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伝統的日本仏教を見直そう

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伝統的日本仏教を見直そう
テーマ名
伝統的日本仏教を見直そう
テーマの詳細
伝統的日本仏教について、肯定的な内容であれば何でもOKでございます。日本で江戸時代以前に存在しなかった宗派・新宗教についての内容や、日本仏教について批判的な記事は、投稿をご遠慮くださいませ。
テーマ投稿数
1,723件
参加メンバー
55人

伝統的日本仏教を見直そうの記事

2021年11月 (1件〜50件)

  • #アリス
  • #自分軸
  • 2021/11/30 09:20
    釈尊降誕説話への批判(拝啓 平田篤胤先生10)

    前回の記事は、「篤胤の釈迦族論」を論じたのだが、今回は、「釈尊降誕説話への批判」と題して、いわゆる「摩耶夫人の右脇から生まれた」とか、「天上天下唯我独尊と言った」に見るような、まさしく非合理的内容で語られる釈尊降誕説話に対して、篤胤がどう評したのかを見ておきたい。扨この者生るゝ時に母の右の脇から生れ出、うまれると直にみづから七足あるいて、右手を挙げ天を指し左手を下げ地をさし師子吼をたしたと云ことでござる。この師子吼と云は何のこともなく産声の事と見へるでござる。然るをまた此師子吼に文句をつけて、我於一切天人之中最尊最勝。無量生死於今尽矣。此生利益一切天人と吼たともあり。又一説には天上天下唯我独尊と吼たともあるでござる。この生ると直にあるいたり手を指上たり何かして吼た事は、何の経にもいつてあるが、実にこんなことのあ...釈尊降誕説話への批判(拝啓平田篤胤先生10)

  • 2021/11/29 14:17
    出家者に対する授戒の有無について(義浄『南海寄帰伝』巻3「十九受戒軌則」の参究・4)

    4回目となる連載記事だが、義浄(635~713)による『南海寄帰伝』19番目の項目に「受戒軌則」があり、最近の拙ブログの傾向から、この辺は一度学んでみたいと思っていた。なお、典拠は当方の手元にある江戸時代の版本(皇都書林文昌堂蔵版・永田調兵衛、全4巻・全2冊)を基本に、更に『大正蔵』巻54所収本を参照し、訓読しながら検討してみたい。前回は、式叉摩那(正学女)についての作法を学んだが、今回はその続きである。豈に既に出家の後に師主、十戒を授けず、其の毀破を恐れて大戒を成せざること有らんや。此れ則ち妄りに求寂の名を負い、虚しく出家の称を抱く。片利を懐くに似たるも、寧ろ大損を知らんや。経に云く、「未だ十戒を受けずと雖も、僧数に堕す」とは、乃ち是れ権りに一席を開く。豈に執して長時と作り得んや。又た神州の出家は皆な公度に由...出家者に対する授戒の有無について(義浄『南海寄帰伝』巻3「十九受戒軌則」の参究・4)

  • 2021/11/28 15:56
    第二十三条・教化条(『僧尼令』を学ぶ・23)

    連載は23回目となる。『養老律令』に収録されている『僧尼令』の本文を見ているが、『僧尼令』は全27条あって、1条ごとに見ていくこととした。まずは、訓読文を挙げて、その後に当方による解説を付してみたい。なお、『令義解』の江戸期版本(塙保己一校訂本・寛政12年[1800]刊行、全10巻で『僧尼令』は巻2に所収)も参照していきたい。凡そ僧尼等、俗人をして其の経像を付けしめ、門を歴て教化せしむる者、百日苦使。其れ俗人は、律に依りて論ぜよ。『令義解』13丁裏を参照、原漢文、当方にて段落を付すさて、この一条は「教化条」と名付けられているが、良く読んでみると、僧尼本人ではなくて、その者の指示等に従って、俗人に教化させることの是非を問うたものとなっている。つまり、或る僧尼が、自分で用意した経巻や仏像などを俗人に与え(貸した?)...第二十三条・教化条(『僧尼令』を学ぶ・23)

