chevron_left

「哲学・思想」カテゴリーを選択しなおす

cancel

仏教 無我 禅 公案 臨済 道元 

help
仏教 無我 禅 公案 臨済 道元 
テーマ名
仏教 無我 禅 公案 臨済 道元 
テーマの詳細
仏教「佛教」(ぶっきょう)とは、仏陀(ブッダ)の説いた教え、仏(仏陀、覚者、真理に目覚めた人)の宗教、また、仏に成るための教え。 近世では広く釈尊(しゃくそん)を開祖とする宗教のことをさす。 仏教では、個人が自ら真理(法=ダルマ、ダンマ)に目覚めて「悟り」を得てゆく過程が重視され、最終的には「自分として執着している自我(アートマン)は実体ではない(無我)」と覚り、苦の束縛から解放されること(=解脱)を求める。
テーマ投稿数
3,190件
参加メンバー
120人

仏教 無我 禅 公案 臨済 道元 の記事

2020年08月 (1件〜50件)

  • #スピリチュアルカウンセラー
  • #オカルト
  • 2020/08/31 09:37
    戒定慧(其の一)(指月慧印禅師『荒田随筆』参究18)

    江戸時代の洞門が輩出した学僧・指月慧印禅師の主著である『荒田随筆』について学ぶ連載記事である。今回から、版本で上巻之下に入っていくが、本巻は「戒定慧」「諦縁度」「伝教」の三章からなっている。それで、今回からは「戒定慧」の一章を学ぶのだが、これが曹洞宗的には難しい。一般的な仏教では、「戒定慧の三学」などと呼ばれ、持戒⇒禅定⇒智慧という風に修行の階梯を上っていくイメージがある。ところが、曹洞宗では道元禅師が以下の教えを残しておられる。はじめ達磨大師、崇山の少林寺にして九年面壁のあひだ、道俗、いまだ仏正法をしらず、坐禅を宗とする婆羅門となづけき。のち代代の諸祖、みなつねに坐禅をもはらす。これをみるおろかなる俗家は、実をしらず、ひたたけて坐禅宗といひき。いまのよには、坐のことばを簡して、ただ禅宗といふなり。そのこころ、...戒定慧(其の一)(指月慧印禅師『荒田随筆』参究18)

  • 2020/08/30 16:21
    マルティン・ルター『九十五箇条の提題』を学ぶ・13

    ドイツ宗教改革の発端にもなったとされるマルティン・ルターの『九十五箇条の提題』の日本語訳を学んでいく連載記事である。連載13回目である。13死を迎えようとしている者は、死によってすべてを支払うのであり、教会法の規定に対してはすでに死んだ者となっていて、その法の規定から解放されている。深井氏下掲同著・16頁上記の通り、ルターは教会法の規定を生前の者にのみ限定しようとしており、これは結果として、本人の悔い改めによる救いは、生前の者のみが行うことが出来るということを明言しようとしたのだろう。これはつまり、「贖宥状」の救いが、死後の者へも及ぶとされていたことへの批判になるといえよう。それで、例えば教会法について、拙僧なりに調べた限りでは、以下のような一節を見出すことが出来た。第12条洗礼を受けていない者,ならびに十分に...マルティン・ルター『九十五箇条の提題』を学ぶ・13

  • 2020/08/29 09:18
    第八条・有事可論条(『僧尼令』を学ぶ・8)

    連載は8回目となる。『養老律令』に収録されている『僧尼令』の本文を見ているが、『僧尼令』は全27条あって、1条ごとに見ていくこととした。まずは、訓読文を挙げて、その後に拙僧なりの解説を付してみたい。なお、釈雲照補注『僧尼令』も参考にすることとしたい。凡そ僧尼、事有りて須く論ずるに、所司に縁せずして、輙く表啓を上り、并せて官家を擾乱し、妄りに相い嘱請すれば、五十日苦使。再犯すれば、百日苦使。若し官司及び僧綱、断決不平にして、理屈滞すること有りて、申論すべきこと有れば、此の例に在らず。『日本思想大系3』218頁を参照して、訓読は拙僧上記一節は、僧尼と朝廷との関係性を定めたものである。要するに、僧尼の側で何か政治に対して要望があったとして、それを監督官庁(具体的には、治部省・玄蕃寮だとされる)や国司(特に、京都以外の...第八条・有事可論条(『僧尼令』を学ぶ・8)

  • 2020/08/28 08:20
    8月28日 今日は道元禅師忌(令和2年度版)

