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1193年(建久四年)5月28日に、富士野の巻き狩りにおいて、曽我兄弟の仇討事件が、発生したことは、既に、詳述した。 父の河津祐通の仇、工藤祐隆を、曽我祐成…
繰り返しになるが、源義朝には、九人の息子がいた。 義平、朝長、頼朝、義門、希義、範頼、全成、義円、義経である。 長男の義平、次男の朝長は、平治の乱によって、…
源頼朝は、曽我時致の言葉を聞いて、「天晴れ、男子の手本よ。本当は、頼朝に恨みなど、抱いていないのに、見苦しい様を見せまいと思って、申したのであろう」と時致を…
曽我時致が、五郎丸に捕まると、大見小平次が、祐成討死及び、時致生け捕りの報告に、頼朝の許に来た。 頼朝は、「その若造をお前に預ける」と命じ、小平次は、時致を…
混乱の中、「松明を付けて、投げ出せ」との声が飛び、松明及び、火の付いた、蓑、笠が、投げ出された。 白日の様に、明るくなった中を進み出たのが、伊豆国の御家人、…
御家人達は、次第に事情を把握すると、曽我祐成、時致の兄弟に対して、相模国の住人、横山党の愛甲季隆が、飛び掛かって来た。 『曽我物語』における、最大の見せ場と…
曽我兄弟は、工藤祐経の屋形に入ったが、祐経と王藤内の姿はなかった。 兄弟は、一瞬、呆然とするが、祐成は、「鎌倉殿の警護のため、侍所が近い。恐らく、宿直に参上…
曽我十郎祐成は、弟の五郎時致を屋形に戻らせると、屋形巡りを装い、工藤祐経の様子を探りに行った。 しかし、幕の隙間から、覗いていると、祐経の郎党に見つかり、屋…
曽我兄弟は、箱根権現の別当坊を辞すると、獄七里、山七里、野七里の箱根古道を超え、伊豆の国府、三嶋に到着した。 二人は、三嶋大社に参詣して、笠懸を七番ずつ、射…
それほど頻繁というわけでもありませんが、多少大袈裟な表現なら 「偶然の一致」もどきの史実を、筆者などは時として歴史の中に感じることが あります。 そこで今回は・・・えぇ、まったく行き当たりばったりで申し訳ないのですが、 歴史の中のそうした「偶然の一致」を探してみようと思った次第です。 すこぶる唐突な展開ではありますが、お話を「乙巳の変」…
曽我十郎祐成は、富士野での仇討の決意を固めると、虎御前を曽我の里に連れ帰った。 祐成は、虎御前に、遊女の身でありながら、自分の様な、「貧道」の者に対して、懸…
1192年(建久三年)、源頼朝は、征夷大将軍に任じられると、その祝いとして、大規模な、狩場巡りをする旨を、諸国に触れさせた。 巻き狩りは、当時、武士達の遊興…
藤原仲成は、摂津源氏の源頼政の嫡子、源仲綱の乳母子と言われる。 以仁王の挙兵以前、源頼政は、伊豆守であり、仲成は、頼政と代官として、伊豆国に下っていた。 曽…
曽我十郎祐成は、僧侶の修行を捨て、箱根山を抜け出した、弟の筥王を連れ、北条時政館を訪れた。 そして、時政は、烏帽子親となり、筥王を元服させると、自分の名前の…
筥王は、箱根山の箱根権現において、三年間、僧侶になるための修行に励んだ。 しかし、1187年(文治三年)、源頼朝が、ニ所詣のために、多数の御家人を引き連れて…
河津祐通の長男の一万及び、次男の筥王は、母の連れ子として、曾我祐信の許に赴き、養育された。 『曾我物語』では、九歳の一万及び、七歳の筥王が、九月十三夜の名月…
河津祐通には、三人の息子がいた。十郎、五郎、御房殿である。 三男の御房殿は、祐通の存命中、生まれておらず、祐通が、死去した、五日後に生まれた、御房殿は、伊東…
工藤祐経は、伊東祐親の娘、万劫御前を妻としていたが、祐経と祐親の関係悪化に伴い、万劫御前を祐経と離縁させ、土肥実平と再婚させてしまった。 祐親に所領を横領さ…
源頼朝は、平治の乱後、十四歳の時、伊豆国に流罪となったが、流人時代の二十年間の頼朝の動向を記した、書物は、少ない。 『曾我物語』は、流人時代の頼朝が、登場す…
日本の中世、「武家社会」には、「仇討」の習慣があった。 「仇討」は、無論、父母兄弟を殺害された、被害者が、加害者を殺害して、復讐を果たすことを意味する。 日…
