聖書に基づくイエス様の救いの証をお語り下さい。短くても結構です。
7月6日 新聞を見て社説や投書欄が相変わらず嫌なことについて考えた。
7月5日 そも哲学とは
7月4日 私のセンベロ(アイラブサイゼ)。
7月3日 コスパ・タイパの怖さについて。
7月2日 銀座のセイコーミュージアムへ行った。
7月1日 (水増し日記)シンギュラリティとディストピアリスク。(AI問答)
6月30日 大善のために小悪を意識して受け入れることの危険性について。コーヒーフレッシュ是非から考える。
6月29日 ”不可視で名付けることのできない高み”(昨日の日記)に対する、いつもの(笑)AIさんの感想貼り付け(水増し日記)
6月28日 荒俣さんの覚悟。(AI感想付き)
6月27日 永遠と芸術。(AI批評読み解き)
6月26日 続々AI依存考(こんどはChatGPTさん)。
6月25日 引き続きAI依存考。(まずはGeminiさん)
6月24日 Ai対話への依存リスクについて考える(AI回答付き)。
6月23日 宗教考。(AI批評付き)
6月22日 現在こそがすべて。
7月6日 新聞を見て社説や投書欄が相変わらず嫌なことについて考えた。
2025年07月06日
7月5日 そも哲学とは
2025年07月05日
7月4日 私のセンベロ(アイラブサイゼ)。
2025年07月04日
7月3日 コスパ・タイパの怖さについて。
2025年07月03日
7月2日 銀座のセイコーミュージアムへ行った。
2025年07月02日
7月1日 (水増し日記)シンギュラリティとディストピアリスク。(AI問答)
2025年07月01日
6月30日 大善のために小悪を意識して受け入れることの危険性について。コーヒーフレッシュ是非から考える。
2025年06月30日
6月29日 ”不可視で名付けることのできない高み”(昨日の日記)に対する、いつもの(笑)AIさんの感想貼り付け(水増し日記)
とりあえず、以下の一節を見ていただきたい。中に就いて戒の要綱といふのは、所謂戒律の全部を包括して、之を組成する要領を法体行相の四とするといふことである。更に委しく言へば、戒法、戒体、戒行、戒相の四が完備しなければ、之を戒律といふことが出来ない、また此の四つで戒律の全部は尽されて居るといふのである。国民文庫刊行会『国訳大蔵経(附録戒律研究上)』昭和3年・国民文庫刊行会、49頁以前、明治時代初期に書かれた別の文章でも、戒律については「法体行相」を知らなくてはならないのに、最近はけしからん、的な文章を見たことがあったのだが、どうも、これは戒律研究上、必須とされた考え方だったようである。しかし、どうも、個人的に読んでいる文献には、中々このことを指摘する場合がないようだし、どうなっているのだろうか?と思い、今回その疑問点...戒律を学ぶこととは「法体行相」を知ること?
天才教育って、できるものなのかな。なにかヒントってないのかな?なーんて疑問もってる人、いませんか?幸福の科学の大川隆法先生は、『霊性と教育──公開霊言ルソー・カント・シュタイナー』(幸福の科学出版)で、有名な哲学者であるカントの言葉(「霊言」)を、次のように伝えておられます。天才教育の可否については、難しいところがある。幼少時に全部が決まるとは言えないけれども、いわゆる天才といわれる人は、学齢期に上がる前あたりの体験にかなり大きく影響されていることが多い。そのあたりの年齢で、どういう影響を受けたかということは、けっこう、本人は忘れていくんだけれども、それが深く潜っていて、大人になってから出てくることが多いね。例えば、ユダヤ人は、ノーベル賞学者に占めるパーセンテージがものすごく大きいでしょう?ノーベル賞を取ってい...天才教育って?
