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伝統的日本仏教を見直そう

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伝統的日本仏教を見直そう
テーマ名
伝統的日本仏教を見直そう
テーマの詳細
伝統的日本仏教について、肯定的な内容であれば何でもOKでございます。日本で江戸時代以前に存在しなかった宗派・新宗教についての内容や、日本仏教について批判的な記事は、投稿をご遠慮くださいませ。
テーマ投稿数
1,723件
参加メンバー
55人

伝統的日本仏教を見直そうの記事

2021年12月 (1件〜50件)

  • #瞑想
  • #悩み
  • 2021/12/31 08:25
    本日は除夜(令和3年度版)

    読者の皆さまにおかれましては、今年もまた拙ブログについて大変にお世話になりました。心から感謝申し上げます。今日で、令和3年も終わり、明日から新年、令和3年となります。今日は「大晦日」とも呼ばれます。「晦日」とは、旧暦の考え方で「月が隠れている(=晦)日」という意味で、元々太陰暦では、新月(朔日)が1日で、満月(望月)が15日でした。しかし、1日の前日に当たる30日(或いは29日)も月がほとんど見えないので、この日を「晦日」と呼んだわけです。また、旧暦での1ヶ月は、29日か30日でしたが、この「30日」を「みそか」と呼んでおり、「晦日」に「みそか」という読み方を当てたことになります。そして、1年最後の「晦日」を「大晦日」と呼びました。さて、1年最後を締めくくる記事として、このような教えをお伝えしておきたいと思いま...本日は除夜(令和3年度版)

  • 2021/12/30 09:13
    悉多太子の修学伝承への批判(拝啓 平田篤胤先生11)

    前回の記事は、「釈尊降誕説話への批判」と題して、いわゆる「摩耶夫人の右脇から生まれた」とか、「天上天下唯我独尊と言った」に見るような、まさしく非合理的内容で語られる釈尊降誕説話に対して、篤胤がどう評したのかを見たが、今回は「悉多太子の修学」と題して、篤胤自身が参照した文献などを考えてみたい。さて悉多が七歳の時婆羅門を師として手を習はす時、其師が梵字四十九字の手本を書き其音を教たる処が、悉多が問には、此国土の中に書が幾種あるぞ。またこの阿字に何等の義があるぞと問ふ。そこで其師も答が出来ぬときに悉多がいふには、すべて此国土の中に梵書あり、また佉楼書といふがあり、蓮華書と云があり、すべて六十四種あり、また阿字はこれ梵音声にして、字義に無上正真道の義があると云て、こまかに其事を諭し聞したで、師匠の婆羅門もへこみ果たとあ...悉多太子の修学伝承への批判(拝啓平田篤胤先生11)

  • 2021/12/28 13:00
    第二十四条・出家条(『僧尼令』を学ぶ・24)

    連載は24回目となる。『養老律令』に収録されている『僧尼令』の本文を見ているが、『僧尼令』は全27条あって、1条ごとに見ていくこととした。まずは、訓読文を挙げて、その後に当方による解説を付してみたい。なお、『令義解』の江戸期版本(塙保己一校訂本・寛政12年[1800]刊行、全10巻で『僧尼令』は巻2に所収)も参照していきたい。凡そ家人、奴婢等、若し出家すること有て、後に還俗を犯さらむ、及び自ら還俗せば、並に追ひて旧主に帰し、各、本色に依れ。其れ私度の人は、縦ひ経業有りとも、度の限に在らず。『令義解』14丁表を参照しつつ当方で訓読、段落を付す内容としては、大きく2つに分かれている。まず最初は、誰かに仕える立場の家人や、奴婢(奴隷身分の者)が出家することが許された後で、還俗するような罪を犯したり、或いは自ら還俗する...第二十四条・出家条(『僧尼令』を学ぶ・24)