前述の通り、源頼朝は、1184年(元暦元年)、公文所を設置した。 その後、「公文所」は、「政所」に改称される。 公文所は、荘園の公文書管理・指揮・命令・政務…
本書の「武都」の章の「天下草創」編は、「鎌倉」の章と時期は、重なっている。 筆者の意図としては、「鎌倉」の章が、源義仲、平家追討、頼朝と義経の対立と義経の死…
翌年の1186年(文治二年)3月12日、近衛基実に代わり、九条兼実が、摂政に任官し、藤原氏の長者となった。 前年の頼朝の内覧推薦は、兼実には、「寝耳に水」で…
藤原五摂家の九条家の祖、兼実は、1164年(長長寛2年)から、1200年(正治2年)に至るまで、三十六年間、日記を書き綴っていた。 その日記、『玉葉』は、平…
1185年(文治元年)12月6日、源頼朝の代官、北条時政は、源義経・源行家の頼朝への謀反に協力した、朝廷の関係者の処罰を申請した。 廟堂粛清である。 後白河…
荘園については、「坂東」の章において、既述したが、「地頭」とは何かを理解するため、再度、解説する。 日本は、6世紀以前の大和朝廷の時代、各地の豪族が、土地と…
源義経は、兄の頼朝との対立が、決定的になると、叔父の源行家と共に、後白河法皇に、源頼朝追討の院宣を求めた。 後白河法皇は、義経に強要され、院宣を下したのか、…
源頼朝は、源義仲討伐軍には、年貢の納入に滞り、食糧不足に陥っている、京に大軍を入れたため、乱暴狼藉を働いた、義仲の轍を踏ませなかった。 頼朝は、範頼の軍勢を…
源頼朝は、源義仲討伐の功績により、正四位下に叙任した。 官位は、得られなかったが、その際、頼朝は、源義仲及び、源行家に与えられていた、平家没官領を与えられて…
古代の征夷大将軍は、大伴弟麻呂、坂上田村麻呂の二代しかなく、その後、蝦夷征討を行った、文屋綿麻呂は、征夷将軍であり、「大将軍」ではなかった。 征夷大将軍は、…
「将軍」とは、中国発祥の言葉であり、文字通り、「軍を将(ひき)いる」ことである。 将軍は、比較的大規模な、軍隊の指揮官に与えられる、官職及び、称号であると同…
寿永二年十月宣旨は、源義仲が、平家追討のため、京に不在中に出されていた。 東海道を除けば、信濃国・美濃国・北陸道は、実際は、源頼朝ではなく、義仲の支配下にあ…
評価:60点/作者:野口実/ジャンル:歴史/出版:1994年 『武家の棟梁の条件~中世武士を見なおす』は、日本人が、好きな「武士」について、暴力団と断じ、…
源義仲が、破竹の勢いで、京に進撃し、平家を都落ちさせると、甲斐源氏、信濃、美濃、近江等の武士達は、義仲に従って、平家と戦った。 義仲の勢力は、頼朝を上回り、…
評価:70点/作者:五味文彦/ジャンル:歴史/出版:1992年 『体系 日本の歴史⑤~鎌倉と京~』は、小学館ライブラリーの「体系 日本の歴史」の第五弾。 …
平家の棟梁、平宗盛は、源頼朝の提案を拒絶した。 父の平清盛が、「頼朝の首を、我が、墓前に供えよ」、「「我の子孫は、一人、生き残る者といえども、骸を頼朝の前に…
源頼朝は、清和源氏の棟梁を自負していたため、親王でさえない、以仁王の令旨を受け、挙兵した、その他の清和源氏の一人に過ぎない状態を改善したいと考えていた。 下…
前述の通り、源頼朝は、富士川の戦いの後、有力御家人の説得により、上洛を諦めた。 この時、頼朝は、己の無力さを痛感したであろう。 富士川の戦いの後、源頼朝は、…
2022年(令和4年)1月9日(日)より 大河ドラマ「鎌倉殿の13人」がオンエアされます。 【第1回放送分の予告は下をクリック】 (「鎌倉殿の13人」とは) 大河ドラマ「鎌倉殿の13人」は、三谷幸喜監督が描く平安時代末期から鎌倉時代初期の話です。 物語の主人公は、鎌倉幕府2代執権「北条義時」、鎌倉幕府を開いた源頼朝の妻・北条政子の弟です。 この義時が執権に昇りつめるまでの姿を描いています。 タイトルの「鎌倉殿の13人」の13人とは、主人公の 北条義時、北条時政、比企能員、安達盛長、和田義盛、梶原景時、三浦義澄、大江広元、三善康信、中原親能、二階堂行政、足立遠元、八田知家、初代鎌倉幕府将軍の源頼…
