聖書に基づくイエス様の救いの証をお語り下さい。短くても結構です。
体脱で教わった意識の訓練。次元移動編【3話】
体脱で教わった意識の訓練。次元移動編【2話】
体脱で教わった意識の訓練。次元移動編【1話】
体脱で教わった意識の訓練。ワープ編【最終話】
体脱で教わった意識の訓練。ワープ編【11話】
体脱で教わった意識の訓練。ワープ編【10話】
体脱で教わった意識の訓練。ワープ編【9話】
体脱で教わった意識の訓練。ワープ編【8話】
体脱で教わった意識の訓練。ワープ編【7話】
体脱で教わった意識の訓練。ワープ編【6話】
体脱で教わった意識の訓練。ワープ編【5話】
体脱で教わった意識の訓練。ワープ編【4話】
体脱で教わった意識の訓練。ワープ編【3話】
体脱で教わった意識の訓練。ワープ編【2話】
体脱で教わった意識の訓練。ワープ編【1話】
幸福の科学の教え(大川隆法先生の書籍)で、みなさまの人生の悩みや疑問などを解決するお手伝いをします。
江戸時代の洞門が輩出した学僧・指月慧印禅師の主著である『荒田随筆』を学ぶ連載記事であるが、前回から「戒定慧」という一章を学んでいる。早速、本文を見ておきたい。其の行善は、卒暴ならざるの地に住し、謙譲・忍和、己を空じて他の美を歎じ、動止柔に克めて徳音景行し、志と言と共に道を以て寧し接す仮事にも善を善んす。是れ奉善の義なり。其の饒益は、抜苦与楽の事、物に対するに父母の懐に居て、他の違順を見ざる。仁愛是れ常とす。而も自得の道を以て人を化して止悪作善の徳に進しむ。凡そ独善偏行無く、慈愍倦まざるは、是れ利物の懐なり。此の三は、戒度の大約なり。然して毘尼の種品多少の名義、大小の律を総に、是の三を出でず。若し大小の戒相・篇聚の義分に至は、経論の頒宣する所、皆な以て其の宜ずる所に投ず。故に一種に定こと無し。唯だ定むる所は、諸悪...戒定慧(其の二)(指月慧印禅師『荒田随筆』参究19)
今日は曹洞宗の両祖忌である。両祖忌について、その制定理由は結構複雑なのだが、経緯については【両祖忌ーつらつら日暮らしWiki】をご覧いただくと良いと思う。それで、色々と事情もあって今日の拙ブログは、太祖・瑩山紹瑾禅師(1264~1325)を顕彰する記事を書くこととしている。今日だが、『改正瑩山和尚清規』下之一巻所収の「瑩山忌疏」を学ぶこととしたい。その前に、この『改正瑩山和尚清規』だが、上・下之一・下之二という3巻構成となっており(拙僧の手元の本は、「下之二」を欠く)、ちょっと見たことが無かった。なお、「新日本古典籍総合データベース」で、『瑩山和尚清規』で検索してみると「八戸市立図書館青年文庫」に同じものが収蔵されているらしく、しかも、完本のようである。駒澤大学図書館や拙僧の職場の図書館には、この3冊本は入って...今日は曹洞宗の両祖忌(令和2年度版)
韓国の宗教団体で再び集団感染首都圏700人超増―新型コロナ(時事通信)韓国保健福祉省は8月17日、同国内の宗教団体「サラン第一教会」で、新型コロナウイルスの集団感染が発生し、同日までに教会関係者319人の感染を確認したと発表しました。この結果、ソウルを含む首都圏を中心に14日以降の新規感染者が計700人を超えました。既に、同国内では今年2月、【韓国で新型コロナ蔓延の一因となった新興宗教の教祖が謝罪】で伝えた通り、南部・大邱市で新興宗教団体「新天地イエス教会」の信者の集団感染が発生するなどし、宗教団体に絡む感染拡大へ懸念が強まっていましたが、また止められませんでした。そのため、同国政府は16日から、集団感染が発生したソウル市および近郊の京畿道で集会規制などを再び強化し、当該地域でのプロスポーツは同日から無観客試合...韓国ではまた宗教団体が新型コロナ感染拡大の原因に
