聖書に基づくイエス様の救いの証をお語り下さい。短くても結構です。
カルマとは何?カルマの法則とは?②~単純な法則でありながら、少し複雑なカルマの解消~
カルマとは何?カルマの法則とは?
「SNS疲れの脳内ストレスの原因と対策」
良い気分の重要性「なので、良い気分なのです」
私たちは地球ゲームに参加しているキャラクターでした
「繋がるのは本当の自分」の本当の理由
e53 自然の摂理なのか
地球ゲームの操縦席が入れ替わりました
地球ゲーム・プレイヤーとキャラクターの関係性
地球ゲームクリアは突然に訪れました
気分悪くなるのになんでわざわざそれを考えちゃうのか?
操られるように人生が上手くいく!「今ここ」スタンス
私は地球ゲームのプレイヤーでした
祈りの力
超簡単引き寄せの仕組み
江戸時代の洞門が輩出した学僧・指月慧印禅師の主著である『荒田随筆』を学ぶ連載記事であるが、今は「戒定慧」という一章を学んでいる。早速、本文を見ておきたい。定、謂く、空有辺中の徳用義相に随い、多種の名を分つと雖も、克して那伽定王三昧に帰す。一切の三昧、皆な此の中に入る。所謂、諸仏の定法、直身跏趺坐のみ。諸法、畢竟、寂爾湛然、繊塵を蕩して、内に住守の心無し。大虚を包で外に馳驟するの境無し。蘊界入に於いて不動不覚。然而、諸法をして畢竟、去来・起住・言語等の累無く、生死・涅槃・迷解の知無きこと、一味に真実ならしむ。故に心意識の分別すべき、凡聖路の格すべきに非ず。垢浄増減の途を離れて、是虚空住なり。健相堅固にして、龍蟠の屈するが如し。勤はらざるして而も物現す。其現こと、也た疑わず。日月の空に処するが如し。一多の言思、大小...戒定慧(其の四)(指月慧印禅師『荒田随筆』参究21)
今日11月29日は、語呂合わせで「1129=良い肉」の日らしい。それで、敢えて「「良い肉の日」と仏教」というタイトルにしたからには、今日は以下の一節を通して色々と考えてみたい。庚寅、諸国に詔して曰く、自今以後、諸漁獵者を制す、檻及び施機槍等の類を造ること莫れ。亦た四月朔以後、九月三十日以前、比満沙伎理・梁を置くこと莫れ。且つ、牛・馬・犬・猿・鶏の肉を食すること莫れ。以外は禁例在らず、若し犯す者有らば、之を罪とす。『日本書紀』巻29「天武四年(675)四月」項このように、天武天皇の4年に、通称「肉食禁止の詔」が発せられたという。ただし、内容は大きく2つに分かれていて、まずは漁業や狩猟を行う人達が「ワナ」を作ることを禁止したものである。そして、後半は肉食の禁止である。ただし、肉食の禁止については、4月1日から9月3...11月29日「良い肉の日」と仏教
連載は11回目となる。『養老律令』に収録されている『僧尼令』の本文を見ているが、『僧尼令』は全27条あって、1条ごとに見ていくこととした。まずは、訓読文を挙げて、その後に拙僧なりの解説を付してみたい。なお、釈雲照補注『僧尼令』も参考にすることとしたい。凡そ寺の僧房に婦女を停め、尼房に男夫を停めて、一宿以上経たらば、其の所由の人、十日苦使。五日以上ならば、卅日苦使。十日以上ならば、百日苦使。三綱知りて聴せらば、所由の人の罪に同じ。『日本思想大系3』219頁を参照して、訓読は拙僧要するに、男性の比丘がいる寺院に、女性を宿泊させるようなことがあったり、比丘尼がいる寺院に、男性を宿泊させるようなことがあれば、罪を得るとしているのである。なお、比丘と比丘尼は寺院が異なっていたので、両方がともに修行することはなかった。その...第十一条・停婦女条(『僧尼令』を学ぶ・11)
