聖書に基づくイエス様の救いの証をお語り下さい。短くても結構です。
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“目に見えないもの”に依存していない? “目に見えない世界”に逃げていない?
聞き慣れない言葉ですが、「大人(うし)」とは元々が学者サンに対する尊称だそうで、もっぱらのところ「(国学の)四大人」って表現する場合に使うようです。つまり、~「国学」の発展に大きな功績を残した四人の大学者サマ~くらいの意味合いになるのでしょうか。では、そ
昭和は元号としては最長の64年まで到達したこともあり、それを1つの時代として考えることは、近現代史の上ではそれなりに意味があることである。ところで、それを西暦にすると、1926~89年となる。それで、昭和という時代を大雑把に捉えてみると、次のようになるのではないか?・昭和5年まで昭和3年の昭和金融恐慌、4年の世界恐慌、5年の昭和恐慌と続くように、金融・経済的に不安定な時期。・昭和12年まで昭和6年の満州事変、7年に満州国建国、8年に国際連盟脱退、12年7月に盧溝橋事件から日中戦争へと拡大。・昭和20年まで昭和16年から太平洋戦争、20年に敗戦。・昭和21年昭和天皇の人間宣言、11月に日本国憲法が公布(翌年5月に施行)、GHQによる農地解放・昭和45年までいわゆる高度経済成長。昭和25年に朝鮮戦争、26年にサンフ...昭和の日に思う「昭和の仏教」雑感
①[パレスチナ国家案]アメリカ:パレスチナ国家を認める画期的な案です。 ウインウインの究極のデイールをしよう。アラブ・ムスリム:米トランプ前大統領の娘夫妻はユダヤ人だし、あらゆる点で明確にイスラエル寄りの案であり、問題外だ。ユダヤ人:いや、この案は①パレス
連載は16回目となる。『養老律令』に収録されている『僧尼令』の本文を見ているが、『僧尼令』は全27条あって、1条ごとに見ていくこととした。まずは、訓読文を挙げて、その後に拙僧なりの解説を付してみたい。なお、『令義解』の江戸期版本(塙保己一校訂本・寛政12年[1800]刊行、全10巻で『僧尼令』は巻2に所収)も合わせて見ていきたい。凡そ僧尼、詐りて方便を為して、名を他に移せば、還俗。律に依りて罪科せよ。其れ所由の人は与同罪。『日本思想大系3』220~221頁を参照して、訓読は拙僧さて、この一節は、色々なことが省略され過ぎていて、本文をただ読んだだけでは何を言っているか分からない。しかし、『令義解』を見てみると、ここの箇所は、「謂く、僧尼、己が公験を以て俗人に授け与へ、其れをして僧尼と為さしむるを云ふ」(『令義解』...第十六条・方便条(『僧尼令』を学ぶ・16)
洋画 『スポットライト 世紀のスクープ』 www.youtube.com 真実にじりじりと迫って諦めない記者たちの姿を丁寧に描く見事な脚本。 映画の基になる重大な実話の粗筋を知っているので、 おもいきり地味なストーリーの意味が分かり、かえって引き込まれていく
江戸時代の洞門が輩出した学僧・指月慧印禅師の主著である『荒田随筆』を学ぶ連載記事であるが、今は「戒定慧」という一章を学んでいる。とりあえず、同章の最後の一段となるが、早速、本文を見ておきたい。或は問、三学の一を欠くべからざる、則ち既に聞く。然して今、各おの家門を作して教律或は教外と称す。其の門門に於いて、亦た幾許有らん。唱うる者、是非従ふ者惑ふに至りて、若し今、実に仏を学とならば、則ち何をか取らん。吾、恐は大いに定日無らん。曰く、兪いよ、今の事は議するに堪へず。設ひ少く定こと有も、亦た随て喧豗す。只だ宜しく仏子の根本に拠て、比後の師承に比すること弗るべし。本師の在世、施設最多し。而して人の其の承する所を以て党を結ぶ無し。凡そ比党すること有らば、諍弗といふこと罔し。諍するときは則ち法、従ひ難し。或は希に真正の発菩...戒定慧(其の九)(指月慧印禅師『荒田随筆』参究26)
