聖書に基づくイエス様の救いの証をお語り下さい。短くても結構です。
11月23日乙女座で迎える下弦の月。地に足の着いた堅実な行動を!
冥王星水瓶座入りと11月22日「小雪」からの星の動き★下弦の月と水星逆行★繁栄の楽園を夢見て
11月22日太陽の射手座入り。風の時代を自分らしく生きるにはどうしたらいいか?
11月20日水瓶座入りした冥王星の個人への影響は?
牡牛座満月前後に両親と同じ名前の神社に参拝。大転機に自分の原点を思い出すこと。
11月20日いよいよ冥王星水瓶座時代(本格的な風の時代)の幕開け。5つの主な傾向について。
風の時代の本格始動を目前にすごいシンクロで再会した知人!この時期3人目の引越し。
2024/11/16 06:29 牡牛座の満月
2024/11/01 21:47 蠍座の新月
11月「立冬」からの星の動き★上弦の月と冥王星水瓶座入り★ホントの理想を見極めてく…
11月15日土星逆行が終了。順行後は逆行中の見直しを実行すること&2つの行動がお勧め。
11月16日牡牛座満月は特別な満月。冥王星水瓶座時代を目前に地の時代を振り返ろう!
占い用語【グランドトライン】
占い用語 【トライン】
ボーイ・ジョージの星読み
【カラーカード&コーヒーカード占い】11/22(金) LION & SILVER【今日の占い】
【冥王星が水瓶座入りしてから】カラーカード三択占い【年末まで】
【コーヒーカード&カラーカード占い】11/14(木) ANCHOR & EMERALD【今日の占い】
【コーヒーカード&カラー占い】11/11(月) CAVALIER & RAINBOW【今日の占い】
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【コーヒーカード&カラーカード占い】11/9(土) ROSE & BROWN【今日の占い】
【コーヒーカード&カラーカード占い】11/6(水) LADY & RUBY【今日の占い】
【コーヒーカード&カラー占い】11/5(火) GENTLEMAN & MAUVE【今日の占い】
【ミュージカル談義】七さんのご家族様【お返事です】
【コーヒーカード&カラー占い】11/4(月) CAVALIER & LAVENDER【今日の占い】
【メッセージ箱】七さんのご家族様へ【お返事です】
自分発振で現実を変える「量子力学的」願望実現の法則
自分発振で現実を変える「量子力学的」願望実現の法則
【今日のコーヒーカード占いと癒しのカラーメッセージ】11/1 (金) 新月だよ DOG & RUBY 【カラーカード】
【コーヒーカード占い】ミクロ様【1周年記念特別企画】
学校の先生やってるんだけど、生きがい感じないんだよね。どうしたら、生徒を呼べるような人気のある先生になれるのかな?なーんて疑問もってる人、いませんか?幸福の科学学園の創立者でもある大川隆法先生は、『教育の法』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。まずは、やはり、努力をする必要があります。努力をしても、給料は変わらないかもしれませんが、それは給料の問題ではありません。「子供たちに学ぶことの喜びを教えることができる。そして、子供たちは、教師である自分から教わることに幸福感を感じている」ということは、自分自身の生きがいにつながることです。そうして、「お役に立っている」「子供たちの未来に夢を与えることができている」ということを実感できるのは、非常にうれしいことなのです。そして、そうなるためには、やはり、プラスアル...人気のある教師になる方法って?
前回の記事から、「篤胤の天竺論」として論じている。篤胤は、仏教の開祖である釈迦牟尼仏が活動したインド(天竺)のことを明らかにすることで、日本との差異を示し、当然に、仏教について宗教としての日本での有効性を示そうとしていると推定される。よって、篤胤なりのインド分析が語られたのである。さて漢土などよりは、またひとかさ広ひ所で東西南北中と五つにわけて、これを五天竺といふ。それを又細かに分つている。采覧異言に引く万国伝信記事に云く、西はペルシヤに界ひ、北は韃靼に連り、東は支那に至り、南は印度海に臨りとござる。偖其風土のことは阿蘭陀の方でくわしく考へ、よく見極めたる天文地理の説によりて見ると、天の度数でちやうど赤道線と云て、日輪の御通なさる道に近く、已にかの国近くの島々には、赤道の直下にあたる島々もある程のこと故、大の熱...篤胤の天竺論(2)(拝啓平田篤胤先生6)
江戸時代の洞門が輩出した学僧・指月慧印禅師の主著である『荒田随筆』を学ぶ連載記事であるが、「諦縁度」と題された一章の、3回目の記事である。既に申し上げたことだが、これは四諦・十二縁起・六度(六波羅蜜)を論じるものとして、考えていただければと思う。若し四道通行覚分及び賢聖、学無学等の義分の如きは、論家常に説けり。上の如き苦集を世の因果と為し、道滅を出世の因果と為す。而して出世の道遠し。大に世の衆理情縁に闊れり。然ども其道の必実なるを聞て、内に厚く思ふ。思て其の外に修し及すときは、則ち又た遠からず。猶お寐て憂ひ寤て忘たるがごとし。蓋し、世の常とする所は寤ざるに在り。若し呼に為にあらずんば、則ち醒こと也た未だし。故に大覚之に教へて始に聞思修を以す。聞思修を以すとも、而して撿するに戒を以せざれば、往く所、逸して敗れ易し...諦縁度(其の三)(指月慧印禅師『荒田随筆』参究29)
ね、神社に参拝に行くでしょ。柏手(かしわで)って打つじゃない。あれ、なんでなの?なーんて疑問もってる人、いませんか?幸福の科学の大川隆法先生は、『幸福への方法』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。なぜ神社では神前にて柏手を打つのかを考えてみましょう。単に合掌するだけでは何の音も出ませんが、柏手を打つと、はじけるような音がします。これには二種類の意味があると私は思うのです。一つは、柏手を打つという動作と、その動作から発する音が、周りの空気を非常に揺さぶることによって、一種の邪気を払っているということです。周りの悪霊、あるいは悪い想念といったものを払うという意味で、柏手を打っているに違いないと思います。実際、柏手にはそうした効果があります。もう一つは、手をたたくことによって、自分自身の“眠っている”魂に対し...柏手(かしわで)って?
