聖書に基づくイエス様の救いの証をお語り下さい。短くても結構です。
「過ちを犯したら、過ちを犯した当人がその償いをする、それが霊的法則です」「一人一人の人間が、自分の行為に自分で責任を取ります。それが自然の摂理なのです。いかに愛する人とはいえ、その人に代わってあなたが責任を取るわけにはまいりません。その人の行為の結果をあなたが背負うことはできません。それを因果律というのです。過ちを犯したら、過ちを犯した当人がその償いをする---霊的法則がそうなっているのです。 地上...
昨日ヘルパーさんに聞いたばかりの話ですが病気で死にかけてたので仕方なくお世話してる元主人は、数ヶ月前から…お食事をお持ちするとお弁当を、じーっと数分見つめて「これ腐ってないか、大丈夫か」とか つぶやくそうで。とにかく目の前の食べ物が信用できないらしくヘルパーさんが「大丈夫ですよ」とか色々と言ってあげると壁に向かって手を合わせて何かに対して祈りを始めてから食事をする様です。精神疾患者にはよくある極普通...
この「大日経」(だいにちきょう)字輪品第十(じりんぼん)は、角川文庫「全品現代語訳 大日経」著者:大角修先生の本を主に参
「ローズンゲン『日々の聖句』」より、日々の聖書の言葉を紹介しています。聖書の言葉を中心に、生活に光が差し込むようでありたいです。
少し前のことだが、江戸時代の鈴木正三(1579~1655)『麓草分』の江戸期版本(一応、安政6年という刊記はあるが、正しいのか不明)を入手しており、今回はそれを読み解いていきたい。なお、同書の内容などは、拙Wikiの『麓草分』をご参照願いたい。ということで、この記事では同書の第一章というべき「剃髪受戒時可著心事(剃髪受戒の時、心を著くべき事)」を見ていきたいと思う。同章の冒頭では、まず『麓草分』という文献名の意味が明示される。一仏道修行に赴く人は浅きより深きに入、麓の草を分て頂上に登る可し。修行未熟にして向上に至る事かたし。意を得処は古徳直示の手段に眼を著くべし。安政6年版『麓草分』1丁表、カナをかなにするなど見易く改めたまずはこの箇所である。正三は仏道修行について、草を分けて山に入り、麓から頂上に登るようなも...鈴木正三『麓草分』「剃髪受戒時可著心事」について
人間というのは本質的に無知な生き物です。 人間ごときが何でも分かるわけがないのですから当たり前です。 でも、知らない部分は何かで補わなきゃなりません。 その何かとは簡単にいえば想像力です。 ここでいう想像力とは知らないなら知らないなりに一生懸命察したり慮ったりしようとする心の働きのことです。 先ず自分の無知を皮膚感覚で知ることが想像力を養う第一歩です。 逆に知ったつもりになればなるほど想像力を失っていきます。 想像力とは自分の無知を知ることから始まるからです。 慮るチカラが弱いというのは心の視野が狭いということです。 心の視野の狭さとは人間に本来備わった平衡感覚によって感じられるはずの感覚が十…
「愛」の「不純さ」を知ってこそ、「愛」の「純粋さ」に思い至ることができる。人間関係に関する著作を手がけるエッセイスト・長住哲雄が、「愛って何?」を、科学的、文学的、ときどき叙情的(?)に解き明かす恋愛論ブログです。
こんばんは! 今日の北海道は朝から暴風雨で各地大変なことに…。 午前中から、倒木による停電でJRが運休になっていたようで
こんにちわ😄あゆみ〜にゃ🐱です。先日ガッキーさんとホッシーさんwがご結婚されたそうですね!おめでとうございます!我が家はテレビがないので、まだ『逃げ恥』を見れておりませんが、主人公のお二人が実際にご結婚されたドラマって観てみたいですよね!人
昨日、『インセプション』という映画を観ました。 ちょっとややこしいと思うところもあったのですが、この映画を観て感じたことがあります。 映画は潜在意識へ働きかけて、 ...
「世の中の不公平はどうお考えになりますか」「地上での出来ごとはいつの日か必ず埋め合わせがあります。いつかはご自分の天秤を手にされてバランスを調節する日がまいります。自分で蒔いたものを刈り取るという自然法則から免れることはできません。罪が軽くて済んでる者がいるようにお考えのようですが、そういうことはありません。あなたには魂の豊かさを見抜く力がないからそう思えるのです。 私がいつも念頭においているのは...
