聖書に基づくイエス様の救いの証をお語り下さい。短くても結構です。
黙6「 黙示録 1章-14〜20節」スティーヴンス栄子オメガバイブルスタディー受講メモ
人を生かすみことばの力1361 穏やかな心は体の命❣️
映画『神様メール』☆クズな神(汗)と余命一斉メールした娘(^^♪
人を生かすみことばの力1360 主が最後まで堅く保って責められるところがない者にしてくださいます
人を生かすみことばの力1359 神が望んでおられること❣️
イエスに足を洗って頂いたユダ(ヨハネの福音書13章)
イスラエルは聖書の成就にして神の変わらぬ愛のしるし
人を生かすみことばの力1358 われらの主イエスによって感謝する幸せ❣️
人を生かすみことばの力1357 神はわれらの避け所また力。苦しむときそこにある強き助け❣️
人を生かすみことばの力1356 私の助けは主から来る❣️
闇のなかで成就してゆく十字架の救い(ヨハネの福音書12章)
人を生かすみことばの力1355 疲れた者には力を与え精力のない者には勢いを与えられる❣️
人を生かすみことばの力1354 『安心して生きる』❣️ 11月17日 主日礼拝にて
黙5「 黙示録 1章-7〜13節」スティーヴンス栄子オメガバイブルスタディー受講メモ
人を生かすみことばの力1353 新しい契約の仲介者であるイエス・キリスト❣️
『宝物集』という文献は、平安時代末期の平康頼によって書かれた仏教典籍であるが、非常に独特な内容であり、しかも、その後にも多くの影響を与えたと思われるのである。本書には阿弥陀仏のおわします極楽浄土に往生するための、「十二門」が立てられている。そして、その中に「第三戒をたもち仏になるべし」という一門では、冒頭に以下のように戒を護持する功徳を説く。如来の禁戒の城にいりぬれば、見思・塵沙・三毒・五蓋・十使・九十八煩悩・八万四千の悪業のいくさ、若干の勢をおこしてせめ来るといへども、またくおとさるゝ事なし。このゆへに、梵網経は、「持戒の人は、浄土人天の報をうく」といへり。岩波新古典文学大系『宝物集(他)』193頁それで、ここで引用されている『梵網経』だが、現行よく知られている文献からではよく分からない。どうも、同じ文脈は無...『宝物集』に見る持戒について
人間は元々『ブレる』ように出来てる生き物です。なので、生きている限りはずっと『心のバランス』を取り続けるしかありません。その「バランスを取る」というところからズレてしまうと遅かれ早かれ心は迷います。 『ブレない何か』を求める人々はソレのことを「真理」と呼んだり「自分軸」と呼んだり「ありのままのココロ」と呼んだり、色々します。とにかく「めんどくさい心のバランスなど二度と取らなくてもよくなる万能の道具」としての『何か』のことです。 じゃあ、何故そういったモノを一生懸命求めるのかというと揺れ動く『自分』って存在がどうしようもなく落ち着かないからではないでしょうか?ていうか「いつか永遠に落ち着ける心の…
私は人と話すと疲れてしまう事ってよくあります。それは家族であっても同じで、「価値観が違うとこんなに何もかも違うんだ」と思うことが日常茶飯事で起こってくるからです。 先日家族で食 ...
相も変わらぬ手のひらの写真でございます。 なぜ手のひらかと申しますと、美形でもないオッサンの顔とか誰も見たくはないと思うからです(笑) ナルシストってスゴいなぁとつくづく思う今日この頃です。 (色んな意味で) 余談はさておき、過去にブログに掲載した写真を見て「ほんわか温かくなった!」とか「何だか楽になった」とか言っていただくこともそこそこあるのです。 で、それなりに効果はあるんじゃないかと感じております。 まあ、そんなわけで最近、写真体験シリーズのニューバージョンを色々と考えてみているわけです。 で、前回猫背を矯正するってのをやりましたので、今回は骨盤矯正ってお題でやってみます。 誰であれ使い…
Voice経過活動記事より先日の武田/モデルナの異物混入事件。異物混入が発覚したのと同じロットを使用した30代男性2人が死亡しています。基礎疾患もなかった、と。お一人は広島県にお住まいだったそうです。広島テレビが遺族の方(お母さん)にインタビューをされていて、ニュースで流してくれてます。使用中止のワクチン接種 死亡した男性の母親が胸の内を語る...
