聖書に基づくイエス様の救いの証をお語り下さい。短くても結構です。
前々回のテレビ番組「ウェークアップ!ぷらす」には、驚きの人物が登場していました。(記憶に頼って書きますので、不正確な点があります)。 暴力団の幹部になって刑務所にまで入った人が、今や牧師となり、犯罪歴のある人たちの更生に尽力しているのです。 その人
前回から始まったこの連載であるが、実は今回もまだ本文には入らない。今回は、平田篤胤先生(1776~1843)の『出定笑語』について解題等を行おうと思っているのである。まず、この連載で拙僧が見ようと思っているテキストについては、この記事の下段に挙げてある通りなのだが、江戸時代末期の版本には朝臣資政による「序」が見え、本書の成立の一端が理解出来る。百不足出羽国の御民に篤胤翁無比重太健雄々しき大倭魂を振起して、宗とある書ども著られけるいとまのひまに、諸人の解得やすく俗語もてものせられたるこの書、もと此大坂に御宇の年号を延享と申しころ、富長仲基といひし人出定後語といへるふみ書て、仏道明らかに論ひたるを本居翁うちみて、諾よくも論ひ定めたり、彼道の学問に長たる欲しだにえやはかくものすべきと讃歎おかれたるを、ゆかしみなつかし...『出定笑語』とは?!(拝啓平田篤胤先生1)
スマナサーラ長老の法話「常に観察すべき五つの真理」.pdfから引用させていただきます。私たちはあまりにも大きな勘違いをしています。世の中の理屈は、矛盾だらけなのです。 世界では昔から戦争が絶えず起こっていますし、多くの人たちはこのように考えているようです。
連載は14回目となる。『養老律令』に収録されている『僧尼令』の本文を見ているが、『僧尼令』は全27条あって、1条ごとに見ていくこととした。まずは、訓読文を挙げて、その後に拙僧なりの解説を付してみたい。なお、『令義解』の江戸期版本(塙保己一校訂本・寛政12年[1800]刊行、全10巻で『僧尼令』は巻2に所収)も合わせて見ていきたい。凡そ僧綱に任ずることは〈謂わく、律師以上〉、必ず徳行ありて、能く徒衆を伏し、道俗欽み仰ぎて、法務に綱維たらん者を用いるべし。挙す所の徒衆、皆連署して官に牒せよ。若し阿党朋扇して、浪りに無徳の者を挙すること有れば、百日苦使。一任の以後、輙く換えることを得ざれ。若し過罰有らん、及び老い病して任えざるは、即ち上法に依りて簡び換えよ。『日本思想大系3』220頁を参照して、訓読は拙僧まず、本条で...第十四条・任僧綱条(『僧尼令』を学ぶ・14)
映画『寄生獣』予告編 寄生獣 セイの格率 【ベストマッチ #1】 [ Shinichi's Best Battle ] Parasyte -the maxim- Full 60FPS寄生獣 セイの格率 【ベストマッチ #2】 [ Shinichi's Best Battle ] Parasyte -the maxim- Full 60FP寄生獣 セイの格率 【ベストマッチ #
「死んでも生きている」?別にフランケンシュタインやゾンビのお話ではありませんが、実は「その時死んだ」ことが歴史の事実として確定しているにもかかわらず、「いや、奴サンは実は死んではいなかったのだ」と主張される人物が、日本史には少なからず登場しています。これ