アウシュビッツのような人類の汚点である原発・原爆・動物実験は この世からなくなればいい!おぞましい動物実験はしなくても、医学は進歩します!! 恐怖と欲望の為に、無垢な命の苦しみを増やそうとするある新聞社のある方の、心を見抜き続ける心秘評論ブログです。
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ここ1年以上にわたって、最後の一章「雑」を採り上げています。本章は「雑」の字の通りで、他に一章を立てるほどが無い程度の内容でもって、様々な事柄を富永仲基が論じたものです。本当に種々雑多な内容ですが、見ていると20前後の節に分けられそうなので、一つ一つ見ていきたいと思います。阿弥陀仏土、人人皆な身光有り、常に明らかにして闇からず。日月の光明を仮らずして、安んぞ昼夜を分かたん。然るに、其の経文、又た昼夜六時及び清旦等の語有り、是れ作者の破漏する処。仏土の衆鳥は、罪報の所生を嫌う。故に下に之を説いて云く、「是れ仏変化の所作」と、是れ作者の密なる処。岩波書店『日本思想大系43』104頁を参照して拙僧が訓読したまぁ、これは、富永一流のいちゃもん付け、という感じですね。まず、阿弥陀仏土というのは、いわゆる極楽浄土のことです...雑第二十五其17(富永仲基『出定後語』を学ぶ44)
連載は9回目となる。『養老律令』に収録されている『僧尼令』の本文を見ているが、『僧尼令』は全27条あって、1条ごとに見ていくこととした。まずは、訓読文を挙げて、その後に拙僧なりの解説を付してみたい。なお、釈雲照補注『僧尼令』も参考にすることとしたい。凡そ僧尼、音楽を作し、及び博戯せらば、百日苦使。碁・琴は制限に在らず。『日本思想大系3』218頁を参照して、訓読は拙僧まず、正式な僧尼である場合、音楽についての制戒があるわけではない。ただ、沙弥の段階で、沙弥十戒の中に「第七不歌舞作唱故往観聴」とあって、音楽には近づくことすら認められていないのである。ところが、比丘戒になると、音楽についての制戒は見えなくなってしまうのである。この辺について、既に【僧侶が楽器を奏でることは破戒か?】で書いておいたので、ご覧いただければ...第九条・作音楽条(『僧尼令』を学ぶ・9)
【(2)】の続きである。天尊とは、大自在天を申すなり。勅をこうぶる八神とは天帝釈・炎魔王・天大将軍・神天一神・行疫神・司命・司録・倶生神等。経に三複八校年二大奏と云は、三複とは八神よりあひてさきの日記を日のうち三度復するなり。八校とは、八神をのヽヽ勘録帳を天尊にそなへ奉るとき、もし日記あやまるらんと毎日六度よみ合て接合するなり。さきの五度は炎魔王の御前にてかんがへのちの一度は帝釈のゆかの御前にて接合するなり。天尊と申は、摩醯首羅色界頂の大自在天本地は十地の菩薩にてまします。春の彼岸帳は去年秋八月以後の一切の衆生のわざを注すなり。この勘帳を決定業といふ、これを経に三複八校年二大奏と云なり、天正樹の花はかぜにふきすぐるあとへさまさまに五百里くんずる花なり、已上、春の彼岸なり。次に八月の彼岸、八月より八月までの一切衆...存覚上人『彼岸記』参究(3)
