聖書に基づくイエス様の救いの証をお語り下さい。短くても結構です。
神様からのメッセージ!加賀國三社巡り@白山比咩神社 後編
神様からのメッセージ!加賀國三社巡り@白山比咩神社 後編
星読み!風の時代を心地よく生きるために!
邪気を払い、心身をリセット。塩の浄化入浴で、スピリチュアルな癒しを体感しよう!前編
邪気を払い、心身をリセット。塩の浄化入浴で、スピリチュアルな癒しを体感しよう!後編
想いの力と言霊の力
私は、人間だもん
自然と人工のちがいとは?
宇宙にオーダー2 (補足)
宇宙にオーダー
はしゃいで、騒いで、笑顔になれる、特別なセッションとは
神様からのプレゼント@白山比咩神社 不思議体験
なぜ、他人に親切にしても良いことが返ってこないのか?に回答しました。
星読みメッセージ!新しい自分に挑戦!一歩踏み出して、日常を彩ろう!
待ちに待った風の時代到来!新しい時代の始まり!
昭和は元号としては最長の64年まで到達したこともあり、それを1つの時代として考えることは、近現代史の上ではそれなりに意味があることである。ところで、それを西暦にすると、1926~89年となる。それで、昭和という時代を大雑把に捉えてみると、次のようになるのではないか?・昭和5年まで昭和3年の昭和金融恐慌、4年の世界恐慌、5年の昭和恐慌と続くように、金融・経済的に不安定な時期。・昭和12年まで昭和6年の満州事変、7年に満州国建国、8年に国際連盟脱退、12年7月に盧溝橋事件から日中戦争へと拡大。・昭和20年まで昭和16年から太平洋戦争、20年に敗戦。・昭和21年昭和天皇の人間宣言、11月に日本国憲法が公布(翌年5月に施行)、GHQによる農地解放・昭和45年までいわゆる高度経済成長。昭和25年に朝鮮戦争、26年にサンフ...昭和の日に思う「昭和の仏教」雑感
連載は16回目となる。『養老律令』に収録されている『僧尼令』の本文を見ているが、『僧尼令』は全27条あって、1条ごとに見ていくこととした。まずは、訓読文を挙げて、その後に拙僧なりの解説を付してみたい。なお、『令義解』の江戸期版本(塙保己一校訂本・寛政12年[1800]刊行、全10巻で『僧尼令』は巻2に所収)も合わせて見ていきたい。凡そ僧尼、詐りて方便を為して、名を他に移せば、還俗。律に依りて罪科せよ。其れ所由の人は与同罪。『日本思想大系3』220~221頁を参照して、訓読は拙僧さて、この一節は、色々なことが省略され過ぎていて、本文をただ読んだだけでは何を言っているか分からない。しかし、『令義解』を見てみると、ここの箇所は、「謂く、僧尼、己が公験を以て俗人に授け与へ、其れをして僧尼と為さしむるを云ふ」(『令義解』...第十六条・方便条(『僧尼令』を学ぶ・16)
江戸時代の洞門が輩出した学僧・指月慧印禅師の主著である『荒田随筆』を学ぶ連載記事であるが、今は「戒定慧」という一章を学んでいる。とりあえず、同章の最後の一段となるが、早速、本文を見ておきたい。或は問、三学の一を欠くべからざる、則ち既に聞く。然して今、各おの家門を作して教律或は教外と称す。其の門門に於いて、亦た幾許有らん。唱うる者、是非従ふ者惑ふに至りて、若し今、実に仏を学とならば、則ち何をか取らん。吾、恐は大いに定日無らん。曰く、兪いよ、今の事は議するに堪へず。設ひ少く定こと有も、亦た随て喧豗す。只だ宜しく仏子の根本に拠て、比後の師承に比すること弗るべし。本師の在世、施設最多し。而して人の其の承する所を以て党を結ぶ無し。凡そ比党すること有らば、諍弗といふこと罔し。諍するときは則ち法、従ひ難し。或は希に真正の発菩...戒定慧(其の九)(指月慧印禅師『荒田随筆』参究26)