    旧暦の日付であれば8月28日は道元禅師の忌日である。明治時代の改暦の関係で、道元禅師の忌日は9月29日となり、そして、正中2年8月15日に御遷化された瑩山紹瑾禅師の忌日も改暦換算の結果、9月29日だったということで、両祖忌としてこの日に仰いでいるのである。それで、毎年の言い訳なのだが、拙ブログでは8月15日は、終戦の日に因んだ記事を挙げることとしており、そうなると瑩山禅師のことは9月29日に取り上げるべきだということになる。そこで、8月28日に道元禅師の忌日の記事を挙げるようにしているのである。現在では一般的に9月29日に両祖忌となるので、お間違えのないようにしていただきたい。さて、今日は、最近個人的に読み進めている『義雲和尚語録』から、永平寺5世・義雲禅師(1253~1333)の賛を見ておきたい。捷俊たる奇相...8月28日今日は道元禅師忌(令和2年度版)

  • 2020/08/27 22:35
    無我って(その5)

    幸福の科学の教え(大川隆法先生の書籍)で、みなさまの人生の悩みや疑問などを解決するお手伝いをします。

  • 2020/08/27 14:57
    雑 第二十五 其16(富永仲基『出定後語』を学ぶ43)

    ここ1年以上にわたって、最後の一章「雑」を採り上げています。本章は「雑」の字の通りで、他に一章を立てるほどが無い程度の内容でもって、様々な事柄を富永仲基が論じたものです。本当に種々雑多な内容ですが、見ていると20前後の節に分けられそうなので、一つ一つ見ていきたいと思います。四分律に云く、「仏、諸比丘をして、長幼相い次いで礼拝せしむ。一切の白衣を礼拝すべからず」。涅槃経に亦た云く、「出家人、在家の人を礼敬せず」。此に在家と云う者、泛乎として之を言う。一切の白衣も亦た然り。梵網経に則ち云く、「出家人の法、国王・父母・六親を礼拝すべからず。亦た鬼神に敬事せず」と。是れ益ます厳刻、父母を拝せざるに至りて、而も極まる。然而、梵網に又た云く、「父母・師僧・三宝に孝順す」と。是れ見つべし、梵網の刻と雖も、亦た父母に孝順せざる...雑第二十五其16(富永仲基『出定後語』を学ぶ43)

  • 2020/08/26 09:55
    盂蘭盆会を施食会ではない方法で行うには?(3)

    ウチの宗派の場合、7月に色々と述べた通りで盂蘭盆会は施食会で行うことがほとんどなので、もう疑問にすら思われていないとは思うのだが、盂蘭盆会と施食会とは本来、異なった法会である。そのため、実は冷静に曹洞宗の盂蘭盆会の行持を見てみると、色々なところで違和感を得ることになる。まぁ、最大のものは、施食会に関係する阿難尊者の名前は『甘露門』中などで聞くことがあるが、本来の盂蘭盆会に関わる目連尊者の名前は聞かないことも多い、ということになる(『疏』などを唱えれば聞くが、まぁ、それも一般寺院では珍しいのでは?)。これは、以前も【(1)・(2)】を書いたが、その続きとして、記事のタイトルのことを検討してみたい。そこで、少しく考えてみたいこととして、『盂蘭盆経』自体は法要に転用できるのだろうか?『大正蔵』巻16に収録されているの...盂蘭盆会を施食会ではない方法で行うには?(3)

  • 2020/08/25 08:59
    盂蘭盆会を施食会ではない方法で行うには?(2)

    拙僧的に、他の宗派の法要なども見つつ、盂蘭盆会を曹洞宗的な施食会を用いずに行う方法を検討しているのである。既に、【(1)】はアップ済みであるが、そこから更に浄土宗の文献に出ていることが分かったので、それを見ておきたい。まずは、差定のみ上げさせてもらい、気になるところを更に掘り下げてみたい。○盂蘭盆会○作相昇堂洒水等如常○香偈○三宝礼○歎仏偈○略懺悔○十念○四智讃○合鉢打鐃○導師向三宝壇焼香献供三拝○勾頭奉請三宝○稽首釈迦真教法……○我等各為報答所生父母……○維那供茶○導師焼香○次祭文○三宝称号○変食陀羅尼二十一遍○七如来尊号○次弥陀大咒○盆供疏○次開経偈○次弥陀経行道畢テ回向其文○一切精霊生極楽偈(十念)○光明遍照文○念仏一会○次三帰礼○次送仏偈金井秀道編『浄土苾蒭宝庫』上巻(教報社・明治27年)21丁裏~23...盂蘭盆会を施食会ではない方法で行うには?(2)

  • 2020/08/24 10:18
    今日は懐奘禅師忌(令和2年度版)

