聖書に基づくイエス様の救いの証をお語り下さい。短くても結構です。
7月2日 銀座のセイコーミュージアムへ行った。
6月に観た舞台①/新国立劇場バレエ団「不思議の国のアリス」
7月1日 (水増し日記)シンギュラリティとディストピアリスク。(AI問答)
6月30日 大善のために小悪を意識して受け入れることの危険性について。コーヒーフレッシュ是非から考える。
6月29日 ”不可視で名付けることのできない高み”(昨日の日記)に対する、いつもの(笑)AIさんの感想貼り付け(水増し日記)
6月28日 荒俣さんの覚悟。(AI感想付き)
6月27日 永遠と芸術。(AI批評読み解き)
6月26日 続々AI依存考(こんどはChatGPTさん)。
6月25日 引き続きAI依存考。(まずはGeminiさん)
6月24日 Ai対話への依存リスクについて考える(AI回答付き)。
6月23日 宗教考。(AI批評付き)
6月22日 現在こそがすべて。
6月21日 シンママ考。
6月20日 私の昼食事情。
6月19日 幻想が欲望の支えである。(AI感想付き)
山から落ちるということ
スピリチュアルと体外離脱
体脱で教わった意識の訓練。次元移動編【3話】
体脱で教わった意識の訓練。次元移動編【2話】
夢の中で体外離脱【体外離脱編】4話
体脱で教わった意識の訓練。次元移動編【1話】
体脱で教わった意識の訓練。ワープ編【最終話】
体脱で教わった意識の訓練。ワープ編【11話】
体脱で教わった意識の訓練。ワープ編【10話】
体脱で教わった意識の訓練。ワープ編【9話】
体脱で教わった意識の訓練。ワープ編【8話】
体脱で教わった意識の訓練。ワープ編【7話】
体脱で教わった意識の訓練。ワープ編【6話】
体脱で教わった意識の訓練。ワープ編【5話】
体脱で教わった意識の訓練。ワープ編【4話】
前回から始まったこの連載であるが、実は今回もまだ本文には入らない。今回は、平田篤胤先生(1776~1843)の『出定笑語』について解題等を行おうと思っているのである。まず、この連載で拙僧が見ようと思っているテキストについては、この記事の下段に挙げてある通りなのだが、江戸時代末期の版本には朝臣資政による「序」が見え、本書の成立の一端が理解出来る。百不足出羽国の御民に篤胤翁無比重太健雄々しき大倭魂を振起して、宗とある書ども著られけるいとまのひまに、諸人の解得やすく俗語もてものせられたるこの書、もと此大坂に御宇の年号を延享と申しころ、富長仲基といひし人出定後語といへるふみ書て、仏道明らかに論ひたるを本居翁うちみて、諾よくも論ひ定めたり、彼道の学問に長たる欲しだにえやはかくものすべきと讃歎おかれたるを、ゆかしみなつかし...『出定笑語』とは?!(拝啓平田篤胤先生1)
連載は14回目となる。『養老律令』に収録されている『僧尼令』の本文を見ているが、『僧尼令』は全27条あって、1条ごとに見ていくこととした。まずは、訓読文を挙げて、その後に拙僧なりの解説を付してみたい。なお、『令義解』の江戸期版本(塙保己一校訂本・寛政12年[1800]刊行、全10巻で『僧尼令』は巻2に所収)も合わせて見ていきたい。凡そ僧綱に任ずることは〈謂わく、律師以上〉、必ず徳行ありて、能く徒衆を伏し、道俗欽み仰ぎて、法務に綱維たらん者を用いるべし。挙す所の徒衆、皆連署して官に牒せよ。若し阿党朋扇して、浪りに無徳の者を挙すること有れば、百日苦使。一任の以後、輙く換えることを得ざれ。若し過罰有らん、及び老い病して任えざるは、即ち上法に依りて簡び換えよ。『日本思想大系3』220頁を参照して、訓読は拙僧まず、本条で...第十四条・任僧綱条(『僧尼令』を学ぶ・14)