(親鸞聖人 末燈鈔 石田瑞麿訳)から引用させていただきます。 ひとのためによくないことをし、また口にもするなら、この世を厭(いと)うしるしはありません。 (末燈鈔16) …わざとしてならないことなどをもし、思ってならないことなどをも思ったりするのは、よくよく
実業家であり、作家・詩人・評論家など多くの顔を持った故・辻井喬氏が、『伝統の創造力』(岩波新書)で、面白い御指摘をされている。私は、ある経済団体の会合で、自動車会社の会長が「近頃の若者は贅沢すぎる。昔は一駅ぐらいの距離は歩いて用を足したものだ」と日頃の若者批判を述べ、他の比較的若い幹部から、「しかし、それだからあなたの会社も急成長できたんじゃありませんか」とまぜ返された光景を想起しないわけにはいかなかった。前掲同著、79頁様々な問題を含む一文である。辻井氏は他に、「アメリカ帝国主義の生活支配反対」を演説した革新系の政治家が、演壇を降りてその下でコカコーラを飲んだ話なども指摘しているが、この辺まで来ると最早、落語の世界である。落語を揶揄しているのではない。事象の滑稽さを指摘しているのである。往々にして、人は自分が...タテマエの強制と批判について
とりあえず、以下の一節をご覧いただければと思う。五戒謂わく、戒に五有るなり。一には不殺、二には不偸盗、三には不邪婬〈在家人の受くるは、則ち邪婬と云う。若し出家人の受くるは、則ち云く梵行に非ざる縁を離る。一切都て断ずるが故に〉、四には不妄語、五には不飲酒〈前の四、是れ性戒なり。後の一、是れ遮戒なり〉。『釈氏要覧』「戒法」章何だろう?最近、『釈氏要覧』ばっかり使っているような気がしているのだが、大丈夫だろうか?手抜きしすぎている感じがしているが、一節ごとは短くても学ぶことが多いので、ご寛恕願いたいところではある。今回採り上げたのも、短いながらも色々と思うところがあったためである。まず、五戒の内容については特段意見は無い。しかし、その解釈が2つあるので、そこに注目したのである。まずは、「不邪婬」の解釈であるが、在家者...在家五戒に於ける性戒と遮戒について
www.youtube.com 稲垣足穂の文学世界の映画化。 前半は終始耐え難いほどの異様な違和感が支配する映画だ。 タルホ級の高貴な男性にしか言えないセリフを、なぜか女性が言うので、「言わされてる感」が凄まじい。女の大多数はこういう男を理解せずバカにして残酷
(聖徳太子 憲法十七条)より引用します。 忿[いかり]を絶ち瞋[いかり]を棄てて、人の違[たが]ふを怒らざれ。 人みな心あり、心おのおの執[と]ることあり。 彼是[ぜ]とするところすなはち我は非[ひ]とし、我是とするところすなはち彼は非とす。 我かならずしも聖[せい]にあ
聖徳太子(574-622年)が、隋の煬帝に宛てて書いた国書の中身は割合有名です。~日出ずる処の天子、書を日没する処の天子に致す。 恙無しや、(云々)~後進国・日本が超大国・中国向けた国書にしては、かなりのツッパリ感を込めた物言いですから、受け取った側が大いにムッ
「南天棒」こと中原鄧州老師(1839~1925)は、明治時代から大正時代にかけて活動した臨済宗の僧侶であり、常に南天の棒を携え、全国の禅道場を巡って修行者を容赦なく殴打したため、先のように呼ばれた。こういう厳しいのが「禅」だと思っている人には、とても人気であるという。それで、今回の記事は、先に挙げたタイトルの通りだが、南天棒の言葉に、道元禅師『正法眼蔵』「嗣書」巻への批判が見えたので、それを見つつ、批判の射程と、その可否について検討してみたい。まぁ、宗派が違うので、南天棒自身は「是」として主張したのだろうが、洞門の拙僧としてはそのまま同意するわけにもいかない。嗣法の原理はこの勘定では分からぬ。嗣法の広大無辺にして際涯なき無量心に参ぜねばならぬ。時間の不可得なる所をも参詳するがよい。早く合点の行くようにいえば、長...南天棒による『正法眼蔵』「嗣書」巻批判?