    今日8月24日は、旧暦の日付であれば大本山永平寺2世・永平懐奘大和尚(1198~1280)の忌日である。宗派内では一般的に、孤雲懐奘禅師と呼ばれているが、拙僧が宗門の古い時代の写本などを見た研究に依れば、この方は道号をお持ちではなかった。よって、永平寺の住持であったことに因み、永平懐奘大和尚と呼ばれるべきである。さて、今日という懐奘禅師の忌日に、呼称の問題について検討してみたい。まず、いつ頃から「孤雲」の道号で呼ばれるようになったかだが、これが良く分からない。例えば、永平寺の三祖までの古伝といえる『永平寺三祖行恒規』の異本である『三大尊行状記』には、『元祖孤雲徹通三大尊行状記』と題されている系統もあり、例えば、『曹洞宗全書』「史伝(下)」巻にはそれが収録されている。ただし、その内容を見ると、「永平二代懐奘和尚行...今日は懐奘禅師忌(令和2年度版)

  • 2020/08/23 10:17
    『梵網経』から盂蘭盆会へ

    今回の記事を書くに当たり、以下の一節を頂戴してみたい。更に進んでは仏陀甘露の妙法を以て親を済度し親をして転迷開悟成仏得脱せしむるが如き、或は此世の親ばかりで無く過去世の親や先祖の供養を行ふが如きは、大孝中の更に大孝なるものである、盂蘭盆は正しく此大孝中の大孝たる仏事なのぢや、我国は神代の昔しより惟神の道として忠孝一体といふ教が定つて居る、仏教儒教の伝はるに及んで其道は益々明らかに世に現はれて来たぢや、忠と孝とは道徳の源泉であるから、之を君と親とに対する単純なる義務とのみ思ふてはならぬ、梵網経には所謂常住仏性の孝順心・慈悲心の発現したものぢや、『永平悟由禅師法話集』鴻盟社・明治43年、66頁これは、大本山永平寺64世・森田悟由禅師の御法話を参照したものである。この御法話から、我々の菩薩戒の根本聖典である『梵網経』...『梵網経』から盂蘭盆会へ

  • ブログみる【初心者カメラ教室】写真・カメラの情報をブログみるで閲覧する方法とは - ぎんがのカメラブログ
  • 2020/08/22 11:56
    「十六条仏戒提唱」参究(7・竟)

    【(6)】の続きである。まずは、本文を見ておきたい。粤に大正黙紹禅師選集宋朝禅戒方法通記を拝覧して、其の旨を得たり。亦復吾が伝戒儀規本を接するに、加行及び独懺壇上等の設を云はず、戒室荘厳を指南するのみ。又云、若し人受戒せんと欲せば、其の前日或は当日諸戒師得戒すと〈云云〉。復た次に懺法の儀は、教授戒文我昔所造の四句の文にて身心内外ともに清浄なることを得たり。捨身の行は一向に見えす。但し梵網に身臂指を焼て仏を供養するの文ありといゑども、吾宗抑止門とて不許之義也。右の通りに依て、七日の加行を一日摂し、戒資銭を二百銅に縮め、其の間暇なき士或は貧乏の輩を教て二千五百有余人授戒血脈施為して以て元祖の深意に酬い上る。夫れ三国伝来戒壇記に云く、支那代宗皇帝勅大興禅寺建立方等戒壇教貧乏之士授戒即是大乗戒壇之始也〈云云〉。乃ち是れ...「十六条仏戒提唱」参究(7・竟)

  • 2020/08/21 08:59
    「十六条仏戒提唱」参究(6)

    【(5)】の続きである。まずは、本文を見ておきたい。然に中古より只其血脈のみを相伝して式法を失ひ、伝式(戒の誤記か?)方法一向に絶たり、粤に大乗月舟宗胡禅師出世して、此の戒儀式法を再興せられてより以来、日本洞門一宗盛に今興行することなり、興行するといゑども、此の戒の意根を委くせず、其式法亦檗派の戒式を混雑せり、その意根とは此の菩薩戒は梵網儀疏菩薩戒六種方法より出て、唐宋諸宗祖師盛に興行す、吾禅祖是に順じて是に順じて羯磨を立なり、或は叡山伝教大師顕戒論を着して大乗円頓戒を立るなり、法嗣の光定大師は一心戒文を着して此の戒を謂て達磨の一乗戒と説き玉ふ、然りと雖ども伝教家に血脈異説あり。吾が禅祖の如きは如来より二十八代達磨に到り又六伝して慧能に至り、又十九伝して永平に及す、其戒相の説き羊、戒室の設羊、他家に異なり、猶更...「十六条仏戒提唱」参究(6)

