聖書に基づくイエス様の救いの証をお語り下さい。短くても結構です。
11月24日 遅読、積読。本のある雰囲気だけで自分は変容する。(「買ったが読んでいない本」からのアピールについて)
11月23日 本と私。(死生観)
11月22日 脈が弱く血圧測れず。。!!! ユングとフロイトと性欲について。
11月21西 かぜのたみさんの低コストライフに学ぶ! 食べるものは大体決まってきた。
11月20日 ぶちきれオバハンに遭遇&げんなりのことなど。
11月19日 グノーシス主義、グノーシス思想のPOINT.
11月18日 (永世厨二病患者談義) グノーシス主義に想う。
11月17日 極悪女王のこと。妬みと嫉みと不倫たたき。
11月16日 古本購入。
11月14日 私に根付く差別意識はどんな感じだろう。美と差別は非常に難しい関係だな、と思う事など。
11月15日 孤独とコミュニケーション。
11月13日 本を購入。
11月12日 我が三上。特に”厠上”のこと。
11月11日 浪漫主義でごめんなさい。
11月10日 自らが、奇跡としてたまたまこの世に生まれて、自身をどのように処してゆくかを感じ、考えることについて。
もう若くないんだよね。中年って言われる年になっちゃった。そんな時期に大事にしなければならないものってあるのかな?なーんて疑問もってる人、いませんか?幸福の科学の大川隆法先生は、『ストロング・マインド』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。三十歳を過ぎると、いよいよ中堅どころに入り、さらには、三十代後半から四十代にかけて、家族の重みが乗ってき始めます。そのあたりから、人生は複雑になってきますし、人間関係も複雑に絡み合ってき始めます。そして、その先には、終盤戦としての晩年が待っています。これは、「子供が巣立ったあとの自分のあり方や生き方を、どうすべきか」ということを考えなければいけない時期です。それは、二十代のときには、まったく考えてもいないことです。若いうちは、自分のことで、ほとんど精いっぱいであり、ある意...中年以降に大切なものって?
平田篤胤先生(1776~1843)の『出定笑語』についての連載であるが、今日も本文を見ていきたい。それで、一から十まで全部採り上げるのは、分量的に難しいので、拙僧が読んでいて気になった点を中心に見ていくことにしたい。今日は、いよいよ仏教批判に入ろうとする篤胤が、まずインドという国・風土について論じたのである。偖まづ天竺の国は誰も知ての通り、御国からは漢土を隔てヽ西の方に有国で、すなはち西洋人の五大州と名づけたる、其第一の亜細亜と立たる州の内でござる。さて其国がらのことは、世のおと人どもは何か結構な国の様に心得違ひをして居るけれども、実はもろこしよりもまた余程わるい国でござる。然るを坊主どものそれをよざまにとりなして云ふは、どうしたことじやと云ふに、これはちやうど漢学者の何もかも漢土がよいと贔屓すると同じ事で、自...篤胤の天竺論(1)(拝啓平田篤胤先生5)
あの車椅子物理学者として有名なホーキング博士って、じつは、宇宙人だったんじゃないかなあ?なーんて疑問もってる人、いませんか?大川隆法先生は、『宇宙人による地球侵略はあるのか──ホーキング博士「宇宙人脅威説」の真相』で、当時はまだ在世中で、肉体としてはイギリスにいるはずのホーキング博士の意識のなかに宿った宇宙人の魂を探りあて、遠く東京の幸福の科学総合本部に呼出し、自らの体に入れて言葉を語らせるという秘儀を、司会と質問者(A)と公開対話する形で、次のように行なっておられます。司会こんにちは。ホーキング博士でしょうか。(中略)今日は、ホーキング博士の宇宙の魂から、UFOと宇宙人について、お話を伺いたいと思っております。博士の宇宙の魂ウーン。ウーン。ワカル。ワカル。ワカル。司会分かりましたか。はい。ありがとうございます...ホーキング博士って?