ここ1年以上にわたって、最後の一章「雑」を採り上げている。本章は「雑」の字の通りで、他に一章を立てるほどが無い程度の内容でもって、様々な事柄を富永仲基が論じたものである。本当に種々雑多な内容だが、見ていると20前後の節に分けられそうなので、一つ一つ見ていきたいと思う。諸法相い万すと雖も、其の要は善を為すに帰す。苟に能く其の法を守りて、而も各おの善を為すに篤ければ、則ち何ぞ彼此を択ばん、仏も亦た可なり、儒も亦た可なり。苟に善を為くると為す者は、乃ち一家なり。何に況んや、同じく仏を宗として、而も其の派を異にする者をや。徒らに、其の派の之れ異有るを争いて、而も善を為せること無き者は、吾れ之を知らず。文も亦た可なり、幻も亦た可なり、其の志、誠に善を為すに在らば、則ち何ぞ不可ならん。徒らに幻と文とに淫して、而も善を為すに...雑第二十五其19(富永仲基『出定後語』を学ぶ46)
ドイツ宗教改革の発端にもなったとされるマルティン・ルターの『九十五箇条の提題』の日本語訳を学んでいく連載記事である。連載16回目である。16地獄、煉獄、天国の違いは、絶望、絶望への接近、救いの確かさの違いに対応している。深井氏下掲同著・17頁この辺は、キリスト教の世界観と相即した見解だということになるだろう。地獄と煉獄の違いについては、【前回の記事】でも申し上げた通りなので、割愛するけれども、ルターは、死後の行き先について、生前に於けるその人の心のあり方に由来することを指摘している。ここ数回の記事で、死を迎えようとしている者の魂の癒やしや愛によって充たされることの重大性を説いていたことを確認したが、最後の「救いの確かさ」を持っている魂は、天国に行くことになる。一方で、ここでルターが述べる「絶望」とは何であろうか...マルティン・ルター『九十五箇条の提題』を学ぶ・16
まずは、以下の一節をご覧いただきたい。因みに茶話、禅門戒壇の委悉なり。『傘松日記』、『続曹洞宗全書』「法語」巻・450頁下段、訓読は拙僧たった一節ではあるのだが、ここで当時の大本山永平寺貫首であられた、40世・大虚喝玄禅師と、面山瑞方禅師の間で、どのようなことが話題となったのか、簡単に推定してみたい。まず、「禅門戒壇」と述べるのは、江戸時代初期から宗門授戒会のデファクトスタンダードになっていた、いわゆる大乘寺式の授戒会作法のことであると思われる。実際に、【(1)】で紹介をした通り、大虚禅師はご自身の授戒会作法に関する主張を、当時の関三刹などに送り、その履行を求めたことがあった(ただし、寺社奉行所により却下)。それがあってか、面山禅師も後に、授戒会作法についての批判を行った。具体的には、実世界の論文でも書きつつあ...面山瑞方禅師『傘松日記』に見える禅戒思想(2)
最近、日本天台宗の五大院安然の『普通授菩薩戒広釈』を読んでいたところ、以下の一節を見出した。然るに其戒場は是れ国主、国人の大福田、仏子菩薩の菩提場、三世諸仏の得道の処、一切如来の所住地なり。故に『境界』に云はく、「若し四恩の為に道場を建立すれば国に七難無く万姓安楽なり。何を以ての故に、此道場の地は金剛際乃至微塵に至るまで皆国王に属す。此王曽此地に於て菩薩戒を受持すればなり」と。故に『賢聖伝』に云はく、「若し菩薩戒を受くる地は変じて金剛道場と成る。大劫三災の現ずる時にも此地を破壊すること能わず」と。安然『普通授菩薩戒広釈』、『国訳大蔵経』「宗典第一巻・天台宗」313頁これは、菩薩戒授戒道場の功徳を説いたところである。それで、国主・国人にとっての大福田というのは、わずかな善行が大きな功徳になるところという意味であり...菩薩戒授戒道場の功徳とは?