  • 2021/11/27 07:58
    マルティン・ルター『九十五箇条の提題』を学ぶ・28

    ドイツ宗教改革の発端にもなったとされるマルティン・ルターの『九十五箇条の提題』の日本語訳を学んでいく連載記事である。連載28回目である。3〔28〕お金が箱の中に投げ入れられ、そのお金がチャリンと音を立てることで、利益と貪りは確かに増し加わるに違いないが、教会のとりなしはただ神の御心に基づいている。深井氏下掲同著・21頁前回に紹介した項目もそうであるが、教会に喜捨した金銭についての直接的な話である。感覚として、お金を箱(日本なら賽銭箱を想起すれば良い)に投げ入れ、チャリンという音が鳴るときに、ルターは「利益と貪りが確かに増し加わる」といっている。しかし、良く分からないのは、これが「誰にとって」ということである。つまり、投げ入れた人にとって、利益と貪りが加わるのか?投げ入れてもらった教会関係者にとって、利益と貪りが...マルティン・ルター『九十五箇条の提題』を学ぶ・28

  • 2021/11/26 09:25
    釈雲照律師『自誓受八斎戒法』について

    とりあえず、『自誓受八斎戒法』の作法について学んでみたい。先づ懺悔文、次に三帰依法、次に自ら八戒を受く、諸聖阿羅漢、乃至、命存は、不殺生不偸盗不婬欲不妄語不飲酒不作楽冠華塗香不坐高床大床不非時食、の如し、我〈某甲〉始めて今日より乃至明旦まで、不殺生不偸盗不婬欲不妄語不飲酒不作楽冠華塗香不坐高床大床不非時食すること、亦た是の如し、此れ即ち是れ我が八支学処、是れ諸聖阿羅漢の学する処、我れ当に随学し、随作・随持すべし〈三反〉。『自誓受八斎戒法〈於三宝前香灯供養〉』、釈雲照律師『四威儀小作法』「附録」(真言宗法務出張所蔵版・明治14年)『自誓受八斎戒法』とある通りで、三宝の前に香灯などを供養して、その上で唱えるものである。そもそも「八斎戒」というのは、在家信者が毎月の数回、寺院に入りながら、出家者の生活に準えて暮らすこ...釈雲照律師『自誓受八斎戒法』について

  • 2021/11/25 10:06
    『四分律』冒頭の偈頌を学んでみる(1)

    『四分律』とは、中国に伝来した律蔵の一本で法蔵部(曇無徳部)に伝承されたものとされる。以前に【『四分律』冒頭の偈頌に見える「十句偈」について】で書いた通り、冒頭に偈頌が入っていて、今日はその最初の部分を読んでみようと思う。稽首し諸仏、及び法・比丘僧を礼す。今毘尼法を演べて、正法をして久住せしむ。優波離を首と為し、及び余身を証する者、今戒の要義を説いて、諸賢咸く共に聴く。今深戒を説かんと欲し、持戒を楽う者の為に、為に能く諷誦する者、諸長老を利益せん。『四分律』巻1冒頭まず、この部分であるが、上記リンク先の記事で書いたように、『四分律』の本文ではなくて、その内容を讃歎する偈頌である。つまりは、中国で成立したものなのだろう。ただ、述べている内容は非常に重要で、更には、別の記事にも用意しているのだが、中国禅宗の沙弥得度...『四分律』冒頭の偈頌を学んでみる(1)

  • 2021/11/24 08:53
    菩薩戒に於ける八種の利点

    中国天台宗の開祖の1人である南嶽慧思には『受菩薩戒儀』という文献が遺されているが、それに菩薩戒の利点を八種示した項目がある。今日はそれを見ていきたい。菩薩戒に八種の殊勝有り何等をか八と為す。一には極道勝なり。菩薩戒を受くれば、大鵬鳥の如し。一たび翅を挙げて高く飛べば、能く十万九千余里に至る。此れ菩薩戒の道に趣くこと疾きが故なり。発心して六趣、二乗の径を越え、無上菩提に趣くが故に。二には発心勝なり。一念して大悲智の心を発せば、二乗の境界を超過す。昔、二沙弥有りて、菩提心を発せば、阿羅漢、返生して恭敬し、衣幞を担ちて、路を行くに譲る等の如し。三には福田勝なり。仮使、閻浮提内に満ちる阿羅漢を供養するも、一大鵬鳥に如かず。此の鳥、先づ来たりて菩薩戒を受くるが故に。四には功徳勝なり。菩薩戒を受くるが、喩えば日光の如し。所...菩薩戒に於ける八種の利点

