聖書に基づくイエス様の救いの証をお語り下さい。短くても結構です。
4月4日 日本語の妙。”勢”と”界隈”。コトバと言葉と”はじめに言葉あり”。
キャンドゥ♡本日発売!!ふしぎの国のアリス商品
4月3日 パスカル 「パンセ」より。「道徳」という言葉へのアレルギー反応を考えることなど。
4月2日 カントが大切にしていたもの。「私のうちなる道徳的法則」。
【フレア】勝利の女神:NIKKE アリス (勝利の女神:NIKKE) 2025/11 発売予定 【再販】
4月1日 オートミール摂取量。
3月31日 アマプラでは今は「NCIS: ハワイ」 と 「リーチャー」を見ている。
3月30日 日々の生活費の運用(東京一人暮らし)。小麦粉とアルコールのダブル中毒の魔の手を感じすぎた件。
3月29日 カントの空。
3月28日 存在と今。
3月27日 里村明衣子と荒井優希。
3月26日 ギャラリー オル・テールさんへ設営に。
3月25日 大乗神秘主義とマイスター・エックハルト。
3月24日 達人の境地。
3月23日 1日のリズム。作家の執筆術。
【再生の道】「日本は劣っていない!」「不動産で稼げてるの?」(目黒区)
【再生の道】石丸さんが参考にしたい「議決の判断基準」とは?(大田区前半)
【再生の道】「日本は終わった国」だと!?いずれ3本の矢で広島へ?(大田区後半)
【再生の道】バリバリの商社マンが公園のおじさんに?仕組み作りが大事!(江東区)
「再生の道」3次選考者のYou Tubeチャンネルをまとめてみた
【再生の道】小金井市は「PCゲームを作っちゃった?」「公のために尽くしたい!」
【再生の道】時間のゆとりで負のループから脱出を!教育に予算をまわして!(昭島市)
【再生の道】北多摩第3は都議と国政向き!?合否を毎週出す理由はこれ!
【再生の道】MICEとは?街全体をデザインしよう!面接官はサンフレユニフォーム!
【再生の道】激戦区!教員の環境改善を。嫌われる覚悟がある若者が登場。
【再生の道】スピリチュアル力がありそう!偶然は直感や導きかも(日野市)
【再生の道】面接とは?を考えるきっかけに。青梅市の面接はモヤモヤ。
【再生の道】3次選考の激戦を突破した合格者はこの方たち!北区がまさかの!?
【再生の道】人口減少はチャンス?複業のススメ!発信力を活かす!(杉並区後半)
【再生の道】プロボノとは?太陽光パネルはあり?いい質問とは(杉並区前半)
テレビのリモコンのボタンを押し間違えて、Eテレが出てしまいました。そこでは高校生向けの地理をやっていました。 ところが内容は「世界一のギョウザを作ろう」という学校の勉強らしからぬもので、おまけに石原良純さんが登場してきました。「へえー、こんなところに
何故、ハロウィンに南瓜(カボチャ)なのかな?と思うと、それは、いわゆる「ジャック・オー・ランタン」に関連がある。ハロウィンの時のお化けとして位置付けられているが、実際には、死んでもこの世界から離れることが出来なかった悪人の魂が、「カブ」に宿ったものという設定だったらしい。そのカブがアメリカでは一般的ではなかったので、オレンジ色のカボチャで代用したというのが、いわゆる「ハロウィンのカボチャ」になる。ところで、拙僧的に気になったのは、確かに「ハロウィンのカボチャ」はオレンジ色であるが、我々が普通に食べるカボチャの表面は、濃い緑色である。この違いはどの辺に由来するのか?それで、カボチャについて調べてみると、我々が普段食べているカボチャは、セイヨウカボチャ(栗カボチャ)或いはニホンカボチャというものだそうだが、両方とも...南瓜に関する雑文(令和2年度ハロウィン)
