聖書に基づくイエス様の救いの証をお語り下さい。短くても結構です。
1件〜50件
神様の定義:被造世界に対しては、性相的な男性格主体
国のため、世界のために祈る人が成長する?! 《李ヨハネ先生の信仰サプリ》
心も体も暖まりたい、ですね・・・。
私たちは守られている! 思ったより苦労している善霊たち 《北谷先生*霊人はいつも一緒》
ノア家庭から今の現状がみえます・・・
男性格主体の神様
北でキリスト教が根絶やしにされ、やくざがいなくなった理由 《金元弼先生》
日本が平和を得ようとするならば・・・ オモニが私に強調したこと 《田中会長》
カラスは黒いか、それとも白いのか?
私が見た印象的な夢 アボジの暗示的な夢、オモニのちょっとリアルな夢 《編集部員のブログ》
結果で原因を規定しない・・・歴史に現れたのは多くの可能性の中の一つ・・・
あの時高熱を癒してくださった、柔らかく温かい手は誰? 《真のお母様、感謝します》
平気で嘘をつく人たち・・・叙事詩の韓蘭は紀元後の人物・・・
「祭壇に祈れない?!」 いまどきの家庭連合信徒の祈り方 《自己牧会プログラムQ&A》
やることが増えました。
この記事を見て頂きありがとうございます。皆さまに読んで頂くことが私のモチベーションです(^^)この記事は、介護施設の夜勤に興味がある方に向けて、私が経験した5…
昭和50年代。『大相撲ダイジェスト』という番組がありました。 たびたび解説者として登場していた当時の秀ノ山親方(元関脇長谷川さん)。 「若いのに説得力と眼力がある親方だな」と少年時代の私は感じていました。 この人、長谷川さんですが、ビックリするような人生を歩んでいます。 死にかけたなんて生やさしいものじゃありません。 「関脇で優勝したのに大関になれなかった不運の人」「最強の関脇」とも呼ばれた名力士です。 4度も会った究極の「九死に一生」名関脇長谷川さん
誰でも一切の例外なく死の瞬間を迎えます。 その時何を見ながら瞼を閉じるのか…、 病院の天井?医師や看護師の顔?ちょっとイヤですね。 愛する家族の瞳を見つめながら最後の瞳を閉じる。 「最後の景色はお前の瞳」が理想なのかもしれませんね。 生の最後に見るものは一体なんだろうか? ※2020年9月の記事を加筆訂正しました。
本記事では道元禅師がしるされた『普勧坐禅儀』について学んでいきます。 今回は『普勧坐禅儀』本文の、 冀(こいねが)はくは其れ参学の高流(こうる)、久しく摸象(もぞう)に習つて、真龍を怪しむこと勿(なか)れ。 という部分を解説していきたいと思
本記事では道元禅師がしるされた『普勧坐禅儀』について学んでいきます。 今回は『普勧坐禅儀』本文の、 加以(しかのみならず)、形質(ぎょうしつ)は(た)草露の如く、運命は電光に似たり。倐忽(しくこつ)として便(すなわ)ち空(くう)じ、須臾(し
本記事では道元禅師がしるされた『普勧坐禅儀』について学んでいきます。 今回は『普勧坐禅儀』本文の、 既に人身(にんしん)の機要を得たり、虚しく光陰を度(わた)ること莫(な)かれ。仏道の要機を保任(ほにん)す、誰(たれ)か浪(みだ)り石火を楽
以下の記事は、あまり纏まりのある記事ではありませんが、世田谷区の代田・代沢散策中に思ったことを、「日々思うことのカテゴリ」の記事として書いたものです。(北澤八幡神社)世田谷区の代田・代沢を散策しているときに、「北澤八幡神社」を訪れ(世田谷区代沢3-25-3)、 境内にある奉賛者名簿を見ていると、スピリチュアリストとして活動している江原啓介(えはら ひろゆき)の名がありました。なぜ、ここに江原啓之...