出家と在家の関係性の問題について、部派仏教までは話は早かったと思うのだが、大乗仏教になると複雑化した。理由は、菩薩について、出家とは限定されなかったためである。ただし、そのような大乗仏教の文脈の中で、出家の功徳を説く場合があると、その意義について検討せざるを得ない。是の如くの種種の因縁、出家の利、功徳無量なり。是を以ての故に、白衣、五戒有りと雖も、出家に如かず。龍樹尊者『大智度論』巻13「釈初品中讃尸羅波羅蜜義第二十三」まずは、以上の通りなのだが、『大智度論』では、出家の利益について、功徳無量であるとしている。それは、多くの出家の事例に於いて、功徳が明確に確認されるためである。例えば、以前に紹介した【『四分律』「受戒●度」と「酔婆羅門」の問題について】などで見た「酔婆羅門」の問題もそれに適合する。それで、『大智...『大智度論』における出家功徳論について
悟りを目指す準備段階として 自己の確立 が必要不可欠だ。 「自己の確立」は、本来無い自己を立てるのだから、矛盾ではないかとか、最終的に消える(ないし最初から無い)「自己」をわざわざ起こすのは迷うための苦労でないのかとか言う人がいる。 そういう人は
ね、天国に還るには、どうしたらいいの?なーんて疑問もってる人、いませんか?幸福の科学の大川隆法先生は、『霊的世界のほんとうの話。』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。一般的には、天国は光り輝く世界だと言われています。常楽の世界とも言われ、常夏の世界、喜びの世界と言われることもあります。こうした天国の実態を、この世の世界に近づけて説明するならば、「仲の良い人たちが集まって、とても楽しく語り合っている」というのが天国の姿だと言ってよいでしょう。天国に住む人たちの特徴を一言で言えば、天真爛漫だということです。飾り気がなく、生地のままで美しい心、そうした天真爛漫な心を持っていることが、天国の住人の条件なのです。また、「他の人に対して優しくしよう」という気持ちがあります。そして、「自分自身に対しても、いつも、よい...天国に還るには?
名選手だった人って、監督をやらせても、やっぱり名監督になれるのかな?なーんて疑問もってる人、いませんか?幸福の科学の大川隆法先生は、『希望の法』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。昔から言われていることですが、名選手は必ずしも名監督ではありません。プロ野球で言えば、長嶋茂雄氏は、監督を長く務めましたが、なかなか成功はしませんでした。王貞治氏も、監督としての才能がきらめくまでには、ずいぶん時間がかかりました。一方、自分自身がそれほど名選手ではなかった人で、管理野球をしたりして、監督として、かなりうまくいった人もいます。要するに、そういう人は、選手の悩みや苦しみがよく分かるのです。個人の能力がありすぎる人は、他人に対して、どうしても厳しくなります。そして、すぐ、「この人は駄目だ」と思ってしまうのです。ホーム...名選手と名監督って?
結界(けっかい)って、一体なんなのかなあ?なーんて疑問もってる人、いませんか?幸福の科学の大川隆法先生は、『日本を救う陰陽師パワー公開霊言安倍晴明・賀茂光栄』(幸福の科学出版)で、映画や小説で有名な陰陽師(おんみょうじ)・安倍晴明(あべのせいめい)の霊の言葉(「霊言」)を、次のように伝えておられます。結界は、霊的な秘儀を行っている人なら、よく感じ取られることであると思うのですが、こうした霊言という神降ろし的なことを行うに当たっても、結界の存在というのは、実に必要なものです。結界は目には見えないものですけれども、そういう霊的な磁場を形成することができなければ、“神降ろし”など、そう簡単にできるものではありません。したがって、「聖なる空間」をつくり出さなければいけないわけですが、そのためには、中心点があると同時に、...結界って?
同じように頭よかったはずなのに、仕事がとってもできる人と、ぜんぜんできない人がいるでしょ。あれって、どうしてなのかな?なーんて疑問もってる人、いませんか?幸福の科学の大川隆法先生は、『真のエリートを目指して』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。私は、「勉強ができる人間」の先にあるものとして、「仕事ができる人間」を、ぜひつくりたいのです。「勉強ができても、仕事ができない」という人は世の中に大勢います。「勉強ができても、仕事ができない人」と、「勉強ができて、仕事もできる人」とがいるのです。この違いを普通の学校では教えてはくれません。では、「仕事ができる人」と「できない人」の違いは、どこにあるのでしょうか。一つは、「本当に、『世の中のために、お役に立ちたい』という情熱を持っているか」ということです。もう一つは...仕事ができる人とできない人って?