実業家であり、作家・詩人・評論家など多くの顔を持った故・辻井喬氏が、『伝統の創造力』(岩波新書)で、面白い御指摘をされている。私は、ある経済団体の会合で、自動車会社の会長が「近頃の若者は贅沢すぎる。昔は一駅ぐらいの距離は歩いて用を足したものだ」と日頃の若者批判を述べ、他の比較的若い幹部から、「しかし、それだからあなたの会社も急成長できたんじゃありませんか」とまぜ返された光景を想起しないわけにはいかなかった。前掲同著、79頁様々な問題を含む一文である。辻井氏は他に、「アメリカ帝国主義の生活支配反対」を演説した革新系の政治家が、演壇を降りてその下でコカコーラを飲んだ話なども指摘しているが、この辺まで来ると最早、落語の世界である。落語を揶揄しているのではない。事象の滑稽さを指摘しているのである。往々にして、人は自分が...タテマエの強制と批判について
とりあえず、以下の一節をご覧いただければと思う。五戒謂わく、戒に五有るなり。一には不殺、二には不偸盗、三には不邪婬〈在家人の受くるは、則ち邪婬と云う。若し出家人の受くるは、則ち云く梵行に非ざる縁を離る。一切都て断ずるが故に〉、四には不妄語、五には不飲酒〈前の四、是れ性戒なり。後の一、是れ遮戒なり〉。『釈氏要覧』「戒法」章何だろう?最近、『釈氏要覧』ばっかり使っているような気がしているのだが、大丈夫だろうか?手抜きしすぎている感じがしているが、一節ごとは短くても学ぶことが多いので、ご寛恕願いたいところではある。今回採り上げたのも、短いながらも色々と思うところがあったためである。まず、五戒の内容については特段意見は無い。しかし、その解釈が2つあるので、そこに注目したのである。まずは、「不邪婬」の解釈であるが、在家者...在家五戒に於ける性戒と遮戒について
「南天棒」こと中原鄧州老師(1839~1925)は、明治時代から大正時代にかけて活動した臨済宗の僧侶であり、常に南天の棒を携え、全国の禅道場を巡って修行者を容赦なく殴打したため、先のように呼ばれた。こういう厳しいのが「禅」だと思っている人には、とても人気であるという。それで、今回の記事は、先に挙げたタイトルの通りだが、南天棒の言葉に、道元禅師『正法眼蔵』「嗣書」巻への批判が見えたので、それを見つつ、批判の射程と、その可否について検討してみたい。まぁ、宗派が違うので、南天棒自身は「是」として主張したのだろうが、洞門の拙僧としてはそのまま同意するわけにもいかない。嗣法の原理はこの勘定では分からぬ。嗣法の広大無辺にして際涯なき無量心に参ぜねばならぬ。時間の不可得なる所をも参詳するがよい。早く合点の行くようにいえば、長...南天棒による『正法眼蔵』「嗣書」巻批判?
禅宗に於ける戒思想というのは、日本だけに限定すれば、かなりの紆余曲折を見せることになったと思われる。理由は、天台宗の大乗戒壇成立後、いわゆる日本三戒壇の権威は相対化され、そして鎌倉時代に入ると、戒に関する動向は復興派と無視派と、おそらくはその中間路線を行こうとした人に分かれるようになる。禅宗内部でもそうで、戒定慧の三学の中で、定を重んじる反面、戒について無理解だったと評されるような人もいる。或いは戒を必死に護ろうとした人もいる。その間だった人もいる。よって、各時代の戒に関する考え方や、祖師の言葉を丹念に見ていくしかないわけですが、今日は日本にも天台宗の最澄を通して伝わった北宗禅の菩薩戒思想を見ていこう。各各、胡跪合掌す。当に四弘誓願を発さしむ。衆生無辺誓願度。煩悩無辺誓願断。法門無尽誓願学。無上仏道誓願証。次に...北宗禅の菩薩戒思想について
仏教で「三帰」というと、以下の一節のように唱えるものである。我れ帰依仏、帰依法、帰依僧す。『長阿含経』巻15要するに、仏法僧の三宝に対して、帰依を表明すれば、それが「三帰(三帰依)」なのである。然るに、関連して以下のような注意がされることがある。是の如く三たび説いて三宝に敬礼す。礼し已りて語りて云く、此れは是れ三帰なり、更に三竟有り、汝、一心に受くべし。『略授三帰五八戒并菩薩戒』ここで、タイトルにも関わるのだが、「三帰」が終わってから、「三竟」があるという。これについては、曹洞宗などでも用いている「三帰依文」を思うと、すぐに分かると思う。帰依仏竟、帰依法竟、帰依僧竟。「三帰依文」これが三帰に続いて唱えられるのだが、これを先の文献では、「三帰」に続いて、更に「三竟」有りと示したのである。そこで、宗門の「三帰依文」...「三帰」と「三竟」の話