  • 2021/12/27 11:35
    マルティン・ルター『九十五箇条の提題』を学ぶ・29

    ドイツ宗教改革の発端にもなったとされるマルティン・ルターの『九十五箇条の提題』の日本語訳を学んでいく連載記事である。連載29回目である。4〔29〕聖セヴェリヌス、またパスカリスの物語が示しているように、煉獄にある魂のすべてが購われることを願っていたのかどうかを誰が知りうるというのか。深井氏下掲同著・21頁さて、前回までの内容に比べて、聖セヴェリヌス、或いは、パスカリスといった人たちの説話を前提にした条文となってきた。なお、全く分からないので、本書の補註なども参照してみるのだが、聖セヴェリヌスという人は、5~6世紀くらいの人で、アガウヌムという場所の修道院長だったとき、フランク王国の王の難病を治療した、という伝説があるらしい。一方で、パスカリスについては補註を見ても良く分からなかったので、独自に調べてみた。なお、...マルティン・ルター『九十五箇条の提題』を学ぶ・29

  • 2021/12/26 09:52
    鉢盂を漆器として作る典拠について(2)

    【鉢盂を漆器として作る典拠について(1)】の続きなのだが、この記事を書く時に、一通り関係しそうな文献を見ておいたのだが、大概は、漆器・漆鉢などについて、否定的な文脈が多い。今日も、そのような批判についての一節を見ておこう。問う、「比丘、漆器を畜う、何事をか犯すや」。答う、「漆木器、尽く用いることを得ざれ。用れば堕を犯す」。『仏説目連問戒律中五百軽重事』「問雑事品第十三」いわゆる『目連五百問論』ではあるが、この文献の困るところは、たいがい後の時代に行われている様々な法儀などについて、先んじるかのように批判していることである。そもそも、誰が訳したかも分からないし、誰かが同時代の法儀の問題を見ながら、目連などに仮託して作ったのでは?なんて思えてしまう。もちろん、これはただのこちらの僻み的な考えであって、実際の研究など...鉢盂を漆器として作る典拠について(2)

  • 2021/12/25 11:12
    クリスマス雑々考(令和3年度版)

    今日はクリスマスである。それで、クリスマスについて、もしかすると誤解している人がいるかもしれないので、簡単にその誤解を解いておきたい。(誤)12月25日のクリスマスは、イエス=キリストの誕生日である。(正)12月25日のクリスマスは、イエス=キリストの誕生を祝う日である。「誕生日」と「誕生を祝う日」は一緒だろ?と思う方もおられるかもしれないが、そうではない。端的にいうと、イエスが生まれた日付は、実は知られていないのである。それこそ、実質的なイエスの言行録である4本の「共観福音書(マタイ・マルコ・ルカ・ヨハネ)」を見たところで、イエスの誕生日については記述がない(この辺は【クリスマス雑考(令和2年度版)】で検討済み)。それどころか、12月25日がクリスマス(英語では「キリストのミサ」の日の位置付けで、ラテン語では...クリスマス雑々考(令和3年度版)

  • 2021/12/24 09:29
    鉢盂を漆器として作る典拠について(1)

    現在、日本の禅林で用いる鉢盂(応量器)は材料が木で、漆塗りになっていると思われる。だが、釈尊が律で、鉢盂として木器の使用を禁止したことはよく知られていると思う。諸もろの比丘、金・銀・七宝・牙・銅・石・木鉢を畜うること有り。諸もろの居士、譏呵して言わく、「此の諸もろの比丘、王の如し、大臣の如し。常に少欲知足を説くも、而今、此の好鉢を畜う」。諸もろの比丘、是を以て仏に白す。仏、是の事を以て比丘僧を集め、諸もろの比丘に告ぐ、「今より上の諸鉢を畜うることを聴さず。若し金・銀、乃至石鉢を畜うるは、皆な突吉羅なり。若し木鉢を畜うるは、偸蘭遮なり」。『五分律』巻26「第五分雑法」上記の通り、比丘達の中に、様々な材質の鉢盂を蓄える者がいたのだが、それを在家信者から、「比丘達は、普段から“少欲知足”などと言っているが、多くの良い...鉢盂を漆器として作る典拠について(1)