【(1)】の続きである。(記載抜け)……此花のかず人間の生年生ものヽかずと同きなり。よて善つくる人にあたりたる花はあざやかに匂ことに殊勝なり。悪をつくるものにあたる花は色けがれくさくにほふなり。此花より衆生をたヾして名字をかきつく。善をば宝札とて金の札につく、悪は鉄札にかき、無記の衆生をば非宝非縛印とて金鉄和合の札にかくなり。善悪無記の三性人、此札にのらずといふことなし。又これにかきつけられたる記を三種の正印とて、よき札は帝釈のあづかりにて忉利天の善法堂におさむ。悪の札は炎魔王のあづかりにて、光明院とて炎魔庁の九面の業に鏡にそへてをかるヽなり、此札は生々世々すてざるなり、決定業なり。二季の彼岸のあひだのわざをば善にても悪にてもこの二の札にかきつけらるヽがゆへに、決定業といふなり。この評定聚を申は色界頂の大自在尊...存覚上人『彼岸記』参究(2)
昨年度の【今日は彼岸会中日(令和元年度秋)】の記事の末尾で、浄土真宗の存覚上人に『彼岸記』があるという指摘をしたのだが、ようやくそのテキストを見ることが出来たので、検討してみたい。なお、拙僧の手元には江戸時代の天保年間前後に行われた『彼岸記』の説法を、熊谷権五郎氏(詳細不明)が記録した『彼岸記聴聞』という写本がある。ただし、達筆すぎてまだまだ読解には時間がかかりそうなので、まずは横川藤太郎編『真宗聖教大全―在家宝鑑(下巻)』(横川湊文堂・明治36年)に掲載されている釈存覚御作『彼岸記』を採り上げてみたい。一年二季の彼岸事龍樹菩薩の天正記に彼岸経と四天王経と両説をもて記したまふ、先春の彼岸は花の比をもて日をさだむ、その所は欲界の六天の中に夜摩天と兜率天との中間に一の雲閣あり、中陽院となつく、こヽに五百里にはびこる...存覚上人『彼岸記』参究(1)
今日は秋の彼岸会の御中日である。ところで、現在用いられている新暦での「秋分の日」は、毎年大体これくらいの日付になるが、旧暦の場合は以下の通りであった。・旧暦の春分:2月中(2月後半)・旧暦の秋分:8月中(8月後半)現代は、太陽暦であるので、春分も秋分も毎年にそれほど大きな日付のズレは起きないそうだが、旧暦の「太陰太陽暦」の場合、数日から10日以上のズレも起きたそうである。これは、毎月の日付を月に合わせており、年単位で太陽との関係によるズレを解消していくため、当然というべきか。さて、今日は御中日であるので、簡単に彼岸会の説法などを見ていきたいと思うのだが、おそらく、曹洞宗関係者で、最初に彼岸会を論じられたのは、高田道見先生による『彼岸の由来』(国母社・1895年)であったと思われる。これは、同書冒頭にも書いてある...秋の彼岸会御中日(令和2年度版)
11月23日乙女座で迎える下弦の月。地に足の着いた堅実な行動を!
冥王星水瓶座入りと11月22日「小雪」からの星の動き★下弦の月と水星逆行★繁栄の楽園を夢見て
11月22日太陽の射手座入り。風の時代を自分らしく生きるにはどうしたらいいか?
11月20日水瓶座入りした冥王星の個人への影響は?
牡牛座満月前後に両親と同じ名前の神社に参拝。大転機に自分の原点を思い出すこと。
11月20日いよいよ冥王星水瓶座時代(本格的な風の時代)の幕開け。5つの主な傾向について。
風の時代の本格始動を目前にすごいシンクロで再会した知人!この時期3人目の引越し。
2024/11/16 06:29 牡牛座の満月
2024/11/01 21:47 蠍座の新月
11月「立冬」からの星の動き★上弦の月と冥王星水瓶座入り★ホントの理想を見極めてく…
11月15日土星逆行が終了。順行後は逆行中の見直しを実行すること&2つの行動がお勧め。
11月16日牡牛座満月は特別な満月。冥王星水瓶座時代を目前に地の時代を振り返ろう!