禅宗に於ける戒思想というのは、日本だけに限定すれば、かなりの紆余曲折を見せることになったと思われる。理由は、天台宗の大乗戒壇成立後、いわゆる日本三戒壇の権威は相対化され、そして鎌倉時代に入ると、戒に関する動向は復興派と無視派と、おそらくはその中間路線を行こうとした人に分かれるようになる。禅宗内部でもそうで、戒定慧の三学の中で、定を重んじる反面、戒について無理解だったと評されるような人もいる。或いは戒を必死に護ろうとした人もいる。その間だった人もいる。よって、各時代の戒に関する考え方や、祖師の言葉を丹念に見ていくしかないわけですが、今日は日本にも天台宗の最澄を通して伝わった北宗禅の菩薩戒思想を見ていこう。各各、胡跪合掌す。当に四弘誓願を発さしむ。衆生無辺誓願度。煩悩無辺誓願断。法門無尽誓願学。無上仏道誓願証。次に...北宗禅の菩薩戒思想について
邦画『ボクは坊さん。』www.youtube.com 『ほぼ日刊イトイ新聞』の「坊さん。57番札所24歳住職7転8起の日々。」も拾い読みした。 第83回 長老に引導を渡す。より引用させていただきます。 その夜、枕経に行くと、 やはり長老は亡くなっている。 死んでいる。
仏教で「三帰」というと、以下の一節のように唱えるものである。我れ帰依仏、帰依法、帰依僧す。『長阿含経』巻15要するに、仏法僧の三宝に対して、帰依を表明すれば、それが「三帰(三帰依)」なのである。然るに、関連して以下のような注意がされることがある。是の如く三たび説いて三宝に敬礼す。礼し已りて語りて云く、此れは是れ三帰なり、更に三竟有り、汝、一心に受くべし。『略授三帰五八戒并菩薩戒』ここで、タイトルにも関わるのだが、「三帰」が終わってから、「三竟」があるという。これについては、曹洞宗などでも用いている「三帰依文」を思うと、すぐに分かると思う。帰依仏竟、帰依法竟、帰依僧竟。「三帰依文」これが三帰に続いて唱えられるのだが、これを先の文献では、「三帰」に続いて、更に「三竟」有りと示したのである。そこで、宗門の「三帰依文」...「三帰」と「三竟」の話
私は、人間だもん
私は人間だから
はしゃいで、騒いで、笑顔になれる、特別なセッションとは
真実のサイキック力を身につける、だれも知らなかった極意とは!
あなたの「これからの運命」を最高にする3つの条件
これからの「運命」を最高にする3つの条件
経営者さん、社員の発言する「自社の悪口」とは・・・。
霊能力のある女性ヒーラーさんと仏さま
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調子よくなったクライエントさん
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あなたに起こる「善きこと・わるきこと」
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心は疲れるし、心の苦しみから解放されたい、そんな人の「進む道」とは
自分の手のひらさえ見えないような暗闇にいる人の世界にともる灯りとなるように
①[弁証法]中国共産主義法 中華民族の偉大なる復興に向け、日々努力しています。英米法 中国は日々境界線をずらし、諸国を威圧します。中国共産主義法 中国は平和を重んじており、覇権主義には反対です。英米法 中国の日々境界線ずらしの背景には弁証法があります。共
青春時代のおれは、とにかくじっとしていられなかった。やみくもに体を動かしたものだ。 それが苦しみから必死で逃れようとする姿だったと、今はわかる。 動くことでその目的に達することはないのだということも。 マイケルセンベロ。「マニアック」
『釈氏要覧』を見ていたところ、「持戒三楽」という項目を見出した。持戒三楽四分律本偈に云く、明人能く護戒し、能く三種の楽を得る。名誉及び利養、死すれば天上に生ずることを得る。『釈氏要覧』巻上「戒法」項ここでいう「三楽」は後半部分が該当する。そこで、典拠については、「四分律本偈」とあるのだが、仏陀耶舎訳の『四分律比丘戒本』の巻末に見える偈のことだと分かる。意味としては、智慧を明らかにするような正しい人は良く護戒して、三種類の楽を得られる。それは、名誉と自らの利益と、死後に天上界に転生することである。つまりは、現当二世の楽を得ることを意味している。ただし、興味深いのは、この「楽」はあくまでも、この三界中の楽であり、三界を超越した仏道としての「楽」では無いということだ。三種の楽とは、名誉、利養、是れ現在果報の楽なり。天...「持戒三楽」について