  • 2021/12/22 08:41
    12月22日 冬至の説法

    今日12月22日は冬至である。そこで、禅門では「夏至」の説法は見たことがないが(あるのかな?)、「冬至」の説法は数多く残されていることから、拙ブログでも毎年、この日にはその説法を紹介するなどしているのである。そこで、今日は以下の一節を学んでいきたい。冬至の上堂。僧問う、群陰消尽して一陽復た生ず。衲僧家、此に到って、如何が転身せん。師云く、老鼠、牛角に入る。僧云く、和尚、忒殺だ方便たり。師云く、仁者とは、之れを見て之れを謂う仁なり。『虚堂和尚語録』巻1これは、中国臨済宗の虚堂智愚禅師(1185~1269)による説法である。冬至に行った上堂(禅林の正式な説法)に於いて、大衆の中から僧が出て来て、虚堂禅師に質問している。「あらゆる陰気が消え尽くして、陽気が生じている。禅僧はここに到って、どのように身を転ずれば良いので...12月22日冬至の説法

  • 2021/12/21 13:21
    史跡から見る隠れキリシタン伝承~三田用水跡暗渠散策(番外編3):目黒新富士/胎内洞窟/浅草・鳥越きりしたん殉教記念碑/切支丹灯籠/島原藩抱屋敷

    今回は、「失われた三田用水遺構と戦艦大和と目黒新富士~三田用水跡散策(6)」での散策場所近くにある史跡を通じて、隠れキリシタンについて考察してみます。また、本記事は「三田用水跡暗渠散策シリーズ」の番外編となりますが、番外編としては本記事の他に以下の2つの記事とシリーズがあります。①「日本最大のイスラム寺院・東京ジャーミイを訪問」②『「芸能人・著名人の自宅」と「湧水」を探訪~代々木八幡・初台・西原・大...

  • 2021/12/21 09:59
    「慚愧」という言葉

    「慚愧」という言葉、時代がかっていて、今どきの人には意味が分からないかもしれない。自分が何か問題を起こしたときなどに、その行為を恥じ入り、「慚愧の念に堪えない」などといったりする。よって、「慚愧」とは自らの行いについて恥じ入ること、などという解釈がされることが多いと思うが、実は、以下のような解説があったりする。耆婆答えて言く、「善哉、善哉。王、罪を作すと雖も、心に重悔を生じ、慚愧を懐く。大王、諸仏世尊、常に是の言を説く、『二つの白法有りて、能く衆生を救う。一つには慚、二つには愧なり。慚とは自ら罪を作さず、愧とは他を教えて作せざらしむ。慚とは自ら羞恥し、愧とは人に向かって発露す。慚とは人に羞じ、愧とは天に羞ず。是れを慚愧と名づく』〈以下略〉」。『大般涅槃経』巻19「梵行品第八之五」このように、大乗仏典の『大般涅槃...「慚愧」という言葉

  • ブログみる【初心者カメラ教室】写真・カメラの情報をブログみるで閲覧する方法とは - ぎんがのカメラブログ
  • 2021/12/20 08:24
    持律・持戒の人の五徳とは

    端的に、【破戒と悪名流布について】の逆の記事である。とりあえず引用文を見てみよう。持律人に五つの功徳有り戒品堅牢なり、善く諸冤に勝つ、衆中に決断して無畏なり、若し疑悔有りとも能く開解す、善く毘尼を持して正法をして久住せしむ、是れを五と為す。『四分律』巻59まず、各項目の数字はここでは入っていないが、入れている文献もある。1つめは、持律人であれば、諸戒品を堅牢に持つという。堅牢というのが大事で、それは退転しないことである。2つめは、様々な「あだ」に勝つという。これは、他者からの疑いなどがあっても、持律者は切り抜けることをいう。3つめは、大衆の中でよくまとめて、無畏の状態にするという。4つめは、もし疑いや後悔があっても、それを解消するという。5つめは毘尼(律)を持ち、正法を久しく維持するという。さて、このような5つ...持律・持戒の人の五徳とは