江戸時代の洞門が輩出した学僧・指月慧印禅師の主著である『荒田随筆』を学ぶ連載記事であるが、今は「戒定慧」という一章を学んでいる。早速、本文を見ておきたい。良に以れば、一菩提の道、本より三学の徳用を存す。其存することなり。器物の処分有て三ところに就が如くに非ず。皆互に兼て相成すなり。謹慎守奉の道、物を軌律に入て、根境に淫佚せず、毫厘差こと無し、背触共に亡じて、吾が道を光華するは、戒徳の寧馨せるなり。流変を割断して、淵源を廓清し、心意識に堕せず、去住共に分を絶し、吾が道を平定するは、定徳の寂請なるなり。邪正に偏らず、万差を照徹し、知不知に属せず、凡聖の路廓然として、吾が道を賛亮するは、慧徳の通知せるなり。而して、戒に種品有り。一に是れ不犯の律度なり。定慧皆な在り。定に幾許有り。一に是の心身絶待、無住の一行なり。戒慧...戒定慧(其の七)(指月慧印禅師『荒田随筆』参究24)
沖縄・裁判(孔子廟裁判): 大師小100期生集まれ!">[孔子廟が政教分離違反で違憲判決]A 沖縄市の孔子廟の敷地無償提供は違憲という判決が出た。B 理由は政教分離原則違反だね。A 具体的には憲法20条、89条が根拠条文になる。B 国は宗教的に中立でなければならず、特
今日2月25日は天神・菅原道真公(845~903)の忌日である。拙ブログでは、天神を崇敬していることもあり、毎年この日には、追悼と顕彰のための記事をアップすることにしている。それで、今年は拙僧の手元にある『天神経絵入講釈』(錦森堂・慶応3年序版)に入っている『大威徳天神感応経』について見ていくか、それとも塙保己一『群書類従』巻19(左は国立国会図書館デジタルコレクションのアドレス、357コマ以降が該当)に入っているのを見付けた『菅神入宋授衣記』にしようか迷ったのだが、拙僧も関わる禅宗に係るため、後者にした。菅神入宋授衣記天満天神、径山伝授の僧伽黎を以て、西都霊岩神護山光明蔵神寺に安置するの流記。慧日山東福寺第一世の聖一国師〈師の歳三十四〉、大宋国に入りて、径山仏鑑禅師に見えて、親しく巾瓶に侍す。是れ則ち日本四条...今日は天神忌(令和3年度版)
ドイツ宗教改革の発端にもなったとされるマルティン・ルターの『九十五箇条の提題』の日本語訳を学んでいく連載記事である。連載19回目である。19たとえ私たちが強く救いを確信しているとしても、煉獄にある魂が自らの救いについて確信し、また安心しているなどということは証明されていない。少なくとも〔そこに置かれている〕すべての魂がそのように確信しているということは証明などできない。深井氏下掲同著・18頁既に【連載17回目】でも述べた通り、煉獄という場所は死者の小罪のある霊魂や罪の償いを果たさなかった霊魂が、天国に入る前に現世で犯した罪に応じた罰を受け、清められる場所とされるのだが、この魂に対して、現世で行う祈りなどが届くと考えられていた。ところが、ルターは、現世の我々がどれほど救えていると思っても、実際に煉獄にある魂がその...マルティン・ルター『九十五箇条の提題』を学ぶ・19
スマナサーラ長老 パティパダー巻頭法話心は無停止絶えず汚れが生まれるので、修行に休憩なしより引用させていただきます。 人間には、肉体以外価値あるものを見出せません。建前を抑えて本音を言うならば、人間にとって絶対的な神様は、他ならぬ肉体なのです。特定の信
2月22日は「猫の日」である。理由は、「222」と並ぶので、「ニャンニャンニャン」から来た模様。日本お得意の語呂合わせである。それで、ちょっと今日は、猫に因むお話を見ておきたい。草堂、晦堂に侍立す。晦堂、風幡話を挙して草堂に問う。堂云く、逈かに入る処無し。晦堂云く、汝、世間の猫の鼠を捕らうるを見るや。双目瞪視して而も瞬かず。四足、地に踞して而も動かず。六根順向して首尾一直す。然る後に挙すれば中らざること無し。誠に能く心に異縁無く。意、妄想を絶す。六窓寂静にして端坐し黙究して、万に一を失せざるなり。『大慧普覚禅師宗門武庫』これは、中国臨済宗楊岐派の大慧宗杲禅師(1089~1163)の著作に出ている話である。それで、黄竜慧南禅師の法嗣・晦堂祖心禅師(1025~1100)と、その法嗣である草堂善清禅師による問答である...今日は猫の日(令和3年度版)