最近、いわゆる菩薩戒と伝統的な戒(大乗仏教側からは声聞戒などと呼称される)との対比を扱う文脈を学ぼうとしている。もちろん、大乗『大般涅槃経』のそれは有名なのだが、他の文献でも書かれているのを確認している。また、菩薩戒の特徴を論じている文献も読むようにしている。それは同時に、声聞戒との比較になるためである。菩薩の禁戒に十事有り。何をか謂いて十と為すや。道心を捨てず、声聞・縁覚の意を捐つ、一切の衆生を観察して愍を行ず、群萌を開化して仏法をして住せしむ、菩薩の奉修して応に学すべき所は、一切の法悉く不可得と解すべし、造る所の徳本道に至るを勧助す、未だ曾て諸仏身に猗著せず、能忍の諸法亦た倚る所無し、諸根を済護して以て禁戒と為す、是れを十事と為す。時に頌して曰く、常に道心に和し、声聞・縁覚を捨て、衆生を愍傷して、勧めて仏法...菩薩の禁戒の十事について
まあ1440年頃のお話と思ってください。この頃の浄土真宗を率いていたのは、教祖・親鸞上人から数えて直系八代目の子孫にあたる蓮如(1415-1499年)でした。ただこの時期は、教団の教え自体が伝統的に「真っ向・真面目」であり宣伝広報などには、とんと無頓着だったこともあっ
信仰を持つことが大事なんだって、よく教えられるんだけど、それじゃ、幸福の科学で信仰をもったとして、要するに何をすればいいのよ?なーんて疑問もってる人、いませんか?幸福の科学の大川隆法先生は、『生命(いのち)の法』(幸福の科学出版)で、こう教えておられます。それでは、信仰の中身とは何でしょうか。信仰心に基づいて実践すべき徳目とは、幸福の科学が説いている「正しき心の探究」です。そして、正しき心の探究とは、「幸福の原理」の実践であり、「愛の原理」「知の原理」「反省の原理」「発展の原理」という四つの原理を究めることです。私は、この四つの原理を、「現代の四正道」と呼んでいます。まず、「愛の原理」とは、どのようなものでしょうか。人間は、ともすれば、自分のために生き、他の人から何かを得ようとします。動物と同じように、「欲しい...信仰を持ったら?
日本では仏教に於ける非出家者について「在家」などと表現する場合が多いと思うが、実際に漢訳仏典を見ると様々な表現があり、その一つに「居家」がある。例えば、以下の一節などはどうか。頼吒和羅、自ら思惟するに、「仏の経戒の如きは、居家は宜しからず。居家は自ら仏道を浄学すること能わざるなり」。『頼吒和羅経』以上の通りで、これは世尊の下で出家の可否を回って、親子の対立があった事例として知られる『頼吒和羅経』の一節である。同経典は、或る長者の子供であった頼吒和羅という名前の者の出家に関する話なのである。そこで、或る時、世尊が経・戒を説いたところ、非常にその教えに感服したこの者は、居家(在家)では世尊の教えや実践を学ぶことが出来ないと考え、出家を志した、という話をしているのである。世尊、云何が菩薩摩訶薩、修治して常に出家の業を...「居家」という表現
トルストイって、とっても宗教的な名作を書いた大文豪だよね。どんな世界に還ってるの?なーんて疑問もってる人、いませんか?幸福の科学の大川隆法先生は、『トルストイ-人生に贈る言葉』(幸福の科学出版)のまえがきとあとがきで、こう説いておられます。まえがき押しも押されもせぬロシアの大文豪トルストイ。だが、現代の若者には印象が薄れつつあることだろう。しかし、老トルストイが大地を耕す姿を、同時代の世界の人々は、神の如く慕い、その言葉の一つ一つを聖書の聖句のように捉えようとした人も多かった。トルストイの持つ偉大な光が、ソ連邦の政治や経済、軍事の闇を照らし切ることができず、左翼になびく宗教的人間を多数つくり出したことは、歴史の皮肉といわざるをえない。私自身も、スターリンの恐怖政治から、ソルジェニツィンの『収容所群島』が世界に知...トルストイって?