江戸時代の洞門が輩出した学僧・指月慧印禅師の主著である『荒田随筆』を学ぶ連載記事であるが、今は「戒定慧」という一章を学んでいる。早速、本文を見ておきたい。良に以れば、一菩提の道、本より三学の徳用を存す。其存することなり。器物の処分有て三ところに就が如くに非ず。皆互に兼て相成すなり。謹慎守奉の道、物を軌律に入て、根境に淫佚せず、毫厘差こと無し、背触共に亡じて、吾が道を光華するは、戒徳の寧馨せるなり。流変を割断して、淵源を廓清し、心意識に堕せず、去住共に分を絶し、吾が道を平定するは、定徳の寂請なるなり。邪正に偏らず、万差を照徹し、知不知に属せず、凡聖の路廓然として、吾が道を賛亮するは、慧徳の通知せるなり。而して、戒に種品有り。一に是れ不犯の律度なり。定慧皆な在り。定に幾許有り。一に是の心身絶待、無住の一行なり。戒慧...戒定慧(其の七)(指月慧印禅師『荒田随筆』参究24)
今日2月25日は天神・菅原道真公(845~903)の忌日である。拙ブログでは、天神を崇敬していることもあり、毎年この日には、追悼と顕彰のための記事をアップすることにしている。それで、今年は拙僧の手元にある『天神経絵入講釈』(錦森堂・慶応3年序版)に入っている『大威徳天神感応経』について見ていくか、それとも塙保己一『群書類従』巻19(左は国立国会図書館デジタルコレクションのアドレス、357コマ以降が該当)に入っているのを見付けた『菅神入宋授衣記』にしようか迷ったのだが、拙僧も関わる禅宗に係るため、後者にした。菅神入宋授衣記天満天神、径山伝授の僧伽黎を以て、西都霊岩神護山光明蔵神寺に安置するの流記。慧日山東福寺第一世の聖一国師〈師の歳三十四〉、大宋国に入りて、径山仏鑑禅師に見えて、親しく巾瓶に侍す。是れ則ち日本四条...今日は天神忌(令和3年度版)
ドイツ宗教改革の発端にもなったとされるマルティン・ルターの『九十五箇条の提題』の日本語訳を学んでいく連載記事である。連載19回目である。19たとえ私たちが強く救いを確信しているとしても、煉獄にある魂が自らの救いについて確信し、また安心しているなどということは証明されていない。少なくとも〔そこに置かれている〕すべての魂がそのように確信しているということは証明などできない。深井氏下掲同著・18頁既に【連載17回目】でも述べた通り、煉獄という場所は死者の小罪のある霊魂や罪の償いを果たさなかった霊魂が、天国に入る前に現世で犯した罪に応じた罰を受け、清められる場所とされるのだが、この魂に対して、現世で行う祈りなどが届くと考えられていた。ところが、ルターは、現世の我々がどれほど救えていると思っても、実際に煉獄にある魂がその...マルティン・ルター『九十五箇条の提題』を学ぶ・19
2月22日は「猫の日」である。理由は、「222」と並ぶので、「ニャンニャンニャン」から来た模様。日本お得意の語呂合わせである。それで、ちょっと今日は、猫に因むお話を見ておきたい。草堂、晦堂に侍立す。晦堂、風幡話を挙して草堂に問う。堂云く、逈かに入る処無し。晦堂云く、汝、世間の猫の鼠を捕らうるを見るや。双目瞪視して而も瞬かず。四足、地に踞して而も動かず。六根順向して首尾一直す。然る後に挙すれば中らざること無し。誠に能く心に異縁無く。意、妄想を絶す。六窓寂静にして端坐し黙究して、万に一を失せざるなり。『大慧普覚禅師宗門武庫』これは、中国臨済宗楊岐派の大慧宗杲禅師(1089~1163)の著作に出ている話である。それで、黄竜慧南禅師の法嗣・晦堂祖心禅師(1025~1100)と、その法嗣である草堂善清禅師による問答である...今日は猫の日(令和3年度版)
江戸時代初期の洞門学僧・独菴玄光禅師(1630~98)の著作を見ていると、戒定慧の三学について教えがあった。所以に釈氏の訓、三学必ず兼務す。戒学、身口の悪を防止し、定学、心一にして散ぜず、見性悟道す。慧学、法義を分別し、修道の嶮難通塞を知る。戒に非ざれば以て定の生ずること無し、定に非ざれば以て慧の生ずること無し、慧に非ざれば以て戒定の成ること無し。猶お嶮路を経過する者の、目足有ると雖も、導師無ければ、則ち達すること能わざるが如し。戒、譬えば足の如し。定、譬えば目の如し。慧、譬えば導師の如し。所以に三学相い資くるは、猶お鼎の三足の如し。一が欠ければ則ち三皆な立つこと能わず。或いは但だ定、其の功用を得て、戒慧を蔑する者有り。独菴玄光禅師『俗談(上)』、『曹全』「語録一」巻・643~644頁まず、この一連の話自体、同...独菴玄光禅師の三学観