江戸時代の洞門が輩出した学僧・指月慧印禅師の主著である『荒田随筆』を学ぶ連載記事であるが、今は「戒定慧」という一章を学んでいる。早速、本文を見ておきたい。蓋し物有れば戒有り。機に随って数を成す。故に其の幾許戒の以て数を定べき無し。其の数の比を言う時は、則ち之を刹界の微塵に諭し、得て尽すべからず。其の尽すべからざるの数、之を一塵に具したり。彼の微塵の如き、衆生、自知せず。法王、之を破し其の具有を見せしむ。是れ一の心地なりと雖も、解惑に軽重有り。種の熟脱に遅速を致す。況んや又た心地の功徳無窮なる。事の多少と共に律儀の種類、何ぞ但だ今、議する所の如くのみならん哉。猶お四時・五運・節侯、期の日条分すれども其の情は唯二儀、二儀は本、一年の始終、平分する者の如し。是の故に其の立つる所の数に随って、其の余も互に収め尽しぬ。希...戒定慧(其の三)(指月慧印禅師『荒田随筆』参究20)
日本とお隣り韓国との外交関係は、遠慮なく言えば2020年の現在でもスッキリした形にはほど遠い印象があります。その根底には、1910年に日本が韓国を併合し植民地化したという歴史的事実があるのは間違いありません。しかし、そのことに対して日本側は、~韓国・朴正煕大統領
フランス一般国民 イスラム教預言者ムハンマドの風刺画を授業で見せた中等学校教員がパリ近郊で首を切断し殺害され、国葬しました。フランスイスラム教徒+トルコ大統領(但し、殺害犯人はロシア連邦チェチェン共和国生まれフランス育ち) 殺すことは別として、イスラム教最
ここ1年以上にわたって、最後の一章「雑」を採り上げている。本章は「雑」の字の通りで、他に一章を立てるほどが無い程度の内容でもって、様々な事柄を富永仲基が論じたものである。本当に種々雑多な内容だが、見ていると20前後の節に分けられそうなので、一つ一つ見ていきたいと思う。道生法師、法顕所翻の泥洹経に、「一闡提を除いて皆な仏性有り」と云ふを見て云く、「闡提は含生の類、何ぞ独り仏性無きを得ん」と。後に、大経の至るに及んで、聖行品に云く、「一闡提の人、復た善を断つと雖も、猶お仏性有り」と。是に於いてか、諸師、皆な為に婍服す。余、謂へらく、一闡提、本と仏性無き者、故に一闡提と為せり。然るに極悪の者、亦た豈に廻心すべからざらんや。廻心、己に由る、人に由るに非ざるなり。仏性の種子、実に此に在り、何ぞ仏性無しと謂はん。是れ言の類...雑第二十五其18(富永仲基『出定後語』を学ぶ45)
今生きている人間は例外なく息をしている。 自分の吸う息吐く息を意識できないほど愚かな人間などいない。 釈尊は、呼吸をひたすら念(おも)うことを薦(すす)めた。 この単純作業を続けるだけで、究極の幸福まで自動的に到達できると明言している。誰でも、いつでも、ど
ドイツ宗教改革の発端にもなったとされるマルティン・ルターの『九十五箇条の提題』の日本語訳を学んでいく連載記事である。連載15回目である。15(他には何も語られなかったとしても)この恐れと慄きは、それ自体がすでに十分に煉獄の罰になっている。それは絶望という慄きに最も近いからである。深井氏下掲同著・17頁まず、冒頭に出ている「この恐れと慄き」については、【前回の記事】で採り上げた、死を迎えようとしている者への癒やしや愛が少ない状態で陥る、死を迎えようとしている者自身の恐れなどが該当する。そして、ルターは、そのような癒やしや愛が少ないという状態そのものが、煉獄の罰に該当するといっており、理由として、絶望という慄きに最も近いからだという。なお、「煉獄」については『鬼滅の刃』登場キャラの名字、ではなくて、『岩波キリスト教...マルティン・ルター『九十五箇条の提題』を学ぶ・15
(ブッダの教え一日一話6/15,16より スマナサーラ長老) 「なぜいいことをすべきなのか」と、あえて説明しなくても、それは自分の「実感」でわかることです。 … 「いいこと」が苦しいのは瞬間だけ、後は思い出すたびに、楽しいのです。 … … 「なぜ悪いことをしてはいけ
