聖書に基づくイエス様の救いの証をお語り下さい。短くても結構です。
7日間眠らされずに共産党の取り調べ、再臨主は魔術を使ったのか?! 《金元弼先生》
真のお母様を本当に愛するということ
信教の自由を考える石川フォーラム 参加中
【行事案内】信教の自由を考える石川フォーラム(24日)
私は毎日、真のお母様と会話をしています 良心の声はTM 《自己牧会プログラム》
椅子取りゲームは、初めから誰が勝つかは決まっていないのです。
私の代々木聖地巡礼 “エリコの城壁”、銀杏の実からの呼びかけとは・・・ 《制作の舞台裏から》
【天聖経】より 「み言」三昧・・・
家庭連合、不当寄附勧誘防止法違反は施行後”0件”の発表報告を受けて
よく来ましたね、あなたたちの役割が重要 《日本の教会長たちへ*真の母のみ言》
神様の定義:被造世界に対しては、性相的な男性格主体
国のため、世界のために祈る人が成長する?! 《李ヨハネ先生の信仰サプリ》
心も体も暖まりたい、ですね・・・。
私たちは守られている! 思ったより苦労している善霊たち 《北谷先生*霊人はいつも一緒》
ノア家庭から今の現状がみえます・・・
11月25日 逡巡しながら、新潟たれかつ丼を食すことなど。
11月24日 遅読、積読。本のある雰囲気だけで自分は変容する。(「買ったが読んでいない本」からのアピールについて)
11月23日 本と私。(死生観)
11月22日 脈が弱く血圧測れず。。!!! ユングとフロイトと性欲について。
11月21西 かぜのたみさんの低コストライフに学ぶ! 食べるものは大体決まってきた。
11月20日 ぶちきれオバハンに遭遇&げんなりのことなど。
11月19日 グノーシス主義、グノーシス思想のPOINT.
11月18日 (永世厨二病患者談義) グノーシス主義に想う。
11月17日 極悪女王のこと。妬みと嫉みと不倫たたき。
11月16日 古本購入。
11月14日 私に根付く差別意識はどんな感じだろう。美と差別は非常に難しい関係だな、と思う事など。
11月15日 孤独とコミュニケーション。
11月13日 本を購入。
11月12日 我が三上。特に”厠上”のこと。
11月11日 浪漫主義でごめんなさい。
今日10月10日は「釣りの日」らしい。理由は、10・10を「ト・ト」と読むと、「魚(トト)」になるため、釣りの日にしたという。なお、同じ理由で「魚の日」にもなるらしい。それで、禅籍に於いて「釣り」は一定の意義があるため、今日はその記事を書いておきたい。船子和尚、夾山に問うて云く、糸千尺を垂れ、意、深潭に在り、鉤を離るること三寸、子、何ぞ言わざるや。繊月雲を離れて龍府曙かなり、古弓水に浮かべて養家幽かなり、諦観す金鱗を釣り尽くす意、浪静かに風恬かにして道休んと欲す。『永平広録』巻9「玄和尚頌古」第28則2首目まず、上記一則については、いわゆる中国禅宗青原下の、船子徳誠禅師による夾山善会禅師への接化の場面である。拙ブログでは、【今日は釣りの日(令和元年度版)】でこの一則を採り上げたこともあるし、或いは日本語訳を含め...10月10日釣りの日(令和2年度版)
ブッダは究極革命を成し遂げた天上天下唯我独尊の存在だ。 よく誰某は仏教に革新をもたらしたなどというが、ブッダの教えに革新が必要な欠陥などない。 「革新」したら、それは必然的に改悪になる。 ブッダの教えの正直な励行が、あらゆる実現可能な革命の究極完成形だ
平成時代の(明仁)天皇は、自ら希望することで退位(H31)されましたが、長い歴史においては、自らの希望とは裏腹に馘首(クビ)にされてしまった天皇もおられました。歴代天皇の一覧表には、どの代の天皇もその諡名と共にもれなく紹介されているので、あまりそれを意識する