ちょっと気になったので記事にしてみたい。実は、拙僧はこの両方の語句を混同して用いていた。考えてみれば、どちらが「正しい」といったような確認を怠っていたことに気付いた。そこで、今日はその辺を考えてみたい。まず、この語句については中国禅宗六祖慧能禅師(638~713)に由来すると思われる。韶州刺史韋拠請し、大梵寺に於いて妙法輪を転じ、并びに無相心地戒を受く。門人紀録し目けて壇経と為し、盛んに世に行わる。『景徳伝灯録』巻5「曹渓慧能禅師章」ここに、「無相心地戒」という表現が見えており、一方で、「心地無相戒」は無い。よって、古い表現は「無相心地戒」であったことが分かる。しかし、一般的に見られる『六祖壇経』を確認すると、慧能禅師は先に挙げた用語は勿論のこと、「心地戒」「無相戒」ともども用いていない。慧能禅師の言葉としては...心地無相戒?無相心地戒?
以前にアップした【戒量慧全禅師書写『室中法宝』写本について】の関係で、大本山永平寺60世・臥雲童龍禅師(1790~1870)に関する事跡について、中村泰心師・山内堯海師編『永平六十世臥雲童龍禅師遺稿(全)』(大正8年)を見ていたところ、8本の授戒会法語を確認出来た。ちょうど、江戸時代から明治時代へと日本が変わっていく状況で、授戒会で必要とされた思想も、どのように示されたのか、見ていきたい。今回は【(2)】に続いて、3本目である。同(尸羅会)曠然の戒界涯畛無し、凡聖都廬入り得ること親しし。入り得ること既に親しし誰か又た怪しまん、任持すれば総て任持人有り。『臥雲禅師遺稿』15丁表、訓読は拙僧これは、思想的には非常に興味深い法語である。まず、全体の大意を採っておきたいが、広々とした戒界(授戒道場)には際が無く、凡人も...臥雲童龍禅師の尸羅会法語(3)
『傘松日記』という文献については【『傘松日記』―つらつら日暮らしWiki】などをご覧いただければ良いと思う。そこで、早速に本文を見ておきたい。又、余に嘱して云く、師、常に菩薩戒臘を以て如説、座下の龍象に指示すべし。『傘松日記』、『続曹洞宗全書』「法語」巻・456頁上段、訓読は拙僧さて、以上の一節であるが、ちょっと分かりにくいところもあるとは思いつつ申し上げると、永平寺40世・大虚喝玄禅師が、面山瑞方禅師(=余)に対して、教誨した一節である。そこで、何をいっているかというと、何か指示するときには、「菩薩戒臘」でもって話をすべきだということになる。これが何を意味しているかというと、日本はかなりの期間、菩薩戒臘でもって、僧堂内に於ける僧侶の順番なども決めていた。それこそ、道元禅師や瑩山禅師もそうで、徳に瑩山禅師の場合...面山瑞方禅師『傘松日記』に見える禅戒思想(4)
【イラストレーターの天野喜孝氏が法華経画を描いたとのこと】という記事でを書いていて知ったのだが、今日2月16日は日蓮宗の宗祖降誕会らしい。つまり、日蓮聖人(1222~82)がお生まれになった日、ということになるのだが、今更に【天魔の禅僧】である拙僧から祝意を申し上げても喜ばないだろうから、記事を書いて拙僧なりに鑽仰しておきたい。北尾日大上人『日蓮宗法要式』(平樂寺書店・大正10年)には、年中行事として「宗祖降誕会(二月十六日)」の項目が見える。まず、式次(我々でいうところの差定)は以下の通りである。・三宝礼・香花供養・奉請・讃歎・十礼拝・祖訓(顕仏未来記)・読経(方便品〈十如〉・宝塔品・涌出品・寿量品・神力品)・祖訓(観心本尊抄)・宝塔偈・回向・四誓・三帰※式後・講演『日蓮宗法要式』63頁まずは項目名のみだが、...今日は日蓮宗の宗祖降誕会らしい