連載は10回目となる。『養老律令』に収録されている『僧尼令』の本文を見ているが、『僧尼令』は全27条あって、1条ごとに見ていくこととした。まずは、訓読文を挙げて、その後に拙僧なりの解説を付してみたい。なお、釈雲照補注『僧尼令』も参考にすることとしたい。凡そ僧尼、木蘭・青碧・皂・黄、及び壊色等の衣を着ることを聴す。余の色、及び綾・羅・錦・綺は、並に服用することを得ざれ。違えば各十日苦使。輙く俗衣着けたらば、百日苦使。『日本思想大系3』218~219頁を参照して、訓読は拙僧要するに、御袈裟の色に関する規定である。既に、拙ブログをご覧の皆さまは、「袈裟」という言葉が、「壊色(混濁した色)」を意味する「カーシャーヤ(kāṣāya)」を元にしたものであるとは理解されていると思う。よって、本条では僧尼に対して、定められた御...第十条・聴着木蘭条(『僧尼令』を学ぶ・10)
(スマナサーラ長老 ブッダの教え一日一話5/11,12より ) 自分というものは、人のことをどうこう言えるほど、立派ではないのです。 … 「あの人は頼りにならない」と言っても、自分が同じ立場になったら、人から信頼されるふるまいができるでしょうか。 … … 他人の欠点
「今ここ」について語るエックハルト・トール エックハルト・トール 『エンライトメント~人生の目的~』(DVD) PV --ニュー・アース・シリーズ#3 安心して、必死で修行する。 【老婆心】このままでいいと「安心」する人は 河を渡る前に釈尊の筏を
以前、一度【御袈裟に関するちょっとした考察】という記事を書いて、仏教に於ける袈裟、就中我ら曹洞宗に関する袈裟のあり方を考えてみた。今回の記事は、その続編になる。宗我見かもしれないという危惧を抱きつつ申し上げるが、正直、仏教徒の衣服である「袈裟」について、あそこまで思想的に突き詰めたのは、永平寺御開山で曹洞宗の高祖である道元禅師だけだったのではないかと思っている。そして、道元禅師のおかげで、その後の宗門の祖師方も、やはり御袈裟について、独自の思想的発展を見せた。これは、規則を厳密に守られねばならない律宗以外では珍しいと(独断的に)思っている。道元禅師の『正法眼蔵』には、御袈裟の重要性について書かれた「伝衣」「袈裟功徳」という両巻がある。その両巻は当然に参照しつつも、ここではむしろ「衣服」「制服」という機能性から考...御袈裟に関するシステム論的考察
曹洞宗には、檀信徒の皆様の素朴な疑問にお答えするための『曹洞宗檀信徒必携(以下、『必携』と略記)』という書籍がある。平成19年に改訂されたものが拙僧の手元にあるが、一読してみると、良い意味での疑問が沢山出てきたので、なかなか面白い。そこで、読んで出てきた思いを、自問自答の形で記事にしてみようと思う。①「仏教とは何か」項目同書籍の前半に、「仏教とは何か」という項目が挙げられているが、これが何故か、極めて中立的に書かれていたりする。まず、実際の釈迦牟尼仏について伝記が書かれている。実際のところであれば、禅宗なら「拈華微笑話」とか、或いは諸大乗経典の影響を受けた記述があっても良さそうなものなのに、そういう記述が無く、それどころか「原始仏典にくわしく記されています」(22頁)と書かれるなど、正確な仏陀像の理解を促してい...『曹洞宗檀信徒必携』を一読してみた
130113の日記。 2日前午前2時頃、様子を見に行くとピノが死んでいた。 ピノの一生は、ただ純で無邪気で、なんの罪もない一生だった。 本能の欲を迷いなく発揮したが、ピノには、初めから、迷うという選択肢はなかった。選択可能性のないところに、罪はな