江戸時代初期の洞門学僧・独菴玄光禅師(1630~98)の著作を見ていると、戒定慧の三学について教えがあった。所以に釈氏の訓、三学必ず兼務す。戒学、身口の悪を防止し、定学、心一にして散ぜず、見性悟道す。慧学、法義を分別し、修道の嶮難通塞を知る。戒に非ざれば以て定の生ずること無し、定に非ざれば以て慧の生ずること無し、慧に非ざれば以て戒定の成ること無し。猶お嶮路を経過する者の、目足有ると雖も、導師無ければ、則ち達すること能わざるが如し。戒、譬えば足の如し。定、譬えば目の如し。慧、譬えば導師の如し。所以に三学相い資くるは、猶お鼎の三足の如し。一が欠ければ則ち三皆な立つこと能わず。或いは但だ定、其の功用を得て、戒慧を蔑する者有り。独菴玄光禅師『俗談(上)』、『曹全』「語録一」巻・643~644頁まず、この一連の話自体、同...独菴玄光禅師の三学観
「うちの嫁が病気になったのは、お前の嫁がテレパシーを送っているからだ!」。 これはある男性から別の男性への苦情です。学生時代にある宗教に入っていたとき、非難された男性から直接聞きました。昔のことなので、細かい表現は不正確ですが、「テレパシー」ははっき
ちょっと気になったので記事にしてみたい。実は、拙僧はこの両方の語句を混同して用いていた。考えてみれば、どちらが「正しい」といったような確認を怠っていたことに気付いた。そこで、今日はその辺を考えてみたい。まず、この語句については中国禅宗六祖慧能禅師(638~713)に由来すると思われる。韶州刺史韋拠請し、大梵寺に於いて妙法輪を転じ、并びに無相心地戒を受く。門人紀録し目けて壇経と為し、盛んに世に行わる。『景徳伝灯録』巻5「曹渓慧能禅師章」ここに、「無相心地戒」という表現が見えており、一方で、「心地無相戒」は無い。よって、古い表現は「無相心地戒」であったことが分かる。しかし、一般的に見られる『六祖壇経』を確認すると、慧能禅師は先に挙げた用語は勿論のこと、「心地戒」「無相戒」ともども用いていない。慧能禅師の言葉としては...心地無相戒?無相心地戒?
フランシスコの平和の祈り主よ、わたしをあなたの平和の道具としてください。憎しみのある所に、愛を置かせてください。侮辱のある所に、許しを置かせてください。分裂のある所に、和合を置かせてください。誤りのある所に、真実を置かせてください。疑いのある所に、信仰を
物を買わない生活を実現するための7つの方法2023.3.24
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銀行の取り付け騒ぎのリスク2023.3.23
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背中で哀愁を出す男のメリットとは?2023.3.21
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日本で米粉が注目される理由と将来性について2023.3.19
スマナサーラ長老 パティパダー巻頭法話 怒りに慈しみで勝つより引用させていただきます。 この世は、ほとんど嘘でできているのです。事実をねじ曲げることは、身の安全のためであると勘違いしているのです。政府は国民に嘘をつく。国は他の国に嘘をつく。社会も互いに