江戸時代の洞門が輩出した学僧・指月慧印禅師の主著である『荒田随筆』を学ぶ連載記事であるが、前回から「諦縁度」章を学んでいる。この「諦縁度」章だが、最初、意味するところを測り損ねていたのだが、要するに、四諦・十二縁起・六度という三乗の実践体系などを述べたものであろう。だとすれば、道元禅師の『正法眼蔵』「仏教」巻の説示などを、脇に置いて考える必要があるのかもしれない。ただ、それは実際の本文を見ながら検討していきたい。是の諸苦を約するに、唯だ三苦と為す。謂く、是の苦質にして復更に苦に逢を苦苦と為す。楽に会て楽の壊するを壊苦と為す。陰聚の世に於て流遷して常無を行苦と為す。苦は何に由か成る邪。是れ彼集自り成れり。集とは往時の惑業なり。一切有漏の事、後有を招て相続せしむるを名て集と為すなり。集は因、苦は果なり。是唯一物時異...諦縁度(其の二)(指月慧印禅師『荒田随筆』参究28)
「正義の戦争」で死ねば、天国で神様から褒美がもらえる。 つまり敵は、自分たちは死んでも死なないとおもってる。 神国日本のため死んで、靖国でまた会おう。 味方も、自分たちは死んでも生きてるとおもっている。 敵も味方も、同じ シナナイ妄想 に
人間はみんな神の子なんだから、みんなが平等な社会こそが理想だよね。だったら、妙に歴史が長くて身分制が残ってたりするよりも、若い国のほうがいいんじゃないの?なーんてこと考えてる人、いませんか?幸福の科学の大川隆法先生は、『未来をひらく教育論』(幸福の科学出版)で、長女の大川咲也加さんと対談して、次のように述べておられます。大川隆法平等思想もすべてが間違いではないけれど、マルクス的に、「尊いものをすべてなくして、労働者階級が支配する」という感じになると、「女王アリのいない、みんなが働きアリの世界」になる。でも、「働きアリがすべてを支配する」という世界観は、ある意味で、騙されているような感じはするなあ。大川咲也加それは、どういうことですか。大川隆法つまり、人間の才能や努力、業績、あるいは、先天的なもの、転生輪廻の過程...歴史と伝統がある社会と平等社会って?
連載は18回目となる。『養老律令』に収録されている『僧尼令』の本文を見ているが、『僧尼令』は全27条あって、1条ごとに見ていくこととした。まずは、訓読文を挙げて、その後に拙僧なりの解説を付してみたい。なお、『令義解』の江戸期版本(塙保己一校訂本・寛政12年[1800]刊行、全10巻で『僧尼令』は巻2に所収)も合わせて見ていきたい。凡そ僧尼、私に園宅財物を畜え、及び興販出息することを得ざれ。『令義解』11丁裏を参照して、訓読は拙僧非常に短い一条ではあるが、中身は大事なことを言っている。また、この条文からだけでは、罰則の規定が見当たらないことにも注目しておきたい。意味であるが、およそ僧尼たる者は、個人的に田園や住宅、財物などを蓄えてはならないということである。なお、「興販出息」は、これまで拙僧が見たことの無い表現な...第十八条・不得私蓄条(『僧尼令』を学ぶ・18)
あの世があるかないかなんて、死んでみたら、誰だって一目瞭然、すぐ分かるんじゃないの?なーんて疑問もってる人、いませんか?幸福の科学の大川隆法先生は、『死んでから困らない生き方』(幸福の科学出版)で、こう説いておられます。この世にいる人にとっては、「あの世の人の声が聞こえない。姿が見えない」というのが不思議なのですが、逆に、自分が死んで、あの世に行ったときには、「自分の声が、この世の人に届かない」というのが、まことに不思議なのです。(中略)交通事故や病気などで、突然、亡くなった場合には、自分の死を自覚できておらず、「私はまだ死んでいない」と思っているので、家族に一生懸命に話しかけるのですが、全員から無視されているように感じ、「なぜ、急に、こんなに冷たくなったのか」が分からないでいることが多いのです。現代のお葬式そ...死んでも自分では分からないって?
ドイツ宗教改革の発端にもなったとされるマルティン・ルターの『九十五箇条の提題』の日本語訳を学んでいく連載記事である。連載23回目である。23あらゆる罰の完全な赦しを誰に与えるのかということになるなら、それは完全な人間に、ごくわずかなそのような人間にだけ与えられる。深井氏下掲同著・19頁この訳文を素直に読むだけでは、完全な赦しとは限られた人間にしか与えられず、転ずれば、ほぼ全ての人間は赦しを得ること無く死ぬこととなり、煉獄などに趣くことになるのではないか?と思えてくる。そうなると、何のために赦しなのか?意味が分からなくなってくる。この連載を始めて、既に2年近くが経っているが、理屈として納得出来ない文脈が出て来た。訳者の註記では、ルターは後にこの見解を翻して、最も完全な人間のみならず、最も不完全な人間にも与えられる...マルティン・ルター『九十五箇条の提題』を学ぶ・23
いやあ、恩知らずって、いるよね。こんなの許せないよね。そう思わない?なーんて悩み抱えてる人、いませんか?幸福の科学の大川隆法先生は、『不動心』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。大切なのは、「他人に何かをしてあげるときには、与えきりにして、それを忘れる。逆に、してもらったことは長く覚えておき、感謝していく」ということです。これが基本的な考え方です。こうした考え方を持っていれば、世の中はもっとよくなっていきます。ギブ・アンド・テイク的な考え方の問題点は、「圧倒的善念」というものが不足していることです。「ほめてやったのに、私の悪口を言った」「あれだけ引き立ててやったのに、私をないがしろにした。けしからん」などという気持ちは、まだ善念が足りないのです。「よくしてあげたのだから、当然、向こうも私によくしてくれる...恩知らずって?