今日は勤労感謝の日である。仏教と勤労について調べていたら、少し面白い記事を見付けたので、引用しておきたい。或人、白隠禅師の法話を聞いて、白隠の隻手の声を聞くよりも両手を打つて商ひをすると歌つた。処が、白隠禅師は之に対へて、商ひを両手たゝいてするならば隻手の声を聞くに及ばずと返した。これは勤労即仏法の意味であつて、智覚大師が嘗てその坊主頭に手拭を鉢巻にし、鍬を取つて手づから畑を耕しながら、「是即ち仏法なり」と道破したのと同じ事である。「勤労即ち仏法」、酒井不二雄『動的人格の修養』(啓文社書店・大正10年)216~217頁これは、江戸時代の傑僧・白隠慧鶴禅師の「隻手の音声」を元に論じられたものであることは、一目瞭然である。なお、拙僧は白隠禅師のことを研究したことがないので、この一節が、実際に白隠禅師に於いて示された...今日は勤労感謝の日(令和2年度版)
今日は、11月22日、語呂合わせで「良い夫婦の日」とのことである。毎年、この日には、関連する記事を書いているのだが、日本の仏教界にとって、結婚の問題は、明治時代以降の肉食妻帯令との関係で、浄土真宗以外の諸宗派でも僧侶が結婚するようになったという問題がある。それで、仏教会内部としても、賛否両論が存在しつつも、実際には結婚する僧侶は増えた。そのようなことを思いつつ、今回は生誕150年となる鈴木大拙居士(1870~1966)の随筆(手紙)から、僧侶の結婚の問題を見ておきたい。なお、典拠は大拙居士『禅:随筆』(大雄閣・昭和2年)である。実際を云ふと、僧侶の妻帯論などは時勢おくれで、現に十の九分九厘までは、妻帯して居るのであるから、こんな議論などしなくてもよいと、大抵の人は思うて居やう。「或る禅僧に与へて僧侶の妻帯を論ず...今日は良い夫婦の日(令和2年度版)
今日11月21日は、曹洞宗の大本山總持寺を開かれた瑩山紹瑾禅師(1264~1325)のお誕生日とされ、太祖降誕会としてお祀りされている。改めて今日の記事では、瑩山禅師の行実を学び、顕彰してみたい。ところで、かつて瑩山禅師は文永5年(1268)10月8日にお生まれになったという説が主であったため、新暦に直した際に、11月21日という話になっていたが、現代は文永元年(1264)10月8日生まれということとなっている。つまり、4年ずれたわけで、その上で計算をし直すと、1264年11月5日(グレゴリオ暦で計算)となってしまう。この辺、少しく難しい話となっているが、とにかくズレてしまったのである。こういう難しい話はさておき、今日は或る資料の一節を学んでおきたい。四祖能州洞谷山永光寺〈開山〉紹瑾禅師〈大乗二世也、号を瑩山と...今日は太祖降誕会(令和2年度版)
拙僧自身、良く分かっていないところでもあるので、今後の参究のことも考えて、記事にする次第である。なお、関連する記事としては、【宗門在家信者の服制について】や【俗人が出家の格好をすることは罪か?】などを書いたことがある。それで、これらの記事では書いていないことがある。それは、以下の一節についてである。有るが言わく、在家の受持する袈裟は、一に単縫と名づけ、二に俗服と名づく。乃ち未だ却刺して而の縫うことを用いざるなり。又た言わく、在家、道場に趣く時は、三法衣・楊枝・澡水・食器・坐具と具え、応に比丘の如く修行浄行すべし。古徳の相伝、かくのごとし。ただし、いま仏祖単伝しきたれるところ、国王・大臣・居士・士民にさづくる袈裟、みな却刺なり。廬行者、すでに仏袈裟を正伝せり、勝躅なり。『正法眼蔵』「袈裟功徳」巻そもそも、道元禅師...それで結局曹洞宗の在家信者が修行の時に付ける御袈裟とは?