今日の昼、ヘルパーさんから「私なら絶対にそんなの我慢できないわ」そんな風に言われました。生活ブログ * N a n t o n a k u * でちょっとぼやいておきました。=============================他人の介護 【もう この人 駄目かも】 私の手には おえそうにない=============================( *´ ω `* ) いやもう、とっくに ”ブチ切れてます よ”割と、色々な件でブチ切れることは多いですよ昨日書いたマンション問題について...
この「大日経」(だいにちきょう)密印品第九(みついんぼん)は、角川文庫「全品現代語訳 大日経」著者:大角修先生の本を主に
「ローズンゲン『日々の聖句』」より、日々の聖書の言葉を紹介しています。聖書の言葉を中心に、生活に光が差し込むようでありたいです。
今日6月6日は、いけばなの日らしい。・6月6日は「いけばなの日」(公益財団法人日本いけばな芸術協会)上記の通りなのだが、6月6日という日付については、稽古事を始めるには6歳6月6日が良いとされるため、この日が「いけばなの日」になったらしい。冷静に考えてみると、稽古事なら何でも良いということになりそう・・・ところで、いけばなといえば、伝統的な芸術になるが、歴史的には仏教の影響があったともされる。・いけばなの歴史(池坊)・いけばなの歴史(いけばな草月流)いけばなの起源は一般に、仏教とともに伝来した仏前の供花にあるとしている。ただし、神を招く依り代として常緑樹を立て、花を飾った日本古来の習俗から来たものとする説もあるというが、正直、神道の説は信用出来ないことが多いからな。ここでは、仏教を採っておきたい。仏教の場合、以...6月6日いけばなの日
ヒーリングなんてことをしておりますと所謂成仏していないヒトに出会うことは決して珍しくありません。 珍しくないというのも随分控えめな言い方なんですけどね… 所謂『成仏』してないヒトの多くが生きていた時の刷り込みとそれに基づく条件反射でほぼ動いているようにお見受けします。 「死んだらお墓に行かなくちゃ!」とか「仏壇に居なくちゃ!」とかいう想いでズルズルと動くのです。 線香の煙や読経の声にも亡くなられた方は反応して寄って来ます。 それによって「自分も成仏出来るはずだ!」という生前の刷り込みの結果なのかなと感じます。 あと、自分が亡くなったこと自体分かってない人も大勢いらっしゃいます。 そういう人は道…
雑誌「anan」など60以上のメディアに取り上げられている「YOGATIVE〜ヨガティブ〜」。日本唯一のオンラインパーソナルヨガ特化型サービスで、スタジオ価格の1/3というパーソナルヨガの常識を覆す圧倒的な低価格が魅力です。YOGATIVE
祈り。国や民族、宗教によって祈りのスタイルは違っても、祈る行為そのものは太古からずっと続いている、人類に共通する神聖な行為ではないでしょうか。 私は初詣の時に「家族が健康でありますように」と決まり文句で祈る程度で、これまで祈りとは全く縁のない生活をしていました。 ところが、どういうわけか最近「祈り」によく出合うんです。 もしかして今、祈りがキーワードなのか。祈りの意味が変わりつつあるのか。 最初の出会いは白鳥哲監督のドキュメンタリー映画「祈り~サムシンググレートとの対話」でした。この映画は筑波大学名誉教授で遺伝子学者である村上和雄氏を追ったドキュメンタリー映画で、数々の賞も受賞しています。(村…
かつて自分が人のせいにばかりしていたときは気づきませんでしたが、 自分の人生を自己責任で生きるようになってからは、 人や出来事のせいにしている人がやたらと気になるようになりました。 「○○のせい」というパラダイムで生きている人々です。 人生をいくつかのステージに分けるならば、 一番低いところにあるのがこのパラダイムです。 人生がうまくいっている人ほど他人のせいにしません。 それはうまくいっているから他人のせいにしないのではなく、 他人のせいにしないから人生がうまくいっているのです。 常に「あり方が先結果が後」だからです。 「○○のせい」というパラダイムのもたらす悲劇 他人が悪いという視点 傲慢…
あのときとりつかれていたなんてわかるわけがないそしてとりつかれたのは自分自身自分の隙に・・・これはどんな人にも言えることかもしれないけれど誰であろうが自分の口から出たのは自分の言葉そこに同調...