戒と智慧の関係というと、一般的には戒定慧の三学という関係性で考えられるところだが、意外と古そうな教えの中に、この三学に依拠しない関係性を見出したため、紹介がてら学んでみたい。仏言く、「善き哉、善き哉、汝の説く所の如し。戒有れば則ち慧有り、慧有れば則ち戒有り。戒、能く慧を浄め、慧、能く戒を浄む。種徳よ、人の手を洗うが如し。左右、相い須う。左、能く右を浄め、右、能く左を浄む。此れ亦た是の如し。慧有れば則ち戒有り、戒有れば則ち慧有り。戒、能く慧を浄め、慧、能く戒を浄む。婆羅門よ、戒、慧、具うる者、我れ比丘と名づくると説く」。『長阿含経』巻15「第三分種徳経第三」、訓読は拙僧まず、この「種徳経」についてだが、種徳という名前の婆羅門に対して、世尊が教えを説いたもの、となっている。上記一節の文脈は、種徳婆羅門の問いとして、...戒と智慧の関係について
アトランティス文明って、古代にあったんでしょ。そこでも原子力とか使ってたのかなあ?なーんて疑問もってる人、いませんか?幸福の科学の大川隆法先生は、『アトランティス文明の真相──公開霊言大導師トスアガシャー大王』(幸福の科学出版)で、古代エジプトではトート神として知られる大導師トスの言葉(霊言)を、このように伝えておられます。これはアトランティスだけのものではありませんが、ピラミッド・パワーというものがありました。あなたがた現代人は、まだ、十分にその真価を手に入れていないようですけれども、やはり、ピラミッド・パワーというものがあるのです。これも、現代人の誰かが開発しなければいけないと思いますが、ピラミッド・パワーの本質は、実は、宇宙のエネルギーを集結させる力なんですね。現代人の理解力では、「そんなことがあろうはず...アトランティスのクリーンエネルギーって?
『像法決疑経』(『大正蔵』巻85所収)という経典がある。中国成立の偽経ともされているけれども、解題などを読むと、中国天台宗などで早くから引用されるなどしているので、その辺、扱いは難しい。とはいえ、以前から拙ブログで申し上げているように、「偽経(又は疑経)」というのは、その制作された時代の仏教観や、製作者の願望などが投影される可能性があるため、中々興味深いのである。そこで、今日の記事である。以下の一節をご覧いただきたい。善男子、我れ処処の経中に於いて布施を説くは、出家・在家人をして、慈悲心もて、貧窮・孤老、乃至餓狗に布施を修せしめんと欲す。我が諸もろの弟子、我が意を解せず。専ら敬田を施し、悲田を施さず。敬田とは即ち是れ仏法僧宝なり。悲田とは貧窮・孤老、乃至蟻子なり。此の二種田、悲田最勝たり。善男子、若し復た人有り...『像法決疑経』に見る孤独・貧困の救済について
たとえば、江戸時代に生きる人が「東海道五十三次」の旅行に挑んだとしよう。江戸日本橋から京都三条大橋まで、あるいはその逆のコースでも構わないが、東海道のその道のりは490km余り。これだけの距離の徒歩旅行ともなれば、「宿場町」というサービス・エリア?がある地域は
昔は何の病気かわからなかったのに、今は病名がわかることが多いでしょ。これって、医学が進歩したからなんで、いいことだよね?なーんてこと考えてる人、いませんか?幸福の科学の大川隆法先生は、『奇跡のガン克服法』(幸福の科学出版)で、こう説いておられます。今、日本では、医学が進歩して、大勢の病人が病院で治療を受けていますが、それと同時に、ある意味で、病気の人の数も増えています。すなわち、「医学が進歩すればするほど、いろいろな病気が出てくる」という面が指摘できるのです。要するに、「研究が進めば進むほど、病気の分類が増えてきて、ある病名を告げられると、いかにも、そのような病気が実在するかのように思えてくる」ということです。病院に通って診察を受ける側の人にも、とにかく、何らかの病名を診断してもらえると、ホッとするというか、安...病名がわかるって?
