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連載は5回目となる。『養老律令』に収録されている『僧尼令』の本文を見ているが、『僧尼令』は全27条あって、1条ごとに見ていくこととした。まずは、訓読文を挙げて、その後に拙僧なりの解説を付してみたい。なお、釈雲照補注『僧尼令』も参考にすることとしたい。凡そ僧尼、寺院に在るに非ずして、別に道場を立て、衆を聚めて教化し、并せて妄りに罪福を説き、及び長宿を殴り撃てば、皆な還俗。国郡の官司、知りて禁止せざれば、律に依りて罪を科す。其れ乞食する者有らば、三綱連署して、国郡司に経れよ。精進練行なりといふことを勘へ知りなば、判じて許せ。京内は仍りて玄蕃に経れて知らしめよ。並に午より以前に、鉢を捧げて告げ乞ふべし。此に因りて更に余の物乞ふこと得ざれ。前掲同著・217頁を参照して、訓読は拙僧先行研究を見ると、「非寺院条」と呼ばれて...第五条・非寺院条(『僧尼令』を学ぶ・5)
江戸時代の曹洞宗の学僧である指月慧印禅師が著した『荒田随筆』を学んでいく連載記事である。徐々に各論に入っているけれども、今回は「三乗」と題される一章の4回目となる。其の小大半満なるを見て、固に謂て小大半満と為すは、未しなり。蓋し法相、過無し。以て言思する者の愆なり。若し其の爾るを知るは、皆な絶量の教なり。是教、能く聖子をして功徳の鎧を擐して、法王の事を幹せしむ。是に於いて魔外増慢の幢を倒し、順伏して法王の冑子と為る。沙界に敵無し。同じく此の宗に入りて其の道を紹継す。是れ之を髻珠を得と謂ふ。而して此の法を荷負し之を蠢蠢の徒に転授して、仏種姓を成さん、仏境界を証せしむ。其の転授の輸、本支一如、尽く是れ法王の法、法王の心なり。故に世間、二乗有ること無し。在世・滅後宜しく心伝と称すべし。皆な仏の賢腸赤腑、敷て茲に在るは...三乗(其の四)(指月慧印禅師『荒田随筆』参究15)
ここ数回の記事は、最後の一章「雑」を採り上げています。本章は「雑」の字の通りで、他に一章を立てるほどが無い程度の内容でもって、様々な事柄を富永仲基が論じたものです。本当に種々雑多な内容ですが、見ていると20前後の節に分けられそうなので、一つ一つ見ていきたいと思います。仏生を説いて、二月或いは三月・四月という者の如き、是れ三代正朔の異に出づ。今、推すべからず。其の仏滅を説いて、三月或いは九月という者の如き、又た十五日或いは八日というは、則ち説の有る、在り。四分律を案ずるに云く、「髪、半月に一たび剃す、極長両指なるは、若しくは二月に一たび剃る」と。二月とは、白黒各おの十五日有り、此の間の三十日に当たれるを二月と為す、是れ竺土の俗、十五日を以て一月と為し、三十日は二月と為す。十二月で一年を二十四月と為すなり。以て之を...雑第二十五其13(富永仲基『出定後語』を学ぶ40)
以前から気になっていた一節について、ちょっとした知見を得ることが出来たので、記事にしておきたい。単寮にあるともがらと、首座・書記・蔵主・知客・浴主等と、到寮拝賀すべし。単寮にあるともがらと、都寺・監寺・維那・典座・直歳・西堂・尼師・道士等とも、到寮、到位して拝賀すべし。到寮せんとするに、人しげくて人寮門にひまをえざれば、牓をかきてその寮門におす。その牓は、ひろさ一寸余、ながさ二寸ばかりなる白紙にかくなり。かく式は、〈巣雲懐昭等〉〈又ノ式〉拝賀〈某甲〉礼賀〈又ハ式〉〈又ノ式〉〈某寮某甲〉〈某甲拝〉拝賀賀〈又ノ式〉〈又ノ式〉〈某甲〉〈某甲〉礼賀礼拝かくしき、おほけれど、大旨かくのごとし。しかあれば、門側には、この牓あまたみゆるなり。門側には、左辺におさず、門の右におすなり。この牓は、斎罷に、本寮主、をさめとる。今日...『正法眼蔵』「安居」巻に於ける「巣雲」表記について
都内某古書店から、研究費で購入した写本について紹介しておきたい。写本の書誌情報は以下の通りである。なお、題名が付いていない場合には、拙僧の判断で付し、末尾に(仮題)としておいた。一、冊数1冊一、料紙楮紙一、大きさ縦20.8㎝×横9.1㎝一、装丁折本帙入一、題目帙題室中法宝慧全拝請外題室中法宝内題【表面】洞上室中随聞記面山和尚所述宝慶記江寂円月序偏正五位説提唱(仮題)室中之式梅山和尚戒法論室中伝法古語・神札・大事図提唱(仮題)参同契・宝鏡三昧・五十七仏(室内看経か)日本番匠記【裏面】五指歌(仮題)△ウンコフ日ヲシル哥△猫ノ目ニテ時ヲシル哥△四目録○五大六大五智如来西来良高和尚夜話塔婆点眼法仏菩薩像安座点眼法仏菩薩秡心大事一同心同安座口伝之事霊供参二頭祥鶏火燭口伝入棺切紙下火切紙土葬死骸不堀(掘か?)出之切紙度懐胎...戒量慧全禅師書写『室中法宝』写本について
