聖書に基づくイエス様の救いの証をお語り下さい。短くても結構です。
カルマとは何?カルマの法則とは?②~単純な法則でありながら、少し複雑なカルマの解消~
カルマとは何?カルマの法則とは?
「SNS疲れの脳内ストレスの原因と対策」
良い気分の重要性「なので、良い気分なのです」
私たちは地球ゲームに参加しているキャラクターでした
「繋がるのは本当の自分」の本当の理由
e53 自然の摂理なのか
地球ゲームの操縦席が入れ替わりました
地球ゲーム・プレイヤーとキャラクターの関係性
地球ゲームクリアは突然に訪れました
気分悪くなるのになんでわざわざそれを考えちゃうのか?
操られるように人生が上手くいく!「今ここ」スタンス
私は地球ゲームのプレイヤーでした
祈りの力
超簡単引き寄せの仕組み
12/14(土)18:30~22:00 「東京ワーク参加募集」(夜間開催)
#Glimpse #Uprightness 【Monologue by Awakening 7】
マインドフルネスと生産性|クリアな思考と安心感、持続可能な働き方
心理士とフォロワー|心理士にフォロワーが大切な理由
#ヒーリングの次元とカルマ 【11/16(土) 東京ワーク ~所感と解説~】
【ありのままの自分とは?】について考えてみた。「ありのまま」って何??
50代、後悔しない生き方を考えるきっかけ
登山でマインドフルネスになる。
感情コントロールのテクニック:イライラを抑えて心穏やかに過ごす方法
マインドフルネスは偏りのない生き方を教えてくれる
騎手のスマホ不適切使用に思うこと
次女、瞑想をする
フロー状態がもたらす幸福を考える|マインドフルネスとの関連
8番出口が売れた理由
今日は立冬の日ー冬の始まり
平田篤胤先生(1776~1843)の『出定笑語』についての連載であるが、今日も本文を見ていきたい。それで、一から十まで全部採り上げるのは、分量的に難しいので、拙僧が読んでいて気になった点を中心に見ていくことにしたい。今日は、いよいよ仏教批判に入ろうとする篤胤が、まずインドという国・風土について論じたのである。偖まづ天竺の国は誰も知ての通り、御国からは漢土を隔てヽ西の方に有国で、すなはち西洋人の五大州と名づけたる、其第一の亜細亜と立たる州の内でござる。さて其国がらのことは、世のおと人どもは何か結構な国の様に心得違ひをして居るけれども、実はもろこしよりもまた余程わるい国でござる。然るを坊主どものそれをよざまにとりなして云ふは、どうしたことじやと云ふに、これはちやうど漢学者の何もかも漢土がよいと贔屓すると同じ事で、自...篤胤の天竺論(1)(拝啓平田篤胤先生5)
江戸時代の洞門が輩出した学僧・指月慧印禅師の主著である『荒田随筆』を学ぶ連載記事であるが、前回から「諦縁度」章を学んでいる。この「諦縁度」章だが、最初、意味するところを測り損ねていたのだが、要するに、四諦・十二縁起・六度という三乗の実践体系などを述べたものであろう。だとすれば、道元禅師の『正法眼蔵』「仏教」巻の説示などを、脇に置いて考える必要があるのかもしれない。ただ、それは実際の本文を見ながら検討していきたい。是の諸苦を約するに、唯だ三苦と為す。謂く、是の苦質にして復更に苦に逢を苦苦と為す。楽に会て楽の壊するを壊苦と為す。陰聚の世に於て流遷して常無を行苦と為す。苦は何に由か成る邪。是れ彼集自り成れり。集とは往時の惑業なり。一切有漏の事、後有を招て相続せしむるを名て集と為すなり。集は因、苦は果なり。是唯一物時異...諦縁度(其の二)(指月慧印禅師『荒田随筆』参究28)
