お釈迦さまのお声!それは法華経の教えです。別の名を最上王経とも呼ばれ諸経の王でもあります。どんな衆生も救わずにはおかないという仏陀の方便の力は「法華経」のすば…
阿弥陀仏の光を讃える呼び名、現代のインド人も部分的に共通する名前を持つ人が多い。 是故無量寿仏。号無量光仏◦無辺光仏◦無碍光仏◦無対光仏◦焰王光仏◦清浄光仏◦…
先週土曜日(4/20)、カウンセリング研究会【くりのみ】親鸞コースでした。メンバーの佐◇さんは、いつも開会一時間前に参集。現在は、『歎異抄』の書写に取り組んでいます。これまで、『般若心経』『現成公案』を書いてきたところ。まだ、現職の小学校の主事さんですが、毎日、ご自宅でも書いている由。以前、くりのみ会で、先師・五十嵐正美先生からおしえてもらった「継続は力なり」のお話しをお伝えしたところ、そのことを即に実践に取り入れてくれた次第。本当に、頭が下がります。「継続は力なり」
弘法大師空海のお話⑳ ~ 佐渡の「影ノ神」伝説、修験道の聖地 ~ 「法の水茎」142
八重桜が見頃を迎えています。 フワフワした可愛らしい花びらです。 さて、今月の『高尾山報』「法の水茎」も弘法大師空海をめぐるお話です。佐渡の「影ノ神」という巨大な岩について書いてみました。この一帯は真言宗と深い関わりがある霊域です。お読みいただけましたら幸いです。 ※ ※ 「法の水茎」142(2024年4月号) 能登言葉 親しまれつつ 花の旅 (高浜虚子) この句は、俳人高浜虚子(1874~1959)が、昭和24年(1949)4月の奥能登の旅に際して詠ったものです。聞き慣れない能登の言葉に親しみを覚えつつ、地元の方々との温かな交流を育んだ花盛りの旅だったのでしょう。 先日は、今年元旦の能登半島…
このところ、元気がなくて、夜は寝転がってユーチューブばかり見て、やや依存症気味です。そのユーチューブでたまたま三上知恵さんのことを知りました。彼女は、東京...
糞掃衣(ふんぞうえ)を身にまとって血管が現われて痩(や)せ細り、林に独(ひと)り坐禅瞑想をする人その人をバラモンと呼びます 「真理のことば395」【まねび】「糞掃衣(ふんぞうえ)」とは。捨てられているボロ布で、縫(ぬ)った衣です。自分自身に相応(ふさわ)しい修行と、肉も、血も涸(か)れるほどに、練修を満たしている人は、確かに、痩せ細って、全身に血管が現われています。遠く離れて静寂(せいじゃく)の場所に、独(ひ...
衆生とは仏教語で、広辞苑に拠ればしゅじょう(衆生)【仏】いのちあるもの・生きとし生けるもの・一切の生物、一切の人類や動物、六道を輪廻する存在・有情(うじょう)と記されています私たちは元々一つの種が有(在)って、それから生まれてきたものではありません。ですから私たちは「此の物」というのが一番適切な表現だと思うのですが「此の物」は「衆生」なのです。つまり、私たちは「全ての物と同じ」なのです。「人類(人)」と認めようがないものです。始終変化している訳ですから「実体が無い・実相は無相」ということです。「縁」に応じて色々な物に姿や形が変わるということです。衆生(しゅじょう)について1
本日はいつものように午前中はテラヨガが開催されました。並行して寺報作成に取り掛かり、夜は十日市民児協定例会に出席です。毎日があっという間に過ぎていきます・・・…
昨日、ユウチューブを見ていたら、伊藤匠七段が4月20日に行われた叡王戦タイトル戦第2局で初勝利したことが報じられていた。それまで、伊藤匠七段は11戦対戦して負けっぱなし、12戦目でやっと勝利した。負けっぱなしだったので、あまり、タイトル戦があることも気にもしていなかったが、やってくれました。早速、深浦九段の棋譜解説を見てみた。藤井竜王が序盤でやったことのない手を指してそれが良くなくて伊藤七段がペースを掴み押し切ったようだ。勝負事は強いのが勝ちっぱなしじゃ、面白くない。将棋伊藤匠七段が藤井竜王に初勝利
一般に謂う仏身論は顕教的な解釈である。それは法身は果分不可説、故に法身は最も純粋な空に近い存在というもの。ゼロに近い存在。胎蔵生曼荼羅中央の大日如来もそうだと思う。 そして本地垂迹説もこの流れに沿っ
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