連載は19回目となる。『養老律令』に収録されている『僧尼令』の本文を見ているが、『僧尼令』は全27条あって、1条ごとに見ていくこととした。まずは、訓読文を挙げて、その後に拙僧なりの解説を付してみたい。なお、『令義解』の江戸期版本(塙保己一校訂本・寛政12年[1800]刊行、全10巻で『僧尼令』は巻2に所収)も合わせて見ていきたい。凡そ僧尼、道路に於いて三位以上に遇はば、隠れよ。五位以上ならば、馬を斂へて相い揖して過ごせ。若し歩ならば、隠れよ。『令義解』11丁裏~12丁表を参照して、訓読は拙僧まず、ここでいわれている「三位」「五位」が分からないと、この条文がそもそも何のことを述べているのか、理解に苦しむことになろう。非常に分かりやすくいえば、いわゆる「律令制度」の中では、「五位」以上のことを貴族といったらしい。そ...第十九条・遇三位已上条(『僧尼令』を学ぶ・19)
江別神社に初参拝してきました。 祀られているのは「天照大神、大国主大神、加藤清正公」。 2019年にはご神水が復活したということです。 35度近い高い気温の中、初めて拝ませていただきました。 天照大神、大国主大神、加藤清正公
ドイツ宗教改革の発端にもなったとされるマルティン・ルターの『九十五箇条の提題』の日本語訳を学んでいく連載記事である。連載24回目である。24以上のような理由から、多くの人が節操のない仕方で、荘厳であるだけの約束が与えられることで、罰から解放されているかのように騙されてしまっている。深井氏下掲同著・20頁ここ数回の記事で、ルターは煉獄に堕ちている魂の救済について、現世からの働きかけの限界を論じたわけだが、それらの記述を元に、「以上のような理由」としつつ、「多くの人が節操のない仕方」で、ただ「荘厳(=飾り)」であるだけの約束が与えられ、罰から解放されているように騙されているとするわけで、どうやら『贖宥状』への直接の批判だったということがいえよう。つまり、それまでのルターは、教皇の権能や、当時の教会の司祭などのあり方...マルティン・ルター『九十五箇条の提題』を学ぶ・24
メモと感想慈悲の世界に判断・好みはあるはずがない。 自分の判断・好みで動くと、社会の攻撃を受けて壊れる。 他人の判断で動くロボットになると、自分の判断プログラムとぶつかって壊れる。 愛は、破壊物語をまとめるためのツール。 「愛は最後に必ず勝つ」で物語は止
「ThinkBig!」って言葉を聞く気がするけど、これって、何なの?なーんて疑問もってる人、いませんか?幸福の科学の大川隆法先生は、『ThinkBig!』(幸福の科学出版)のまえがきとあとがきで、次のように教えておられます。まえがき若い人たちには、いろんな物事が困難に満ちて見えていることだろう。劣等感に悩んだ人は多かろう。逆に、自己顕示欲に悩まなかった人も少なかろう。劣等感と自己顕示欲の間にあって、心揺れながらも、未来を切り拓いてゆくことこそ、青春を生きる者の特権である。あなた方に『ThinkBig!』という言葉を贈りたい。東京には、今、スカイ・ツリーがその勇姿を見せてきているが、そのタワーが設計図以上に高くなることはありえない。大きな夢を心に描き、コツコツとした努力と、時には、人生ここ一番の勇気で、未来を築い...「ThinkBig!」って?