漢訳仏典を見てみると、「不応食」という言葉は、「応に食するべからず」ということだが、具体的な意味するところでは、タイミングや、供養している場面の問題などを扱う場合もあれば、食べる種類を扱う場合もある。後者の例としては、大乗『大般涅槃経』などがある。若し食中に多くの肉有るを見れば、則ち応に受けるべからず。一切の現肉、悉く応に食するべからず。食すれば、罪を得る。我れ今、是の断肉の制を唱う。若し広説すれば、則ち尽くすべからず。『大般涅槃経』巻4「如来性品第四之一」この場合、肉に対して、食べるべきでは無いという話になっているため、それを「不応食」としているのである。「不応食」として、明確に肉食の禁止を説くのは、『賢愚経』や『華厳経』に、「不浄肉」の禁止が見られるが、上記の通り『涅槃経』では全面的な禁止となり、更に後代に...「不応食」の話
くどいとお思いでしょうが、最重要事項なので、繰り返します。悪しからず。 現存最古層の仏典「八つの詩句」(スッタニパータ4章)「彼岸に至る道」(同5章)に繰り返し出てくるキーワードは 気をつけて これはサティのことだ。 ブッダは 煩悩を克服する唯一の方法は
昨日、【結夏の上堂について】という記事を書きながら、思ったことを簡単に記事にしておきたい。特に、現在の「結制祝祷上堂」の作法について、途中に「垂語」というのが出てくる。一応、軌範上の定義は以下の通りである。>垂語住持は拄杖を卓てゝ垂語し、「何々底の漢あらば出で来て商量せよ」などゝ法問を促す。『昭和改訂曹洞宗行持軌範』「年分行持・五月十五日・結制祝祷上堂」項、138頁中秋の賞月の次いで、垂語に云く、正当恁麼時、如何。衆、下語す。師、示すに偈を以てす、正当恁麼時如何、指話以前に方に好看すべし、修行を費やさざるの供養力、南泉物外独り閑閑たり。『月舟和尚遺録』このように、中秋の名月を観ていた時の月舟宗胡禅師の「垂語」は、ただ「正当恁麼時、如何」であり、それに対して、大衆が応えて「下語(一言ずつ言葉を述べた)」したのであ...垂語と索語と釣語
東洋にキリスト教を伝道することを企て,1704年マニラに渡り日本語を習得。さらに1708年鎖国下の日本・屋久島 (鹿児島県) に上陸。ところが島人の通報により捕えられ、長崎を経て江戸に送られ、監禁されたのが、イタリア人カトリック司祭・シドッチ(シドッティ/1668-1714年
今日4月15日は結夏(夏安居の開始)である。それで、この結夏に合わせて上堂を行う場合もある。道元禅師は、『永平広録』巻3-238上堂で、「結夏の上堂」を行われているし、また、結夏の上堂に関する軌範として、「十五日の陞座罷、住持人、法座よりおりて……」(『正法眼蔵』「安居」巻)とある通り、「陞座」とは「上堂」と同じ意味であり、しかも「十五日」とは旧暦の「四月十五日」を指し、結夏なのである。よって、道元禅師が結夏に上堂をされていたことは間違いないが、その後の曹洞宗ではどうだったのだろうか?・只だ上堂罷、公界に礼賀するのみ。次に上堂拈香し、着座の後、侍者焼香し、引いて同事に楷下より望み問訊す。・侍者、又た戒臘牌を打調す。同じく粥罷上堂の以前、法堂東間に法座に向かって高く安置す。ともに『瑩山清規』このように、瑩山禅師も...結夏の上堂について
以前、クローズアップ現代「がんを“生き切る”~残された時間 どう選択~」を、観終った時の感想。 死という人生の最終場面にどう対処するか。 この重いテーマを扱った番組やドラマを、おれは努めてたくさん観てきたほうだとおもうが、「なるほど!」とおもったこ
今日は結夏ではあるが、それは旧暦での見方であり、現在は1ヶ月後の5月15日が結夏の基本となっている(気候や地域によって、前後して良いとされる)。それでも、例えば、道元禅師が夏安居について「四月十五日握拳し、七月十五日開拳す」(『永平広録』巻3-248上堂)という言葉に見られるように、やはりかつての祖師方の言葉を学ぶ場合は、今日という日付に結夏を思ってしまうものである。そういうことなので、今日は以下の一節を学んでおきたい。結夏上堂。九旬の縄墨長短に非ず、曲直縱横功業新なり。木馬泥牛混雜する処、風に嘶ひ月に吼る力耕親し。諸禅徳、摩竭の掩室、少林の面壁、什麼の意旨有るや。良久して云く、一粒荒田に在り、耘らざるに苗自ら秀つ。『義雲和尚語録』「宝慶寺語録」、訂字本7丁表、原典に従って訓読まずこれは、後の永平寺5世中興・義...今日は結夏(令和3年度版)
