聖書に基づくイエス様の救いの証をお語り下さい。短くても結構です。
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『瑩山清規』は、曹洞宗の太祖・瑩山紹瑾禅師(1264~1325)が晩年に、ご自身が開かれた洞谷山永光寺(石川県羽咋市に所在)のための清規として編まれたものの、写本の様子からすれば、すぐに太祖に関わる各寺院に書写され伝播したようだ。それで、瑩山禅師はご自身、道元禅師が遷化されてから20年も経たない頃の永平寺に登られて出家、2祖・懐奘禅師に就いて修行されており、道元禅師が晩年に懐奘禅師とともに構築されたであろう永平寺の行持・作法・進退をよく伝えられた。それで、今日は以前から見ていて気になっていた一節を見ておきたい。(開堂・上堂終わって)次に云く、大衆を請す。仏殿に詣でて、燒香礼拝せん。鐘を鳴らして一衆、仏殿に詣づ。先ず主人、当面の香炉に焼香し、供具を弁ず、伝供如常。弁供の後、両班問訊して、左右に排立し、大同九拝す。...『瑩山清規』「釈尊降誕会」に於ける「出班焼香」の一考察
きみの時期になった。きみ?あぁ、トウモロコシのことさ。取り立てのきみを茹でて食べるのは美味しい。昔、プランターで、きみを育てたことがあった。畑になるようなきみを思い描いたが、実際には、小さな実しか出来なかった。やはり、大きく美味しく育てるためには、広さも必要だと思わされた。だが、ふと見回してみると、時々、良い大人が、「鉢植えの作物が大きく実ること」を真面目に望んでいることに気付く。もしそう願うならば、せめて、他の広いところに移しかえないと…と思うが、時期が来ても、狭い、狭い、根も身動きできない鉢植えの中にまだ閉じ込めていることもあるよう。(大きく育つどころか、水捌けも悪い場合、根も腐るだろうに、と心配になる。しかも、その方々は、それがダメになった場合にも、「こんなにやってあげてるのに!」と鉢植えの中のそれに怒り...鉢植えのキミColossians3:21
先日、【洞山良价禅師・曹山本寂禅師の「犯戒」について】という記事を書いた後で、拙僧個人としては、中国曹洞宗開祖・洞山良价禅師の法嗣である雲居道膺禅師の場合は、戒律などについてどう思っていたのか?を気にしていた。なお、現在の曹洞宗は、中国で有名だった曹山本寂禅師の系統ではなくて、その兄弟弟子である雲居道膺禅師に連なることも指摘しておきたい。なお、これは別に拙僧の発想ということではなくて、道元禅師が既に指摘しておられることだ。曹洞宗の称は、曹山を称じくわふるならん。もししかあらば、雲居・同安をもくわへのすべきなり。雲居は人中天上の導師なり、曹山よりも尊崇なり。『正法眼蔵』「仏道」巻要するに、曹洞宗という名称は、開祖である洞山良价禅師に、曹山本寂禅師の名前を加えたものであるが、道元禅師はそれを批判して、もし曹山禅師を...雲居道膺禅師に於ける罪過について
もう10年以上前だが、NHKプレミアム10『菅野美穂インド・ヨガ・聖地への旅』を観た。 本場ヨガ教師の話がおもしろかった。 そのメモと感想。 「ブッダもキリストもみんなヨガをやっていたと言えます」 (ヨガ教師) 寺院にはイスラム教やキリスト教の額もかけら
現代に至っても、未だに僧侶の持戒の有無を問う人がいる。まぁ、その本人が自分に問うのならば、まだ許そう。だが、それに、関係ない他の僧侶を巻き込むのは如何なものか?と本気で考えている。ということで、今回は「不持戒」ということについて考えてみたい。しるべし、剃髪染衣すれば、たとひ不持戒なれども、無上大涅槃の印のために印せらるるなり。ひと、これを悩乱すれば、三世諸仏の報身を壊するなり、逆罪とおなじかるべし。あきらかにしりぬ、出家の功徳、ただちに三世諸仏にちかしといふことを。『正法眼蔵』「出家功徳」巻道元禅師の主要著作に於いて、「不持戒」は同巻にのみ見える稀な表現である。そして、しっかりと読むと、この一節は結構、怖いことを仰っている。なお、この一節は、或る典拠に基づいて仰っていることである。仏言く、若し衆生有りて、我が出...道元禅師が示す「不持戒」ということ