  • 2020/08/20 08:24
    「十六条仏戒提唱」参究(5)

    【(4)】の続きである。まずは、本文を見ておきたい。最初建仁明全和尚より此の戒を受け給ふ時、明全和尚すし(じの誤記か?)の黄龍派の玄流祖、其の名字をつら子たるを以て此の戒を授与する証拠とせらる。然ば済家に相伝する戒法も禅門十六条の菩薩戒にして毛頭相違なし、是故に今の血脈に済下・洞下の祖々を連名したり、また最初明全より受戒し玉ふ、其の戒相の厚き事を感じて洞済一轍全く他岐無し云者なり、第三に夫れ仏心印単伝の嗣書は証契即通の故に容易にせず、今此の仏戒は仏性平等因縁一念解語発菩提心を以て故に、国王大臣乃至比丘比丘尼婬男婬女変化迄に、法師の語を解して尽く戒を受得すれば、三世一切衆生に流通して、化々して絶へざらしむの金説を感得して、元祖新に血脈を製て道俗具用して以て平等一致に他地帰入せしむるの大慈悲門なり、弟子等宜く元祖の...「十六条仏戒提唱」参究(5)

  • 2020/08/19 19:07
    清貧の思想って?

    幸福の科学の教え(大川隆法先生の書籍)で、みなさまの人生の悩みや疑問などを解決するお手伝いをします。

  • 2020/08/19 09:24
    今日は俳句の日(令和2年度)

    今日8月19日は、語呂合わせで「俳句(ハイク:819)の日」である。よって、少しく仏教と俳句について学んでみたい。ところで、個人的な感想ではあるが、松尾芭蕉は仏教に関する俳句は少なく、小林一茶には多い印象である。理由などについては、考察したことがないので良く分からないが、本人の信条なども関わることであろう。さて、これは、昨年度の記事でも紹介した文章なのだが、東洋大学を開いた井上円了(1858~1919)が、こんなことを指摘している。第九十六話仏経中の俳句先年一二の雑誌に見えたる話なるが、福地源一郎氏の父は頼山陽の門人なり、一日論語中に三十一文字の和歌あることを発見し、先生に語りて曰く、日本にて和歌の始は神代の八雲たつ出雲八重垣の歌なるが、支那にて和歌の始は何人の時代なるや承りたしと、先生曰く、支那に和歌のあるべ...今日は俳句の日(令和2年度)

  • 2020/08/18 09:55
    「十六条仏戒提唱」参究(4)

    【(3)】の続きである。まずは、本文を見ておきたい。然ば吾宗仏心印単伝は証契即通の故に一師印証にして必再伝なし、禅門菩薩戒は仏性平等の因縁一念解語発菩提心の故に幾度も受戒して仏種を増長すべし、夫れ禅門菩薩戒は他家の戒儀に同じからず、所謂華厳云、初発心時便成正覚を以て戒体と為す、梵網・瓔珞の仏性平等因縁一念解語発菩提心を以て戒用と為す、是故に戒相の立て羊、戒室の設け羊、猶を教授戒文の如きは心地を以て是を談ず、其戒相説といゑども曽て戒相に帯隨せず、実に夫夜半正明天曉不露にして、凡夫二乗の知る所に非ず、是故に正戒の相を取らず、亦た邪念の心も無し、計我着相の者、乃ち滅尽取証の人、触所に非ず。此の事を以ての故に、吾が禅門戒と元来永平最初に建仁明全和尚より授戒し玉ふ、其時自家の玄流を書して其終に菩薩戒は禅門の一大事因縁等の...「十六条仏戒提唱」参究(4)

  • 2020/08/17 09:13
    「十六条仏戒提唱」参究(3)

    【(2)】の続きである。まずは、本文を見ておきたい。汝〈是は栄西のこと〉海に航し来て禅を予に問ふ〈予は虚庵のこと〉、因みに先ず此の戒を授く〈是は仏心印より先と云こと故に先と云なり〉、法衣・応量器・坐具・宝瓶・拄杖・白払、不遺一物授畢〈已上は悉く是れ戒具なり〉、茲に因て観之洞済一轍〈洞下は洞山下永平、済下は臨済下建仁〉、此の戒法を以て汝に授く〈戒法は禅門戒儀規授戒交伝戒式〉、汝じ能く護念して〈持の義なり〉、失墜せしむること莫れ、至切至切〈至り到りて相続事一大事なり〉。所謂元祖永平先最初建仁栄西同明全に参じ玉ふ、栄西禅師遷化之后、明全禅師に依因して受戒し玉ふ、其戒即ち禅門十六條の菩薩戒也。其后明全に随侍して入宋し玉いて終に天童に登て如浄禅師を拝して身心脱落脱落身心機に投着し即ち如浄禅師の禅室に入り、釈迦牟尼仏より如...「十六条仏戒提唱」参究(3)