北宋代を代表する詩人である蘇東坡居士(1037~1101)というと、例えば道元禅師の『正法眼蔵』「渓声山色」巻のタイトルは、居士の偈頌が元になっているので、親しんでおられる方もいると思う。渓声便ち是れ広長舌、山色清浄身に非ざること無し、夜来八万四千の偈、他日如何が人に挙似せん。「渓声山色」巻これは、中国臨済宗黄竜派の東林常総禅師(1025~1091)の下で悟道した時(『嘉泰普灯録』巻23では、無情説法話を呈されてのものだったとしている)に呈したものであり、まさに自然に於ける様々なはたらきが、仏法以外の何物でも無いことを示され、更にそれを東坡居士自身が深く味わっている様子を詠まれている。元々東坡居士自身は、時代に流されない優れた詩作を行った人とされ、道元禅師も「大宋国に東坡居士蘇軾とてありしは、字は子瞻といふ。筆...蘇東坡居士の漢詩に見る叢林修行について
おれはゾンビ映画にまったく興味がないのだが、これはロケ地がブッダを生んだインドなので、ちょっと見てみた。 インドでゾンビが大暴れ!映画『ザ・デッド:インディア』予告編 www.youtube.com おれはゾンビ物の何が好いのか皆目わからんし、わかりたいと
ラムディア文明について、何度か紹介してきました。で、今日は前回の最後に出てきましたが、ラムディア大陸が海没した真相はどうだったの?という疑問について、ご紹介します。幸福の科学の大川隆法先生は、『神々が語るレムリアの真実』(幸福の科学出版)で、九次元霊にして、ラムディア文明では大師マルガリットとして生まれた、マヌ神の言葉(「霊言」)を、次のように伝えておられます。われわれは、芸術のほうを中心にやっていたのですが、実は、宇宙から人がだいぶ来ていました。ときどき、そうなるのですが、当時も、宇宙人との交流があったのです。ただ、ラムディアにおいては、科学技術的なものが、まだ、そんなに発達しておらず、異星人との間には、圧倒的な技術差がありました。そのため、彼らの指導によって、いろいろと便宜供与を受けていたような状態でした。...ラムディア文明って?(その5)
布薩というのは、在家信者も行うものなのだろうか?とりあえず、以下の一節を見ておきたい。在家の布薩は、或いは五戒、八戒、或いは云わく菩薩戒なり。其の文、已に亡われ、尋ぬべからず〈或いは云く、即浄住子二十巻なり〉。霊芝元照『四分律行事鈔資持記』巻上四「釈説戒篇」霊芝元照(1048~1116)による、この文章を素直に見ておくと、在家の布薩というのは、戒本が五戒である場合、八斎戒である場合、或いは菩薩戒である場合があったとしつつ、その文は既に失われており、探すことが出来ないとしているのである。浄住子というのは、「南斉蕭子良、浄住子二十巻を撰す」(『釈門自鏡録』巻上)という記述もある通りで、中国で著された文献である。それで、そちらに在家の布薩が書いてあるのだろうか?ちょっとよく分からない。それで、この一節によれば、元照は...在家の布薩とは?
いやあ、仕事で忙しいしさ、信仰生活も宗教活動もしなきゃだから、家庭なんて、わりとどうでもいいよね。しょうがないよね、時間は限られてるんだからさ?なーんて疑問もってる人、いませんか?幸福の科学の大川隆法先生は、『限りなく優しくあれ』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。信じ合い、調和した家庭をつくるなかに、大きな光が出てきます。そういう家庭を「光の出城」といいます。この光の出城をつくるのです。ここから出発していくのです。まず足元を固めていかなくてはなりません。断じて、妻と夫が競い合い、お互いの長所を削ぐようなことがあってはなりません。親と子においても同じです。互いを生かし合う関係をこそ選ばなくてはなりません。男女調和の道、家庭調和の道、家庭ユートピアの道から始まっていくものこそ、ほんとうに世界を救っていく力...家庭って?
この辺、拙僧自身、論文で書いたことがあったが、なるほど、既に先達が仰っていたわけだ。山僧若州の空印に住し、六七年の間、今迄の規矩を行に、永平瑩山の清規に乖ことををし、これ明様の禅堂ゆへと思て、古時の僧堂に翻修し、日分行法を述し行ふに、進退みな度に合す、しかれども新掛搭の僧は、今までを誤としらず、却て古規を新しきことに思ふもあるゆへに、改革せる本意をしらせたく、諸規矩の考訂を説く、面山瑞方禅師『洞上僧堂清規考訂別録』巻1「僧堂日分行法次第考訂」、カナをかなにするなど見易く改める以前、或る方と、僧堂の行持のあり方について雑談していたときに、現代でも復古としてかつての行持・作法に戻してしまうと、現代の作法に詳しい人こそ、初めての作法に見えるかもしれない、等と話したことがあった。そうしたら、同じことを江戸時代の面山瑞方...面山瑞方禅師が示す「古規復古」への注意点
法然上人の、一見矛盾に感じる 「安心なんてないさ」というほんとの安心 の境地を示す言葉を引用します。 往生を期せん人は決定の信をとりて、しかもあひはげむべきなり。 (一言芳談131より) 一念十念に往生をすといへばとて、念佛を疎相に申ば、信が行をさまた
宗教学者って、なんだか、言ってることが変な気がしてしょうがないんだけど、なんでなんだろう?なーんて疑問もってる人、いませんか?幸福の科学の大川隆法先生は、『悲劇としての宗教学』(幸福の科学出版)のまえがきとあとがきで、次のように教えておられます。まえがき現代日本の宗教への不信感、偏見をぬぐい去るためには、その源流を探り当てねばなるまい。先年のオウム真理教事件の際に、私は、東大宗教学科卒の宗教学者たちが、なぜこれほどまでに善悪が判らないのか不思議でならなかった。なぜオウム教を本物だといって持ち上げるのか。それを宗教として間違っていると批判している私の方をまるでニセモノだと言わんばかりの論調だった。というか、むしろ、「法学部の卒業生が、俺たちのナワバリを荒すな」と言わんばかりだった。おそらく、彼らが外見上、チベット...宗教学って?