色々と読んでいたら、或る一節に目が止まったので、学んでおきたい。(大中祥符)六年癸丑、是年二月十五日、念仏施戒会を創建す。師、祥符五年十月に於いて、親しく疏文を製し、今に至るまで誘化す。此の会、抵そ今まで凡て一百九十載に廃れず。往古来今、其の化せらるる者、幾何人なるを知らざるかな。「尊者年譜」、『四明尊者教行録』巻1この尊者というのは、中国天台宗の四明知礼尊者(960~1028)のことで、上記の大中祥符6年とは1013年、中国北宋代の元号である。そして、この年の2月15日、釈尊涅槃会の日に、「念仏施戒会」を始めたという。また、この前年には、おそらくはこの法会に因む「疏」を作られて、人々にこの法会に随喜することを勧められたようである。そして、後に「尊者年譜」が作られた頃に至るまで、190年を経ても廃れずに、この法...「念仏施戒会」について
以前から、【洞門授戒会に於ける授与者の変遷】のような記事をアップしているけれども、今回は授戒の師の数に関する議論があったので、それを見ておきたい。壇経に、戒師は智光にて、羯磨は慧静なり、教授は通応にて、説戒は中天竺の耆多羅にて、証明は蜜多三蔵とあれば、三師と七証とを挙て、五師を略す、律家受戒の作法、古今これなり、菩薩戒は、たとひ教家とても、或は一師、或は二師なり、梵網、地持、瓔珞等の作法爾り、ゆへに壇経は、菩薩戒にはあらじ、「六祖の満分戒」項、面山瑞方禅師『仏祖正伝大戒訣或問』寛延元年版、8丁表~裏、カナをかなにするなど見易く改める上記の通りで、面山禅師は菩薩戒の授戒の師は一師か二師であるとしており、その典拠に『梵網経』『菩薩地持経』『瓔珞経』などを挙げておられる。ただし、拙僧自身、どの辺が作法を示しているのか...授戒の師の数に関する一議論
①[宗教改革]プロテスタント 宗教改革も成功し、今はプロテスタントの時代です。カトリック カトリックも反宗教改革でイエズス会が生まれ、反省すべきは反省しました。 現在、カトリックはプロテスタントの3倍は存在し、今なおカトリックが主流派です。②[資本主義・会社
数十年来遊び仲間だったKが自殺してから、もう11年経った。 Kは自殺決行の10年前から「近いうちに自殺する」とまわりに宣言していた。Kは覚悟の身辺整理をしたり、やっぱり思い直したりを繰り返していたようだ。そのうち「嘘つきK」などとあざ笑う、無考えなヤカラも出
近年大ヒットしたマッドマックス 怒りのデス・ロードに不思議な性的暗喩シーンがありました。 クリック協力お願いします。ツイッター@moriezokikorro …
前回、この世の成り立ちの秘密を教えてもらったよ。でも、なんで仏は、この世をそうやって創ったのよ?なーんて疑問もってる人、いませんか?幸福の科学の大川隆法先生は、『永遠の法』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。では、「光」「空間」「時間」の三要素で、仏はいかなる世界の構築を意図しているのでしょうか。仮に空間を一つの透明なガラス箱のようなものだと考えてみてください。この透明なガラス箱のなかに、片隅から光がさしてきて、その光は箱のなかを反射しながら動いています。その光はガラス箱のなかに閉じ込められており、箱のなかをいろいろと移動して、さまざまな風景、光の芸術をつくり出しています。壁にあたった光は、反射して次の壁にあたり、また反射して次の壁にあたります。このように、透明なガラス箱のなかで、光は次々に動いているの...仏の天地創造の目的って?
7時頃起床。村の清掃出合作業終了後、汚れた作業着を洗濯機に入れ、シャワー。 その後『お客様感謝半額セール』開催中の焼きたてパン屋に出かけた。 あとで日記見て、去年も出合のあとセール中のパン屋へ出かけていると気づく。わずか1年前なのに、すっかり忘れて
以前、【『禅苑清規』巻9「訓童行」に見える「五戒」について】という記事を書いたときに、改めて「五戒」が気になった。一般的に「五戒」は、「在家五戒」とも称せられるように、在家信者が僧侶より受けて、日常生活の中で守るものという印象があるのだが、その条文に若干の違いがあることが気になった。なお、拙僧などは瑩山禅師に係るとされる『出家授戒略作法』に見える「五戒」が一般的だと思っていた。不殺生不偸盗不婬欲不妄語不飲酒この5つである。ちょうど3文字ずつで並びも良く、正直、こんな感じだと思っていたのだが、上記リンク先の記事で見たように、『禅苑清規』巻9「訓童行」では、特に「第五不飲酒食肉」だったわけである。ただの飲酒だけでなく、食肉も禁止項目に入っていた。拙僧にはこれが意外に思われたのである。そこで、他にも同様の事例があるか...「五戒」に於ける「不飲酒食肉」戒について
少ない戦力で、巨大な敵を倒すって、心が踊るよね。そうすると、奇襲が大事だよね?なーんてこと考えてる人、いませんか?幸福の科学の大川隆法先生は、『常勝の法』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。指導者の立場にある人は常に未来を見通さなければいけません。目先の勝ち負けも当然ありますが、勝負に勝つためには、指導者は未来に対する備えというものを常に持っていなければいけないのです。未来を見通せず、判断を誤ったときには、敗れていきます。(中略)未来の備えをするということは、勝負に勝つうえで、ある意味では、八割、九割を占めることです。未来に対する情勢分析と、具体的な備えの部分、準備ができていれば、戦の結果は、ある程度は見えます。こうした備えなしに戦をすると、敗戦になることが多いのです。先の大戦における日本の敗戦も、基本...奇襲って?