前述の通り、源頼朝は、三つの幸運によって、挙兵に成功した。 そして、第四の幸運は、皮肉なことに、二人の兄、源義平、源朝長が、既に、死去していたことにある。 …
1180年(治承四年)10月20日、源頼朝は、平家軍との富士川の戦いに勝利を治めると、平家軍を追撃し、上洛を望んだが、上総広常、千葉常胤、三浦義澄等の有力御…
平治の乱に敗北し、源氏の棟梁、源義朝は、殺害されて、源家は、壊滅状態に陥った。 平清盛によって、死罪を免れて、十四歳にして、伊豆国の流人となった、源義朝の三…
諸国の在地領主は、近隣の在地領主との紛争の際、寄進した権門の保護を受けることで、自己の私営田を守った。 同時に、私営田の寄進は、在地領主が、権門勢力と結び付…
評価:75点/作者:坂井孝一/ジャンル:歴史/出版:2016年 『源頼朝と鎌倉』は、日本史上初の武家政権、鎌倉幕府の初代将軍、源頼朝の生涯を、特に、成功者…
★都合により、しばらくの間(10日~2週間程度)記事の更新をお休みします。☆☆☆前回の「著名人の自宅を探訪~代田・代沢散策(4):服部克久/河口慧海/萩原朔太郎/円乗院」では、世田谷区の代田を散策しながら、服部克久の自宅や文士・著名人の旧宅跡を探訪しました。今回は、代田を散策しながら、中島みゆき、なべおさみなど芸能人・著名人の自宅を探訪します。(※)他の芸能人・著名人関係の記事については、「芸能人・著名人...
今回は、「失われた三田用水遺構と戦艦大和と目黒新富士~三田用水跡散策(6)」での散策場所近くにある史跡を通じて、隠れキリシタンについて考察してみます。また、本記事は「三田用水跡暗渠散策シリーズ」の番外編となりますが、番外編としては本記事の他に以下の2つの記事とシリーズがあります。①「日本最大のイスラム寺院・東京ジャーミイを訪問」②『「芸能人・著名人の自宅」と「湧水」を探訪~代々木八幡・初台・西原・大...
源頼朝が、関東の覇者になった時、京では、後に頼朝と同盟関係を結ぶ、五摂家の一つ、九条家の藤原兼実が、その日記、『玉葉』において、頼朝を「謀反の賊義朝の子」と…
『鎌倉』の章において、治承・寿永の乱及び、奥州合戦について、既に、詳述したが、本項では、重複するが、「武家政権」の創造の視点から、頼朝の挙兵以降の動向を解説…
評価:75点/作者:高橋富雄/ジャンル:歴史/出版:1987年 『征夷大将軍~もう一つの国家主権』は、源頼朝の征夷大将軍任官に始まり、徳川慶喜の大政奉還に…
前述の通り、20世紀末までは、「いいくに(1192年)つくろう、鎌倉幕府」と、鎌倉幕府は、源頼朝が、「征夷大将軍」に任官した、1192年(建久三年)に成立し…
評価:65点/作者:坂井孝一/ジャンル:歴史/出版:2014年 『曾我物語の史的研究』は、「赤穂事件」「鍵屋の辻の決闘」と並んで、日本三大仇討と称される、…
「幕府」とは、中国の「皇帝」、日本では、「天皇」によって、「将軍」に任命された者が、朝廷の外において、朝廷のため、「政治」「行政」「軍事」を行うために設けた…
評価:75点/作者:坂井孝一/ジャンル:歴史/出版:2005年 『曾我物語~物語の舞台を歩く』は、日本三大仇討、「赤穂事件」「鍵屋の辻の決闘」と並び称され…
所用ついでに立ち寄った図書館で、ひょいと手にした本のタイトルが 「女系図でみる驚きの日本史」(大塚ひかり著)となっていました。 まったく知らない著者であるばかりでなく、内容についてもなんの知識も 持ち合わせていませんでしたので、いうならば衝動買いならぬ衝動借りをした というカタチでした。
生まれて直ぐの頃に父親を亡くし、数え二歳の頃には生母とも引き離されて 寺へ預けられる。 ですから、幼い頃に実の両親の愛情を体験することはありませんでした。 その後の僧として寺で過ごすこともまた本人の性に合わなかったようで、 そうした生活環境を嫌って、寺を出奔し奥州へ向かっています。 これが11歳の頃のことです。