とりあえず、以下の一節を見ておきたい。清規を行ふに、たとひ清規にありとも、その寺にて無用のことは減ず、またその寺にあり来る恒規にて、清規にたがふもあるべし、それを掛搭僧の中に、この寺にて是事はなぜに行なわぬ、此ことはわきになき勤めじや、などと評判する擔板漢は、一向の蒙昧なり、強く評せば、山門の妨げになる、返錫せしむべし、面山瑞方禅師『洞上僧堂清規行法鈔』巻5「僧堂新到須知」、カナをかなにするなど見易く改めるこの教えについては、余程注意が必要である。ただし、本来、清規については「海曰く、「吾れ大小乗の中に於いて、博約折中して規を設けて務めて善に帰する」と」(『宋高僧伝』巻10「習禅篇三之三」、「唐新呉百丈山懐海伝」)という、百丈懐海禅師の指摘もある通りで、博約折中的な態度が尊重されていたことも事実である。その上で...清規に於ける随方毘尼の一様相
A・スマナサーラ長老法話「修行は独りでおこなう~独居修行とは精神の自由~」より引用させていただきます。 儀式儀礼をおこなうことで心が清らかになるのだ、という考えは、仏教は認めないのです。しかし、真理を何も知ら
YouTube「ゆる言語学ラジオ」が楽しすぎる。毎回かかさず視聴させてもらってる。 吉幾三的な言語と、その本質「イビピーオ」の幸福度がすごい【ピダハン後編】 #35 この紹介話を聞く限り、ピダハンの「イビピーオ」に、ブッダの教えを感じる。あと一歩で仏法
平凡な毎日なんだよね。努力はしてるつもりなんだけど、ぜんぜん成功できそうにないんだけど?なーんて悩み抱えてる人、いませんか?幸福の科学の大川隆法先生は、『仏陀再誕』(幸福の科学出版)で、こう説いておられます。私は今、たいへん平凡なことを言った。平凡ななかに悟りの香りがあるという話をした。さて、ではこの成功の条件であるところの悟りの香り、魂が光っているという感覚と、忍耐ということとはどういう関係にあるか、わかるだろうか。すなわち、忍耐と成功とは、平凡という言葉によってつなぎ合わされることとなるのだ。非凡な毎日、非凡な生活のなかでは、忍耐というものは、それほど大きくはたらかないかもしれない。しかし、平凡な毎日を積み重ねてゆくということは、限りなく忍耐を要求されることであるのだ。平凡な毎日を送ってゆくということは、限...忍耐って?
今日、7月23日は「スポーツの日」であり、「東京2020オリンピック」の開幕式が執り行われる。既に一部競技は始まっているが、今日から8月8日までの熱戦を期待したい。ところで、これは良く知られていることであろうが、何故オリンピックは「五輪」と呼ばれるのだろうか?そもそも、「オリンピック」の語源については、古代ギリシャのスポーツの祭典が行われた「オリンピア」に因むものというのは、広く人口に膾炙していると思うが、そこから「五輪」表記に到るのは、大分遠い感じがする。そこで、以下のサイトが参考になる。・「オリンピック」を「五輪」と表記したのは誰?(日経電子版ことばオンライン、2012/7/24)上記記事によれば、まず、オリンピックのシンボルマークは、近代五輪の祖・クーベルタン男爵(フランス、1863~1937)によって考...「五輪」の話(令和3年度スポーツの日)
いきなりだけど、正義って、なんなのかなあ?なーんて疑問もってる人、いませんか?幸福の科学の大川隆法先生は、『西郷隆盛日本人への警告』(幸福の科学出版)で、明治維新の英雄・西郷隆盛の霊の言葉(「霊言」)を、次のように伝えておられます。まあ、時代において主流を占めたるものが、人類の正義を決めてきたのは事実だ。だから、今、日本が没落の過程に入るならば、この国は「邪悪なるもの」として分類されることになるだろう。そして、日本を指導している神々、あるいは高級諸霊は数多くいるけれども、われらが霊界も滅びることになる。かつてのギリシャ霊界が滅び、エジプト霊界が滅び、ローマ霊界が滅びたと同じく、国の衰亡と、その国を守護・指導する神々の衰亡とは連動する。ゆえに、今後、われらが日本霊界の神々の、いわゆる高天原の存亡は、あなたがたの活...正義って?