たとえば『歩くヴィパッサナー』について。 歩き出そうと思った後、歩行時に「右足上げよ」「出せ」「下ろせ」「左足上げよ」「出せ」「下ろせ」といった命令を出しているのは大脳ではない。 脳幹から自動プログラムが命令を出している。 そのオートマトン運動に対して、
現状の曹洞宗の受食作法に於ける「五観の偈」の成立については、直接には道元禅師『赴粥飯法』の影響であることは間違いないが、更にその原典にまで遡ると、色々と議論がある。まぁ、宋代の禅宗叢林で用いられていた『禅苑清規』であるとか、道元禅師も度々参照された南山道宣『四分律刪繁補闕行事鈔(以下、『行事鈔』と略記)』などの影響があるとは思うが、とりあえず以下の一節などを見ておきたい。受食五観は、もと律の明了論〈現行の明了論に五観のこと見へず、別本あるべし〉に出たると、太唐南山の道宣と云人、四分律の行事鈔といへる書を編し時、その中の対施興治篇と云に、引載。また観文を作りて、不受食戒の下に載られたり、そのゆへは、出家たらんもの、この観念をなさずして、施主の供養をなをざりに食せんは、無量の罪業の因縁たること諸経論に明拠あるを以て...南山道宣に於ける「観門五別」と「正食五観」について
k-styleのマザー・テレサの言葉(愛と祈り) より引用させていただきます。 死は悲しい事ではありません。 私たちが悲しむべき唯一のことは、 自分が聖なる者になっていないという事実だけです。 (引用終) カトリック教会はマザー・テレサを死後異例の早さで
仏弟子サッパダーサ長老の告白は生々しく強烈だ。 (仏弟子の告白(テーラガーター)六つずつの詩句の集成より) 405.わたしは出家してから二十五年になるが、そのあいだ、指を一(ひと)はじきするだけの時間でも、心の静けさを得られなかった。 406.心の
時刻は、夕方の七時前である。九月の下旬ではあるが、四国のこの地においては、外はまだ明るさが残っており、夏の名残なのか、網戸になった掃き出し窓からわずかに入ってくる風も、初秋にしては、いまも微妙な夏の熱を持っているように感じられた。わたしは、八畳の和室の中央に置かれた大きな介護用のベッドを前にして、椅子に腰かけている。わたしの眼下のベッドには、母が横たわっていた。暑いので、布団は、かけられていない。...
【本稿は、「わたしの眼に映った死の実相(その1)」の続きです。「わたしの眼に映った死の実相(その1)」を読んた後に読むことをお勧め致します。】振り返れば、背後の掃き出し窓の外は、すでに漆黒の闇に支配されていた。時刻は、午後8時半を少し回っている。わたしは、よく、自身の実家の環境を紹介するときに、「右を向いても、左を向いても、そこに有るのは、田んぼと畑と耕作放棄地ばっかりなんです」と紹介するのだが、...
いえいえ、なにも、「深遠な仏教哲理」について説こう、というわけではございませんので、ご安心くださいませ。わたしは、大の恥ずかしがりやですから、たとえ、それを知っていたとしても、このような公の場で臆面もなく説いてみせる、などというような蛮勇は、わたしにはございません。そうではなくて、だれもがわかるような、平明な常識に照らして考えたときにも、やっぱり、『「生きる」は「死ぬる」である』となってしまう、と...