  • 2021/11/23 09:48
    今日は「勤労感謝の日」

    今日は「勤労感謝の日」の祝日である。「国民の祝日に関する法律」では、「勤労をたつとび、生産を祝い、国民がたがいに感謝しあう」日とのことである。なお、旧憲法下において、この日は天皇による新嘗祭であった。その日を転じて、「勤労感謝」としたのである。ところで、世間では「きんろう」と読むところ、呉音読みが多い仏教用語の場合、恐らくは「ごんろう」と発音される。そして、世間に於ける勤労ではなく、仏教的な勤労だと、以下の通りとなる。論じて曰く、諸無漏道、是れ沙門の性なり、此の道を懐く者、名づけて沙門と曰う、能く勤労を以て煩悩を息むが故に。契経の説の如きは、能く勤労するを以て種種の悪不善法を除く、広説して乃至、故に沙門と名づく。異生は能く究竟じて涅槃に趣くこと異なることの無いことあらざるが故に、真の沙門に非ず。『阿毘達磨倶舎論...今日は「勤労感謝の日」

  • 2021/11/22 07:19
    今日は「いい夫婦の日」とのこと

    今日11月22日は語呂合わせで「いい夫婦の日」とのこと。仏教の声聞戒(比丘戒)的には、夫婦という関係性自体が、出家者には当てはまらないし、僧残というかなり厳しい戒律の中には、世間の夫婦の間を取り持つようなことも禁止されている。ところが、これも大乗仏教にまで来ると、夫婦自体への言及が変わってくる場合も見られる。これは、以前も記事に書いたことがあるのだが、以下のような一節が見られる。又復た法師、能く一切の国土中に於いて、一人を教化し、出家し菩薩戒を受けしむるは、是の法師、其の福は八万四千塔を造るに勝れり。況んや復た二人・三人、乃至、百千となれば、福果、称量すべからず。其の師とは、夫婦六親、互いに師と為りて授けることを得る。『菩薩瓔珞本業経』「大衆受学品」『瓔珞経』は中国成立だとされているので、インドでの大乗仏教の話...今日は「いい夫婦の日」とのこと

  • 2021/11/21 10:40
    『雑阿含経』に見える二百五十戒

    以下の一節を見ておきたい。爾の時、世尊、諸もろの比丘に告ぐ、「二百五十戒を過れば、次の半月の来るに随って波羅提木叉修多羅を説き、彼をして自ら学を求むる者は学び、三学を説いて、能く諸戒を摂せしむべし。何等をか三と為すや、謂わく、増上戒学、増上意学、増上慧学なり」。『雑阿含経』巻29ここ最近、仏典の中に「二百五十戒」という字句が出ることが気になっている。これはもちろん、『四分律』系で説かれる比丘戒ということになるのだが、どうも、「二百五十戒」という数え方自体が、比丘戒全体を指す言葉だったのかもしれない、等と思うようになった。もちろん、その仏典を、『四分律』を伝えた法蔵部系で伝えたものだとか、そういう知識もあるのかもしれないが、当方はその辺、専門外なので能く分からない。そこで、上記一節は、実はこの一節しかない、極めて...『雑阿含経』に見える二百五十戒

  • ブログみる【初心者カメラ教室】写真・カメラの情報をブログみるで閲覧する方法とは - ぎんがのカメラブログ
  • 2021/11/20 10:35
    無我禅師『一心妙戒教』プレ参究