連載は18回目となる。『養老律令』に収録されている『僧尼令』の本文を見ているが、『僧尼令』は全27条あって、1条ごとに見ていくこととした。まずは、訓読文を挙げて、その後に拙僧なりの解説を付してみたい。なお、『令義解』の江戸期版本(塙保己一校訂本・寛政12年[1800]刊行、全10巻で『僧尼令』は巻2に所収)も合わせて見ていきたい。凡そ僧尼、私に園宅財物を畜え、及び興販出息することを得ざれ。『令義解』11丁裏を参照して、訓読は拙僧非常に短い一条ではあるが、中身は大事なことを言っている。また、この条文からだけでは、罰則の規定が見当たらないことにも注目しておきたい。意味であるが、およそ僧尼たる者は、個人的に田園や住宅、財物などを蓄えてはならないということである。なお、「興販出息」は、これまで拙僧が見たことの無い表現な...第十八条・不得私蓄条(『僧尼令』を学ぶ・18)
戒と智慧の関係というと、一般的には戒定慧の三学という関係性で考えられるところだが、意外と古そうな教えの中に、この三学に依拠しない関係性を見出したため、紹介がてら学んでみたい。仏言く、「善き哉、善き哉、汝の説く所の如し。戒有れば則ち慧有り、慧有れば則ち戒有り。戒、能く慧を浄め、慧、能く戒を浄む。種徳よ、人の手を洗うが如し。左右、相い須う。左、能く右を浄め、右、能く左を浄む。此れ亦た是の如し。慧有れば則ち戒有り、戒有れば則ち慧有り。戒、能く慧を浄め、慧、能く戒を浄む。婆羅門よ、戒、慧、具うる者、我れ比丘と名づくると説く」。『長阿含経』巻15「第三分種徳経第三」、訓読は拙僧まず、この「種徳経」についてだが、種徳という名前の婆羅門に対して、世尊が教えを説いたもの、となっている。上記一節の文脈は、種徳婆羅門の問いとして、...戒と智慧の関係について
『像法決疑経』(『大正蔵』巻85所収)という経典がある。中国成立の偽経ともされているけれども、解題などを読むと、中国天台宗などで早くから引用されるなどしているので、その辺、扱いは難しい。とはいえ、以前から拙ブログで申し上げているように、「偽経(又は疑経)」というのは、その制作された時代の仏教観や、製作者の願望などが投影される可能性があるため、中々興味深いのである。そこで、今日の記事である。以下の一節をご覧いただきたい。善男子、我れ処処の経中に於いて布施を説くは、出家・在家人をして、慈悲心もて、貧窮・孤老、乃至餓狗に布施を修せしめんと欲す。我が諸もろの弟子、我が意を解せず。専ら敬田を施し、悲田を施さず。敬田とは即ち是れ仏法僧宝なり。悲田とは貧窮・孤老、乃至蟻子なり。此の二種田、悲田最勝たり。善男子、若し復た人有り...『像法決疑経』に見る孤独・貧困の救済について