本記事では道元禅師がしるされた『普勧坐禅儀』について学んでいきます。 今回は『普勧坐禅儀』本文の、 何ぞ自家(じけ)の坐牀(ざしょう)を抛卻(ほうきゃく)して、謾(みだ)りに他国の塵境に去来せん。若し一歩を錯(あやま)らば、当面に蹉過(しゃ
本記事では道元禅師がしるされた『普勧坐禅儀』について学んでいきます。 今回は『普勧坐禅儀』本文の、 唯、打坐(たざ)を務めて、兀地(ごっち)に礙(さ)へらる。万別千差(ばんべつせんしゃ)と謂ふと雖も、祗管(しかん)に参禅辦道すべし。 という
本記事では道元禅師がしるされた『普勧坐禅儀』について学んでいきます。 今回は『普勧坐禅儀』本文の、 凡(およ)そ夫れ、自界他方、西天東地(さいてんとうち)、等しく仏印(ぶつちん)を持(じ)し、一(もっぱ)ら宗風(しゅうふう)を擅(ほしいまま
本記事では道元禅師がしるされた『普勧坐禅儀』について学んでいきます。 今回は『普勧坐禅儀』本文の、 趣向更に是れ平常(びょうじょう)なる者なり。 という部分を読んでいきたいと思います。 まず 始めに前回の、 のポイントを振り返りたいと思いま
本記事では道元禅師がしるされた『普勧坐禅儀』について学んでいきます。 今回は『普勧坐禅儀』本文の、 修証(しゅしょう)は自(おの)づから染汙(せんな)せず、 という部分を読んでいきたいと思います。 まず 始めに前回の、 のポイントを振り返り
本記事では道元禅師がしるされた『普勧坐禅儀』について学んでいきます。 今回は『普勧坐禅儀』本文の、 専一(せんいつ)に功夫(くふう)せば、正に是れ辦道なり。 という部分を読んでいきたいと思います。 まず 始めに前回の、 のポイントを振り返り
本記事では道元禅師がしるされた『普勧坐禅儀』について学んでいきます。 今回は『普勧坐禅儀』本文の、 然(しか)れば則ち、上智下愚を論ぜず、利人鈍者を簡(えら)ぶこと莫(な)かれ。 という部分を読んでいきたいと思います。 まず 始めに前回の、
本記事では道元禅師がしるされた『普勧坐禅儀』について学んでいきます。 今回は『普勧坐禅儀』本文の、 声色(しょうしき)の外(ほか)の威儀たるべし。那(なん)ぞ知見の前(さき)の軌則(きそく)に非ざる者ならんや。 という部分を読んでいきたいと
本記事では道元禅師がしるされた『普勧坐禅儀』について学んでいきます。 今回は『普勧坐禅儀』本文の、 払拳棒喝(ほっけんぼうかつ)を挙(こ)するの証契(しょうかい)も、未(いま)だ是れ思量分別の能く解(げ)する所にあらず。豈に神通修証(じんず
本記事では道元禅師がしるされた『普勧坐禅儀』について学んでいきます。 今回は『普勧坐禅儀』本文の、 払拳棒喝(ほっけんぼうかつ)を挙(こ)するの証契(しょうかい)も、未(いま)だ是れ思量分別の能く解(げ)する所にあらず。 という部分を読んでいきたいと思います。 始めに前回の、 のポイントを振り返りたいと思います。 前回のポイント 「払拳棒喝」というのはそれぞれ単語を繋ぎ合わせたもので、それぞれに過去の仏祖方のエピソードがある。「払拳棒喝」の「棒」は「棒」で殴ることで人を導こうとした徳山宣鑑禅師にまつわるエピソード「疑問」は人の頭の中にしか存在しない。その「疑問」を解決するために生きているのでは
本記事では道元禅師がしるされた『普勧坐禅儀』について学んでいきます。 今回は『普勧坐禅儀』本文の、 払拳棒喝(ほっけんぼうかつ)を挙(こ)するの証契(しょうかい)も、未(いま)だ是れ思量分別の能く解(げ)する所にあらず。 という部分を読んでいきたいと思います。 始めに前回の、 のポイントを振り返りたいと思います。 前回のポイント 「払拳棒喝」というのはそれぞれ単語を繋ぎ合わせたもので、それぞれに過去の仏祖方のエピソードがある。「払拳棒喝」の「拳」は知事である李渤刺史と帰宗智常禅師によるエピソード。「払拳棒喝」の「拳」は「拳骨」の「拳」。「分からない」が仏法の真実。「羊羹」をどんなに詳しく説明し
眞子さんの祖父、紀子さまの父である川嶋氏がお亡くなりになりました。 秋篠宮妃紀子さまの父、川嶋辰彦氏が死去…81歳(読売新聞オンライン) - Yahoo!ニ…
