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仏教 無我 禅 公案 臨済 道元 

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仏教 無我 禅 公案 臨済 道元 
テーマ名
仏教 無我 禅 公案 臨済 道元 
テーマの詳細
仏教「佛教」(ぶっきょう)とは、仏陀(ブッダ)の説いた教え、仏(仏陀、覚者、真理に目覚めた人)の宗教、また、仏に成るための教え。 近世では広く釈尊(しゃくそん)を開祖とする宗教のことをさす。 仏教では、個人が自ら真理(法=ダルマ、ダンマ)に目覚めて「悟り」を得てゆく過程が重視され、最終的には「自分として執着している自我(アートマン)は実体ではない(無我)」と覚り、苦の束縛から解放されること(=解脱)を求める。
テーマ投稿数
3,190件
参加メンバー
120人

仏教 無我 禅 公案 臨済 道元 の記事

2022年08月 (1件〜50件)

  • #ナチュラルに生きる
  • #人生のヒント
  • 2022/08/31 08:33
    「第一官律名義弁」其三(釈雲照律師『緇門正儀』を学ぶ・3)

    前々回から、釈雲照律師『緇門正儀』の「第一官律名義弁」の内容を見ている。なお、これは【1回目の記事】でも採り上げたように、「今略して、僧に位官を賜ひし和漢の官名、職名及び初例を挙示せん」とあって、職名の意味というよりは、任命された最初の事例を挙げることを目的としているようである。よって、この連載では、本書の内容を見つつ、各役職の意義については、当方で調べて、学びとしたい。一僧正秦主勅して道䂮〈一に僧䂮〉法師を選んで、僧正と為す〈徳望有る者を設く、法を以て之を縄し、正に帰せしむ、故に僧正と曰ふなり〉。『緇門正儀』2丁表、訓読は原典を参照しつつ当方まずは、日本でもおそらく知られているであろう、僧官の官位である。なお、「僧正」の場合は「大僧正」や「権僧正」など、付随した官位も存在していたが、まずは「僧正」そのも...「第一官律名義弁」其三(釈雲照律師『緇門正儀』を学ぶ・3)

  • 2022/08/30 12:41
    師の呼び方について(義浄『南海寄帰伝』巻3「十九受戒軌則」の参究・13)

    13回目となる連載記事だが、義浄(635~713)による『南海寄帰伝』19番目の項目に「受戒軌則」があり、最近の拙ブログの傾向から、この辺は一度学んでみたいと思っていた。なお、典拠は当方の手元にある江戸時代の版本(皇都書林文昌堂蔵版・永田調兵衛、全4巻・全2冊)を基本に、更に『大正蔵』巻54所収本を参照し、訓読しながら検討してみたい。今回は、師として仰いだ者の呼び方について見ていきたい。若し人有て問て云く、「爾か、親教師、其の名、何ぞや」。或は問う、「汝、誰が弟子ぞと」。或は自ら事至ること有て、須く師の名を説くべきは、皆、応に言ふべし、「我れ事至るに因て、鄔波駄耶の名を説く。鄔波駄耶の名は某甲なり」。西国・南海、我と称する、是れ慢詞ならず、設令、汝と道は、亦た軽称に非ず、但だ其の彼此を別んと欲す、全く倨傲...師の呼び方について(義浄『南海寄帰伝』巻3「十九受戒軌則」の参究・13)

  • 2022/08/29 11:21
    釈尊の神通について(拝啓 平田篤胤先生19)

    前回の記事は、「釈尊の苦行について」と題して、江戸時代後期の国学者・平田篤胤(1776~1843)が釈尊の苦行をどのように評していたかを見た。そこで、今回はその続きではあるのだが、「苦行」の話が「神通」に接続されているので、見ておきたい。さて悉多は早く婆羅門らが説を看破りてあるに、坐禅観想に身を苦めたはいかにと云に、まづ彼念ひ極たる生老病死を解脱し、かつ神道を大きに修し得て、夫を以て婆羅門どもを伏させんが為にごらず。それはすなはち大論に、若不行苦行而呵言非道者無人信受以自行苦行過於余人と見へ、又西遊記にも、太子思惟至理為伏苦行外道節麻米以支身六年とあるは此事でござる。さやうに外道を伏させんとするはいかにといふに、かの外道の輩は国人に普く信じられておる者故、まづ其外道から伏させて道を説かねば弘まらぬからのこ...釈尊の神通について(拝啓平田篤胤先生19)