今日7月22日は海の日である。本来というか、例年であれば、7月第3週の月曜日なので、19日になるはずであったが、今年は、明日が東京2020オリンピックの開会式があるということで、それに因んでここ数日休日が続くことになったのである。場合によっては、4連休ということか。拙僧は仕事先の関係で、通常の土日のみ休みではあるが・・・さておき、今日は海の日ということで、海に因んだ仏祖の教えを見ていきたいと思うのだが、道元禅師の『典座教訓』には、海を喩えに用いた垂示が、複数あるので、それを見ておきたいと思う。なお、『典座教訓』という文献は、嘉禎3年(1237)春に京都興聖寺で書かれた文献で、修行僧の斎粥(昼食・朝食)を調える衆僧を司る者(典座)の心得を教示したものである。有名な「船中問答」「椎茸典座」の話は本編にある。道元禅師...今日は海の日(令和3年度版)
物を買わない生活を実現するための7つの方法2023.3.24
自由と不安の紙一重な関係性:どう向き合い充実した人生を歩むか
心の痛みに敏感でいたい2023.3.24
銀行の取り付け騒ぎのリスク2023.3.23
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物事の本質は全てグラデーションである2023.3.23
地方移住促進よりも関係人口増加の重要性について2023.3.22
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努力だけでは給料アップにつながらない理由2023.3.22
ブログについて
背中で哀愁を出す男のメリットとは?2023.3.21
自然と共存するためには、自然とのつながりを大切にすることが重要
未来を創造する企業とは?2023.3.21
障碍者が社会問題を無視したら?社会的責任と共生の意義
日本で米粉が注目される理由と将来性について2023.3.19
天才ってさ、やっぱし、生まれつきなのかなあ。いまから天才になる方法なんて、ないのかな?なーんて疑問もってる人、いませんか?幸福の科学の大川隆法先生は、『真のエリートを目指して』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。しかし、私は今まで数多くの人を見てきましたが、一般的に言って、「ずばり、才能的に見て天才」と言い切れるような人は、残念ながら、世の中にはいません。天才と言われる場合、それはみな結果論です。その人が一定の業績や非凡な業績をあげたとき、それを見て、周りの人たちが、「あれだけの実績をあげたのだから、さぞ天才的な才能を持っているのだろう。天才に違いない」と認めてくれるようになります。しかし、そういう業績をあげる前の段階では、なかなか認めてはくれないものなのです。特に、文科系では、天才は、そう簡単に認めて...天才って?
仏教には、「捨戒」という作法が存在する。それは、自ら望んで受けた戒を捨てることを意味する。僧侶であれば還俗を意味することだが、その作法について、以下の記述を見出したので学んでみたい。捨戒事、不還戒して犯之為罪、棄戒は還戒して犯之無咎、受けたる師の程なる僧に逢て還之、受たる師よりも劣なる僧に逢ては不被還也。『梵網経略抄』、『曹洞宗全書』「注解二」巻・624頁下段まず、上記一節が何をいっているのかを確認したい。ここでは、捨戒のことを述べているのだが、具体的には「還戒」についても指摘されている。これは、戒を受けた人に還すことをいい、またを「棄戒」ともいう。それで、経豪禅師は戒を還してしまった後であれば、特定の戒を犯しても咎は無いとしている。そして、還す際には、自分が受けた師くらいの境涯を持った僧に還すべきで、もし、戒...『梵網経略抄』に見える「捨戒」について
(画像は過去記事から) この暑い時期は雨以外毎日、近くの川で水中手動瞑想をやる。 昨日はかかりつけのKクリニックで診察を終え、その足で川に。快晴だが、誰もいない。11時頃から13時半過ぎまで。ひざを折って丁度肩まで浸かる深さの場所が定位置。◎
ね、「繁栄思考」って教えがあるんだってね。それって、何なの?幸福の科学の大川隆法先生は、最新刊の『繁栄思考』(幸福の科学出版)のまえがきで、次のように教えておられます。この世の中には、成功し、富を築く人たちを罪人視する風潮が蔓延している。いわゆる、バケツから逃げ出そうとするカニがいると、下のカニがハサミで引きずりおろす、例の傾向だ。バケツからの脱出に成功したカニが、その脱出成功法を他のカニに伝授し、次々と仲間を引き上げる文化を創り出したらどうなるか。次から次へと成功者が数珠つなぎで出てくることだろう。私は、『チャンスの平等』には賛成である。そこには自由からの繁栄がある。しかし、嫉妬心の合理化である『結果の平等』には必ずしも賛成しない。汗を流し、智恵を絞って成功した者が呪われ、なまけ者が得をする世の中を創ることは...繁栄思考って?