本日2月15日は釈尊涅槃会である。二月十五日の上堂。今、我が本師、釈迦牟尼大和尚、鳩尸那城跋提河沙羅林にて般涅槃す。『永平広録』巻2-146上堂このように、道元禅師も上堂演法されている。なお、道元禅師が大仏寺に開単されたのは寛元3年4月の夏安居からであるが、上掲の一節は、その翌年、寛元4年(1246)2月15日に行われたと推定されている。面白いのは、道元禅師が「今、釈尊が般涅槃す」と仰っていることである。普通なら、『正法眼蔵』「仏性」巻で、『大般涅槃経』から「一切衆生悉有仏性」を引きつつ、それを「参学しきたること、すでに二千一百九十年〈当日本仁治二年辛丑歳〉」と書いてある通りで、もちろん道元禅師は釈尊が、その当時から2190年ほど前に入滅したことをご存じである。しかし、それでも、以下のように示される。何ぞ啻だ釈...今日は釈尊涅槃会(令和3年度版)
何となく、白隠慧鶴禅師『槐安国語』を見ていたところ、冒頭に近いところに見えた、或る一節が気になった。その箇所は、白隠禅師が著語した『大灯国師語録』の一節である。爾の時、迦葉、諸比丘に告ぐ、「仏、已に荼昆す。金剛舎利、我等の事に非ず。我等、宜しく当に正法を結集して断絶せしむること無かるべし」。『大灯国師語録』「大徳寺語録」、訓読は拙僧上記一節の意を採れば、要するに釈尊が入般涅槃され、摩訶迦葉尊者が拘尸那竭羅に到着し、釈尊のご遺体を火葬にして舎利になった状態に於いて発せられたものだといえる。意義としては、既に荼毘に付したが、その後に発現した金剛舎利については、我等(僧衆)が関わることではない。よって、我等としてはまさに正法を結集して、釈尊の教えが断絶しないようにしよう、ということになる。つまりは、火葬までは認めるも...大灯国師の語録に見る葬儀無用論
明後日に迫った釈尊涅槃会を前に、『仏垂般涅槃略説教誡経』を学んでいく短期連載記事だったのだが、今日で終わりとなる。というか、もう涅槃会は明後日なのか・・・明日は明日で釈尊の涅槃に関する別の記事を用意しているので、とりあえず『遺教経』を学ぶのは今日までにしておきたい。そうなると、やはり同経の末尾が気になるところだ。仏言く、汝等比丘、常に当に一心に出道を勤求すべし。一切世間の動・不動の法、皆な是れ敗壊不安の相なり。汝等且く止みね、復た語いうことを得ること勿れ。時、将に過ぎなんと欲す、我れ滅度せんと欲す。是れ我が最後の教誨する所なり。『仏垂般涅槃略説教誡経』「七、離種種自性清浄無我分」、訓読は拙僧こちらの言葉の意味については、既に【「建長五年正月六日書于永平寺」について】などで採り上げているので、合わせてご覧いただき...『仏垂般涅槃略説教誡経』を学ぶ(令和3年度・8)
2月15日の釈尊涅槃会まで、とりあえず『仏垂般涅槃略説教誡経』について、色々と考えてみようというこのブログ。それで、ウチの宗派であれば道元禅師が最晩年の著作である『正法眼蔵』「八大人覚」巻に、本経から引用されたことは良く知られているわけだが、他の引用例はあるのだろうか?鏡島元隆先生の『道元禅師の引用経典・語録の研究』(木耳社・昭和40年)を見てみると、先に挙げた「八大人覚」巻と、もう1箇所の指摘があった。見ずや、世尊言わく、「汝等比丘、已に能く戒に住して、当に五根を制し、放逸にして五欲に入ることを勿らしむべし。譬えば牧牛の人の、杖を執りて之を視、縦逸して人の苗稼を犯さしめざるが如し。若し、五根を縦にすれば、唯だ、五欲に将に涯畔無くして、制すべからざるのみに非ざるなり」。然らば則ち仏祖の児孫、声色・名利の邪路に向...『仏垂般涅槃略説教誡経』を学ぶ(令和3年度・7)