  • 2022/08/28 11:03
    マルティン・ルター『九十五箇条の提題』を学ぶ・36

    ドイツ宗教改革の発端にもなったとされるマルティン・ルターの『九十五箇条の提題』の日本語訳を学んでいく連載記事である。連載36回目である。なお、英訳された『九十五箇条の提題』を、当方で日本語訳して掲載することとした。11〔36〕すべての真に悔い改めたキリスト教徒は、『贖宥状』による証明が無くても、罰と罪から完全に逃れる権利を持つ。訳は当方ここで問われているのは、「真の悔い改め」と、『贖宥状』である。そして、ルターは、後者を批判し、前者を重視していることは一目瞭然である。ただし、本来であれば、前者が行き届かない人が、後者を求めた印象がある。そうなると、改めて前者の重要さを主張するために、この「罰と罪から完全に逃れる権利を持つ」という断言をしたのだろう。ここから、この1条は、ルターにとっての『贖宥状』批判のマニ...マルティン・ルター『九十五箇条の提題』を学ぶ・36

  • 2022/08/27 18:01
    「摂律儀略頌」について

    当方の手元に、『〈密宗必須〉三聚戒本』(東京書林山口屋佐七版、明治13年以降)という冊子があるのだが、内容は『梵網経』『瑜伽戒本』『根本説一切有部戒経』の3種の戒本を収録したもので、「密宗必須」とある通り、日本の真言宗で用いたもののようである。以前、【「瑜伽戒本略頌」について】という記事を書いたが、その続きのようなもので、今回は「摂律儀略頌」について学んでみたい。摂律儀略頌四重と四提と二不足と十三僧残と七滅諍と三十捨堕とを六十と為す。九十単提と百衆学と、是を二百五十戒と名づく。原典に随って訓読さて、分かりやすくいえば、前半の60条に、90条、100条を併せて二五〇戒になるという話だ。そして、これが「摂律儀戒」となっているのは、三聚浄戒の一である摂律儀戒の内容が、これら二五〇戒だとしているのである。ところで...「摂律儀略頌」について

  • 2022/08/26 11:07
    師匠が弟子に名前を与えた起源の話

    最近、別件で学んでいた文献に、気になる一節があったので、ブログの記事にしておきたい。名を以て弟子に与う客問う、師、名を以て弟子に与うるは、日本風の為に来歴有るや。答う、支那に之れ有り。後漢の江表伝に、顧雍、蔡邕に従いて琴を学ぶ。邕、之と異なりて曰く、卿必ず成らん。故に名を以て卿を与う〈雍と邕と字同じ〉。『寂照堂谷響続集(以下、『寂照堂』と略記)』巻10、訓読は当方ということで、一瞬、「歴史上、初めて戒名を付けた話」かと思っていたら、全然違ってた。これはあくまでも、「師匠が弟子に名前を与えた話」である。そうなると、別に仏教では無くても良くて、今回の場合も、「琴」の学びに即して行われたものらしい。それで、当初はよく分からなかったのだが、ここで引用されていた『江表伝』の典拠は見付けた。そもそも『江表伝』とは西晋...師匠が弟子に名前を与えた起源の話

  • 2022/08/25 09:26
    食事の前に手を洗う話

    律関係の文献を見ていると、色々なところで参考になる記述を見出すことが出来る。一には三下の鐘を聞かば即ち須く務を息めて先ず且く出入すべし。二には先ず皀莢を用いて手を洗い浄からしめよ。〈以下略〉南山道宣『教誡新学比丘行護律儀』「二時食法第八〈六十條〉」実際のところは、上記の一文から更に58條ほど続くのだが、その冒頭二條のみ引用してみた。これは、「二時食法」という項目名の通り、仏教の修行道場中に於ける朝食・昼食についての話になるわけだが、以上のような説示が見られる。まず、最初の三下の鐘が鳴るというのは、集合する時の合図である。特に、寺院で食事を用意する、いわゆる「僧食」の場合、鐘が鳴ると「務(様々な仕事)」を止めて、食事場所に来なくてはならないと述べているのである。続いて、皀莢(サイカチ)の実を使って、手を洗い...食事の前に手を洗う話