    今年に入って手元に入ってきた版本の中に、無我禅師『一心妙戒教』(受戒弟子:湛円慧証・痴禅柏堂結集、京師書林・小川源兵衛発行、安永9年[1780]4月吉辰)が混じっていた。名前から、天台宗や浄土宗辺りの戒学文献かと思っていたら、この無我省吾禅師についての『大明勅贈菩薩無我省吾禅師行実』が本書に収録されていたので、それを見ていくと、花園天皇(1297~1348)の庶子であり、生没年は1310~1381年の人であり、臨済宗・月堂宗規禅師(1285~1361)の法嗣としていた。月堂禅師も戒律を能くした人であるが、法嗣の無我禅師もまた同様だったようである。せっかく版本が手に入ったので、機会があれば実世界での論文も含めて研究してみようかとも思うのだが、拙ブログでは「プレ参究」と称して、一節を学んでおきたい。もちろん、本書の...無我禅師『一心妙戒教』プレ参究

  • 2021/11/19 09:47
    仏典に見える月蝕の話

    今日は【11月19日(金)は夜に入ってすぐに部分月食が起きるとのこと】で書いた通り、日本国内では多くの場所で部分月食(月蝕)が見られるらしい。そこで、今日は仏典に見える月蝕の話を見ておきたい。復た次に善男子、譬えば如し人有りて、月を見るに現れず。皆、月の没すると言い、而も没の想を作す。而し此の月の性、実に没すること無きなり。転じて他方に現じ、彼の処の衆生、復た月出づると謂い、而も此の月性、実に出づること無きなり。何を以ての故に、須弥山の障を以ての故に現ぜず、其れ月、常に生じ、性の出没無し。如来応供正遍知、亦復た是の如く、三千大千世界に出でて、或いは閻浮提に父母有ることを示す。衆生、皆、如来の閻浮提内に生ずると謂う。或いは閻浮提に涅槃を示現するも、而し如来の性、実に涅槃無し、而も諸衆生、皆な如来の実に般涅槃すと謂...仏典に見える月蝕の話

  • 2021/11/18 09:26
    洞山良价禅師に見る出家論(1)

    中国禅の系譜を探るとき、1つ、唐の武宗(在位:840~846)が起こした「会昌の破仏」への対応なども気になるのだが、そういえば、洞山良价禅師(807~869)なども、まさにその同時代を生きた禅僧であった。そこで、破仏が起きた時代の人という観点でその教えを見てみると、中々興味深いものがある。例えば、次の教えはどうか。名利を求めずして栄を求めず、只麼に縁に随いて此の生を度す、三寸気消せば誰れか是れ主、百年身後謾りに虚名す、衣裳破れて後重重に補し、糧食無き時旋旋に営む、一个の幻躯能く幾ばくが日ぞ、他の間事の為に無明を長ず。『洞山録』「自誡」項「自誡」とある通り、洞山禅師ご自身の誡めというべき文章である。そこで、簡単に訳しながら、意図するところを学んでみたい。まず出家者という存在は、名利心を求めず、栄誉なども求めずに、...洞山良价禅師に見る出家論(1)

  • 2021/11/17 09:54
    「遊行人間」について

    改造人間、妖怪人間に続く「遊行人間」か?と思ったが・・・今、行脚と称す。未だ其の典を見ず。毘奈耶律に云く、世尊の言うが如しは、五法成就して、五夏已に満ちれば、依止を離れ、人間に遊行することを得る。五法とは、一つには犯を識り、二つには非犯を識り、三つには軽を識り、四つには重を識り、五つには別解脱経の善く通塞を知り、能く持し能く誦す〈別解脱経、即ち戒本なり〉。優波離、仏に問うに、四夏満ちること有りて、五法を善くす。遊行することを得るや否や。仏言わく、得じ。五夏を以て定量と為す。又た問う、五夏満ちること有りて、未だ五法に閑なり。得るや否や。仏言わく、得じ。五法を以て成就するを定量と為すが故に。「遊行人間」項、『釈氏要覧』巻下これは、以前に書いた【依止師について】の続きのような感じと見ていただければ良いと思う。つまり、...「遊行人間」について