「ローズンゲン『日々の聖句』」より、日々の聖書の言葉を紹介しています。聖書の言葉を中心に、生活に光が差し込むようでありたいです。
2020年5月にライブドアブログ (『クリアー整体ヒーリング』です) からはてなブログに引っ越しましたが、すべての記事をそっくりそのままこちらへ移す予定はありません。 向こうでは10年あまり、ほとんど毎日更新して来ましたしねぇ、古い記事は朽ち果ててもいいかなって気がするのです。 とはいえ全部消えてなくなるのも惜しい気がします。復刻版と言いますか、古い記事の一部は手直しなどして、ぼちぼちとこちらへ上げてみたいなと考えております↓ ここでいうところの『呪詛』というのは「誰かに対してエネルギー的な意味で眼に見えないカタチでネガティヴな影響を与えようとする方法または手段の全て」とお考えください。マジナ…
ちょっとした備忘録的記事である。タイトルの通りなのだが、日本に臨済宗黄竜派の法系を伝えた明庵栄西禅師(1141~1215)に於ける比丘戒と菩薩戒との関係について、考えてみたい。それで、良く知られているのは、以下の一節であろう。時に、炎宋淳熙十四年丁未の歳なり。即ち天台山に登り万年禅寺に憩いて、堂頭和尚敞禅師に投じて師と為す。参禅して道を問い、頗る臨済の宗風を伝う。四分戒を誦し、菩薩戒を誦して已に畢んぬ。遂に宋の紹熙二年辛亥の歳の秋七月に帰国す。栄西禅師『興禅護国論』「第五宗派血派門」中国へ留学し、虚庵懐敞禅師に参じた栄西禅師は、中国で『四分律』に基づく戒を「誦」し、菩薩戒も「誦」したという。これは、菩薩戒の戒本を唱えて師である虚庵懐敞から受けたと理解出来るだろうか。「誦」することが、どういう意味を持つのか、まだ...明庵栄西禅師に於ける比丘戒と菩薩戒について
昨日、読売新聞に掲載された効果がかなりあるようです。Vioce経過活動の記事より本日のご署名は、47,575名です。全日に比べて、5千名近くの伸び。読売新聞効果が出てますね!新聞を読んでくれた方が直接署名してくれているケースもたくさんあると思います。しかし、それよりも影響力が強そうなのが、この意見広告が読売新聞に掲載されたというニュースを、色んな方が取り上げてくれることです。コロナが始まってからずっと、医師と...
「ローズンゲン『日々の聖句』」より、日々の聖書の言葉を紹介しています。聖書の言葉を中心に、生活に光が差し込むようでありたいです。
この世の中には臭覚で感じるのとは別の波動的な『ニオイ』ってのがあります。 一番わかりやすいのが、イレズミをしている人のニオイです。 イレズミをしている人からは、何だか古くなった薬品か絵具か何かみたいな独特のニオイがするのです。 全員がまったく同じニオイってわけではありませんが、ケミカルな饐えたニオイって感じは似たり寄ったりです。 これはあくまでも個人的な経験から来る感覚の話ですけどね… 臭覚で感じるニオイではないので、それは雑誌の写真とかからでも臭ってきます。 香水過多の中年のご婦人のように、そのニオイは結構強烈です。 別に文化論としての刺青の是非をここで論じるつもりはありません。 近年は「グ…
ね、眞子さまの報道とか見てると、皇室って大丈夫なのかねって思うんだけどな。たとえば、天上界に還られた昭和天皇は、いまの皇室をどう見てらっしゃるのかなあ?なーんて疑問もってる人、いませんか?幸福の科学の大川隆法先生は、2010年に刊行された『保守の正義とは何か』(幸福の科学出版)で、まさに昭和天皇その人の言葉(霊言)を、次のように伝えておられます。危機であることは間違いないでしょう。国民の尊敬の度合いが次第しだいに下がっていっています。戦後一貫して、「開かれた皇室」というものがありましたけれども、いろいろと報道なされるなかに、興味本位なものも流れておりますし、また、開かれた皇室や「人間天皇」をあまりにも主張しすぎたために、尊崇の念が薄れて、危機感が高まっていると思われます。特に、宮内庁は、いちおう内閣の指導下にあ...昭和天皇は現在の皇室をどう考えてるの?