『釈氏要覧』を見ていたところ、「持戒三楽」という項目を見出した。持戒三楽四分律本偈に云く、明人能く護戒し、能く三種の楽を得る。名誉及び利養、死すれば天上に生ずることを得る。『釈氏要覧』巻上「戒法」項ここでいう「三楽」は後半部分が該当する。そこで、典拠については、「四分律本偈」とあるのだが、仏陀耶舎訳の『四分律比丘戒本』の巻末に見える偈のことだと分かる。意味としては、智慧を明らかにするような正しい人は良く護戒して、三種類の楽を得られる。それは、名誉と自らの利益と、死後に天上界に転生することである。つまりは、現当二世の楽を得ることを意味している。ただし、興味深いのは、この「楽」はあくまでも、この三界中の楽であり、三界を超越した仏道としての「楽」では無いということだ。三種の楽とは、名誉、利養、是れ現在果報の楽なり。天...「持戒三楽」について
漢訳仏典を見てみると、「不応食」という言葉は、「応に食するべからず」ということだが、具体的な意味するところでは、タイミングや、供養している場面の問題などを扱う場合もあれば、食べる種類を扱う場合もある。後者の例としては、大乗『大般涅槃経』などがある。若し食中に多くの肉有るを見れば、則ち応に受けるべからず。一切の現肉、悉く応に食するべからず。食すれば、罪を得る。我れ今、是の断肉の制を唱う。若し広説すれば、則ち尽くすべからず。『大般涅槃経』巻4「如来性品第四之一」この場合、肉に対して、食べるべきでは無いという話になっているため、それを「不応食」としているのである。「不応食」として、明確に肉食の禁止を説くのは、『賢愚経』や『華厳経』に、「不浄肉」の禁止が見られるが、上記の通り『涅槃経』では全面的な禁止となり、更に後代に...「不応食」の話
昨日、【結夏の上堂について】という記事を書きながら、思ったことを簡単に記事にしておきたい。特に、現在の「結制祝祷上堂」の作法について、途中に「垂語」というのが出てくる。一応、軌範上の定義は以下の通りである。>垂語住持は拄杖を卓てゝ垂語し、「何々底の漢あらば出で来て商量せよ」などゝ法問を促す。『昭和改訂曹洞宗行持軌範』「年分行持・五月十五日・結制祝祷上堂」項、138頁中秋の賞月の次いで、垂語に云く、正当恁麼時、如何。衆、下語す。師、示すに偈を以てす、正当恁麼時如何、指話以前に方に好看すべし、修行を費やさざるの供養力、南泉物外独り閑閑たり。『月舟和尚遺録』このように、中秋の名月を観ていた時の月舟宗胡禅師の「垂語」は、ただ「正当恁麼時、如何」であり、それに対して、大衆が応えて「下語(一言ずつ言葉を述べた)」したのであ...垂語と索語と釣語
今日4月15日は結夏(夏安居の開始)である。それで、この結夏に合わせて上堂を行う場合もある。道元禅師は、『永平広録』巻3-238上堂で、「結夏の上堂」を行われているし、また、結夏の上堂に関する軌範として、「十五日の陞座罷、住持人、法座よりおりて……」(『正法眼蔵』「安居」巻)とある通り、「陞座」とは「上堂」と同じ意味であり、しかも「十五日」とは旧暦の「四月十五日」を指し、結夏なのである。よって、道元禅師が結夏に上堂をされていたことは間違いないが、その後の曹洞宗ではどうだったのだろうか?・只だ上堂罷、公界に礼賀するのみ。次に上堂拈香し、着座の後、侍者焼香し、引いて同事に楷下より望み問訊す。・侍者、又た戒臘牌を打調す。同じく粥罷上堂の以前、法堂東間に法座に向かって高く安置す。ともに『瑩山清規』このように、瑩山禅師も...結夏の上堂について