以前、【無住道曉『沙石集』の紹介(14i)】という記事を書いた時に、『沙石集』の著者である無住道曉禅師が、以下のような言葉を記しておられた。南山の云はく、俗は信じて多く施せよ。僧は節して少なく取れ、と。『沙石集』巻十末之十一それで、今回検討したいのは、この一節の出典である。南山というのは、中国南山律宗の道宣律師(596~667)のことだと思われ、そうであれば著書も多く、どこかに見つかるだろうと思うのである。なお、上記の一節の意味するところは、布施に関する苦言で、世間の人は仏教を信じて多く施すべきであり、一方で出家者は身を慎んで少なく頂戴すべきだ、ということになる。無住禅師は、これについて、「今の世は、うちかへてこそ。されば、俗の心も僧の心も、律令にも背き、仏法にも合はずこそ覚ゆれ」と答えた。そこで、先行研究では...布施の受け方に関する或る教えについて
近年は、中国成立ということで学説的にも定まった『梵網経』ではあるが、それでも、本経に依拠した東アジア全般の菩薩戒実践は尽きることはあるまい。この辺は、そもそも大乗仏教自体がゴータマ=ブッダ直説ではなく、まさに、釈迦牟尼世尊が縦横無尽に説かれた真説として把握する信仰の上に成り立っている。拙僧自身も、研究者の端くれで、大乗仏教が後代の成立であることには何ら疑いを持っていない。だが、拙僧にとって、大乗仏教こそがブッダの真説である。この辺の「アイロニカルな没入」については、中々理解はされないが、拙僧自身が良ければそれで良いのである。さて、そういう中で『梵網経』に於ける「非随犯随制的性格」について考えてみたい。そもそも、「随犯随制」とは、仏教の戒律の性格を示したもので、ゴータマ=ブッダが教団内で問題が起きる度に、新たな戒...『梵網経』に於ける非随犯随制的性格について
以前、このことを記事に書いたことがあるような気がしていたのだが、まだだったようなので、記事にしておきたい。まずは、本文をご覧いただこうと思う。大衆、常に法名と道号と混ぜぬ訣を知るべし。法名は、最初に剃度の時、受業師の安ぜる名なり。道号は、年長けて、碩徳尊宿に安ぜられ、又は自ら所存ありて、号するもあり。上古は、ただ法名のみ。道号と云うことなし。徳の高きは、わきより法名をいわず。その住所を以て称す。青原和尚・石頭和尚・臨済和尚・徳山和尚・趙州和尚の類、みな山号寺号、その所の名なり。ゆえに自分よりは称せず。趙宋より禅林に庵堂の号始まると、『叢林盛事』に見ゆ。済下に祖心を晦堂、克文を雲庵、洞下に真歇を寂庵、智鑑を足庵と号せし類なり。この庵堂の道号は自称なれども、径山・天童の主人が、庵堂と云うは、皆な謙退の号なり。それも...法名と道号の話
ちょっと面白い一節を見出したので、採り上げておきたい。受け已りて、語りて言く、「汝等、当に、仏に帰依し、法に帰依すべし」と。即ち二自帰を受く。是れ人中の二賈客の為に、最初に二自帰を受く。『五分律』巻15「第三分初受戒法上」以上である。これは、釈尊が成道された後で、まだ弟子がいない状態で受けた布施についての話しである(『四分律』巻31にも同趣旨の文章あり)。よって、「仏・法」への帰依を促しているものの、「僧」がまだ無いのである。よって、「二自帰」としている。この件について、以下の記載もある。五分律に云く、初めて仏、成道して二賈客及び女人須闍陀、并びに五比丘の為に、皆な二帰縁を受く。未だ僧の有らざるが故に〈此れ小乗の別体住持三宝の説に就くなり〉。『釈氏要覧』巻上「二帰戒」項なお、『釈氏要覧』は、先に挙げた『五分律』...三帰戒が無かった頃は二帰戒だった