評価:80点/作者:安田元久/ジャンル:歴史/出版:2000年 『逆説の日本史 5 ~中世動乱編』は、1992年から、小学館の『週刊ポスト』において、連載…
評価:75点/作者:坂井孝一/ジャンル:歴史/出版:2018年 『承久の乱~真の「武者の世」を告げる大乱』は、鎌倉幕府の三代将軍、源実朝の死後、後鳥羽上皇…
評価:70点/作者:安田元久/ジャンル:歴史/出版:1984年 『武蔵の武士団』は、武家の発生を、関東最大の律令制化の国、「武蔵国」に焦点を当て、畠山氏・…
評価:70点/作者:坂井孝一/ジャンル:歴史/出版:2014年 『源実朝~「東国の王権」を夢見た将軍』は、鎌倉幕府の三代将軍、源実朝の伝記書。 文弱の貴公…
評価:70点/作者:五味文彦/ジャンル:歴史/出版:2015年 『源実朝~歌と身体からの歴史学』は、鎌倉幕府の三代将軍、源実朝の伝記書である。 源実朝が、…
評価:75点/作者:暁太郎/ジャンル:歴史/出版:2006年 『三浦義村』は、清和源氏の累代の家人、三浦一族の嫡流、三浦義村の伝記書である。 三浦義村は、…
評価:75点/作者:上杉和彦/ジャンル:歴史/出版:2005年 『大江広元』は、吉川弘文館より刊行されている、日本史上の人物の学術伝記書である、「人物叢書…
評価:75点/作者:貫達人/ジャンル:歴史/出版:1962年 『畠山重忠』は、吉川弘文館より刊行されている、日本史上の人物の学術伝記書である、「人物叢書」…
評価:75点/作者:安田元久/ジャンル:歴史/出版:1961年 『北条義時』は、吉川弘文館より刊行されている、日本史上の人物の学術伝記書である、「人物叢書…
評価:65点/作者:細川重男/ジャンル:歴史/出版:2015年 『鎌倉将軍・執権・連署列伝』は、その題名の通り、源頼朝に始まる、鎌倉幕府の九人の将軍、北条…
評価:80点/作者:永井晋/ジャンル:歴史/出版:2010年 『鎌倉源氏三代記~一門・重臣と源家将軍』は、以仁王の挙兵から、治承・寿永の乱、源頼朝・源頼家…
評価:80点/作者:山本幸司/ジャンル:歴史/出版:2001年 『日本の歴史09~頼朝の天下草創』は、全24巻の講談社の「日本の歴史」シリーズの内、第9弾…
評価:75点/作者:永井路子/ジャンル:歴史小説/出版:1964年 『炎環』は、女流作家、永井路子の小説、第一作である。 本作は、1964年に刊行され、同…
評価:70点/作者:永井路子/ジャンル:歴史小説/出版:1969年 『北条政子』は、1967年4 月~1968年6月 に『新潟日報』に連載された、永井路子…
評価:75点/作者:永井路子/ジャンル:歴史/出版:1978年 『つわものの賦』は、鎌倉幕府草創を、東国武士団の革命として、描いた、歴史解説書。 作者の永井…
評価:65点/作者:永井路子/ジャンル:歴史/出版:1978年 『相模のもののふたち』は、鎌倉幕府草創に貢献した、相模国、即ち、現在の神奈川県の武士団に関…
評価:70点/作者:関幸彦/ジャンル:歴史/出版:2009年 『日本史リブレット人 029~北条時政と北条政子~「鎌倉」の時代を担った父と娘』は、山川出版…
~ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。 淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたる ためしなし。 世の中にある人とすみかと、またかくのごとし~ 鎌倉時代の歌人・鴨長明(1155-1216年)による随筆「方丈記」の書き出し 部分…
「教養の高さ」だと信じていたことが、ドッコイ「思い込み」に過ぎなかった。 こうしたことも少なからずあるものです。 つい先日も、筆者はそれにはまってしまいました。 それは何人かでの他愛もない雑談の折のことでしたが、何を血迷ったものか 「お茶」というなんとも高尚な話題に飛んでいったのです。 そんならそれなりの教養を披露しなくっちゃ。 肩に力の入った筆者は、