何年も前のこと、夏のお盆で関西の方で棚経していた時、某私鉄の某駅にて電車待ちをしていたところ、お孫さんを連れたとおぼしき男性と、少年から質問を頂戴した。内容は、要するに拙僧が身に着けている「コレ」は一体何か?ということであった。・絡子の画像―グーグル検索「コレ」は、知っている人は知っているでしょうが、我々の中では「絡子(らくす)」或いは「掛絡(から)」などと呼ばれているものである。一般的には五条袈裟を小さくして簡略化した物とされ、諸方への行脚や作務などをする際に用いられる。まぁ、その場でそのお二人には、「「袈裟」といって、僧侶であれば誰しも身に着ける物であり、仏様の智慧をいただくものですよ」といった極めて抽象的な答えをしておいた。で、今回記事にしてみようというわけだが、そもそも「五条袈裟」については、道元禅師が...絡子説法
今年の2月ごろから本格化したパンデミック騒動ですが、それなりの時間が経過するにつれて、わたしも、パンデミック下における生活に少しずつ慣れてまいりました。そして、それは、わたしだけの特殊事情ではないようで、国内外の企業も、徐々に活動を再開し、活動レベルを上げてきているようであり、その結果、わたしのところに翻訳の注文をぐいぐいと押し込んでくる圧力が、一か月ほど前から復活しております。もともと、このブロ...
普段語られる「聖徳太子」(574-622年)には、平和で穏やかな人柄というイメージがあります。 「和」を説き「仏教」を保護したという事跡もあってのことでしょう。しかし、当然のことですが、政治家として「軍事行動」の決断を迫られる場面にも遭遇しています。そのひとつが
以前、【世間の罪人と仏教徒の罪人】という記事を書いたが、その続編に位置する記事である。前回は、世間一般に於ける「罪人」と、仏教に於ける「犯戒」の差異について考えてみた。若干テクニカルな議論だったかと、反省もあるが必要な考察だったといえよう。それでは、もうちょっと分かりやすく、世間と仏道の善悪について、その違いを考えてみたい。諸悪は、此界の悪と他界の悪と同・不同あり、先時と後時と同・不同あり、天上の悪と人間の悪と同・不同なり。いはんや仏道と世間と、道悪・道善・道無記、はるかに殊異あり。善悪は時なり、時は善悪にあらず。善悪は法なり、法は善悪にあらず。法等・悪等なり、法等・善等なり。『正法眼蔵』「諸悪莫作」巻道元禅師は端的に、「いはんや仏道と世間と、道悪・道善・道無記、はるかに殊異あり」と仰っておられる。これは、仏道...世間の善悪と仏道の善悪
供養のために、捕らえた生き物を池や野に放す法会を「放生会」という。曹洞宗では「梵網経、金光明経に基く」(『行持軌範』「放生会法」項)とあって、特に『金光明経』巻4「流水長者子品第十六」における宝勝如来と十二因縁によって鳥や魚が天上界に生まれ変わったという説が典拠となっている。曹洞宗に於ける「放生会」は、以下の経緯で成立した。洞下に古来より法式なし、余壮年の比、教家の碩徳に伝授する作法あり、別行に印版して補す。面山瑞方禅師『洞上僧堂清規行法鈔』巻5「別行法式十八条・放生式」項以上のように、江戸時代の学僧・面山禅師がご自身伝授された作法を刊行したというが、拙僧は未見である。なお、面山禅師が遷化される直前となる明和6年9月11日に「放生会を行ず、魚鳥の為に十二因縁を演説す、真俗の聞に預かる者若干」(『面山広録』巻26...曹洞宗に於ける「放生会」に見える「授三帰」について
本稿は、「【完結書庫】生死について」の補完稿です。このカテゴリにおいては、人生に纏わりついて離れない「苦しみ」の根本原因が、「知性の暴走」にある、ということを申し上げた上で、これから逃れるためには、「われわれの知性が、とんでもない出来損ないである」という事実を理解する必要がある、ということをさまざまな観点から、たびたび申し上げてまいりました。この事実を理解することにより、知性を冷ややかに眺めるため...