  • 2022/08/24 08:14
    「地蔵盆」について

    いわゆる月遅れの地蔵盆(地蔵祭)の時期である。この祭は特に、地蔵菩薩が若い僧の姿で現れるという通念をもって、子供の守護神という側面が強まったため、旧暦7月24日(現在なら8月24日)に、子供たちが地蔵を祀る風習が、特に西日本で盛んになったという。やはり、京都で盛んだったようで、京都の場合には、洛外に六体の地蔵を祀り、それを市中の子供たちがお祭りしていたといい、江戸時代の鈴木正三(1579~1655)が晩年になって書いたと思われる、或る反故(手紙)には、この地蔵盆のことが書いてある。京中、辻々の地蔵祭、去年七月より童部共、見事に致し候。此五月にも盆を待兼候て、辻々にて祭を見事に致し候。鈴木正三『反故集』「或る士に与う」現在でも、京都の場合には、各地域でお地蔵さんをお守りしている家があって、各地域で僧侶を呼び...「地蔵盆」について

  • 2022/08/23 10:10
    『菩薩戒文句』について

    伝教大師最澄(766?~822)が中国留学の結果、持ち帰ることが出来た仏典関係の目録が『伝教大師将来目録』である(将来とは「持ち来たる」という意味)。それを読んでいくと、やはり、かなりの戒律関係の文献があったことが分かるのだが、少し気になる題名の著作があったので、見ておきたい。菩薩戒文句一巻・・・この著作は初めて見た。それで、「○○文句」というと、天台宗関係の提唱録などに見ることが出来、それこそ、上記目録にも以下のような題名が見える。妙法蓮華経文句疏十巻(智者大師出)摩訶止観文句二巻(荊渓和尚撰)学意三昧文句一巻(荊渓和尚撰)他にも、『法華文句』に関する幾つかの文献があるようだが、それは割愛した。いや、見たことがあるのは最初の『法華文句』くらいで、後の2つは分からない。当方の勉強不足が際立つ話である。とこ...『菩薩戒文句』について

  • 2022/08/21 11:53
    禅宗と三学について

    禅宗は、坐禅を中心に据えてはいるものの、実際には多くの経典・論書などに基づいて成立し、その全体を一語で表現することは難しい。その上で、例えば、六祖慧能より以前の初期禅宗では、三学について空思想を元に一切否定するような禅僧もいた。また、六祖の系統では「頓悟」を重んじ、同じく、三学などの修行体系を一切否定する見解もあった。粁、また問う、「如何なるか是れ戒・定・慧」。師(=薬山)、曰く、「貧道の遮裏、此の閑家具無し。粁、玄旨を測ること莫れ」。『景徳伝灯録』巻14・薬山惟儼禅師章、『大正蔵』巻51・312b「粁」というのは、当時の朗州刺史(州知事)であった李粁のことであり、その者が薬山惟儼禅師(745~828)を供応した時の問答である。知事から「戒定慧とは何か?」と聞かれた薬山は、「我が家風には、そんな無駄な物は...禅宗と三学について

  • ブログみる【初心者カメラ教室】写真・カメラの情報をブログみるで閲覧する方法とは - ぎんがのカメラブログ
  • 2022/08/20 12:51
    日蓮宗の十仏名

    日蓮宗には江戸時代中期に編集された『草山清規』がある。本書だが、元々は真言律宗にて律を学んでいた慧明院日燈(1642~1717)が、深草元政が構築した「法華律」の門に入ったことによって制定された。その中に、禅宗系と比べると、かなり興味深い十仏名があるので、見ておきたいと思う。なお、本書では「十仏名」と書いているわけではない。ただし、食事の際の念誦で挙げられており、元々が我々禅宗の清規を参照したことを思うと、間違いなく「十仏名」である・・・と思っていたら、台厳上人『草山清規纂註』では「十仏名」だと記載していた(22丁裏)。よって、そう理解して良さそうである。ということで、内容を早速見ておきたい。南無久遠実成釈迦牟尼仏南無証明法華多宝仏南無十方分身釈迦牟尼仏南無当来下生弥勒尊仏南無十方三世一切諸仏南無大乗妙法...日蓮宗の十仏名

  • 2022/08/19 12:35
    今日は「俳句の日」らしい(令和4年度版)