  • 2020/08/16 10:41
    「十六条仏戒提唱」参究(2)

    【(1)】の続きである。まずは本文を見ていきたい。霊山又霊鷲山是釈迦牟尼世尊なり、少林又嵩山是達磨大師なり、曹渓は是六祖慧能大師なり、洞山是良价又悟本大師也、天童是如浄禅師なり、永平是日域曹洞初祖道元仏法禅師なり、釈迦牟尼仏より永平元祖又五十一代余人雑へず嫡嫡相承し来る。故に今吾に到ると云。吾れ今汝に附す〈此の汝は今の戒弟なり〉。謹で按ずるに〈是は永平の言乎〉大宋淳熙〈己酉〉九月望且(日の誤記)、東林〈寺号〉敞和尚〈虚庵の名也〉在天台日〈天台山万年寺〉維摩室に於て〈方丈之事〉、西和尚に示して云く〈日本建仁寺栄西禅師也〉、菩薩戒は〈禅門十六條の仏戒也〉禅門の一大事因縁也〈是は前篇に弁ずる也〉、然りと雖ども後学の為に再弁す、夫れ吾達磨禅は六度の禅にあらず、如来最上乗直指単伝の禅なり、是を仏心印と云。夫禅はひとゑにし...「十六条仏戒提唱」参究(2)

  • 2020/08/15 13:58
    75年目の終戦の日(令和2年度版)

    今日8月15日は、一般的には「終戦の日」と呼ばれている。実際には、第二次世界大戦の一部となった太平洋戦争に関して、1945年8月15日に、当時の昭和天皇がラジオを通して全国民に、「ポツダム宣言受諾」を表明し、無条件降伏を受諾したのであった。もちろん、同時に外交的な通知も行われており、日本はアメリカ合衆国を中心とした連合国相手に、無条件降伏を表明したのであった。そのため、今日は75年目の「終戦の日」となるのだが、ただ、日本では盂蘭盆会の正当でもあるから、先の戦争で亡くなった人たちへの供養を表明することは当然だとして、それ以外に、平和主義・反戦・非戦などなど、戦争について考える日にするべきなのだろう。そこで、拙ブログでも例年、この日にはユマニストたる拙僧自身の立場を表明しつつ、戦争について冷めた眼差しを送ることにし...75年目の終戦の日(令和2年度版)

  • 2020/08/14 16:15
    「十六条仏戒提唱」参究(1)

    これは、【「三国伝来戒壇記」参究(3)】の続きである。当初、「三国伝来戒壇記」と、今回から見ていく「十六条仏戒提唱(原典にはタイトルがないので、「仮題」である)」については、関係が無い著作だと思っていたが、既に紹介したように、「十六条仏戒提唱」は、「三国伝来戒壇記」を受けつつ、曹洞宗の伝戒や、戒壇を示すことで、その独自性を主張していることが分かった。よって、今回から数回にわたって、「十六条仏戒提唱」を採り上げておきたい。それで、本文に入る前に、この文章の著者について指摘しておきたいのだが、著者名が明記されているわけではない。ただし、本文までを「大乗曇瑞苗禅師禅門戒会弁解」に含むとしている。よって、現段階では加賀大乗寺42世・曇瑞禅苗禅師に係る文献だとしておきたい。なお、今回翻刻するに当たって、原漢文は原典の訓点...「十六条仏戒提唱」参究(1)

  • 2020/08/13 10:46
    「三国伝来戒壇記」参究(3)

    【(2)】の続きである。早速に本文を見ていきたい。然して后、六十二年を暦て、嵯峨天皇弘仁四年〈癸卯〉慈覚大師、伝教大師の祖意に任じて、延暦寺に於いて戒壇を建立し、普く戒法を授く。其の後、二百五十年に及で、後朱雀院の御宇、長暦年中、山門と三井と、霍執す。三井の沙弥をして、山門の戒壇に入らざらしむ。三井の明尊、奏聞して園城寺に於いて戒壇を建立せんとす。帝、長久二年五月、諸宗の明匠に勅して、三井寺に戒壇を立てるか否かを問わしむ。先づ、律宗の灌昶・法相の経救・三輪(論の誤記)の斎度・華厳の良真・密宗の深覚、皆な上表す。山門堅く之を許さず。寺門、上表五度、白河院、治部郷源隆佼朝臣を勅使として、既に三井寺に戒壇を勅許す。永保元年〈辛酉〉六月九日、山門の衆徒、頻りに強訴を成して、園城寺を焼徹す。三国戒壇記竟〈叡山は延暦寺、三...「三国伝来戒壇記」参究(3)