あっという間に、「裏盆」となってしまった。まぁ、ちょっとした備忘録である。いわゆる律典であれば、当然に自恣作法の詳細が記載されているが、菩薩戒関係の文献には見たことがない。もちろん、拙僧自身の勉強不足が原因だと思うが、見たことがないものはない。それで、何故、自恣関係の資料がないのか、そのことも検討してみようと思う。そもそも、「自恣」というのは、以下のような定義であると思われる。自恣とは、自己の過、恣ままに他の挙する所なり。圭峰宗密『盂蘭盆経疏』巻下つまり、他の僧から、自分の過ちを好きに言ってもらい、そして反省するということになるのだが、近代以降の研究成果を見てみると「自恣」と訳された用語の原意は「満足」らしく、そのため、「自恣」もその意味で解するようである。なお、実際に行うことは、比丘同士が自らの罪を確認し合い...令和3年度裏盆の記事(2・菩薩戒と自恣の関係)
www.youtube.com 死に気づく修行は、頭燃を払う真剣さで行なわなければ、のんびりだらだら怠けているのとおなじだ。 スマナサーラ長老が、この説法で教えてくれている「死念経」については、過去記事「死に関して迂闊でない人」で感想を書いた。 プ
幸福の科学って、週刊新潮とか週刊文春と裁判やってるって聞くけど、みんながみんな、そんなひどい週刊誌だけじゃないでしょ?なーんて疑問もってる人、いませんか?幸福の科学の大川隆法先生は、『「週刊文春」とベルゼベフの熱すぎる関係』(幸福の科学出版)のまえがきで、次のように教えておられます。他人の不幸を見て喜ぶ人が悪人で、他人の不幸を増幅させることを仕事とする者が悪魔である。こうしてみると、週刊誌の大部分は悪魔の支配下にあり、言論によって「悪魔の民主主義」の実現に加担しているといえよう。私は本心から、週刊誌の編集部に勤める人たちに、正しい信仰を持つことを勧める。あなた方が正義を保ち、地獄に堕ちないためのお守りの如きものだからである。本書はいささか変則的であるが、『「週刊文春」とベルゼベフの熱すぎる関係』─悪魔の尻尾の見...週刊誌って?
「裏盆」を過ぎてしまった。「裏盆」の適用日が16日のみという説もあるようなので、まぁ、今日は単純に盂蘭盆会の後という感じである。それで今日のは、【令和3年度盂蘭盆会の記事(2)】で引用した、大内青巒居士の『釈門事物紀原』に収録されている「盂蘭盆会」の記事の続きである。○我国にては斉明天皇三年〈我紀元一千百九十八年〉七月十五日須弥山の形を飛鳥寺の西に作り且つ盂蘭盆会を設けたるよし続日本紀に見えたるを始となすべし、其後聖武天皇の天平五年〈紀元一千三百九十三年〉七月盂蘭盆供を宮中に置き立て常式となし且つ天下一般に令して七月十五日の盂蘭盆供と行なはしめられたり大内青巒居士『釈門事物紀原』鴻盟社・1883年、下巻18丁表このように、だいたい日本に於ける盂蘭盆会の紀元などを見る時には、『日本書紀』と『続日本紀』を見るように...令和3年度裏盆の記事(1)
多くの若者が一生非正規の仕事にしかつけない現実がある。 将来への不安から少子化が進むのは当りまえだ。 団塊の世代の老人は、若者のことや将来の日本のことなど考慮していない。 考え心配しているのは、自分のことだけだ。 しかし、今若者の人間も、老人にな
自由のための戦いみたいなのが必要だって聞いたんだけど、でも日本って自由な国じゃないの?なーんて疑問もってる人、いませんか?幸福の科学の大川隆法先生は、『未来への国家戦略』(幸福の科学出版)で、こう説いておられます。このままでは、日本は全体主義になります。それが近づいています。全体主義、国家社会主義は、はっきり言えば、戦争中の体制です。国が全部を決める社会、国が配給を決めるような社会です。経済すべてを国のコントロール下に置く社会です。「そちらのほうに向かっています」と私は言っているのです。「言論の自由」や「結社の自由」など、多様な意見を受け入れる自由がなくなろうとしているのです。今の小選挙区制のままでは、制度的に第三極以下は消えていくようになっています。二大政党に有利で、小党は非常に苦しいのです。中選挙区制であれ...自由のための戦いって?
毎年、この日にはこの記事を採り上げているのだが、理由は以下の一節に由来する。師、寛元二年甲辰七月十八日に当山に徙る。明年乙巳、四方の学侶、座下に雲集す。『永平広録』巻2冒頭このように、道元禅師はそれまでに滞在されていた吉峰寺や禅師峰ではなくて、或る程度工事が終わった大仏寺(後の永平寺)へと移動されたのであった。なお、この1年前に越前に来たばかりではあったが、滞在されている間に工事が進んだわけである。そして、ここから更に工事が進められ、翌年の4月の安居結制に於いて、各地の学人が大仏寺に集まり、受け容れた様子が理解できよう。ところで、この内容について、道元禅師に係る最古の伝記では、以下のように示す。寛元二年甲辰七月、吉祥山永平寺を草創す。土木未だ備わらず、堂閣僅かに両・三なるのみ。然而、深山幽谷を以て占めて以て一生...7月18日道元禅師が大仏寺へと移動
事業やってるんだけど、経営者って、とにかく忙しいよね。どうやって時間管理すればいいの?なーんて悩み抱えてる人、いませんか?幸福の科学の大川隆法先生は、『未来創造のマネジメント』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。経営トップである企業家は、常に、新しい情報を得つつ、新しい価値として、何か役に立つものを生み出し続けなければいけません。とにかく体を動かすことで、働いているような気になっている人もいますが、仕事に対する評価では、「労働時間が長い」「土日にも働いている」「熱心だ」「よくしゃべる」などということだけを誇っても駄目です。仕事というものは、必ず成果に結びつけてこそ意味があるのです。これを知らない経営者が多いと思います。「とにかく“スーパーマン”でありたくて、体に無理がかかっている」「朝早くから夜遅くまで...経営者の時間管理って?