相も変わらぬ手のひらの写真でございます。 なぜ手のひらかと申しますと、美形でもないオッサンの顔とか誰も見たくはないと思うからです(笑) ナルシストってスゴいなぁとつくづく思う今日この頃です。 (色んな意味で) 余談はさておき、過去にブログに掲載した写真を見て「ほんわか温かくなった!」とか「何だか楽になった」とか言っていただくこともそこそこあるのです で、それなりに効果はあるんじゃないかと感じております。 まあ、そんなわけで最近、写真体験シリーズのニューバージョンを色々と考えてみているわけです。 で、今回は猫背を改善するってお題でやります。 誰であれ使い癖によって身体に大なり小なり捻れや歪みが生…
昨日お知らせしたVoiceという団体(過去に山陽新聞に意見広告を掲載されている)が、今日の朝刊の全国紙・読売新聞への意見広告が掲載されました!実は読売新聞への意見広告の掲載の審査はギリギリまで長引いていたのです。それは山陽新聞に載せた時と違って、接種後の死亡報告件数が増えていることもあったそうですが、その中に痛ましいことに16歳男性の死亡も含まれていたからなのだそうです。その未成年のことは厚労省で発表さ...
タイトルの一件について、一度文脈を見ておきたいと思っていたので、この記事で採り上げてみたい。たいがい、「声聞の持戒は……」を検討する場合、該当する文脈しか引かれないが、今回は全体を見直してみたら、ちょっと面白かったので、確認してみたい。なお、【(2)】の続きである。〈以上は前の記事〉云何が、菩薩の開遮戒を持し、声聞乗の人唯だ遮戒のみを持すると為すと名づくや。若し諸菩薩、大乗中に於いて修行を発趣して、日の初分の時、犯戒する所有れども、日の中分に於いて一切の智心を離れず、是の如くの菩薩の戒身、壊せず。若し日の中分に犯戒する所有れども、日の後分に於いて一切の智心を離れず、是の如きの菩薩の戒身、壊せず。若し日の後分に犯戒する所有れども、夜の初分に於いて一切の智心を離れず、是の如きの菩薩の戒身、壊せず。若し夜の初分に犯戒...『大宝積経』巻90に見る「大破戒」について(3)
「ローズンゲン『日々の聖句』」より、日々の聖書の言葉を紹介しています。聖書の言葉を中心に、生活に光が差し込むようでありたいです。
私の造語に『仮定盛り』ってのがあります。 「こうに違いない!」という思い込みを土台にして、その上に「ならば、こうなるはずだ!」という仮定の話を『ブレない真実』のように盛り付けていくっていうやり方を表す言葉です。 で、盛り付けた話は仮定のはずが直ぐにその場で「そうに違いない!」という『確信』に変質していきます。 っていうか盛られてる途中で、もうすでに『ブレない真実』のように扱われていますけどね… そして、またその『確信』の上に仮定の話が盛られていくのです。 ネバーエンディング盛り盛りストーリーです。 まぁ、思い込みと決めつけのコラボレーションですけどね… 思い込みと決めつけのコラボはやがてイリュ…
今日9月2日は、語呂合わせで「くじの日」らしい。・9月2日は「宝くじの日」!(宝くじ公式サイト)以上の記事の通りなのだが、今回は「くじ」について書いてみたいと思う。仏教に関わるくじは様々あるが、今日はあみだくじを紹介しておきたい。あみだくじというのは、皆さんよくご存じだと思うが、元々は若干形が違っていたらしい。今は、くじに参加する人数分のタテ線を平行に引き、その間を横線で繋いで、参加者が必ず1人1本を選ぶと、結果は必ず異なるものとなる。その行き先で当落を判断するというくじである。ところで、元々あみだくじは異なる形をしていて、それは全体で放射線状に直線を引き、それを参加者が選んで当落を判断した。あみだくじというのは、この後者の形に由来している。あみだという名称は、阿弥陀仏のことであるし、具体的には阿弥陀仏の光背を...9月2日くじの日
先日の記事でご紹介させて頂いたVoiceという団体(過去に山陽新聞に意見広告を掲載されている)が、更に全国紙への意見広告の掲載を準備中とのお知らせをさせて頂きましたが、ついに大きな山が動き、全国紙へ掲載される運びとなりました。明日9月3日の朝刊ということです。審査には決定予定日よりも大幅に遅れましたが、無事に審査を通過して胸をなで下ろしています。これでまた多くの方の目にとまることを願って止みません。ま...