以前にアップした【戒量慧全禅師書写『室中法宝』写本について】の関係で、大本山永平寺60世・臥雲童龍禅師(1790~1870)に関する事跡について、中村泰心師・山内堯海師編『永平六十世臥雲童龍禅師遺稿(全)』(大正8年)を見ていたところ、8本の授戒会法語を確認出来た。ちょうど、江戸時代から明治時代へと日本が変わっていく状況で、授戒会で必要とされた思想も、どのように示されたのか、見ていきたい。福井心月寺授戒会啓建初日午時〈嘉永四辛亥年四月〉人間五濁の郷を転却して、尸羅を打開して梵場を修む、群生斉しく無私感に沐し、直に塵労を脱して宝牀に昇る、咦山河大地戒雨霑す、覚華開発して日鮮新たり。『臥雲禅師遺稿』15丁表、訓読は拙僧これは、福井市足羽にある心月寺の戒会で唱えられた啓建の法語である。時期は嘉永4年(1851)4月で...臥雲童龍禅師の尸羅会法語(1)
A 今年もノーベル賞のシーズンになったね。B 今年はどうかね?[医学生理学賞]A コロナを解決するようなワクチンや治療法を発明をしたを人がいれば医学生理学賞に値するが、残念ながら、未だそういうことは内外で聞いてないね。笑いB 医学生理学賞受賞者の山中伸弥氏は
以前、【なんとなく五比丘の話】という記事を書いてはみたものの、それは何となく『四分律』に見えた一節を確認しただけで、個人的な見解を出ていない。それで、今日はまず、以下の一節を見ておきたい。通常伝説には、釈尊成道後五年目に不都合なことあつて、律をつくつたのを始めとして、以来御入滅迄の間に、今日に見る如き多数の律が出来るに至つたと云ふ。椎尾弁匡先生『授戒講話』弘道閣・昭和6年、190頁今回見ておきたいのは、この「釈尊成道後五年目に不都合なことあつて、律をつくつたのを始めとして」とある部分である。この釈尊成道後五年目に『律』を制定したというのは、どの辺を根拠にしているのだろうか?また、制定経緯としての不都合なこととは何だったのだろうか?その辺を見ておきたい。世尊、成道より五年、比丘僧悉く清浄なり。是れ自り已後、漸漸に...仏教に於ける『律』の始めについて
(写真は、静岡県島田市の新金谷駅にて。ここでは機関車トーマスが期間限定で走っている。)ミニキャベツが1歳9ヶ月になった朝、お母ちゃんのお祈りの後、初めて「アーメン」という言葉がミニキャベツから聞こえてきた。Amenは、「そうありますように」「然り」を意味する古代ヘブライ語の単語で、クリスチャンは、Amenを讃美歌やお祈りのときに使う。最近では、もう少し分かりやすく、「それな!」という意と説明している上馬キリスト教会さんもいる😁ちなみに、AmenのAをa:で発音することが多いが、ロンドンのコックニー訛りの場合等、eIで発音されることもある(最初は戸惑った)。まだ幼子のミニキャベツは、Amenの意味も、そこに込められる想いも全くわからないだろうが、お父ちゃん、お母ちゃんの真似をすることを覚えつつある...幼子とAmenPsalm55:22
以前にアップした【中国禅語録に於ける「五逆罪」の話】の続きの記事である。そもそも大闡題というのは、「一闡提」に由来する。これは、特に大乗『大般涅槃経』などで詳しく示されるところではあるし、或いは法相唯識などでも仏性論との関係で取り沙汰された。禅宗は、そういう経論を所依とした宗派を横目に見ながら、様々な概念を拈提することを繰り返した。今回見ていく「大闡題」を理解する前提に、「一闡提」については以下のような説示がある。純陀復た問う、「一闡提とは、其の義云何」。仏言く、「純陀よ、若し比丘及び比丘尼、優婆塞、優婆夷有りて、麁悪の言を発し、正法を誹謗し、是の重業を造り、永く改悔せず心に慚愧無し。是の如き等の人、名づけて一闡提の道に趣向すと為す。若し四重を犯し、五逆罪を作せば、自ら定めて是の如き重事を犯したるを知り、而も心...中国禅語録に於ける「大闡提」の話
誰の言ってることも、たいてい「ある意味で」正しいことばかりなんだ。 それはまた別の「ある意味で」間違っているんだが、そのことは「ある意味で正しいことを言ってる人」にはおよそ理解されないのだ。 だから、おれは基本無口になる。 (My Favorite Son