  • 2020/08/12 10:20
    「三国伝来戒壇記」参究(2)

    【(1)】の続きである。早速に本文を見ておきたい。吾が日本国戒法の起るは、聖武天王天平七年〈乙亥〉大唐東都大福禅寺道璿律師来朝して、日本国に華厳の戒法を弘む。大安寺の行表、年七十三法臘五十三にして重受、然れども未だ戒壇を建てず。其の后十九年、孝謙天王勝宝六年〈甲午〉支那白塔寺鑑真和尚入朝して、盛んに戒法を弘む。東大寺に於いて戒壇を建立す。聖武帝入壇受戒、是れ日本国戒壇の始なり。此の鑑真和尚は、天台四代の祖なり。弘景禅師に従って具足戒を受く。弘景(の師)は南山道宣律師なり。親しく授具を度するなり。去る勝宝六年〈甲午〉四月五日、初めて大仏殿前に於いて聖武帝登壇し、菩薩戒を受く。是れ再受なり。同五月朔日、帝、臣卿に勅して、戒壇院を建立せしむ。勝宝七年〈乙未〉九月造成す、乃ち戒壇院に舎那殿の法壇を移す。建立の后、已に八...「三国伝来戒壇記」参究(2)

  • 2020/08/11 21:30
    正しい先祖供養って?

    幸福の科学の教え(大川隆法先生の書籍)で、みなさまの人生の悩みや疑問などを解決するお手伝いをします。

  • 2020/08/11 12:49
    「三国伝来戒壇記」参究(1)

    縁があって、加賀大乗寺42世・曇瑞禅苗禅師(?~1799)の説戒を中心とした『禅門戒会弁解』という写本を入手した。おそらくは新出資料である。曇瑞禅師については『曇瑞禅苗禅師語録』の写本が駒澤大学図書館に所蔵され、また、川口高風先生「曹洞宗古規復古運動の主張と反論」(『印度学仏教学研究』35-1、1986年)では、清規論に関する『古規囘復拙考』(具体的には、永平寺50世・玄透即中禅師への反駁書)が採り上げられている。本気で研究するのであれば、これらの文献にも目を通す必要があるだろう。一方で、禅戒・授戒会に関する文献は指摘されていないように思うので、本書についてはまた、解題も含めた記事を書きたいと思っている。もっとも、実世界の論文にするかもしれないし、しないかもしれない。実は、入手した写本は、非常に丁寧な楷書で書写...「三国伝来戒壇記」参究(1)

  • 2020/08/10 10:05
    今日は山の日(令和2年度版)

    今日、8月10日は山の日である。なお、「山の日」は、「山に親しむ機会を得て、山の恩恵に感謝する」として、2016年から行われるようになった。今年で5回目であるから、確かにまだまだ親しまれていないのも分かるし、例年は11日だが、今年は行われるはずだった東京五輪・パラリンピックの関係で、10日になっている。ということで、今日という日に於いては、禅僧が説いた「山」の功徳について参究する日と決めている。余りに有名なのが、以下の一節だ。山は、超古超今より大聖の所居なり。賢人・聖人、ともに山を堂奥とせり、山を身心とせり。賢人・聖人によりて、山は現成せるなり。おほよそ、山は、いくそばくの大聖・大賢いりあつまれるらんとおぼゆれども、山は、いりぬるよりこのかたは、一人にあふ一人もなきなり、ただ山の活計の現成するのみなり。さらにい...今日は山の日(令和2年度版)

  • #波動
  • 2020/08/09 15:01
    仏祖の児孫が勘弁すべきものとは?

    新しめの版本ではあるが、『義雲和尚語録』を入手したので、最近、改めて学び直している拙僧。そこで、以下の一節が気になったので採り上げておきたい。上堂。仏祖の児孫、専ら須らく道の邪正乗の大小を勘弁すべし。楚鶏を認じて丹鳳と為し、燕石を握りて玉珍と為す底是れ多し。一度び邪坑の小岐に落在すれば、歴劫にも出難し。西天竺国、正像法の時、猶お解脱堅固、禅定堅固、闘諍堅固有り。況んや像季末法に於いてをや。又た況んや辺地遠嶋に於いてをや。然も是の如くなりと雖も、進めば則ち到ることを得る、退けば則ち弥いよ遠し。仏言く、上上の因縁の故に、南洲に生ず、と。既に上上の人身を得る、幸に的的の祖道に値ふ、虚しく光陰を度るべからず。就中、当山の初祖、遙かに万里の曠海を航り、親しく天童浄和尚に見え、謾幢を倒却して、身心脱落し、仏祖の宗風始めて扶...仏祖の児孫が勘弁すべきものとは?