【再生の道】「日本は劣っていない!」「不動産で稼げてるの?」(目黒区)
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【再生の道】北多摩第3は都議と国政向き!?合否を毎週出す理由はこれ!
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【再生の道】プロボノとは?太陽光パネルはあり?いい質問とは(杉並区前半)
実は、昨日、途中まで準備していたのだが、朝から色々とあったので、結局以前に書いておいた記事を挙げただけであった。そこで、1日遅れではあるが、以下のような記事を書いておきたい。洞谷第四祖大雄菴開基總持二世峩山和尚伝峩山和尚、諱は紹碩。能州瓜生田邑の人、岡部氏六弥太の後胤なり。母、藤原氏、一日文殊大士に聖児を生むことを祈る。夜に、利剣を呑むを夢みる、便ち懐妊す。出誕後、其の英敏たること群童に類せず、其の貌、雄偉なり。十六歳の時、台山に薙染し、深く教乗を究む。後に瑩山和尚を加州大乗に謁し、便ち衣を更えて参侍し、歳を歴る。師、一日、打坐す。瑾公、師の耳畔に於いて弾指すること一下す。師、忽然として大悟す。一日、瑾公問うて曰く、石の蛇を胎する時、如何。師云く、将謂すらくは石の蛇を胎す。今日、見来す蛇の石を胎するを〈洞谷の旧...昨日は峨山韶碩禅師忌だった(令和2年度版)
単草履という履き物がある。我々曹洞宗では一部の僧堂(修行道場)で採用している履き物だ。で、ネット上で画像を検索したのだが中々見付からない。よって、画像は拙僧のをアップする(もう10年以上履いているので、古く、見た目がアレなのはご勘弁願いたい)として、この草履に関する拙僧の感想を申し上げたい。まぁ、もう履き始めて25年以上にはなってしまうのだが、とても有り難く思っているのである。理由として、拙僧は、いわゆるスリッパが苦手だ。何故ならば、拙僧の足は、「甲高」だからである。足の甲が高いため、スリッパを履いていても、非常に脱げやすい。拙僧は、スリッパが苦手なことを、結構子供の頃から自覚していたのだが、こんな変なことを誰にも話すことが出来ずに、ただ自分でおかしいな?もしかして、どこかおかしいのかな?とか思っていたのだが、...単草履と拙僧
ちょっと気になる一節を見付けたので、採り上げておきたい。当時、俗人の法衣を着し、出家の俗形を現ずること有る、其の義如何。更に得心せず、其の意尤も然るべからざる事歟。但、先づ俗人の法衣を着する、在家の婆羅門、酒に酔て僧の真似をしたりし功徳に依て、仏を見奉事を得て蓮華色女が戯れに、尼の袈裟を掛たりし縁に依て仏法を聞事得と云へば、若逆縁とや成侍らんなれ共、猶仏法を軽くし法衣を垢す罪深かるべし。何に況や出家の俗形をや。孝経に賤きが貴服を服する、之を僭上と謂、不忠と為す。貴が賤き服を服する、之を偪下と謂、失位と為すと云へり。俗の上に猶、其の位に非ざる服を誡む、況や一度仏弟子に成は、仮にも俗衣を着事内外の道理に背く上は冥の照覧尤も畏るべし謹むべし。其上近比清水寺等、所々の制札に俗人之僧形・出家之俗形と侍れば、世以て誡る事如...俗人が出家の格好をすることは罪か?