色々と読んでいたら、或る一節に目が止まったので、学んでおきたい。(大中祥符)六年癸丑、是年二月十五日、念仏施戒会を創建す。師、祥符五年十月に於いて、親しく疏文を製し、今に至るまで誘化す。此の会、抵そ今まで凡て一百九十載に廃れず。往古来今、其の化せらるる者、幾何人なるを知らざるかな。「尊者年譜」、『四明尊者教行録』巻1この尊者というのは、中国天台宗の四明知礼尊者(960~1028)のことで、上記の大中祥符6年とは1013年、中国北宋代の元号である。そして、この年の2月15日、釈尊涅槃会の日に、「念仏施戒会」を始めたという。また、この前年には、おそらくはこの法会に因む「疏」を作られて、人々にこの法会に随喜することを勧められたようである。そして、後に「尊者年譜」が作られた頃に至るまで、190年を経ても廃れずに、この法...「念仏施戒会」について
以前から、【洞門授戒会に於ける授与者の変遷】のような記事をアップしているけれども、今回は授戒の師の数に関する議論があったので、それを見ておきたい。壇経に、戒師は智光にて、羯磨は慧静なり、教授は通応にて、説戒は中天竺の耆多羅にて、証明は蜜多三蔵とあれば、三師と七証とを挙て、五師を略す、律家受戒の作法、古今これなり、菩薩戒は、たとひ教家とても、或は一師、或は二師なり、梵網、地持、瓔珞等の作法爾り、ゆへに壇経は、菩薩戒にはあらじ、「六祖の満分戒」項、面山瑞方禅師『仏祖正伝大戒訣或問』寛延元年版、8丁表~裏、カナをかなにするなど見易く改める上記の通りで、面山禅師は菩薩戒の授戒の師は一師か二師であるとしており、その典拠に『梵網経』『菩薩地持経』『瓔珞経』などを挙げておられる。ただし、拙僧自身、どの辺が作法を示しているのか...授戒の師の数に関する一議論
以前、【『禅苑清規』巻9「訓童行」に見える「五戒」について】という記事を書いたときに、改めて「五戒」が気になった。一般的に「五戒」は、「在家五戒」とも称せられるように、在家信者が僧侶より受けて、日常生活の中で守るものという印象があるのだが、その条文に若干の違いがあることが気になった。なお、拙僧などは瑩山禅師に係るとされる『出家授戒略作法』に見える「五戒」が一般的だと思っていた。不殺生不偸盗不婬欲不妄語不飲酒この5つである。ちょうど3文字ずつで並びも良く、正直、こんな感じだと思っていたのだが、上記リンク先の記事で見たように、『禅苑清規』巻9「訓童行」では、特に「第五不飲酒食肉」だったわけである。ただの飲酒だけでなく、食肉も禁止項目に入っていた。拙僧にはこれが意外に思われたのである。そこで、他にも同様の事例があるか...「五戒」に於ける「不飲酒食肉」戒について
今日6月21日は夏至である。以前から、何度も記事にしているように、仏教というか禅宗では「冬至」については良く説法の題材になる。その理由として、この日から夜の時間が短くなり、昼の時間が少しずつ長くなることで、いわば闇が退き、明が進むことになる。言い換えれば、迷いが退き、悟りが進む。よって、我々が仏道の道理を得るという状況に親しみやすい。だからこそ、説法の題材となったのだ。一方、「夏至」については、その逆となるので、説法の題材にしているところを見たことがない。もしかしたら、存在しないのかも・・・と思えるほどだ。まぁ、ありとあらゆる時代の文献を見ていくと、あるかもしれないので、有無の判断は保留しておく。それで、夏至に限らないのだが、ちょっとした文脈を見出したので、それを見ていきたい。大婆羅門よ、我れ今、更に昼夜の分数...夏至と仏教の話(令和3年度版)