  • 2020/08/08 11:23
    8月8日 そろばんの日(令和2年度版)

    今日、8月8日は様々な記念日がある。その中で、拙僧個人も思うところがあるのは、「そろばんの日」である。拙僧自身、小学校の時には習っていたためである。なお、由来はそろばんの珠を弾く音が「パチパチ」していることから、今日がそろばんの日になったわけである。さて、例年、この日に因んで仏典・祖録に出るそろばん(算盤)などを紹介していたのだが、今日は以下の一節を見ておきたい。仏法算盤論法華寺と浄土寺とが、垣を隔てゝ隣づから、毎朝、花を折りに出ては、和尚同士で顔を見合せると、つひ、宗論がおつ始まる。或る時、浄土の和尚がいふには、『何う考へて見ても、法華は仏になられませぬ。』すると、法華のお上人が腹を立てゝ、『法華経は、諸経第一とある。何故、仏になれませぬ。何か確かな証拠がありますか。』『おゝ証拠がありますとも。法華宗は、算盤...8月8日そろばんの日(令和2年度版)

  • 2020/08/07 09:46
    五戒と八戒はどちらが大事なのか?

    とりあえず、以下の一節をご覧いただきたい。問うて曰く、五戒と一日戒、何者が勝と為るや。答えて曰く、因縁有るが故に、二戒倶に等なり。但だ五戒は終身に持ち、八戒は一日に持つ。又た、五戒常に持する、時多くして、戒少なし。一日戒は、時少なくして、戒多きなり。『大智度論』巻13「釈初品中戒相義第二十二之一」正直なところ、般若思想に於ける戒法の位置付けを知るためにも、『大智度論』の第13巻などは詳しく参究されねばならないのだが、それはいずれ機会を設けるとして、今日は挨拶程度に以上の記事を挙げておきたい。実は、或る議論の場に於いて、在家戒として五戒と八戒(八斎戒)があるけれども、両者はどういう関係なのか?と聞かれたことがあった。なお、それぞれの戒は以下のように説明出来よう。五戒:在家人の戒律である五戒は、以下の内容である。第...五戒と八戒はどちらが大事なのか?

  • 2020/08/06 10:06
    仏法とは勝負なのか?

    なんか、仏法を勝負だと思っている人がいるらしい・・・こんな一節はどうか?夫仏法と申は勝負を先とし、王法と申は賞罰を本とせり。故に仏をば世雄と号し王をば自在となづけたり。日蓮聖人『四条金吾殿御返事』「第十八書」(告誡書)中々に独創的な意見で、これ自体何を典拠にいわれているのか?それこそ、『法華経』あたりにでも出ているのか気になるが、拙僧の拙い調査では典拠不明。なにの兵法よりも法華経の兵法をもちひ給べし。「諸余怨敵皆悉摧滅」の金言むなしかるべからず。兵法剣形の大事も此妙法より出たり、ふかく信心をとり給へ。あへて臆病にては叶べからず候。『四条金吾殿御返事』「第廿七書」(剣形書)そして、何と、日蓮聖人は「法華経の兵法」なんていう表現までしており、その典拠として、『妙法蓮華経』「薬王菩薩本事品第二十三」の一節を「金言」と...仏法とは勝負なのか?

  • 2020/08/05 10:06
    『大品般若経』に見る菩薩戒について

    『大品般若経』にたった1箇所だけ「菩薩戒」という字句が出ているようなので、見ておきたい。云何が、菩薩戒の清浄ならん。若し菩薩摩訶薩、声聞・辟支仏心及び諸破戒、障仏道法を念わざれば、是れを戒清浄と名づく。鳩摩羅什訳『大品般若経』巻6「発趣品第二十」うん。これは、「菩薩戒」ではなくて、「菩薩の戒」の意味だな。要するに、大乗仏教の修行者である菩薩が、声聞や辟支仏の心、及び破戒や仏道の妨げになるようなことを想うことがなければ、戒清浄であると指摘されているのである。よって、これはおそらく龍樹菩薩『大智度論』には解説されていないだろうと思っていたら、やっぱりその通り。以下のようにあるのみであった。戒清浄とは、初地中に多く布施を行じ、次に持戒の布施に勝れたるを知る。所以は何となれば、持戒、則ち一切衆生を摂す。布施、則ち一切を...『大品般若経』に見る菩薩戒について

