聖書に基づくイエス様の救いの証をお語り下さい。短くても結構です。
4月2日 カントが大切にしていたもの。「私のうちなる道徳的法則」。
3月30日 日々の生活費の運用(東京一人暮らし)。小麦粉とアルコールのダブル中毒の魔の手を感じすぎた件。
3月29日 カントの空。
3月28日 存在と今。
3月27日 里村明衣子と荒井優希。
3月26日 ギャラリー オル・テールさんへ設営に。
3月25日 大乗神秘主義とマイスター・エックハルト。
3月24日 達人の境地。
3月23日 1日のリズム。作家の執筆術。
昨日より銀座京橋のギャラリーオル・テールさんにてグループ展"いにしえの夢"開始致しました!
3月21日 日記を書くことは、意識と実景の二重進行である、ということを教わる。
3月20日 有限と無限。
3月19日 アーカイブ、とはなにか。
3月18日 無事退院した。
3月17日 若松英輔「生きる哲学」を読んでいる。
江戸時代の洞門が輩出した学僧・指月慧印禅師の主著である『荒田随筆』を学ぶ連載記事であるが、今回から上巻の最後の一章として、「諦縁度」章を学んでみたい。この「諦縁度」章だが、最初、意味するところを測り損ねていたのだが、要するに、四諦・十二縁起・六度という三乗の実践体系などを述べたものであろう。だとすれば、その三乗について詳しく述べられた道元禅師『正法眼蔵』「仏教」巻の説示などを、脇に置いて考える必要があるのかもしれない。ただ、それは実際の本文を見ながら検討していきたい。諦縁度悠悠として迷淪かな。是を群萌と謂、究竟じて之を覚する、是を大覚と謂。其の自覚して他を覚らしむるに、開諭暁示、引て以て道に至しむ。是を乗と謂なり。蓋し車輿の遠に及の義を取れり。而して乗、其の三を分つは、物機の利鈍に随て其の覚をして易からしめんと...諦縁度(其の一)(指月慧印禅師『荒田随筆』参究27)
平田篤胤先生(1776~1843)の『出定笑語』についての連載であるが、今日も本文を見ていきたい。それで、一から十まで全部採り上げるのは、分量的に難しいので、拙僧が読んでいて気になった点を中心に見ていくことにしたい。今日は、タイトルの通り、神仏習合批判に関する一節を見ておきたい。わが鈴の屋の翁がよまれたる歌に、「まが神の世人の耳がふたぐらんまことかたればきく人のなき」と読れた通り、こりや彼古道の大意にあらあら申たる如く、神にも善悪邪正様々有が、其あしく邪しまなる神にまじこられ、耳をふたがれ、真の事をきくことならぬ人々と見えるでござる。釈迦の縁なき衆生は度しがたしといつたのも、かよふの人々の事でも有ませうか。其くせ出家の方で云所は、御国の神をば仏法の下役のごとくいやしめてあるが、それをば何とも思はんでいるでござる...篤胤の神仏習合批判序説(拝啓平田篤胤先生4)
連載は17回目となる。『養老律令』に収録されている『僧尼令』の本文を見ているが、『僧尼令』は全27条あって、1条ごとに見ていくこととした。まずは、訓読文を挙げて、その後に拙僧なりの解説を付してみたい。なお、『令義解』の江戸期版本(塙保己一校訂本・寛政12年[1800]刊行、全10巻で『僧尼令』は巻2に所収)も合わせて見ていきたい。凡そ僧尼、私の事有りて訴訟して、官司に来たり詣でれば、権に俗形に依りて参事せよ。其れ佐官以上及び三綱、衆事若しくは功徳の為に、官司に詣でるべきは、並に床席を設けよ。『令義解』11丁裏を参照して、訓読は拙僧ちょっと、思うところがあって、今回から訓読法は『令義解』に依拠してみたいと思う。江戸時代の読み方になってしまう可能性はあるが、その時代でどう読まれてきたかを探る方が、拙僧的に勉強になる...第十七条・有私事条(『僧尼令』を学ぶ・17)