「三度目の殺人」 これは名作だって、始まって数分でわかる映画ってあるよね。この「三度目の殺人」なんかまさにそれだよ。この映画、監督のオリジナル脚本だからね。是枝裕和て、芥川賞とか獲る気になればすぐ獲れるレベルの人だ。www.youtube.com
今日6月21日は夏至である。以前から、何度も記事にしているように、仏教というか禅宗では「冬至」については良く説法の題材になる。その理由として、この日から夜の時間が短くなり、昼の時間が少しずつ長くなることで、いわば闇が退き、明が進むことになる。言い換えれば、迷いが退き、悟りが進む。よって、我々が仏道の道理を得るという状況に親しみやすい。だからこそ、説法の題材となったのだ。一方、「夏至」については、その逆となるので、説法の題材にしているところを見たことがない。もしかしたら、存在しないのかも・・・と思えるほどだ。まぁ、ありとあらゆる時代の文献を見ていくと、あるかもしれないので、有無の判断は保留しておく。それで、夏至に限らないのだが、ちょっとした文脈を見出したので、それを見ていきたい。大婆羅門よ、我れ今、更に昼夜の分数...夏至と仏教の話(令和3年度版)
14時過ぎ、キリスト教系布教女性2人組来訪。 玄関前で傘さしながら立って話す。 相手が、神は永遠の昔から存在していると言うので「永遠なんて人間に分かるわけがない。それはただの言葉ですよ。分らないと言ってるのと同じことです。物には作り主がいなけ
今日は父の日である。由来はアメリカのドッド(Dodd)夫人が「母の日」に倣い、父親に感謝するために白いバラを送ったのが始まりとされる。なので、余り仏教とか関係ないのだが、拙ブログの立場上、その辺で書くしかないので、今日は「慈父」という言葉について見ておきたい。慈父大師釈迦牟尼仏、十九歳の仏寿より、深山に行持して、三十歳の仏寿にいたりて、大地有情同時成道の行持あり。八旬の仏寿にいたるまで、なほ山林に行持し、精藍に行持す。『正法眼蔵』「行持(上)」巻まず、道元禅師は釈迦牟尼仏を慈父と呼んでおられる。なお、典拠については直接は不明なるも、「釈迦牟尼尊、衆生の慈父」(『大荘厳論経』巻8)という文献もある。何故、釈尊が慈父と呼ばれるのだろうか。その意義としては、以下のような教えも見ておくべきであろう。衆生を摂取す、猶お慈...今日は父の日(令和3年度版)
オレ、とにかく成功したいんだ。どうすればいいの?なーんて疑問もってる人、いませんか?幸福の科学の大川隆法先生は、『青春の原点』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。子供時代には、勉強やスポーツに加えて、友達との遊びや学校での活動など、やることがたくさんあって大変ですが、そのなかで創意工夫をし、「どうやって自分の道を開くか」という努力をするときに、智慧が生まれてくるのです。どんな人であっても一日は二十四時間です。睡眠時間や生活に必要な時間を除くと、最大限で十数時間しか使えません。その十数時間の使い方によって、さまざまな道に進んでいくのです。将棋の天才になる人もいれば、技術者になって瀬戸内海に橋を架ける人もいます。宇宙にロケットを飛ばす人もいます。法律の勉強をする人もいます。宗教活動をする人もいます。そのよう...成功のための創意工夫って?
ずいぶん前にアップした【前編】の続きである。気付いたら、かなりの期間が経ってしまったのだが、中編ということで、アップしておきたい(最初は、「後編」にしようと思ったが、色々と調べていたら思ったよりも文章が長くなったので、3つに区切ることに)。五暑の時、律僧が衣角にて額の汗を拭ふを見る。布とばかり思ふて、帨と同前に用ふ。かなしむべし。まだ今は梅雨時ではあるが、直に夏になるので、この辺は注意しなくてはならないだろう。とはいえ、拙僧の周りで、このような行為をしている人を、およそ見たことが無い。やはり御袈裟は大事なもの、という意識が通底しているからのように思うけれども、江戸時代には残念ながら、不如法の振る舞いをした事例があったのだろう。面山禅師に倣って、悲しむべきことだといえる。ところで、今時であれば、暑すぎる日などに、...釈氏の法衣とはどうあるべきか?(中編)
洋画2本「ヒューマン・ハンター」と「ダウンサイズ」を続けて観た。 www.youtube.com エゴの幻想を克服できなければ、近い将来「ヒューマン・ハンター」的悪夢が現実になる。映画の最後は希望があるかのようだが、エゴの幻想がそのまま残
ウケを狙うとはどういうことか。 その9割は、大衆の意識下の先入観を肯定してみせることで相手を安心させ喜ばし、悪く言えば一種の媚びを売ることだ。 一例として(古い例しか思いつかず恐縮ですが)さほどラッセン好きなわけでもない永野が、芸として 「ピカソより~ゴ