占い用語【グランドトライン】
占い用語 【トライン】
ボーイ・ジョージの星読み
今日は敬老の日である。拙僧が生まれた頃は、9月15日に固定されていたが、2003年から9月第3月曜日に移動となった。それで、今年は今日である。敬老について、これは禅宗でいうところと、一般世間でいうところの意味は異なっている。例えば、禅宗には「長老」という言葉がある。無論、原始仏教からあったようだが、我々の定義は「凡そ道眼を具え、尊するべきの徳有るは、号して長老と曰う。西域の道高く臘長きを須菩提等と呼ぶ等の謂いが如くなり」(『禅門規式』)というものであるが、要するに年齢よりも、仏道修行者としての境涯などを問われているのである。よって、禅門に於いて「敬老」というのは、仏道修行の貴き様を敬うことになる。その前提を元に、以下の一節を参究していきたい。雪峰いはく、老僧罪過。いはゆるは、あしくいひにける、といふにも、かくい...今日は敬老の日(令和2年度版)
さて、令和2年度の秋の彼岸会2日目である。それで、拙僧的にはこの彼岸会という法儀自体を紹介したいと願っているので、今回は拙僧の所属する曹洞宗ではないが、別の宗派での様子を見ておきたい。具体的には、浄土宗の文献である『浄土宗法要集』(浄土宗務所・1939年)から、「彼岸会」の項目を見ておきたい。崇祖報恩の誠を致して一切精霊に及ぼし、自ら欣求の道を策励するものなり。観経曼荼羅を内陣適当の場所に懸け、香華灯明等の供儀を設くべし。荘厳衣被着のこと。『浄土宗法要集』163頁以上が、彼岸会法要を行う場合の準備ということになるのだが、気になるのが「観経曼荼羅」である。これが良く分からなかったので、ネットで調べてみた。すると、非常に詳しい記事があった。・観経曼荼羅―Web版・新纂浄土宗大辞典上記リンク先の説明を参照してみると、...秋の彼岸会2日目(令和2年度版)
今日から秋の彼岸会である。彼岸会の成立や展開については、【彼岸会―つらつら日暮らしWiki】をご覧いただければ良いと思う。それで、日本固有の仏教行事としての「彼岸会」ではあるのだが、特に行事の規範を作ることに熱心な禅宗であっても、彼岸会についてはとても微妙であった。理由は、中国までの規範(清規)に出ないからであり、江戸時代の主要の洞門清規には見られないわけである。なお、旧暦の頃、彼岸会というのは毎年2月・8月であった。新暦になってから今の3月・9月になったわけであり、江戸時代以前の暦などを見ていくと、1ヶ月ずれてしまっていることに困惑する。ということで、清規でもって仏教の行事を組織化していた禅宗がこの通りであるから、禅宗清規の影響を受けて、年間の行事を行っていた他宗派でも、彼岸会については各寺の意向に任されてい...今日から秋の彼岸会(令和2年度版)
中世の臨済宗の回向文などを収録している『諸回向清規』を見ていたところ、或る呪(陀羅尼)が気になったので、検討してみたい。○滅破戒罪呪薩専播跋尾戌駄寧娑訶。『諸回向清規』巻5それで、これがどういうことなのかを検討してみたいのだが、どうも、他の仏典では「滅破戒罪呪」という名前の陀羅尼は出ていない印象なのだが、例えば『大仏頂如来放光悉怛多鉢怛羅諸菩薩万行品』第二という典籍では、「不空羂索菩薩印呪」の功徳について、「若し壇を作し了りて、即ち先づ此の印を作し、毎日誦前に呪して、菩薩を供養すれば、破戒の罪を滅す」としている。ところが、この「不空羂索菩薩印呪」と、上記の「滅破戒罪呪」について、微妙な感じである。前者は「唵伊醘伊醘薩低耶波多曳莎訶」とあって、「薩」以下のみで考えてみると、「サツテイヤバタエイソワカ」となるだろう...禅林で用いた「滅破戒罪呪」について