「あの偶然がなかったら、今ごろは…」という間一髪の体験をした人。 意外にけっこういらっしゃいます。 そういう貴重な体験話を集めて検証してみたいです。 生と死の境目には、目に見えない運が常に影響することが見えてくると思うからです。 友人との偶然の出会いから事故から免れた人も
本記事では道元禅師がしるされた『普勧坐禅儀』について学んでいきます。 今回は『普勧坐禅儀』本文の、 払拳棒喝(ほっけんぼうかつ)を挙(こ)するの証契(しょうかい)も、未(いま)だ是れ思量分別の能く解(げ)する所にあらず。 という部分を読んでいきたいと思います。 始めに前回の、道元禅師の『普勧坐禅儀』について学ぶ㉜頭の中の「払子」は「払子」ではない。「存在」は頭の中だけでは証明できない。のポイントを振り返りたいと思います。 前回のポイント 「払拳棒喝」というのはそれぞれ単語を繋ぎ合わせたもので、それぞれに過去の仏祖方のエピソードがある。「払拳棒喝」の「払」は師匠である青原行思禅師と弟子の石頭希遷
趙州従諗(じょうしゅうじゅうしん)禅師(778年 - 897年)は中国唐代の僧で、中国禅宗における巨人です。 「庭前の栢樹子」を例に見ても、その道に通ずる方であれば、この趙州禅師の事を知らないという人はそう多くはないでしょう。 今回はそんな趙州禅師とある二人の修行僧が残した逸話をご紹介して、「生命の実物」とは何なのかを紐解いていきたいと思います。 この記事を書いているのは こんにちは「harusuke」と申します。大学卒業後、禅の修行道場で修行経験を積み、現在は都内でサラリーマンをしております。 高齢で行脚修行に出た趙州禅師 趙州従諗という禅僧がかつて唐時代の中国にいました。 この趙州禅師とい
本記事では道元禅師がしるされた『普勧坐禅儀』について学んでいきます。 今回は『普勧坐禅儀』本文の、 払拳棒喝(ほっけんぼうかつ)を挙(こ)するの証契(しょうかい)も、未(いま)だ是れ思量分別の能く解(げ)する所にあらず。 という部分を読んでいきたいと思います。 始めに前回の道元禅師の『普勧坐禅儀』について学ぶ㉛その日、お釈迦様がお示しになった本当の説法とは?のポイントを振り返ってみたいと思います。 前回のポイント 「指竿針鎚」というのは昔おられた仏祖方の逸話から来ている単語を繋ぎ合わせたもの。「指竿針鎚」の「鎚」はお釈迦様と迦葉仏尊者のエピソードからきている。お釈迦様は高座の上られ、高座から下
本記事では道元禅師がしるされた『普勧坐禅儀』について学んでいきます。 今回は『普勧坐禅儀』本文の、 況んや復た指竿針鎚(しかんしんつい)を拈(ねん)ずるの転機、 という部分を読んでいきたいと思います。 始めに前回の、 道元禅師の『普勧坐禅儀』について学ぶ㉚「水」と「針」、洗面器の中で何が起きているのか?のポイントをおさらいしましょう。 前回のポイント 「指竿針鎚」というのは昔おられた仏祖方の逸話から来ている単語を繋ぎ合わせたもの。「指竿針鎚」の「針」は龍樹菩薩と伽那提婆のエピソードからきている。「自分」と「宇宙」を切り離す以上、そこには始まりと終わりがある。生と死がある。「自分」が死ねば「宇宙
特別の本棚に入れておく本がまた一冊増えました。 佐藤愛子さんの『私の遺言』です。 愛読している『笑顔応援隊 i🌸少納言』の記事を読んで興味を覚え、さっそく買って読んでみました。 読み始めると止まらなくなり、何度も何度も繰り返し読むうちにあっという間に数日が過ぎました。 その間、私のブログは完全にストップ。 読み終えてようやくブログを書く気持ちになりました。 すでに読んだ方も多くいらっしゃると思いますが、まだの人はぜひお勧めしたい一冊です。 文庫版です。上が切れてごめんなさい。お顔を載せたかったのです。
冥王星水瓶座入りと11月22日「小雪」からの星の動き★下弦の月と水星逆行★繁栄の楽園を夢見て
enherbエンハーブ 最強のアタシ
久しぶりにシャネル
11月22日太陽の射手座入り。風の時代を自分らしく生きるにはどうしたらいいか?