本州結ぶ橋に段差、通れず山口・上関、臨時船で対応(共同通信)11月14日午後8時ごろ、山口県上関町の長島と本州側とを結ぶ唯一の陸路の上関大橋で、路面にできた段差に乗用車が衝突したと110番があったそうで、橋は通行止めとなり、復旧の見通しは立っていないそうです。上記の場所で、右上が本州、左下が長島ですね。間の上関大橋について、「臨時休業」という表記になっていますね。町は対策本部を設け、住民が往来できるよう臨時の船を出しています。橋を管理する同県によると、本州側の道路と橋桁の連結部分で、橋桁の路面が何らかの原因で上に約20センチずれたとのこと。橋は全長約220メートルで1969年に完成したもので、今回は橋脚や橋桁に船などが衝突した形跡はなく、しかも、橋を通る水道管に影響はないようなので、何でしょうかね?この記事を評...山口県の島と本州を繋ぐ橋に段差が出来て通行止めに
以前から、【冬安居に関する諸問題】や【「冬安居」に関する雑感】という記事を書いているので、その続きのような内容だ。一応、現在の曹洞宗の年分行持からすると、11月15日から「冬安居」が始まり、明年2月15日まで続く。それで、ウチの宗派の両祖は鎌倉時代の祖師方であるが、お二人とも冬安居は否定されており、年分行持という観点では、行われた形跡は無い。ただし、冬場に何らかの安居というか、坐禅の生活はなさっておられたと思われるし、また、先行する臨済宗の栄西禅師『興禅護国論』は、「冬安居」について示している。ということで、今回もいくつかの文脈を見ながら、「冬安居」を考えてみたい。それで、まぁ、道元禅師が「冬安居」について、以下のような見解を出したことは、良く知られていると思う。永平道元和尚云く、梵網経中、冬安居の文有ると雖も...「冬安居」雑考
最近読んでいた本の中に、以下の一節を見出した。天台の場合、葬送作法を学ぶ時、『浅学教導集』を参考とする。この書は江戸時代の万治三(一六六〇)年、東叡山寛永寺の光憲によって編纂されたもので、特に龕前作法の妙文と年回法則等が収められている。一方、真言でもこれに類するものがほぼ同時期(引用者註:貞享3年[1686]とのこと)に『福田殖種纂要』として残されていて、この書には「戒名」についても述べられている。多田孝正氏『お位牌はどこから来たのか』(興山舎・2008年)60頁それで、多田先生のご指摘に導かれるようにして、まずは、これらの著作について閲覧可能か探してみた。・国立国会図書館デジタルコレクション『浅学教導集』金声堂・明治41年・国文学研究資料館データベース『福田殖種纂要』貞享3年版本(巻5を欠く)上記2本について...そもそも「戒名」という用語はいつから使われたのか?(13)
余り良い記事では無いと思うし、色々な意見があると思うところだから、凄く反発を受けるかもしれない。とはいえ、何の立場とも関係ない、あくまでも拙僧個人の意見発信の場としての拙ブログであるから、好きに言わせて貰いたいと思う。今回の記事については、拙僧自身が思っていることを述べるだけなので、真偽については保証しない。用語としての「還俗(再)嗣法」だが、『曹洞宗宗制』にはもちろん載っていないことだし、おそらくは、学問的にも定義された用語ではない。近い言葉は、20年くらい前に一度、或る研究発表で使ったことがあるが、それが他の研究者に受け容れられた印象も無い。まぁ、大体はこの辺、避けて通るものだと思う。「還俗(再)嗣法」については、以下のような流れで理解されていると思う。①或る宗侶が既に嗣法を終えている。②その後、或る寺院の...「還俗(再)嗣法」の話
以前にアップした【戒量慧全禅師書写『室中法宝』写本について】の関係で、大本山永平寺60世・臥雲童龍禅師(1790~1870)に関する事跡について、中村泰心師・山内堯海師編『永平六十世臥雲童龍禅師遺稿(全)』(大正8年)を見ていたところ、8本の授戒会法語を確認出来た。ちょうど、江戸時代から明治時代へと日本が変わっていく状況で、授戒会で必要とされた思想も、どのように示されたのか、見ていきたい。今回は【(1)】に続いて2本目である。尸羅会仏界と魔界とを論ぜず、何ぞ又非情有情を分かたん、一戒光中法界を容れる、開筵し接取す尸羅場。『臥雲禅師遺稿』15丁表、訓読は拙僧内容としては、簡潔なものであるが、思想的には色々と深掘りしなくてはならないところである。まず、1・2句目は宗門で伝授される菩薩戒について、分別の生じない様子を...臥雲童龍禅師の尸羅会法語(2)