奈良時代に鑑真和上が来日して、東大寺に戒壇が設置されたわけだが、これだと東西の遠隔地での出家者が本意を遂げられない可能性が高くなるため、東は下野薬師寺(現在の栃木県下野市内に所在。ただし、後継寺院を主張する寺院は安国寺と龍興寺の2ヵ寺ある)に、西は筑前観世音寺(福岡県太宰府市にある天台宗寺院。ただし同寺の「戒壇院」のみは別寺院扱いで臨済宗)にそれぞれ戒壇が設置された。その辺は【「三国伝来戒壇記」参究(2)】でも見たことなので、興味のある方はご一読いただきたい。それで、近世初期から中期にかけての洞門学僧・隠之道顕禅師(1663~1729、卍山道白禅師の資)にはこの下野薬師寺に因む偈頌が見えるので、今日はそれを見ておきたい。野州の薬師地の戒壇院に過て感有り頻りに問う薬師律寺の跡、野村深処紺宮に入る、戒壇尚お基址を遺...下野薬師寺戒壇院に関する偈頌
昭和17年当時の『建長寺寺院規則』(建長寺事務所)を入手しているのだが、その中に拙僧の研究分野に関わる「法脈伝授(または「法脈相承)」に係る条文を見出したので、紹介しておきたい。第八條開山大覚禅師は臨済慧性禅師第十七世の法孫にして其の相承は開山以下師資の間に於て針芥相投じ面々授受するを伝灯の通式とし面授に非ずして印状を遺留し法脈を伝授するを伝灯の別式とす「第一章総則」、『建長寺寺院規則』2頁、カナをかなに漢字を現在通用のものにし見易く改めたまず、開山大覚禅師とは建長寺開山の蘭渓道隆禅師のことである。蘭渓禅師は臨済義玄禅師から17世の祖師だったことを明示している。その上で、同派に於ける相承とは、開山以下師資が面授していることを、「伝灯の通式」としているから、それが基本である。これだけを採れば、多分、曹洞宗と変わら...臨済宗建長寺派に於ける法脈伝授について
日本の伝統的な仏教教団は、江戸時代の幕府による宗教政策の関係から、各宗派には総本山や大本山という格式を持つ寺院が設定され、それ以外の寺は末派寺院としてその下に組み込まれたわけである。その結果、仏教教団とは、そういった本山を中心にまとまる中央集権的な組織であると思い込んでいる人が多いのではないか?と感じるのである。だが、釈尊の時代にはそんな「本山」などは無かったわけである。そこで、この記事では、仏教という宗教は組織的に、中央集権的であるべきなのか?非中央集権的であるべきなのか?を検討したいのである。釈尊在世時には、当然にその弟子達は釈尊を中心的に仰ぎ、その指導を受けていたわけだが、釈尊自身が80歳で入滅するに及び、以下のような遺言を残した。爾の時、如来、阿難に告げて言わく、「汝、我が般涅槃に入るを見て、便ち正法、...非中央集権的な仏教教団論(1)
今更説明を要するとは思えないが、『寒山子集』とは中国唐代に、浙江省天台山にいたとされている謎多き僧侶(?)であった寒山が詠んだとされる漢詩を収録した文献である。でまぁ、実際に詩を見てみると、仏教といえるかどうか、良く分からないところが多い。今日紹介する一首もそんな内容なのだが、とりあえず見ておきたい。心高きこと山嶽の如し、人我人を伏せず、圍陁典を解講して、能く三教の文を談ず、心中に慚愧無く、破戒して律文に違する。自ら上人の法と言い、称して第一人と為す。愚者は皆な讃歎し、智者は掌を撫でて笑う。陽炎虚空の花、豈に生老を免れ得んや。如かず百の不解、静坐して憂悩を絶す。訓読は拙僧まず、冒頭の2句だが、当初これは、或る学僧を誉めているのかと思っていたが、皮肉として理解した方が良いようだ。要するに、非常に高潔な人であり、「...『寒山子詩』に見る破戒への批判について
とりあえず、以下の一節をご覧いただきたい。仏子よ、十不可悔戒有り、応に受けて応に持すべし。一つには、殺さざれ、人、乃至、二十八天の諸仏菩薩までも。二つには、盗まざれ、乃至、草葉までも。三つには、婬せざれ、乃至、非人までも。四つには、妄語せざれ、乃至、非人までも。五つには、出家・在家菩薩の罪過を説かざれ。六つには、沽酒せざれ。七つには、自讃毀他せざれ。八つには、慳まざれ。九つには、瞋らざれ、乃至、非人までも。十つには、三宝を謗せざれ。若し、十戒を破れば、悔過すべからず、波羅夷に入る。十劫中、一日に罪を八万四千受ければ、八万四千の生を滅す。故に破るべからず。『菩薩瓔珞本業経』巻上「賢聖名字品第二」それで、この一節を採り上げた理由だが、以前、【『瓔珞経』に見る菩薩の波羅夷法について】という記事を書いたときに、一度『瓔...『菩薩瓔珞本業経』に見る「十不可悔戒」について