筆者のお気に入りお散歩コースの一つにもなっているのですが、名古屋市内に ある熱田神宮の西側国道の向かいにある誓願寺という浄土宗寺院は、実は 源頼朝(1147-1199年)誕生の地とされています。 えぇ、武家政権を確立し鎌倉幕府という組織を創立したあの有名な頼朝の ことで、それが証拠にちゃんと「頼朝生誕の地」
長らくの間源頼朝を描いたとされていた下の肖像画も、最近はそれを 疑問視する声が上がっているとのことです。 どうしてそんなことになっちゃうのかはよくわかりませんが、そこはそれ お話のついでですから、少し探ってみることにしました。 ところが、これが結構にややこしい道を辿ることになってしまったのです。
新型コロナの外出自粛でできた時間でネット徘徊をしていたら、ひょっこり こんな文言にぶつかりました。 一般的には「鎌倉大仏」とか「長谷の大仏」の呼び方で知られる大仏像に ついての説明文です。 ~鎌倉大仏および、大仏が鎮座する寺・高徳院の双方とも、その建造理由、 開山(…
治承・寿永の乱、第57弾ですこれまでの話はこちらから。 治承4年(1180年)11月10日(『吾妻鏡』)。この日、小栗御厨(おぐり-みくりや)を発った頼朝は…
ども!治承・寿永の乱第55弾ですこれまでの話はこちらから。 治承4年(1180年)10月25日(『吾妻鏡』)。相模国府を発った頼朝は相模国松田郷にある松田御…
治承4年(1180年)11月7日(以降の日付はすべて『吾妻鏡』に拠ります)。この日、佐竹氏を常陸国と陸奥国の国境付近へと追いやった軍勢が頼朝のもとへ凱旋してき…
歴史の劇的変化の時期には、その主役もどきの人物が登場するものです。 例を挙げるなら平家滅亡に至る時期がまさにその通りで、実際ここの局面 では「奇跡の三連戦三連勝」※を成し遂げた源義経(1159-1189年)の活躍 に目を奪われて他のことにはあまり意識が向かないものです。 ※一の谷の戦い 1184年/屋島の戦い 1185年/壇ノ浦の戦い 1185年 …
「時代区分」の名称って、それなりの規則性に沿って命名されていると ばかり思っていたのですが、必ずしもそうではないようですね。 ずっと昔の昔の大昔は、まあじゃ害するとして、一個の国家としての体裁が 整い始めて以後の時代については、その折の政権中枢の所在地を冠するのが、 ごくごく一般的なパターンだと思っていたのです。 というのは、たとえばこんな具合の「時代区分」になっているからです。 ○
「蒙古襲来」あるいは「元寇」という当時の日本国にとって歴史的な 大事件は、概ねのところこんな説明になっています。 ~日本の鎌倉時代中期に、当時モンゴル高原及び中国大陸を中心領域として 東アジアと北アジアを支配していたモンゴル帝国(元朝)およびその属国 である高麗によって二度にわたり行われた対…
弘安の役で台風が襲来したことは事実だが、東路軍の被害は比較的少なく高麗軍は7割以上が帰国している。江南軍の船は多くが沈んだが、多くの将兵は無事でまだ戦える戦力は保持していたのだが、司令官や将校たちは数万の兵卒を見捨てて船に乗って逃げて行った。その後両軍が博多湾と鷹島沖で激しい掃討戦が行われた。
弘安の役における東征軍は東路軍と江南軍の二軍編成で、総数は14万人を超える大規模なものであった。東路軍が先に合浦を出港し、6月6日に博多湾に現れたが、防塁が築かれていたための博多湾内の上陸はできず、志賀島に一部の船を上陸させたが、日本武士たちは何度も夜襲をかけて東路軍の進撃を阻んだ。東路軍は一旦壱岐に退き江南軍との合流をし、いよいよ大軍が博多湾に向かうこととなる。
第一回目の日本征伐が失敗し、元のフビライは日本再征を決断し、文永の役の翌年に使者を送り込んだが執権北条時宗は使者の斬首を命じ、次回の元寇に備えて博多湾に防塁を建設し、要衝に兵を駐在させて国の守りを強化した。一方、元は次回の元寇で必ず日本を征伐するため二十一万の大軍を送もうとしていた。