「ローズンゲン『日々の聖句』」より、日々の聖書の言葉を紹介しています。聖書の言葉を中心に、生活に光が差し込むようでありたいです。
2020年5月にライブドアブログ (『クリアー整体ヒーリング』です) からはてなブログに引っ越しましたが、すべての記事をそっくりそのままこちらへ移す予定はありません。 向こうでは10年あまり、ほとんど毎日更新して来ましたしねぇ、古い記事は朽ち果ててもいいかなって気がするのです。 とはいえ全部消えてなくなるのも惜しい気がします。復刻版と言いますか、古い記事の一部は手直しなどして、ぼちぼちとこちらへ上げてみたいなと考えております↓ 思い悩んで考え込んでいると鳩尾(みぞおち)の辺りがドヨヨ~ンと重く感じたりキリキリする方も多いんじゃないでしょうか。 それはストレスから身を守ろうとして無意識のうちにそ…
11月24日 遅読、積読。本のある雰囲気だけで自分は変容する。(「買ったが読んでいない本」からのアピールについて)
11月23日 本と私。(死生観)
11月22日 脈が弱く血圧測れず。。!!! ユングとフロイトと性欲について。
11月21西 かぜのたみさんの低コストライフに学ぶ! 食べるものは大体決まってきた。
11月20日 ぶちきれオバハンに遭遇&げんなりのことなど。
11月19日 グノーシス主義、グノーシス思想のPOINT.
11月18日 (永世厨二病患者談義) グノーシス主義に想う。
11月17日 極悪女王のこと。妬みと嫉みと不倫たたき。
11月16日 古本購入。
11月14日 私に根付く差別意識はどんな感じだろう。美と差別は非常に難しい関係だな、と思う事など。
11月15日 孤独とコミュニケーション。
11月13日 本を購入。
11月12日 我が三上。特に”厠上”のこと。
11月11日 浪漫主義でごめんなさい。
11月10日 自らが、奇跡としてたまたまこの世に生まれて、自身をどのように処してゆくかを感じ、考えることについて。
今日は9月1日である。中国や日本では、一部で、6月1日から真夏の時期の坐禅を「随意坐禅」とし、それを9月1日に解消して、また「普請坐禅」として修行を行ったという。そこで、中国禅宗の語録を見てみると、以下のような記述が目に付く。上堂。今朝九月初一なり。板を打して普請坐禅す。第一に切に瞎睡を忌み、直下に猛烈なることを先と為し、忽然として漆桶を爆破し、豁きこと雲散する秋天なるが如し。『如浄和尚語録』巻上このように、中国南宋代の禅僧・天童如浄禅師(1162~1227)は、九月一日から木版を打って、しっかりと坐禅が始まる合図を示すことで、「普請坐禅」するという。更には、少し後の時代だが、以下の教えも見える。今朝九月一、板を打して坐禅す。首座、之れを表率すると謂う。『雪巌和尚語録』巻2これは、中国臨済宗の雪巌祖欽禅師(12...九月一日坐禅板を鳴らす
所謂『予言』ってヤツは『当人にだけ都合のいい一発逆転』を求める人の最後の拠り所なんじゃないかと感じています。 少なくともそういう願望にとって都合の良いモノが少なくないのは確かです。 それはこの世界そのものが一旦ガラガラポンされて、それまであった都合の悪いモノが全て粉々になってから新たな出発をするというような内容です。ちゃぶ台返しと申しますか、兎に角古い世界が一度ぶっ壊されるってのがミソです。一言でいえば所謂『予言』というのは破壊と再生を願う者の物語です。噛み砕いていえば「腐りきった今の世の中なんて滅んじまえ! 滅んで更地になった後に理想の楽園を築けばいい!」みたいな想いの結晶なのです。 で、こ…