道元禅師が晩年、永平寺にて編まれた『衆寮箴規』には、以下の一文が知られている。四念住、是れ住処なり、三帰依、是れ依止なり。少水の魚の如くならば、是に何の楽しみか有らん乎。まず、道元禅師がこのように「四念住」を活用しておられることに注目しておきたい。この「四念住」とは、一般的には「三十七品菩提分法」の一部であると知られていると思う。道元禅師の『正法眼蔵』には、同名の一巻が存在しているので、その中から「四念住」の提唱の冒頭部分を取り出しておきたい。四念住〈四念処とも称す〉。一者、観身不浄。二者、観受是苦。三者、観心無常。四者、観法無我。以上である。ここから、上記の通りの4つを能く念じ、止まることをもって、「念住」とはいうのである。更に、この4つは何を意味しているかといえば、「不浄・苦・無常・無我」であり、いわゆる「...『衆寮箴規』に見える「四念住」の話
人は誰でも、ありのままの自分を信じて自分を好きになり、自分を励まし、自分を自分で褒められる生き方をするべきだ。自分を信じない人間は、正しいことがなにひとつできない。 だから、人は誰でも自信を持つ必要がある。 注意点がひとつある。 あ
まずは、以下の一節をご覧いただきたい。仏在世の時に迦葉尊者等の仏弟子が致されたが如く、その法灯を相続致された列祖がなされたが如く、至心に三宝に帰依して、仏門に入り、釈迦牟尼世尊を慈父、大教主、大導師と仰ぎ、本尊と仰ぎ以つて、釈尊の如くに発心し、釈尊の如くに修行し、釈尊の如くに菩提を得、釈尊の如くに涅槃を得て、自利利他の二行を円満する、これが宗門の規矩であり、宗門の宗格である。丘宗潭老師『禅の信仰』鴻盟社・昭和2年、49頁上記内容について、明治時代以降の教義や本尊に関する論争があったことを思うと、非常に大事なことを仰っていることが分かる。そもそも、『修証義』が編集されていく中で、当初の『洞上在家修証義』を編集した大内青巒居士は「三宝帰依」を重視した。一方でそれを再編して現行の『修証義』にされた滝谷琢宗禅師は、釈尊...三帰依と本尊について
仏教に於ける罪の概念を探ることで、例えば「持戒」観念の内容を見てみたいと思っているのだが、今回はタイトルの通り、中国の禅語録に於ける「五逆罪」の扱いについて見てみたいと思っている。まずは、以下の一節などはどうか?師、雲居に問う、「大闡提人、五逆罪を作る。孝養、何れに在りや」。雲居云く、「始めて孝養を成す」。『洞山録』実は、これとほぼ同じ問答については、【雲居道膺禅師に於ける罪過について】で採り上げたことがあった。上記、『洞山録』では端的に「五逆罪」としているが、『景徳伝灯録』では「父を殺し母を害し、仏身より血を出し、和合僧を破す」と述べており、実は、「殺阿羅漢」が入っていないのだが、五逆罪について論じようとしていることは同じである。それで、拙僧的に不思議なのは、何故、洞山良价禅師が五逆罪と孝養とを関連して論じた...中国禅語録に於ける「五逆罪」の話
(『ブッダのことば』《Suttanipata-Khaggavisaana》「犀の角の経」35、68 中村元訳)より あらゆる生きものに対して暴力を加えることなく、あらゆる生きもののいずれをも悩ますことなく、また子を欲するなかれ。況んや朋友をや。犀の角のようにただ独り歩め。 最高の
まずは、以下の一節をご覧いただきたい。其己れ半信半疑にして、或は戒師となり、或は布教師と成るならば、何に依てか他の疑団を破り、安心決定せしむることを得んや。余、深く之を憂ふること久し矣。西有穆山禅師『安心訣』2丁表大本山總持寺独住三世・西有穆山禅師によるご指摘であるが、要するに自分自身が半信半疑の状態のまま、戒師や布教師になったとしたら、どうして他の人の疑団を破り、安心を決定させられるのか?と疑義を呈しており、そして、西有禅師ご自身は、深くそれを憂いておられたという。実は、この一節の前には、学人が師家に参ずる様子についても批判がされており、身心脱落に徹していないことにより、半信半疑のままであるという問題の根源が示されている。それで、その通りであれば、身心脱落することが大事だ、という話になるかと思いきや、本書は別...戒師や布教師になる条件とは?