  • 2021/12/19 12:29
    破戒と悪名流布について

    以前、【「犯戒五衰」と「持戒五功徳」について】という記事を書いたのだが、関連する文章を見出したので記事にしておきたい。破戒に五の過失有り一には自ら害す。二には智者の呵する所と為す。三つには悪名流布す。四つには臨終時に悔恨す。五つには死して悪道に堕す。『沙門日用』巻下以上の内容だが、先に挙げた「犯戒五衰」とは複数が重なるが、2項目(3と5)が重なっている。そこで、まずは簡単に訳してみたいのだが、「1には自らを害する、2つには仏道に長じた智者に怒られる、3つには悪名が流布する、4つには臨終の時に後悔する、5つには死んでから悪道に落ちる」という内容である。似ているが異なっている。それで、上記は中国清代の文献だから、先行する文献があって、例えば『四分律』巻59や、南山道宣『四分律刪繁補闕行事鈔』巻上などに出ている。とこ...破戒と悪名流布について

  • 2021/12/18 10:09
    五戒と五常の関係について

    浄土真宗の覚如上人(1270~1351)は、いわゆる本願寺を実質的に確立した法主として知られていると思うのだが、その著作の中に『改邪鈔』というのがある。浄土真宗の安心に因む様々な問答が収められた文献だが、その中で以下の一節を見出した。それ出世の法においては五戒と称し、世法にありては五常となづくる仁・義・礼・智・信をまもりて、内心には他力の不思議をたもつべきよし、師資相承したてまつるところなり。『改邪鈔』個人的には、この「五戒」と「五常」の関係を考えてみたいところである。いうまでもなく、五戒とは仏教に於いて在家信者が護持すべき戒律のことで、五常とは儒教で説く正しい人の生き方であるといえる。ところが、覚如上人は内心には阿弥陀仏の他力による救いについて、それを保つべきことが、師資相承してきたという。まず、全体の訳とし...五戒と五常の関係について

  • 2021/12/17 08:22
    雪国での安居の話

    現代的な感覚では、安居というのは夏冬二安居を行うイメージがあるが、古い記録を見ると、基本は「夏安居」のみである。ただし、雪深い地域では、その時期に遊行が出来ないので、冬安居があったというのだが、意外と記述は少ない。また、当方はどこかで、そういう雪深い地域での冬安居は、「雪安居」だと言うことも聞いたことがあったのだが、そのような用語は、一般的な漢訳仏典には出てこない。何かの勘違いだろうか?ただし、「夏安居」としての「雪安居」があることに気付いた。今日はそれを見ていきたい。諸もろの比丘有り、雪山中に在りて夏安居す。手・脚・頭・耳、皆な凍壊す。安居、已訖りて、各おの衣を執りて鉢を持し仏所に来詣す。頭面もて足を礼し、退いて一面に立つ。仏知りて、故らに問うに、「汝等、何故に身体皆な壊するや」。比丘、仏に白す、「雪山中、寒...雪国での安居の話

  • 2021/12/16 10:41
    仏教用語としての「緇白」考

    先日、或るお話しの中で「緇白」という言葉を用いた文章を使ったのだが、この意味について、自分自身の理解が足りないように思われたので、ここで記事にしておきたいと思った。なお、内容は、出家と在家という仏教に於ける四衆の区分に関わることである。それで、この「緇白」という用語だが、以下のような用例が知られる。明年二月八日忽ちに衆に謂いて曰く、「吾れ此の居を願わず、旧隠に帰らんと要す」。時に印宗と緇白千余人、師を送りて宝林寺に帰る。『景徳伝灯録』巻5「第三十三祖慧能大師」章このように、「緇白千余人」とあるが、これが、出家と在家、合わせて1,000人以上であることを意味しているわけである。そこで、問題は「緇白」そのものであり、何故この語が「出家と在家」を意味するのか?ということである。この内、簡単なのは「白」の方である。以下...仏教用語としての「緇白」考