    今日8月19日は、語呂合わせで「俳句(8・19)の日」らしい。少し調べてみると、以下のような成立の経緯が知られるようである。・俳句の日(コトバンク)京都教育大学名誉教授の坪内稔典先生などが提唱され、1991年に制定されたのが「俳句の記念日」とのことである。そういうことなので、今日は「仏教と俳句」という観点から記事を書いてみたい。とはいえ、俳句、元々は「俳諧」とも呼ばれ、江戸時代に連歌の発句のみ連句する様子を指したという。確かに、百人一首を含めてそれまでの和語の道歌といえば、和歌(短歌)の形式が主であり、俳句を詠んだ仏教者は、江戸時代以降しかいない、ということになる。また、俳人で仏教俳句を詠んだ事例も多いが、この辺は既に【8月19日俳句の日】などで紹介したこともある。参照されたい。ということで、仏教者で俳句...今日は「俳句の日」らしい(令和4年度版)

  • 2022/08/18 08:22
    仏教用語としての「緇素」考

    以前、【仏教用語としての「緇白」考】という記事をアップした時に、気付いたら「緇白」の話から、「緇素」へと話題が変わっていたことがあった。そこで、その内に「緇素」についても記事を書きたい、という話をしていたのだが、検討するべき文章があったので、紹介しつつ記事にしておきたい。【丗九】緇素の事△緇素と云、黒白歟如何をとこをば白衣と云ふ、僧をは黒衣とおもへり、緇はくろし、素はしろしとよむ字なれば、黒白衣をとりあはせて、緇素と云、道俗の二字をば、日本紀にはをこない人、しろきぬとよめり、しろきぬは白衣の衆と云心也、但毛詩に緇衣の篇あり、これは別の事、僧の黒衣には非ず、緇衣をは卿士と朝服也と云へり、をとこのきる袍のいろなり、俗を白衣と云はんには、しろき袍をこそきるべきに、僧の黒衣のいろの定にて、道俗ともに同じ緇衣の心え...仏教用語としての「緇素」考

  • 2022/08/16 23:19
    浄土真宗の教えって?

    悪人こそ救われるって、浄土真宗では教えてるんでしょ。そんなこと、ほんとにあるのかなあ?なーんて疑問もってる人、いませんか?幸福の科学の大川隆法先生は、『親鸞よ、「悪人こそ救われる」は本当か』(幸福の科学出版)で、浄土真宗を開いた親鸞が、この問題について真正面からインタビューされて答えている「霊言」を、次のように紹介しておられます。本当は、こんな大きな教団になってからの教えではなかったのでね。もともとは、自分一人の宗教だったわけだ。「弟子一人も持たず候」であり、「親鸞ただ一人がためなり」っていう感じなので、まあ、エゴイスティックと言えば、エゴイスティックなのかもしらん。要するに、われ一人が救われたくて、ずっと修行をしていたのに、苦しみがやまないし、仏教が教える「涅槃に入る」というか、「煩悩の炎を消す」という...浄土真宗の教えって?

  • 2022/08/16 09:21
    裏盆に盂蘭盆の続きの話 「なすびの牛・キュウリの馬」について

    昨日が正当の盂蘭盆会、今日からは「裏盆」というらしい(興味のある方は「裏盆―つらつら日暮らしWiki」を参照されたい)。そこで、今日からは盂蘭盆会について話が出来なかったことなどで気付いたことがあれば、不定期に記事にしておきたいと思う。そういえば、盂蘭盆会には自宅の盆棚に御先祖様が帰って来るという話を聞いたことがあると思う。その際、何に乗って帰って来るという話があると思う。当方が聞いたことがある話としては、「キュウリの馬に乗って急いで自宅の盆棚へ帰ってきて(どこから?)、なすびの牛に乗ってゆっくり戻っていく(どこへ?)」というものだったのだが、これは何か典拠があるものなのだろうか?そこで、調べてみた。江戸時代以前の成立となる『塵添壒曩抄』や『寂照堂谷響続集』、『和漢三才図会』などには、もちろん「盂蘭盆会」...裏盆に盂蘭盆の続きの話「なすびの牛・キュウリの馬」について

  • 2022/08/15 10:49
    今日は終戦の日(令和4年度版)