ドイツ宗教改革の発端にもなったとされるマルティン・ルターの『九十五箇条の提題』の日本語訳を学んでいく連載記事である。連載22回目である。22それどころか教皇が、この世で教会法の定めに従って解決されねばならなかった〔のに解決されなかった〕罰を、〔今は〕煉獄にある魂においては赦すことができる、などということはない。深井氏下掲同著・19頁この辺は、「赦しの秘蹟」の適用範囲というべきものだが、本来はその秘蹟の扱いを定める教会法の定義に従って、現世に於いて解決されなくてはならないことであった。しかし、それがなされず、魂の救済の無いままに亡くなった人について、その魂は煉獄に行っているはずで、今更に煉獄にある魂については、『贖宥状』を用いたことに依る救済など、出来ようはずも無いと指摘しているのである。そういう点からすれば、ル...マルティン・ルター『九十五箇条の提題』を学ぶ・22
新井石禅禅師御垂示の『授戒の心得』(禅の生活社・昭和2年)を拝読していたところ、その冒頭に「祖訓」という一節が掲載されていた。昭和初期という世相を反映して、挙国一致に仏教徒として参ずることを求める内容ではあったが、その中に気になる一節があったので、参究しておきたい。又言く人ありて謗毀すとも曾て咎むること勿れ彼の謗人をあまつさへ敬礼することはありとも厭悪すること勿れ。「祖訓」これは、現代の人であれば、ほとんどの場合納得はすまい。もしかすると、誹謗などに対しては、倍返しという観念もあるかもしれない。それで、この教えであるが、もちろん「祖訓」であるから典拠がある。この一節の前後の文章も合わせて検討しておきたい。即ち重を転じて軽を受くと思ふて、人ありて憎悪すとも、曾て恨むること勿れ。人ありて謗毀すとも、曾て咎むること勿...或る祖訓から学ぶ「不謗三宝戒」
とても残念な報道があった。・線香の煙でぜんそく悪化か九大、換気呼び掛け(共同通信)とはいえ、これは、拙僧自身、或る先生から聞いて知っていたことではあったので、目新しい話ではない(今回の研究は、その明らかな証拠が示されたということで評価される)。実際、知り合いの僧侶の中でも、同様の状態になった場合はあると聞くし、拙僧自身も線香の銘柄によっては咳などが止まらなくなる。それで、そもそも線香とは何なのか?仏教に於ける「香」の歴史は長く複雑である。今回は、以前、拙僧も宗門内向けの随筆を書いた記事などを改変しつつ、まとめてみたい。仏教に於ける「香」としてすぐに思い付くのは、以下の一節であろう。賢者阿難、仏に白して言く、「仏の滅度の後、当に何れの葬を作すべきや」。仏言く、「汝、黙せよ。梵志居士、自ら楽いて之を為す」。又た問う...線香の煙に関する残念な報道
「試経得度(或いは「試経度僧」とも)」という言葉について、おそらくは見慣れないと思う人が多いのではなかろうか。でも、事例的にはよく知られている制度である。そこで、江戸時代の臨済宗妙心寺派・無著道忠禅師が以下のように指摘されているので、その意味の大概を確認しておきたい。仏法金湯編に云く、唐の中宗神龍二年八月、天下に詔し、童行の経義挑通して滞り無き者を試して之を度す〈唐史〉。試経度僧、此に始む。編年通論に云く、唐の肅宗至徳二年、白衣の能く経五百紙を誦する者を、度して僧と為るを聴す。仏祖統紀に云く、宋の仁宗詔して天下の童行を試し、法華経を誦し、選に中る者は度を得る。「試経度僧」項、『禅林象器箋』巻9「第九類叢軌門」、明治期刊本を参照して訓読要するに、出家得度する際の条件として、当該の童行がどれくらい経典を読めるかを試...中国曹洞宗の祖師に於ける「試経得度」について
式叉摩那については、【拙Wikiの説明】をご覧いただければ良いと思う。それで、何故、女性の出家者である沙弥尼にのみ式叉摩那が用意されているのは、女性への差別的な配慮なのではないか?という意見もあるのかも知れない。だが、拙僧も以前、その辺を学生の頃に習った限りでは、理由があったということだった。それで、関連して以下の一節を見出したので、学んでおきたい。式叉摩那、六法を二歳受く。問うて曰く、沙弥十戒、便ち具足戒を受く。比丘尼法中、何を以てか式叉摩那有りて、然る後に具足戒を受けるを得んや。答えて曰く、仏在世時、一りの長者の婦有り、懐妊を覚えず、出家して具足戒を受く。其の後、身に大転現ず。諸もろの長者、比丘を譏嫌す。因りて此れ制して二歳の学戒有りて、六法を受けて、然る後に具足戒を受く。『大智度論』巻13「釈初品中讃尸羅...式叉摩那の位置付けについて