  • 2021/12/15 07:38
    「師走」という言葉と仏教との関係について

    世間一般の認識として、十二月の異名である「師走」については、坊さんがかけずり回る様子から来ていると理解している方も多いと思う。例えば以下のような説が見える。◎十二月和名を師走と云は、むかしは此月諸家に仏名をおこなひて、導師ひまなくはしり行なれば、師走り月を略せりと。○又云、しはすは四時のはつる月なれば四極月なるべし、豊後に四極山と云有、此心かよへり、又極月といへるも此意也。○殷の世は此月を正月とす。三田村鳶魚編『江戸年中行事』中公文庫・昭和56年、55頁以上の記事は、享保20年(1735)に刊行された『江府年行事』に収録された一節で、「師走」の語源には、複数のものがあったことが理解出来よう。ただし、当方としては、「師走」という表記が妥当かどうかが気になっている。それで、「師走」の根拠については、「此月諸家に仏名...「師走」という言葉と仏教との関係について

  • 2021/12/14 07:54
    円照上人による東大寺戒壇院復興について

    東大寺には鑑真和上によって、大仏殿前で受戒が行われた後、その時に用いた土を運んで大仏殿の西側に戒壇院(戒壇堂)が建てられた。しかし、この時の戒壇院は治承4年(1180)12月に平家による南都焼き討ちの際に全焼した。しかし、建久8年(1197)に重源上人によって戒壇院が再建されている。そこで、鎌倉時代には戒壇院が建物としては存在したが、その内容を含めて考えてみると、円照上人(1221~1277)による復興がなければならなかったらしい。そこで、今日はその時の記事について、学んでおきたい。円照和上、戒壇を興隆して律法を弘通す。講敷して倦まず、門輩数有りて、倶に教宗を提ぐ。凝然大徳『律宗綱要』下巻、『大正蔵』巻74所収このように、円照が「戒壇」を興隆させ、しかも良く律法を講義して、多くの門人を育てたという。ところで、こ...円照上人による東大寺戒壇院復興について

  • 2021/12/12 10:39
    禅の修行は戒律的で戦闘的か?

    今回紹介する文章には色々と問題がある。最大の問題は、エビデンスが存在しない中で、感覚的に語られていることだということになる。よって、とりあえず批判的に見るという前提を置きつつ文章を引用してみたい。禅の修業は単純・直截・自恃・克己的であり、この戒律的な傾向が戦闘精神とよく一致する。戦闘者はつねに闘うべき目前の対象にひたすら心を向けていればよいので、振返ったり傍見をしてはならぬ。敵を粉砕するためにまっすぐに進むということが彼にとって必要な一切である。ゆえに彼は物質的・情愛的・知的いずれの方面からも、邪魔があってはならぬ。もし戦闘者の心に知的な疑惑が少しでも浮んだならば、それは彼の進行に大きな妨げとなる。もろもろの情愛と物質的な所有物は、彼が最も有効的に進退せんと欲する場合には、この上ない邪魔物になる。立派な武人は総...禅の修行は戒律的で戦闘的か?

  • 2021/12/11 11:18
    沢庵宗彭禅師が語る「多欲と無欲」

    なんか、今日は江戸時代の臨済宗・沢庵宗彭禅師(1573~1646)の命日らしい。具体的には旧暦の正保2年12月11日に御遷化されたとのことである。そのため、今日は沢庵禅師の顕彰を目指し、その教えを見ておきたい。一多欲の人は却て無欲なり、多欲の人多く財を得んと思ふて、中を越へて多なる故に、集めたる財を一時に官に奪はれ、剰へ其身を亡す、則ち財を奪はるるのみならず、一つある命を添へて失ふ、則ち多欲の人は無欲の人なり、小欲の人は其分に随つて得る所の財をよく保つて、其身を全ふして天命を終ふ、これ多く財を得るなりと思へり、否なるや、或人曰く、然らは多く財をあつむるを富と云ふことは、総じてあるましきこと歟、天下の者皆貴人たるへきかと云ふ、われ云ふ、その中を得るときは則ち富も亦得たり、その儀も亦得たり、貧なるときは則ち貧も亦得...沢庵宗彭禅師が語る「多欲と無欲」