    今日は8月15日、終戦の日であるとされる。実際には、連合軍によって発せられたポツダム宣言の受諾を示す昭和天皇の玉音放送が行われたという日となる。実際に、日本の第二次世界大戦(太平洋戦争)の降伏文書の調印は、1945年9月2日に東京湾に入った、アメリカの戦艦ミズーリ艦上で行われたことは、良く知られていると思う。さて、今日は仏教と戦争について考えてみたいのだが、第二次世界大戦期に日本の国威発揚、継戦への協力を訴えた仏教者として名前を挙げるとすれば、雄弁家として知られていた加藤咄堂居士(本名:熊一郎、1870~1949)であろう。例えば、咄堂居士には文字通り『戦争と信仰』(大東出版社・昭和13年)という著作が存在している(国立国会図書館デジタルコレクション)が、その目次を見ていただくと、本当に戦争について肯定的...今日は終戦の日(令和4年度版)

  • 2022/08/14 08:33
    諦忍律師『盆供施餓鬼問弁』を学ぶ4(令和4年度八月盆⑥)

    今年の盂蘭盆会に関する記事は、江戸時代中期に活動した真言宗系の学僧・諦忍妙竜律師(1705~1786)の『盆供施餓鬼問弁』(明和2年[1765]版)を学んでみたい。なお、この文献については、当方も版本を持っていて、それを参照しつつ記事を書いてみたいと思っている。〇問、盆供は自恣の僧を供ずる筈なるに、その本意を失ひ、今に至りては偏へに亡霊の祭りのやうになりたるは、何れの時よりか起こるや。答、旧唐書に曰、大暦元年丙午七月壬午、帝、盂蘭盆会を禁中に作す、高祖大宗已下七聖の位を設け、巨幡を建て、帝号を以て其の上に標し、大廟より迎て、内道場に入る、是の日、百僚を光順門に立仗して、迎并導従す、是れより歳ごとに以て常と為す〈云云〉、此時より祭りのやうに成りたるなり。『盆供施餓鬼問弁』2丁表~裏、カナをかなにし見易く改め...諦忍律師『盆供施餓鬼問弁』を学ぶ4(令和4年度八月盆⑥)

  • 2022/08/13 08:18
    諦忍律師『盆供施餓鬼問弁』を学ぶ3(令和4年度八月盆⑤)

    今年の盂蘭盆会に関する記事は、江戸時代中期に活動した真言宗系の学僧・諦忍妙竜律師(1705~1786)の『盆供施餓鬼問弁』(明和2年[1765]版)を学んでみたい。なお、この文献については、当方も版本を持っていて、それを参照しつつ記事を書いてみたいと思っている。〇問、法苑珠林に大盆浄土経と云を引て仏在世広大無辺の盆供の事を明せり、然るに大蔵目録を捜れども此経なし、如何。答、此は是偽経なり、道世誤て引のみ、大凡そ盆供の事は世流布の盂蘭盆経より外は、一切依用すべからず。『盆供施餓鬼問弁』1丁裏、カナをかなにするなど見易く改めるこちらだが、実際に典拠となる『大盆浄土経』から引かれたとされる文章を見てもらった方が早いと思う。問うて曰わく、七月十五日、既に開道俗の盆を造りて献供することを開く。未だ知らず、宝盆を造り...諦忍律師『盆供施餓鬼問弁』を学ぶ3(令和4年度八月盆⑤)

  • 2022/08/12 08:07
    諦忍律師『盆供施餓鬼問弁』を学ぶ2(令和4年度八月盆④)

    今年の盂蘭盆会に関する記事は、江戸時代中期に活動した真言宗系の学僧・諦忍妙竜律師(1705~1786)の『盆供施餓鬼問弁』(明和2年[1765]版)を学んでみたい。なお、この文献については、当方も版本を持っていて、それを参照しつつ記事を書いてみたいと思っている。〇問、今時世上を見るに、七月に入や否、直に盆供を執行ひ、施餓鬼と盆供とは全く一事なりと思ひ、混乱して修する者あり、是歟不是歟、如何。答、是は大ひに不可なり、施餓鬼と盆供とは各別の物なり、何ぞ一混ずべけんや。盆供は目連より起り毎日黄昏に修す、盆供は百味五菓を以て十方自恣の僧衆を供養し、施餓鬼は一器の浄食を以て専ら餓鬼趣を救ふ、由来雲泥の隔あり、是を一混するは大なる謬なり。『盆供施餓鬼問弁』1丁表、カナをかなにするなど見易く改める本書は、前半が「盆供養...諦忍律師『盆供施餓鬼問弁』を学ぶ2(令和4年度八月盆④)