「宇宙の摂理の前では絶対に不公平はありません」「時として人生が不公平に思えることがあります。ある人は苦労も苦痛も心配もない人生を送り、ある人は光を求めながら生涯を暗闇の中を生きているように思えることがあります。しかしその観方は事実の反面しか見ておりません。まだまだ未知の要素があることに気づいておりません。私はあなた方に較べれば遥かに長い年月を生き、宇宙の摂理の働き具合を遥かに多く見てきましたが、私...
これまで、【菩薩戒授与に於ける三師について】や【宗門授戒会の三師について】という記事の中で指摘したように、現行の宗門授戒会について考えてみると、理念的な三師(戒師:釈迦牟尼仏、羯磨師:文殊菩薩、教授師:弥勒菩薩)と、具体的な三師(戒師、教授師、引請師)という二重構造になっていて、しかもその両者の関係性は一様ではないという不思議な状態なのである。ところで、「菩薩戒授与」に於ける「三師」について考えてみる際に、以下の一節を学んでおきたい。・『梵網経』には、和上・阿闍梨の二師を請じて、仏像前において梵網戒の受戒をなす作法が示されていますが……・この梵網戒の受戒作法を明かす『授菩薩戒儀』がありますが、これは『観普賢菩薩行法経』に説く受戒作法を受けて、釈迦如来を「戒和上」に請じ、文殊菩薩を「羯磨阿闍梨」に請じ、弥勒菩薩を...洞門授戒会に於ける授与者の変遷
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運命ってのは相対的なものです。世の中のモノはすべて相対的に出来ています。それは、それぞれの運命は常に絡み合い、影響を与え合いながら存在してるってことです。 だから、人と交わり、この世と交わることなくして運命は切り拓けないのです。運命とはある意味『交わり』とも申せましょう。昔の人が言った『吉凶禍福動より生ず』とはそのことではないかと思われます。つまり、人の運は人・モノ・場所との出会いとその際における選択から生まれます。 そうやって生まれた一つの『運』が巨大なジグソーパズルのピースのように繋がっていきます。一見繋がって無いようなピースも何処かで繋がって一つの絵になるのです。しかもそのパズルは一人の…
この「大日経」(だいにちきょう)転字輪曼荼羅行品第八(てんじりんまんだらぎょうぼん)は、角川文庫「全品現代語訳 大日経」
死活問題にも成りかねない 2年以上続いた マンション騒音問題の意外な盲点 このブログでも何度も書いてましたし2018年の夏頃からずっと長い間悩んできた問題でした。そのせいで私の生活が乱れ 仕事にも影響が出始め自律神経が乱れるなど更年期障害も悪化してましたから我慢してるだけでは駄目ということで==============================早朝5時の単発数分騒音で起こされても、睡眠不足すぎるので、何とか二度寝が可能です...
「愛」の「不純さ」を知ってこそ、「愛」の「純粋さ」に思い至ることができる。人間関係に関する著作を手がけるエッセイスト・長住哲雄が、「愛って何?」を、科学的、文学的、ときどき叙情的(?)に解き明かす恋愛論ブログです。
「阿・ア」の次は「暗・アン」の思念するのがわかります。「大日経」(だいにちきょう)成就悉地品第七(じょうじゅしっちぽん)
「1日1個のりんごで医者いらず」というイギリスのことわざがあるくらい、りんごは栄養が豊富で 健康効果の高いフルーツです。私は、毎朝 りんごを食べるようにしています。そして、りんごの皮をむきながら、この曲が流れる一日の始まりが大好きです。『美
「神は決して我が子を見捨てるようなことは致しません」「地上では必ずしも正義が勝つとはかぎりません。なぜなら因果律は必ずしも地上生活中に成就されるとはかぎらないからです。ですが地上生活を超えた長い目で見れば、因果律は一分の狂いもなく働き、天秤は必ず平常を取り戻します。霊的に見て、あなたにとって何がいちばん望ましいかは、あなた自身には分かりません。もしかしたら、あなたにとっていちばん嫌なことが実は、あ...