旧暦10月の別名を「神無月」という。その由来について、以下のような説明が知られている。◎十月和名を神無月と云は、もともとの神、出雲の国に行て、こと国神なきゆへにかみな月といふと、奥義抄に見へたり。「江府年行事」、三田村鳶魚編『江戸年中行事』中公文庫・昭和56年、53頁以上である。これは、現在でも同様の理由で説明されることが多いのではないだろうか。要するに、和名である「神無月」の由来を、各地の神が皆、出雲国(現在の島根県東部)に行ってしまい、各地の神がいなくなるから「かみな月」というのだと、説明されている。「江府年行事」の作者は、その見解を『奥義抄』という文献から得たとしている。この『奥義抄(または、奥儀抄)』とは、平安時代後期の歌学書で、藤原清輔の著である。全3巻で、天治元年(1124)~天養元年(1144)の...「神無月」一考
実世界の研究で、今年百回忌を迎える丘宗潭老師による『教授戒文』提唱を学んでいる。そこで、丘老師は意外と言って良いのかどうか分からないが、禅戒論を論じるに当たり、自身が改正された万仭道坦禅師『仏祖正伝禅戒鈔』よりも、同じ万仭禅師による『禅戒本義』を尊重していることが分かった。詳細は今後、論文で明らかにしていこうと思うのだが、その前に『禅戒本義』自体を学んでみたいと思い、今日はこんな記事を書いてみようと思う。禅戒本義序戒学に幼くして戒師と作り、禅学に少くして禅師と称するは、古今の仏祖の呵する所、其の罪免るべからず。如来の在世、二歳の沙弥有り、一歳の弟子を将ち仏処に往く。仏、呵責して言わく、汝の身未だ乳を離れず。応に人の教授を受るべし、云何が人に教えんや、云云。吁、夫れ、戒学多般なり、今人何ぞ罄くさん、況んや亦禅戒は...万仭道坦禅師『禅戒本義』「序」に見る苦言
日本人が一番好きな演劇は、いわゆる「赤穂事件」(1701-1703年)を題材に取り上げた「忠臣蔵」だといわれていますが、その原点は芝居「仮名手本忠臣蔵」に大きな人気が集まったことでしょう。このタイトルにある「仮名手本」とは、文字通り、いろは歌を仮名で書いた習字のお
先日、【暫到―つらつら日暮らしWiki】という記事を書いた時に、改めて「暫到」という言葉について考えてみようと思った。そこで、まず、「暫到」の本来の意味であるが、江戸時代の臨済宗妙心寺派の学僧・無著道忠禅師が、以下のように指摘されている。忠曰く、暫時、某寺に到る。当に久しからざるして去るべし。故に暫到僧と曰う。『禅林象器箋』巻6「第六類称呼門」「暫到」項これが、一番明確な定義である。要するに、行脚をしている旅僧が、一時的に某寺に立ち寄り、宿泊などをすることを暫到(或いは暫到僧)というのである。そこで、今であれば、修行道場(僧堂)に安居するために掛搭を志願する僧侶のことを、暫到と呼称し、旦過寮などに置いている。臨済宗では旦過寮にすら上がれずに「庭詰」というが、おそらく曹洞宗では一般的にその呼称は用いない。そこで、...「暫到」に関する一考察
この日は毎年この類いの記事を書いているのだが、10月15日という日付について、曹洞宗内では以下の一事が知られている。師、嘉禎二年丙申十月十五日に於いて、始めて当山に就いて、集衆説法す。『永平広録』巻1冒頭これは、嘉禎2年(1236)10月15日に、道元禅師が当山(=宇治興聖寺)に於いて、大衆を集めて説法されたことを示す。要するに、この時に開単されたということなのだろう。この様子について、道元禅師に因む最古級の古伝を見ていくと、幾つかのことが理解出来る。是の如く、諸師の聴許を蒙り、天童の印証を得て、一生の大事を弁じ、累祖の法訓を受て、大宋宝慶三年、日本安貞元年丁亥歳、帰朝し、初めに本師の遺跡建仁寺に落ち着き、且らく修練す。時に二十八歳なり。其後勝景の地を求め、隠栖を卜するに、遠国畿内有縁檀那の施す地を歴観すること...10月15日道元禅師が宇治興聖寺で集衆説法される