  • 2020/08/04 09:49
    8月4日 今日は箸の日(令和2年度版)

    8月4日、語呂合わせで今日は「箸の日」である。まぁ、「橋の日」でもあるようだが、膨らましようがないので、「箸」にしておく。それで、我々禅宗の食事作法について考えてみると、「箸」を使うのであるが、冷静に考えてみると、インドでは本来、素手で食べていたはずだ。その辺の事情について、道元禅師は以下のように示されている。遐に西天竺の仏儀を尋ぬるに、如来及び如来の弟子、右手で飯を摶めて而も食す。未だ匙筯を用いず。仏子、須らく知るべし。諸天子及び転輪聖王、諸国王等、亦た手を用いて飯を摶めて而も食す。当に知るべし、是れ尊貴の法なり。西天竺の病比丘、匙を用いるも、其の余、皆な手を用いる。筯、未だ名を聞かず、未だ形を見ざるなり。筯は、偏えに震旦以来の諸国に用いるを見るのみ。今、之を用いるは土風・方俗に順う。既に仏祖の児孫為り、応に...8月4日今日は箸の日(令和2年度版)

  • 2020/08/03 13:57
    鬼子母神と受戒の話

    曹洞宗の伽藍に安置される仏像などについて記した文献を見ていると、以下のような記述があった。諸天伝に曰く、鬼子母天、仏、為に五戒を授け、正法に帰依し、須陀洹を得る。仏の精舎に住む。凡そ、人家に子息無き者、之を求めて子を得る。疾病有る者、之に祷り則ち安んず。仏の戒を受けるに由りて、亦た千子を呼ぶ。同じく仏所に拠る。『洞上伽藍雑記』「鬼子母神」項いわゆるインドに於ける神(天)が、仏陀から戒を受けて仏教に帰依をし、守護神になるというのは決して珍しい話ではないが、この鬼子母神もまた、そのような1人である。なお、上記の典拠となる『諸天伝』であるが、宋代の行霆という人の編集になるらしい。なお、『洞上伽藍雑記』では、結構同書に頼って自らの見解を組み立てている様子も見られる。それで、上記内容であるが、鬼子母神に対して仏陀が五戒を...鬼子母神と受戒の話

  • 2020/08/02 11:00
    寂室堅光禅師『告報』参究(2)

    以前に書いた【(1)】の続編である。そこで、早速に寂室堅光禅師の『告報』を見ていきたい。全19条の内、既に前半10条は取り上げたので、後半9条である。一堂衆、他の寮に往復することを禁ず。如し切用有らば、侍者に命じて之れを弁ずべし。其の侍者の如きは、弁ずべきの事畢れば、驀爾に帰堂せよ。庫厨貼庫に滞在して、他方の是非を取り、来たりて露堂内に顕し、清衆をして定心を壊せしむること莫れ。一庫厨繁務なり、古聖の遺躅なり。豈に学ばざらんや。飯羹頭等、米を淘け菜を択ぶ、正に恁麼の時、須く超然祖意有ることを知るべし。曷ぞ為に雑談戯笑せんや。他を顧みざるに到らんや。一街坊・庫頭弁用するならば、須く日間に於いて出入すべし。宜しく山主及び知事に報ずべし。一次第に行乞する者は、先仏の勝軌、曩祖の家訓なり。威儀寂静、念誦厳粛にして、須く見...寂室堅光禅師『告報』参究(2)

  • 2020/08/01 13:49
    禅宗叢林に於ける「自恣」について

    「自恣」というのは、仏教の夏安居(雨安居)が終わるときに、修行僧同士がお互いの罪を披露して、懺悔するという法会を指している。夏安居の解制が7月15日であることから、だいたいはその日の前後に行われている。先月、拙ブログでは意図して盂蘭盆会のことについて書いたが、この法会自体が「自恣」に基づいていることは、何度も確認した通りである。それで、これもまた以前から何度も指摘している通り、禅宗叢林の「清規(軌範のこと)」はそれまでの諸律を博約折中して成立しているのだが、「自恣」についてはそれほど重視している印象が無い。例えば、以下のような記述はどうか?而して七月十五日は、夏安居の竟る時なり、此日を自恣と云ふは、自分の罪をば他人の口に任せて、恣に言はして、以て己れに反省して発露懺悔を為すの意なり、故に随意とも云ふ、今時は自恣...禅宗叢林に於ける「自恣」について

にほんブログ村 カテゴリー一覧

商用