聖書に基づくイエス様の救いの証をお語り下さい。短くても結構です。
「神は決して我が子を見捨てるようなことは致しません」「地上では必ずしも正義が勝つとはかぎりません。なぜなら因果律は必ずしも地上生活中に成就されるとはかぎらないからです。ですが地上生活を超えた長い目で見れば、因果律は一分の狂いもなく働き、天秤は必ず平常を取り戻します。霊的に見て、あなたにとって何がいちばん望ましいかは、あなた自身には分かりません。もしかしたら、あなたにとっていちばん嫌なことが実は、あ...
以前、【何故、出家者は髪を剃らねばならないのか?】という記事をアップした後で、色々なご意見を頂戴した。そこで、そのご意見の中で、幾つか検討しておきたいことが出て来たので、その辺も見ておきたい。まずは、釈尊自身の浄髪(剃髪)についてである。気になって調べていたら、興味深い一節を見出したので、参照しておきたい。問うて曰く、「仏、常に剃除するや不や」。答えて曰く、「爾らず。仏の髮、常に剃髮後一七日の状なるが如し」。『薩婆多毘尼毘婆沙』巻8この、『薩婆多毘尼毘婆沙』という文献は、薩婆多部(説一切有部)の毘尼(律)への毘婆沙(註釈)であるから、『律』そのものではなく、註釈となる。その中に、仏の髪についての言及があったので、採り上げてみたのである。それで、或る人が仏に、「仏は常に浄髪をしているのでしょうか?」と尋ねたところ...何故、出家者は髪を剃らねばならないのか?(2・釈尊編)
「ローズンゲン『日々の聖句』」より、日々の聖書の言葉を紹介しています。聖書の言葉を中心に、生活に光が差し込むようでありたいです。
心に荒々しさの火を灯せばとりあえずすぐに『前向なココロ』を得られます。 例えば心が折れそうなことがあっても「何くそ! ふざけんな!」と思うことでへこたれずに済んだってことは誰しもあるでしょう。 だから、荒々しさの持つある種の力強さに魅せられる人が後を絶ちません。 荒々しい心というものは良くも悪くも『分かりやすい生命力の噴出』を促すからです。 でも、荒々しさを生きるための推進力として使い続ければそのうち無理が出てきます。 荒々しさを推進力にするためには絶えず心に『怒り』の炎を燃やしておく必要があるからです。 怒りのエネルギーを燃やすって、つまりはアドレナリンの沸騰みたいなモノを求めてるんです。 …
「幽霊と霊とはどう違うのでしょうか」「幽霊も霊の一種です。が、霊が幽霊になってくれては困るのです。地上の人たちが幽霊と呼んでいるのは、地上生活がとてもみじめだったためにいつまでも地上の雰囲気から抜け出られないでいる霊が姿を見せた場合か、それとも、よほどのことがあって強い憎しみや恨みを抱いたその念がずっと残っていて、それが何かの拍子にその霊の姿となって見える場合の、いずれかです。幽霊さわぎの原因は大...
以前、【「清浄なる行者破戒の比丘」の続きの話】という記事を書いたのだが、更にその続きである。勅問の九に曰く、経に曰く、清浄の行者、涅盤に入らず。破戒の比丘、地獄に入らず、と。清浄の行者、涅盤に入るべし。什麼と為てか入らざるや。破戒の比丘、地獄に入るべし。什麼と為てか入らざるや。師曰く、涅盤と地獄の二見を存するは、小乗の見解なり。善悪不二、邪正一如の処に於いて、什麼をか清浄・破戒を論ぜんや。円覚了義経に曰く、衆生と国土、同一の法性なり。地獄と天堂、皆な浄土と為す。一切の煩悩、畢竟解脱す、云云。然れば則ち、涅盤の求むべき無く、地獄の厭うべき無し。何ぞ清浄・破戒を論ぜんや。瑩山紹瑾禅師『十種疑問』第9問答、『曹洞宗全書』「宗源(下)」巻・497頁上段、訓読は拙僧これは、伝承としては、瑩山紹瑾禅師が後醍醐天皇からの勅問...「清浄なる行者破戒の比丘」の続きの続きの話
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例によって例のごとく独断と偏見のお話です。 あくまでも個人的な意見としてご覧くださいm(_ _)m 今巷で大多数の人々がしているマスクについてです。 マスクってのは防疫のためにするものってのは共通の認識があると思います。 ただ、自分が病気に感染しないためではありません。 普通の風邪で考えても、マスクをする時にはもう風邪引いてますからねぇ。 つまり、マスクってのは自分が罹った伝染病を他人にうつさないための道具だってことです。 自分がうつらないためではなく、他人にうつさないためです。 大事なことなので、二度申し上げました。 で、ここからが本題です。 新型肺炎の蔓延によってマスクをすることが推奨され…
あのときとりつかれていたなんてわかるわけがないそしてとりつかれたのは自分自身自分の隙に・・・これはどんな人にも言えることかもしれないけれど誰であろうが自分の口から出たのは自分の言葉そこに同調...