今日は結夏ではあるが、それは旧暦での見方であり、現在は1ヶ月後の5月15日が結夏の基本となっている(気候や地域によって、前後して良いとされる)。それでも、例えば、道元禅師が夏安居について「四月十五日握拳し、七月十五日開拳す」(『永平広録』巻3-248上堂)という言葉に見られるように、やはりかつての祖師方の言葉を学ぶ場合は、今日という日付に結夏を思ってしまうものである。そういうことなので、今日は以下の一節を学んでおきたい。結夏上堂。九旬の縄墨長短に非ず、曲直縱横功業新なり。木馬泥牛混雜する処、風に嘶ひ月に吼る力耕親し。諸禅徳、摩竭の掩室、少林の面壁、什麼の意旨有るや。良久して云く、一粒荒田に在り、耘らざるに苗自ら秀つ。『義雲和尚語録』「宝慶寺語録」、訂字本7丁表、原典に従って訓読まずこれは、後の永平寺5世中興・義...今日は結夏(令和3年度版)
とりあえず、以下の一節を見ておきたい。捨戒四縁婆沙論に云く、尽形寿の律儀、四縁に由りて捨つ。一つには所学を捨つ〈即ち戒を捨つ〉。二には二形生ず〈即ち、男の女に変じ、女の男に変ずる時〉。三つには善根を断ず〈謂わく悪戒・邪見を受く〉。四つには衆を捨つると分を同ず〈即ち身死す〉。『釈氏要覧』「戒法」項、訓読は拙僧他にも、「六縁」という話が続いているようだが、要するに「四縁」の解釈の仕方の問題であるため、ここは放っておこう。さて、ここで挙げた「捨戒」であるが、還俗論でもある。比丘が自ら受けていた戒を捨てて、僧であることを辞めることを意味する。『釈氏要覧』では、典拠として『阿毘達磨大毘婆沙論』巻117「業蘊第四中邪語納息第二之二」を挙げている。そして、同論では「第五縁」も挙げているが、「諸持律者の説くに、法滅没の時、第五...比丘が捨戒(還俗)をする時について
以前、或る近世洞門学僧の語録を読んでいたら、こんな法語が出ていた。猿戒壇昔人定を習い巌巒に坐す、群猿、授戒し石に壇を作る、豈に将に僧をもって獣の如くならざるべし、律文熟読して心肝に刻む。連山交易禅師『帰蔵采逸集』巻2、『続曹全』「語録一」巻・109頁上段、訓読は拙僧それで、実はこの法語を訓読しておいてから、この「猿戒壇」に因む話を探していたのだが、結構それなりに長い期間放置しておいたものの、拙僧自身、この話を見付けきれなかったので、先にブログにアップしてしまおうと思ったのである。おそらくは、この法語の元ネタになったであろう仏教説話があるように予感しているのだが、この辺が良く分からない。もし、ご存じの方がおられれば、教えていただければ幸いである。さて、この法語の意味するところだが、昔、或る人が禅定をするために、岩...猿戒壇の話
とりあえず、以下の一節をご覧いただきたい。菩薩五戒威儀経に云く、比丘、四重を犯せば、更に受路無し。菩薩、犯すと雖も、脱すれば更に受くべし。比丘の四重を犯するも、懺悔を開し、本得に帰すること、行事鈔記中四之三巻、十二葉已下に見へたり。菩薩の重受に不同、文広ければ、爰に略す。大虚喝玄禅師『永平丈室夜話菩薩戒義』「重受戒法」項、『曹全』「禅戒」巻・224頁上下段これは、「重戒」に対する見解の相違を述べようとした一節なのだが、大虚喝玄禅師(永平寺40世)は、「菩薩の重受に不同、文広ければ、爰に略す」として、全体を論じてはおられない。そこで、拙僧なりに大虚禅師がご指摘なさろうとした内容を補完しておこうという記事である。まず、ここでいう「重戒」というのは、声聞戒であれば諸律で説くところの「四重禁」を意味しており、「婬・盗・...声聞戒と菩薩戒の「重戒」に対する相違について
拙僧自身、密教に於ける戒律(持戒)に興味があったのだが、中々取っ掛かりも無いので、放っておいた。まぁ、最近では『弘法大師全集』の古いやつなら、著作権も切れて、結構ネット上でも読めるようになったので、弘法大師空海の著作から学ぼうと思うようになった。今日はそんな感じで作られた記事である。諸もろの弟子等固く戒律を守って婬を行ぜず、死門に及ぶと雖も妄語せず、病を療治すと雖も酒を飲まず、常に閑処を好んで衆に交わらざれ、常に仏の名を唱えて多言せざれ、永く私の貯を捨てて利を好まざれ、菩提を求めて官福を望まざれ、乞食を行じて請用を受けざれ、卑下の心を起こして憍慢せざれ、縦ひ理を得ると雖も談論せざれ、衣は求め得るに随て色を好まざれ、食は求め得るに随て美食せざれ、平等の心に住して親疎せざれ、弘法の事を営みて遊戯せざれ、善友に昵て悪...『弘法大師御遺誡』参究