今日11月11日は「くつしたの日」らしい。詳細は、以下のサイトをご覧いただくと良いと思う。・毎年11月11日は「くつしたの日」(日本靴下協会)上記の通り、日本靴下協会が1993年に制定したもので、靴下を2足並べた時の形が1111に見えることに由来するという。それで、くつしたと聞けば、我々禅門の坊主にも、一言言いたいことがある。それは、我々がくつしたを履いてきた歴史は長いからである。なお、現在、我々が用いる「くつした」については、「襪子」と「足袋」といわれるものがある。違いは、足先の形であり、とりあえずネット上から画像を見付けてきた。これは、井筒屋さんのサイトから参照したものであるが、上が襪子、下が足袋になる。それで、とても良く似たようなものではあるが、歴史的には存在してからの長さが違っている。実は、襪子について...「くつしたの日」と禅林について
今回採り上げる文献については、【深草元政・慧明院日灯『草山要路会註』「持戒第三」の参究】という記事を書いているので、それを参照していただきたい。端的にいえば、この文献は近世の日蓮宗に於ける規範的内容を持っている。今回は、「衣食第四」という項目を参究してみたい。叙に曰く、衣は以て形を蔽ひ食は以て命を支ふ。裸餒にして安からざるには、道法焉には在ん、身安ければ道隆んなりとは、斯の謂か、与只だ須く足るを知るべし、之を蜂の花を採るに但だ其味のみを取て、色香を損せざるに譬ふ。智者大師の曰く、衣法に三有り、一には雪山大士の如き、形を深谷に潜めて人間に遊ばず草を結で席と為し、鹿皮の衣を被て温厚を須めず、形を蔽へば、即ち足ぬ、是を上士と為すなり。二には迦葉の如き、常に頭陀法を行じ、但だ糞掃の三衣を畜へて、余長を畜へず、是を中士と...深草元政・慧明院日灯『草山要路会註』「衣食第四」の参究
これは、【(1)】の続きである。瑩山清規の刻成るに衆に示す〈二首の二〉祖祖の清規猜むべからず、事に大小無く安排を絶す、江湖の滴滴朝宗の水、尽く霊源高処自り来る。『月舟和尚遺録』下巻、『曹洞宗全書』「語録二」巻・29頁下段これは、加賀大乗寺26世・月舟宗胡禅師が延宝6年(1678)に『瑩山清規』の開版事業を行った際、その完成を期して詠まれた法語である。語録には2首収録されているが、今日は2首目を紹介したい。それで、意味としては、祖師方の清規には猜んではならないとした。この「猜」は訓ずれば「そねむ」の意味であるので、折角祖師方が残してくれた清規については、そねんだり、うらやんだりするのではなくて、ただ学ぶべきことを説いたといえようか。そこで、我々が修行すべきことには、大乗・小乗という違いは無く、その配置を絶している...月舟宗胡禅師の『瑩山清規』観について(2)
とりあえず、【(1)】の続きである。江戸時代中期の学僧・隠之道顕禅師(1663~1729、卍山道白禅師の資)は、卍山禅師の道業を受け嗣いで、多くの授戒会で戒師を務めたことで知られるが、その語録が何故か『曹洞宗全書』に入っていないこともあり、その思想の研究は限定的である(拙僧が実世界で書いた論文などはある)。それで、縁があったので拙僧も色々と調べているのだが、その語録には「諸戒子に示す」という偈頌が4首収録されているので、一つ一つ見ておきたい。仏祖親しく伝ふ心地の戒、無辺の功徳実に難思、寒温動静慚愧を知て、十二時中能く護持せよ。「諸戒子に示す〈四首の二〉」、『瑞光隠之和尚語録』巻11・42丁表、訓読は拙僧非常に分かりやすい偈頌であり、更に、これは受者の護持の仕方について論じていることが分かる。まず、仏祖が親しく伝...隠之道顕禅師「諸戒子に示す」偈参究(2)