あなたの夢がどんなに困難なことでも、 「私なら達成出来る!」 という自己効力感を持つかどうかで、達成出来る可能性は変わっていきます。
人にあるステージの変化 未来への期待… 時間のなか…過ごし方のちがいで私達は何度だって変化できます。変化への順応を上手くできますように。 私の感覚になりますので全ての人にあてはまるということではありません。 人にあるステージの変化 変化 気づかないふり 自分への期待 変化 変化って…環境や状況だけではなくて 自分のなかだけにあること(変化)の方が影響が強くあらわれたりします 自分では… 上手くやっているつもりだったとしても心がついていってないときって かなりのストレスになっているんです 気づかないふり 自分で自分を我慢させていると… 全てのバランスがくずれてきます バランスがくずれると自律神経…
世の中は不思議なことがたくさん… 私たちの見ている景色… 私たちが見ている景色って…ほんの一部なんですよね今、ただ見ているだけだったり…ただ見えているだけ 世の中は不思議なことがたくさん… 向き合っていること 人と人 向き合っていること 人って… 宇宙を縮小したものそんなふうにも言われていて 人生で向き合っていることは… 見えていない場所 自然につながっている 今、あなたが考えていることそれだって ほんの一部なんです 私たちの見ている景色って不思議だらけ…そんなふうに思えませんか 花の不思議形や色… 真似できません季節にそって咲いてくれる 空のデザインの不思議さ様々な景色を見せてくれる その中…
とりあえず、以下の一節をご覧いただきたい。問う、如今の出家、受戒して、身口清浄にして、已に諸法を具す。解脱を得るや否や。師云く、少分の解脱なり。未だ心解脱を得ざる。亦た未だ一切処解脱を得ざる。『百丈広録』巻3この『百丈広録』とは、馬祖下の『四家語録』に収録されているもので、「巻3」とはなっているが、これはその全体が伝わっているわけではなく、ごく一部のみ閲覧可能である。既に11世紀頃には存在したようだが、現存しているのは17世紀以降の版本とされる。そのため、本書だけでは百丈懐海禅師の思想の全てに触れることは出来ないが、その中でも禅籍には珍しい戒律に関する考えが見て取れたので、学んでみたい。まず、この問答の質問者は、最近の出家は受戒して身体と口(言葉)とが清浄になっており、しかも、既に諸法も身に着けている。これは解...百丈懐海禅師の持戒論
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陰謀論的なモノの見方の弊害について、このブログでは何度も書いてきました。 ここでいう陰謀論的なモノの見方とは「人類の歴史の全てはごく少数だが超強力な闇の勢力みたいな者たちによって連綿と精密に作り上げられてきたのだ!」というような考え方のことです。 陰謀論的なモノの見方の弊害とは何かを一言でいえば心が現実離れしてしまうことです。 現実離れするとは自分にとって都合の悪いことから無意識に目を背けるようになるってことです。 つまり、何故陰謀論的なモノの見方に少なからぬ人々がハマってしまうのかというと、上手くいかない出来事を自分以外のモノのせいに出来るからです。 例えば「自分には才能もあるし、一生懸命や…
不治の病で苦しんでる人がいるんだ。どうしてあげればいいの?なーんて悩み抱えてる人、いませんか?幸福の科学の大川隆法先生は、『奇跡のガン克服法』(幸福の科学出版)のまえがきで、こう説いておられます。現代人は実に多く病気で悩み苦しんでいる。しかも医学が進歩すればするほど、病名も多岐にわたって、平均寿命が伸びるとともに、難病奇病も数多くなっている。なかには病気のデパートのようになっている人さえいる。しかし、真実は一つである。人体は、ゆっくりとではあるが、「川の流れ」のように変化し続け、同じ姿をとどめおくことはできない。心の力が自分の体をつくりかえていくことが可能なのだ。しかもその際、信仰心が強力なパワーとして働き始める。信仰の名の下に、理想的な自己像を心に描くがよい。ガンをはじめ、医学的に不可能とされる治癒例が数多く...不治の病って?