今日4月8日は、釈尊降誕会、一般的には「花まつり」と呼ばれる。曹洞宗では、高祖道元禅師が最初に開いた京都深草の興聖寺で既に、釈尊降誕会(呼称は仏生会・浴仏会など)を執行され、その後、晩年に到るまでほぼ毎年行った記録が残されている。記録といっても、いわゆる「上堂」という説法の記録が主である。ただし、他にも法要を行った可能性は、以下の一節から知られる。四月八日は仏生会なり。〈中略〉念誦の法は、大衆集定ののち、住持人、まづ焼香す、つぎに、知事・頭首、焼香す。浴仏のときの、焼香の法のごとし。『正法眼蔵』「安居」巻このように、4月8日の釈尊降誕会が示されている。理由は、「安居」巻とは、道元禅師が越前に入られてから構築された、「夏安居」の作法を示すものである。夏安居は、4月15日から制中となるが、同巻では4月1日以降の諸作...今日は釈尊降誕会(花まつり・令和3年度版)
近世江戸時代の曹洞宗教団は、徳川幕府の宗教政策の中で、いわゆる「本末関係」を徹底することとなった。「本末関係」の徹底はは、曹洞宗に限ったことではないが、とにかく、江戸時代には各宗派の本山(総本山・大本山等)が定められ、その下に末派寺院を組み込むという上下関係が常態化したのであった。もちろん、それは一朝一夕に確立されたわけではなく、幕府の法度を見ていくと、繰り返し本寺を尊重する見解を発していることから、全国では一悶着では済まないような闘諍があったことを想起させるのである。そこで、今回は関連する法度の条文を見ておきたい。なお、典拠は文部省宗教局編『宗教制度調査資料』巻16「江戸時代宗教法令集」(大正14年)から引くこととしたい。本書は横関了胤先生『江戸時代洞門政要』でも繰り返し引用されているため、その見解との交通も...近世曹洞宗教団の本寺による末寺の住職選定への優越性について
昨日4月4日は二十四節気の1つ「清明」だったらしい。清明は4月4日か5日かで揺れるものなので、ちょっと油断してた。なお、清明について、旧暦であれば2月下旬頃であり、春になり行く様子を「清浄明潔」と表現し、この語句を略して「清明」とした。さて、禅林ではこの日に、「清明貼符」といって、「鎮防火燭」と書かれたお札を、建物の入口や問の柱に貼り付けて、伽藍の防火などを祈願することとなっている。曹洞宗でも伝統的な行持であり、例えば以下の記述が知られている。三月に入りて節日、是の日、清明なり。皆な「鎮防〈火〉燭」を書して、札に三宝印を行じて、日中諷経の次いで、消災咒一遍を誦し、諸堂・諸寮の柱に押貼す。或いは大檀越并びに諸庵及び諸檀越舎に賦す。『瑩山清規』「年中行事」これは、瑩山紹瑾禅師(1264~1325)が示された教えであ...昨日は清明だったらしい(令和3年度版)
昨日から法隆寺で聖徳太子1400回の御遠忌が始まったとのこと(5日まで)。・法隆寺で聖徳太子の1400回忌奈良、5日まで法要(共同通信)日本仏教の一僧侶として、飛鳥時代に仏教興隆を進められた聖徳太子(厩戸王、574~622)の道業は讃歎せられなくてはならないと考えている。まぁ、謎の「非実在説」なども出ているようだが、正直、「非実在説」については、釈尊や親鸞聖人にも存在した位なので、或る意味で、国学に無意識的に依存する歴史学者による研究の洗礼を浴びたということなのだろう。それで、誰が何といおうと、後代には聖徳太子信仰が出ていたわけで、日本仏教のほとんどの宗派に影響している。それは、拙僧ども曹洞宗でも例外ではない。在家の人天なれども、袈裟を受持することは、大乗最極の秘訣なり。いまは、梵王・釈王、ともに袈裟を受持せり...聖徳太子と道元禅師