以前にアップした【戒量慧全禅師書写『室中法宝』写本について】の関係で、大本山永平寺60世・臥雲童龍禅師(1790~1870)に関する事跡について、中村泰心師・山内堯海師編『永平六十世臥雲童龍禅師遺稿(全)』(大正8年)を見ていたところ、8本の授戒会法語を確認出来た。ちょうど、江戸時代から明治時代へと日本が変わっていく状況で、授戒会で必要とされた思想も、どのように示されたのか、見ていきたい。今回は【(2)】に続いて、3本目である。同(尸羅会)曠然の戒界涯畛無し、凡聖都廬入り得ること親しし。入り得ること既に親しし誰か又た怪しまん、任持すれば総て任持人有り。『臥雲禅師遺稿』15丁表、訓読は拙僧これは、思想的には非常に興味深い法語である。まず、全体の大意を採っておきたいが、広々とした戒界(授戒道場)には際が無く、凡人も...臥雲童龍禅師の尸羅会法語(3)
『蠱毒こどく ミートボールマシン』田中要次主演。217年西村喜廣監督217年リメイク版。田中要次初主演作品がとにかくスゴい… 『蠱毒 ミートボールマシン』予告編⇒『蠱毒こどく ミートボールマシン』本編 『MEATBALL MACHINE ~ミートボールマシン~』高橋一
『傘松日記』という文献については【『傘松日記』―つらつら日暮らしWiki】などをご覧いただければ良いと思う。そこで、早速に本文を見ておきたい。又、余に嘱して云く、師、常に菩薩戒臘を以て如説、座下の龍象に指示すべし。『傘松日記』、『続曹洞宗全書』「法語」巻・456頁上段、訓読は拙僧さて、以上の一節であるが、ちょっと分かりにくいところもあるとは思いつつ申し上げると、永平寺40世・大虚喝玄禅師が、面山瑞方禅師(=余)に対して、教誨した一節である。そこで、何をいっているかというと、何か指示するときには、「菩薩戒臘」でもって話をすべきだということになる。これが何を意味しているかというと、日本はかなりの期間、菩薩戒臘でもって、僧堂内に於ける僧侶の順番なども決めていた。それこそ、道元禅師や瑩山禅師もそうで、徳に瑩山禅師の場合...面山瑞方禅師『傘松日記』に見える禅戒思想(4)
【イラストレーターの天野喜孝氏が法華経画を描いたとのこと】という記事でを書いていて知ったのだが、今日2月16日は日蓮宗の宗祖降誕会らしい。つまり、日蓮聖人(1222~82)がお生まれになった日、ということになるのだが、今更に【天魔の禅僧】である拙僧から祝意を申し上げても喜ばないだろうから、記事を書いて拙僧なりに鑽仰しておきたい。北尾日大上人『日蓮宗法要式』(平樂寺書店・大正10年)には、年中行事として「宗祖降誕会(二月十六日)」の項目が見える。まず、式次(我々でいうところの差定)は以下の通りである。・三宝礼・香花供養・奉請・讃歎・十礼拝・祖訓(顕仏未来記)・読経(方便品〈十如〉・宝塔品・涌出品・寿量品・神力品)・祖訓(観心本尊抄)・宝塔偈・回向・四誓・三帰※式後・講演『日蓮宗法要式』63頁まずは項目名のみだが、...今日は日蓮宗の宗祖降誕会らしい
本日2月15日は釈尊涅槃会である。二月十五日の上堂。今、我が本師、釈迦牟尼大和尚、鳩尸那城跋提河沙羅林にて般涅槃す。『永平広録』巻2-146上堂このように、道元禅師も上堂演法されている。なお、道元禅師が大仏寺に開単されたのは寛元3年4月の夏安居からであるが、上掲の一節は、その翌年、寛元4年(1246)2月15日に行われたと推定されている。面白いのは、道元禅師が「今、釈尊が般涅槃す」と仰っていることである。普通なら、『正法眼蔵』「仏性」巻で、『大般涅槃経』から「一切衆生悉有仏性」を引きつつ、それを「参学しきたること、すでに二千一百九十年〈当日本仁治二年辛丑歳〉」と書いてある通りで、もちろん道元禅師は釈尊が、その当時から2190年ほど前に入滅したことをご存じである。しかし、それでも、以下のように示される。何ぞ啻だ釈...今日は釈尊涅槃会(令和3年度版)