  • 2022/08/11 12:54
    今日は山の日(令和4年度版)

    今日は「山の日」である。この日は、2014年に制定されており、祝日としては新しいものである。そして、祝日について定めた祝日法を見ていくと、「山に親しむ機会を得て、山の恩恵に感謝する」という趣旨であると分かる。とはいえ、由来などは書いていないため、まぁ、何となく「お盆休み」の日付を増やす方便だったのでは?という感じがしてしまう。ということで、今日は「山」に関する教えを見ていきたいと思うのだが、仏教で「山」といえば、やはり「須弥山」であろう。その「須弥山」について、或る偈文が伝わっている。故に古の云わく、信施の一粒米、重きこと須弥山の如し、若し人道を了ぜざれば、披毛帯角して還らん。『仏祖三経指南』以上の通りなのだが、この偈文、余り古い文献には出てこない。参考までに、上記のも中国の禅僧・為霖道霈禅師(1615~...今日は山の日(令和4年度版)

  • 2022/08/09 09:31
    8月9日 長崎原爆の日に思う「不殺生」(令和4年度版)

    長崎県長崎市では、8月9日に77回目の原爆の日を迎えた。長崎市松山町の平和公園では、午前10時40分から市主催の「長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典」(平和祈念式典)が開かれ、原爆投下時刻の午前11時2分に黙祷を捧げられる。なお、式典そのものは被爆者や遺族など約1700人が参列する予定とのことである。そして、7月末までの1年間に死亡が確認された3160人の名前を記した原爆死没者名簿3冊を奉安し、死没者数は19万2310名となった。しかし、このように死没者の「数」を表記してしまうと、ただの観念になってしまうが、実際のお1人お1人にはそれぞれの人生があり、尊厳があるわけだが、その全てが原子爆弾によって踏みにじられたわけである。このような戦争の苦しみ、悲しさを前にすると、1人の仏教徒として、「不殺生」のことを思わざ...8月9日長崎原爆の日に思う「不殺生」(令和4年度版)

  • 2022/08/08 08:53
    8月8日 そろばん説法

    今日8月8日は「そろばんの日」とされる。理由は、そろばんの珠を弾く音が「パチ・パチ」であり、語呂合わせで今日となった。そこで、色々と見ていくと、禅僧による或る説法が目に止まったので、紹介しておきたい。上堂。山漉漉、水漉漉。四天王、昨夜、忽ちに無明をして逐わしむ。算盤子、打過了す八万四千九百九十零九遍なり。衆兄弟、什麼と為てか我が廚下の火頭を累せん。直に如今に至って睡不足なり。下座して曰く、参、と。『五灯会元続略』巻4「常州龍池幻有正伝禅師」幻有正伝禅師(1549~1614)とは明代末期の臨済宗の僧侶である。この人を扱った先行研究もあるようなので、興味のある方はお調べいただくと良いと思う。さて、今回取り上げた説法を見ていくと、意味としては、山も水もじっとりとしている(その時の住持本人の感触を述べたものか?)...8月8日そろばん説法

  • 2022/08/06 08:44
    8月6日 広島原爆の日に思う「不殺生」(令和4年度版)

    8月6日、広島県広島市では、被爆から77年となる「原爆の日」を迎えている。広島市中区の平和記念公園では午前8時から「原爆死没者慰霊式・平和祈念式」(平和記念式典)が営まれ、原爆が投下された8時15分に合わせて黙祷が捧げられた。当方もテレビの前ではあるが、合掌し黙祷した。今年も、新型コロナウィルス感染症の関係もありますが、一般席も用意され、約3500人が参列されるという。なお、全国の被爆者はおよそ11万8935人となり、始めて12万人を下回ったという。そして、平均年齢は84歳を超えているため、近年語られていることですが、被爆の体験、戦争の悲惨さを、如何にして後世に伝えるかが問題となっている。また、今日の式典では、この1年で死亡を確認した4978人の名簿が原爆慰霊碑に奉納される予定で、死没者は33万3907人...8月6日広島原爆の日に思う「不殺生」(令和4年度版)