忍耐・堪忍と不放逸 スマナサーラ長老の初期仏教Q&A|ブッダの智慧で応えます(一問一答) - YouTubewww.youtube.com [感想]気づきsatiと忍耐堪忍は相関関係ですが、エッセンスは気づきsatiです。 ブッダの遺言は怠ることなく精進せよ(不放逸)
今日11月3日は文化の日である。それこそ、鈴木大拙居士の『禅と日本文化』(岩波新書)、柳田聖山先生『禅と日本文化』(講談社学術文庫)などに顕著なように、日本の思想研究の一部では、日本の伝統的な文化(茶道・華道など)に禅の影響があったとしている。もちろん、その後の現代的研究に依って、その影響の範囲は極めて限定的であったことがしられ、今となっては議論はかなり下火になっていると思う。ただし、禅が日本文化に影響しているという時、どの辺りが期待されていたのだろうか。気になった一節を紹介しておきたい。例えば、大拙居士は日本文化における禅宗が果たした役割の源泉を、以下のように指摘する。一、禅は精神に焦点をおく結果、形式を無視する。二、すなわち、禅はいかなる種類の形式のなかにも精神の厳存をさぐりあてる。三、形式の不十分、不完全...禅と日本文化の現代性
前回、貧乏神ってほんとにいるって、教えてもらったよ。で、そんなのに取り憑かれたりしないようにするには、どうしたらいいの?なーんて疑問もってる人、いませんか?幸福の科学の大川隆法先生は、『繁栄思考』(幸福の科学出版)で、次のように教えておられます。貧乏神の憑依は、基本的には、私がみなさんに教えている「心の法則」に基づいています。あの世の霊と、この世の人とは、「波長同通の法則」によって同類同士がつながります。必ず同類同士がつながっていくため、地上の人が、貧乏神を呼び込むような心の波長を持っていると、それが感応してくるのです。(中略)知らずに同通している、その源流は、どこにあるかというと、原因の一つは、自分が大人になるまでの家庭環境にあります。子供時代において、両親が経済的なことで苦労していた人は多いでしょう。日本で...貧乏神対策って?
以前、【『四分律』に於ける具足戒を受ける条件について】という記事を書いた時、当方としては或る事が気になっていた。それは、「酔婆羅門」の話である。「酔婆羅門」の説話については、以下の一節などがよく知られていると思う。復た次に、仏の祇洹に在るが如きは、一りの酔婆羅門有りて来たりて仏の所に到り、比丘に作らんことを求む。仏、阿難に勅して剃頭を与え、法衣を著けしむ。酔酒、既に醒めて、己身の忽ちに比丘に為ることを驚怪し、即便ち走り去る。諸もろの比丘、仏に問うに、「何を以てか此の酔婆羅門の比丘に作ることを聴すや」。仏言わく、「此の婆羅門、無量劫中に初め出家心無し、今、酔うに因るが故に、暫く微心を発す。是の因縁を以ての故に、後に当に出家得道すべし」。龍樹尊者『大智度論』巻13「釈初品中讃尸羅波羅蜜義第二十三」以前から、他の文献...『四分律』「受戒犍度」と「酔婆羅門」の問題について
【お坊さんに質問】心の不安に向き合う スマナサーラ長老の初期仏教Q&A|ブッダの智慧で答えます(一問一答) - YouTubewww.youtube.com [メモと感想] 未来をおもえば、誰だって不安になる。 未来のことを考えるのは、そもそも無知である。 未来とは、けっ
大川隆法先生って、なんで他の宗教の教祖の霊言まで出したりされるのかなあ?なーんて疑問もってる人、いませんか?幸福の科学の大川隆法先生は、『宗教決断の時代-目からウロコの宗教選び①』(幸福の科学出版)のまえがきとあとがきで、次のように教えておられます。まえがき宗教家が、宗教の正邪について語ることは、つらい仕事であり、ましてや、後発の宗教の立場で先発の宗教についてあれこれと述べても、嫉妬か、教団の広報宣伝ぐらいにしか見えないことだろう。新宗教学者の多数も、価値判断を避けて、フィールド・ワーク的な作業しかしていない現状で、たまに「価値判断」をして下さると、オウム真理教を強力に応援して、幸福の科学をやっつけてやろうとする手合いの者が出て来る始末だ。霊的真相を知り、神仏の心をもって正邪の判断を下すことは、この世の裁判以上...他宗の教祖の霊言を出すって?