今日10月1日は、旧暦の8月15日に当たり、いわゆる「中秋」である。ただし、満月は明日とのこと。とはいえ、今日も、おそらく綺麗だから、見比べてみると良いのかも知れない。ところで、曹洞宗の大本山永平寺を開かれた道元禅師(1200~1253)には、語録『永平広録』が残っているが、その中には弟子達と一緒に、名月に因んで漢詩を詠まれたことなどが記録に残っている。よって、例年拙ブログでは、禅僧が詠んだ中秋の名月に因む漢詩を採り上げ学ぶことで、そこから宗教的境涯を得たいと思っている。そこで、今日、学んでいく一首は、以下のものである。中秋の感有り万里碧天雲没す時、二株嫩桂光輝を転ず。月宮には怕じず通身冷ことを、折んと要す東南の第一枝。『大智禅師偈頌』文政3年刊冠註本、45丁表これは、中世曹洞宗を代表する学僧の、祇陀大智禅師(...10月1日中秋(令和2年度版)
聖書に基づくイエス様の救いの証をお語り下さい。短くても結構です。
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目に見えて分野として、スピリチュアル×心理学を使って、健康になって幸せを目指せます。
成功への極意を伝えます。たったひとつの考動力で0〜無限を生み出す秘密を伝授し 人生が好循環に回り、自分軸であなたがあなたらしく生きていけます。
ここでは、「妖精」「妖精の森」「おとぎの國」についてのイメージを、共有し合います。どこかで見た絵夲やファンタジー小説、夢に出てきた世界など、何でも。 また、リアルに妖精の森のような未來を望む書き込みも大歓迎です。 但し、旧スピ的発想や、宗教の勧誘、政党政治の推進、メディアを鵜呑みにしたり恐怖を煽るような書き込みは、すべて却下します。
アフリカ出身の夫と国際結婚し、その生活の中で体験したり学んだり考えたりしています
「純粋な」哲学の話題であれば、何でもどうぞ。 宗教、スピリチュアル、ポエム、政治、社会問題は却下です。 科学哲学は認めます。 なお、オープンな議論を促進するため、コメント機能を有効にすることが望ましいです。
スピリチュアルに触れながらも、それに傾倒しない哲学・思想などを語ってください。 直接的なスピリチュアル批判の場合は、なるべく理性的にお願いします。 スピリチュアル的な考え方は好きだけどハマり過ぎるのは考えもの、という緩い準アンチの方も考えをお聞かせください。 スピリチュアルの構造の客観的な分析なども歓迎です。 みんなの理性を結集してスピリチュアルに対抗しましょう。 なお、オープンな議論を促すためにコメント機能を開放することが望ましいです。
自分を変えようとして苦しんでいる人は多くいます。実は自分を変えようとしていることが間違いなんです。そもそもそのそのままの自分で幸せに暮らすことができます。それができるならみんなそのままの自分で暮らしたいと思っていると思います。そんなそのままの自分で幸せに暮らすためのヒントを発信します。
「奇跡」を司るのが「神」 時間・空間・物質に「奇跡」が起きた。 生命は「奇跡」の連続 「大いなる意思」は「神の愛」 人間は皆、「神の子」です。