7月17日は天童如浄禅師忌である。例えば、以下の一節が知られている。七月十七日は、天童忌なり。塔頭にて諷経有るべし。『瑩山清規』巻上「年中行事」それで、以前、如浄禅師は紹定元年(1228)に御遷化されたとされていたが、近年では宝慶3年(1227)であるとされるようになった。それから、如浄禅師には遺偈が残されていて、偈中には「六十六年」とあるため、生没年は1162~1227年となっている。道元禅師は如浄禅師の法嗣として、特に永平寺(当初は大仏寺)に入られてからは、毎年のように追悼の上堂をされていたことも知られている。天童和尚忌辰の上堂。天童、今日、翻巾斗、蹈倒す、驢胎と馬胎と。狼籍一場、桶底脱、洞宗、祖師に託し来ること有り。『永平広録』巻4-276上堂「忌辰」というのは、いわゆる「忌日」と同じことである(辰は「時...7月17日天童如浄禅師忌(令和3年度版)
仏教といえば、お寺とか仏像を観光して見に行く程度のイメージなんだけど、でもそもそも、2500年前にお釈迦さまがおられた時代の仏教教団って、霊的修行をしてなかったのかなあ?なーんて疑問もってる人、いませんか?幸福の科学の大川隆法先生は、『エクソシスト入門──実録・悪魔との対話』(幸福の科学出版)で、次のように説いておられます。仏典を読むと、現在の墓場に当たる「死体置き場」で瞑想修行をしていたことが分かります。墓場といっても、当時のインドでは、日本にあるようなお墓がたくさん並んでいるわけではなく、大きな穴を掘った所に死体をただ投げ込んでいくだけの土葬でした。また、土葬まで行かずに、鳥葬というか、死体を野ざらしにして鳥や動物に食べさせるようなかたちもありました。(中略)当時のインド人にとっても、あまり気持ちのよいもの...釈迦教団の霊的修行って?
以前から、【寛元元年七月十六日道元禅師が越前に移動開始】という記事などを通して、道元禅師がそれまで約10年おられた京都深草の興聖寺から、越前への移転を開始したのが、寛元元年7月16日であると紹介している。寛元元年癸卯〈二月十六日改暦す〉この年七月十六日の比、京を御立あるかと覚ふ、同月末に、志比荘へ下著あると見へたり、正法眼蔵三十二巻の奥書に、寛元元年閏七月初一日、在越宇吉峯頭示衆と云り七月十六日深草を発出し、越に著して、最初は吉峯に住せられて、閏七月初一日に、開示始まれり、『建撕記』、『曹洞宗全書』「史伝(下)」巻・28頁下段、カナをかなにするなど見易く改めるこの『建撕記』については、既に何度も拙ブログで申し上げている通り、永平寺14世・建撕禅師がまとめられた道元禅師伝であり、15世紀中頃までに成立したと考えら...7月16日道元禅師が越前国への移転を開始
ベガ星って、どんな星なの?リラって星がベガ星なの?なーんて疑問もってる人、いませんか?幸福の科学の大川隆法先生は、『宇宙の守護神とベガの女王』(幸福の科学出版)で、宇宙の守護神と名乗る霊人が質問者(B)と対話した霊言を、次のように伝えておられます。宇宙の守護神だから、まあ、金星系というか、プレアデス系というか……。まあ、ベガも少し種類がありましたよね。ベガは、一般的には平和を好むタイプの者が多く、八割ぐらいは、どちらかというと、やや草食系に近いんですが、二割ぐらいは、変幻自在な能力を使って、戦闘系に変身できるところがあるね。つまり、敵に負けないだけの強さをもっていて、変身してくるところはある。B――そうですね。「ベガには三つの星があり、そのなかのリラという星の人は、能動的である」と聞いています。宇宙の守護神いや...ベガ星って?
「自恣」について、少し考えてみたい。何故ならば、【以前の記事】の記事でも申し上げた通りで、本来の盂蘭盆会は安居に於ける自恣を終えた僧衆に対する供養をもって、先祖の供養を行う儀礼だからである。そして、自恣は安居の解制に伴って行われることを考えると、安居の修行を熱心に弟子たちと行われていた道元禅師に、関連する言及がないはずがない、と思っている。ただし、道元禅師は明らかに菩薩戒を重視されるので、菩薩戒に於ける自恣の意味も含めて、慎重に捉える必要はある。なお、以下の上堂は、【今日は7月15日旧暦なら解夏の日】でも引用しているので、解釈自体はその記事をご覧いただきたい。解夏の上堂に云く、正令提綱す、飲水の鵞、能く淳味を取り、一線の道を通じ、華を採る蜂、余香を損せず。布袋、自恣開口す、十方世界も也た、一時に自恣開口す。蒲団...令和3年度盂蘭盆会の記事(8・道元禅師の自恣観)
あの世があるなんて言ってる人いるけど、そんなの証明できるの?なーんて疑問もってる人、いませんか?幸福の科学の大川隆法先生は、『不滅の法』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。「あの世がある」という世界観と、「あの世はない」という世界観とがあり、「この二つの選択肢のうち、どちらを選ぶか」ということには、賭けのような面があるかもしれません。しかし、私は、二〇一〇年には、百数十人の霊人の言葉を公開霊言などで紹介し、霊言集を含む著書を一年間に五十冊以上も刊行して、霊界の存在に関する数々の証明を行いました。「死後、霊天上界に還り、生前と同様の個性を持ったまま、この世の人たちを指導しようとしている人たちが、現に存在している」ということを、公開の場で数多く証明してきたのです。これに対して、「信じるか、信じないか」という...あの世がないことの証明って?