以前、【何故、出家者は髪を剃らねばならないのか?】という記事をアップした後で、色々なご意見を頂戴した。そこで、そのご意見の中で、幾つか検討しておきたいことが出て来たので、その辺も見ておきたい。まずは、釈尊自身の浄髪(剃髪)についてである。気になって調べていたら、興味深い一節を見出したので、参照しておきたい。問うて曰く、「仏、常に剃除するや不や」。答えて曰く、「爾らず。仏の髮、常に剃髮後一七日の状なるが如し」。『薩婆多毘尼毘婆沙』巻8この、『薩婆多毘尼毘婆沙』という文献は、薩婆多部(説一切有部)の毘尼(律)への毘婆沙(註釈)であるから、『律』そのものではなく、註釈となる。その中に、仏の髪についての言及があったので、採り上げてみたのである。それで、或る人が仏に、「仏は常に浄髪をしているのでしょうか?」と尋ねたところ...何故、出家者は髪を剃らねばならないのか?(2・釈尊編)
「人と関わりたくないって思うのはおかしいですか?」そんな風におもってるあなたへ。解決方法は3つあります。是非読んで実践して幸せな人生を手にしてくださいね。
「ローズンゲン『日々の聖句』」より、日々の聖書の言葉を紹介しています。聖書の言葉を中心に、生活に光が差し込むようでありたいです。
心に荒々しさの火を灯せばとりあえずすぐに『前向なココロ』を得られます。 例えば心が折れそうなことがあっても「何くそ! ふざけんな!」と思うことでへこたれずに済んだってことは誰しもあるでしょう。 だから、荒々しさの持つある種の力強さに魅せられる人が後を絶ちません。 荒々しい心というものは良くも悪くも『分かりやすい生命力の噴出』を促すからです。 でも、荒々しさを生きるための推進力として使い続ければそのうち無理が出てきます。 荒々しさを推進力にするためには絶えず心に『怒り』の炎を燃やしておく必要があるからです。 怒りのエネルギーを燃やすって、つまりはアドレナリンの沸騰みたいなモノを求めてるんです。 …
今日は ツヤツヤ (๑ •̀ ㅂ •́ )و✧日曜のダメージがきつすぎたのか月・火・水・と、だるだるで仕事してたんで今日は眠れるだけ寝ておきました。とは言っても、4時過ぎ頃に寝て10時に起きて 14時過ぎ頃に寝て16時に起きたので7時間半程です。やっぱ7時間半ぐらいの睡眠が私にはよさげ。今週の月曜日に最後のオリズルランの赤ちゃんをを里子に出したので部屋の中がスッキリした感じがして最高に気分が良いです。自分の部屋に残...
どうしてこうなったの?の問いに対して、「だってそうなんだもん。」って、子供の頃には何度も言った覚えがある。今はそんな返答してたら、「子供かょ…」って、間違いなく言われるだろうな。因果関係とか、正しい工程とか、これがこうなって、だからそれがこうなった結果、
この「大日経」(だいにちきょう)悉知出現品第六(しっちしゅつげんほん)は、角川文庫「全品現代語訳 大日経」著者:大角修先
今回は電子メール(E-Mail)についてお話しします。 最近では、LINEやSNSが発展して、すっかりプライベートでメールを使う人は 少なくなりましたね。 でも、インターネットが発達して、まず情報のやり取りというか伝達とかの始まりは間違いなくこのE-Mailです。 電子メールはその名のとおり、ネットワーク上の郵便です。 皆さんご存知の通り、文章に加えて写真とかExcelで編集した書類とかも添付して、メールアドレスを持っている人であれば、世界中の誰にでも送る事ができます。 電子メールの仕組み 電子メールのサービスを提供するプロトコルはSMTP(Simple Mail Transfer Proto…
「幽霊と霊とはどう違うのでしょうか」「幽霊も霊の一種です。が、霊が幽霊になってくれては困るのです。地上の人たちが幽霊と呼んでいるのは、地上生活がとてもみじめだったためにいつまでも地上の雰囲気から抜け出られないでいる霊が姿を見せた場合か、それとも、よほどのことがあって強い憎しみや恨みを抱いたその念がずっと残っていて、それが何かの拍子にその霊の姿となって見える場合の、いずれかです。幽霊さわぎの原因は大...