新しい風
滅びゆく御仁は滅ぶべく滅ぶ
諏訪湖~駒ヶ根の旅 ②
”今朝からすごい風で停電‼️”
今あなたに必要なメッセージ★タロット占い★おさるのジョージ
11月20日水瓶座入りした冥王星の個人への影響は?
占い師の本音②
占い師の本音①
【冥王星が水瓶座入り】Bを選んだあなた【カラーカード三択占い】
【冥王星が水瓶座入り】Aを選んだあなた【カラーカード三択占い】
【冥王星が水瓶座入り】Cを選んだあなた【カラーカード三択占い】
本記事では道元禅師がしるされた『普勧坐禅儀』について学んでいきます。 今回は『普勧坐禅儀』本文の、 況んや復た指竿針鎚(しかんしんつい)を拈(ねん)ずるの転機、 という部分を読んでいきたいと思います。 始めに前回の、 道元禅師の『普勧坐禅儀』について学ぶ㉙「おい阿難!」・・「はい!」そのやりとりに宿っている仏法とは?のポイントをおさらいしましょう。 前回のポイント 「指竿針鎚」というのは昔おりました仏祖方の逸話から来ている単語を繋ぎ合わせたもの。「指竿針鎚」の「竿」は阿難尊者と摩訶迦葉尊者のエピソードからきている。「おい!」と呼びかけられ「はい!」と返事をする。そこに宿っている「仏法」「うまく
本記事では道元禅師がしるされた『普勧坐禅儀』について学んでいきます。 今回は『普勧坐禅儀』本文の、 況んや復た指竿針鎚(しかんしんつい)を拈(ねん)ずるの転機、 という部分を読んでいきたいと思います。 始めに前回の、 道元禅師の『普勧坐禅儀』について学ぶ㉘指一本を差し出す。それだけでいい。 のポイントを振り返りたいと思います。 前回のポイント 「指竿針鎚」というのは昔いた仏祖方の逸話から来ている単語を繋ぎ合わせたもの。「指竿針鎚」の「指」は俱胝和尚のエピソードからきている。何を質問されても「指一本」差し出せばいい。何故なら「指一本」が全宇宙だから。「仏法」は概念化する以前を説く。 それではポイ
本記事では道元禅師がしるされた『普勧坐禅儀』について学んでいきます。 今回は『普勧坐禅儀』本文の、 況んや復た指竿針鎚(しかんしんつい)を拈(ねん)ずるの転機、 という部分を読んでいきたいと思います。 始めに前回の、 道元禅師の『普勧坐禅儀』について学ぶ㉗大自然に「凡」も「聖」もなく、でっちあげは通用しない。のポイントを振り返りたいと思います。 前回のポイント 「超凡越聖」とは「凡」も「聖」も超える事。「仏」は「仏」すら超えていく。大自然の在り方。「坐禅」こそ「超凡越聖」である。自分の外側に「大自然」があるのではない。「死ぬとき」には「死ぬ様」がある。大自然にでっちあげや、ごまかしは一切通用し
本記事では道元禅師がしるされた『普勧坐禅儀』について学んでいきます。 今回は『普勧坐禅儀』本文の、 嘗て観る、超凡越聖(ちょうぼんおつしょう)、坐脱立亡(ざだつりゅうぼう)も、此の力に一任することを。 という部分を読んでいきたいと思います。 始めに前回の、道元禅師の『普勧坐禅儀』について学ぶ㉖坐禅を終えた時の作法とは?「安祥」として起つこと。のポイントを振り返りたいと思います。 前回のポイント 「坐禅」を終える時はゆっくりと組んでいる足をほどき、身を動かすこと「坐禅」を終える時は安らかに、静かに立つようにすること「坐禅」を終える時は、足が痺れている可能性もある為、いきなり荒々しく立ってはいけな
今回は「禅僧たちの物語」第五弾として今日の臨済宗をお開きになった、「臨済義玄禅師」のある逸話をご紹介したいと思います。 「臨済禅師」は実に誠実なお方でおられました。 そんな「臨済禅師」が、若かりし折に触れた「真実の仏法」との出会いの話を本記事ではご紹介したいと思います。 それでは参りましょう。 この記事を書いているのは こんにちは「harusuke」と申します。大学卒業後、禅の修行道場で修行経験を積み、現在は都内でサラリーマンをしております。 臨済禅師がゲンコツをもらって出会えた「真実」 「臨済義玄禅師」がお生まれになった正式な時期と言うのは明らかになっておりませが、867年に遷化された(僧侶