或る文献を読んでいたら、『大般若経』中に見える「在家五戒」について指摘されていた。それで、それが諸法空相的な解釈で面白かったので、その文を引用し、学んでみようと思ったら、何だろう?拙僧が容易に閲覧できる『大般若経』には入っていない文章(?)だった。それで良く分からないままに、検索サイトやソフトを使っていたら、ある一節が出て来たので、こっちを記事にしてみることにした。自ら般若波羅蜜多を行じ、亦た他に般若波羅蜜多の行を勧む。倒るること無く般若波羅蜜多の法を行ずることを称揚し、般若波羅蜜多を行ずる者を歓喜讃歎す。自ら十善業道を受持し、亦た他に十善業道の受持を勧む。倒るること無く十善業道の法を受持することを称揚し、十善業道を受持する者を歓喜讃歎す。自ら五戒を受持し、亦た他に五戒の受持を勧む。倒るること無く五戒の法を受持...『大般若経』に見る漸深戒について
以前から、拙僧的に不思議に思っていることがある。それは、大学の講義とかで、「仏教について何でも質問してください」などと学生に尋ねると、他に聞きようがないのか?それとも拙僧の剃りっ剃りの頭を見てなのかは分からないが、一定数で「僧侶は何故髪を剃るのか?」という問いが寄せられる。それで、拙僧個人としては、理由が明確で、道元禅師がそう仰っているから、という理由になる。拝問す。今日の天下の長老の長髪長爪、何の拠有るや。将に比丘と称して、頗る俗人に似たるべし。将に俗人と名づけ、又た禿児の如くなるべし。西天・東地、正法・像法の間、仏祖の弟子、未だ甞て斯の如くならず。如何。和尚、示して曰く、真箇是れ畜生なり。仏法清浄海中の死屍なり。『宝慶記』第9問答、訓読は拙僧(以下、同じ)このように、道元禅師は本師・天童如浄禅師に対して、そ...何故、出家者は髪を剃らねばならないのか?
ちょっと気になる文章を見出したので、紹介がてら検討してみたい。行者を発遣して院を出すが如きは、須らく十分に過有りて、罪状に責伏して、住持人に稟して之を遣るべし。更に決すること須いずして之を遣るが如きは、官中の問難を防避すべからず。『禅苑清規』巻3「監院」項ちょうど、この前後の文章は、寺院内で過ちを犯した者への罰の与え方の問題なのだが、ここは寺院から擯斥(追放)処分を行う時の問題を挙げている。それで、行者(あんじゃなのか?ぎょうじゃなのか?)を遣って、寺院から出す場合には、その理由となるべき過ちが十分にあって、それを更に罪状を確認してそれを責め、そして、住持人にそのことを報告してから追放すべきだという。もし、そういった確たることが無いままに、追放するようなことがあった場合には、「官中の問難を防避すべからず」とある...禅林に於ける「官中の問難」について
この「賜紫衣謝偈」については、【拙Wikiの解説】を読んでいただければと思うのだが、道元禅師が後嵯峨天皇(在位:1242~46)から紫衣を賜ったものの、それを謝(=断った)という一事を示すものとされる。ただし、中世の古伝には遡れず、近世以降に一般的になった話ともされる。それで、この一節について、江戸時代の学僧・面山瑞方禅師による評価を見たので、参究してみたい。昔し永平高祖に後嵯峩帝より紫衣を賜りしとき返上せられければその時の太政大臣道光は、永祖の族兄なりき、勅命を返却と云ことはならぬ例とありしゆへに、受てつかねて高架に安じて偈を作て奏せらるに云く、永平山浅きと雖も、勅命重きこと重重、却て猿鶴に笑はるる、紫衣の一老翁、と。山僧八十年来、これをよみて感涙せぬ時はなし、この陰徳にて七十州に二万四千の法孫はびこるはその...面山瑞方禅師による「賜紫衣謝偈」評
とりあえず、以下の一節をご覧いただきたい。満戒上堂〈風外古仏〉仏祖単伝の菩薩戒、纔に持犯を論ずれば八年遅し、残秋の霜葉両三片、用いて黄金と作して小児を誑かす。拙僧所持の法語集写本、訓読は拙僧典拠については、良く分からない。いや、どうも何人かの法語を集めた法語集であることは確かなのだが、筆者者や年代が書かれていないので、江戸時代の終わりか、明治初期くらいということしか推定できていない。しかし、本法語集には、寂室堅光禅師の法語や、上記の通り、風外本高禅師(1779~1847)の法語・上堂語などが収められ、更に誰のものかは不明だが、三重県浄眼寺での結制の法語も見られるので、おそらくは関西や東海地域で書写されたものだろうとは思っている。それで上記の内容である。風外本高禅師による満戒上堂(完戒上堂に同じ)の法語である。意...或る満戒上堂について