今日2月11日は、「建国記念の日」である。この日は明治時代に「紀元節」として決められた。その経緯などについては、【今日は建国記念の日(平成31年度版)】で十分に書いておいたので、そちらをご覧いただければ良いと思う。それで、明治時代、当時の政府は政府が行う宗教的な行事について、仏教各教団に半ば強制的に追随を要求しており、紀元節についても当然に実施を求めたようである。そのため、我々曹洞宗でも、次のような行持を行った。二月十一日紀元節祝聖諷経○朝課の前に祝聖諷経、例月の一日と同じ。「年分行持」、『洞上行持軌範』巻中・7丁裏、カナをかなにするなど見易く改めた曹洞宗に於ける「祝聖諷経」について、詳細は後述するけれども、現代は「祝祷諷経」と名称、内容ともに変更して行われている。「聖」とは天皇や皇帝を意味しており、「祝」とは...今日は「建国記念の日」(令和3年度版)
2月15日の釈尊涅槃会まで、『仏垂般涅槃略説教誡経(遺教経)』を学んでおこうという拙ブログなのだが、そういえば、同経について気になる点があった。それは、この経典の末尾についてである。例えば、『長阿含経』に収録される「遊行経」を見てみると、「是の故に、比丘よ、無為放逸を為すこと無かれ。我れ以て放逸せざるが故に、自ら正覚に致る。無量の衆善も、亦た放逸せざるが由に得ん。一切の万物、常存するもの無し。此れは是れ、如来末後の説く所なり」とあって、世尊末後の説法が終わり、その後は、入定して、最後に入般涅槃する様子へと続く。しかも、「遊行経」の場合はそこでは終わらずに、火葬にして供養し、舎利(遺骨)を納めるために造塔(卒塔婆を建てるということだが、要するに我々からすれば墓を建てることだ)する話なども続いていくのである。しかし...『仏垂般涅槃略説教誡経』を学ぶ(令和3年度・6)
拙僧的に不思議なのは、何故、釈尊の最期の場面を語る経典が、複数作られたのか?ということである。いわゆる「涅槃部」経典もそうだが、他にも『長阿含経』には「遊行經」があって、これが釈尊の涅槃を示す内容だというのは、良く知られていると思う。また、阿含部の『大般涅槃経』もある。そして、この2つですら、既に内容の一部は相違している。更に、大乗『大般涅槃経』は、それらの釈尊の涅槃を示す経典を用いて、大乗仏教の諸思想を織り交ぜたものだ。まぁ、この大乗の同経典が作られた理由は、本文を見れば一目瞭然なので良いのだが、問題は『仏垂般涅槃略説教誡経(遺教経)』である。現存する同経は鳩摩羅什訳で、天親菩薩造『遺教経論』は真諦訳である。まぁ、『出三蔵記集』巻1でも、普通に羅什訳として扱っているし、内容に特段異論があるわけではない。いや、...『仏垂般涅槃略説教誡経』を学ぶ(令和3年度・5)
さて、今月は15日に釈尊涅槃会を迎えるので、それまでは涅槃部経典になる『仏垂般涅槃略説教誡経』を読んでみたいと思っている。ところで、以前から指摘しているように、本書は中国の禅宗で「仏祖三経」に数えられている。そもそも、「仏祖三経」は誰が編集したのか不明とされるので、ここに入った経緯も分からないのだが、後代には以下のような意見が出された。禅家にいわゆる仏祖三経の有るは、叢林中に伝習すること、已に久しし。大都、高遠・広博の譚無し。皆な日用・切近の誨にして、浮情を防ぎ邪業を誡むるを過ぎず、軌の正道を以てす。是れ学仏の初門、而も廸蒙の宝訓なり。凡そ僧と為る者は、知らずんばあるべからず。永覚元賢禅師「仏祖三経指南序」、『永覚和尚広録』巻14所収、訓読は拙僧これは、中国明代の洞門僧・永覚元賢禅師(1578~1657)が、そ...『仏垂般涅槃略説教誡経』を学ぶ(令和3年度・4)
今月は、我々にとって涅槃月である。15日の釈尊涅槃会を前に、涅槃部経典の一である『仏垂般涅槃略説教誡経』を見ておきたい。ところで、この辺、少しく雑談的に語っておきたい。日本も近代を迎えてから東南アジア諸国との交流なども起きた関係で、いわゆる上座部仏教が直接に知られるようになった。そして、彼らの用いるパーリ仏典を日本に持ち込み、研究も進んだわけである(まぁ、その前にヨーロッパに持ち込まれ、英訳・独訳されていた仏典の影響を受けたという話もあるようだが)。その成果が、いわゆる『南伝大蔵経』(1941年完成)であるとか、中村元先生や増谷文雄先生などによる一連の現代語訳本の訳出などになるのだろうけど、この南方系の経典の関係で、釈尊の「遺言」に関する話も大分変わった。おそらく、江戸時代までは『妙法蓮華経』「如来寿量品」であ...『仏垂般涅槃略説教誡経』を学ぶ(令和3年度・3)