ずいぶん前にアップした【前編】の続きである。気付いたら、かなりの期間が経ってしまったのだが、中編ということで、アップしておきたい(最初は、「後編」にしようと思ったが、色々と調べていたら思ったよりも文章が長くなったので、3つに区切ることに)。五暑の時、律僧が衣角にて額の汗を拭ふを見る。布とばかり思ふて、帨と同前に用ふ。かなしむべし。まだ今は梅雨時ではあるが、直に夏になるので、この辺は注意しなくてはならないだろう。とはいえ、拙僧の周りで、このような行為をしている人を、およそ見たことが無い。やはり御袈裟は大事なもの、という意識が通底しているからのように思うけれども、江戸時代には残念ながら、不如法の振る舞いをした事例があったのだろう。面山禅師に倣って、悲しむべきことだといえる。ところで、今時であれば、暑すぎる日などに、...釈氏の法衣とはどうあるべきか?(中編)
近頃、伊藤聡融老師著『曹洞宗行持宝典』(中央仏教社、大正7年)を入手したので、色々と学ばせていただいていた。中でも、「二十四戒名の意義」という一項があったので、紹介がてら内容を検討してみたい。まず、伊藤老師は戒名の意義を以下のように定義される。元来戒名は人々の本徳本心に名くるものにて、其縁心分別の妄想心に名くるものに非ず、垢染煩悩の凡夫も、執着乱心の愚人も一度我が仏門に投じ仏式を以て葬儀を行ふからには、生前未だ仏門に入らざる者も今日より以後は仏弟子の中に入りたるを幸ひに、仏戒を授けて引導に預りたる縁を始めとして、安心立命の本位に帰らねばならぬと云ふことを教示するにある、況んや生前仏法を尊信し帰依したる人に於てをや。前掲同著、238頁、漢字などは現在通用のものに改める(以下、同じ)非常に明確な説明であり、特に最初...『曹洞宗行持宝典』に於ける「戒名」の説明
そういえば、【何故、出家者は髪を剃らねばならないのか?(2・釈尊編)】などで頭髪を剃る話をしているが、鼻毛はどうなのか?と思い始めた。すると、やっぱり『律』は面白い。関連した記述がしっかりと載っていた。時に比丘、鼻中の毛の長きを患む。仏言く「抜くことを聴す。若しくは自ら抜き、若しくは人をして抜かしめよ」。彼れ鑷を須う。仏言く「作ることを聴す」。彼れ宝を用いて作る。仏言く「応に宝を用いて作るべからず。骨、牙、角、銅、鐵、白鑞、鉛、錫を用いて作ることを聴す。若し、鑷頭の破れを患むならば、頭に鉄を安んずることを聴す。手の捉うるの難きは掌で護せ。剃刀曩中に著くることを聴す」。『四分律』巻51「雑揵度之一」鼻毛についての指摘である。比丘達が、鼻毛が伸びすぎて悩んでいたという。よって、仏陀は、鼻毛を抜くことを許可したが、そ...出家者に於ける鼻毛の問題について
昨年度、実世界の論文で丘宗潭老師(1860~1921)の『教授戒文』提唱録を翻刻した。その中で、丘老師は或る説話を採り上げて、不殺生戒の捉え方について提唱された。宝積経に出て居る事だが、文殊が剱を抜て佛に向た、佛向ふて曰く、何をか為す、文殊曰く、佛を殺さんと欲す、佛曰、汝ぢ殺すべき佛身を見るや、と云はれた言下に、文殊剱の藏め処が無かつて困た、とある、不殺生戒は此の處じや、文殊は閉口して仕舞た、虱が居ると思ふから殺す、魚が居ると思ふから漁する、一切法は無性、一切法は無我、一切法は無相、と徹底せば汝何をか殺す、汝殺すべき佛身を見るや、如是禅戒を授戒するのだから難有のだ、此の無相の戒には一切の戒として含まざることは無い、故に能所を見て殺すなと云ふ様な浅薄の話では無いのだ、先づ之れ位で置かう、「不殺生戒」項、丘宗潭老師...不殺生戒の禅戒的解釈?