或る学人が叢林修行に入る際、得度してくれた受業師との関係はともかくも、新たに叢林で指導を受ける参学師から授戒されることがある。ただし、これは文献的な典拠となると、色々と難しい。よって、この記事は備忘録的にならざるを得ないが、機会を得られれば、江戸時代の洞門僧の伝記が集成された文献『曹洞宗近世僧伝集成』(曹洞宗宗務庁)があるので、そこから探っていきたいと思っている。話を戻すが、参学師からの授戒について、事例としてすぐに思い付くのは以下の一件である。癸未(元祿16年[1703])十一月十五日、師戒会を開く。余、初めて正伝の仏戒を受く。師、説戒すること三日、因みに云く……『見聞宝永記』これは、江戸時代の学僧・面山瑞方禅師が、後に本師となられる仙台泰心院8世・損翁宗益禅師に参じた当初、戒会に於いて仏戒を受けたことを示す...叢林に入る際の授戒について
一般的に、阿羅漢というと、いわゆる四向四果を得た聖者であり、或いは、部派仏教に於ける人間として到り付く最高位であるが、仏陀そのものではないという理解がされているかも知れない。まぁ、辞書的にはそう書いてある場合が多いが、この定義も色々な経論を詳細に見ていくと揺れが出てくるようだし、大乗仏教などでは全く違う解釈がされることもある。況んや曹洞宗の宗学に於いてをや。それで、今日は道元禅師『正法眼蔵』「阿羅漢」巻を学んでみたいと思う。最近、このブログでは仏教の軌範(戒律や清規)などについて論じていたはずなのに、何で急に?とか思われる方もおられると思うし、或いはそういうことなら、今日は「結夏」じゃ無いの?と思われる方もおられると思う。まず、「結夏」については、既に【結夏の上堂について】で論じたので、そちらをご覧いただければ...今日は5月15日なので『正法眼蔵』「阿羅漢」巻を学ぶ
「副寺」というのは、禅宗叢林に於ける「六知事」の一であるが、調べてみると色々とややこしい。名称についても、「副寺」と書く場合もあるし、「副司」とする場合もある(この辺は、「監院」か?「監寺」か?「監司」か?という問題に通ずる。なお、「監院」の場合、古来は「監寺」と全く同義であった。典拠は道元禅師の『永平寺知事清規』。「監司」は珍しい表現のようだ)。或いは、今や本山僧堂などでは「副監院」という役職名にしている場合もあるという。これは、典拠がない新しい表現であり、近年の慣習的呼称のようだから、今回の考察からは外す。それで、「副寺」について、まずは定義的なところから見ておきたい。古時は監寺のみ。近日都寺と称するは、即ち監寺なり。副寺と称するもまた監寺なり。近代は寺院繁務なり、よって両三の監寺を請するなり。道元禅師『知...「副寺」の一考察
或る先生の文章を読んでいたら、「羯麿(読み方は「こんま」にしたいのだろうが、「こんまろ」に見えた)」と書いてあった。一見して誤記か誤植だとは思ったが、高名な先生なので、もしかして、そういう風に表記する文献もあるのだろうか?と思い、近年よく使われている『大蔵経』の検索サイト・ソフト等で調べたが、ヒットせず。まぁ、そりゃそうか、と思った。とはいえ、「羯磨」は、梵語karma(n)(カルマ(ン))の音訳なので、「麿」もあり得なくはないか?なんて、妄想してしまったのだが、すぐに気付いた。あれ?確か「麿」って、「麻呂」を組み合わせた合字で、国字だったはずでは?と。手元にあった一般的な漢和辞典にも、そう書いてあるので、拙僧の妄想は終了……ところで、仏教語の「羯磨」の話だが、本来の意味は「業」「行為」となるが、更に、戒律の用...「羯麿(こんまろ)」の話