  • 2021/12/10 09:36
    『慧日永明寺智覚禅師自行録』に見る授菩薩戒について

    この永明寺智覚禅師とは、一般的に永明延寿と呼ばれる、中国法眼宗の僧侶である。あの『宗鏡録』や『万善同帰集』などを書いたことで知られていると思う。それで、延寿には『自行録』といって、自分が日夜行っていた修行について、108項目にわたり記した文献があるのだが、「菩薩戒の授受」に関する指摘があることに気付いた。簡単に紹介してみたい。・第六十六、晨朝に、普ねく十方面の一切法界の衆生の為に、菩薩戒を授く。願わくは三宝の威神を承けて、一一現前して、皆な親受を得んことを。文章から考えると、毎日の朝に、十方の一切の法界に生きる衆生のために、菩薩戒を授けるという。当然に、これは理念的な話であると思われる。何故ならば、後半部分に於いて、三宝の優れた力を承けて、受けるべき対象の一々が現前して、親受して欲しいと願っているためである。そ...『慧日永明寺智覚禅師自行録』に見る授菩薩戒について

  • 2021/12/09 09:47
    本日は慧可断臂の日(令和3年度版)

    本日は中国禅宗二祖慧可大師が、達磨大師の下で断臂した日として伝えられている。典拠は以下の通りである。十一月二十三日、洛陽に届く。後魏の孝明、太和十年に当たれり〈当云く、後魏の孝明、正光元年なり。若しくは太和十年に拠れば、乃ち後魏の文帝の時なり。是の年、即ち南斉の武帝、永明四年丙寅の歳なり〉。嵩山少林寺に寓止し、面壁して坐し、終日、黙然たり。人の測ること莫く、之を壁観婆羅門と謂う。時に僧・神光なる者有り。曠達の士なり。久しく伊洛に居し、群書を博覽して善く玄理を談ず。毎に歎じて曰く、孔老の教、礼術風規たり。荘易の書、未だ妙理を尽くさず。近聞するに、達磨大士、少林に住止し。人の至るに遥ならず、当に玄境に造る。乃ち往彼に往きて、晨夕に参承すべし。師、常に端坐して面牆し、誨励を聞くこと莫し。光、自ら惟いて曰く、昔人、求道...本日は慧可断臂の日(令和3年度版)

  • 2021/12/08 07:50
    本日は釈尊成道会(令和3年度)

    本日12月8日は釈尊成道会である。ところで、この日時の根拠となると、色々と悩ましいところが出てくる。例えば、以下の記載などが参照できるだろう。二月八日に成仏し、二月八日に転法輪し、二月八日に降魔し、二月八日に般涅槃す。『菩薩処胎経』巻7例えば、上記のように或る経典などでは、釈尊に係る特記事項については全て、「二月八日」であるとしている。そこで、釈尊の成道が12月8日であるとするのは、意外と新しい見解にもなるようであるし、その後も異論が起こったりして、結構、この辺は揺れたようである。宋代以降に成立した中国禅の清規に於いて、「二月十五日は仏涅槃、四月八日は仏生辰、十二月八日は仏成道の如し。此の三日、当に法座を鋪設して、祝香自づから常格有るべし」(『叢林校定清規総要』巻下「一上堂普説小参」項)などとされ、現在の日本で...本日は釈尊成道会(令和3年度)

  • 2021/12/07 07:41
    東嶺円慈禅師『臘八示衆』参究7(令和3年度臘八摂心短期連載記事)