  • 2022/08/05 07:59
    日本の盂蘭盆会の始まり(令和4年度八月盆①)

    勝手な感じだが、8月5日になったので、八月盆(8月に行われる盂蘭盆会)について考えようと思う。今日から8月14日まで、幾つかの記事をアップするようにしたい。ところで、明治期に行われていた日本の仏教儀礼研究の成果を見てみると、盂蘭盆会については『日本書紀』を典拠にしつつ、推古天皇の御宇に行われたとする場合が複数見られた。そのため、典拠とされる一節を見てみた。十四年夏四月乙酉朔壬辰、〈中略〉是の年より初めて毎寺、四月八日・七月十五日に設斎す。『日本書紀』巻22「推古天皇」項以上の通りなのだが、これは推古天皇14年(606)のこととされる。そして、この年、奈良や飛鳥の諸大寺に仏像が安置されたことを示すのだが、その一節の末尾に「毎寺、四月八日・七月十五日に設斎す」とあるのだが、この内、「四月八日」については説明は...日本の盂蘭盆会の始まり(令和4年度八月盆①)

  • 2022/08/04 11:01
    今日は「橋の日」(令和4年度版)

    今日8月4日は、語呂合わせで「橋の日」である。もちろん、「箸の日」でもあって、実は後者の方が当方としては記事を書きやすい気もするのだが、せっかくなので「橋の日」で記事を書いてみようと思う。亦た橋梁の如し、能く衆生をして、生死・煩悩の駛流に堕せざらしむ。『菩薩念仏三昧経』巻3「不空見勧請品第八」「橋」を意味する「橋梁」という用語で色々と調べてみると、釈尊に由来する阿含部経典からも用例を見ることが出来るが、ここでは大乗経典を引いてみた。仏教では大概、この煩悩にまみれた世界を「此岸」、そして清浄なる世界を「彼岸」としつつ、その渡り方について教義・実践が組まれていると言って良い。その中で、渡る方法の譬えとして出てくるのが、「船」と「橋」なのである。今回は、「橋の日」なので、「橋」について採り上げてみた。それで、「...今日は「橋の日」(令和4年度版)

  • #スピリチュアルな世界
  • 2022/08/03 09:33
    ハサミ説法と仏教宗派

    色々と耳にする限りに於いては、日本の仏教は複数の宗派が存在していることについて、疑問視する場合があるという。だが、もしかすると、複数の宗派が存在しているのは、或る種の必然かもしれない、ということで、以下のご指摘を拝しておきたい。鋏ってのはただつくりゃいいってもんじゃない。鉄板を切るのとか、紙を切るの、布を切るの、木を切るの、それもうすいの厚いのを切るの、鋏といっても全部ちがいますね。木鋏は太い幹も切るし、薄い葉も切る。ふつうにつくると木がはさまっちゃって止まっちゃうんですよ。中に入っていかない、だから刃の角度がちがうし、先の方はうすいものも切れなくちゃいけない。見かけは同じようでも多様な用途があるんだね。ドイツの花切りなんてのも、葉を切るにはいいんだけど固い茎を切ろうと思うと止まって刃先がつぶれちゃうの。...ハサミ説法と仏教宗派

  • 2022/08/02 09:59
    『梵網経』で喩えに使われた「事火婆羅門」について

    以前、【明恵上人と高座について】の記事を書いたときにも指摘したが、『梵網経』の中に「事火婆羅門」の喩えが指摘されている。然るに、同経典の原文では、同事象について名称のみ紹介され、実態としては何も書かれていない。そこで、今回は同事象を掘り下げてみて、何故この箇所の例えとして用いられているのかを検討してみたいと思う・・・その前に、『梵網経』は近年、中国成立ということで学会では決着を見ていると思うが、同様の経典に『菩薩瓔珞本業経』というのがある。これも、菩薩戒について軽重を挙げて述べているのだが、その一節に以下のように見える。仏子よ、十戒を受け已れば、復た聴者の為に教えて法師を供養せしむ。常に天上の無量の華香、百千の灯明、百千の天衣瓔珞、百千の妓楽、百味の飲食、屋宅・経書、一切の所須の物を以て、皆な悉く給与せよ...『梵網経』で喩えに使われた「事火婆羅門」について

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