あのぶっ飛んだ一休禅師が、生涯最も深く尊崇した日本人が大燈国師(宗峰妙超 1282~1337)大悟したあと約20年間乞食行で悟後の修行(聖体長養)をした。その大燈国師の教えをひとつだけ。 汝ら諸人、此の山中に来って、道のために頭をあつむ。衣食のためにすること
今年も柿が店頭に並ぶ季節になりました。柿は母の好物でした。毎年1つだけは買うことにしています。 私は無宗教です。仏壇などはありません。ただ母の遺影と位牌だけはあり、2階の部屋の隅にある大きなテーブルにシーツを敷き、その上に置いています。いかにも殺風景
手元におそらくは中華民国時代の頃の印刷にも思える『毘尼日用切要』があるのだが、それを読んでいて、或る一節が気になった。剃髪〈文殊菩薩所集の剃髪日、初四、初六、初七、初八、初九、初十、十一、十四、十五、十六、十九、二十二、二十三、二十四、二十五、二十六、二十九なり。此の偈呪を黙念す〉。剃除鬚髪当願衆生遠離煩悩究竟寂滅唵、悉殿都、漫多囉、䟦陀耶、娑婆訶〈三遍〉。『毘尼日用切要』13丁表、訓読は拙僧で、この『毘尼日用切要』については、「宝華山弘戒比丘読体彙集」とあるが、清代の編集であるという。それで、拙僧が気になったのはもちろん、この「剃髪日」について、素直な感想からいうと、「多すぎないか?」ということである。例えば、曹洞宗であれば以下のような伝統がある。四日〈中略〉剃髪沐浴九日剃髪沐浴十四日〈中略〉剃髪沐浴如常廿四...或る文献に見える「剃髪日」について
ユダヤ超正統派 昔から聖書を重んじる信仰深いユダヤ人がいたからユダヤ人は3500年以上も続いて来たのです。ユダヤ世俗派 ユダヤの星であるキリスト、マルクス、アインシュタイン等はいずれも世俗派ですが、狭いユダヤの枠を超え世界全体の人々を認め、協調し、貢献したの
どうも、色々な人とお話ししていると、曹洞宗内に於ける「師僧替え」について、一部の方には正しく理解されていない場合もあるのかな?と思うようになった。それは、「師僧替え」はしてはいけない、という単純な理解なのだが、それは少し間違っているように思う。実は、拙僧などは、受業師・法幢師・本師と三師全て違う方にお世話になっており、特に、受業師から本師へは、実質的に「師僧替え」をしているからである。現在の『曹洞宗宗制』「曹洞宗僧侶教師分限規定」には、「師僧替え」という制度が明記されている。・第36条⇒師僧替えの申請・第37条⇒師僧替えを拒否された場合の措置・第38条⇒師僧替えをすることができない者これらの条文を見ていくと、以下のように総括することが出来る。・第36条⇒旧師僧と新師僧との間で円滑に、師僧替え該当者を移籍させる場...「師僧替え」の一考察
テレビで、タレントがリアクションを、お決まりパターンで処理している。 そういやドラマの演技にも、それが増えてる(韓流の悪影響が大きいとおもう) ステレオタイプ見て、みんな予定調和の反応を共有して、気持ち良さそうにしている。 おれは、それがちょっと
・・・なんか、これまでの論考が吹っ飛びそうな一節を見つけてしまった。この不定期連載もそろそろ終わりだろうか。拙僧の問題意識は、「戒名」という言葉が、一体いつ頃から使われ出したのか?という話をしていて、色々と調べた結果、日本の江戸時代くらいから浄土宗などで使われ始め、それが曹洞宗などにも広がったという見解であった。しかし、この度、色々と調べていたところ、以下の一節を見つけてしまった・・・右牒、開皇十一年十一月二十三日〈王、戒名の總持菩薩を稟く。疏を書するに、即ち法諱の弟子・總持和南と用ゆ〉。『国清百録』巻2「王受菩薩戒疏第二十六」、訓読は拙僧これは、日本で聖徳太子が、最初に遣隋使を派遣した際の隋の皇帝だった、煬帝についての記述である。煬帝がまだ、「晋王」という立場だった頃、彼は天台智顗を戒師として招き、菩薩戒を受...そもそも「戒名」という用語はいつから使われたのか?(12)