今までこのブログで、 人生の核心はブッダの教えの核心はあるいはブッダの説法を一言に要約すればダンマの本質はあるいは真の幸福は真の救いは…………… と切り出して、 苦聖諦だ一切皆苦だ死の自覚だ四諦だ八正道だ無常だ無我だ抜苦だ安心だ守正念だ不
何となく、白隠慧鶴禅師『槐安国語』を見ていたところ、冒頭に近いところに見えた、或る一節が気になった。その箇所は、白隠禅師が著語した『大灯国師語録』の一節である。爾の時、迦葉、諸比丘に告ぐ、「仏、已に荼昆す。金剛舎利、我等の事に非ず。我等、宜しく当に正法を結集して断絶せしむること無かるべし」。『大灯国師語録』「大徳寺語録」、訓読は拙僧上記一節の意を採れば、要するに釈尊が入般涅槃され、摩訶迦葉尊者が拘尸那竭羅に到着し、釈尊のご遺体を火葬にして舎利になった状態に於いて発せられたものだといえる。意義としては、既に荼毘に付したが、その後に発現した金剛舎利については、我等(僧衆)が関わることではない。よって、我等としてはまさに正法を結集して、釈尊の教えが断絶しないようにしよう、ということになる。つまりは、火葬までは認めるも...大灯国師の語録に見る葬儀無用論
明後日に迫った釈尊涅槃会を前に、『仏垂般涅槃略説教誡経』を学んでいく短期連載記事だったのだが、今日で終わりとなる。というか、もう涅槃会は明後日なのか・・・明日は明日で釈尊の涅槃に関する別の記事を用意しているので、とりあえず『遺教経』を学ぶのは今日までにしておきたい。そうなると、やはり同経の末尾が気になるところだ。仏言く、汝等比丘、常に当に一心に出道を勤求すべし。一切世間の動・不動の法、皆な是れ敗壊不安の相なり。汝等且く止みね、復た語いうことを得ること勿れ。時、将に過ぎなんと欲す、我れ滅度せんと欲す。是れ我が最後の教誨する所なり。『仏垂般涅槃略説教誡経』「七、離種種自性清浄無我分」、訓読は拙僧こちらの言葉の意味については、既に【「建長五年正月六日書于永平寺」について】などで採り上げているので、合わせてご覧いただき...『仏垂般涅槃略説教誡経』を学ぶ(令和3年度・8)
ブッダの言葉。(ターン・プッタタート「誰も意図しなくてもダンマはダンマに流れて行く」増支部ダサカニパータ 24巻336頁209項)より引用させていただきます。 (ブッダの言葉) 比丘のみなさん。完璧な戒があれば、「アヴィパティサーラ(悔恨がないこと)が私に現
御三家の筆頭に当たる尾張家の第七代藩主・徳川宗春(1696-1764年)の名が登場する場合は、一方で第八代将軍・徳川吉宗(1684-1751年)の名が挙げられることが多い印象です。それもそのはずで、幕府の財政破綻に直面し、いわゆる「享保の改革」と呼ばれる徹底的な「質素倹約
2月15日の釈尊涅槃会まで、とりあえず『仏垂般涅槃略説教誡経』について、色々と考えてみようというこのブログ。それで、ウチの宗派であれば道元禅師が最晩年の著作である『正法眼蔵』「八大人覚」巻に、本経から引用されたことは良く知られているわけだが、他の引用例はあるのだろうか?鏡島元隆先生の『道元禅師の引用経典・語録の研究』(木耳社・昭和40年)を見てみると、先に挙げた「八大人覚」巻と、もう1箇所の指摘があった。見ずや、世尊言わく、「汝等比丘、已に能く戒に住して、当に五根を制し、放逸にして五欲に入ることを勿らしむべし。譬えば牧牛の人の、杖を執りて之を視、縦逸して人の苗稼を犯さしめざるが如し。若し、五根を縦にすれば、唯だ、五欲に将に涯畔無くして、制すべからざるのみに非ざるなり」。然らば則ち仏祖の児孫、声色・名利の邪路に向...『仏垂般涅槃略説教誡経』を学ぶ(令和3年度・7)
出口の無い迷路に追放される少年たち メイズランナー 映画紹介 あらすじ 「メイズ・ランナー 第1章」を観た感想。おれはこの種の作品を、当然アナロジーとして観る。 正体不明の絶対権力者がいて、人間を迷路(メイズ)世界に放り込む。迷路は階層構造で、人