近頃、伊藤聡融老師著『曹洞宗行持宝典』(中央仏教社、大正7年)を入手したので、色々と学ばせていただいていた。中でも、「二十四戒名の意義」という一項があったので、紹介がてら内容を検討してみたい。まず、伊藤老師は戒名の意義を以下のように定義される。元来戒名は人々の本徳本心に名くるものにて、其縁心分別の妄想心に名くるものに非ず、垢染煩悩の凡夫も、執着乱心の愚人も一度我が仏門に投じ仏式を以て葬儀を行ふからには、生前未だ仏門に入らざる者も今日より以後は仏弟子の中に入りたるを幸ひに、仏戒を授けて引導に預りたる縁を始めとして、安心立命の本位に帰らねばならぬと云ふことを教示するにある、況んや生前仏法を尊信し帰依したる人に於てをや。前掲同著、238頁、漢字などは現在通用のものに改める(以下、同じ)非常に明確な説明であり、特に最初...『曹洞宗行持宝典』に於ける「戒名」の説明
日本史では「戦国時代」(1467-1590年)との異名もある室町時代の末期は、文字通り全国各地で活発に“戦さ”が展開された時代です。“活発に戦さ”ということは、言葉を換えれば、それに比例して多くの「戦死者」を生んだということにもなります。しかし、例えば映画やTV時代
ね、人間には仏性があるって、聞いたことがあるよ。これって、どういう意味なの?なーんて疑問もってる人、いませんか?幸福の科学の大川隆法先生は、『心の挑戦』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。人間にはまず、この地上における自分という個の存在があります。この自分一人の存在も、もともと仏の光から岐れてきた自己存在であるならば、「この自己存在を最高度に発揮させて、幸福を得なければならない」という要請が一方にはあります。また、もう一方には、人間というものは一人だけで生きているものではなく、他の多くの人たちと一緒に手を携えて生きているものである、ということからくる、「共通の幸福のために生きなければならない」という要請があります。この「個人としての幸福」と「共通の幸福」の二種類の幸福に、どう兼ね合いをつけていくか。実は...仏性って?
そういえば、【何故、出家者は髪を剃らねばならないのか?(2・釈尊編)】などで頭髪を剃る話をしているが、鼻毛はどうなのか?と思い始めた。すると、やっぱり『律』は面白い。関連した記述がしっかりと載っていた。時に比丘、鼻中の毛の長きを患む。仏言く「抜くことを聴す。若しくは自ら抜き、若しくは人をして抜かしめよ」。彼れ鑷を須う。仏言く「作ることを聴す」。彼れ宝を用いて作る。仏言く「応に宝を用いて作るべからず。骨、牙、角、銅、鐵、白鑞、鉛、錫を用いて作ることを聴す。若し、鑷頭の破れを患むならば、頭に鉄を安んずることを聴す。手の捉うるの難きは掌で護せ。剃刀曩中に著くることを聴す」。『四分律』巻51「雑揵度之一」鼻毛についての指摘である。比丘達が、鼻毛が伸びすぎて悩んでいたという。よって、仏陀は、鼻毛を抜くことを許可したが、そ...出家者に於ける鼻毛の問題について
数年前から、週一実施のウォーキング会に参加している。 以前、リード役の一人であるおばさんの信念で、幼稚園的遊戯、全員で縦一列の電車ごっこをしながら「わたしに続いて大声で笑って。あっはっは、あっはっは」これを何度も繰り返した。「作り笑いがほんとの笑
なんだかやる気でないよね。疲れてるよね。こんなとき、どうすればいいのかな?なーんて悩み抱えてる人、いませんか?幸福の科学の大川隆法先生は、『限りなく優しくあれ』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。愛に満てる生涯、それは情熱に裏打ちされている。情熱とは、いったい何であるか。情熱とは、この世のなかに光を見いだしてゆく行為であるのだ。この世のなかに希望を見いだしてゆく行為であるのだ。情熱とは、一人の可憐な少女のなかに、たぐいまれなる理想を発見し、一人のたくましい青年のなかに、人類の未来を見ることをいうのだ。情熱とは、人の善性に限りない期待をかけることをいうのだ。情熱とは、仏が、その心を、この地上に、いつの時代も表されているということを、信じることでもあるのだ。そうだ、情熱こそ素晴らしい。情熱は、人間が生きてい...情熱って?
昨年度、実世界の論文で丘宗潭老師(1860~1921)の『教授戒文』提唱録を翻刻した。その中で、丘老師は或る説話を採り上げて、不殺生戒の捉え方について提唱された。宝積経に出て居る事だが、文殊が剱を抜て佛に向た、佛向ふて曰く、何をか為す、文殊曰く、佛を殺さんと欲す、佛曰、汝ぢ殺すべき佛身を見るや、と云はれた言下に、文殊剱の藏め処が無かつて困た、とある、不殺生戒は此の處じや、文殊は閉口して仕舞た、虱が居ると思ふから殺す、魚が居ると思ふから漁する、一切法は無性、一切法は無我、一切法は無相、と徹底せば汝何をか殺す、汝殺すべき佛身を見るや、如是禅戒を授戒するのだから難有のだ、此の無相の戒には一切の戒として含まざることは無い、故に能所を見て殺すなと云ふ様な浅薄の話では無いのだ、先づ之れ位で置かう、「不殺生戒」項、丘宗潭老師...不殺生戒の禅戒的解釈?