或る意味で清規的な内容も含むと思ったので、記事にしておきたい。黄檗断際禅師、因みに百丈問う、運闍梨、田を開くこと易からず。曰く、衆に随て作務す。丈曰く、道用を煩わしくすること有り。曰く、争か敢て労を辞せん。云く、多少の田を開得するや。師、鋤を将て地を築くこと三下す。丈、便ち喝す。師、耳を掩うて而も去る。『真字正法眼蔵』巻下271則これは、中国禅宗南嶽下の黄檗希運禅師と、その本師・百丈懐海禅師の間で交わされた問答である。典拠は、『宗門統要集』である。もちろん、この話自体は『天聖広灯録』などにも出ているが、字句の違いを考えると『統要集』と見るのが自然であろう。なお、『広灯録』だった場合、この田畑の開墾作業は、「普請作務」だったともされている。百丈禅師らしい公案だとはいえる。意味するところは、百丈禅師が黄檗禅師に対し...禅林で田畑を開墾した話
一度、『禅苑清規』についてもしっかりと勉強し直したいとは思っているのだが、その過程でちょっと気になる文脈を見付けたので紹介がてら学んでみたい。大僧に近事するには、当に五戒を持すべし。一には不殺生〈命有るの属、得て而も殺さざれ)。二には不偸盗〈与えて而も取らざれ、皆な盗と為すなり〉。三には不淫欲〈淫欲を遠離するは、火坑を避けるが如くす〉。四には不妄語〈出家の人誠信を本と為す〉。五には不飲酒食肉〈寧ろ身命を捨てて此の戒を犯すこと無かれ〉。斎粥を除いて外に、並べて雑食を得ざれ〈所謂、果子並びに菜粥飲餅飰並べて応に食せざるべし〉。『禅苑清規』巻9「訓童行」まず、この項目について簡単に解説しておくと、「訓童行」とある通り、「童行を訓(指導)ずる」ための文章なのだが、この「童行」については、以下の指摘が定義として理解出来よ...『禅苑清規』巻9「訓童行」に見える「五戒」について
ちょっとした論考である。いわゆる、宗門に於ける剃髪の重さについて検討するものである。まぁ、有髪のままにしておく宗侶にも、色々な理由があるのだとは思う。ただ、この辺、規範的な要素も含めて見ておくべき教示は以下の通りである。あるひは長髪ならしむるともがらあり、これも非法なり。大国の僧家の所作なりとして、正法ならん、とあやまることなかれ。先師古仏、ふかくいましめのことばを、天下の僧家の長髪・長爪のともがらにたまふにいはく、不会浄髪、不是俗人、不是僧家、便是畜生。古来仏祖、誰是不浄髪者。如今不会浄髪、真箇是畜生。かくのごとく示衆するに、年来不剃頭のともがら、剃頭せるおほし。あるひは上堂、あるひは普説のとき、弾指かまびすしくして責呵す。いかなる道理としらず、胡乱に長髪・長爪なる。あはれむべし、南浮の身心をして非道における...曹洞宗侶は有髪のままで法要を行うことが可能か?
我々は、様々な行持作法については、一度拡張された場合、それがどこか永続的に後代に受けつがれていくものだと思っているかもしれない。そして、「慕古」という精神性の場合、先例踏襲こそが重要である以上、後の者が前の者が作ったものを改変するなんて、畏れ多いことだと思われるかもしれない。そして、この精神性は、少なくとも曹洞宗の清規の歴史的事実には全く当て嵌まらない。江戸時代以前の清規はもちろんのこと、明治時代以降の『行持軌範』ですらも、拡張一辺倒ではなくて、適度の「組み替え」を行いながら、その時代に合わせて改変されてきたものである。今日は、その証拠の1つとして、昭和25年に改訂された『昭和改訂曹洞宗行持軌範(以下『昭和改訂』と略記)』を見ていきたいと思う。この軌範の「小序」には、改訂する意図について、以下のように定めている...『昭和改訂曹洞宗行持軌範』の面白さ