現代では、各地の宗門寺院で毎年行われている行じ(恒規法要)で最も大きいのは、いわゆる「施食会」であろうと思う。ところが、この施食会について、曹洞宗では明治期の『洞上行持軌範』に於いて、明確に「盂蘭盆施食会」の形態を選んだ(本来、盂蘭盆会と施食会は、依拠する経典も異なり、別の思想体系を持つ法要である。ただし、「食供養」という一点でクロスするため、敢えて混同された)こともあり、東京都など一部地域では7月、全国の多くで8月に実施されていると聞くが、例年都内の7月は暑すぎるので、5月に日付を移動する場合もあるという。そうなると、今回の新型コロナ対策によって、施食会については中止や縮小、延期など様々な手段が採られたようだ。そのためか、拙Wikiの施食会関連の項目も、例年5月からしばらくの間フィーバー状態なのだが、今年は極...面山瑞方禅師『甘露門』「鑒戒」項について
「クジ引き」という行為に対しては、現代人の多くが幸運・不運の判定もどきの受け止めをするものです。それ以外に何がある?このような逆質問に遭遇したところで、これに答えることはおそらく困難でしょう。しかし、これは現代人ならそうなりやすいということであって、少し
以前、【禅林における知事の人数は?】や【両班と両序】で、禅林に於ける「知事」の成り立ちや数を採り上げたことはあったが、「頭首」については少し曖昧のままであった。そこで、今回は、「六頭首」に関する簡単な考察をしてみたい。まず、そもそも「頭首」については、以下のような説明を参照しておきたい。頭首とは謂わく、首座・書記・蔵主・知客・浴主なり。竝びに已前に同じく、知事の法に和会す。『禅苑清規』巻3「請頭首」項ここでは、五頭首が挙がっていることが分かる。ただし、実は「六頭首」であったはずなのである。同書には以下のような指摘もある。六頭首、告退す。「下頭首」項、『禅苑清規』巻5それで、これに該当するのは何か?と思っていると、江戸時代の臨済宗の学僧・無著道忠禅師が以下のように指摘していた。禅苑清規に首座・書状・蔵主・知客・庫...「六頭首」の一考察
あらゆる生命は苦しみに会うと、本能的にその苦しみから離れ遠ざかる。 そのようにプログラムされている。 しかし、それは一時しのぎでしかない。 ブッダは「この世界は一切皆苦である」と道破している。 一切皆苦の世界の中で、ひとつの苦しみから離れ遠ざかるという
後で説明するが、今日という日は「仏祖の光明」を学ぶ日にしておきたい。そこで、まずは以下の一節を読み解いてみよう。仏祖の光明に照臨せらるるといふは、この坐禅を功夫参究するなり。おろかなるともがらは、仏光明をあやまりて、日月の光明のごとく、珠火の光耀のごとくあらんする、とおもふ。日月光耀は、わづかに六道輪廻の業相なり、さらに仏光明に比すべからず。仏光明といふは、一句を受持聴聞し、一法を保任護持し、坐禅を単伝するなり。光明にてらさるるにおよばざれば、この保任なし、この信受なきなり。『正法眼蔵』「坐禅箴」巻これは、中国禅宗の南嶽懐譲禅師―馬祖道一禅師の師資による「磨甎作鏡話」に対する提唱の、末尾の部分である。道元禅師は「仏祖の光明」について、普遍的な事象だとして扱っている。「摩甎作鏡話」に対する道元禅師の解釈を踏まえな...仏祖の光明を学ぶ(令和2年度版)
ブッダは「呼吸を整える思念」を修行せよと説いた。 呼吸を自然のままにして、いろわず、ただそれを意識し続ける修行。 呼吸を意識することは簡単だ。頭の善し悪しには関係ない。 およそ生きている人間でごくごく簡単な言葉の意味を理解できる程度の頭脳の持ち主