文永の役で元・高麗連合軍が一夜のうちに博多湾から消えたのは、元や高麗の正史では、兵力が不足し、矢も不足していたことが記されている。彼らの撤退は予定の行動であったのだが、鎌倉幕府や朝廷は有名な寺社に「蒙古退散」の祈祷を依頼していたことから、寺社側は祈祷の効果があったと主張した。たまたま敵軍が撤退後に高波で座礁した船が壱岐近辺に多かった記録もある。
北条時宗に関する書籍がGHQによって焚書処分されている。現状の教科書には北条時宗について,元のフビライの朝貢要求を無視したとだけ書かれているのだが、GHQ焚書処分された本には、北条時宗や元寇について何が書かれているのだろうか。文永の役では対馬や壱岐で多くの島民が略奪され虐殺され奴隷にされていることや、博多に上陸されたのち多くの犠牲者が出たことが詳しく書かれている。
大庭景親(おおば-かげちか)亡きあとの鎌倉党は武士団としての結束力をだいぶ失っていたと思われますが、勢力はほぼ温存されていました。 そして、その代表格となった…
平安時代の終わり頃、平氏棟梁であった平清盛(1118-1181年)が、 武士階層出身の初の太政大臣に任じられるや、その直後に、今度は源氏の 貴種にあった源頼朝(1147-1199年)が幕府を開くことで武家政権を確立 させることに成功しています。 そして、武士の二大勢力であるこの源氏と平氏が覇権を争った、概ね 11世紀末から12世紀末までの約100…
それまでにはなかった新しい階層「武士」の登場。その経緯を探ってみると、たいていはこのくらいの説明になっています。〜王朝国家体制の確立によって、朝廷は地方統治を事実上放棄した。 その上、桓武天皇が軍団を廃止した結果として、地方は治安が悪化し 無政府状態に陥り、16世紀まで日本列島は戦乱が頻発するようになった。 国家から土地経営や人民支配の権限を委譲された有力百姓(田堵・名主) 層は、自衛のために武装し、武士へと成長した〜 Wikipedia 「平安時代」...
いわゆる「武士政権」を最初に立ち上げた人物として、普通は平安時代末期に活動した平清盛(1118-1181年)の名が挙げられ、その仕組みを所在地の名称から(京の)「六波羅政権」という呼び方もしているようです。
♪日曜日に 市場へでかけ 糸と麻を 買ってきた (合いの手?) テュリャ テュリャ テュリャ テュリャ テュリャ テュリャ リャ テュリャ テュリャ テュリャ テュリャ リャロシア民謡「一週間」の出だし部分ですが、ちなみに月曜日以降は、♪月曜日に おふろをたいて 火曜日は おふろにはいり テュリャ・・・♪水曜日に ともだちが来て 木曜日は 送っていった テュリャ・・・♪金曜日は 糸まきもせず 土曜日は おしゃべりばかり テュリャ...
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アフリカ出身の夫と国際結婚し、その生活の中で体験したり学んだり考えたりしています
「純粋な」哲学の話題であれば、何でもどうぞ。 宗教、スピリチュアル、ポエム、政治、社会問題は却下です。 科学哲学は認めます。 なお、オープンな議論を促進するため、コメント機能を有効にすることが望ましいです。
スピリチュアルに触れながらも、それに傾倒しない哲学・思想などを語ってください。 直接的なスピリチュアル批判の場合は、なるべく理性的にお願いします。 スピリチュアル的な考え方は好きだけどハマり過ぎるのは考えもの、という緩い準アンチの方も考えをお聞かせください。 スピリチュアルの構造の客観的な分析なども歓迎です。 みんなの理性を結集してスピリチュアルに対抗しましょう。 なお、オープンな議論を促すためにコメント機能を開放することが望ましいです。
自分を変えようとして苦しんでいる人は多くいます。実は自分を変えようとしていることが間違いなんです。そもそもそのそのままの自分で幸せに暮らすことができます。それができるならみんなそのままの自分で暮らしたいと思っていると思います。そんなそのままの自分で幸せに暮らすためのヒントを発信します。
「奇跡」を司るのが「神」 時間・空間・物質に「奇跡」が起きた。 生命は「奇跡」の連続 「大いなる意思」は「神の愛」 人間は皆、「神の子」です。