べたところ、拙寺には古い回向帳(『早朝大回向』文久2年[1862]8...当山の鎮守神の話

  • 2021/01/02 07:10
    洞門寺院に於ける年始行持について

    令和3年も2日目となる。今年は、新型コロナ禍の関係で、例年通りの過ごし方が出来ないため、外出が著しく減った関係で、季節感がほとんど無い。日付を見て年始を知るようなものである。ということで、せめてこういう記事でもって年始を知りたいものである。ところで、タイトルの通り、洞門寺院に於ける年始の行持について見ていくと、道元禅師の場合は『永平広録』に於いて、「新年の上堂」が行われていることは理解できるが、それ以上の行持は不明。一方で、曹洞宗で始めて体系化された「年中行事」を記録した瑩山紹瑾禅師の『瑩山清規』を見てみると、以下の通りである。・粥時必五味粥・歎仏如常・粥次点茶行礼・次恒例上堂・祝聖修正(三朝)以上である。この段階で、後の年分行持に見られる内容が調っていることが分かる。それで、改めて江戸時代の面山瑞方禅師『洞上...洞門寺院に於ける年始行持について

  • 2021/01/01 07:03
    新年明けましておめでとうございます(令和3年度版)

    皆さま、新年明けましておめでとうございます。今年も、ブログ:つらつら日暮らしのことを、よろしくお願いいたします。令和3年辛丑の「新春」でございます。何故、「新春」と表現するかといえば、旧暦では、1~3月が春の季節でしたので、元旦は、同時に新たな「春」の幕開けでもあったのです。今は、立春の時期が2月頭にずれてしまいましたので、言葉だけが残った格好です。さて、旧年中は、拙ブログ「つらつら日暮らし」、及び、「つらつら日暮らしWiki〈曹洞宗関連用語集〉」をご愛顧いただきましてありがとうございました。拙ブログとしては、新型コロナ禍の中、毎日の職務も色々とありましたが、何とか1年間、平穏無事に運営できましたことは、ひとえに読者の皆様のおかげでございます。そして、御礼を申し上げながら恐縮ではございますが、本年もよろしくお願...新年明けましておめでとうございます(令和3年度版)

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用