本記事では道元禅師がしるされた『普勧坐禅儀』について学んでいきます。 今回は『普勧坐禅儀』本文の、 若し坐より起(た)たば、徐々として身を動かし、安祥(あんしょう)として起つべし。卒暴(そつぼう)なるべからず。 という部分を読んでいきたいと思います。 始めに前回の、道元禅師の『普勧坐禅儀』について学ぶ㉕「月の光」が輝くのに条件は必要ない。の復習から入りたいと思います。 前回のポイント 本当の理解とは「実践すること」で本当の理解ができる。「坐禅」の「行」を行う事こそが本当の理解。「昏散」とはうつうつと眠くなることと、心を乱す事。「撲落」とは束縛から解放されること「真実の自己」は常に目の前に展開し
皆さんは「一遍上人(いっぺんしょうにん)」をご存知でしょうか? 今回はこの「一遍上人」の「詩」を題材として、この世界の真実の有り様について考えていきたいと思います。 この記事を書いているのは こんにちは「harusuke」と申します。大学卒業後、禅の修行道場で修行経験を積み、現在は都内でサラリーマンをしております。 当事者も傍観者もない「真実の世界」 イラスト画・吉田義晃氏より出典 「時宗」を開いた「一遍上人(いっぺんしょうにん)1239-1289」という方がおります。 この「一遍上人」の本当の名前は明らかになっておりませんが、幼いころの名前は「松寿丸」であったとされております。 かの「法然聖
本記事では道元禅師がしるされた『普勧坐禅儀』について学んでいきます。 今回は『普勧坐禅儀』本文の、 公案現成(こうあんげんじょう)、籮籠(らろう)未だ到らず。若(も)し此の意を得ば、龍の水を得たるが如く、虎の山に靠(よ)るに似たり という部分を読んでいきたいと思います。 始めに前回の、道元禅師の『普勧坐禅儀』について学ぶ㉓「修行」がそのまま「悟り」の証明である。のポイントを振り返りましょう。 前回のポイント 「菩提」とは悟りの意。「究尽」とは究め尽くすの意。「修証」とは行いの証明の意。「悟り」は「修行」によって証明される。つまり「悟り」とは「修行」のことで、それぞれに分かれない。 それではポイ
本記事では道元禅師がしるされた『普勧坐禅儀』について学んでいきます。 今回は『普勧坐禅儀』本文の、 菩提を究尽(ぐうじん)するの修證(しゅしょう)なり。 という部分を読んでいきます。 始めに前回の、道元禅師の『普勧坐禅儀』について学ぶ㉒「坐禅」は個人のならいごとではないのポイントを振り返りたいと思います。 前回のポイント 「坐禅」はピアノを習ったり、水泳を習ったりというような個人の「習い事」ではない。「坐禅」は生命の実践。「生命の実践」において、その足の痛みは誰とも比較できない。本来誰とも比較できない生命を生きている人間。坐禅における生命の実践は「大」でも「小」でもない、「真実」。「坐禅」は足
本記事では道元禅師がしるされた『普勧坐禅儀』について学んでいきます。 今回は『普勧坐禅儀』本文の、 所謂(いわゆる)坐禅は、習禅には非ず。唯、是れ安楽の法門なり。 という部分を読んでいきます。 まず前回の、道元禅師の『普勧坐禅儀』について学ぶ㉑人生の教科書。本来の命を生きる為に「坐禅」を行う。を振り返りたいと思います。 前回のポイント 「不思量底を思量せよ」とは「思わないところを思え」の意味。「不思量底を思量せよ」とは「生命の実物をしっかり抑えなさいということ。つまり「思う」という行為は大自然の行いであって自分ではどうすることもできないからそのままにしておくのが本来の形しかし現代の人間はこの「