備忘録的な記事である。最近、「大戒」という言葉の意味について色々と考えていたのだが、肝心の道元禅師自身のことも書いておかなければならないと思い、記事にする次第である。拝して後、一両歩進み合掌問訊〈問訊は深かるべし〉して云く、「生死事大、無常迅速、伏して望むらくは和尚、大慈大悲、哀愍して仏祖の大戒を稟受することを聴許したまえ」。『仏祖正伝菩薩戒作法』「戒師請拝」まず、これが最も最初に示されたものだといえよう。『仏祖正伝菩薩戒作法』が、中国天童山で、如浄禅師から教わったものという仮定の上での話だが、ここで、「仏祖の大戒」という表現が見える。この場合の「大戒」の定義は分からないが、どちらにしても、「偉大なる戒」や「大乗戒」という意味が想定されよう。・夫れ諸仏の大戒は、諸仏の護持したもう所なり。仏仏の相授有り、祖祖の相...道元禅師に於ける「大戒」の表記について
色々と江戸時代の禅戒関係の文献を読んでいて、どうも、当時宗門には、「禅戒」という用語を推進する立場の人達と、それを批判する人達がいた印象がある。この辺、機会があれば、しっかりとした論文を書いてみたいと思うし、もしかしたら既に先行研究があるかもしれないが、まずは拙僧自身がまとめないとならないので、今日は以下の一節を学んでみたい。我が永平祖師の出家、初めて円頓戒を叡岳に受け、衣を更むの後、禅門戒を建仁の明全に受く。貞応中に入宋し、天童浄祖に見え、其の宗を面授し、復た仏祖正伝禅門大戒を受く。面山瑞方禅師『仏祖正伝大戒訣』「序」、『曹洞宗全書』「禅戒」巻・87頁下段、訓読は拙僧ここで、面山禅師の見解を見てみると、戒について名称を変えていることが分かる。それが、天台宗の「円頓戒」、そして臨済宗の「禅門戒」、そして宗門(曹...面山瑞方禅師の「禅門戒」と「大戒」について
とりあえず、以下の一節を見ておきたい。この戒は、今比の律僧等の解し様は、吾が勝手のよき様に注すれども、伝教大師・慈覚大師の円頓戒の趣きは、解し様格別なり、仏祖正伝の大戒は、円頓と同戒ゆへに、二大師の義を用取て解してよし。面山瑞方禅師『若州永福和尚説戒』巻坤「第六不説過戒」項江戸時代の曹洞宗では、宗門の戒(呼び方は、禅戒・大戒など)について、天台宗の円頓戒と同定させようとする流れがあり、上記一節などもその流れにある説戒だと理解すべきなのだろう。ところで、拙僧的に良く分からないのは、ここで面山禅師が指摘する「伝教大師・慈覚大師の円頓戒の趣き」についてである。これは、面山禅師の在世時ということも勘案すると、伝教大師最澄については『一心金剛戒体秘訣』辺りを典拠にしているのだろうか(なお、現代的な研究では、本書などは最澄...曹洞宗の仏祖正伝大戒と円頓戒について
備忘録的な記事である。とりあえず、以下の一節を見ていただきたい。受戒に戸を叩く事、九拝の事、後特に教授に対し拝する事。『御遺言記録』「受戒に戸を叩く」の意味は不明。ただし、現在の曹洞宗が行う授戒作法は、本堂に道場を作る場合が多いから、尚更に「戸を叩く」という行為は無い。しかし、道元禅師が本師・天童如浄禅師から受けた『仏祖正伝菩薩戒作法』であれば、当時の天童山の「寝堂(住持の拠室)」で行われたというので、もしかしたら、戸を叩いて室に入るという行為があったのかもしれないが、続く「九拝」のことを思うと、もしかすると、「戒師請拝」のことであるかもしれない。要するに、戒師(本師)に受戒を請する時に、部屋への入り方、或いは、受戒を願い出る場合の礼拝を指している可能性がある。そして、「特に教授に対し拝する事」とあるのは、戒師...『御遺言記録』に見る教授師の話