11月1日、叢林では役寮交替の時期であった。ただし、中国の宋朝禅では明確にこの日だと分かる文脈は少ない。或いは元宵(旧暦1月15日)に行われた事例もあるほどだ。とはいえ、調べてみると11月中にあった「冬至」の前に、「謝知事上堂(退任する知事に感謝を述べる説法)」などを行うものであったことが分かる。その宋朝禅が輸入された日本では、明確に11月1日だと示して、同様の上堂が行われる場合があった。十一月旦、謝莫都寺の上堂。寒風は地を匝い、寒雁空に横たわる。玉を弁じて正に按じ、甎を磨して旁に提ぐ。頭頭都て顕露し、物物総て現成す。何の故ぞ。蓋し是れ英霊の衲子、只だ向事上見を為すのみ。『龍宝開山特賜興禅大燈高照正燈国師語録』巻上まず、この語録は京都大徳寺の開山となった宗峰妙超禅師(1283~1338)のもので、莫都寺という人...11月1日叢林では役寮交替の時期
過去記事2016/9/24にどうしようもないダメな自分を丸ごと心底信じきることと 機の深信がそのまま法の深信だという、機法一体の自覚は同じ内容だ。 と書きました。 どうしようもないダメな自分を丸ごと心底信じきること とは、以下のようなことです。
聖書に基づくイエス様の救いの証をお語り下さい。短くても結構です。
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目に見えて分野として、スピリチュアル×心理学を使って、健康になって幸せを目指せます。
成功への極意を伝えます。たったひとつの考動力で0〜無限を生み出す秘密を伝授し 人生が好循環に回り、自分軸であなたがあなたらしく生きていけます。
ここでは、「妖精」「妖精の森」「おとぎの國」についてのイメージを、共有し合います。どこかで見た絵夲やファンタジー小説、夢に出てきた世界など、何でも。 また、リアルに妖精の森のような未來を望む書き込みも大歓迎です。 但し、旧スピ的発想や、宗教の勧誘、政党政治の推進、メディアを鵜呑みにしたり恐怖を煽るような書き込みは、すべて却下します。
アフリカ出身の夫と国際結婚し、その生活の中で体験したり学んだり考えたりしています
「純粋な」哲学の話題であれば、何でもどうぞ。 宗教、スピリチュアル、ポエム、政治、社会問題は却下です。 科学哲学は認めます。 なお、オープンな議論を促進するため、コメント機能を有効にすることが望ましいです。
スピリチュアルに触れながらも、それに傾倒しない哲学・思想などを語ってください。 直接的なスピリチュアル批判の場合は、なるべく理性的にお願いします。 スピリチュアル的な考え方は好きだけどハマり過ぎるのは考えもの、という緩い準アンチの方も考えをお聞かせください。 スピリチュアルの構造の客観的な分析なども歓迎です。 みんなの理性を結集してスピリチュアルに対抗しましょう。 なお、オープンな議論を促すためにコメント機能を開放することが望ましいです。
自分を変えようとして苦しんでいる人は多くいます。実は自分を変えようとしていることが間違いなんです。そもそもそのそのままの自分で幸せに暮らすことができます。それができるならみんなそのままの自分で暮らしたいと思っていると思います。そんなそのままの自分で幸せに暮らすためのヒントを発信します。
「奇跡」を司るのが「神」 時間・空間・物質に「奇跡」が起きた。 生命は「奇跡」の連続 「大いなる意思」は「神の愛」 人間は皆、「神の子」です。