今は2月。釈尊涅槃会がある関係で、拙ブログでは毎年、『仏垂般涅槃略説教誡経(遺教経)』を学ぶことにしている。ところで、2月の和名は「如月(きさらぎ)」ではあるが、これについて、以下のような指摘がある。二月和名衣更着といふ、〔奥義抄〕此月余寒はげしくて、さらにきぬをきれば、きぬさらぎといふを略せり。三田村鳶魚編『江戸年中行事』中公文庫・昭和56年、35頁まぁ、2月は冬である。寒いわけである。よって、重ね着をすることを、「衣更着」といいそのまま「如月」という月名を読んだようである。さて、それでは『遺教経』の本文を見ておきたい。言い忘れたが、実は拙僧の手元には寛文8年(1668)版の『和解遺教経私鈔(上下巻)(以下、『私鈔』と略記)』がある(ただし、柳枝軒版で、版のかすれ具合からは後刷だろう)。今回からは、それも参考...『仏垂般涅槃略説教誡経』を学ぶ(令和3年度・2)
さて、2月といえば釈尊涅槃会である。仏教の開祖である釈迦牟尼仏が御入滅された日付について、曹洞宗では2月15日とされている。そのため、2月には涅槃会に備えて、以下のような行持を勤めることとなっている。二月一日晩課読遺教経○今日より十四日まで毎晩遺教経を読誦す。殿鐘上殿、住持入堂、上香普同三拝、着座。維那、挙経す〈挙経は必ず仏垂般涅槃略説教誡経と挙するを法とす〉遺教了て舎利礼文を挙す。大衆、同誦三返。次に普回向、三拝、散堂。通常の晩課を略す。「年分行持」、『洞上行持軌範』巻中・6丁裏、カナをかなにし句読点を付すなど見易く改める以上の通り、2月15日の涅槃会正当まで、毎日の晩課諷経の時に、「読遺教経」の行持を行うことが定められたのである。そもそも、晩課諷経というのは、洞門に於いて自由度の高い行持であり、一応近代以降...『仏垂般涅槃略説教誡経』を学ぶ(令和3年度・1)
75巻本『正法眼蔵』の最古の註釈である『正法眼蔵聞書抄』を見ていると、「戒定慧の三学」についての指摘があることを気付いた。採り上げてみたい。凡仏道に戒定慧三学あり。戒は業道を滅すれども、凡(煩の誤記)悩を不断也。但仏戒と云時こそ無残所道理なれ、ゆへに菩薩戒・仏戒尤可心得也。定は凡悩を断ず。又、定多慧少あるべし。慧多定小あるべし。定はさき慧は後といふことあり。今の定慧等学明見仏性のいはれは、これらにひとしからざる也。『正法眼蔵聞書抄』「仏性」篇、読み易く表現を改めた(以下、同じ)ここで注目したいのは、戒・定の二学と「煩悩」との関係についてである。戒は業道を滅するが、煩悩を断ずることは無いとされている。一方で、禅定は煩悩を断ずるという。つまり、持戒だけでは煩悩は滅することは出来ず、禅定によって自らを変える必要がある...『正法眼蔵聞書抄』に見る「三学」論
今日は立春である。【節分の拙文(令和3年度)】の記事の通りで、今年は例年よりも1日早まって2月3日が該当する。なお、立春の行持については、【立春貼符】を参照されたい。この記事では例年通り、これまでの禅僧が詠まれた「立春」の偈頌を参究してみたい。正月十二日立春に雪に値う刹那誰か覚えん刹那の新たなるを、新暦既に開き更に春を畳む。三世の正偏繋縛を離れ、十方の形容機輪を転ず。吉祥天女大歓喜、堅牢の地神最も悦誾す。箇の光明蔵裡に瑞を呈し、今朝の皇洛雪銀を敷く。『永福面山和尚広録』巻12、『曹全』「語録三」巻・499頁上段、訓読は拙僧上記の一偈は、江戸時代の洞門学僧・面山瑞方禅師(1683~1769)が、正月12日に到来した立春の日に、雪が降ったことを示したものである。なお、内容からは京都にいた頃であり、おそらくは晩年に近...今日は立春(令和3年度)