①[断食月ラマダン開始]A イスラム諸国では断食月ラマダン開始だ。B ラマダンは1ヶ月だから長いよね。A 断食は日中だけで夜は毎日宴会だけどね。笑いB でも日中は水も飲めず、大変だよ。A 今年はコロナ感染が懸念される。B クラスターが起きないといいけどね。②[イ
とりあえず、以下の一節を見ておきたい。捨戒四縁婆沙論に云く、尽形寿の律儀、四縁に由りて捨つ。一つには所学を捨つ〈即ち戒を捨つ〉。二には二形生ず〈即ち、男の女に変じ、女の男に変ずる時〉。三つには善根を断ず〈謂わく悪戒・邪見を受く〉。四つには衆を捨つると分を同ず〈即ち身死す〉。『釈氏要覧』「戒法」項、訓読は拙僧他にも、「六縁」という話が続いているようだが、要するに「四縁」の解釈の仕方の問題であるため、ここは放っておこう。さて、ここで挙げた「捨戒」であるが、還俗論でもある。比丘が自ら受けていた戒を捨てて、僧であることを辞めることを意味する。『釈氏要覧』では、典拠として『阿毘達磨大毘婆沙論』巻117「業蘊第四中邪語納息第二之二」を挙げている。そして、同論では「第五縁」も挙げているが、「諸持律者の説くに、法滅没の時、第五...比丘が捨戒(還俗)をする時について
以前、或る近世洞門学僧の語録を読んでいたら、こんな法語が出ていた。猿戒壇昔人定を習い巌巒に坐す、群猿、授戒し石に壇を作る、豈に将に僧をもって獣の如くならざるべし、律文熟読して心肝に刻む。連山交易禅師『帰蔵采逸集』巻2、『続曹全』「語録一」巻・109頁上段、訓読は拙僧それで、実はこの法語を訓読しておいてから、この「猿戒壇」に因む話を探していたのだが、結構それなりに長い期間放置しておいたものの、拙僧自身、この話を見付けきれなかったので、先にブログにアップしてしまおうと思ったのである。おそらくは、この法語の元ネタになったであろう仏教説話があるように予感しているのだが、この辺が良く分からない。もし、ご存じの方がおられれば、教えていただければ幸いである。さて、この法語の意味するところだが、昔、或る人が禅定をするために、岩...猿戒壇の話
とりあえず、以下の一節をご覧いただきたい。菩薩五戒威儀経に云く、比丘、四重を犯せば、更に受路無し。菩薩、犯すと雖も、脱すれば更に受くべし。比丘の四重を犯するも、懺悔を開し、本得に帰すること、行事鈔記中四之三巻、十二葉已下に見へたり。菩薩の重受に不同、文広ければ、爰に略す。大虚喝玄禅師『永平丈室夜話菩薩戒義』「重受戒法」項、『曹全』「禅戒」巻・224頁上下段これは、「重戒」に対する見解の相違を述べようとした一節なのだが、大虚喝玄禅師(永平寺40世)は、「菩薩の重受に不同、文広ければ、爰に略す」として、全体を論じてはおられない。そこで、拙僧なりに大虚禅師がご指摘なさろうとした内容を補完しておこうという記事である。まず、ここでいう「重戒」というのは、声聞戒であれば諸律で説くところの「四重禁」を意味しており、「婬・盗・...声聞戒と菩薩戒の「重戒」に対する相違について
邦画『愛を乞うひと』 Wikipedia『愛を乞うひと』より引用させていただきます。10歳まで孤児院で育った後実母に引き取られ、凄惨な虐待を受けて母への愛の渇望と憎しみを抱きつつ大人へと成長した少女が、ふとしたきっかけから母の過去を見つめる旅に出て、真の母
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自分を変えようとして苦しんでいる人は多くいます。実は自分を変えようとしていることが間違いなんです。そもそもそのそのままの自分で幸せに暮らすことができます。それができるならみんなそのままの自分で暮らしたいと思っていると思います。そんなそのままの自分で幸せに暮らすためのヒントを発信します。
「奇跡」を司るのが「神」 時間・空間・物質に「奇跡」が起きた。 生命は「奇跡」の連続 「大いなる意思」は「神の愛」 人間は皆、「神の子」です。