    臘八摂心、7日目である。この辺は【摂心―つらつら日暮らしWiki】という記事の通りで、元々は「定坐」という名称だった行事が、名称の1つだった「摂心」が、明治時代以降に定着した印象である。それで、今年はたまたま入手できた『臘八示衆』(貝葉書院・年代不明なるも古い版本)を学んでみようと思う。本書に収録される提唱をされたのは、臨済宗妙心寺派の白隠慧鶴禅師(1686~1769)の弟子である東嶺円慈禅師(1721~1792)のようである。当方では、版本が手に入った御縁を大事に、どこまでも当方自身の参究を願って学ぶものである。解釈についても、独自の内容となると思うが、御寛恕願いたい。第七夜示衆に曰く、一子出家すれば、九族天に生ず、と。夫れ出家は須らく真の出家を要すべし。所謂、真の出家とは、大誓願を憤起して、勇猛精進にして直...東嶺円慈禅師『臘八示衆』参究7(令和3年度臘八摂心短期連載記事)

  • 2021/12/06 07:12
    東嶺円慈禅師『臘八示衆』参究6(令和3年度臘八摂心短期連載記事)

    臘八摂心、6日目である。この辺は【摂心―つらつら日暮らしWiki】という記事の通りで、元々は「定坐」という名称だった行事が、名称の1つだった「摂心」が、明治時代以降に定着した印象である。それで、今年はたまたま入手できた『臘八示衆』(貝葉書院・年代不明なるも古い版本)を学んでみようと思う。本書に収録される提唱をされたのは、臨済宗妙心寺派の白隠慧鶴禅師(1686~1769)の弟子である東嶺円慈禅師(1721~1792)のようである。当方では、版本が手に入った御縁を大事に、どこまでも当方自身の参究を願って学ぶものである。解釈についても、独自の内容となると思うが、御寛恕願いたい。第六夜示衆に曰く、〈時に侍者、茶を行く〉建仁開山千光祖師、入宋の時、偶たま暑に中て癉を患ふ。一老翁有りて為めに茶を飲ましむ。癉、速やかに治す。...東嶺円慈禅師『臘八示衆』参究6(令和3年度臘八摂心短期連載記事)

  • 2021/12/05 10:07
    東嶺円慈禅師『臘八示衆』参究5(令和3年度臘八摂心短期連載記事)

    臘八摂心、5日目である。この辺は【摂心―つらつら日暮らしWiki】という記事の通りで、元々は「定坐」という名称だった行事が、名称の1つだった「摂心」が、明治時代以降に定着した印象である。それで、今年はたまたま入手できた『臘八示衆』(貝葉書院・年代不明なるも古い版本)を学んでみようと思う。本書に収録される提唱をされたのは、臨済宗妙心寺派の白隠慧鶴禅師(1686~1769)の弟子である東嶺円慈禅師(1721~1792)のようである。当方では、版本が手に入った御縁を大事に、どこまでも当方自身の参究を願って学ぶものである。解釈についても、独自の内容となると思うが、御寛恕願いたい。第五夜示衆に曰く、所謂接心は、長期百二十日、中期九十日、下期八十日なり。剋期決定して、大事を明めんと欲す、故に一衆、戸外に出ざる、況んや雑談を...東嶺円慈禅師『臘八示衆』参究5(令和3年度臘八摂心短期連載記事)

  • #コーヒーカード占い
  • 2021/12/04 12:23
    東嶺円慈禅師『臘八示衆』参究4(令和3年度臘八摂心短期連載記事)

    臘八摂心、4日目である。この辺は【摂心―つらつら日暮らしWiki】という記事の通りで、元々は「定坐」という名称だった行事が、名称の1つだった「摂心」が、明治時代以降に定着した印象である。それで、今年はたまたま入手できた『臘八示衆』(貝葉書院・年代不明なるも古い版本)を学んでみようと思う。本書に収録される提唱をされたのは、臨済宗妙心寺派の白隠慧鶴禅師(1686~1769)の弟子である東嶺円慈禅師(1721~1792)のようである。当方では、版本が手に入った御縁を大事に、どこまでも当方自身の参究を願って学ぶものである。解釈についても、独自の内容となると思うが、御寛恕願いたい。第四夜示衆に曰く、数息観に六妙門有り。所謂、数・随・止・観・還・浄なり。息を数へて三昧に入る、是を数と謂ふ。息を数へて漸く熟して唯ただ出入の息...東嶺円慈禅師『臘八示衆』参究4(令和3年度臘八摂心短期連載記事)