江戸時代に加賀大乘寺26世の月舟宗胡禅師(1618~1696)が再興した禅戒会について、その実態としては『仏祖正伝菩薩戒作法』を用いた登壇受戒と『血脈』授与が大きかったと、法嗣で同寺27世の卍山道白禅師(1636~1715)以下、その法系に連なる方々が評した。なお、月舟禅師ご自身の授戒会作法の詳細は知られないが、大乘寺で参学したとされる指月慧印禅師に『開戒会焼香侍者指揮』(『続曹全』「清規」巻所収)が残り、作法の大部分が知られるようになった。仮にその作法を「大乘寺式授戒会作法」と呼んでおく。なお、同作法は少しずつの改変をしつつ、現代まで宗門授戒会の基本となっている。ところで、同作法には批判も存在し、例えば、面山瑞方禅師などは、『若州永福和尚説戒』坤巻「加行の因縁」項(『曹全』「禅戒」巻所収)で四衆一等の授戒作法...大乘寺式授戒会作法に於ける「七衆一羯磨」の根拠について
今日6月10日は「時の記念日」とされる。『日本書紀』「天智天皇十年四月辛卯」条に、日本で初めて「時の鐘」が打たれたことに由来するという。この時の時計は、「漏刻」といって、水時計であった。それから、先の天智天皇の事績の日付は、「天智天皇10年4月25日」なのだが、これをグレゴリオ暦に変換すると「671年6月10日」となるため、今日をもって、時の記念日としたとされる。なお、以前に書いたことがあったが、道元禅師が開かれた当初の永平寺では、やはり「漏刻」を使用していた。諸寺、漏刻を直歳司に置き、人工両人これを知らす。『永平寺知事清規』「直歳」項ここに見るように、道元禅師は漏刻を直歳寮に置いて、漏刻担当の人工2人が、時刻を全山に知らせるように指示しておられる。なお、指示の方法は鐘や太鼓の音だったと思われる。ただ、これが夜...6月10日時の記念日(令和3年度版)
まだ、日本列島は梅雨の期間中ではあるが、夏場に備えて学んでおきたい一節を見付けたので、採り上げておきたい。垢膩衣、垢はあかづき、膩は油らついたもの、律部にあることしや、伴僧抔に出たときは見苦い、今日洞家の雲水は、貧なれば、夏は洗濯するがよい、面山瑞方禅師『宝慶記聞解』(明治11年版)乾巻・25丁裏、カナをかなにするなど見易く改める短い一節ではあるが、色々と思わせるところがある。まず、この一節は以下の文章への講義となっている。垢膩衣を著けるべからず。『宝慶記』第4問答これは、如浄禅師が「第一初心の弁道功夫の時」に注意すべきこととして挙げた教誡に見えるものである。あくまでも、初心の弁道功夫であるから、後に長じたときには実践する必要が無くなることも多い。それを意識して読まないと、ただの戒律のようになってしまう。そこで...夏場の法衣の洗濯について
我々は現在、下水道がだいたい全国どこでも敷設されているから、髪を剃った後、それは大体風呂場で流したりしているとは思う。もちろん、新聞などを敷いて剃って、捨てているという人もいるかもしれない。それで、この辺、かつてはどうだったのか?という話をしたいのだが、道元禅師の本師・天童如浄禅師には、以下のような上堂語が知られているので、紹介しておきたい。煆髪上堂。活剗の群牛、脳後の毛。風吹き日炙りて腥臊を転ず。狼藉に堪えず天地を薫ず。罪悪重きを将って業火焼く。恁麼に見得すれば、切忌すらくは死灰に舍利を尋ねんことを、臭烟蓬㶿の焔頭より高し。『如浄禅師語録』まずは簡単に意味を採っておきたい。活き活きとして表面の体毛が削られた牛の群れの頭の後ろに生えていた毛は、風が吹き太陽が炙るように照らして焼かれ、大変に生臭いニオイを発してい...天童如浄禅師の「髪を焼いた話」
少し前のことだが、江戸時代の鈴木正三(1579~1655)『麓草分』の江戸期版本(一応、安政6年という刊記はあるが、正しいのか不明)を入手しており、今回はそれを読み解いていきたい。なお、同書の内容などは、拙Wikiの『麓草分』をご参照願いたい。ということで、この記事では同書の第一章というべき「剃髪受戒時可著心事(剃髪受戒の時、心を著くべき事)」を見ていきたいと思う。同章の冒頭では、まず『麓草分』という文献名の意味が明示される。一仏道修行に赴く人は浅きより深きに入、麓の草を分て頂上に登る可し。修行未熟にして向上に至る事かたし。意を得処は古徳直示の手段に眼を著くべし。安政6年版『麓草分』1丁表、カナをかなにするなど見易く改めたまずはこの箇所である。正三は仏道修行について、草を分けて山に入り、麓から頂上に登るようなも...鈴木正三『麓草分』「剃髪受戒時可著心事」について