とりあえず、以下の一節をご覧いただきたい。若し護らず、放捨すれば、是れを破戒と名づく。此の戒を破れば、三悪道中に堕つ。若し下持戒ならば人中に生じ、中持戒ならば六欲天中に生じ、上持戒又たは四禅・四空定を行ずれば、色無色界の清浄天中に生ず。上持戒に三種有り、下清浄持戒ならば阿羅漢を得、中清浄持戒ならば辟支仏を得、上清浄持戒ならば仏道を得。『大智度論』巻13「初品中尸羅波羅蜜義第二十一」要するに、上記一節では、「破戒」と「持戒」のあり方について、幾つかの種類があることを示している。なお、元の『大品般若経』では、持戒の基本を「十善戒」に置いており、本論も同様である。そこで、上記一節の理解方法としては、「十善戒」を守らないでいれば、破戒とするという。これは当然のことだが、破戒の結果は三悪道(地獄・餓鬼・畜生の三道)に堕ち...「持戒の上中下」について
以前にアップした【戒量慧全禅師書写『室中法宝』写本について】の関係で、大本山永平寺60世・臥雲童龍禅師(1790~1870)に関する事跡について、中村泰心師・山内堯海師編『永平六十世臥雲童龍禅師遺稿(全)』(大正8年)を見ていたところ、8本の授戒会法語を確認出来た。ちょうど、江戸時代から明治時代へと日本が変わっていく状況で、授戒会で必要とされた思想も、どのように示されたのか、見ていきたい。今回は4本目である。戒月団団にして義天に掛かる、虚明寂照にして三千に徹る。言うことを休みね極楽西方土、当処に湛然として宝蓮座す。『臥雲禅師遺稿』15丁裏、訓読は拙僧意味としては、まず戒の功徳を満月に譬え、その団団とした月が義天に掛かっているという。義天とは「第一義天」のことで、仏法の優れた道理を天に譬え、その最高なる様子を示し...臥雲童龍禅師の尸羅会法語(4)
道元禅師が詠まれたとされる「寺」という道歌がある。寺宿を出は尋ねてゆかん清水寺名にたかはずば住やとまると野崎海東『聖僧道元』(文学同志会、明治33年)127頁このように、明治末期の文学者による文献に記載されている。意味だが、宿を出て、尋ねていこう清水寺を、その名に違わず住もうとすれば留まることになる、とでも出来ようか。おそらくは、「清水」を「済む水」と解釈し、このような内容になっていると思われる。まぁ、気になるのは、道元禅師が「宿」を出て清水寺に行ったことがあるのか?ということと、後半部分の出来が、余りよろしくない(正直、誤字なのでは?)ということである。曹洞宗と清水寺といえば、道元禅師から数えて4代の法孫、瑩山紹瑾禅師(1264~1325)の慈母に由縁があるとされる。同年六月十八日、勝蓮峰に円通院を建て、当山...道元禅師と清水寺(令和3年度4月1日投稿)
聖書に基づくイエス様の救いの証をお語り下さい。短くても結構です。
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目に見えて分野として、スピリチュアル×心理学を使って、健康になって幸せを目指せます。
成功への極意を伝えます。たったひとつの考動力で0〜無限を生み出す秘密を伝授し 人生が好循環に回り、自分軸であなたがあなたらしく生きていけます。
ここでは、「妖精」「妖精の森」「おとぎの國」についてのイメージを、共有し合います。どこかで見た絵夲やファンタジー小説、夢に出てきた世界など、何でも。 また、リアルに妖精の森のような未來を望む書き込みも大歓迎です。 但し、旧スピ的発想や、宗教の勧誘、政党政治の推進、メディアを鵜呑みにしたり恐怖を煽るような書き込みは、すべて却下します。
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自分を変えようとして苦しんでいる人は多くいます。実は自分を変えようとしていることが間違いなんです。そもそもそのそのままの自分で幸せに暮らすことができます。それができるならみんなそのままの自分で暮らしたいと思っていると思います。そんなそのままの自分で幸せに暮らすためのヒントを発信します。
「奇跡」を司るのが「神」 時間・空間・物質に「奇跡」が起きた。 生命は「奇跡」の連続 「大いなる意思」は「神の愛」 人間は皆、「神の子」です。