スマナサーラ長老 パティパダー巻頭法話人は幸福に盲目です 一般人の幸福論は差別的ですより引用させていただきます。 人間は一向に理解しようとしないのですが、幸せの本当の意味は心の安らぎです。心に悩み苦しみがない状態です。嫉妬・怒り・憎しみなどで、病ん
今日2月11日は、「建国記念の日」である。この日は明治時代に「紀元節」として決められた。その経緯などについては、【今日は建国記念の日(平成31年度版)】で十分に書いておいたので、そちらをご覧いただければ良いと思う。それで、明治時代、当時の政府は政府が行う宗教的な行事について、仏教各教団に半ば強制的に追随を要求しており、紀元節についても当然に実施を求めたようである。そのため、我々曹洞宗でも、次のような行持を行った。二月十一日紀元節祝聖諷経○朝課の前に祝聖諷経、例月の一日と同じ。「年分行持」、『洞上行持軌範』巻中・7丁裏、カナをかなにするなど見易く改めた曹洞宗に於ける「祝聖諷経」について、詳細は後述するけれども、現代は「祝祷諷経」と名称、内容ともに変更して行われている。「聖」とは天皇や皇帝を意味しており、「祝」とは...今日は「建国記念の日」(令和3年度版)
ハートネットTV「“神様の子”と呼ばれて〜宗教2世 迷いながら生きる〜」 | NHK ハートネットTV 「あなたは私の子じゃない。神様の子なのよ」。今、親が信仰する宗教の下で育った「宗教2世」と呼ばれる人たちが、SNSや漫画を通して声を上げ始めている。宗教こそが家族を幸せにし、教義を基軸とした教育こそが我が子のためになると信じる親によって、恋愛や進学、就労などさまざまな場面で自らの意志を奪われ続けてきたという。これまであまり語られることのなかった、“神様の子”として生きてきた人たちの声に耳を傾ける。 見逃しちゃった!っていう方は再放送もあります。 2月16日(火) 午後1時05分 〜..
2月15日の釈尊涅槃会まで、『仏垂般涅槃略説教誡経(遺教経)』を学んでおこうという拙ブログなのだが、そういえば、同経について気になる点があった。それは、この経典の末尾についてである。例えば、『長阿含経』に収録される「遊行経」を見てみると、「是の故に、比丘よ、無為放逸を為すこと無かれ。我れ以て放逸せざるが故に、自ら正覚に致る。無量の衆善も、亦た放逸せざるが由に得ん。一切の万物、常存するもの無し。此れは是れ、如来末後の説く所なり」とあって、世尊末後の説法が終わり、その後は、入定して、最後に入般涅槃する様子へと続く。しかも、「遊行経」の場合はそこでは終わらずに、火葬にして供養し、舎利(遺骨)を納めるために造塔(卒塔婆を建てるということだが、要するに我々からすれば墓を建てることだ)する話なども続いていくのである。しかし...『仏垂般涅槃略説教誡経』を学ぶ(令和3年度・6)
スマナサーラ長老 パティパダー巻頭法話快楽におぼれるとより引用させていただきます。 ……………………欲だけを目指す人は頭に霞がかかっているので、仕事や家族のことなど毎日の生活も乗り越えがたい大変なチャレンジだと勘違いします。 欲に足を引っ張られること