今日6月6日は、いけばなの日らしい。・6月6日は「いけばなの日」(公益財団法人日本いけばな芸術協会)上記の通りなのだが、6月6日という日付については、稽古事を始めるには6歳6月6日が良いとされるため、この日が「いけばなの日」になったらしい。冷静に考えてみると、稽古事なら何でも良いということになりそう・・・ところで、いけばなといえば、伝統的な芸術になるが、歴史的には仏教の影響があったともされる。・いけばなの歴史(池坊)・いけばなの歴史(いけばな草月流)いけばなの起源は一般に、仏教とともに伝来した仏前の供花にあるとしている。ただし、神を招く依り代として常緑樹を立て、花を飾った日本古来の習俗から来たものとする説もあるというが、正直、神道の説は信用出来ないことが多いからな。ここでは、仏教を採っておきたい。仏教の場合、以...6月6日いけばなの日
これまで、【菩薩戒授与に於ける三師について】や【宗門授戒会の三師について】という記事の中で指摘したように、現行の宗門授戒会について考えてみると、理念的な三師(戒師:釈迦牟尼仏、羯磨師:文殊菩薩、教授師:弥勒菩薩)と、具体的な三師(戒師、教授師、引請師)という二重構造になっていて、しかもその両者の関係性は一様ではないという不思議な状態なのである。ところで、「菩薩戒授与」に於ける「三師」について考えてみる際に、以下の一節を学んでおきたい。・『梵網経』には、和上・阿闍梨の二師を請じて、仏像前において梵網戒の受戒をなす作法が示されていますが……・この梵網戒の受戒作法を明かす『授菩薩戒儀』がありますが、これは『観普賢菩薩行法経』に説く受戒作法を受けて、釈迦如来を「戒和上」に請じ、文殊菩薩を「羯磨阿闍梨」に請じ、弥勒菩薩を...洞門授戒会に於ける授与者の変遷
以前、【何故、出家者は髪を剃らねばならないのか?】という記事をアップした後で、色々なご意見を頂戴した。そこで、そのご意見の中で、幾つか検討しておきたいことが出て来たので、その辺も見ておきたい。まずは、釈尊自身の浄髪(剃髪)についてである。気になって調べていたら、興味深い一節を見出したので、参照しておきたい。問うて曰く、「仏、常に剃除するや不や」。答えて曰く、「爾らず。仏の髮、常に剃髮後一七日の状なるが如し」。『薩婆多毘尼毘婆沙』巻8この、『薩婆多毘尼毘婆沙』という文献は、薩婆多部(説一切有部)の毘尼(律)への毘婆沙(註釈)であるから、『律』そのものではなく、註釈となる。その中に、仏の髪についての言及があったので、採り上げてみたのである。それで、或る人が仏に、「仏は常に浄髪をしているのでしょうか?」と尋ねたところ...何故、出家者は髪を剃らねばならないのか?(2・釈尊編)
以前、【「清浄なる行者破戒の比丘」の続きの話】という記事を書いたのだが、更にその続きである。勅問の九に曰く、経に曰く、清浄の行者、涅盤に入らず。破戒の比丘、地獄に入らず、と。清浄の行者、涅盤に入るべし。什麼と為てか入らざるや。破戒の比丘、地獄に入るべし。什麼と為てか入らざるや。師曰く、涅盤と地獄の二見を存するは、小乗の見解なり。善悪不二、邪正一如の処に於いて、什麼をか清浄・破戒を論ぜんや。円覚了義経に曰く、衆生と国土、同一の法性なり。地獄と天堂、皆な浄土と為す。一切の煩悩、畢竟解脱す、云云。然れば則ち、涅盤の求むべき無く、地獄の厭うべき無し。何ぞ清浄・破戒を論ぜんや。瑩山紹瑾禅師『十種疑問』第9問答、『曹洞宗全書』「宗源(下)」巻・497頁上段、訓読は拙僧これは、伝承としては、瑩山紹瑾禅師が後醍醐天皇からの勅問...「清浄なる行者破戒の比丘」の続きの続きの話