道元禅師の『普勧坐禅儀』は、在家の者、出家の者問わず普く人々に「坐禅」とは何か?その坐禅の「意義」と「作法」についておしるしになった「坐禅の奥義書」であります。 その『普勧坐禅儀』の一文で次のようなものがあります。 箇(こ)の不思量底を思量せよ。不思量底(ふしりょうてい)、如何(いかん)が思量せん。非思量。此れ乃ち坐禅の要術なり。 この一文はこの『普勧坐禅儀』において非常に大切な箇所であり、先人たちや現代の僧侶のバイブルとして古来より受け継がれてきました。 今回本記事では恐れ多くもこの「不思量底」とは何か?を参究してまいりたいと思います。 以下の記事でも軽く今回の「不思量底」について触れており
本記事では道元禅師がしるされた『普勧坐禅儀』について学んでいきます。 今回は『普勧坐禅儀』本文の、 箇(こ)の不思量底を思量せよ。不思量底(ふしりょうてい)、如何(いかん)が思量せん。非思量。此れ乃ち坐禅の要術なり。 という部分を読んでいきます。 まず前回の、道元禅師の『普勧坐禅儀』について学ぶ⑳「坐禅」における正しい呼吸法とは?のポイントをおさらいしておきたいと思います。 前回のポイント 坐禅においての「呼吸」はコントロールしない、出来ない仏祖の「調息」は「呼吸」をコントロールせず、ただ背筋を伸ばしただけの自然に行われる大自然の「呼吸」。「坐禅」は大自然の上に乗った大きな「岩」のようなもの
本記事では道元禅師がしるされた『普勧坐禅儀』について学んでいきます。 今回は『普勧坐禅儀』本文の、 鼻息(びそく)、微かに通じ、身相(しんそう)既に調へて、欠気一息(かんきいっそく)し、左右搖振(ようしん)して、兀兀(ごつごつ)として坐定(ざじょう)して、 という部分を読んでいきます。 それではまず前回の、道元禅師の『普勧坐禅儀』について学ぶ⑲道元禅師がお示しになる「坐禅作法」とは?のおさらいをしておきたいと思います。 前回のポイント 「坐蒲」や「坐褥」を用いる理由は腰を高くし、安定して長時間坐る為。「結跏趺坐」、「半跏趺坐」、そのどちらであっても構わない。そのどちらであっても「足首」をしっか
本記事では道元禅師がしるされた『普勧坐禅儀』について学んでいきます。 今回は『普勧坐禅儀』本文の、 尋常(よのつね)、坐処には厚く坐物(ざもつ)を(と)敷き、上に蒲団を用ふ。或(あるい)は結跏趺坐、或は半跏趺坐。謂はく、結跏趺坐は、先づ右の足を以て左の腿(もも)の上に安じ、左の足を右の腿(もも)の上に安ず。兩(りょう)の大拇指(だいぼし)、面(むか)ひて相(あい)拄(さそ)ふ。乃(すなわ)ち、正身端坐(しょうしんたんざ)して、左に側(そばだ)ち右に傾き、前に躬(くぐま)り後(しりえ)に仰ぐことを得ざれ。耳と肩と対し、鼻と臍(ほぞ)と対せしめんことを要す。舌、上の腭(あぎと)に掛けて、脣歯(しん
本記事では道元禅師がしるされた『普勧坐禅儀』について学んでいきます。 今回は『普勧坐禅儀』本文の、 作仏を(と)図ること莫(なか)れ。 豈に坐臥に拘(かか)はらんや。 という部分を解説していきます。 前回の道元禅師の『普勧坐禅儀』について学ぶ⑰思いを管理しないことのポイントをここで少しおさらいしておきたいと思います。 前回のポイント 「停める」というのは思いに「ブレーキ」を掛ける事でもなく「ストップ」を掛ける事でもない。「ブレーキ」や「ストップ」をかけることは「思い」を管理しているつまり「思い」をそのままにしておくこと心境と言うのは人間の概念遊び それでは前回のポイントを踏まえたところで本記事
地位や名誉とは縁遠い山奥の地で多くの弟子達と坐禅修行に励み、生涯を「坐禅」に費やされた道元禅師。 愚直なまでに真実を追求し、ただひたすら真実の道の為に。 その「真実の道」を追求するために決して地位や名誉を頼ろうとはしなかった道元禅師。 ただ真実の「坐禅」をただひたすらに打ち込む。 それが何よりも道元禅師が求めていたことで、「真実」の生き方でありました。 今回はそんな道元禅師の求めた真実の道を、位の高い高僧に与えられる「紫の衣」とまじえてご紹介していきます。 この記事を書いているのは こんにちは「harusuke」と申します。大学卒業後、禅の修行道場で修行経験を積み、現在は都内でサラリーマンをし