自分さえ我慢しておけば争わないですむ言っても伝わらないから我慢して言わないでおこうこれくらないなら我慢できるから大丈夫とか自分の気持ちを押し殺してしまって 我…
相も変わらぬ手のひらの写真でございます。 なぜ手のひらかと申しますと、美形でもないオッサンの顔とか誰も見たくはないと思うからです(笑) ナルシストってスゴいなぁとつくづく思う今日この頃です。 (色んな意味で) 余談はさておき、過去にブログに掲載した写真を見て「ほんわか温かくなった!」とか「何だか楽になった」とか言っていただくこともそこそこあるのです で、それなりに効果はあるんじゃないかと感じております。 まあ、そんなわけで最近、写真体験シリーズのニューバージョンを色々と考えてみているわけです。 で、前回横隔膜を緩めるってのをやりましたので、今回は顎を緩めるってお題でやります。 精神的なストレス…
聖書に基づくイエス様の救いの証をお語り下さい。短くても結構です。
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目に見えて分野として、スピリチュアル×心理学を使って、健康になって幸せを目指せます。
成功への極意を伝えます。たったひとつの考動力で0〜無限を生み出す秘密を伝授し 人生が好循環に回り、自分軸であなたがあなたらしく生きていけます。
ここでは、「妖精」「妖精の森」「おとぎの國」についてのイメージを、共有し合います。どこかで見た絵夲やファンタジー小説、夢に出てきた世界など、何でも。 また、リアルに妖精の森のような未來を望む書き込みも大歓迎です。 但し、旧スピ的発想や、宗教の勧誘、政党政治の推進、メディアを鵜呑みにしたり恐怖を煽るような書き込みは、すべて却下します。
アフリカ出身の夫と国際結婚し、その生活の中で体験したり学んだり考えたりしています
「純粋な」哲学の話題であれば、何でもどうぞ。 宗教、スピリチュアル、ポエム、政治、社会問題は却下です。 科学哲学は認めます。 なお、オープンな議論を促進するため、コメント機能を有効にすることが望ましいです。
スピリチュアルに触れながらも、それに傾倒しない哲学・思想などを語ってください。 直接的なスピリチュアル批判の場合は、なるべく理性的にお願いします。 スピリチュアル的な考え方は好きだけどハマり過ぎるのは考えもの、という緩い準アンチの方も考えをお聞かせください。 スピリチュアルの構造の客観的な分析なども歓迎です。 みんなの理性を結集してスピリチュアルに対抗しましょう。 なお、オープンな議論を促すためにコメント機能を開放することが望ましいです。
自分を変えようとして苦しんでいる人は多くいます。実は自分を変えようとしていることが間違いなんです。そもそもそのそのままの自分で幸せに暮らすことができます。それができるならみんなそのままの自分で暮らしたいと思っていると思います。そんなそのままの自分で幸せに暮らすためのヒントを発信します。
「奇跡」を司るのが「神」 時間・空間・物質に「奇跡」が起きた。 生命は「奇跡」の連続 「大いなる意思」は「神の愛」 人間は皆、「神の子」です。