瑚海中珊禅師(1390~1469)とは、室町時代に活動した洞門僧で、出身は河内(または備中)とされる。一応、現在の『曹洞宗全書』「史伝(下)」巻に、この人の『行業記』が載っているのだが、残念ながら途中で終わっており、その信頼性という観点では問題も残るという。そこで、この人は梅山聞本禅師の法嗣である傑堂能勝禅師に就いて学び、傑堂禅師が遷化した後は、その法嗣である南英謙宗禅師に学び、法を嗣いだという。『行業記』で、その場面を描写した箇所で以下のように見える。勝和尚遷化の後、肥州三日寺に住持し、伝授の後、師に属す。伝聞するに、「吾が宗に五家嗣書有り、と。願わくは予に之を授与せん」。師曰く、「元和尚入宋し拝看する時、浄和尚遺嘱して曰く、吾が宗の法嫡に非ざれば、是を付授すべからず」と。珊、之を聞いて再び発錫す。永享二年庚...『五家嗣書』とは何か?
色々と調べ物があって、中国宋代に成立した『釈氏要覧』(全3巻)の「戒法」項を見ていたところ、「破戒五衰」という項目があった。以下の通りである。破戒五衰:中阿含経に云く、一つには財を求めても得ず。二つには設い耗を得ても散ず。三つには衆の愛敬せず。四つには悪名流布す。五つには死して地獄に入る。『大正蔵』巻54・273c、江戸期版本を参照して訓読それで、拙僧が気になったのは、この「破戒」がどの立場に対して言われたものなのか?ということである。不思議に思ったのは、「一」で、「財」のことについて書いてある。だが、比丘は本来、財を得ることを希望しないはずなので、在家か?と思ったわけである。一応、典拠についてもわざわざ『中阿含経』と書いてあるので、簡単に調べてみたが、該当箇所が見付からない・・・その代わり、『長阿含経』に以下...「犯戒五衰」と「持戒五功徳」について
この記事は、以前【胎児に授戒の功徳は及ぶのか?(2)】という記事で書いた通りの問題意識で取り組んでいるものである。改めて、見ておきたい文脈を見出したので見ておきたい。爾時、彼の国に大長者有り、一切施と名づく。長者に子有り、名づけて戒護と曰う。母胎に在りし時、母、信敬するが故に、予め其の子の為に三帰依を受く。子、既に生じて已に年、八歳に至る。父母、仏を請して家に於いて供養す。童子、仏を見て安んじて行き徐ろに歩み、足下に華を生じ、大光明有り。見已りて歓喜し、仏の為に礼を作す。礼し已りて諦観して目、暫らくも捨てず。一たび仏を見已りて即ち能く百万億那由他劫の生死の罪を除却す。『観仏三昧海経』巻9「本行品第八」以上である。これなどは、明確に功徳を及ぼそうとして、母親が胎児のために三帰戒を受けているので、非常に参考になる。...胎児に授戒の功徳は及ぶのか?(3)
今日9月9日は重陽の節句である。いわゆる五節句の最後になるのだが、重陽とは9の数字が「陰陽の陽」を意味し、それが重なることから、そのように呼称される。また、華に因む呼称は「菊の節句」ともいう。そのため、古来よりこの日の朝、菊の華に貯まった水を使って顔を拭くと美顔になるという信仰や、この水を使って筆を使うと美筆になるという教えもある。禅林では、この日に偈頌を詠んでいた印象が強い。今日はそのような一首を紹介してみたい。重陽に兄弟と再会す去年九月此の中に去る、九月今年此れ自り来る、古来の年月日を拈却して、欄に凭りて一笑し菊花開く。『永平略録』「偈頌」項これは、道元禅師の語録なのだが、『道元和尚広録(通称『永平広録』)』全10巻があって、現代では研究に使われている。一方で、道元禅師の弟子(実際には、永平寺二祖・懐奘禅師...9月9日重陽の節句(令和2年度版)
江戸時代中期の学僧・隠之道顕禅師(1663~1729、卍山道白禅師の資)は、卍山禅師の道業を受け嗣いで、多くの授戒会で戒師を務めたことで知られるが、その語録が何故か『曹洞宗全書』に入っていないこともあり、その思想の研究は限定的である(拙僧が実世界で書いた論文などはある)。それで、縁があったので拙僧も色々と調べているのだが、その語録には「諸戒子に示す」という偈頌が4首収録されているので、一つ一つ見ておきたい。仏戒宗門大事の縁、無量の福聚言詮を絶す、一超直入如来地、消息分明なり塵劫の前。「諸戒子に示す〈四首の一〉」、『瑞光隠之和尚語録』巻11・41丁裏、訓読は拙僧簡単に意味を検討してみよう。この仏戒とは、宗門の一大事となる縁であり、無量なる福聚は我々の言語を絶している。(仏戒を受けた人は)ひとっ飛びに如来の境地に入...隠之道顕禅師「諸戒子に示す」偈参究(1)