禅僧の戒律観については、拙僧自身常に主題化しようと思っているが、関係する問答などが少ないので、とりあえず目に付いたところから学ぼうとしている。今日は以下の一節である。師、衆に謂いて曰く、擬心すれば是れ犯戒なり。味を得れば是れ破斎なり。又曰く、擬心すれば蚤に差う。況んや復た有言なりや。『洞山録』そこで、以上の一節を見れば、中国曹洞宗の開祖に位置付けられる洞山良价禅師の見解として、擬心する(心をあれこれ推し量る)ことは戒を犯すことになるという。更に、檀信徒から布施される斎(昼食)で味を得れば、それは斎を破ることになるという。問題は、はかったり、得たりという「自己のはからい」が介在することである。そのため、洞山禅師は念を押して、擬心すれば、とにかく(道理に)違うという。ましてや、それを言葉にしてしまえば、尚更に誤ると...洞山良价禅師・曹山本寂禅師の「犯戒」について
ひょんなことから、江戸時代の洞門学僧・指月慧印禅師に係る『不能説語録』写本を入手した。なお、タイトルは表紙に書かれた『不能説語録』とはしたが、指月禅師に関わるものであれば、『不能語語録』ではないのかな?とは思う。しかし、明らかに『不能説語録』と読める表題なので、これはこのまま受け取るしかない。それで、本書の中には、従来の先行研究で記載されていないものがあったように思うので、この記事で簡単に紹介し、今後拙ブログ(や実世界の論文)で活用していきたい。一、冊数1冊一、料紙楮紙一、大きさ縦19.5㎝×横13.7㎝一、装丁袋綴一、題目外題不能説語録内題洞山高祖辞北堂書・頌二首・後寄北堂書・頌・附孃回書自誡・規誡・王子頌五首(誕生・朝生・末生・化生・内生)指月老人為雄山侍者裁縫七條其詞云不能語参請十玄談一、枚数本文31丁一...指月慧印禅師『不能説語録』写本について
拙僧自身、「歎仏」という儀式については分かっていないことが多く、あくまでも参究の一端としてこの記事を書いている。そもそも、「歎仏」とは、「仏を歎ずる」ことであり、「歎」とは「讃歎」などの語句の通りで、その徳を讃えることとなる。だが、では、ただ「仏の徳を讃えること」のみを意味しているかというと、実態は懺悔・三帰・供養などが併修され、場合によっては、そこに亡者供養なども行われている。つまり、仏事全般に関わってくる印象も持つのである。そこで、今回は「歎仏」に関するオムニバス的な記事になってしまったが、以下の通り書き残しておきたい。そこで、道元禅師の文献で、「歎仏」については以下の指摘が知られている。如し尋常の填設に遇わば、即ち白槌して曰く、仰惟三宝咸賜印知更に歎仏せざるなり。十声仏罷りて槌を打つこと一下し、首座施食す...懺悔法としての「歎仏」について
行基菩薩(668~749)というのは、南都仏教界で最も有名な一人として知られ、その活動は「知識結」を動員して行われた近畿各地の土木事業であったり、或いは聖武天皇から特に依頼されての東大寺大仏の建立事業であったりする。それで、拙僧自身が気になっているのは、行基菩薩自身の修学過程である。天武天皇11年(682)に大官大寺で出家得度し、法行と称したという。そして、持統天皇5年(691)に24歳で高宮寺・徳光禅師のもとで受戒したとされている。その後、飛鳥寺、次に薬師寺で法相宗を主として教学を学び道昭法師などにも就いて、行基と名を改めたとされる。なお、その徳光律師からの受戒について、東大寺の凝然大徳(1240~1321)による以下の指摘がある。然るに後後の僧、諸宗を学習し、定慧に通達し、経論を研精し、占察・地持等の教えに...行基菩薩の受具足戒への評価について
最近、新型コロナウィルス対策のため、アルコールとは飲むよりも消毒に使うものとなっている。そのため、各地のアルコール製造者は飲酒用よりも消毒用として出荷されているらしい。そこで、こういう場面であれば、以下のような文章を学ぶのも良いかも知れない。善悪所起経に云く、飲酒三十六過あり。一つには資財散失す。二つには多の疾病を現ず。三つには因りて闘諍を興す。四つには殺害を増長す。五つには瞋恚を増長す。六つには多く意を遂げず。七ちには智慧漸く寡となる。八つには福徳勝れず。九つには福徳転た減ず。十には秘密の顕露す。十一には事業成らず。十二には憂苦多増す。十三には諸根闇昧す。十四には父母を毀辱す。十五には沙門を敬わず。十六には婆羅門を信じず。十七には仏を尊敬せず。十八には僧法を敬わず。十九には悪友に親近す。二十には善友を捨離す。...「飲酒三十六過」について