とりあえず、今日、何故道元禅師の『正法眼蔵』「道得」巻を学んでみるかというと、以下の一節があるためである。同三年壬寅十一月二日、書写之。懐奘。『正法眼蔵』「道得」巻奥書要するに、同年10月5日に書き著されていた同巻について、懐奘禅師が11月2日に書写された、という話なのである。よって、今日は懐奘禅師の道業を讃歎しつつ、本巻を学んでみたい。>しかあれば、十年五載の在叢林、しばしば霜華を経歴するに、一生不離叢林の功夫辨道をおもふに、坐断せし兀坐は、いくばくの道得なり。不離叢林の経行坐臥、そこばくの無人喚作你唖漢なるべし。一生は所従来をしらずといへども、不離叢林ならしむれば不離叢林なり。一生と叢林の、いかなる通霄路かある。ただ兀坐を辨肯すべし、不道をいふことなかれ。不道は道得の頭正尾正なり。「道得」巻頭正尾正なり」と...11月2日『正法眼蔵』「道得」巻を学んでみる
旧暦であれば10月1日に該当するが、今は11月1日に行われるのが「開炉」である。この場合の「炉」というのは、今風にいえばストーブのことであり、僧堂など主要伽藍にストーブが置かれ、開始されるようになるのが、「開炉」である。古来から、「開炉」という行い自体が禅に於ける師資の投機の機縁となり、様々に問答された。開爐の上堂。大衆を召して円相を打して云く、箇の是れ天童の火炉。近前すれば則ち焼殺し、退後すれば則ち凍殺す。忽ちに箇の漢有りて、出で来たって道合す、作麼生。㘞、火炉の動なり。『如浄禅師語録』巻下これは、道元禅師の本師、天童如浄禅師(1162~1227)の語録から引用したものである。残念ながら上堂の時期は分かっていない。ただし、天童山で行われたものであり、おそらくは道元禅師ご自身も聞かれたものであると思われる。内容...11月1日開炉の日(令和2年度版)
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目に見えて分野として、スピリチュアル×心理学を使って、健康になって幸せを目指せます。
成功への極意を伝えます。たったひとつの考動力で0〜無限を生み出す秘密を伝授し 人生が好循環に回り、自分軸であなたがあなたらしく生きていけます。
ここでは、「妖精」「妖精の森」「おとぎの國」についてのイメージを、共有し合います。どこかで見た絵夲やファンタジー小説、夢に出てきた世界など、何でも。 また、リアルに妖精の森のような未來を望む書き込みも大歓迎です。 但し、旧スピ的発想や、宗教の勧誘、政党政治の推進、メディアを鵜呑みにしたり恐怖を煽るような書き込みは、すべて却下します。
アフリカ出身の夫と国際結婚し、その生活の中で体験したり学んだり考えたりしています
「純粋な」哲学の話題であれば、何でもどうぞ。 宗教、スピリチュアル、ポエム、政治、社会問題は却下です。 科学哲学は認めます。 なお、オープンな議論を促進するため、コメント機能を有効にすることが望ましいです。
スピリチュアルに触れながらも、それに傾倒しない哲学・思想などを語ってください。 直接的なスピリチュアル批判の場合は、なるべく理性的にお願いします。 スピリチュアル的な考え方は好きだけどハマり過ぎるのは考えもの、という緩い準アンチの方も考えをお聞かせください。 スピリチュアルの構造の客観的な分析なども歓迎です。 みんなの理性を結集してスピリチュアルに対抗しましょう。 なお、オープンな議論を促すためにコメント機能を開放することが望ましいです。
自分を変えようとして苦しんでいる人は多くいます。実は自分を変えようとしていることが間違いなんです。そもそもそのそのままの自分で幸せに暮らすことができます。それができるならみんなそのままの自分で暮らしたいと思っていると思います。そんなそのままの自分で幸せに暮らすためのヒントを発信します。
「奇跡」を司るのが「神」 時間・空間・物質に「奇跡」が起きた。 生命は「奇跡」の連続 「大いなる意思」は「神の愛」 人間は皆、「神の子」です。