道元禅師(1200~1253)が最後のご病気を発病されたのは、ご遷化される前年の10~11月頃だったと推定されている。その上で、永平寺の後継者をどうするかについては、思慮されていたと思われる。無論、どなたに嗣いでいただくかは決まっていたと思うが、そのタイミングなどを思慮されたのではないかと思われるのである。結果として、住持の座を譲られたのは、ご遷化される約1ヶ月前であった。伝記的記述としては、以下の一節をご覧いただきたい。建長五年癸丑七月十四日、即ち住持の位に著く。夜間に小参し、早朝に上堂す。元公和尚、病床に臥し乍ら、輿に乗りて来たりて聴聞、証明す。『三祖行業記』「懐奘禅師章」このようにあって、懐奘禅師(1198~1280)は建長5年(1253)7月14日に永平寺の2代目住持に就位された。ただし、それからわずか...7月14日懐奘禅師が永平寺の2代目住持に就任
若い人の能力を引き出さないと、企業の未来はないと思うんだけど、でも、どうしたらいいの?なーんて疑問もってる人、いませんか?幸福の科学の大川隆法先生は、『不況に打ち克つ仕事法』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。私は、若いころ、上の人に対しても、いろいろなことをガンガン言うほうでしたが、話をきちんと聴いてくれるタイプの人が好きでした。思いついて言っていることのなかに、たとえ、その人に対する批判や悪口に相当するものが含まれていたとしても、それを受け止めてくれるような上司や先輩には、やはり好感を抱いたものです。若いころの私は、「相手に悪いことを言っているのかな」と思いつつも、「これはおかしいと思います」などと平気で言ってしまうほうでした。そして、私に痛いところを突かれ、こたえているにもかかわらず、「あなたが言...若い人の能力を引き出すって?
以前、【盂蘭盆会雑記―盆踊りの起源とは?】という記事を書いていて、盆踊りの起源を目連尊者に定める向きがあることを指摘したが、また、同じような記事を見つけてしまったので、記事にしておきたい。亡母を追悼供養する為に目連が衆僧と共に或は舞ひ、或は躍りたるが盆踊の濫觴であると云はれてゐるが、仏の来光を希ふ為に、又は仏の来光を歓喜する為に躍る舞踊であるとも言ひ伝へられてゐる。天野藤男『鎮守の森と盆踊』文原堂書店・大正6年、142頁こちらでもやはり、盆踊りの起源を目連尊者に定めている。この辺は既に、先に上げたリンク先でも申し上げた通りで、『盂蘭盆経』の末尾に、「爾時、目連比丘及び此の大会の大菩薩衆、皆な大歓喜す」や「爾時、目連比丘、四輩の弟子、仏の所説を聞きて、歓喜奉行す」とある通りで、仏説を聞いて歓喜したことが、踊りを踊...令和3年度盂蘭盆会の記事(7:盆踊りの起源再考)
聖書に基づくイエス様の救いの証をお語り下さい。短くても結構です。
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目に見えて分野として、スピリチュアル×心理学を使って、健康になって幸せを目指せます。
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ここでは、「妖精」「妖精の森」「おとぎの國」についてのイメージを、共有し合います。どこかで見た絵夲やファンタジー小説、夢に出てきた世界など、何でも。 また、リアルに妖精の森のような未來を望む書き込みも大歓迎です。 但し、旧スピ的発想や、宗教の勧誘、政党政治の推進、メディアを鵜呑みにしたり恐怖を煽るような書き込みは、すべて却下します。
アフリカ出身の夫と国際結婚し、その生活の中で体験したり学んだり考えたりしています
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スピリチュアルに触れながらも、それに傾倒しない哲学・思想などを語ってください。 直接的なスピリチュアル批判の場合は、なるべく理性的にお願いします。 スピリチュアル的な考え方は好きだけどハマり過ぎるのは考えもの、という緩い準アンチの方も考えをお聞かせください。 スピリチュアルの構造の客観的な分析なども歓迎です。 みんなの理性を結集してスピリチュアルに対抗しましょう。 なお、オープンな議論を促すためにコメント機能を開放することが望ましいです。
自分を変えようとして苦しんでいる人は多くいます。実は自分を変えようとしていることが間違いなんです。そもそもそのそのままの自分で幸せに暮らすことができます。それができるならみんなそのままの自分で暮らしたいと思っていると思います。そんなそのままの自分で幸せに暮らすためのヒントを発信します。
「奇跡」を司るのが「神」 時間・空間・物質に「奇跡」が起きた。 生命は「奇跡」の連続 「大いなる意思」は「神の愛」 人間は皆、「神の子」です。