DVDを観る 「127時間」映画『127時間』予告編 映画『127時間』アーロン・ラルストンインタビュー映像 登山家アーロン・ラルストンの自伝『奇跡の6日間』の映画化。 世の中は、宗教がなぜ必要なのか、本当のところでは、さっぱりわからん人々で充満して
とりあえず、以下の一節をご覧いただきたい。第十八持戒威儀=正義公徳を重んぜざるべからず戒は防非止悪の義と申して、約りこの身口意を清浄にする所のものです、その之を清浄にするとは身三(殺生偸盗邪婬)口四(妄語綺語悪口両舌)意三(貪欲瞋恚邪見)の十悪を離るゝことです、たゝ之を離るゝのみならす、進で十善を行ひ、又人をして之を行はしめ凡ての罪過を犯さぬ様に世話するのである、之を止悪行善度生の三聚戒とも申す、一切の悪を止むれば断徳の法身が顕はれ、一切の善を修習すれば智徳の報身が顕はれ、一切の人を済度すれば恩徳の応身が顕はれて来る、大にもせよ小にもせよ、この心地戒を保てば、分相応に心地の三徳が顕はれて来る、大学に明徳に明かにするにあり、民を新たにするにあり、至善に止まるにありとあるのも亦この意味です、戒は明かなる日月の如しと...通俗的「持戒威儀」の話
無数のことが複雑に綯い交ぜになっているのは、普通のありふれた状態だ。世間のことは常に、半分正しく半分間違ってるので、なんとも言い難いのだ。 それにめげて自分から心を混濁させてしまったら負け決定だ。 普通の状態にめげてどうする。 事毎に自分がなすべきこと
聖書に基づくイエス様の救いの証をお語り下さい。短くても結構です。
手相占いについてのテーマを作りました♪ お気軽にご参加ください!
目に見えて分野として、スピリチュアル×心理学を使って、健康になって幸せを目指せます。
成功への極意を伝えます。たったひとつの考動力で0〜無限を生み出す秘密を伝授し 人生が好循環に回り、自分軸であなたがあなたらしく生きていけます。
ここでは、「妖精」「妖精の森」「おとぎの國」についてのイメージを、共有し合います。どこかで見た絵夲やファンタジー小説、夢に出てきた世界など、何でも。 また、リアルに妖精の森のような未來を望む書き込みも大歓迎です。 但し、旧スピ的発想や、宗教の勧誘、政党政治の推進、メディアを鵜呑みにしたり恐怖を煽るような書き込みは、すべて却下します。
アフリカ出身の夫と国際結婚し、その生活の中で体験したり学んだり考えたりしています
「純粋な」哲学の話題であれば、何でもどうぞ。 宗教、スピリチュアル、ポエム、政治、社会問題は却下です。 科学哲学は認めます。 なお、オープンな議論を促進するため、コメント機能を有効にすることが望ましいです。
スピリチュアルに触れながらも、それに傾倒しない哲学・思想などを語ってください。 直接的なスピリチュアル批判の場合は、なるべく理性的にお願いします。 スピリチュアル的な考え方は好きだけどハマり過ぎるのは考えもの、という緩い準アンチの方も考えをお聞かせください。 スピリチュアルの構造の客観的な分析なども歓迎です。 みんなの理性を結集してスピリチュアルに対抗しましょう。 なお、オープンな議論を促すためにコメント機能を開放することが望ましいです。
自分を変えようとして苦しんでいる人は多くいます。実は自分を変えようとしていることが間違いなんです。そもそもそのそのままの自分で幸せに暮らすことができます。それができるならみんなそのままの自分で暮らしたいと思っていると思います。そんなそのままの自分で幸せに暮らすためのヒントを発信します。
「奇跡」を司るのが「神」 時間・空間・物質に「奇跡」が起きた。 生命は「奇跡」の連続 「大いなる意思」は「神の愛」 人間は皆、「神の子」です。