  • 2021/11/16 09:37
    永明延寿に於ける授菩薩戒について

    とりあえず、以下の一節を見ておきたい。師、永明の道場に居すること十五載、弟子一千七百人を度す。開宝七年、天台山に入りて戒を度すは、約めて万余人なり。常に七衆の与に菩薩戒を受く。『景徳伝灯録』巻26これは、永明延寿(904~976)の伝記を示す一節であるが、天台山に入った後で、大変に多くの弟子達を導き、戒を授けて出家させたことが分かる。そして、出家以外にも、「七衆」のために菩薩戒を授けたという。ここには、慎重な理解が必要である。特に、日本では多くの宗派が、菩薩戒のみで出家に至ると考える場合があるのだが、中国では基本、出家は沙弥戒と比丘戒とで行われており、菩薩戒にはそこまでの機能が求められていなかった。そのため、ここで「常に七衆の与に菩薩戒を受く」というのは、「七衆」の一々について、菩薩以外から菩薩にするための役割...永明延寿に於ける授菩薩戒について

  • 2021/11/14 15:35
    『受十善戒経』「十悪業品第一」を学ぶ(1)

    本経典は「後漢失訳人名」とあって、おそらくは古い時代の翻訳ではあると想われるが、詳細が良く分からない経典である。ただし、内容からは、授戒作法に係る一節が見られるので、この記事ではそれへの興味を持ちながら、学んでみたい。一時、仏、舎衛国祇陀林須達長者美称夫人精舎中に在りて、大比丘衆一千二百五十人と倶なれり。爾の時、世尊、慈梵音を以て舎利弗に告ぐ、「今、汝等の為に、十悪不善業報を除くことを説く。諦聴して、諦受して、一心に憶持して、慎んで忘失すること莫れ。十悪業とは、一つには殺生業、二つには偸盗業、三つには婬欲業、四つには妄語業、五つには両舌業、六つには悪口業、七つには綺語業、八つには貪欲業、九つには瞋恚業、十には愚痴業なり。舍利弗、汝、今、応当に普ねく衆生を教えて、清浄身業・清浄口業・清浄意業にして、五体投地し、和...『受十善戒経』「十悪業品第一」を学ぶ(1)

  • 2021/11/12 09:54
    戒壇の結界について(1)

    『四分律』を読んでいると、正式な比丘を認める受戒を行う戒壇の結界についての記載があるわけだが、それを見ておきたい。時に諸もろの比丘、須らく四人の衆有りて羯磨事を起こすべし、五比丘衆、十比丘衆、二十比丘衆にても羯磨事を起こすべし。是の中、大衆集会するに疲れ極む。諸もろの比丘、仏に白す。仏言く、「戒場を結ぶことを聴す。当に是の如く結ぶべし。白二羯磨して四方界相を称えよ。若しくは杙、若しくは石、若しくは疆畔を安じて、斉限と作せ。衆中には当に堪能の羯磨の人を差わすこと上の如し、『大徳僧よ聴け、此の住処の比丘、四方小界相を称す。若し僧の時として到らば、僧忍聴せよ。僧今、此の四方小界相内に於いて、戒場と作し、白すこと是の如し』『大徳僧よ聴け、此の住処の比丘、四方小界相を称す。今、僧の此の四方小界相内に於いて、戒場を結ぶ。誰...戒壇の結界について(1)

  • 2021/11/11 10:17
    11月11日 たくあんの日

    今日、11月11日は大変に多くの記念日が当たっているらしい。まぁ、365日の中でも、同じ数字が4つ並ぶのは今日しかないので、特別な意味を持たせたくなるのも分かる。なお、この辺を数えた人もいて、30箇以上の記念日があるという。それで、個人的に気になったのは、やはり「たくあんの日」である。まず、この日だが、全国の漬け物製造会社によって結成された「全日本漬物協同組合連合会」が制定したそうで、11月11日という文字が、たくあん用の大根を並べて干してある様子に似ているためとのこと。それで、【同連合会のHP】などを見てみたが、良く分からない。よって、ここまでとしておきたいが、たくあん漬けのことを調べていて、少し面白い一節を見付けたので、それを見ておきたい。沢庵漬俗にいふ沢庵和尚の漬始し物といひまた禅師の墓石丸き石なればつけ...11月11日たくあんの日

  • 2021/11/10 09:00
    戒律を学ぶこととは「法体行相」を知ること?