とりあえず、以下の一節をご覧いただきたい。問う、如今の出家、受戒して、身口清浄にして、已に諸法を具す。解脱を得るや否や。師云く、少分の解脱なり。未だ心解脱を得ざる。亦た未だ一切処解脱を得ざる。『百丈広録』巻3この『百丈広録』とは、馬祖下の『四家語録』に収録されているもので、「巻3」とはなっているが、これはその全体が伝わっているわけではなく、ごく一部のみ閲覧可能である。既に11世紀頃には存在したようだが、現存しているのは17世紀以降の版本とされる。そのため、本書だけでは百丈懐海禅師の思想の全てに触れることは出来ないが、その中でも禅籍には珍しい戒律に関する考えが見て取れたので、学んでみたい。まず、この問答の質問者は、最近の出家は受戒して身体と口(言葉)とが清浄になっており、しかも、既に諸法も身に着けている。これは解...百丈懐海禅師の持戒論
今日は6月1日である。この日、古来の曹洞宗では、普請坐禅をせずに、随意坐禅を行っていたとされる。それで、いつもはその日の上堂を採り上げるのだが、今日は少し別の様子の上堂を採り上げてみたい。普済善救禅師(1347~1408、峨山韶碩禅師―通幻寂霊禅師―普済禅師という嗣法の系統)の語録から、早速本文を読んでいこう。閏六月旦の上堂。三半の一閏、最初の日。六月の炎天、我の如くは何ぞ。熱殺闍梨能く活かすべし、揚眉当面に早く蹉過す。『普済善救禅師語録』要するに、太陰暦の頃に存在していた、「閏月」としての「六月旦(1日)」の上堂である。よって、この年は、夏安居が九旬ではなく、十二旬であったことも分かる。記録上は普済禅師も何も述べてはおられないようだが、しかし、間違いなくこういう年は、十二旬であった。さて、まず、「三半の一旬」...今日は六月初一(令和3年度版)
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目に見えて分野として、スピリチュアル×心理学を使って、健康になって幸せを目指せます。
成功への極意を伝えます。たったひとつの考動力で0〜無限を生み出す秘密を伝授し 人生が好循環に回り、自分軸であなたがあなたらしく生きていけます。
ここでは、「妖精」「妖精の森」「おとぎの國」についてのイメージを、共有し合います。どこかで見た絵夲やファンタジー小説、夢に出てきた世界など、何でも。 また、リアルに妖精の森のような未來を望む書き込みも大歓迎です。 但し、旧スピ的発想や、宗教の勧誘、政党政治の推進、メディアを鵜呑みにしたり恐怖を煽るような書き込みは、すべて却下します。
アフリカ出身の夫と国際結婚し、その生活の中で体験したり学んだり考えたりしています
「純粋な」哲学の話題であれば、何でもどうぞ。 宗教、スピリチュアル、ポエム、政治、社会問題は却下です。 科学哲学は認めます。 なお、オープンな議論を促進するため、コメント機能を有効にすることが望ましいです。
スピリチュアルに触れながらも、それに傾倒しない哲学・思想などを語ってください。 直接的なスピリチュアル批判の場合は、なるべく理性的にお願いします。 スピリチュアル的な考え方は好きだけどハマり過ぎるのは考えもの、という緩い準アンチの方も考えをお聞かせください。 スピリチュアルの構造の客観的な分析なども歓迎です。 みんなの理性を結集してスピリチュアルに対抗しましょう。 なお、オープンな議論を促すためにコメント機能を開放することが望ましいです。
自分を変えようとして苦しんでいる人は多くいます。実は自分を変えようとしていることが間違いなんです。そもそもそのそのままの自分で幸せに暮らすことができます。それができるならみんなそのままの自分で暮らしたいと思っていると思います。そんなそのままの自分で幸せに暮らすためのヒントを発信します。
「奇跡」を司るのが「神」 時間・空間・物質に「奇跡」が起きた。 生命は「奇跡」の連続 「大いなる意思」は「神の愛」 人間は皆、「神の子」です。