今日は節分なのだが、日付が例年と比べて1日早い。でも、そういえば、子供の頃、2月3日では無い日に節分をしたような記憶があると思ったら、1984年だったらしいが、その時は4日だった。一方で、2月2日になるのは1897年以来とのこと。まだ、明治時代だったようだ。それで、何故今日になるのか?という説明について、意外と面倒くさかったので、以下のサイトを紹介しておきたい。・今年の節分が2月2日なのは2000年に原因が!?…“子午線のまち”明石・天文科学館の館長が徹底解説(まいどなニュース)ご覧いただければ分かるが、要するに2000年という閏年がかなり珍しかったので、今年が2月2日になったということらしいのだが、簡単に説明することが難しいことが分かったので、とりあえず記事に入っていきたい。それで、曹洞宗における節分の意味な...節分の拙文(令和3年度)
拙ブログも、開設して今日で16周年となりました。まずは、ご来訪いただいている皆さまに心から感謝申し上げます。拙ブログを始めた契機は、それまで10年間お世話になっていた場所から転居したことや、当時教えに行っていた高校の授業で話せなかったことを補完するつもりだったりとか、その年の4月から2014年3月末まで勤めた研究所に入る予定でしたので、心機一転して続けてみよう等々の動機があって始めたのでした。この1年ですが、現在地へと移転・転職した7年目を、無事に終えつつあるという状況ですが、採点や論文の締め切り等、バタバタしております。ブログについては、明らかにその時々の多忙さが反映されて、ヘタレな記事ばっかりで恐縮ですし、もう、仏教系・宗教系の記事は無理して毎日アップしない、という方針にしていますので、一部の読者の方々には...皆さまに感謝・拙ブログ開設16周年
聖書に基づくイエス様の救いの証をお語り下さい。短くても結構です。
手相占いについてのテーマを作りました♪ お気軽にご参加ください!
目に見えて分野として、スピリチュアル×心理学を使って、健康になって幸せを目指せます。
成功への極意を伝えます。たったひとつの考動力で0〜無限を生み出す秘密を伝授し 人生が好循環に回り、自分軸であなたがあなたらしく生きていけます。
ここでは、「妖精」「妖精の森」「おとぎの國」についてのイメージを、共有し合います。どこかで見た絵夲やファンタジー小説、夢に出てきた世界など、何でも。 また、リアルに妖精の森のような未來を望む書き込みも大歓迎です。 但し、旧スピ的発想や、宗教の勧誘、政党政治の推進、メディアを鵜呑みにしたり恐怖を煽るような書き込みは、すべて却下します。
アフリカ出身の夫と国際結婚し、その生活の中で体験したり学んだり考えたりしています
「純粋な」哲学の話題であれば、何でもどうぞ。 宗教、スピリチュアル、ポエム、政治、社会問題は却下です。 科学哲学は認めます。 なお、オープンな議論を促進するため、コメント機能を有効にすることが望ましいです。
スピリチュアルに触れながらも、それに傾倒しない哲学・思想などを語ってください。 直接的なスピリチュアル批判の場合は、なるべく理性的にお願いします。 スピリチュアル的な考え方は好きだけどハマり過ぎるのは考えもの、という緩い準アンチの方も考えをお聞かせください。 スピリチュアルの構造の客観的な分析なども歓迎です。 みんなの理性を結集してスピリチュアルに対抗しましょう。 なお、オープンな議論を促すためにコメント機能を開放することが望ましいです。
自分を変えようとして苦しんでいる人は多くいます。実は自分を変えようとしていることが間違いなんです。そもそもそのそのままの自分で幸せに暮らすことができます。それができるならみんなそのままの自分で暮らしたいと思っていると思います。そんなそのままの自分で幸せに暮らすためのヒントを発信します。
「奇跡」を司るのが「神」 時間・空間・物質に「奇跡」が起きた。 生命は「奇跡」の連続 「大いなる意思」は「神の愛」 人間は皆、「神の子」です。