    とりあえず、以下の一節を見ていただきたい。中に就いて戒の要綱といふのは、所謂戒律の全部を包括して、之を組成する要領を法体行相の四とするといふことである。更に委しく言へば、戒法、戒体、戒行、戒相の四が完備しなければ、之を戒律といふことが出来ない、また此の四つで戒律の全部は尽されて居るといふのである。国民文庫刊行会『国訳大蔵経(附録戒律研究上)』昭和3年・国民文庫刊行会、49頁以前、明治時代初期に書かれた別の文章でも、戒律については「法体行相」を知らなくてはならないのに、最近はけしからん、的な文章を見たことがあったのだが、どうも、これは戒律研究上、必須とされた考え方だったようである。しかし、どうも、個人的に読んでいる文献には、中々このことを指摘する場合がないようだし、どうなっているのだろうか?と思い、今回その疑問点...戒律を学ぶこととは「法体行相」を知ること?

  • 2021/11/09 09:34
    中島みゆきなど芸能人・著名人の自宅を探訪~代田・代沢散策(5):斎藤茂吉/三好達治/横山利一/なべおさみ

    ★都合により、しばらくの間(10日~2週間程度)記事の更新をお休みします。☆☆☆前回の「著名人の自宅を探訪~代田・代沢散策(4):服部克久/河口慧海/萩原朔太郎/円乗院」では、世田谷区の代田を散策しながら、服部克久の自宅や文士・著名人の旧宅跡を探訪しました。今回は、代田を散策しながら、中島みゆき、なべおさみなど芸能人・著名人の自宅を探訪します。(※)他の芸能人・著名人関係の記事については、「芸能人・著名人...

  • 2021/11/09 09:25
    『大智度論』における出家功徳論について

    出家と在家の関係性の問題について、部派仏教までは話は早かったと思うのだが、大乗仏教になると複雑化した。理由は、菩薩について、出家とは限定されなかったためである。ただし、そのような大乗仏教の文脈の中で、出家の功徳を説く場合があると、その意義について検討せざるを得ない。是の如くの種種の因縁、出家の利、功徳無量なり。是を以ての故に、白衣、五戒有りと雖も、出家に如かず。龍樹尊者『大智度論』巻13「釈初品中讃尸羅波羅蜜義第二十三」まずは、以上の通りなのだが、『大智度論』では、出家の利益について、功徳無量であるとしている。それは、多くの出家の事例に於いて、功徳が明確に確認されるためである。例えば、以前に紹介した【『四分律』「受戒●度」と「酔婆羅門」の問題について】などで見た「酔婆羅門」の問題もそれに適合する。それで、『大智...『大智度論』における出家功徳論について

  • 2021/11/05 07:55
    菩薩の禁戒の十事について

    最近、いわゆる菩薩戒と伝統的な戒(大乗仏教側からは声聞戒などと呼称される)との対比を扱う文脈を学ぼうとしている。もちろん、大乗『大般涅槃経』のそれは有名なのだが、他の文献でも書かれているのを確認している。また、菩薩戒の特徴を論じている文献も読むようにしている。それは同時に、声聞戒との比較になるためである。菩薩の禁戒に十事有り。何をか謂いて十と為すや。道心を捨てず、声聞・縁覚の意を捐つ、一切の衆生を観察して愍を行ず、群萌を開化して仏法をして住せしむ、菩薩の奉修して応に学すべき所は、一切の法悉く不可得と解すべし、造る所の徳本道に至るを勧助す、未だ曾て諸仏身に猗著せず、能忍の諸法亦た倚る所無し、諸根を済護して以て禁戒と為す、是れを十事と為す。時に頌して曰く、常に道心に和し、声聞・縁覚を捨て、衆生を愍傷して、勧めて仏法...菩薩の禁戒の十事について