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大本山總持寺を能登から鶴見に移転させた独住第4世・石川素童禅師については、特にご本山に晋住されてから、270回以上の授戒会戒師を勤められたが、その記録である『總持住山年譜』を見ると、授戒会の戒師については「授戒会御親化」とあるが、他の場合もあった。そこで、他の場合についてのみだが、以下に列挙してみた(なお、以下の資料は以前、拙僧が大本山總持寺機関誌『跳龍』に石川禅師のことで連載記事を持っていたときにまとめたものである)。なお、語句の表現は全て、原文通りであるため、いわゆる「因脈会」という用語がまだ使われていない様子なども見ていただきたい。内容は、年号・日付・寺院等名・地名・法会の内容、の順で掲載している。また、1行空いているのは、年数を変えるためである。1906年9月11日千葉県習志野町?追弔大法会御親修・三帰...「因脈会作法」考(6)
今日は6月1日である。だいたい、禅宗叢林の年分行持を見ていると、大概毎月1日(ただし、拙僧が扱うのは旧暦の資料が多いので、適宜脳内変換していただきたい)には何かある。それで6月の場合は何であったか?というと、以前も【禅宗修行道場の六月一日(平成28年度版)】などで書いたが、真夏にさしかかり、暑いと判断されたのか、「普請坐禅の放下(全員揃っての坐禅の休止)」になったのである。どうも、鎌倉時代に曹洞宗が伝来してからというもの、基本的に「坐禅の放下」に関する内容が重視されたのか、道元禅師や瑩山禅師の「6月1日の上堂」では、このことに触れることばかりが目立つ。しかし、臨済宗などにも目を向けると、「6月1日」とはもう一つ別の意味を持っている。それは、4月15日から7月15日まで行われる「夏安居」のちょうど真ん中に該当する...今日は六月初一で半夏節(令和2年度版)
※青字引用は(マハトマ・ガンジーの言葉とされているもの フリー引用句集『ウィキクォート(Wikiquote)』)から 周知だからといって間違いが真実にはならないし、誰もそう見ないからといって真実が間違いにもならない。例え大衆の支持無くとも、真実は立ち上がる。真実は
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目に見えて分野として、スピリチュアル×心理学を使って、健康になって幸せを目指せます。
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ここでは、「妖精」「妖精の森」「おとぎの國」についてのイメージを、共有し合います。どこかで見た絵夲やファンタジー小説、夢に出てきた世界など、何でも。 また、リアルに妖精の森のような未來を望む書き込みも大歓迎です。 但し、旧スピ的発想や、宗教の勧誘、政党政治の推進、メディアを鵜呑みにしたり恐怖を煽るような書き込みは、すべて却下します。
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「純粋な」哲学の話題であれば、何でもどうぞ。 宗教、スピリチュアル、ポエム、政治、社会問題は却下です。 科学哲学は認めます。 なお、オープンな議論を促進するため、コメント機能を有効にすることが望ましいです。
スピリチュアルに触れながらも、それに傾倒しない哲学・思想などを語ってください。 直接的なスピリチュアル批判の場合は、なるべく理性的にお願いします。 スピリチュアル的な考え方は好きだけどハマり過ぎるのは考えもの、という緩い準アンチの方も考えをお聞かせください。 スピリチュアルの構造の客観的な分析なども歓迎です。 みんなの理性を結集してスピリチュアルに対抗しましょう。 なお、オープンな議論を促すためにコメント機能を開放することが望ましいです。
自分を変えようとして苦しんでいる人は多くいます。実は自分を変えようとしていることが間違いなんです。そもそもそのそのままの自分で幸せに暮らすことができます。それができるならみんなそのままの自分で暮らしたいと思っていると思います。そんなそのままの自分で幸せに暮らすためのヒントを発信します。
「奇跡」を司るのが「神」 時間・空間・物質に「奇跡」が起きた。 生命は「奇跡」の連続 「大いなる意思」は「神の愛」 人間は皆、「神の子」です。