以前テレビで、仏教や神道やキリスト教に関する国民の疑問に、僧侶や神主や牧師が答える番組を見た。 確固たる神仏の教えが一方にある。 他方、大衆には、神仏の教えがこうあってほしい、のみならず、こうでなければ容認しないという頑固な意向がある。
或る意味で清規的な内容も含むと思ったので、記事にしておきたい。黄檗断際禅師、因みに百丈問う、運闍梨、田を開くこと易からず。曰く、衆に随て作務す。丈曰く、道用を煩わしくすること有り。曰く、争か敢て労を辞せん。云く、多少の田を開得するや。師、鋤を将て地を築くこと三下す。丈、便ち喝す。師、耳を掩うて而も去る。『真字正法眼蔵』巻下271則これは、中国禅宗南嶽下の黄檗希運禅師と、その本師・百丈懐海禅師の間で交わされた問答である。典拠は、『宗門統要集』である。もちろん、この話自体は『天聖広灯録』などにも出ているが、字句の違いを考えると『統要集』と見るのが自然であろう。なお、『広灯録』だった場合、この田畑の開墾作業は、「普請作務」だったともされている。百丈禅師らしい公案だとはいえる。意味するところは、百丈禅師が黄檗禅師に対し...禅林で田畑を開墾した話
古くさいだけの宗教も多い気がするけど、でも、この現代社会で宗教に求められているものって、あるんじゃないかな?なーんて疑問もってる人、いませんか?幸福の科学の大川隆法先生は、『繁栄の法』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。私は、日本がほんとうの無宗教国家だとは思いません。日本には宗教的風土、土壌が根深くあり、日本人はだれもが何らかの宗教心を持っています。きちんと葬式をし、お盆には先祖供養をします。また、正月には初詣でをします。これは宗教心があることを意味しているのです。しかし、残念ながら、教えのレベルで、あるいは善悪の価値観のレベルで、きちんとした宗教教育がなされていないため、日本人は宗教に関する価値判断ができないでいるのです。漠然とした自然宗教のようなものにとらわれている状況だと思います。すでに、仏教は...宗教に求められているものって?
一度、『禅苑清規』についてもしっかりと勉強し直したいとは思っているのだが、その過程でちょっと気になる文脈を見付けたので紹介がてら学んでみたい。大僧に近事するには、当に五戒を持すべし。一には不殺生〈命有るの属、得て而も殺さざれ)。二には不偸盗〈与えて而も取らざれ、皆な盗と為すなり〉。三には不淫欲〈淫欲を遠離するは、火坑を避けるが如くす〉。四には不妄語〈出家の人誠信を本と為す〉。五には不飲酒食肉〈寧ろ身命を捨てて此の戒を犯すこと無かれ〉。斎粥を除いて外に、並べて雑食を得ざれ〈所謂、果子並びに菜粥飲餅飰並べて応に食せざるべし〉。『禅苑清規』巻9「訓童行」まず、この項目について簡単に解説しておくと、「訓童行」とある通り、「童行を訓(指導)ずる」ための文章なのだが、この「童行」については、以下の指摘が定義として理解出来よ...『禅苑清規』巻9「訓童行」に見える「五戒」について
日本テーラワーダ仏教協会HP初期仏教の世界:心を育てるキーワード:ヴィッパッサナー瞑想の法話から引用させていただきます。 …毒矢のたとえ話を強く心に刻んで覚えておかないと、ブッダの教えは、自分の役に立ちません。ヴィパッサナー瞑想をして悟りにまで至る人がゼ
失敗って、いやなものだよね。失敗しない人生こそが、成功した人生なんじゃないの?なーんて疑問もってる人、いませんか?幸福の科学の大川隆法先生は、『社長学入門』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。失敗自体は、そう悪いことではありません。失敗は、成功するために、どうしても必要なものなのです。人間は、失敗して初めて、成功への道が開けます。単に成功が続いているうちは、本当は、まだ限界いっぱいまでやっていないのです。その人の能力の範囲内でやっていて、限界まで来ていない場合には、成功状態が続くこともありますが、限界突破をしようとしたら、必ず失敗が生じます。しかし、それで負けては駄目なのです。失敗を最大の“教師”として、あるいは、それをヒントとして、「自分は何をしなければならないのか」「どこが違っていたのか」「どんな手...失敗って?
ねえ、地獄に堕ちるのって、ものすごく悪いことしたからなんでしょ。でも、地獄に堕ちる人が多いって、そんなに悪いことした人が多いのかなあ?なーんて疑問もってる人、いませんか?幸福の科学の大川隆法先生は、『死んでから困らない生き方』(幸福の科学出版)で、こう説いておられます。地獄霊の本質を一言で言えば、“自己中(じこちゅう)”です。みな、自己中心の考え方をしていて、自分の立場を一生懸命に説得することには非常に長けているのですが、本当に相手の立場に立って、その人の幸福を考えるということは、非常に少ないのです。「自分が犠牲になってでも、人のために尽くそう」と思うような人は、この世界にはまず見当たりません。映画「仏陀再誕」の冒頭に近いシーンで、新聞記者が、電車に飛び込んで自殺したあと、自分が霊になったことが分からずに、知り...地獄霊って?