あなたへ もう、そちら側へは着いたでしょうか。 今年は、お盆初日から連日に渡り雨が降り、 とても涼しいお盆になりました。 あなたのために、たくさん準備したアイスクリームを眺めながら、 こんなにたくさん、いらなかったかな なんて、なんだか、笑ってしまいましたが、 暑さが苦手なあなたにとって、とても過ごしやすい気温だったように思います。 コロナウイルスの影響から、今年もまた、とても静かなお盆休みでしたが、 家の中で家族3人、ゆっくりとしたお盆休みを過ごせましたね。 テレビを観たり、お喋りをしたり。 いつもの日常を切り取ったような時間でしたが、 あなたが帰って来てくれていると思うだけで、 私たちにと…
本記事では道元禅師がしるされた『普勧坐禅儀』について学んでいきます。 今回は『普勧坐禅儀』本文の、 心意識の運転を停(や)め、念想観の測量(しきりょう)を止(や)めて、 という部分を解説していきます。 前回の道元禅師の『普勧坐禅儀』について学ぶ⑯実際の「坐禅」の仕方について初めて触れる部分では、『普勧坐禅儀』において初めて道元禅師が実際の「坐禅」の仕方について説いたその内容についてそれがどういったものかを解説しました。 それでは前回のポイントをおさらいしましょう。 前回のポイント 道元禅師の言う「参禅」とは「坐禅」のことをさす。「坐禅」はしずかな場所で行うこと「坐禅」をする際は「腹六分目」が相
「坐禅」ひたすらに実践し続ける事(只管打坐)をお説きになった道元禅師。 「坐禅」そのものを悟りの目的とし、「坐禅」を行う事は「生命の実践」、「仏行」とも言われております。 今世界中でブームを巻き起こしているこの「禅」。 その禅と同義とされる「坐禅」に関して、目的や継続の意義について疑問に思っている方は多いはずです。 今回はそんな「坐禅」に関して皆さんが抱える疑問を一つずつ丁寧に解説していきたいと思います。 それでは参りましょう。 この記事を書いているのは こんにちは「harusuke」と申します。大学卒業後、禅の修行道場で修行経験を積み、現在は都内でサラリーマンをしております。 坐禅に関する悩
お盆の期間は、マスコミでお墓の話題も取り上げられていました。「墓じまい」が近年の新しい動きのようですね。 私が自分のことをどうするかと言いますと、散骨あたりになると思います。遺灰を海にまくことです。 理由はいくつかあります。 1️⃣本格的な土地付き
私は、あの日、死んだのだ。 最愛の彼と共に。 肉体と、魂の一部だけが此処に残された今の私は、 もう、あの頃の私ではないのだ。 明るくて、楽しいことが大好きで、 嫌なことがあっても、 一晩眠ればすぐに元気になってしまうあの頃の私は、 今思えば、単純で可愛かった。 私は、もう二度と、あんなふうに笑うことは出来ないのだろう。 あの頃と同じように笑うには、辛いことを知り過ぎてしまった。 そう気が付いた瞬間に、 この瞳に映るもの全てが、灰色の世界へと変わっていった。 光も、色もない世界。 それが、これからの私が歩む人生なのだ。 私はもう、元には戻れない。 だってもう、此処に彼はいないのだから。 //
道元禅師がおすすめになる「坐禅」。 「坐禅」の実践こそが修行そのものであるとし、過去に多くの祖師方がこの「坐禅」を実践されてきました。 近年でも「禅ブーム」が流行し、生活の一部にこの「坐禅」を取り入れる方も多くなってきております。 「生命そのものの実践」、「仏行」とも言われるこの「坐禅」。 今回その「坐禅」を自宅でも正しく実践できるように、細かいポイントや坐禅における心構え、そして実際の実践方法について分かりやすく紹介したいと思います。 尚、本記事は 「別冊太陽 道元」監修角田泰隆 平凡社を参考に執筆しています。 この記事を読んで頂ければすぐにでも「自宅」で道元禅師がおすすめになる正しい「坐禅