今回採り上げる『草山要路会註』とは、元々、近世初期の日蓮宗・深草元政(1623~1668)が、門下の子弟のために書いたもので、貞享3年(1686)に初めて刊行されたという。内容は、全部で十科(起信・決疑・持戒・衣食・住処・知識・誦経・止静・志学・指帰)を配して、仏教の基本を教示したものとなっている。そして、拙僧の手元にある『草山要路会註』は、元政の弟子であった慧明院日灯(1642~1717)による註釈の『草山要路鈔』を本文に組み込んだものである。拙僧の手元にある『草山要路会註』は、巻末に「京都東洞院通三條上町書林平樂寺村上勘兵衞」とのみあって、本書の書誌的知見を記した【『草山要路会註』の版本について(上)【立正大学・古書資料館の世界4回】(小此木敏明)―八木書店グループ】を参照すると、江戸期に刷られたであろう大...深草元政・慧明院日灯『草山要路会註』「持戒第三」の参究
小学生の頃、『まんが日本の歴史』(どこの出版社だったかな?小学館だったかな?)の中に、鈴木牧之『北越雪譜』編集の逸話が記されていて、当然に知っていたし、気にもなっていたが、まさか拙僧自身の研究などに関わってくるとは思っていなかった。しかし、岩波文庫(黄本)で出ていることは知っていて、購入してみた。そこで、早速読んでいたところ、『血脈』の功徳について書かれていたので、それを採り上げたい。なお、著者の鈴木牧之の生没年は1770~1842年であるので、江戸時代中後期の人である。『北越雪譜』は1837~41年に刊行されるのだが、この刊行に至る過程というのが、一大物語なのである。江戸時代の各出版人同士の駆け引き、その間で翻弄される著者牧之という構図は中々に面白い。ただし、本書には曹洞宗を始めとする越後(現在の新潟県)の諸...鈴木牧之『北越雪譜』に見る『血脈』の功徳について
これは、以前にアップした【叢林清規に於ける軌範性の源泉に関する一試論】の続編ではある。ただし、正規の(2)については別途記事を用意していて、今回のはスピンオフ的ではある。実は、先般刊行された田中裕氏編『西田幾多郎講演集』(岩波文庫)に収録された「歴史的身体」から、拙僧なりに「禅宗の軌範の源泉」について、この記事では論じてみたいと思っている。まず、「歴史的身体」から、拙僧がイメージを着想出来た一節を紹介しておきたい。先ず我々の現実の世界とはどういうものであるか。我々はこの世界に生れこの世界において働きまたこの世界において死んでゆく、また我々の後に子孫が生れてその世界において働きその世界において死んでゆくのである。世界は我々を生む世界である。それを簡単に言うと歴史的世界である。『西田幾多郎講演集』200頁この一節は...西田哲学から考える禅宗の軌範について
少し面白い文献を入手したので、それを見ながら記事を書いてみたい。翁の曰く、左程実体実性なき生滅去来ならば、引導諷経を用ひて何にかせん。予が曰く、汝即今の境界無自性にして、全く汝と名くべき主宰もなし。何としてか山僧に安心の法を問ふや。仏法は生前滅後同一般なるが故に滅後にも引導諷経を用ること、生前の説法の如し。翁の曰く、死人も会得するや。予が曰、会得すること汝即今山僧が説法を聞に同じ。翁の曰く、死人如何んしてか会得するや。予が曰く、死して断滅せざるが故也。翁の曰く、然らば霊前の供具、死人も応供するや。予が曰く、実に供に応ず。翁の曰く、死人如何んしてか応供するや。予が曰く、不生不滅なるが故也。翁の曰く、何としてか供具其侭残りて有や。予が曰く、汝眼を閉て供具の残りたるを見るや。翁の曰く、見ること無し。予が曰く、夫れ世界...死者に供養は届くのか?