我々は、様々な行持作法については、一度拡張された場合、それがどこか永続的に後代に受けつがれていくものだと思っているかもしれない。そして、「慕古」という精神性の場合、先例踏襲こそが重要である以上、後の者が前の者が作ったものを改変するなんて、畏れ多いことだと思われるかもしれない。そして、この精神性は、少なくとも曹洞宗の清規の歴史的事実には全く当て嵌まらない。江戸時代以前の清規はもちろんのこと、明治時代以降の『行持軌範』ですらも、拡張一辺倒ではなくて、適度の「組み替え」を行いながら、その時代に合わせて改変されてきたものである。今日は、その証拠の1つとして、昭和25年に改訂された『昭和改訂曹洞宗行持軌範(以下『昭和改訂』と略記)』を見ていきたいと思う。この軌範の「小序」には、改訂する意図について、以下のように定めている...『昭和改訂曹洞宗行持軌範』の面白さ
数十年ぶりかで観なおした往年の名作映画「セブン」 ウィキペディア「セブン」より引用させていただきます。 キリスト教の「七つの大罪」をモチーフにした連続猟奇殺人事件と、その事件を追う刑事たちの姿を描いたサイコ・サスペンス。先鋭的な映像センスと、ノ
死刑制度って、廃止論もけっこう根強いよね。どう考えたらいいのかな?なーんて疑問もってる人、いませんか?幸福の科学の大川隆法先生は、『真実への目覚め』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。総合的に述べると、「凶悪犯罪が少なくなっていない国においては、まだ死刑制度を残しておいたほうが、犯罪予防のためによいのではないか」という気持ちを私は持っています。ただ、将来的には、真理が浸透していくことによって、それが犯罪の抑止力となり、事前の予防効果が強くなることや、刑務所内でも真理が浸透することによって、再犯率が下がっていくことを望んでいます。(中略)そういう平和で安全な国になっていくほうが望ましいのです。なるべく、そういう平和な状態になりたいものです。要するに、自分が人からされたくないことを人に対してしないことです。...死刑制度って?
ギリシャ神話に登場する伝説の都市トロイア※が実在したことを、実際の発掘によって証明(1871年)した人物として有名なのが、ドイツ人考古学者ハインリヒ・シュリーマン(1822-1890)です。実はそのシュリーマンは意外?(でもないかもしれんが)なことに、日本に滞在した経
聖書に基づくイエス様の救いの証をお語り下さい。短くても結構です。
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目に見えて分野として、スピリチュアル×心理学を使って、健康になって幸せを目指せます。
成功への極意を伝えます。たったひとつの考動力で0〜無限を生み出す秘密を伝授し 人生が好循環に回り、自分軸であなたがあなたらしく生きていけます。
ここでは、「妖精」「妖精の森」「おとぎの國」についてのイメージを、共有し合います。どこかで見た絵夲やファンタジー小説、夢に出てきた世界など、何でも。 また、リアルに妖精の森のような未來を望む書き込みも大歓迎です。 但し、旧スピ的発想や、宗教の勧誘、政党政治の推進、メディアを鵜呑みにしたり恐怖を煽るような書き込みは、すべて却下します。
アフリカ出身の夫と国際結婚し、その生活の中で体験したり学んだり考えたりしています
「純粋な」哲学の話題であれば、何でもどうぞ。 宗教、スピリチュアル、ポエム、政治、社会問題は却下です。 科学哲学は認めます。 なお、オープンな議論を促進するため、コメント機能を有効にすることが望ましいです。
スピリチュアルに触れながらも、それに傾倒しない哲学・思想などを語ってください。 直接的なスピリチュアル批判の場合は、なるべく理性的にお願いします。 スピリチュアル的な考え方は好きだけどハマり過ぎるのは考えもの、という緩い準アンチの方も考えをお聞かせください。 スピリチュアルの構造の客観的な分析なども歓迎です。 みんなの理性を結集してスピリチュアルに対抗しましょう。 なお、オープンな議論を促すためにコメント機能を開放することが望ましいです。
自分を変えようとして苦しんでいる人は多くいます。実は自分を変えようとしていることが間違いなんです。そもそもそのそのままの自分で幸せに暮らすことができます。それができるならみんなそのままの自分で暮らしたいと思っていると思います。そんなそのままの自分で幸せに暮らすためのヒントを発信します。
「奇跡」を司るのが「神」 時間・空間・物質に「奇跡」が起きた。 生命は「奇跡」の連続 「大いなる意思」は「神の愛」 人間は皆、「神の子」です。