本記事では道元禅師がしるされた『普勧坐禅儀』について学んでいきます。 今回は『普勧坐禅儀』本文の、 夫れ参禅は静室(じょうしつ)宜しく、飲飡(おんさん)[飲食(おんじき)]節あり、諸縁を放捨し、万事を休息して、善悪(ぜんなく)を思はず、是非を管すること莫(なか)れ。 という部分を解説していきます。 前回の道元禅師の「普勧坐禅儀」について学ぶ⑮「禅」の至極、「恁麼」とは?と、前々回の道元禅師の「普勧坐禅儀」について学ぶ⑭人が安心できる本当の「場所」とは?はこの『普勧坐禅儀』において非常に重要な部分となります。 なので今一度ご一読いただくとこれからますます難儀となる『普勧坐禅儀』も読みやすくなるの
本記事では道元禅師がしるされた『普勧坐禅儀』について学んでいきます。 今回は『普勧坐禅儀』本文の、 恁麼(いんも)の事(じ)を得んと欲せば、急に恁麼の事(じ)を務(つと)めよ。 という部分を解説していきます。 前回記事 道元禅師の「普勧坐禅儀」について学ぶ⑭人が安心できる本当の「場所」とは? では、 身心(しんじん)自然(じねん)に脱落して、本来の面目(めんもく)現前(げんぜん)せん。 という部分を解説しました。 ここで前回のポイントを簡単におさらいしておきましょう。 前回のポイント 無我でなければ「仏法」ではない他人の評価で成り立つ「相対的な世界」ほど曖昧で不安定なものない「思う」という事は
聖書に基づくイエス様の救いの証をお語り下さい。短くても結構です。
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目に見えて分野として、スピリチュアル×心理学を使って、健康になって幸せを目指せます。
成功への極意を伝えます。たったひとつの考動力で0〜無限を生み出す秘密を伝授し 人生が好循環に回り、自分軸であなたがあなたらしく生きていけます。
ここでは、「妖精」「妖精の森」「おとぎの國」についてのイメージを、共有し合います。どこかで見た絵夲やファンタジー小説、夢に出てきた世界など、何でも。 また、リアルに妖精の森のような未來を望む書き込みも大歓迎です。 但し、旧スピ的発想や、宗教の勧誘、政党政治の推進、メディアを鵜呑みにしたり恐怖を煽るような書き込みは、すべて却下します。
アフリカ出身の夫と国際結婚し、その生活の中で体験したり学んだり考えたりしています
「純粋な」哲学の話題であれば、何でもどうぞ。 宗教、スピリチュアル、ポエム、政治、社会問題は却下です。 科学哲学は認めます。 なお、オープンな議論を促進するため、コメント機能を有効にすることが望ましいです。
スピリチュアルに触れながらも、それに傾倒しない哲学・思想などを語ってください。 直接的なスピリチュアル批判の場合は、なるべく理性的にお願いします。 スピリチュアル的な考え方は好きだけどハマり過ぎるのは考えもの、という緩い準アンチの方も考えをお聞かせください。 スピリチュアルの構造の客観的な分析なども歓迎です。 みんなの理性を結集してスピリチュアルに対抗しましょう。 なお、オープンな議論を促すためにコメント機能を開放することが望ましいです。
自分を変えようとして苦しんでいる人は多くいます。実は自分を変えようとしていることが間違いなんです。そもそもそのそのままの自分で幸せに暮らすことができます。それができるならみんなそのままの自分で暮らしたいと思っていると思います。そんなそのままの自分で幸せに暮らすためのヒントを発信します。
「奇跡」を司るのが「神」 時間・空間・物質に「奇跡」が起きた。 生命は「奇跡」の連続 「大いなる意思」は「神の愛」 人間は皆、「神の子」です。