  • 2021/11/04 07:52
    「居家」という表現

    日本では仏教に於ける非出家者について「在家」などと表現する場合が多いと思うが、実際に漢訳仏典を見ると様々な表現があり、その一つに「居家」がある。例えば、以下の一節などはどうか。頼吒和羅、自ら思惟するに、「仏の経戒の如きは、居家は宜しからず。居家は自ら仏道を浄学すること能わざるなり」。『頼吒和羅経』以上の通りで、これは世尊の下で出家の可否を回って、親子の対立があった事例として知られる『頼吒和羅経』の一節である。同経典は、或る長者の子供であった頼吒和羅という名前の者の出家に関する話なのである。そこで、或る時、世尊が経・戒を説いたところ、非常にその教えに感服したこの者は、居家(在家)では世尊の教えや実践を学ぶことが出来ないと考え、出家を志した、という話をしているのである。世尊、云何が菩薩摩訶薩、修治して常に出家の業を...「居家」という表現

  • 2021/11/03 07:53
    禅と日本文化の現代性

    今日11月3日は文化の日である。それこそ、鈴木大拙居士の『禅と日本文化』(岩波新書)、柳田聖山先生『禅と日本文化』(講談社学術文庫)などに顕著なように、日本の思想研究の一部では、日本の伝統的な文化(茶道・華道など)に禅の影響があったとしている。もちろん、その後の現代的研究に依って、その影響の範囲は極めて限定的であったことがしられ、今となっては議論はかなり下火になっていると思う。ただし、禅が日本文化に影響しているという時、どの辺りが期待されていたのだろうか。気になった一節を紹介しておきたい。例えば、大拙居士は日本文化における禅宗が果たした役割の源泉を、以下のように指摘する。一、禅は精神に焦点をおく結果、形式を無視する。二、すなわち、禅はいかなる種類の形式のなかにも精神の厳存をさぐりあてる。三、形式の不十分、不完全...禅と日本文化の現代性

  • 2021/11/02 08:25
    『四分律』「受戒犍度」と「酔婆羅門」の問題について

    以前、【『四分律』に於ける具足戒を受ける条件について】という記事を書いた時、当方としては或る事が気になっていた。それは、「酔婆羅門」の話である。「酔婆羅門」の説話については、以下の一節などがよく知られていると思う。復た次に、仏の祇洹に在るが如きは、一りの酔婆羅門有りて来たりて仏の所に到り、比丘に作らんことを求む。仏、阿難に勅して剃頭を与え、法衣を著けしむ。酔酒、既に醒めて、己身の忽ちに比丘に為ることを驚怪し、即便ち走り去る。諸もろの比丘、仏に問うに、「何を以てか此の酔婆羅門の比丘に作ることを聴すや」。仏言わく、「此の婆羅門、無量劫中に初め出家心無し、今、酔うに因るが故に、暫く微心を発す。是の因縁を以ての故に、後に当に出家得道すべし」。龍樹尊者『大智度論』巻13「釈初品中讃尸羅波羅蜜義第二十三」以前から、他の文献...『四分律』「受戒犍度」と「酔婆羅門」の問題について

  • #幻想画
  • 2021/11/01 16:28
    11月1日 叢林では役寮交替の時期

    11月1日、叢林では役寮交替の時期であった。ただし、中国の宋朝禅では明確にこの日だと分かる文脈は少ない。或いは元宵(旧暦1月15日)に行われた事例もあるほどだ。とはいえ、調べてみると11月中にあった「冬至」の前に、「謝知事上堂(退任する知事に感謝を述べる説法)」などを行うものであったことが分かる。その宋朝禅が輸入された日本では、明確に11月1日だと示して、同様の上堂が行われる場合があった。十一月旦、謝莫都寺の上堂。寒風は地を匝い、寒雁空に横たわる。玉を弁じて正に按じ、甎を磨して旁に提ぐ。頭頭都て顕露し、物物総て現成す。何の故ぞ。蓋し是れ英霊の衲子、只だ向事上見を為すのみ。『龍宝開山特賜興禅大燈高照正燈国師語録』巻上まず、この語録は京都大徳寺の開山となった宗峰妙超禅師(1283~1338)のもので、莫都寺という人...11月1日叢林では役寮交替の時期

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