大石寺十七世貫首日精の時代、敬台院により二天文や総門、御影堂などが建立寄進され末寺も増加したために、形の上では宗門は繁栄したように見えていたので、日精を「中興の祖」などと崇める者もいた。(富士集学要集5巻参照)しかし、堀日亨上人は「富士宗学要集」第九巻P69に以下の...
大石寺では人材不足で京都要法寺から貫首をスカウトした時期があった。その期間およそ100年。大石寺十五代日昌~二十三代日啓までの九代にわたる。 要法寺出身の大石寺十七世貫首日精は、十六世貫首日就の弟子となり、元和九年に阿波徳島の藩主・蜂須賀至重夫人の敬台院が江戸浅草の鳥越に建...
富士門の日鎮(第12世法主)がわずか13歳で貫首に就任すると、「稚児貫首」の宗内の批判をかわすため、日鎮の教育係であった左京日教は、「法主は大聖人の生まれかわり」であるなどとし、「法主絶対論」を唱えた。 左京日教の師匠である第9世法主日有上人は、「法主は僧俗の師匠」であると...
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