「神も進化していくのでしょうか」「そうではありません。神は法則でありその法則は完璧です。しかし物質の世界に顕現している部分は、その顕現の仕方が進化の法則の支配を受けます。忘れてならないのは地球も進化しているということです。地震も雷も進化の印です。地球は火焔と嵐の中で誕生し、今なお完成へ向けて徐々に進化している最中です。日没と日の出の美しさ、夜空のきらめく星座、楽しい小鳥のさえずりは神のもので、嵐や...
今日は6月1日である。この日、古来の曹洞宗では、普請坐禅をせずに、随意坐禅を行っていたとされる。それで、いつもはその日の上堂を採り上げるのだが、今日は少し別の様子の上堂を採り上げてみたい。普済善救禅師(1347~1408、峨山韶碩禅師―通幻寂霊禅師―普済禅師という嗣法の系統)の語録から、早速本文を読んでいこう。閏六月旦の上堂。三半の一閏、最初の日。六月の炎天、我の如くは何ぞ。熱殺闍梨能く活かすべし、揚眉当面に早く蹉過す。『普済善救禅師語録』要するに、太陰暦の頃に存在していた、「閏月」としての「六月旦(1日)」の上堂である。よって、この年は、夏安居が九旬ではなく、十二旬であったことも分かる。記録上は普済禅師も何も述べてはおられないようだが、しかし、間違いなくこういう年は、十二旬であった。さて、まず、「三半の一旬」...今日は六月初一(令和3年度版)
例によって例のごとく独断と偏見で申し上げれば、除霊とは自分と見えない何かとのチカラ比べです。 チカラ比べには終わりがありません。 いつまで経っても何処まで行っても上には上がいるからです。眼に見えないチカラの話ですがね…よって、除霊を続ける限りいつでも相手をねじ伏せられるだけの『より強くより大きなチカラ』を求め続けなくちゃなりません。そうしなければ、いつの日か相手からねじ伏せられてしまう日が来るかも知れないからです。そうでなくても相手がいる限りはいつも一方的なやりたい放題が出来るとは限りません。常に『返り討ちに遭う可能性』は存在するってことです。返り討ちにまで会わなくても所謂『返り血』くらいは浴…
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目に見えて分野として、スピリチュアル×心理学を使って、健康になって幸せを目指せます。
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ここでは、「妖精」「妖精の森」「おとぎの國」についてのイメージを、共有し合います。どこかで見た絵夲やファンタジー小説、夢に出てきた世界など、何でも。 また、リアルに妖精の森のような未來を望む書き込みも大歓迎です。 但し、旧スピ的発想や、宗教の勧誘、政党政治の推進、メディアを鵜呑みにしたり恐怖を煽るような書き込みは、すべて却下します。
アフリカ出身の夫と国際結婚し、その生活の中で体験したり学んだり考えたりしています
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自分を変えようとして苦しんでいる人は多くいます。実は自分を変えようとしていることが間違いなんです。そもそもそのそのままの自分で幸せに暮らすことができます。それができるならみんなそのままの自分で暮らしたいと思っていると思います。そんなそのままの自分で幸せに暮らすためのヒントを発信します。
「奇跡」を司るのが「神」 時間・空間・物質に「奇跡」が起きた。 生命は「奇跡」の連続 「大いなる意思」は「神の愛」 人間は皆、「神の子」です。