食べ慣れた柑橘系は、お子様からご高齢の方にも使いやすい精油ですね♬柑橘類特有の「リモネン」成分を多...
以前、【「清浄なる行者破戒の比丘」の続きの話】という記事を書いたのだが、更にその続きである。勅問の九に曰く、経に曰く、清浄の行者、涅盤に入らず。破戒の比丘、地獄に入らず、と。清浄の行者、涅盤に入るべし。什麼と為てか入らざるや。破戒の比丘、地獄に入るべし。什麼と為てか入らざるや。師曰く、涅盤と地獄の二見を存するは、小乗の見解なり。善悪不二、邪正一如の処に於いて、什麼をか清浄・破戒を論ぜんや。円覚了義経に曰く、衆生と国土、同一の法性なり。地獄と天堂、皆な浄土と為す。一切の煩悩、畢竟解脱す、云云。然れば則ち、涅盤の求むべき無く、地獄の厭うべき無し。何ぞ清浄・破戒を論ぜんや。瑩山紹瑾禅師『十種疑問』第9問答、『曹洞宗全書』「宗源(下)」巻・497頁上段、訓読は拙僧これは、伝承としては、瑩山紹瑾禅師が後醍醐天皇からの勅問...「清浄なる行者破戒の比丘」の続きの続きの話
「ローズンゲン『日々の聖句』」より、日々の聖書の言葉を紹介しています。聖書の言葉を中心に、生活に光が差し込むようでありたいです。
例によって例のごとく独断と偏見のお話です。 あくまでも個人的な意見としてご覧くださいm(_ _)m 今巷で大多数の人々がしているマスクについてです。 マスクってのは防疫のためにするものってのは共通の認識があると思います。 ただ、自分が病気に感染しないためではありません。 普通の風邪で考えても、マスクをする時にはもう風邪引いてますからねぇ。 つまり、マスクってのは自分が罹った伝染病を他人にうつさないための道具だってことです。 自分がうつらないためではなく、他人にうつさないためです。 大事なことなので、二度申し上げました。 で、ここからが本題です。 新型肺炎の蔓延によってマスクをすることが推奨され…
聖書に基づくイエス様の救いの証をお語り下さい。短くても結構です。
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目に見えて分野として、スピリチュアル×心理学を使って、健康になって幸せを目指せます。
成功への極意を伝えます。たったひとつの考動力で0〜無限を生み出す秘密を伝授し 人生が好循環に回り、自分軸であなたがあなたらしく生きていけます。
ここでは、「妖精」「妖精の森」「おとぎの國」についてのイメージを、共有し合います。どこかで見た絵夲やファンタジー小説、夢に出てきた世界など、何でも。 また、リアルに妖精の森のような未來を望む書き込みも大歓迎です。 但し、旧スピ的発想や、宗教の勧誘、政党政治の推進、メディアを鵜呑みにしたり恐怖を煽るような書き込みは、すべて却下します。
アフリカ出身の夫と国際結婚し、その生活の中で体験したり学んだり考えたりしています
「純粋な」哲学の話題であれば、何でもどうぞ。 宗教、スピリチュアル、ポエム、政治、社会問題は却下です。 科学哲学は認めます。 なお、オープンな議論を促進するため、コメント機能を有効にすることが望ましいです。
スピリチュアルに触れながらも、それに傾倒しない哲学・思想などを語ってください。 直接的なスピリチュアル批判の場合は、なるべく理性的にお願いします。 スピリチュアル的な考え方は好きだけどハマり過ぎるのは考えもの、という緩い準アンチの方も考えをお聞かせください。 スピリチュアルの構造の客観的な分析なども歓迎です。 みんなの理性を結集してスピリチュアルに対抗しましょう。 なお、オープンな議論を促すためにコメント機能を開放することが望ましいです。
自分を変えようとして苦しんでいる人は多くいます。実は自分を変えようとしていることが間違いなんです。そもそもそのそのままの自分で幸せに暮らすことができます。それができるならみんなそのままの自分で暮らしたいと思っていると思います。そんなそのままの自分で幸せに暮らすためのヒントを発信します。
「奇跡」を司るのが「神」 時間・空間・物質に「奇跡」が起きた。 生命は「奇跡」の連続 「大いなる意思」は「神の愛」 人間は皆、「神の子」です。