以前、【凝然大徳『律宗綱要』に見える智憬法師の言葉】を書いた時、凝然大徳の見解について、拙僧は少し理解出来ない部分が残った。要するに、鑑真和上が来日して、東大寺で授戒を行うという時、それまでに自誓受戒で受戒していたと主張した日本人僧侶は、自分たちの資格は十分だとして拒否したという。拙僧などは、その時拒否したメンバーに、智憬法師が入っていたとは知らなかったので、先の記事を書いたわけである。その後、凝然大徳は『律宗瓊鑑章』巻6「第九所学典籍」(『日本大蔵経』「律部三」巻所収)でも同じ見解であることを確認した。そのため、拙僧的には「?」となっていたのだが、最近『三国仏法伝通縁起』を見ていて、この辺の疑問が氷解した。まずは以下の一節を紹介しておきたい。道融并に智憬、皆是律蔵に通達の人なり。道融禅師、聖武天皇御宇天平年中...凝然大徳『三国仏法伝通縁起』に見る智憬法師と賢憬法師について
まだ東京都や大阪府など一部自治体では解除されていないが、全国の多くで、国からの緊急事態宣言が解除された。それで、自粛の生活についても、だいぶ解除されてきた状況にある。勿論、東京都が解除されていないので、人口や情報の発信元の関係もあって、まだ自粛生活が続いている印象もあるかも知れないが、それは思い違いである。自粛生活が続いている状況について、他者に自粛を強いる「自粛警察」と呼ばれる連中が話題になっている。その発生経緯や、危うさについては以下の記事をご覧いただきたい。・「自粛警察」危うい正義感コロナで鬱憤、他者を攻撃(日本経済新聞)それで、拙僧自身気になったのは、この「自粛生活」の特徴である。以下の数点を挙げてみる。・今回の自粛はあくまでも「政府や自治体からの要請」である。・法的な拘束力が無いので実は行動は自由。・...「自粛警察」を仏教の戒律から読み解いてみる
拙僧の率直な意見として、いわゆる宗祖・親鸞聖人以来の「非僧非俗」という立場からすれば、浄土真宗に於いて「戒律」の実行は、その宗義上重要な問題では無いと思われ、よって、現在行われている「夏安居」という『律』に即した行事なども、本来は必要がない立場のはずである。そう思っていたところ、或る記述を目にしたので、今日はそれを検討しながら、浄土真宗に於ける「安居」の一様相を見ておきたい。なお、江戸時代のことについては、【江戸時代の浄土真宗に於ける「安居」観について】で示しておいたので、ご参照願いたい。安居及條例往古は四月より七月まで全国の末寺僧侶、本山学林に来りて学事を研究せしが、維新以後学制を改めてより、毎年七月・八月の交三十日間を安居として派内僧侶の学階を有する者二百名内外を招集し、法主親づから一山の碩学中より本講師、...明治期の浄土真宗に於ける「安居」観について
聖書に基づくイエス様の救いの証をお語り下さい。短くても結構です。
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アフリカ出身の夫と国際結婚し、その生活の中で体験したり学んだり考えたりしています
「純粋な」哲学の話題であれば、何でもどうぞ。 宗教、スピリチュアル、ポエム、政治、社会問題は却下です。 科学哲学は認めます。 なお、オープンな議論を促進するため、コメント機能を有効にすることが望ましいです。
スピリチュアルに触れながらも、それに傾倒しない哲学・思想などを語ってください。 直接的なスピリチュアル批判の場合は、なるべく理性的にお願いします。 スピリチュアル的な考え方は好きだけどハマり過ぎるのは考えもの、という緩い準アンチの方も考えをお聞かせください。 スピリチュアルの構造の客観的な分析なども歓迎です。 みんなの理性を結集してスピリチュアルに対抗しましょう。 なお、オープンな議論を促すためにコメント機能を開放することが望ましいです。
自分を変えようとして苦しんでいる人は多くいます。実は自分を変えようとしていることが間違いなんです。そもそもそのそのままの自分で幸せに暮らすことができます。それができるならみんなそのままの自分で暮らしたいと思っていると思います。そんなそのままの自分で幸せに暮らすためのヒントを発信します。
「奇跡」を司るのが「神」 時間・空間・物質に「奇跡」が起きた。 生命は「奇跡」の連続 「大いなる意思」は「神の愛」 人間は皆、「神の子」です。