旧暦9月の別名を「長月」という。その由来について、以下のような説明が知られている。◎九月和名と長月と云は、夜やうやうながきゆへに夜長月といふ略せるよし、奥義抄にしるせり。「江府年行事」、三田村鳶魚編『江戸年中行事』中公文庫・昭和56年、50頁以上である。確かに、かつて夏至は旧暦5月であり、そこから4ヶ月が過ぎつつあるわけで、9月は夜の長さが理解される季節であったため、「夜長月」となり、そこから「長月」が生まれたとされている。ところで、「江府年行事」の作者は、その見解を『奥義抄』という文献から得たとしている。この『奥義抄(または、奥儀抄)』とは、平安時代後期の歌学書であり、藤原清輔の著であり。全3巻で、天治元年(1124)~天養元年(1144)の間に成立しており、崇徳天皇に献上されてから後も、増補されたという。ど...「長月」一考
今日9月2日は、「9(く)2(じ)」の語呂合わせで「くじの日」である。「くじ」というと、現代ではいわゆる「宝くじ」を思い付く人が多いと思うし、更に展開して、いわゆる「サッカーくじ」なども思い付かれるかと思う。それで、今日は禅宗の修行の中に、籤(くじ)を利用した例があることを見つけたので、それを紹介してみたいと思う。まずは、その本文から。南禅の規式、夏中、諷経に赴かざる者を罰する法に云く、籤に衆僧の双字名を書し、筒に実つ。毎日勤行の時、堂司行者、籤筒を仏前に置き、諷経し畢れば、住持、筒を指す。堂司行者、筒を取り振掉すること三たびし、而して住持の前に至る。維那、班を出でて、住持の右辺に至る。住持、籤を抽いて之を度す。維那、之を接し、書かるる所の名を呼ぶこと三度す。若し答うる者無くんば、則ち赴からざることを知る。乃ち...今日はくじの日(令和2年度版)
毎年の記事で申し上げている通り、禅宗叢林、就中中世・近世の曹洞宗に於ける9月1日は、普請坐禅の再開日として知られている。これは、道元禅師の語録『永平広録』の中で示されることだが、6月1日から「版」を鳴らさないことで普請坐禅を中止し、その代わり随意坐禅を行っていたという。目的は酷暑を避けるためであり、よって、9月1日には再度「版」を鳴らし、坐禅の行持を復したのである。さて、この酷暑避けの坐禅法の軌範が明文化されたのは、瑩山紹瑾禅師の『瑩山清規』である。それは既に【今朝九月初一(令和元年度)】で書いたことなので、そちらをご一読いただきたいが、今回見ていくのは、近世への影響である。『瑩山清規』が中世曹洞宗の軌範だとすれば、時代が変わり近世になり、どう変容したかに興味があるのである。それで、既に前回の記事で述べた通り、...禅宗叢林に於ける9月1日について
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