  • 2021/12/03 08:01
    東嶺円慈禅師『臘八示衆』参究3(令和3年度臘八摂心短期連載記事)

    臘八摂心、3日目である。この辺は【摂心―つらつら日暮らしWiki】という記事の通りで、元々は「定坐」という名称だった行事が、名称の1つだった「摂心」が、明治時代以降に定着した印象である。それで、今年はたまたま入手できた『臘八示衆』(貝葉書院・年代不明なるも古い版本)を学んでみようと思う。本書に収録される提唱をされたのは、臨済宗妙心寺派の白隠慧鶴禅師(1686~1769)の弟子である東嶺円慈禅師(1721~1792)のようである。当方では、版本が手に入った御縁を大事に、どこまでも当方自身の参究を願って学ぶものである。解釈についても、独自の内容となると思うが、御寛恕願いたい。第三夜示衆に曰く、如来の正法眼蔵、的々相承、是を伝灯の菩薩と謂ふ。如来の正法眼蔵、能く護持するとき、是を護法の菩薩と謂ふ。伝灯・護法、猶を師家...東嶺円慈禅師『臘八示衆』参究3(令和3年度臘八摂心短期連載記事)

  • 2021/12/02 09:12
    東嶺円慈禅師『臘八示衆』参究2(令和3年度臘八摂心短期連載記事)

    臘八摂心、2日目である。この辺は【摂心―つらつら日暮らしWiki】という記事の通りで、元々は「定坐」という名称だった行事が、名称の1つだった「摂心」が、明治時代以降に定着した印象である。それで、今年はたまたま入手できた『臘八示衆』(貝葉書院・年代不明なるも古い版本)を学んでみようと思う。聞けば、本書に収録される提唱をされたのは、臨済宗妙心寺派の白隠慧鶴禅師(1686~1769)の弟子である東嶺円慈禅師(1721~1792)とのことである。当方では、版本が手に入った御縁を大事に、どこまでも当方自身の参究を願って学ぶものである。解釈についても、独自の内容となると思うが、御寛恕願いたい。それから、この『臘八示衆』だが、東嶺禅師『五家参詳要路門』(小川源兵衛・文政10年[1827]跋、或いは『大正蔵』巻81)の附録とし...東嶺円慈禅師『臘八示衆』参究2(令和3年度臘八摂心短期連載記事)

  • 2021/12/01 09:16
    白隠慧鶴禅師『臘八示衆』参究1(令和3年度臘八摂心短期連載記事)

    この坐より摂心、ということで、今日から8日まで(8日は釈尊成道会)摂心となる。とはいえ、この辺は【摂心―つらつら日暮らしWiki】という記事の通りで、元々は「定坐」という名称だった行事が、名称の1つだった「摂心」が、明治時代以降に定着した印象である。それで、今年はたまたま入手できた『臘八示衆』(貝葉書院・年代不明なるも古い版本)を学んでみようと思う。聞けば、本書に収録される提唱をされたのは、臨済宗妙心寺派の白隠慧鶴禅師(1686~1769)とのことである。当方では、版本が手に入った御縁を大事に、どこまでも当方自身の参究を願って学ぶものである。解釈についても、独自の内容となると思うが、御寛恕願いたい。臘八示衆第一朔日夜示衆に曰く、夫れ禅定を修する者は、先づ須らく厚く蒲団を敷き、結跏趺坐して寛く衣帯を繋け、脊梁骨を...白隠慧鶴禅師『臘八示衆』参究1(令和3年度臘八摂心短期連載記事)

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