拙僧的に不思議なのは、何故、釈尊の最期の場面を語る経典が、複数作られたのか?ということである。いわゆる「涅槃部」経典もそうだが、他にも『長阿含経』には「遊行經」があって、これが釈尊の涅槃を示す内容だというのは、良く知られていると思う。また、阿含部の『大般涅槃経』もある。そして、この2つですら、既に内容の一部は相違している。更に、大乗『大般涅槃経』は、それらの釈尊の涅槃を示す経典を用いて、大乗仏教の諸思想を織り交ぜたものだ。まぁ、この大乗の同経典が作られた理由は、本文を見れば一目瞭然なので良いのだが、問題は『仏垂般涅槃略説教誡経(遺教経)』である。現存する同経は鳩摩羅什訳で、天親菩薩造『遺教経論』は真諦訳である。まぁ、『出三蔵記集』巻1でも、普通に羅什訳として扱っているし、内容に特段異論があるわけではない。いや、...『仏垂般涅槃略説教誡経』を学ぶ(令和3年度・5)
ハートネットTV「“神様の子”と呼ばれて〜宗教2世 迷いながら生きる〜」 | NHK ハートネットTV 2月9日(火) 午後8時00分 〜 午後8時30分 再放送 2月16日(火) 午後1時05分 〜 午後1時35分 「あなたは私の子じゃない。神様の子なのよ」。今、親が信仰する宗教の下で育った「宗教2世」と呼ばれる人たちが、SNSや漫画を通して声を上げ始めている。宗教こそが家族を幸せにし、教義を基軸とした教育こそが我が子のためになると信じる親によって、恋愛や進学、就労などさまざまな場面で自らの意志を奪われ続けてきたという。これまであまり語られることのなかった、“神様の子”として生きて..
ブッダ在世の時代に若くして預流果に達していたヴィサーカー夫人が、ある時プッバーラーマ僧院で真剣に修行している女性信者たちに「なぜ仏教に興味があるのですか」「なぜ修行しようと思ったのですか」などと訊ねたのだそうです。 スマナサーラ長老 パティパダー巻頭
聖書に基づくイエス様の救いの証をお語り下さい。短くても結構です。
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目に見えて分野として、スピリチュアル×心理学を使って、健康になって幸せを目指せます。
成功への極意を伝えます。たったひとつの考動力で0〜無限を生み出す秘密を伝授し 人生が好循環に回り、自分軸であなたがあなたらしく生きていけます。
ここでは、「妖精」「妖精の森」「おとぎの國」についてのイメージを、共有し合います。どこかで見た絵夲やファンタジー小説、夢に出てきた世界など、何でも。 また、リアルに妖精の森のような未來を望む書き込みも大歓迎です。 但し、旧スピ的発想や、宗教の勧誘、政党政治の推進、メディアを鵜呑みにしたり恐怖を煽るような書き込みは、すべて却下します。
アフリカ出身の夫と国際結婚し、その生活の中で体験したり学んだり考えたりしています
「純粋な」哲学の話題であれば、何でもどうぞ。 宗教、スピリチュアル、ポエム、政治、社会問題は却下です。 科学哲学は認めます。 なお、オープンな議論を促進するため、コメント機能を有効にすることが望ましいです。
スピリチュアルに触れながらも、それに傾倒しない哲学・思想などを語ってください。 直接的なスピリチュアル批判の場合は、なるべく理性的にお願いします。 スピリチュアル的な考え方は好きだけどハマり過ぎるのは考えもの、という緩い準アンチの方も考えをお聞かせください。 スピリチュアルの構造の客観的な分析なども歓迎です。 みんなの理性を結集してスピリチュアルに対抗しましょう。 なお、オープンな議論を促すためにコメント機能を開放することが望ましいです。
自分を変えようとして苦しんでいる人は多くいます。実は自分を変えようとしていることが間違いなんです。そもそもそのそのままの自分で幸せに暮らすことができます。それができるならみんなそのままの自分で暮らしたいと思っていると思います。そんなそのままの自分で幸せに暮らすためのヒントを発信します。
「奇跡」を司るのが「神」 時間・空間・物質に「奇跡」が起きた。 生命は「奇跡」の連続 「大いなる意思」は「神の愛」 人間は皆、「神の子」です。