足袋と襪子について、或る見解を見出したので紹介しておきたい。襪の字を日本でしたふづとよまする、履をふくときは、襪と下につくる、草履ふむと云は、日本にはく処の蹈皮也、草履をはく時、襪子をつけねばならぬと云ことはない、たびですむ也、けれども大小用にいくものを蹈で、坐具に上るはならぬ、新ふたびをこしらへて、今の襪子の様に、大小用にいくときは、ぬいでいくがよい、面山瑞方禅師『宝慶記聞解』坤巻・10丁裏~11丁表、カナをかなにするなど見易く改める拙僧の拙い調べではあるが、道元禅師の時代にはまだ、「足袋」はなく、「襪子」のみだったと思っているのだが、上記のように江戸時代には既に、足袋と襪子とが使い分けられていた様子を知ることが出来る。ここで面山禅師が仰っていることとは、襪の字について、これを日本では「したふづ」と読むという...足袋と襪子の関係について
先日、【「暫到」に関する一考察】という記事を書いた時、拙僧は以下のように書いた。・新到⇒当該の僧堂に於ける新入り・新戒⇒出家得度してから間もない者(修行経験が無い、または浅い)・暫到⇒一時的に当該寺院に滞在している者これに間違いがあるわけではないのだが、そこで、或る事に気付いた。そういえば、現在の結制を行う際に、首座和尚を拝請することになるが、その首座を寺院内に掛搭させる「請首座法(入寺式)」が行われる。現行の差定を見てみると、以下の流れとなっている。・準備・維那白槌・知事、首座に致語・首座、住持に致語・首座就位・維那告報以下、「住持出堂、首座帰寮、大衆散堂」となる。さて、今回記事にしておきたいのは、この内の「首座、住持に致語」の箇所である。以下のような言葉があることが知られている。現行とほぼ同じなので、「入寺...「新戒乍入叢林」の謎
今日の5月第2週の日曜日は、母の日とされている。日頃の母の苦労を労り、母への感謝を表す日であるとされるが、日本ではアメリカの母の日の帰源をそのまま受け入れているという。それで、例年拙ブログでは仏教に於ける母親への親孝行の事例を紹介したいと思っているが、仏教に於ける母への孝行は、生きている間に行われる場合と、既に亡くなっている場合とがある。今日は、後者の事例として以下の一節を見ておきたい。大愛道比丘尼の如きは、五百阿羅漢比丘尼等と与に、一日中一時に涅槃に入る。是の時、諸もろの三道を得た優婆塞、五百床を挙ぐ。四天王、仏の乳母の大愛道の床を挙ぐ。仏、自在に前に香炉を擎げて焼香供養す。仏、比丘に語りて、「汝等、我を助け、乳母の身を供養せよ」。爾の時、諸もろの阿羅漢比丘、各各、神足力を以て、摩梨山上に到り、牛頭栴檀香の薪...今日は母の日(令和3年度版)
今、仕事の関係で、『永平広録』を全部読み直しているのだが、道元禅師が以下のように述べておられた。監寺・典座を請する上堂。知事は乃ち三世諸仏の護念する所なり。難陀尊者の勝躅、沓婆尊者の勤修なり。『永平広録』巻2-139上堂道元禅師は、大仏寺(後の永平寺)に入られてからというもの、いわゆる知事を中心にした叢林運営を進めようとされ、上記のような知事を請する上堂、或いは知事の退任に因んで謝する上堂などが見られるようになる。併せて、『永平寺知事清規』を著し、叢林に於ける正しい知事の心持ち、振る舞い方、一部では作法などを示された。更に、『永平広録』中の知事の話を見ていくと、多くは『知事清規』と重なるが、『永平広録』独自のところもあるため、晩年の知事に対する考えを見ていく場合には、『永平広録』と『永平清規』とを併せて見る必要...沓婆尊者の知事の話
以前、【清浄なる行者破戒の比丘】という記事を書いた。それで、その時には鈴木正三の『驢鞍橋』から一則を引っ張ってきて論じたのだが、その後、拙僧自身も僅かながらに勉強を続け、どうやらこの一節については、もう少し別の論じ方をする必要を感じていた。それは、本則について、元の文章は、「清浄の行者天堂に上らず、破戒の比丘地獄に入らず」(訓読は拙僧)というものだったが、これについては中国臨済宗の大慧宗杲禅師が「文殊菩薩所説般若経に云く……」(『大慧録』巻10)などとしているので、先に挙げたリンク先でも一応、本来の経典名を挙げたのだが、どうも、正三が引いた文章と、経典の本文は内容が相違していて、つまり、大慧禅師のような中国禅宗の文脈で多用された文章に近いということだったわけである。まぁ、この辺は上堂語などで引用されてしまうと、...「清浄なる行者破戒の比丘」の続きの話
今日5月5日は五節句の一、端午の節句である。現在の日本では、法律によって「こどもの日」となっているが、これも元々の「端午」が「菖蒲の節句」と別称されることに因み、菖蒲と尚武をかけて、武士の世界でこどもの健やかなる成長を願ったことに由来するとされる。なお、禅宗寺院で端午の節句が行われる理由としては、中国の行事に由来し、五月の端(はじめ)の五日、つまり五月夏至の端(はじまり)の意味を持ち、端午の称は午月午日午時の三午が端正に揃う日に合わせて行事したという。このように五月五日を端午と明らかに称するようになるのは唐代以後のこととされ、宋代以後には天中節とも呼ばれた。五月五日の五時が天の中央にあたることと、この日の月日時の全てが数字の“一三五七九”の天数(奇数)の中央である“五”にあたることから、天中節と称するという。こ...今日は端午の節句(令和3年度版)
今日は5月4日、「みどりの日」である。そんな日なので、とりあえず以下の一節をご覧いただきたい。挙す、僧、百巌和尚に問う、「如何なるか是、道」。巌云く、「徒らに車馬の跡に労す」。曹渓の古路綠苔生ず、車馬登臨して已に程に渉る。野老痿羸兼て跛挈、手に玉杖を携て夜深て行く。『丹霞淳禅師語録』巻下「頌古」、江戸期の『虚堂集』に従って訓読これは、中国曹洞宗の丹霞子淳大和尚(?~1119、真歇清了禅師や宏智正覚禅師の本師)の「頌古(百則)」から引用したものである。なお、この「頌古」を評唱した林泉老人の『虚堂集』では順番が改められているが、「頌古」の場合は、1本の長い本則に対して、丹霞子淳禅師が複数の頌古を詠まれており、配置が異なっていることに注意されたい。そのような本文批判的なことはさておき、まずは上記の内容を見ておきたい。...今日は「みどりの日」(令和3年度版)
江戸時代の宗乗家である面山瑞方禅師には、江戸元禄期の「宗統復古運動」の結果、正統とされるに至った「一師印証・面授嗣法」に基づいて思想的に展開した文献が複数存在しているが、今日はその中でも『雪夜炉談』について採り上げてみたい。なお、本書を江戸時代の「面授論」の議論の中に置いてみると、以下のような略年表が出来上がる。・独菴玄光禅師『俗談』(元禄3年[1690]序)・梅峰竺信禅師『洞門劇譚』(元禄13年[1700]刊)・定山良光禅師『正法嫡伝獅子一吼集』(元禄15年[1702]刊)・卍山道白禅師『洞門衣袽集』(正徳元年[1711]序)・卍山道白禅師『対客閑話』(正徳5年[1715]刊)・天桂伝尊禅師『正法眼蔵弁註』(享保15年[1730]序)・乙堂喚丑禅師『正法眼蔵面授巻続絃講議』(享保16年[1731])・面山瑞方...面山瑞方禅師『雪夜炉談』に見る代付否定論
まずは、以下の一節を見ておきたい。大宋宝慶元年乙酉五月一日、道元、はじめて先師天童古仏を妙高台に焼香礼拝す。先師古仏、はじめて道元をみる。そのとき、道元に指授面授するにいはく、仏仏祖祖面授の法門、現成せり。これすなはち霊山の拈華なり、嵩山の得髄なり、黄梅の伝衣なり、洞山の面授なり。これは仏祖の眼蔵面授なり。吾屋裏のみあり、余人は夢也未見聞在なり。『正法眼蔵』「面授」巻この一節を拝して、拙僧自身が思うことは、素直に、初相見だったんだろうなぁ、ということである。実際、道元禅師が中国に渡られて、最初に入られたのが天童山だったことは間違いない(その前に、別の律院に行ったりはしているが、安居ではない)が、その時の住持は臨済宗大慧派の無際了派禅師であり、無際禅師とは相見し、礼拝したことが知られている(『正法眼蔵』「嗣書」巻...宝慶元年五月一日道元禅師が天童如浄禅師から面授
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目に見えて分野として、スピリチュアル×心理学を使って、健康になって幸せを目指せます。
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